あしたのためにやさしい月をください
こどもは、あたりまえみたいに、かわいいですね。
月は、やさしいです。
とくに、まんまるい月は、ふくよかなからだの、あの頃の、やさしかったおかあさんを、思わせます。
二十三時は、ときどき、こわいので、月をみあげて、あしたがくるのを、待ちます。水槽には、きのうまでに蓄積された、かなしかったことや、くるしかったことを、沈めます。せんぱいが、はやく、ぼくのことだけをみてほしい、と祈りながら、目をつむり、せんぱいがいる方角、だいたい、南南西を向きます。美術館で、せんぱいは、ひっそりと、いきているので。雪が降り積もるまでは、なるべく、まいにち、あいにいきたいと思うのですが、そろそろ、さむくなってきたので、雪が積もれば、この町は、雪のしたにすっぽりおおわれてしまうので、春がくるまで、せんぱいに、あえなくなってしまう。それは、いま、いきているなかで、もっともつらいことです。(美術館にいる、せんぱいは、この世のものとは思えない美しさ、という言い表しがぴったりの、そう、たとえば、神さまみたいな)
あしたになるまで、あと、七分。
いえじゅう、コーンポタージュのにおいがしますのは、しろくまのせいです。さいきん、いえにやってきた、しろくまは、コーンポタージュばかりをつくります。おかあさんはよろこびますが、おとうさんはほとほと、こまりはてています。ぼくは、しろくまのつくるコーンポタージュが、好きでも、きらいでもなく、おかあさんのように、よろこびもせず、かといって、おとうさんのように、こまってもいません。ふつう、という感想が、いちばんしっくりきますが、ふつう、というものが、世の中ではいちばんあいまいなもののような気がします。
ぼくの、かなしみや、くるしみにみちた、水槽が、ときおり、ゆれます。水がこぼれて、たまのような水滴がとびます。泣いているように。
あしたのためにやさしい月をください