聖者の行進(1)
一 プロローグ
大きな川が流れている。だが、川には水がない。何が流れているかって?人間だ。いや、生きた人間じゃない。死んだ人間だ。それも、固体じゃない。液体でもない。気体でもない。そう、霊体だ。(そんなものあったのか)それに一人(ひとつ?)ではない。何十人、いや何百人、何千人、何万人もの人間の霊が流れている。いや、流れているのではなく、歩いて行進している。知らなかった。死んだ人間、霊にも足があったのだ。
霊たちは、山を越え、谷や川を渡り、街を通り過ぎようとしている。だが、生きた人間の眼には見えない。一人、また、一人、大河に流れ込む小川のように、できたてのほやほやの霊たちが、隊列の中に加わる。みんな、口をパクパクしている。何かしゃべっているのか。よく見ると、みんなの上唇と下唇は同じ動きだ。口を大きく開けたり、すぼめたり、尖らしたり、横に広げたり、口角を上げたり、とても忙しそうだ。拍手をしている者もいる。足踏みをしている者もいる。中には、楽器を持って演奏している者もいる。そうだ。みんな、歌っているんだ。何を?何の歌を?
「御臨終です」医師が振り返った。ベッドの上には、老婆が横たわっていた。そのベッドを取り囲むようにして、中年や若い男女たちがいた。中には、生まれたばかりの赤ちゃんも抱き抱えている若い母親もいる。
「うううう」声を押し殺して泣く者もいる。ただ、黙って俯く者もいる。手を合わせ合掌する者もいる。病室から外に静かに出る者もいた。家族にとっては特別の出来ごとだが、病院にとっては毎日起こっている風景だ。
老婆から思いが抜けていく。その思いは、病室を抜け、病院を出て、道路に出て行った。そこには、これまで同じように生を受けていた者たちが行進していた。老婆の思いは、一粒の水滴のように、人の川に流れ込んでいった。また、一人分、川が大きくなった。
「あんた、今、死んだのかい?」
行進に入ってきた老婆に、すぐ後ろの老婆が尋ねる
「ええ、そうです。わかりますか?」
「そりゃあ、わかるよ。あんた、まだ、あったかいもの」
老婆は自分の体を触る。手は温もりを感じずに体を通りすぎた。
「あはははは。あんたは死んだんだよ。体なんか、ないよ」
「でも、あったかいって、おっしゃるから」
「あんたの体全体、雰囲気があったかいのさ。死の産まれたてのほやほやだよ」
「死も産まれたてがあるんですか?」
「なんだって、始まりがあれば終わりがあるし、終わりがあれば始まりがあるじゃないか」
「ええ、そうですね」
老婆は、思わず納得する。そして、周りを見る。自分と同じように年をとっている者もいれば、自分の息子、孫ぐらいの年齢の者もいる。男もいる。女もいる。まだ、自分で立って歩けない赤ちゃんもいる。誰かが背中におんぶしたり、胸に抱いている。
「一体、この行進は、どこへ行くんですか?」
「ずっと、ずっと向こうだ」
別のじいさんが会話にはいり、指をさす。老婆は行進の先頭を見た。遥かか彼方に、前粒ぐらいの姿が見えた。老婆は遠い目をした。
聖者の行進(1)