惑星一のケチャップの入れ忘れ

らっきょ太郎

 帰りの途中。バイト帰りの途中であった。満月が僕の背中にあった。マフラーを巻きなおしながら後ろを振り返る。白い息が重力と反比例して漂って消えた。何処にでもある家の通りは昨日とは違う何時もとは違う風景があり、そのようにした主犯者が無機物に浮かぶ巨大な月であることに誰でもすぐに気づくであろう。それからさっきまでの出来事を線のように垂れる水滴が途切れるか途切れないかといった不安定な感情を思い起こした。

 安っぽい厨房でピザのカワをコネて伸ばし具材を乗せ、チーズをパラパラと撒いて窯に入れて焼いた。そうしてマルゲリータは客の前に出された。
 おとぎの国、夢の国と呼ばれる遊園地で僕はそこそこ可愛げのある『恰好』でピザ屋の店員をしていた。作業場はガラスで覆われており周囲の観光客や恋人たちからは丸見えであった。けれども、奴らは夢の世界にお金を払って入場しているのだから、そんなピザを焼く姿よりもウサギの耳が生えたキャラクターや中世のお城、パレードの方を一生懸命に楽しむのだ。僕のことなどを気にする必要性なんてものは1ミリもなかった。それで注文が入らず暇な時には僕は大体、いや、かなりの頻度で観光客がにこやかに微笑んで歩く姿を見てあくびをしていた。
「おい」
 声の主に僕は反応した。店長であった。
「なんです?」
「さっき来ていた客のポテトにケチャップを入れ忘れたんだ」
「いいじゃないですか? 僕は塩派です」
「お前の好みなんてしるか。今、この店は混んでいないだろ。その客にケチャップを届けてこい」
「は? 無理ですよ。こんな周りに観光客しかいなんだ。どう考えたって探すのは不可能です」
「うるさい。取りあえず探して来い」
「店長? その客の姿ってどんな奴ですか?」
「確か、カップルだったろ。男はメガネで白いシャツにジーンズを履いていた。女は水色のワンピースに赤い帽子を被っていた」
「あのカップルですか? 待ってください店長? 女は白い帽子じゃなかったですか?」
「いや赤だったと思う」
「そうでしたっけ?」
「うるさい。早く行ってこい」
「はいはい。分かりましたよ」
 僕はため息を吐いて紙袋にポテト用のケチャップを投げ入れて店を出た。街灯がジリジリと光りボウッと点灯し始めていた。空は日中の顔から夜へと変貌する前準備となっている。そう、劇の赤いカーテンが数分だけ掛かるように。辺りを見渡すが僕からすると皆同じような顔した人たちにしか見えなかった。全くもって実にいい加減で幸せそうに笑うカップルが僕の前を通り過ぎていった。それから店長が言った男と女を探すことにした。
 コーヒーカップが回転するアトラクションの前を歩いた辺りで僕はくしゃみをした。肌寒い気温がじわじわと身体の奥を侵食していた。
「やってられるか」
 そう一言つぶやいて僕はベンチに座った。店長の気の利いた心は優しいが今の僕にとっては害悪でしかない。見つけられるわけもないし、見つける気力もない。バカバカしく感じて正面をみると水色のワンピースに赤い帽子を被った女が1人、ベンチに座っていた。それに加えてベンチの上には僕が働いている店の袋が置いてあった。間違いない、あの中身はうちのポテトだ。ケチャップを入れ忘れて今探している客だ。こうも上手く見つけられるとは。別に見つけられなくてもいいかと諦めていた僕は少しめんどくさい表情を隠してこの女の方に向かって歩いた。女は近づいてきた僕を見て不安そうな顔になる。何もそのような顔をしなくてもいいのではないかと思った。それで営業スマイルを作り上げてから「申し訳ないです。先ほどお買い上げになって頂いたミドリバーガーのものです。どうやらポテトに付けているケチャップを入れ忘れてしまったようで……」と声をかけた。
 僕の言った内容に理解を示してくれたのか赤い帽子を被った女はベンチに腰掛けたまま仏頂面で答えた。
「緑色のエプロンを身に着けている店員さんが何かの用かと思ったら? ふうん。あすこのお店ミドリバーガーっていうのね。知らなかったわ。それにケチャップの為にわざわざここまで来てくれたのね。ありがたいけど、私、ポテトは食べないの好きじゃないの。彼しかポテトを食べないの。それにね、彼って、ポテトはケチャップは使わないで食べるのよ。なんでもケチャップは主張が強いって。塩だけでいいらしいわ」女はここで息を付いて「でもここまで探しに来るってお店は暇なのかしら?」と口を動かし、目を細めて言った。
 僕は頭を軽く横に振って述べた。
「いえいえ、決して暇なわけではありません。当店はアフターサービスが充実しているんです。例えば納車した車のタイヤの1つが抜けていたら、支店からタイヤを持ってきますよね。うちのケチャップもそんな感じです」
「タイヤが付いていない車が道を走って納車できる筈がないじゃない」
 僕は頷いた。「おっしゃるとおりです」と言った後に「例えただけです。当店のポテトをフォルクスワーゲンだとするとケチャップはそのメーカーが描かれたタイヤです」
「貴方、屁理屈が好きなのかしら? ただのバーガーの店員がここまで来るわけないでしょ?」
 女は少しだけさっきとは違った表情で言った。警戒感が薄れたようだった。僕はニヤリと笑って「そうですね。実際は君が言ったようにお店が暇で店長にケチャップを渡して来いって命令されんだ。でないとケチャップ如きでいちいち客を探しにいくもんか」と言った。
 女は僕の言葉に瞳孔を開いた。さっきの僕の言葉と比較して少々乱暴さがあったからだと思う。でも女は簡潔に言う。
「可哀想に変な店で働いているのね」女は哀れな目で言った。
「僕もそう思う」
 女はまた「ふうん」と言いベンチの上で背伸びした。
 店長の任命を無事終えた僕はもう店に帰ってもよかったが、このまま店に戻るのは何となく癪であったから女に質問をした。
「君の彼氏はどこかに行っているのかケチャップ嫌いな彼氏? 女1人を置いてションベンにでも?」
「違うわ」
「なら痴話ゲンカでも?」
「それも違う」
「違うのか。じゃあ、金星にポテトをテイクアウトしに行ったのか? もちろん。ケチャップはなしで」
「ポテトは私の横にあるじゃない。それにね。金星にはポテトは売っていないわ。私が行った時にはキャラメルポップコーンとホットドッグを買った。味はまあまあだけど少し塩分が濃かったわね」と述べ少し間を置いた後に「で、お腹を壊した」と言った。
 僕は女の口調から何かよくない事を察した。それで「オーケー。その食い物には気を付けるよ」と答えた。
 そのように話した時、僕と目の前にいる女以外の観光客たちはだんだんと減っていた。腕時計を見ると6時となっていた。ああ。そろそろ向こうの側の広場でカーニバルが始まるんだと僕は思った。ウサギやキツネの被り物を被った役者たちが踊る。それを楽しむ為に此処から人がいなくなっているんだ。演奏が響き渡るの聞いてその方向を見ていると女は口を開いた。
「本命の奴がいたのよ。彼、本命の奴と鉢合わせの」
「本命? つまり、君は本命ではなかったということ?」
 僕の質問に答えず女は続けた。
「私より若くて身長が高くて可愛かったわ。流行りのコートとか凄く似合っていた。そうね。余りの素晴らしさに彼女の空間はねじ曲がって見えたわ」
「そういたった事があって君はベンチに座っていた。彼が残したポテト共に」
「ええ」
 女は笑みを浮かべていた。しかしながら女は僕に対して何か反応を求めているのは確かだった。でないとこんな事をバーガーショップのアルバイトに言わない。
「そんな日もある。僕もこの前、大学の単位が少々足りなくて空間のねじれを感じたばかりだ。奇遇だね。もしかしたら僕らは本当に金星に住めるかもしれない」
「貴方とは嫌よ」
「どうして? バーガーショップの店員だから?」
「ううん。だって貴方、こんな可哀想な女の子がいるのに何一つ、気が利いたセリフを言えやしないじゃない。もし彼だったらロマンス要素のある一言を二万回程度は言い放っているわ」
「でも僕は彼とは違って『本命』はいない」
「うるさい」
 女は冷たい声で言った。
 西の方角から客の歓声とリズム感のあるソングが流れてくる。太陽の光は8割り消え去っていた。
「それじゃあ、僕はお店に戻るよ。これでもハンバーガーに丁度良くソースをかけるのが上手いんだ。多分だけどこの惑星で一番ね。店長にもこの前、褒められたんだ。だから客が待っているんだ惑星一丁度いいソースがかけられたハンバーガーをね」
 女は僕をただ見つめてから言った。
「ただの店員の癖に生意気な事を言うのね」

 僕は無言のまま女から離れた。少し歩いた後に女が座っていたベンチの方向を振り返ったが女はもう居なかった。ポテトが入っていた袋はそのまま置いてあった。すると突然、大きな爆発音が聞こえ、それと共にカーニバルが行われている位置から赤い煙がもうもうと立ち上がった。人の叫び声がした後に緊急のサイレンと避難の放送が流れた。スマートフォンに店長から着信が鳴る。僕は電話に出た。
「おい、大丈夫か?」
 店長の声は慌てていた。
「大丈夫ですよ。それにより何かあったんですか?」
 僕の声を聞いてから店長は安心した様子だった。それから尋ねてきた。
「俺も詳しくは知らないが、白い帽子を被った女を見なかったか?」
「どうしてです」
「どうやら白い帽子を被った女が爆発物を持ち込んだらしい。うちの店員が野次馬で事件があった場所に行って聞いてきたんだ」 
「すいません。見てないですね」
「そうか……ならいいんだ。取りあえず戻ってこい。今日はもう上がりだ」
「了解です」
 僕はスマートフォンを切った。それから何となしに再びベンチの方向を見るとポテトが入っていた袋は無くなっていた。

惑星一のケチャップの入れ忘れ

惑星一のケチャップの入れ忘れ

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted