三題噺「チョコレートケーキ」「レゾンデーテル」「フェイト」
俺の目の前の皿には絶望が置かれていた。
俺はチョコレートが大嫌いだ。
あの甘ったるい香りも駄目だし、一口なめただけで蕁麻疹が走る。
だからバレンタインやクリスマスは俺にとって悪夢の一日だ。
それなのに、俺はケーキ屋の息子だったりする。
きっとこれが俺にとっての宿命なのだろう。
「一樹、嘘だと思って聞いてくれ!」
「……何度も言うようだけど、俺は絶対に食わないからな。」
「ははは、そんなことぐらいわかっているよ。」
そうは言っても俺はこの父親に何度も煮え湯を飲まされ…いや、チョコケーキをいくつも食べさせられている。
だからそう簡単に信じられるわけがなかった。おそらく父親もそれをわかっているのだろう。いつものようなゴリ押しではなさそうだ。
「実はね…、これは僕の作ったケーキじゃないんだ。」
「……ふーん。」
「ついさっき、一樹に渡してくれって可愛い女の子が届けてくれたんだ。」
「……それで?」
「それで名前を聞いたんだけど……あれ、なんだったかな?」
「一番重要なことを忘れないでくれよ、おいっ!」
「一樹がそのケーキを食べたら思い出すかなぁ……なんて。」
「こ、この卑怯者っ……!」
やられた。こうなってしまったらこいつはこのケーキを食べるまで喋ることはないだろう。
しばし迷ったあげく、俺は黄泉の国への一歩を踏み出した。
「あ、戻ってきた? ちなみに最初にも言ったけど、あれ嘘だからね?」
死の淵から戻ってきた俺に父親はいけしゃあしゃあとのたまった。
ここに釘バットがあったら迷うことなく父親を殴打していただろう。けれど――
「でさでさ、今回のケーキはどうだった?」
嬉しそうに顔を輝かせている父親の顔を見ているうちに、そんなことはどうでも良くなってしまった。
だから俺は父親の顔を見ずに皿を片付ける。
「……塩が足りない。」
「塩?」
「クリームに塩が一つまみ足りない。スポンジを焼く時間はあと2分短く、チョコはあと1ミリ厚くが良い。」
「ふんふん、それで?」
「あとは仕上げのパウダーにココアを混ぜると大丈夫。」
「さすが一樹! これで新作のケーキもバカ売れ間違いなしだよ!」
俺は今も思う。
どうして俺はこの舌を持って生まれてきてしまったのだろうと。
俺の父親にはケーキを作る才能はない。それでも繁盛していたのは神の舌を持っていた母親がケーキを味見して作り方を指導したからだ。
そしてその母親はもうこの世にいない。
だから母親の代わりに俺が死ぬ覚悟でチョコケーキを味見させられるようなことになっている。
これがケーキ屋に生まれた俺の存在理由なのだろうか。そうでないことはわかってはいても俺は聞かずにはいられなくなってしまう。
「なあ。」
「んー?」
父親は鼻歌混じりに答える。
「もし俺が神の舌を持ってなかったらどうしてた?」
そんな俺に父親はこともなげに言った。
「そんなの、今と変わらないさ。神の舌がなくても僕はケーキを作るし、一樹にケーキを味見させてるよ。」
僕らは家族だからね、と言う父親は無邪気に笑っていた。
「……なんだよ、それ。俺を本気で殺す気かよ?」
「もちろん! いつか一樹が死ぬほど美味しいケーキを作るからねー。」
父親にまともな答えを求めた俺が馬鹿だった。
「……今度チョコケーキ作る時は、もっとましなもん作ってくれよ。」
「ははは、死ぬ気で頑張るよー。」
そしてまた味見役を買って出る俺は、チョコレートよりも甘いのかもしれない。
三題噺「チョコレートケーキ」「レゾンデーテル」「フェイト」