透明な枷

あおい はる

 さあさあと、雨のふる夜に、みずうみのそこからあらわれた、ぬるりとしたひとびとは、フランスパンを買いに、街に行きます。街には、真夜中までやっているパンやさんが、ごろごろありますので、ぬるりとしたひとびとは、存外、たくさん、おりますので、真夜中のあいだに、街じゅうのパンやさんのフランスパンは、売り切れてしまう。朝がくる頃には、そこかしこに、ぬるりとしたひとびとがたべこぼした、フランスパンのかけらが、ころがっているのですが、こどもたちが、学校や、おとなたちが、会社に行く時間には、きれいさっぱり、きえているのでした。鳥かな、と思うのです。すずめや、からすなんかが、ぬるりとしたひとびとがこぼしていった、雨あがりの道で、しおしおになったパンのかけらを、ついばんでゆくところを想像しながら、窓から空を、眺める日々です。せんせいは、無限のやさしさで、ぼくに永遠を、あたえました。ドアノブには、蔓が、幾重にも巻きつき、時折、花を咲かせました。ぼくの世界は、せんせいが生きているかぎり、この、四角い箱のなかが、すべてなのでした。空の色の変化を観察し、雨の音をききわけ、つらなる車のヘッドライトの、輪郭があいまいになるくらい、じっと見つめて、ぬるりとしたひとびとの表情や、ひとりひとりの特徴を知ることもなく、その、ぬるりとするらしいからだに、触れることもないまま、ぼくは、ただ、呼吸をしています。

透明な枷

透明な枷

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
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CC BY-NC-ND
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