心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その9 有為の奥山今日越えて

一月二日

一月二日

 バスは十二時ごろの発車だから、日が昇ってから起きてゆっくりと準備した。
 るりちゃんは、黒いチベット服に大きな柄物のマスク、短いツバの付いた白いニットの帽子。ほぼ、チベット人になっていた。畳んだジャケットが横に付いていてもバックパックは私のより小さくて、黄色い頭陀袋には、カメラとお椀。

 いつものレストランで朝とお昼の中間のような感じで今度こそ最後のアップルパイを食べてから、十字路に停まっていたツォエ行きのバスに乗った。お客さんは、三、四人しか乗っていない。前のほうのいい席の、るりちゃんが窓側、私は通路側。るりちゃんは席に座って、アイスをなめている。
 私がそれを見つめていると、「おいしいよ」
「やあよ。おなか冷えちゃうもん」

 出発直前にエンジンがかかってから、お客さんが大勢乗り込む。チベット人と回族(フイズー)が半分づつくらいだろうか、けっきょくほとんど満席。
 走りだすと、フィルが通りを歩いているのが見えた。やっぱり、ラーメンを袋からバリバリ食べている。このバスは、暖房が効いていて窓が開かない。るりちゃんが窓ガラスを叩いたけれど、フィルは気づかなかった。泣いているのを見られたのかは、とうとうわからないまま。
「彼、なんでいつもあんなに疲れた感じなんだろう」
「あんだけ日本人ぽいと、気苦労も多いんじゃないの? わがままな白人の中でさ」
 そう言って、車掌みたいな女の人から配られたビニール袋にアイスの木の棒を捨てるるりちゃん。私たちの席の反対側では、白い帽子の回族の夫婦がボリボリとヒマワリの種を食べている。

 村を出ると、黄土色の草原と、遠くには白く霞んだ山々。黒い牧民のテントはモンゴルのような丸いのではなく、運動会のときに使うようなのを低くした感じ。それと、ヤク、羊。
 ゆるい上り坂。
「ブレイク・オン・スルー」窓の外の遠くを見つめていたるりちゃんが言う。そして私のほうを見て、「トゥ・ジアザー・サイド」
「え?」
「峠越えのときの突き抜けるような感じって、私、好き」下り坂になる。今日も、ルンタを撒く機会がなかった。「ほんの二、三年前だとさ、まだまだオンボロいバスが走ってて、黒い煙出しながらやっとこさ登って、舗装もされてないくねくねした、ほんとに山道って感じのとこ。ラプツェとか見えてもう少しで頂上ってなると、みんなお経を唱えて、そのうち誰かルンタ撒いてさ。下りになると、バスものすごいスピード出して危なっかしいんだけど、みんなでお経唱えてるから守られてんのかな、みたいな。でも最近トンネルが多くなって、峠でルンタとか、そんなの少なくなっちゃった」
「でも、便利にはなったんだよね」
「うん。難しいよね。地元のことを考えると、何時間も余分にかけて山道通るよりもトンネル使ったほうがいいだろうし、鉄道とか、そうだよね」
「ラサ行きの?」
青蔵(チンツァン)線? あれって、侵略鉄道だなんだ言われてるけど、中国内地から自治区に帰る人とか巡礼とか商売に行くカムアムドのチベット人にとって、自治区が近くなるって面もある。なんか、あれは侵略用の鉄道だから心ある人は乗っちゃいけませんみたいなこと言う人いるけど、でもそれを言うなら、青蔵公路(チンツァンゴンルー)川蔵公路(チュアンツァンゴンルー)新蔵公路(シンツァンゴンルー)も、チベットに軍隊送り込むために造った道でしょ? ラサのゴンカル空港だって、インドと戦争するとき戦闘機飛ばすためのものらしいよ。そんな理由でどれも使えないなら、ラサ行きようがない。行かなかったらどんなとこかわからないし、実際のとこどうなってるのか、自分で見てみないと判断のしようがないよ」
 初めは、書いてあるものを読んだりして、そんなこともあるんだろうなぐらいに思っていた。でも日本で何不自由ない生活を当たり前にしてきた私には、侵略がどうとかまったく想像できない世界で、そんなところでコウちゃんは、何を考えていたんだろう。
 フィルが言っていたっけ。ネパールにはチベット仏教を学ぶ西洋人が多いけれど、実際チベット行ったことのある人は少ない。でもチベット仏教ってのはチベットの風土の中でチベットの人々が完成させたものだから、チベットに来てチベットそのものを理解しないと、本当の理解は生まれないと思うんだ。
 やけに熱が入っていた。
 コウちゃんは、インドネパールにいた期間よりもチベット本土のほうが長いし仏教修行者のような感じでもなかったようだし、コウちゃんのテーマって、なんだったんだろう。

 そう思いながら、目が覚めたら、るりちゃんの肩に頭を預けていた。
「まりちゃん?」
「あ、ごめん」
「ヨダレ、出てるよ」
「やだうそ!」
「ウソ」
「もう、なにそれ。カムパーの人もそう言ってた」
 彼女はニヤニヤしながら、「もう着くよ」
 ほとんど景色を見ないまま、着いてしまった。道の両側には、チラホラと大きな四角い建物。窓に路線番号が書いてある市内バスとすれ違った。
 何台もバスが停まっている駐車場に入って、今日のゴール。

 チベットの言葉でツォエ、中国語で合作(ホーツォ)甘粛(ガンスー)省ガンロ・チベット族自治州の中心で、バスターミナルは南北に長い市内の北と南の端にひとつづつ。
 タクツァン・ラモから北上して来た私たちのバスが着いたのは南ターミナル、明日の目的地のサンチュ県はツォエの北にあるから、バスは北ターミナルから出る。
 前がバイクで後ろが大きな荷台になった三輪の乗り物に乗ると、北ターミナルの近くの宿に行った。ツインで、タバコ臭い標準的な中国宿。トイレはべつ、部屋の中が暖かくて、暖房がちゃんと効いていることに感動する。
「甘粛最高!」
 そう言いながらるりちゃんはチベット服を脱いでから、バックパックから線香を取りだすと、ライターで火を点ける。彼女は中心に穴の開いた小さい木の円盤みたいな線香立てを持っていて、灰皿の上に置いたそれに線香をさした。
 そしてベッドに座ると、「まりちゃん、スイッチ切れたみたいに寝ちゃうんだもん。私、どっか変なとこ触っちゃったかと思った」
「バスはねえ、あの心地よい振動が、そこはかとない眠りの世界に私を誘うんだよねえ。るりちゃん、バスで寝ないの?」
「うん。私、乗ってたバスが横転したことあって、それから移動中は寝らんない」
 さらりと、すごいことを言った。そこから先を聞いていいものがどうか、迷っていたら、「ゴンパ行こ。ゴンパ」
 チベット服からふつうのアウトドア用ジャケットになると、黄色い頭陀袋を肩にかける。何も聞かないことにして、私もサブザックを持つと二人で町の北はずれにあるツォエゴン寺へ。

 ツォエの町自体はガンロ州の州庁がある都会だから、ダルツェンドとかバルカムと大差なく政府関係の大きな建物が多い。盆地で、周りの茶色い裸の山々は、それほど高くはない。乾いた感じの町だった。

 エンジ色の高層ビルみたいな背の高いお堂が、お寺の名物というか、シンボル的なものだろうか。それがツォエの町から北に延びる幹線道路脇にあって、ツォエゴン寺の本堂は、そこからちょっと坂道を上った丘の斜面に建っている。
 高層ビルのお堂を見上げたるりちゃんが、「センカル・グトク、なんか公園みたいになっちゃった」
 お堂の周りには、ゾロゾロとコルラしているチベット人。袖の長いチベット服に混じって、洋服のような襟が付いて両袖を三十センチくらい折り返した服を着たおばあさんがいた。頭に無地だけどピンク色の、るりちゃんのショールのような布を巻いている。
「あの人、モンゴル人?」
 るりちゃんに聞くと、「たぶん、チベット人。チャプチャとかレコンのチベット服って、ああなのよ。襟付いてて、モンゴル服みたい。でも、モンゴル人も多い地域だから、モンゴル人かもね。このへんモンゴル人とチベット人が混じって住んでる地域だから、民族的にはモンゴル人だけど普段話してるのチベット語って人も多いんだってさ」
「あの襟、かわいい」
「うん。私、持ってるよ」
「るりちゃんてさ、コスプレマニア?」
「かなあ。やっぱほら、チベット各地の服見てるとそれぞれのかっこよさがあるからさあ、気がついたら、家ん中が貸し衣装屋みたいになってた」

 私たちもお堂の周りを歩いたけれど、るりちゃんはお堂の中には入ろうとしない。
 入り口から奥をのぞき込む私に、「入りたい?」
「るりちゃんは? 入んないの?」
「お金取るもん。べつにお金払いたくないってんじゃなくて、料金払って中入っても、べつだん目新しいもんとかもないし。まりちゃんは?」
「正直に言っていい? なんか、よくわかんなくて」
「ふつうそうだよね。よっぽどのマニアでないと、ねえ」
 コウちゃんは、マニアだったんだろうと思う。でもツォエのことは、何もノートに書いていない。興味を持っていなかったのは、新築だったからなのか。
 るりちゃんは、本堂に向かって歩きだす。「これとかも、センカルのレプリカって言われても、しょせんレプリカだし」
「センカル、って?」
「ロダクってとこ、ブータンとの国境近くにある、センカル・グトクって名前のゴンパのレプリカなんだって。センカルってのは、マルパがミラレパに建てさせたラカンで、ミラレパって知ってる?」
「詩人だっけ?」
「詩人だし行者で、魔術で大勢の人を殺したから、その罪を消すために師匠のマルパは塔を建てろって命令しといて、難癖付けて何度もやり直させるのね。チョースパルタ。チベット人の師弟関係って、今でもそんな感じらしいよ。殴る蹴るとか」
「なんか、すごい世界だね」
「でも、だからチベット人、年長者を敬うってことがふつうにできるしね」

 本堂では、お坊さんが法要中だった。入り口に黒いフェルトのブーツがたくさん脱いであって、開いている入り口に毛布みたいなカーテンがかかっている。本堂の隣、煙突から煙を出している小屋の前でウロウロしていた若いお坊さんが、入っていいぞみたいなサインをした。でもお邪魔になるのが申し訳ない気分で、中に入るのはやめておいた。
 振り返って本堂から見るツォエの町は、黄土色の荒野の中に四角いビルが浮いたよう。それがあちこちの煙突から出る煙で、ぼうっと霞んでいる。

 町を囲む丘の一角で、のろしのように白い煙が上っている。お堂みたいな建物と、初め遠くてよくわからなかったけれど、黒い点々は鳥だ。けっこう大きめの鳥で、そこだけに群れている。
「オム・マニ・ペメ・フム」
 つぶやくるりちゃんに、「あれは?」
「鳥葬」いつの間にかメガネをかけていて、いつになく険しい表情。そして、「ラサで一時期、観光名物みたいになってたんだよね。でも私、ああいうの見に行くの、感心しない」
「名物? ツアーで見に行くの?」
「うん。功徳が高いって有名なとこがあってさ、でも、昔っからトラブルも多かったって。人の葬式だもんね。そこに見ず知らずのツーリストが、でっかいカメラ持ってキャッキャしながら来られてもね」
「そうだよね。大変なことだもんね。人ひとり死ぬって」
 そこには近づかないで、町のほうに帰ることにした。

 ツォエからサンチュ行きのバスは一日に何台も出てているし、一時間くらいで着くらしい。何時くらいに行こうとかぜんぜん決めないで、行き当たりばったりの予定にしてちょっと早めに晩ごはん。

 宿に戻ると、シャワールームがあったしちゃんとお湯は出るし、なんといっても部屋の中が暖かいから、交代でシャワーを浴びることにした。保温用のインナーは一組しか持っていないのとズボンは洗濯しても明日までに乾かないだろうから、下着と靴下だけ替えることにする。久しぶりのシャワーは気持ちいいけれど、たまには湯船に浸かりたい。そんなこと思いながら部屋に帰ると、次はるりちゃんの番。
 ドライヤーは重いからと持ってくるのをあきらめたから、洗った髪の毛は自然乾燥するしかない。だから、今までは昼のうちにしか髪を洗えなかった。というか、そろそろ髪を切りたい。半ば無意識に毛先を指でもてあそびながらテレビを見ていると、るりちゃんが帰ってきた。
 タオルで髪を拭きながら画面をチラッと見て、「青海(チンハイ)チャンネル?」
「うん。チベット語って、なんか音が日本語に似てると思う」
「これはアムド語だからね。ラサのテレビとかラジオは抑揚が波みたいにあるから、ちょっと中国語っぽい。まあ、あるていどは一音一音がクリアでカタカナの発音でも通じるから、日本人には覚えやすいよね。トーンのある言葉って、西洋人には難しいらしいよ。アムド語はこう、口を開けないでモゴモゴしゃべるような感じで、日本の東北弁みたい」
「同じように寒いから、口を開けなくなるのかな?」
「て説唱える人、多いね。ラサだと母音がア、イ、ウ、エ、オってはっきりしてるけど、アムド音だとア、ウ、ウ、エ、オって聞こえるの。でも、使ってる語彙はアムドは古語が多いんだって。多田等観って人、知ってる?」
「ごめん、知らない」
「河口慧海と同時代の人で、西本願寺の命令でラサに十年留学した人。多田先生って秋田の人で、チベット行く前、日本に留学しに来たチベット人の坊さんの世話係になったの。でまあ日本語教えるんだけど、秋田弁教えちゃうんだよね。そのチベット人たちと西本願寺のえらい人引き合わせたとき、京都の西本願寺の人たちはチベット人のしゃべる秋田弁が何言っんてのかわかんなくて、多田先生、すごく悔しかったんだって。初めて日本語を覚えたチベット人は、秋田弁しゃべったんだよ」
「へえぇ」
「まりちゃん、ときどきすごくいいお客さんになるよね」
「どんな意味?」
「今のへぇ、なかなかいいリアクションだった」
「なんか、いいなあって思って。るりちゃん、何回も来てるから、いろいろ知ってて」
「私の話はほとんど、アブーの受け売り。あの人もっとひどい。本当のオタクだからどうでもいいようなことばっか知ってて、しかもいやらしいからさ、こう、旅行者何人かでごはん食べに行ったりすると必ず仕切りたがる人がいるからね、そういう人にさんざんしゃべらせておいて、一番最後にポロッとチベット語しゃべったりすんの。それわかってて、アブー誘う私も私なんだけど」
 コウちゃんはそんなアブーと仲がよかったそうだから、会ってみるべきだろうか。でも、会ってどうするんだろう。そう思ったけれど、今までも、チベット行ってどうするんだろう、ギェルタン行ってどうするんだろう、成都(チェンドゥ)行ってどうするんだろう、タクツァン・ラモ行ってどうするんだろうと思いながら、もう二ヶ月。どうするものでもなく、なるようになるものだ。あとはビザを延ばしてラサに行って、ラサで考えよう。

 お湯捨て係はなくなったけれど、寝る前に今日もジャンケン。私が電気を消す係。
「私、昼間コルコルしたから、幸運が回復したんだ。おやすみ」
 布団は足元に畳んだままで、チベット服に潜り込むるりちゃん。
「私もコルコルしたのになあ」部屋の電気を消すと、寝袋シーツなしで布団に入った。「るりちゃん?」
「うん?」
「チベット語、教えてよ」
「簡単な、旅行会話とかならいいよ」
 チベットの人たちと、チベットの言葉で話そう。

一月三日

一月三日

 るりちゃんが起きるのに合わせて、始動した。急ぐ理由もないし、急いでもなるようにしかならない。

 今日もお昼ごろのバス。昨日のより小さいけれど、やっぱり窓が開かない新しいバスだった。るりちゃんはチベット服で、アイスをなめながら出発を待つ。お客さんは半分くらい、ほぼ時間通りに発車した。
 ゾルゲからこっち、ずっと料金所のある立派な道。枯れ木がチョロチョロ生えているような乾いた景色を見ていると、ザムタン、バルカムあたりの森の緑が懐かしい。
 町から出るとゆるやかに上り坂、どうやら峠をひとつ越えたらしい。ラサに着くまでに、あといくつ峠を越えるんだろう。
 ういの奥山今日越えて。「ねえ、るりちゃん」
「うん?」
「ういの奥山って、どこにある山かなあ?」
「有為の奥山? いろは歌?」
 白いニット帽をノブさんみたいに深くかぶって、寝ているのかと思ったら、やっぱり起きて目を閉じていただけのようだった。
「諸行無常是生滅法、生滅滅己寂滅有楽。涅槃経の、第十四聖行品」
「ごめん、よくわかんない」
「実はね、私も、よくわかんない」エヘヘと笑ってニット帽をかぶり直すと、「雪山偈って言ってね、お釈迦さまが過去世でヒマラヤの中で修行してたときに、羅刹から聞いた偈なんだって」
「げ? って?」
「詩? みたいな? 空海の訳って言われてるけど、それは間違いだって。つまりは、仏教修行は難しいってことらしいよ。有為って、因縁から生まれたもの。そこを越えてくって意味」
 なんでもよく知っている。
「るりちゃん、どこで習ったの? そういうこと」
「このあたりをさ迷ってるとさあ、いろんな人と会うんだよね。それで、教えてもらった」

 そんな話を聞きながらまた落ちていたみたいで、ガタンとバスが大きく揺れて目が覚めた。料金所。
「まあた変なスイッチ触っちゃったかと思った」
 るりちゃんにそう言われて、「ああ、ひょっとして、尻尾引っ張った?」
「どこに付いてんの、尻尾って」
 窓の外を見ると、左側には川、右手は丘。日陰にところどころ、氷が張っている川をさかのぼる。
 街路樹の葉はほとんど落ちていて、ときどき見える村の家々は、レンガ造りか土の壁。

 本当に一時間くらいで順調に、ラブランの町に着いた。チベットの言葉でサンチュ、中国語では夏河(シアハア)。サンチュの川沿いに東西に広がる小さな町、広い道路にあんまり車が走っていない。サンチュ県の県庁がある中国の町は東側、町の西側にはラブラン寺とチベット人の村がある。バスターミナルがあるのは、もちろん町の東。
 三輪オートバイでラブラン寺のほうへ、るりちゃんにおまかせな私。行き着いた先は、建ったばかりの新しいゲストハウス。ちゃんと暖房も効いている。一階はバーみたいになっていて、二階の八人部屋が一ベッド三十五元と言われたのを、るりちゃんがゴネて三十元にしてもらった。二重になっているはずの窓の一部にガラスがはまっていなかったりするけれど、それでも部屋の中は暖かいし明るいし、鍵のかかるロッカーもある。成都(チェンドゥ)の宿ほどではないにしても、かなり快適そうだった。
「まだ造りかけなのかな? こういう新しいとこ、どうやって見つけるの?」
 るりちゃんはチベット服を脱ぎながら、「アブーがさ、ラサにいるはずなのに、なぜかチベット各地のことよく知ってんの。どうやら、エージェントを使って情報を集めてるらしいんだよね」
「エージェント?」
「知り合いのチベット人とか、仲のいい旅行者とか。なんか、そういうマニア同士で集めた情報見せ合って、ニヤニヤしてるみたい」
「るりちゃんも?」
「私は、ニヤニヤはしない。教えてもらうだけ。あんまりしゃべる人じゃないからさ、聞いてもいないのになんでも教えてくれるとかじゃないんだけど、聞けばなんでも教えてくれるの。意外と親切なんだよね。本人の前で意外ととか言うと、ぶっとばされるけど」
「怖い人なの?」
「なかばチベット人だからね、ときどきスパルタなのよ。まあ実際に手足は出さないけど、それでもおっかない。なんて私が言ってたって、絶対言わないでね」
「ぶっとばされちゃうんだ」
 うん、と言いながらヘラヘラしていて、二人の関係は、ちょっとナゾかも。

 お寺があるということは、当然そこを一周コルラしなくてはならない。サンチュ川沿いに東西に延びる大通りはラブラン寺の真ん中を通っていて、寺の建物は道の南北に、とにかく規模が大きい。中国風の町の西側とラブラン寺の敷地の境あたりに、チベット商店やいろんな露店が出ている。そこで買い物をするチベット人には、お坊さんが多かった。
 やっぱりこの町も、チベット服の着用率が高い。若い女の子は、るりちゃんみたいなツバの短いゆったりしたニット帽に長い髪の毛を納めている。エプロンの色は、青か花柄。男の人は、タクツァン・ラモみたいに腰の低いところに帯をしている。
 そんな若い男の子を見て、るりちゃんが、「あれ、やめてほしいんだよね」
「どれ?」
「腰帯。あれは、ズボン腰ではくみたいで本人たちかっこいいと思ってるんだろうけど、ダサいからなんとかしてほしい」
「ああいう着方、するもんじゃないの?」
「一九四0年代の写真とか見ると、もっと高い位置で帯巻いてるよ。アムドのほかんとこで聞くと、やっぱりあれはダサいみたい」
「あんな伝統的なものにも、流行ってあるんだ」

 リンコルに入ると、そこには、大きなマニ車がはるか向こうまで並んでいるマニ回廊。ぞろぞろ歩く地元の人たちに混じって、私たちもマニ車をひとつひとつ回しながら歩いた。おばあさんたちの三つ編みのお下げが、かわいらしい。
「チベット人って、ショートって見かけないね」
「社会的な常識ってのか、女の髪は長くないとっての、あるみたいよ。トルコ石とかサンゴとかジャラジャラになってんの、かっこよくて私もときどき伸ばそうかって思うんだけど、重いしうっとおしいから結局我慢できなくて切っちゃうんだけどね。まあ私、一年に一、二回しか髪切んないけど。まりちゃん、似合うんじゃない?」
「タウとかの、カムのほうの人たちが真っ赤な糸みたいなの三つ編みに巻き込んで頭に巻いてるの、すごい鮮やかでいいなあって思ったけど、私もそろそろ髪切りたい」
「そうだね。タプシェっての、中央チベットだと青とかオレンジになって、三つ編み頭に巻くの地方行くとまだまだやってる人多くて、あれもいいなって思うね」
「男の人も、やってるよね」
「赤いのとか? カムパのあの赤いのがかっこいいって日本の女子、多いね。ほんとは、カムだけの習慣じゃないけど。あれは私は、あんまり萌えない」
「言い寄られたり」
「うん。あれは、ウザい。やっぱり、日本人が一番楽なのかな。人に聞いてほしいひとりごととか、聞いてもいないのに自慢話するんでなけりゃあ、言葉通じるし習慣の違いでケンカすることも少ないし。でも私って、日本の男子にはモテないのよねえ。なんでだろう」
「なんでもハッキリ言っちゃうからじゃない?」でもそこが魅力だと思うとは言わないで、「じゃあ、誰にモテるの?」
「チベットの、尼さんとか」
 ちょっと、おもしろかった。
 笑う私にるりちゃんが、「変?」
「ごめん、でも私、想像しちゃった。るりちゃんがエンジ色の着てるとこ。坊主頭で」
「チベットの尼ってさあ、いいキャラが揃ってるんだよね。ラサの尼とかとくにそう。いっしょにいると、この人たち、私に何か近いものを感じてるのかなって思う」
「前世だよ」
「私、尼だったのかなあ」

 永遠に続くようなマニ回廊から広場を隔てて反対側に、エンジ色の塀に囲まれた建物がある。
「あれは?」
「ラブランのゴンカン。守り神のお堂」
 そっちを見ないで答えるるりちゃん。マニ車を回すのに忙しい。
 町のほうから延びている道路を渡ると、リンコル後半。白い大きなチョルテンを回ってから、岩の崖と寺の白い壁に挟まれた狭い道を登る。
 五体投地礼でリンコルを回っているグループに、出くわした。るりちゃんは、地面に身体を延ばした人が立ちあがってから邪魔をしないように横を通り抜けて、私も同じようにごめんなさいと言いながら、そのグループを追い越す。
 リンコル外側の山の斜面には、人がひとり入っていっぱいになるようなかわいい建物がいくつも建っている。あれは何と言おうとしたら、るりちゃんが「ギュメェ・ツァムカン」
「何するとこ?」
「密教修行する坊さんが、瞑想修行するとこ」
「フィルとか、中にいたりして」
「あながち冗談とも言い切れないよね。彼の場合」
 それから、小型のマニ車を回しながら外側を一周するお堂がいくつか。大勢のチベット人がぞろぞろと回っている白いチョルテンを過ぎて、またマニ車の並ぶ回廊、そしてゴール。
 パンを売っている露店で、巨大なメロンパンみたいな形のをひとつ、るりちゃんが買った。
「なにパン? それ」
「ラブランの名物で、ゴレ。まあ、パンならなんでもアムド語でゴレなんだけど」
 触らせてもらうと、バゲットみたいにカチンコチンだった。
「おいしいよ。明日の朝食べよ」
 るりちゃんがおいしいと言うなら、間違いない。

 帰って、シャワーと洗濯。お湯が使えて宿全体が暖かくて、言うことなし。大きい洗濯物は、明日るりちゃんといっしょに洗濯機で洗ってもらうことにした。
 コンピュータがあったから久しぶりにメールを見ると、みんな返事が遅いとあきらめたのか、この前に成都で見たときより新着が少ない。とりあえず、すいません無事ですとあちこちに返信。
 私が終わると、るりちゃんの番。彼女は服務員(フーウーユアン)兼マネージャーのようなここの女の子とすっかり打ち解けて、ストーブを囲んでお茶を飲んでいる。私は部屋に戻って、日記を書いていたらるりちゃんが戻ってきたから、二人で回族(フイズー)食堂で晩ごはん。
 るりちゃんが言ったように訪れる外人が多いからか、英語の看板が多いけれど、実際に外人の姿は見かけない。
 強い風が吹きだして、寒くならないうちに宿に帰った。

一月四日

 最近、目覚ましを使っていない。
 窓からまだ薄暗い中庭を見下ろしながらコーヒーを飲んでいると、そのうちるりちゃんがモゾモゾと起きだす。昨日るりちゃんが買ったラブランパンを分け合って、朝ごはん。形は大きなメロンパンでも、食べてみると、ほとんどフランスパンだった。
 るりちゃんがフフフと笑って、「カンパニーって言葉は、ラテン語で共にパンを食べる人って意味なんだって」
「日本語で言う、同じ釜の飯を的なもんかな」
「チベットでもさ、チベット人といっしょにツァンパ食べたりバター茶飲んでると、だんだん他人とは思えなくなってくるっていうか」
「るりちゃん、なかば同化してるもんね」
「私は、まだまだだよ。でも私、日本人とは付き合いにくいなあって、思うこともあるなあ。チベット人はチベット人で、なれなれしくてときどきムカつくけど」

 パンを食べ終えると、次は洗濯。十元を払えば、まとめて洗濯機で洗ってもらえる。ジャケットとズボンを洗濯に出して着るものがないるりちゃんは、一日中チベット服を着ていた。
 今日は風が強くて、外に出る気にならない。一階のストーブの近くでるりちゃんと他愛のない会話をしながら、ときどき働いているチベット人の女の子を交えて、チベット語を教えてもらってすごした。
 彼女の名前はツェラン・ツォ。ほかに何人かスタッフ的な人はいるみたいだけれど、掃除とか洗濯はほぼ彼女がひとりでやっているらしい。よくストーブの前でお茶を飲んでいて、初めて会ったはずなのに、るりちゃんとは前から友だちのよう。歳も近いし背もるりちゃんと同じくらいの、かわいらしい子だった。

 けっきょく外に出たのは昼と夜、ごはんのときだけ。
 るりちゃんと部屋に戻ってひとつ一元の袋入りの八宝茶(パーバオチャ)を飲んでいたら、ツェラン・ツォが部屋に入ってきて、その後ろにいるのはフィルだった。
「あれえ、もう何日かいるんじゃなかったの?」
 るりちゃんが聞くと、「計算したら、日数が足りない。二、三日で西寧(シーニン)に行くよ」
 そう言いながら大きなバックパックを床に下ろして、サブザックとギターケースをベッドに置いた。
 るりちゃんが目を輝かせながら、「ちょっとおフィル、ギターとか持ち歩いてんの?」
「旅用だよ」フィルがケースから取りだしたギターは、普通のよりちょっと小さめ。
「貸してぇ!」
 るりちゃんは一度手に取ると、チベット服の両袖を脱いでギターをつま弾き始めた。スペイン風の激しい感じで、歌と同じ、うまい。満足げに弾き終わって、ちょっとはにかんでフィルにギターを返す。
「プロだったのかい?」
 フィルも、驚いた様子。
「へへへ、久しぶりで、ちょっと間違えちゃった」
 よかったらもっと弾けばいいと言って、フィルは何か食べに行った。午後発の直行バスでツォエには泊まらずタクツァン・ラモから来たそうで、道はいいはずなのに、やっぱり疲れていた。
「るりちゃん、ギターも弾けるんだ」
「昔、ロマの人に会ってさ」
「ロマって、ジプシー?」
「うん。一応、ジプシーは他称、ロマが自称ってことになってる。生まれはスペインだけど国籍はアメリカで住んでんのイギリスっていう、よくわかんない人。人に教えてるプロの人でさ、教えてもらったの」
「どこで?」
「初めて会ったのはチベットだけど、長くいっしょだったのはインド。本当は仕事だから旅先で旅行者に教えたりしないんだけど、あんた特別よって。すんごいスパルタでさあ、授業料とかも払わないのに、もんのすごく真剣に教えてくれて、おかげでなんとか自分でも納得いくようになった」
「それは、るりちゃんの教えてもらおうって姿勢が真剣だったんだよ、きっと」
「そう?」
 またギターを抱えて、ベンベンと鳴らしている。そのうちフィルも帰ってきた。フィルが弾くのはなぜか日本のフォークで、練習中とは言っていたけれど、やっぱりうまかった。
 そして、フィルも交えてジャンケン。今日の消灯係は、フィル。

一月五日

一月五日

 起きたら、フィルがベッドの上でお坊さん座りをしている。瞑想中らしい。邪魔しては悪いと思って起きあがらないでいたら、また二度寝。るりちゃんが動きだすのと同じくらいに、目が覚めた。
 私と目が合うとるりちゃんは、「あら、今日は遅いじゃん」
「うん、二度寝しちゃった」
 フィルは、どこかに出かけたらしい。コーヒーを飲みながらラブランパンを食べたあと、今日はラブラン寺見学に行くことにした。るりちゃんは、今日もチベット服。

 寺を南北に分ける大通りを歩いて、看板に従って正面口みたいなところから北ブロックに入ると、大きな本堂。一応チケット売場があったけれど、何も言われなかった。でも、お堂に入るには午前と午後の二回ガイドツアーがあって、それに参加しないとならないらしい。
「ここも多いね、お坊さん」
 るりちゃんに言うと、彼女は、「私、ラブラン坊主って、きらーい」
「なんで?」
「あの、袈裟の色が気に食わない」
 エンジ色でなくて、もっとピンクっぽい色の袈裟を身体に巻いているお坊さんが多い。
「それに、日本の女子ナンパしてるイメージが強くて、私はどうも、ね」
「ナンパ?」
「うん。日本人の友だちがいるとか言われて名前聞いてみると、ほとんど女の子でさ、日本の女子にも坊主萌えみたいなのがあって、それもどうかと思うけど」
「坊主萌えって?」
「私、その方面のコミュニティーには関りないからよくは知らないけど、日本の女子のチベットファンって、カムパ萌えか坊主萌えに大別されるんだって。まあ確かに、坊さんは在家より知性のきらめきを感じる人は多いし、あのエンジ色はかっこいいけどさあ、でも、チベットの社会的なものじゃあ、坊さんに心ときめかすってよくないことだよね。日本の感覚で友だちっての、チベットの坊さんとチベ女子にはあり得ない関係だしさ、本人のやる気の程度にはいろいろあるけど、一応修行者は修行者なんだから、こっちはただの友だちだと思ってても、修行者を惑わすような行為になっているかもしれない。よくないと思うよ、私は」
「お坊さんじゃなくても、すごいかっこいい人とか、会わなかった? 今まで」
「うーん、チベット人って、頭の形がいいから坊主頭似合うし、顔が長いからロンゲも似合うんだよね。ギャって顎が小さくて顔が短いからさ、たとえば、ギャ男たくさんの中にチベ男がひとりいると、やっぱりチベ男は光ると思う。でも、私はどうかなあ。かっこいいからどうとかは」
 直感的に、たぶん今、すごく好きな人がいるんだろうなと思った。それがチベット人なのか日本人なのかほかの外国人なのかは、わからない。でもこの子は、なぜかそういうことを表に出したがらない。そういえばるりちゃんの恋愛話は聞いたことがないし、るりちゃんが自分から進んで身の回りを話すこともない。

 お堂の中には入らないでお寺の敷地をウロウロしていると、五、六人の西洋人に混じって、フィルが歩いているのを目撃。ちゃんと入場料を払って、ツアーに参加しているらしい。というか、あれだけの外人がまとまって歩いているのを見るのが久しぶり。
「意外といるもんだ、外人が」
 そう言うるりちゃんもここでは外人なのに、そんな気がしない。それからリンコルを一周回って、お昼ごはんは回族(フイズー)食堂。
 午後は宿に帰って、るりちゃんとツェラン・ツォからチベット語を習う。

 夕方、フィルが帰ってきて私たちに、「チベタン・ディスコを見つけたんだけど、今夜行かない?」
「チベタン・ディスコ? ナンマのこと?」
「るりちゃん、ナンマって何?」
「チベタン・ディスコ? になるのかな。チベット歌手が歌ったり、お客さんみんなで輪になって踊ったり」
「おもしろそう」
「でも、サンチュだもんね。場末感が濃厚に漂ってると思うよ。それはそれで、おもしろいかもしれないけど」
 決まり。とりあえず三人で晩ごはんを食べることになって、中華食堂で楽しく中華。一度宿に帰ると、るりちゃんはフィルのギターを借りて練習。そのうちフィルがるりちゃんに何かテクニックを教えてもらったり、フィルがるりちゃんに教えたり。

 九時ごろになったら、みんなでフィルの見つけたチベタン・ディスコに行く。中国人の町にある大きなホテルの中で、小さなステージとテーブルがいくつかある小さなホール。
「場所代なしで、飲み物頼めばいつまで座っててもいいって、ラサと同じ方式だ」
 本人いわく片言だけれども、それでも言葉がわかるるりちゃんが通訳ガイドのようになっている。ソフトドリンクで乾杯、そのうちショーが始まった。司会者がしゃべっているのはチベット語で、盛りあがっているお客さんも私たち以外は全員チベット人らしい。音響はひどいのに、お客さんたちはノリノリだった。チベット服の歌手がマンドリンを弾きながら、バスの中で聞くような民謡調の歌が多い。ダルツェンドで見たような輪になって踊るのになると、お客さんもステージに上がって、カモン、と言いながらフィルも輪の中に入る。周りの人に教えられながら、見よう見まねで踊っていた。
「まりちゃんは? 踊んないの?」
「私? わかんないもん。いいよ、見てるだけで楽しい」
 スピーカーからの音が大きいから、二人とも大声。そのうちるりちゃんも立ちあがって、チベット服の両袖を腰の後ろに結ぶと優雅に踊りだした。一通り踊れるらしい。
 音楽が終わると、なぜかみんな急いで自分の席に戻る。
「やーん、久しぶり。チョー楽しかった」
「ルドンは、ほとんどチベット人だね」
「フィルもなかなか上手」
 そう言いながら、席につく二人。またチベット歌手の歌。歌っている歌手の首に、お客さんが白い細長い布をかける。
「あの白い布、何?」
 叫ぶようにるりちゃんに聞くと、「カタ。祝福の意味で、出会いとか別れとかのときに人に渡すの」
 今度はふつうのディスコ音楽、うれしそうに立ちあがったフィルがステージに上がると、妖しい踊りを披露する。フィルの踊りを見て、また盛りあがるお客さんたち。
 二本目のソフトドリンクを飲みながらるりちゃんが、「意外とああいうとこ、白人ノリなんだね、彼って」
「そうだね。ああいうのって、いいよね。人生の楽しみ方を知ってるってか」
「まりちゃんは?」
「私、踊りとかぜんぜんダメだもの。カラオケも行かないし、つまんない人生だよね」
「でも、今はこうやってチベット来てるじゃん」
 うん、そうなんだよね。そして落ち着く先って、どこだろう。
 ディスコの音楽が終わって、満足そうなフィルが帰ってきた。
「そろそろ帰る?」
 るりちゃんに言われて時計を見ると、もう十二時だった。
「フィルは? まだいたい?」
 私が聞くと、「帰ったほうが、いいね」

 大通りは、街灯は明るかったけれどお店は全部閉まっていて、そして空を見上げると、ここでも星がきれいだった。
「期待値が低かったから、意外と楽しかったね。MCがオールアムド語なあたりが最高」
 満足げなるりちゃん。
 真っ暗な裏通りに入って、宿に着いたときはもう一時近かった。

一月六日

 今日も二度寝で、起きたらフィルがいない。

 るりちゃんが起きてから、二人で近郊の尼寺に行くことにした。洗濯したジャケットはすっかり乾いたはずなのに、そのほうが落ち着くと言って、彼女は今日もチベット服。

 町からちょっと離れると、レンガとか泥の壁の民家が多くなる。ほとんどが平屋か二階建て。
 ラブランの町から丘をひとつ隔てた村から少し登ったところに、小さなお寺がひとつ。正面の入り口は閉まっていたから、通用口みたいな横の入り口から中庭に出ると、お坊さんと同じエンジ色の袴の尼さんがいた。二十歳そこそこだろうか、若い尼さんだった。るりちゃんが話して、本堂の扉を開けてもらう。中に入ると、るりちゃんはノブさんみたいに五体投地礼。そしてチベット服の懐から、小額紙幣の束が出てきた。
「るりちゃんは、仏教徒?」
「どうかな? 私さ、初めに仏教ありきでチベットみたいな見方って、嫌いなんだよね。チベット人の大部分は仏教徒で文化的に仏教の影響抜きでは語れないのは否定しないけど、それだけじゃあないよね。だから、ナントカリンポチェのティーチングとか、修行がなんとかはわかんないし、べつに勉強しようとも思わない。仏教萌えとかだったら、日本の尼寺で出家してるよ、私は。そうじゃなくもっと日常的な部分で、チョルテンの周りをコルコルしたり、ゴンパの中でキャンチャしたり、そんぐらい」
「そうだね。チベット来て急に仏教どうのって言われても、私も、わかんないし」
「仏教ナントカ抜きにしても、楽しいとこだと思うよ。たとえば、チベット人の相互に助け合い精神みたいなの、仏教的な考えとかじゃなくて、仏教よりも前から生活環境が厳しいから生まれたもんで、仏教がチベットに入ったときに、もともとの助け合い精神ってものがあるから、それに仏教の利他心がマッチして広まったんだと私は思う」
 ノブさんと、同じようなことを言う。そして、高僧の椅子に頭を付けたりする姿もノブさんと同じようで、板に付いているというか、この子は本当に、前世はチベット人だったのかもしれない。
 中を一周して入り口のポーチに出ると、尼さんがるりちゃんに何か言う。たぶん、お茶でも飲んで行きなさいとかだろう。るりちゃんは丁重にお断りして、私も「デモォ」と言って門の外に出た。
「お昼だからさあ、食べてけとか言われるんだよね。なんかそれは申し訳ない気がして」
 るりちゃんの言葉で気がついて、「お昼、どうする?」
(フイ)もいいけど、たまには違うもん食べたいね」
「けっこういろいろ食べてるよ。アップルパイとかアップルパイとかアップルパイとか」
「まりちゃん、たまに変なこと言うよ」
「そうかな?」

 ラブランの町の中で何か探すことに決めて、るりちゃんの鼻歌を聞きながら町に戻った。
 本物のコーヒーでも飲もうかと、パンケーキとかリアルコーヒーとか英語で書いてある看板の出ているお店に入ったら、「ちょっとあんた、何やってんの?」
 るりちゃんは、店にいたチベット人の男の人にそう日本語で言ってから、そのあと英語とチベット語で話している。知り合いらしかった。
「ごめんね。この人、昔この町のゲストハウスで働いていたんだけど、自分のお店持ったんだって」
 ちっちゃなお店で、彼はオーナーでありコックさんも兼ねているらしい。リアルコーヒーは、確かに豆から挽いた本物のコーヒーだった。
「英語ができると、商売のチャンスがあるんだねえ」パンケーキをつつきながら、るりちゃんが言った。
「チベット人、英語しゃべる人多いのかな?」
「もちろん絶対数じゃあ負けるだろうけど、パーセンテージでいったら、意外とギャよりも多いかもね。インドじゃ必修だし、インドから帰る人も多いし」
「戻るんだ」
「多いよ、けっこう。インドいても出口がないんだってさ。なら、チベット戻ったほうがいいんじゃないのかな。ラサの観光ガイドとか、インド帰り多いよ。でもそういう人たちって、あっちとこっちの世界、両方見てるから話しやすい。五十年も経つとさあ、本土のチベット人と亡命チベット人って、考え方とか温度差があって、大変なの」
「考え方って?」
「独立なんとかとか」
「るりちゃんは?」
「私? 私は、どうでもいい派。だって、チベットの将来をどうするとかは、チベット人が決めることだもん。でもさ、過激な意見は、海外のチベット人とか外人に多い。チベタンならともかく、外人が独立なんとか言うのには、私は近づきたくないなあ」
「本土派、ってことになるのかな」
「うん、そうだね。こっちにいてこっちのチベット人と付き合ってると現状維持派になってくるってか、たとえばチベット支援って、人権とかいろいろやってる人はいるけど、支援なんて大きく構えたようなこと私は難しくてわかんないし、人権とか独立とか自治とか自由とか民主主義じゃなくて、もっと日常的な言葉でチベットのこと、話したい。私は単純に、ここが気に入って何回も来てるだけだから」
「まあ、独立とか言われても、私たちじゃどうしようもないもんね。チベット人にも、いろんな考えの人がいるだろうし」
「でもさ、アツくなってる外人たちの中には、チベット人みんながみんなチベットの独立を望んでるとか、思ってる人たちもいるわけよ。亡命社会でも、本土のチベタンはギャに心を売ってるみたいな空気が一部あるらしくて、でも本当に大変なのは、本土のチベット人だと思うよ。やっぱり生きてかなきゃなんないからさ、独立とかは、最低限の生活ができてから考えることだよね。現状はすぐには変えられないし、それに今独立しても、一番困るのはチベット人だよ」
「なんで?」
「だって、何もないんだもん。技術も産業もないのにどうやって食べていけばいいのかって考えると、今は中国に支配されてるのもしょうがない。そこをなんとかさ、今の状況の間を潜って、ゆるーく何かチベットに関わっていきたいって思う」
「るりちゃんなりの支援、みたいな? 何をするの?」
「私は、組織を作ったりとかそんな力はないけどさ、そうだね、なんでもいい、技術を持ってて、それを人に教えられる人を育てるようなことをしてみたい。それも、外人が支援とかじゃなくて、最後にはチベット人が自分たちで運営するような形にしてくの」
 何か夢があるって、いいなあ。そう思った。そしてこうやって、チベット各地に知り合いがいるのがうらやましい。

 一見日本人ぽいこの店のオーナーは、耳で覚えた限りなく日本語っぽいような言葉で私たちに話しかけて、それに対してるりちゃんが英語とチベット語を使って、正しい日本語を教えている。
 そうしているうちに、夕方になる。お客さんが二人、西洋人のカップルが入ってきた。ちょっと長居しすぎた私たちはデモォと言いながら店を出ると、ラブラン寺を一周してから回食堂のいつものコースで宿に帰った。

 私とるりちゃん、それにツェラン・ツォとでストーブを囲んでお茶を飲んでいると、フィルが帰ってきた。るりちゃんは、フィルのギターを抱えて新しいコードの練習をしている。
「いいとこに帰ってきた。昨日のもう一度教えて」
 フィルにギターを渡するりちゃんに、「あんだけうまいのに、わかんないことってあるんだ」
「私、手え小さいから、押さえきれないんだもん。実は、ちょっとづつごまかしながらやってたんだ」
 そしてフィルも交えて、歌ったり。ツェラン・ツォは、るりちゃんがいくら頼み込んでも恥ずかしがって歌おうとしない。そのうち、マリはどうなんだいとフィルに言われたけれど、私も恥ずかしい。けっきょくるりちゃんが、チベットの歌謡曲を歌う。
 一曲終わると恥ずかしそうに、「やっぱりさあ、骨格とか筋肉とかが違うから、チベット人が出すようなクルッて音って、なかなか難しいんだよね」
 夕方会った西洋人のカップルが入ってきた。お客さんが、私たち以外にもいたらしい。三人部屋に戻って、もう十時すぎだった。シャワー、洗濯、それぞれの用事。
 フィルがジャンケンに加わっても、電気を消す係は私だった。

一月七日

 フィルが瞑想するころに目が覚めて、コーヒーを飲みながらるりちゃんの始動を待つパターン。
 今日は、べつの尼寺に行くことにした。もう、るりちゃんがチベット服を着ていることになんの不思議も感じない。

 二人でチベット村の中にある小さいお寺に行くと、るりちゃんがチベット語で何か尼さんに訊ねて、中に入れてもらう。たぶん、チベット人だと思われているんだろう。本堂に入るときには、五体投地礼。
 そして仏像の前に小額紙幣を置きながら、「こういう小さいとこってさ、政府がお金を出したりとかなくて、完全に地元の人たちの喜捨で成り立ってるんだって。だから私は、こういうところにはなるべく何か置いてくようにしてる」
「おっきいとこには、政府がお金出してるの?」
「修復にいくら使いましたとかさ、いろいろ宣伝はしてるよ。坊さんに給料出てるとこもあるみたい。でも修復って、ガワの修理だけだもんね。入場料取るとこも、そのお金がどこでどう回ってんだか」

 それから町の反対側まで歩いて、もう一カ所。そこも尼寺だった。
 五体投地礼を終わったるりちゃんに、「尼寺、多いよね」
「坊さんのゴンパって、大きいのが町にひとつとかだけど、尼のゴンパってのはちっちゃいのがいっぱいあるんだって」
「でも、女って悟れないんだよね」
「らしいよね。私は、教義のことはよく知らない。でもまあ、アニゴンパってたいていお経上げてるだけだね。インドのほうじゃあ、坊さんみたいに教典の勉強とか問答とかしてるみたいだけど。でも、チベットで一番戦闘的なのって、実は尼さんなんだよね」
「戦闘的?」
「もちろん、比喩的な意味でだけど。ラサの尼とか、ほんといいキャラがそろっててすごく楽しいんだけど、昔デモよくあったころとか、先頭に立ってスローガン叫ぶのってたいてい尼さんだったって。ウィンド・ホースって映画、知ってる?」
「ごめん、見たことない」
「ラサで、尼さんがチベット独立とか叫んで捕まる話。最後その尼さん拷問で死んじゃうんだけど、実際によくあったんだって。そんなこと」
「なんでかな? 捕まって大変な目に遭うって、誰もがわかってることなんだよねえ? なんで、そんなことになっちゃうんだろう」
「基本的に出家者ってもう俗世間との関係が切れてるから、失うものが何もないってのかな。でもやっぱりさ、坊さんはいろいろ考えちゃうんじゃないの? 俺、長男だしとか。本当はインド行きたいけど歳取った母ちゃんがいるから出らんないって坊さん、けっこう会った。やっぱりこっちじゃあ命がけだもんね、デモとかさ」
「独立デモとか、よくあんの?」
「今は表面上は穏やかだけど、やっぱり、ときどきあるみたい」
 そういう世界らしいからどうしても話がそっちの方向に行ってしまうけれど、ノブさんが政治の話をしたがらないように、るりちゃんもあんまりデモとか逮捕とかの話は長くしたがらない。日本に帰ったら調べることにして、私も深い話は聞かないようにしておく。

 一人で留守番のような若い尼さんがしきりにお茶に誘うのを断って町に戻ると、バスターミナルの切符売り場から出てきたフィルとばったり。
 彼は、いつものように疲れた感じで、「明日、同仁(トンレン)に行くよ」
 青海(チンハイ)省マロ州のレコンは、中国語では同仁。バスは朝七時半の発車で、五時間くらいで着くらしい。
「いやーん、もうお別れだねえ。さびしいよ」
 そう言うるりちゃんに、「ぼくのギターと別れるのが?」とフィル。
 思わず笑ってしまったけれど、るりちゃんは、フィルが来てから宿の中ではずっとギターを抱えたままだった。
「そんなことないよ。フィルと別れるの、も、さびしいよ」

 お昼だし、三人で回族(フイズー)の食堂に行って、そこから三人別行動。私は宿に帰ると、メールとか縫い物とかそんな細かいことに時間を使った。
 夜はフィルのために、中華食堂でお別れ会。フィルの希望で中華になったのにメニューを見てあれこれと料理を決めるのは私たちで、最後まで物静かな人だった。
 朝早いからと食べ終わったらすぐに宿に戻ったけれど、途中フィルは明日の車内で食べる用にと、閉まりかけの商店に入ってインスタントラーメンを買っていた。
「フィルって、前世は小池さんだったんじゃないの?」
 るりちゃんが私に言うと、フィルが日本語で「ラーメン、チョースキ」
 前世とかじゃなく、実はこの人日本人なんじゃないだろうか。
 帰って、シャワーとかそれぞれの用事。珍しく、るりちゃんが電気を消す係になった。

一月八日

 フィルが用意する音で目が覚めると、彼はいいよと言ったけれど、玄関まで見送りに行った。入り口の扉には南京錠がかかっていて、眠そうなツェラン・ツォに鍵を開けてもらう。
「いつかどこかで、また会おう」
 それだけ言うと、フィルはまだ真っ暗な町の中に出ていった。

 部屋に戻ると、チベット服の中からるりちゃんが、「フィル、行っちゃった?」
「起きてたの?」
「なんとなく」
 なんとなく、こういう別れの場面が嫌いで寝ているふりをしていたんだと、あとで思った。明け方の冷え込みは強烈で、ボイラーも消えかけなのか、室内で久しぶりに感じる寒さ。急いで布団にもぐり込むと、るりちゃんはまた眠りの中だろうか、私もそのうちまた二度寝。起きたら、るりちゃんはどこかに出かけていて私一人だった。

 支度して一階に下りると、床にモップをかけていたツェラン・ツォがニコニコしながら、「カンギョジ?」どこ行くの?
 私は、「コルラーギョジ」コルラ行くの。
 それだけでも、覚えたのがものすごくうれしい。オーヤオーヤと言いながら、またモップ作業に戻るツェラン・ツォ。彼女にアク、おじさんと呼ばれている在家の人や、ほかにもお坊さんが何人か出入りしてるのに、働いているのはツェラン・ツォひとりだけのような気がする。

 外は、今日も晴れ。
 青く澄んだ空に、真っ白な雲が浮かんでいる、か。
 リンコルを回りつつ写真を撮りつつ、中華食堂でお昼にしてから宿に戻ると、一階でるりちゃんが右手にペンを持ったまま、テーブルにうつ伏せた姿勢で眠っていた。チベットカップには、飲みかけのコーヒー。チベット文字を書き付けたノートと、ボロボロになった小さいチベット語の辞書。勉強しながら、いつの間にか寝てしまったんだろう。
 私は部屋に戻って、自分のベッドの上で次の計画を考えることにした。
 コウちゃんノートは、青海(チンハイ)チベットに関しては書きかけのページが多い。ノブさんあこがれのゴロク地方にはコウちゃんも行ってないようだけれど、何回か来ているはずのレコン周辺の様子が意外と充実していないのは、もしかしたら、交通が便利だから何回も来られると思って詳しく調べていなかったのかもしれない。
 ラブラン寺は伽藍配置とかそれぞれのお堂の来歴とか読めないくらい細かくいろいろ書き込んであるし、どうやって調べたんだか、『正式名称、ガンデン・シェードゥップ・タシ・イェース・キルウェイ・リン』と書いてあった。こういうとこ、マニアだったんだろうなあ。

「あれ、戻ってたんだ」
 るりちゃんの声で、目が覚める。私もノートを見ながら、眠っていた。
「ひょっとして、もう夕方?」
 ベッドの上に散らかっていたノートと地図のコピーをかき集めながら聞くと、「うん。晩ごはんにいい時間だよ。サマサー・ギョジ?」
「そうだね。ギョジ」
「レッツゴーってときはね、ギョレって言うんだよ。ウニィカ・サマサー・ギョレ」
 二人になると、麺食が中心になる。今日も定番になった拌面(バンメン)で、るりちゃんは、帰り際にまたアイスを買う。寝る前の消灯ジャンケンは、私の勝ち。
「フィルが私の幸運持って行っちゃったよう」
 電気を消してチベット服の中に戻ったるりちゃんに、「変な人だったよねえ、彼」
 私が泣いているのを見られていたのかがとうとうわからないままで、そのことが、ものすごく気になってしょうがない。
「そうだねえ」彼女はそう言ってからチベット服から顔を出して、「なんかさ、久しぶりにギター触って、思い出しちゃった」
 直感で、その思い出がハッピーエンドでないように思った。
 でも、いつもと違うるりちゃんのことを話してくれそうで、「どんな思い出?」
 なかなか、答えが返ってこなかった。
 眠っているのかと思ったら、「ロマの人。長い、長い話。私の初チベットのとき、ここで会ったんだよね。そのときは別のゲストハウスだったけど。そんで、ラサで会って、カトマンで会って、ダサラで会って。その人、仏教徒なんだよね。カギュ派だったかニンマ派だったか、白人によくある東洋の神秘的なナンチャッテ仏教徒じゃなくて、もっとちゃんとした、フィルに近いような感じ。そんで、すごい自立した女性でさ、かっこよかった。自分がロマだってことすごく誇りに思ってて、ロマの文化とか保存したりって活動してる人だったの。当時の私が今以上に適当でさ、ダサラに長居してるとき、いろいろすんごい怒られた。でも彼女、私のことすごくかわいがってくれてて、本当に私のことを思って怒ってくれてるんだよね。そういう、おっかない一方ですごく優しくて、菩薩みたいな人。信念を持ってて、でも人の意見はきちんと聞いて、強くて優しくてギターうまくて、お姉さんみたいなお母さんみたいな、私の理想だなあ。あんな人に、なりたい」
 続きを待っていたけれど、るりちゃんは眠ってしまったのか、待っているうちに私も眠っていた。

一月十日

 そろそろ一人旅を再開しよう。そう思うと、明日のレコン行きバスの切符を買った。
 るりちゃんといっしょにいるのは楽しいけれど、そろそろ自分一人の力で旅を続ける頃合だと思った。私は、ラサに行かなくては。

 サンチュ川を渡ってラブラン寺の反対岸の丘の上で町を見下ろして座っていると、丘の麓からるりちゃんが歩いてくる。出会ったときと同じ、トトロのテーマを歌いながら、今日はチベット服は着ていない。
「オイッスー!」
 今日も元気。
「るりちゃん、私、明日レコン行くよ」
 彼女は私と並んで座りながら、「スラン行って、ラサ? ビザはどうするの?」
「とりあえずレコン行って、考える。まだ半月以上余ってるから、このあたりぶらついてここ戻ってもいいし、蘭州(ランジョウ)でもビザ延長ってできるんだよね?」
「このへんだと、スラン、ツォエ、蘭州じゃないかな。レコンかチャプチャも州庁があるからいけそうだけど、スラン行けって言われる可能性が高いと思う。私は、ここかラモのあたりをウロウロしてる」
「るりちゃん?」
「うん?」
「パンケーキ、食べたい」

 町に戻って、るりちゃんの知り合いの店でパンケーキとコーヒー。
「この、やたらコーヒー飲むのって、もともとコウちゃんの習慣だったんだよね。彼、やたら飲んでるから、いつの間にか私もカフェイン中毒になってた」
 るりちゃんはフフフと笑って、「私は、アブーがひどいからそれに釣られて。しかも彼、甘いものチョー好きでさあ、インドとかネパールだとよくお菓子食べるのに付き合わされんの。一応自分ハードボイルドのつもりだから、私が食べたいって言ったことにしてるんだよね。変な人」
「ああ、それ、コウちゃんもそうだった。どこどこのケーキがおいしいらしいよ、食べに行く? って。一番食べたいの、自分なくせに」
 なんか、ようやっとコウちゃんのこと、ふつうに話せるようになってきた。るりちゃんのお陰だろうか。るりちゃんのお陰なんだろうと思う。
 そうして話しているうちに、夕方になる。回族(フイズー)食堂に移って晩ごはん、宿に帰ってからるりちゃんにレコンと西寧(シーニン)の詳しい情報を聞いた。それから明日のためにパッキングして、私もるりちゃんも言葉少なく、ジャンケンは私の負け。

心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その9 有為の奥山今日越えて

心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その9 有為の奥山今日越えて

二00七年十月、私は旅にでた。目的地は、チベット。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-12-23

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 一月二日
  2. 一月三日
  3. 一月四日
  4. 一月五日
  5. 一月六日
  6. 一月七日
  7. 一月八日
  8. 一月十日