生命と球体
わすれられない、夜のはじまりの、空気にまじって漂ってきた、ありとあらゆるいきものの、におい。街の、美術館の、展示物の球体のなかで、静かな呼吸をくりかえす、ものたち。そのなかの、きみ。笑うの、子どもたちが、おもしろおかしそうに、球体の、なかのものたちのことを、きみのことも、無邪気に、残酷に。子どもたちの笑顔は、かわいい、の、に、悪魔的。
せんせい、濃紺の空に、ひときわ光る星があらわれる頃、ぼくらの時間は、はじまるね。宿題を、いつも、してこなくて、ごめんなさい。ほんとうは大好きな、理科、生物、染色体、いきもののしくみ、など。
学校を出た、せんせいは、ひとりのにんげんとなり、抑圧されていた、感情を、むきだしにする。車のクラクションが鳴り響く、混雑する高速道路で、ハンドルをぎゅっとにぎりしめながら、舌打ちをする。ネクタイをゆるめ、ワイシャツの釦をふたつ、あける。たばこを、吸う。いやな場面にぶちあたれば、最上級にいやな顔をし、得をする展開に直面すれば、いやらしく微笑む。
にんげんだ、と思う。
改まるようなことではないのに、せんせいは、ちゃんと、にんげんなのだ、と思う。
(いきてる)
夜の美術館で、球体のなかのものたちは、すこしだけ、しゃべるよ。主に、美術館を訪れたひとびとについて、あれこれ、好き放題、語らいあうのだけれど、きみは、あまり興味がないのか、ぼくに、美術館の外のことを、たずねてくる。学校はどうか、街の様子は、今夜は星がきれいか、さいきんたべて、おいしかったものは。
美術館のなかは、ほどよくつめたい。
ひとりひとつ用意された、球体は、赤や、青や、黄や、紫や、緑や、ピンクなど、さまざまな色に発光し、美術館の壁を、ぼんやりと染める。
きみは、ミントグリーン。
子どもたちの笑い声が、いつまでも、こだましている。いつまでも。
生命と球体