凧あげがしたいと息子がねだった。この辺は広い場所もないし電線だらけでちょっと無理だな、と諭したが聞かない。いつもは物わかりのいい彼がこれほど強情になるのは珍しいことであったし、このところ寂しい思いをさせていたので少し遠出をしてみることにした。まずは雑多な品を取り揃えている店によりビニル製の凧を買った。私が子供のころからよく上がると評判だったものだ。息子は車の助手席でそれを大事そうに両手で抱えていた。小一時間ほど走り河川敷に着いた。だだっ広いそこでは子供たちがボール遊びをしたり、走り回ったりしていてさながら公園のようであった。
 凧から延びた糸の端を握りしめ、息子は駆け出した。その瞬間、私の手の中から凧が飛び出す。だがそれは少し跳ねるような動きのあとに逆さまになって地面に落ちてしまった。もういちど定位置にもどり、ふたたび彼は全力で駆ける。だが今度も凧は力なく落ちてしまった。風がないんだ、と私がつぶやくその声も聞かず、彼は何度もなんども同じ動作を繰り返した。だが凧は空に上がっていくことはなかった。
 荒い息と共に激しく上下する彼の肩に私は手を置き、少し休もうかと提案した。だが彼はふうっと大きく息を吐き、もう一回だけと、私の手に凧を託し距離をとった。彼と私の間でぴんと糸が張る。いち、にの……と彼が言いかけたそのとき、突風が私たちの間を駆け抜けた。咄嗟に凧を持つ両手を掲げ手を離すと凧はぐんという勢いで空に向かって行った。今だ、糸を出して! 私が叫ぶと彼は慌てて糸を繰り出していった。凧はぐんぐんと昇っていき見る見るうちに小さくなっていった。少し離れた場所で遊んでいた子供たちも足を止め、口を開けて空を見上げていた。私と息子は雲ひとつない青空に小さな点となった凧を見つめた。びゅうびゅうを音を立て背中を押す冷たい風が心地よかった。

「これならママにも見えるかな」

 不意の言葉に私は彼を見た。小さな手でしっかりと糸を握りしめ、真剣な表情で凧を見上げている。ああ、きっと見えているよ。私も凧を見上げた。それは一点にじっと止まったまま動かずにいて、青い空に描かれた小さな点のように見えた。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-12-27

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