紙遊戯に関する記憶
小学生のころの思い出をベースにしています
紙ヘリコプター
ぺりぺり、と紙を破いて、適当な箇所を折って、しごくとヘリコプターが出来上がった。中庭から運動場に飛び出し、朝礼台にたんたんたんと駆け上がる。響く音を尻目に、僕は手を高く突き上げる。つまんでいる指をばらすと、それはくるくる回転しながら舞い上がって、一階、二階、どんどん上へと舞い上がって、ついには横風に吹かれて学校の敷地から外に出て行ってしまった。飛行中、それはずっとくるくるしていたけれど、ただそう見えただけかもしれず、一瞬、回転が止まっていた可能性も今となっては否定はできない。
この競技は戦前から存在しているといわれ、実際にその頃から生きている近所のお爺さんから、僕と、友人たちが教わった。この小学校でこれを初めて飛ばしたのは、その僕の友人たちのうちの1人であるが、流行らせたのは僕だった。最初のペンギンにはいつもなれないで、僕は真似っこするだけ。でも、それが僕の全てだった。
そんなつもりはなかったはずなのに、いつの間にかヘリコプターを校舎の屋上にまで届かせるというのが競技の目標になっていて、無意識のうちにみんながそれに従った。また、鯉の棲んでいる池の水をヘリの下端につけると紙ヘリコプターの角速度が二倍になるとか、上昇気流に効率よく乗れるとかいう噂がまことしやかにささやかれていた。あまりに友人たちが勧めるので、一度だけやってみると、屋上を超えた上空まで行ってしまって戻って来そうにないのが少し残念だった。もしかするとその様子は旅客機のブラックボックスに記録されているかもしれないねと、その年のお正月に叔父さんが言っていた気がする。
A
面倒くさいから、この競技の校内創始者をAとする。僕はAの持っていたような想像力には当時、欠けていたということを白状しておきたい。運動場の方から吹き付ける風が校舎に当たって上昇気流を発生させるなんて、知らなかったし、思いもよらなかった。そのような「遊びの創始者」としての彼の働きはもはや伝説と化していた。給食で出る牛乳ビンのふたを面子にして遊び始めたのもAで、4つの升目に4人が分かれてボールを突き合う遊びを始めたのもA。その中には僕らの歴代の上級生が一度もやったことのない遊びも含まれており、某国立大学の遊戯発生学の権威を困惑の底なし池に突き落としたこともあったそうだ。この話は担任の法螺富貴一夫先生がおっしゃっていたので、たぶん信憑性が高いんじゃないかと小さい頃の僕は思っていたし、今でも何ら変わりはない。
屋上で見たもの
六年生も終わりに近付いたある日、僕らのクラスは初めて"居残り"を経験した。議題はお分かりの通り、"ゴミを大量に発生させる遊びについて"である。
これはなんですか、と法螺富貴一夫先生が取り出した写真に写っていたのは、中庭や、校舎に寄り添った花壇、松の木に不時着したヘリたちの残骸だった。ゴミですよね、ゴミを出すような遊びは止めましょう。このクラスは遊びを作るのが得意。でも、見るのが嫌に感じる景色を作ってはいけません。どうしてもやりたいなら、出したゴミは片付けましょう。先生もみんなと一緒にやるよ。…と、考えてみたらかなり優しい先生だったのだと思う。僕たちはやっぱり命令に従ったわけで、ちょっとした大そうじが始まった。
最後にたどり着いたのは校舎の屋上で、僕らの中から行く人が選ばれた。危ないから本当は入ってはいけないのだけれど、今回ばかりは仕方ない、ということだったらしい。こつこつと階段に音を撒き散らしながら僕を含め数人が屋上へと向かった。先生が鍵を開けて扉を開く。そこにあったものは、同窓会で友人に聞いても覚えていなかったが、僕はずっと覚えている。その屋上のコンクリートには、確かに大きなヘリコプターのプロペラが当たってできたと思われる、残酷なくらい白くて生々しい傷跡があったのだ。
40年後
それから約40年が経って、僕はコンピューターの前にいる。数年前に発見されたプラズマ生命体の撮影2例目の動画を見ている。息子も見ている。学会ではいまだに生命か否かの議論が続いているが、僕自身は生物だと思っている。それはちょうどスマートなクローバーリーフのような形をしており、つまり件の紙ヘリコプターと同じような形をしており、全身から光と熱を放出し、身を落ち着かせていた太陽表面から極寒の深宇宙に―いや、“死”に―向かって旅立とうとしている。ように見える。この儚い命の不可解な行動に、僕はいくばくかの愛着を抱く。隣で画面を眺めている息子に、昔、こんな風にして友だちと遊んでいたんだよ、と言ってみるが、いや、伝わるはずないか、と1人苦笑する。案の定きょとんとしているので、全貌をかいつまんで教えてあげると、じゃあ、これはどこを目指しているの、とディスプレイ上の"光り輝くヘリコプター"を指差しながら聞いてきた。
屋上だろうな、と僕は思った。
紙遊戯に関する記憶
さいごまで読んでくださってありがとうございます
これは恥ずかしながら
第2回創元SF短編賞落選作であります
よいひまつぶしの時間になったでしょうか?