Fate/Last sin -32

「        !」
 彼女は、声も音も無い叫びをひとつ上げた。

「……!」
 セイバーは剣を手放し、マントの下の楓の身体を両手に抱えて屋上のコンクリートの上に伏せた。直後に、聞いたこともないような轟音が海の方角から響く。激しい熱風が吹き付けて、セイバーは楓を庇ったままわずかに顔を上げ、絶句した。
 黒と褐色の混じった泥が湾岸から大波のように押し寄せ、次々に街並みを飲み込んでいく。それは液体であるにもかかわらず、飲み込んだ街を次々に焼き焦がしていくほどの熱を持っていた。廃漁港と工場地帯の一角を埋め尽くした泥は、勢いもそのままに南部の住宅街へ侵攻していく。
「なんて……何ていう事だ」
 沿岸の一部は、既にあちらこちらから煙が上がり、火の海と化していた。セイバーの呟きにつられて顔を覗かせた楓は、その遠景にただ言葉を失う。
「街が……」
 喉の奥から絞り出すような楓の呟きに、セイバーは空いた手のひらを固く握りこむ。
「……これは最早、聖杯戦争の域を超えている。誰が、何のために、このような事を……!」
 セイバーは立ち上がった。胸中で、よく知っている感情がふつふつと煮え始めるのが分かる。それは今まで生まれることのないように押さえつけてきたものだ。
 けれど、何者かによって眼前で繰り広げられる一方的な暴虐を目の当たりにしたセイバーには、それを堪える理由は無かった。
「―――」
 海上の巨人は、翡翠色に輝く双眸で赤く燃える街を見て、やがて視線を北の方へ移す。その動きが、ある一点で止まった。
「セイバー、あのひと―――教会を見てる」
 吹き付ける熱風の中、楓が小さく呟いた。ぐ、と何かが詰まるような大きな音がして、見れば、巨人が長い腕を伸ばし、その指を陸に掛けている。ゆっくりと、ゆっくりと――しかし確実に、巨人は海から這い出ようとしていた。
「……ッ!」
 次の瞬間、セイバーの怒りは臨界点へ達した。
「これ以上、俺の前で好きに出来ると思いあがるな!」
 コンクリートを蹴って、高層ビルの屋上から弾丸のように飛び出す。キャスターと天文台を焼いたものと同じ、新鮮な嚇怒の炎がセイバーの剣を覆いつくして、強烈なまでの赤を放っている。
 建造物の上を飛ぶように駆け抜けて、セイバーは商業施設の屋上駐車場へ降りてこようとする黒泥の指先を刹那の間に一刀両断した。
「   !」
 短い呻き声が上がる。指先は自動車ほどの大きさの土塊となって燃え尽き、地面に落ちる前に砕け散った。セイバーは隙を逃さず、その手の甲へ長剣を突き刺し、自らも巨人種の手の上に立つ。
「ふッ!」
 短く鋭い呼吸の後、セイバーはその剣を柄まで刺さるほど深く突き刺し、魔力を注ぎ込んだ。黒い泥の中で、火花が泥を透かすほど赤く弾け、巨人の手のひらの中で暴発する。
〈う、あ―――――〉
 女の形をしたそれが初めてヒトの声で悲鳴を上げた瞬間、剣を突き刺した亀裂から、溶岩が噴火するように激しい炎が噴き上がり、泥の腕に次々に亀裂を広げた。手首、肘を砕いた炎の亀裂は、浅葱色の刻印を引き裂きながら肩まで到達する。
〈ああああああああ!〉
「巨大なのは体躯ばかりか!」
 セイバーは砕け落ちていく泥の腕の上を駆け上がり、激しい熱を帯びた剣を構えたまま巨人種の眼前に飛び出した。
「俺を誰だと思っている―――」
 彼は確信していた。自分は、間違いなく、この化け物を倒すためにここへ喚ばれたのだと。熱風に金の髪を巻き上げ、灰色の虹彩を爛々と輝かせて、セイバーは巨人種の顔に向けて満身の力で炎の剣を振り上げる。
〈……!〉
「宝具、真名解放―――」
 激しく、赤の閃光が瞬いた。

「―――――『不滅の楔(ナーゲリング)』!」

 翡翠色の眼球に、セイバーの長剣が寸分たがわずに突き刺さった。
〈あ、あああ、ああああああッ―――――――!〉
 熱で泥が蒸発していき、生臭さが立ち込める。泥の巨人種はセイバーを振り払うように顔をよけ、悶絶の声を上げた。
 だが、その一撃に反して、セイバーは焦燥の色を顔に浮かばせる。
(宝具が―――開かない……!?)
 たったいま解放した『不滅の楔』は、本来ならセイバーの持つ剣を『巨人の剣』という本来の姿に変え、巨人種すら頭から腹まで両断できるほどの大きさを持つはずだった。だが剣は元の大きさのまま、セイバーの手中に収まっている。
予定外の出来事に、セイバーは大きくバランスを崩し、その隙に眼下の泥海から槍のように突き上がってくる〈腕〉に気づかなかった。
「しまっ―――」
 逆上するかのように泥の触手はセイバーの身体を打ち、陸へ弾き飛ばす。一瞬で、セイバーは街の中心部まで飛ばされた。燃え上がる街の熱気を通り過ぎ、市街地の商業施設の上に墜落する。
「セイバー!」
「……っ」
 少し離れた所から、珍しく声を張り上げた楓の悲鳴が聞こえた。セイバーは大きく亀裂の入った駐車場のアスファルトに剣を突き刺して、それを杖に立ち上がる。額が切れて血が出ているのが分かった。
「……クソッ」
 悪態を吐き、舌を打つ。魔力の供給は十分だった。なのに宝具は開かない。理由が分からないだけに、セイバーの苛立ちは募るばかりだ。
「セイバー、セイバー!」
 今度は少し近くで、楓の声がする。流れる血に濡れて重い瞼を開けると、眼下の大通りを挟んだ隣の建物の上に、楓が柵にしがみつくようにしてセイバーに向かって声をかけていた。あれほど高所を怖がっていた楓が、熱風で煽られるのも構わずに、柵から身を乗り出すようにして叫んでいる。
 セイバーは一瞬呆気にとられたように黙ったが、我に返って返事をした。
「俺は大丈夫だ、それより……」
「あれ!」
 楓が細い腕をいっぱいに伸ばして、セイバーの背後の上空を指す。
 振り向くと、海から伸びた大量の根のような泥が、一斉に風見市の北へ向かって伸びていくところだった。セイバーはその光景を目にするやいなや、額に青筋を浮かべる。
「あの畜生……!」
 口をついて出た悪態をとりなす余裕もない。片目の無くなった巨人種は、それを気にも留めないかのように、陸へと道を拓いていた。砕いた腕すら、既に修復が済んでいる。泥の根は巨人が海から上がるよりも速く、次々に街の家々や建物、道路を飲み込み、火の手を延焼させていた。もはや冬の日の午前の光は何処にもなく、ただ地獄絵図のような光景と、利己的に降ろされた夜の帳が街を覆っている。
「楓、もう一度だ! もう、これ以上あれを生かしてはおけない!」
「待って!」
 楓の叫びに、セイバーは一瞬後ろ髪を引かれたように立ち止まった。楓は、長い髪が熱風に巻き上げられるのも構わずに声を張り上げる。
「あの魔方陣のせいよ! あれがセイバーの宝具を妨害したの!」
「なに―――」
 咄嗟に、眼下の地面を見る。淡いながらも魔力を持った光帯が、未だにそこにあった。そしておそらくは風見市全体を覆っているそれを、セイバーは睥睨する。
 それはあの巨人種に酷似した〈何か〉をここへ呼ぶことのできる、おそらく風見でただ一人の魔術師の、執念に他ならなかった。
「セイバー……」
 楓が、小さく声をかける。セイバーははっとして顔を上げ、不安げに自分の顔を見る少女の肩を掴んだ。
「教会だ。多分、いや確実に、アレをここへ招いたのは、あの神父に違いない。急ごう」
「……うん」
 返事をするなり、セイバーの手が空を掴んだ。瞬きする間にその手には手綱が握られ、もう見慣れてしまった黒馬が霧のように現れる。セイバーはその背に素早く飛び乗ると、馬上から楓の腕に手を伸ばした。
「もうあまり『彼』ももたない。しっかり掴まってくれ!」
 楓がセイバーの背に腕を回した瞬間、黒馬は堪え切れないといったふうにコンクリートを蹄で蹴って空へ駆けだした。熱気と煤臭い空気の混じった異様な夜の中を、黒馬は流星のような猛スピードで教会へ進んでいく。
 だがその脚は、すぐに今までの順調さを欠いた。
「セイバー! 後ろ!」
 楓の悲鳴が耳に届いて、セイバーはすぐに固く引いていた手綱を一層強く引いた。馬が嘶いて、一歩脇へ逸れる。その瞬間、黒く長い何かが風を切ってすぐ傍を掠めた。
「……ッ」
 黒泥の触手が飽きもせずに楓たちを追い回していた。ただでさえ制御を失っている黒馬の手綱が、セイバーの手にきつく食い込んで血の気を奪う。楓は青ざめた顔でセイバーの横顔を見上げた。
「だ……大丈夫?」
「良くはないな」
 セイバーは汗の滲んだ顔で、ひきつった笑みを浮かべる。その視界の端に、地上から突き上がってくる泥の柱が見え、セイバーは咄嗟に手綱を引いた。間髪の差で、泥の柱を避ける。休む間もなく次の手、さらに次の手、と黒泥の攻撃は続き、馬は徐々にセイバーの制御を振りほどきながらバランスを失っていく。何回目かの攻撃をぎりぎりのところで躱した時、不意に、楓の腕がセイバーの背から離れた。
「わ、」
「楓!」
 鞭のように細く変形した泥が、器用に楓の腰を絡め取って彼女の身体を空中へ吊り上げた。その一瞬の隙をついたかのように霊馬が全身を大きくうねらせ、セイバーの手から逃れようともがく。堪らずに、セイバーは振り落とされた。
「セイバー!」
「大丈夫だ! 俺が、必ず―――」
 セイバーは振り落とされた勢いをそのままに、近くの足場になりそうな街路樹の枝へ着地し、二歩目には黒い泥の触手の上へ跳んだ。駆ける両脚を捕えようとする腕を振り切り、剣を握ることもままならず、ただ空の右手をこれ以上ないほど伸ばして、黒泥の中へ引きずりこまれようとする自身のマスターに駆け寄った。
「楓、手を―――!」
「……!」
 もう体の半分以上は泥の中に沈み込んでいた。だが楓は諦めず、決死の力で重い泥の中から右腕を引き抜き、セイバーに伸ばす。
 銀色の手甲を嵌めた大きな手が、赤い令呪の刻まれた白い手を取る。
 だが、セイバーが渾身の力で楓の身体を引き寄せても、わずかにでも楓の身体が動くことはなかった。それよりも黒泥が侵食する速度の方が速い。楓は胸のあたりまで泥の中に沈みながら、震える声で言った。
「ごめんなさい、セイバー、私――」
「お前は何も悪くない!」
 グレーの瞳を細めて、楓の手を握った右手の力を決して緩めることなく、セイバーは叫ぶ。楓はその目に涙を浮かべながら、彼の手を握り返した。
「お願い、私の手を離さないで、セイバー!」
 当然だ、とセイバーは答えた。だが、それが彼女に届くか届かないかのうちに、二人はほとんど同時に黒く重い泥の中に呑み込まれた。


   *


「……」
 頬が熱い。
 文香月は足を引きずるようにして、ようやく風見の北の高台を登りきったところだった。右手の眼下には、見るに堪えない風見市の惨劇が広がっている。分け隔てなく南側の市街地を焼いた炎は、じりじりと北側へ侵攻していた。もはや意味を為すかも分からない消防車や救急車と思しきサイレンが、暗く抜け落ちたような空に虚しく響いている。
 ふと、香月の傍らをふわりと風が掠めて、音もなくアーチャーが木々の上から降りてきた。
「駄目だな。あれを倒せる威力を持った宝具は、何も使えねえ」
「……そうでしょうね。この高台が風見市と隣の都市の境界ですが、この先には進めそうにない」
 香月は、左手側の雑木林の奥を指した。薄暗い雑木林が鬱蒼と茂っているが、数メートル先で突然その森が消えている。
アーチャーは目を疑った。
「何だ、こりゃ……」
 木々が、途中ですっぱりと寸断されたように消えていた。その先は全くの暗黒で、まるで誰かが林の中に黒い幕を垂らしてしまったようだった。
「ここに来る途中で、地面に多くの魔方陣と宝石が設置されているのが見えました。今までは巧妙に隠していたとしか思えない場所に、です。黒幕は相当昔から、ここで事を起こす計画だったんでしょう。私たちは、見事に出し抜かれたわけです」
 香月は骨ばった手を固く握った。視線の先で、風見市を覆う火が爛々と燃えている。だがどうすることもできない。
「おそらくここは既に、固有結界の中です。一つの街を丸ごと飲み込んで、しかも少しずつその規模は拡張している。私たち魔術師に一切の不利を強く術式も備えたうえで……」
 言うに堪えなくなって、香月は唇を噛んだ。聖杯すら巻きこんだ、これほどの大儀式に太刀打ちできる方法など、一介の死霊魔術師である香月に手に負えるはずもなかった。
 だが、アーチャーはあっけらかんと言う。
「じゃあ、機を待つか」
「……はい?」
 呆気にとられた香月に、アーチャーはごく自然に返す。
「こういう八方塞がりな時は、変に騒いでも状況が悪くなるだけだ。じっと待つしかない。息をひそめて、考えるのをやめず、相手を見据え続けるんだ、いいな?」
「でも……」
「マスター、その魔方陣の要になる宝石やら何やらは、破壊できるのか?」
「……できたら、とっくに破壊しています」
「そうだろ。俺だって宝具が使えるならとっくに使って、固有結界とやらだって焼き払ってやるさ。だが出来ない。打つ手なしだ。そうしたら、もう機を待つしか出来ることはないんだ」
「……」
 香月はアーチャーに諭されて、最後には頷くことしかできなかった。弓兵はマスターの様子を見て、その肩に手を置く。
「よし。そういうわけだから、マスターはここで待っていてくれ」
「え?」
 言うやいなや、アーチャーは高台から鳥のように飛び出している。
「ちょっと、アーチャー!」
慌てて断崖へ駆け寄ると、眼下で声がした。
「俺は出来るだけ大勢の住民を北側へ逃がす! マスターはそこで待ってろ、その時が来たら念話で呼ぶ!」
 そう言ったきり、弓兵は燃え盛る南の方角へ姿を消した。香月は高台の上で口を開けてしばらく呆然としていたが、唐突に両足に力を込めて立ち上がった。
「……全く、勝手な英雄ですね。先にそれを言えばいいのに!」
 弓兵のマスターは、ついさっき登ってきたばかりの高台を一息で駆け降りはじめた。

Fate/Last sin -32

Fate/Last sin -32

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-12-11

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work