海とたいやき
あおい はる
かみさまに。
だれかのつくった街に、すんでいるのです。
浅はかな恋愛と、おとなはばかにします。ぼくは、せいいっぱいの恋だと、自負しています。海は、やがて、埋め立てられるのだといいますから、もう、かなしみしかありません。さかなたちが、しぬこと。ひとでが、アスファルトのしたで、ひからびること。夜空の星を、うらやむかもしれない。そういう、せつない気持ちは、ぜんぶ、角砂糖にしたい。それで、べつに、なんともおもっていないひとの紅茶に、いれてあげたい。
のらねこが、パンやさんのまえの、鉢植えのかけで、おおきなあくびをしています。吹奏楽部のひと、そして、せんぱいである、という認識しかない、おとこのひとが、おなじく吹奏楽部の、となりのクラスのおんなのこと、夕暮れの公園を、手をつないで、あるいていることの、普遍的な光景に、かるい吐き気をおぼえました。べつに、おんなのこのことも、その、せんぱいのことも、興味はないというのに。
せんせいが、くれた、よくある一般的なノック式のボールペンを、ぼくは、ばかみたいに、たいせつにしていますが、どうか、笑わないでください。あの、せんせいの、ネクタイをゆるめる瞬間の、ネクタイの結び目にはいる、指の、曲げかた、というか、曲げたときに浮き上がる、関節のかたち、というか、ともかく、その、指に、翻弄されたい、と思います。男女の恋愛があたりまえで、こどもを生むのがえらいとされている感じ、というのは、まだ、どうにも社会に、蔓延しているような気がして、矛盾で世界は成り立っているよね、などと気取っていた友人の、その言葉は、でも、わりと、真実なのかもしれないです。たいやきをかじりながら、海をうしなったさかなの気持ちを、すこしだけ想像したけれど、むずかしかった。
海とたいやき