知らず候・改訂版《しらずそうろう・かいていばん》

真中 茉袰《まなかまほろ》

知らず候・改訂版《しらずそうろう・かいていばん》

連載。時々更新。

|序章《じょしょう》

|序章《じょしょう》

 野分(のわき)(こずえ)を駆け登り、僕らの行く先々で激しく松籟(しょうらい)を響かせていた。
 僕らは、誰も居ない道を糸を手繰(たぐ)るようにそろそろと進んでいる。山に向かう林道を、真っ直ぐに真っ直ぐに、ただ1つの目的を()たすべく――そう、『僕を殺す』というたった1つの目的の為に――互い連れ立って、と或る山にある古い工場へと車のタイヤを進めているところだった。
 彼女は一心に前を見詰めており、僕は、そんな彼女の横顔をちらちらと盗み見ていた。
 余談だが、実は彼女は『僕を殺すという彼女の秘密の目的に僕が勘付いている』という事実を全く知らない。
 狂気的だと思われてしまうかもしれないが、『自らの秘密を愛人に気付かれている』とは知らないままで彼女は目的地に向かうこの車に乗っており、そうして、『気付いていないよ』と素知らぬ振りをしたままで、今僕は目的地に向けてアクセルを効かせているのだ。
 刹那(せつな)に空に稲妻(いなずま)が走り、遼遠(りょうえん)にて鳴る雷鳴(らいめい)がクレッシェンドの指示を受けたピアノの旋律(せんりつ)よろしく次第(しだい)に音を強めつつ近付いて周囲に響き始めた。それらは、風に吹かれバサバサと揺れる松林(まつばやし)の木々に一足飛びに雨雫(あましずく)の予感を運びだしたようだった。
 けれども彼女はそんな車外の景色の変化など何処吹(どこふ)く風といった様子で、その横顔は裏切りを微塵(みじん)も感じさせぬ程に玲瓏(れいろう)としている。
――こうしていると、まるで平凡なドライブみたいだ……。その(じつ)、死出の旅のくせにさ。……嫌になるね、まったく。
 僕は、とてもじゃないが緊張感(きんちょうかん)()えられなくなり、(たわむ)れに無意味な思考の展開(てんかい)を始めた。「僕を殺す場所に向かっているというのにいつもとまるで変わらぬ彼女のその(りん)とした表情の理由は、一体何なのだ?」と。
――その表情は、僕との別れにより心胆(しんたん)より清々(せいせい)とした心持(こころも)ちに至っているせいなのか、それともその真逆で、陰鬱(いんうつ)とした心根(こころね)(おさ)え隠す為の心化粧(こころげしょう)が故か……どちらなのだろう。
 僕は(しば)しの間に()いて彼女の平静さの理由を熟考(じゅっこう)した。だが、結局「皆目見当(かいもくけんとう)もつかない」という(にべ)も無く投げ()りな結論に至るしかなかった。そのうちに、冷静に考えていたつもりの僕の思考(しこう)(かげ)りが見え始め、(まぶた)の奥に段々と貼り付くように重苦しい恋衣(こいごろも)(まつ)わりだし、(こら)()れずに(おもむろ)に、そうしてまるで支えながらも重力に(したが)ってしまう時のように全く以て(ゆる)やかなスピードで、僕の思考は低空飛行に(おちい)っていった。
――いっそのこと、このままわざと事故を起こして、彼女と共に地獄に()こうかな。
 情けないことに、そう考えた。そんなことは僕の性格上到底無理(とうていむり)な話だということを解っていながら、ネガティブな感情に知らず心を絡め取られていたというのか、僕は一頻(ひとしき)り彼女と無理心中をするか否かで(まよ)ってしまったのだ。愚かなことに、『恋人の手で殺される』という、マゾヒストの傾向のある我が(ともがら)にとってある種甘美な行為ならば不本意ながらも受け入れることが可能だが『自分の手で恋人を殺す』などという蛮行(ばんこう)は僕としては全く理解の範囲外で絶対に受け入れられないことであったにも拘らず、事ここに至り僕は(まよ)ってしまった。
――僕は彼女を愛している。だからこそ、どうせ殺されると知りながらも目的地に向かうことを止めもせず、(こと)ここに至っても、こうして「山へ向かえ」と指示(しじ)をされるままに甘んじてアクセルを効かせて前に進んでいるんじゃあないか。今更共に()くなどという考えが心にちらついてしまうとは……僕は馬鹿(ばか)だ。だいたい、今、心中なんてことを実行してしまったら、僕らだけの犠牲じゃ済まないじゃないか。
 雨音が静かな車内に(とどろ)き、まばらなアンコールの拍手のようにバチバチとした音を立てた。
――意気地無(いくじな)しだと『君』はまた笑うだろうか……。
 姿こそ見えないが間違いなく同乗している筈の『君』は、彼女に遠慮(えんりょ)をしてしまっているのかそれとも眠ってしまっているのか一切言葉(いっさいことば)()らさなかった。確実に近くに居る筈なのに、存在すらも消えてしまったみたいだった。
――いつもは僕に対してだけはお(しゃべ)りなのに……。
 時折聞こえるタイヤが泥を踏む音が、車内の侘しさを仄かに増してゆく。
 僕は、アクセルを開く度に内心でフラフラとする浮舟(うきふね)のような『彼女に殺される決心』を(なだ)めながら、松林(まつばやし)の中の特に暗く(かげ)った細道へとハンドルを切り、目的地へと一歩一歩確かめるようにタイヤを進めて行った。どうやら道には迷ってはいない様子ではある。
 そのうちに、ふと、数時間ぶりに彼女が(ひと)()ちた。「ここを抜けると低い山が見える(はず)
――成る程(なるほど)……。
彼女はそれ以上は何も言わなかったが、(おそ)らくそこが目的地なのだろう。長い付き合いの僕には直ぐに解った。
 アクセルを更に効かせる。
 今や車外は秋の嵐の真っ只中(まっただなか)。フロントガラスにぶつかっては(くだ)け広がる雨粒(あまつぶ)残骸(ざんがい)を、ワイパーが次々に片付けてゆく。そうこうしているうちに、流石(さすが)悪天(あくてん)辟易(へきえき)としてしまったのか、彼女が不意(ふい)に激しく眉根(まゆね)を寄せた。
「雨が酷いわね……」
 (たお)やかで楚々(そそ)とした彼女が眉間(みけん)(しわ)(きざ)むと、まるで、鮮やかに澄んだギヤマン硝子(がらす)にヒビが入る瞬間のようで、危うげでありながらもギリギリで保たれたその静謐(せいひつ)さが心()まれそうになる程に美しかった。こればかりは、僕の痘痕(あばた)(えくぼ)というだけではないだろう。
 その時である。1人の男がふらりと目の前に飛び出して来て、車を停めるかのような動作で両手を大きく交差させながら振った。
「ちょっと!」
――危ない!
彼女が急ぎブレーキを踏んだ。自身が(まと)名状(めいじょう)(がた)い求心力に気付かぬままに彼女の眉間に更なる(しわ)が寄る。しかし間に合わない。ドン!という激しい音が聞こえ、飛び出して来た男は敢え無く()かれ、数メートル程も前方に弾かれたように飛んで行ってしまった。
『――どうしたの?』
 間の悪いことに、ぶつかった際の衝撃(しょうげき)のせいでお昼寝から目を覚ましてしまったのか、彼女のお腹の中に居る『君』が(あわ)てた様子で僕に問い掛けてきた。だが、僕が答えるのを待たずして彼女が車外へ出て男に駆け寄ってしまったが為まともに話が出来ず、結果その疑問は放置される羽目となる。
「大丈夫ですか!」
彼女が反射的に男の脈を見る。息はあるがピクリとも動かない。当然、戸惑(とまど)いながらも震える手でスマートフォンを取り出し救急車を呼ぼうとする。その時である、まるでゾンビのような出で立ち(いでたち)で、男が彼女の腕をガシと強く(つか)んだ。節くれ立った指が彼女の肉に()り込む。「芥川魎子(あくたがわりょうこ)だな」
「……!」
 声も出せぬ程に驚く彼女。それでも、銀鼠(ぎんねず)の瞳をこれでもかと見開いて、どうにかこうにか男の問い()けに答える。「そうですが……貴方は?」
「アンタの売買相手だよ。嵐になってきたから、事故なんてしないようにって気を使って山の(ふもと)まで迎えに来てやったんだよ。まあ、結局当の俺がなんでかアンタに()かれちまったんだがな……。面目ねえ、ガハハ」
豪快(ごうかい)に男が笑う。恐ろしいことに車に跳ね飛ばされたというのに掠り傷1つなくピンピンしていた。彼女は、怯えながらも辛うじて愛想笑いを作って、彼を助け起こしその服に付いた泥を優しく払ってやった。
「では、貴方が花菱枳殻(はなびしきこく)さんですか……。あの、私、救急車呼びます」
花菱(はなびし)と呼ばれたその男は彼女の腕を強く引き、それを止めた。「俺なら大丈夫だ」
「それより金がいるんだろう、アンタ? 電話で約束した通りにアンタが処分したいブツは買ってやるからさ、もっとちゃんと事情を話せよ。話も聞かず買っちまって面倒臭い犯罪には巻き込まれたくないんでな」
ざんざと降る嵐雨(あらしあめ)でずぶ濡れになってしまった癖毛(くせげ)が貼り付いた頬を彼女の耳元にグッと寄せて、まばらに生えた(ひげ)無精(ぶしょう)さを物語っているその顔面を(てのひら)(ざつ)に拭いながら、花菱(はなびし)は彼女に商談を()かした。
 (しば)し迷うような様子を見せる彼女。程無く顔を上げ、意を決したように打ち明け始めた。
「事情、誰にも言わないで下さいね……? あの、私……お腹に赤ちゃんがいるんです。父親だった彼はもう死んでいて……。この子に気付いた時には堕胎可能(だたいかのう)なギリギリの時で……貯金も無くて、頼れる家族も居なくて……つまり……その、お金が必要なんです……。どうしても、30万!」
――初耳だ!
僕は驚愕(きょうがく)した。
――『君』が殺されてしまう! 彼女のお腹の中に居る『君』が! 堕胎(だたい)されるという事はそういう事だろう? けれども僕にはどうにも出来ない、どうにかせねばならぬのに、どうにも出来ない!  なんてことだ! それなのに僕はもう今は動けない! だって僕は――僕は!
「解った。相場の値段で良けりゃ買い取ってやるよ、220万だ。芥川魎子(あくたがわりょうこ)
「え……花菱(はなびし)さん、電話じゃ30万だって言って……」
「気が変わっただけだ、そいつを買い取りはするがスクラップにはしない。ボロボロだがもう少し動きそうだし、逝っちまうまで使い倒す。だからその場合の相場を払うよ。そうしたらアンタも選択肢(せんたくし)が1つ増やせるだろう。産まぬも産むもそれで好きにしろ」
花菱(はなびし)気障(きざ)ったらしくも彼女に向かってそう言い捨てると、そそくさと僕の側に近寄り、失礼にも程があることに僕の頭をポンとひと叩きして、何事もなかったかのように話を続けた。
「見た目が好きなんだよ、コイツの。だからまあ……気にすんなよ。芥川魎子(あくたがわりょうこ)
――なんて失礼な奴だ。しかも彼女に馴れ馴れ(なれなれ)しくしやがって。お前なんか絶対に乗せない! ていうか、スクラップ工場だって言ってたじゃないかよ、電話で! 違うのかよ! 殺してくれ、こんな奴に乗られるぐらいなら、誰か僕をスクラップにして殺してくれ――。


 ――彼の名前は、トヨタ・オリジン。
 2000年11月にトヨタ自動車が限定販売した、プログレベースの、初代クラウンのイメージそのままの観音開き(かんのんびらき)ドアが非常に魅力的(みりょくてき)なパイクカーだ。
 どういう訳か心と魂をその身に宿している彼は、たった今220万で男に売り渡された。
 彼は、当然のことながらこの時はまだ、近い将来このデリカシーな欠片(かけら)も無い無精髭(ぶしょうひげ)の男と共にガレージ探偵をやらねばならぬ羽目になろうとは夢にも思ってはいなかった。兎にも角にも彼は今、ただひたすらに、花菱(はなびし)への恨み言と共に彼女のお腹の中の『君』の命を何とかして助けねばならないということばかりを延々(えんえん)と考えあぐねていたのであった。

知らず候・改訂版《しらずそうろう・かいていばん》

知らず候・改訂版《しらずそうろう・かいていばん》

|花菱《はなびし》とソーロ。推理小説。少しだけサスペンス。恋愛といっても爽やかな恋愛ではない。ついでの恋愛要素。

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  • ミステリー
  • 青年向け
更新日
登録日 2019-12-13

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