せんせいは水族館にいる

 くるしいとき、うれしいとき、かなしいとき、たのしいとき、つらいとき、しあわせなときなどの、感情に左右されず、休日は水族館に入り浸っているのが、せんせいでした。
 水族館のあいまいな順路に、せんせいは毎回、律儀に従って、水族館のなかをめぐりますが、ひとつの水槽にとどまる時間が、とにかく長いために、規模の小さな水族館でも、一日がかりで、めぐりまわるのでした。
 あらゆる種類のさかなが泳いでいる、水族館のなかでいちばんおおきな水槽の、すみっこの方でじっとしているものたちなんかは、もう、何時間でもみていられるのだと、せんせいは言います。イルカや、ペンギンなんかの、水族館でも、いち、にをあらそう人気のものたちを好きなわたしには、よくわからない感覚でした。いちばんおおきな水槽の、すみっこの方でじっとしているものらは、なんだか地味で、うごきもにぶそうで、あまりかわいらしくないと思うのでしたが、せんせいは、そういったものたちも、平等に愛でるのでした。まるで、じぶんの生徒を想うように、水槽という名の教室につめこまれた、あらゆる性格のものたちを、分け隔てなく愛するのが、せんせいでした。ひとりひとりの個性、長所をみつけるのがうまいのも、またせんせいでした。
 ネコザメ、というサメの、どこがネコで、サメなのか、じっとみつめても、わたしには、まったく、ぜんぜん、ネコにも、サメにもみえませんが、せんせいには、きっと、わかるのだろうと思いました。
 わたしには、それが、ときどき、無性に、腹立たしかった。

せんせいは水族館にいる

せんせいは水族館にいる

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-12-16

CC BY-NC-ND
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