月冴ゆるとき、〜witchcraft stories

紬いと(ito.)

  1. 名もない日々.1
  2. 名もない日々.2
  3. 夕食の名残と斜陽
  4. ただ純粋に求めたもの
  5. 運命と月の燈

◯連載中の作品◯

ある日、こんな話を書いてみたいなと思った末の投稿です。色々と挑戦してみたいのかもしれません。まだ物語は始まったばかりですが、少しでも良い作品になるよう熱を持って書いていけたらと思います。どうぞよろしくお願いします。


※この作品はスローペースで更新します。
不定期ではありますが、隙間時間に見ていただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。
更新の際はTwitterなどsns等で報告します。
※随時、推敲しています

名もない日々.1


 何処まで行ってもきっと蒼い空。
 遥か彼方なんて想像もしたことがない。
 想像しなくても蒼い空は多分ずっと蒼い空だ。
 今が一番幸せな時間。
 この先も変わることのない事実。
 あの頃の俺はそう、思っていた。


 ✤


十六夜(いざよい)、また良ちゃんのところかい?」

「うん! そうだよ、じいちゃん。心配しなくても日が沈む前に帰って来るよ!」

「今日は往診だ。だから、また良ちゃんとこにお願いしとる。お前は危なっかしいからな……あまり変なことするんじゃないぞ! ほら、これ良ちゃんとこ持ってけ」

「あ、そっか! 往診の日か──て、またこれー?」

「またとは何だ! じいちゃんの作る薬草茶はここらでは有名でな、昔からそれはそれは──」

「あーわかった、わかった! その話いっつも長いんだもんな。またじいちゃん帰って来てから聞くって!」

「……まったく。気をつけて行ってこいな」

「おー! わかってるって。じいちゃんも歳なんだから無理すんなよ! んじゃ、行ってくるね」

「早いの……あの子も、もう10歳になるのか。元気だけが取り柄に育っておる。だが、それで良いのかもしれんな」



 俺のじいちゃんはとにかく話しが長かった。何かと昔の自慢話しをしたくては、遊びに行く前にはばかる。確かにじいちゃんはここらでは有名な薬師(くすし)で、よく往診に出掛けたり、数日帰らないこともあった。だから口煩く、お前もじいちゃんの後を継いで薬師になれ、なれ、なれと言われ続けていた。あまりなれなれと言われると、反抗もしたくなるものだろう。子供ながらにじいちゃんに小さな抵抗をしていた。薬師ではなく、別のことで有名になってみせると息巻いていた。
 けれど、じいちゃんの言っていた言葉の意味は、言葉そのものに意味はなかった。それこそ、別の意味でじいちゃんは俺に薬師になって欲しかったんだと、今となっては遅いがそう理解している。


 ✤


良也(りょうや)! 遊びに来た!」

「いっちゃん! 待ってて、今行く」

 俺と良也は幼馴染。家だってひとつ小川を挟んだ先にあるから、昔から家族ぐるみで仲が良い。それに、俺のじいちゃんが薬師なのもあって、昔から良也の家で怪我や病気をした時によく診てあげてたらしい。

「あら、おはよう十六夜。今日はずいぶんと朝早いじゃない?」

「あ、おはよう! おばさん。これじいちゃんから! 多分いつもの癒仙茶(ゆせんちゃ)だと思う」

「あらあら、まぁまぁ。いつも悪いわね、亥蔵(いぞう)さんはお元気? 今日も往診って言ってたわ。けど、お身体が心配ね」

「じいちゃんは、元気だけが取り柄だから大丈夫だよ! 俺に薬師になれなれうるさいの」

「そうねえ……それだけ、十六夜のことが大事なのよ」

「大事だから? おばさん、それってどういう意味?」

「十六夜、少しでも亥蔵さんのこと助けてあげなさいね。あなたもそのうち解る時がくるから。あと、今晩はうちに泊まっていきなさいね」

 そう言って、良也の母親は優しく微笑んでいた。俺は良也を外で待つ間、洗濯物を干しているおばさんと話してたけど、大事だから薬師になれなれ煩いなんてやっぱりよく解らなかった。
 見上げる良也の家は造りが丈夫な楠木で出来ていて、良い感じのセンスだ。一本の楠木をそのままに巨大化させ、内側に空洞を作り個々に部屋がある。二階建てのなんと素晴らしいこと。オンボロのうちとは大違いだ。この辺りでは楠木から家を建てることが多いらしいのだが、そのために良い感じのセンスが問われるのだと俺は思う。

「お待たせ! ごめん遅くなって。いっちゃん、どうしたの?」

「いやー。やっぱり良也の父親はセンスあるよなぁって思って」

「家のこと? ありがとう。父さんは見た目にこだわりすぎて、この形になるまで大変だったみたい」

「そうなのか! やっぱりルナ騎士団の団長のセンスは抜群だな」

「えっと──なんか照れるよ。でも、僕も父さんみたいになれたらなっては思うけど」

「良也ならなれるって! 格好良いよな、ソルシエ」

「いっちゃんもやっぱりソルシエになりたいの? 亥蔵じいちゃんみたく薬師じゃなくて」

「はぁ……またじいちゃんの話しね。薬師には多分、ならないよ。今どき古いしさ」

「薬師も立派な仕事だと思うけどね」

「じいちゃんが聞いたら泣いて喜ぶなー」


 そう言いながら俺達は良也の家から離れ、ブラブラと今日の目的地まで歩いていた。
 この世は魔法あってのもの。
 昔からそれが当たり前で、生活する上で身近な存在。
 最近になって気付き始めていたんだが、俺の家がちょっと変わっているのかもしれない。なんせ、じいちゃんが魔法を使わないからだ。この世界──いやこの国なのかは知らないが、ある歳になった時にある決まりごとの上で魔法を授かるらしい。必ずとされている。けれど、じいちゃんのように手に職のある者は魔法を使わなくとも良しとするらしく? 働いていけるのだという。
 このように物凄くあいまいだ。
 じいちゃんは俺が物心ついた頃から薬師のことは色々教えてくれるわりに、魔法についてはいっさい教えてくれない。だからなのか、立派な父を持つ良也が羨ましくてならない。
 そして、俺はどんな風になりたいのだろうか。そんなことを時々考えてしまう。

「今日はどんなことするの? いっちゃん」

「ここらで有名な、赤い鳥飼ってる家あるだろ? そのばあちゃんの手助け! その赤い鳥がいなくなったんだってさ」

「ああ! あの亥蔵じいちゃんの知り合いの? よく赤い鳥と一緒に薬貰いに来てたよね。あの鳥いなくなっちゃったんだ」

「んーそうらしいよ。たまたま、じいちゃんとこ来てた赤い鳥のばあちゃんに会ってさ、手助けする! って約束したんだ」

「それが僕達の仕事だもんね」

「そうそう! 張り切って手助けするぞ、良也隊員!」

「了解です! 隊長!」

 これは俺達の間で決めた遊びのひとつ。
 じいちゃんや良也の父親みたいにとはいかないけど、今からでも自分達に出来る範囲で人を助けられたらと考えていた。初めの理由としては、そうすることでじいちゃんよりも有名になれるかもしれないと思っていたからだ。つまり、薬師にならずに人を助ける別の方法を模索していた。
 そんな俺とコンビなのが良也だった。



 日影浦と呼ばれる場所まで歩き、赤い鳥のばあちゃんの家まであと少し。俺達の住む陽刻(ようこく)の杜よりはだいぶ田舎。陽刻の杜は、ルナ騎士団が治安を守り機能している。その中枢にある大切なものを守るために、陽刻の杜の住人ほとんどがソルシエもしくはウィッチと呼ばれる職に就いた魔法使いが住んでいる。職人枠も例外ではないらしい。それがうちの家。この間、良也の父親に聞いたばかりの話しだけど。日影浦に住んでいる人は魔法を使えても、生活する上で使用する程度というのが本当のとこらしい。

 ガサガサと険しい雑木林を進む。木々の隙間から差し込む太陽を直接見たせいで、目に残像が焼き付いてしまった。痛い。これをよく迷信で目眩しにかかる、なんて言って魔法のひとつだと言われていたりもする。

「あ。目眩しにあった──イテテテ」

「うそ! いっちゃんまた太陽を直接見たの?」

「うん……痛い。俺、太陽嫌いだ──むんん!?」

「い──いっちゃん! 罰当たりだよ。父さんの前で絶対にそんなこと言っちゃ駄目だからね! わかった!?」

 良也が慌てて俺の口を抑える。モゴモゴしても生温い手の温度がこもるだけ。
 うん、うん。と、必死で苦しさをアピールした。

「もう……本当にわかった? 僕、心臓飛び出すところだったよ。僕の前では良いけど、絶対に他の人の前で言っちゃ駄目! 特に父さんの前では絶対に絶対に駄目だからね!!」

「──むんんん! んんっんん!」

「あ……ごめん、ごめん! 手離すの忘れてたよ」

 ぷはぁ。苦しさから解放された。
 澄んだ空気を思いっきり吸い込む。そして疑問の負が浮かび上がる。

「……なぁ、最近になって不思議に思ってたんだけどさ。何で太陽のこと悪く言うの駄目なんだ?」

「シーッ、静かに! 誰か聞いてたらどうするの。太陽を悪く言うことは陽皇(ひこう)様に失礼だから! でしょ!」

 陽皇様ねぇ。俺はじっとりとした眼差しで良也を見た。

「その、陽皇様を悪く言うと何か問題でもあるんだっけ?」

「僕もまだ詳しく聞かされる歳じゃないから、あまりはっきりと言えないけど……その、父さんが言うに僕達は陽皇様の元で力を授かって魔法が使えるらしいんだ」

「その前に……陽皇様って人間なの?」

「そこからなの? ああ……でも、そうだよね。いっちゃんは魔法のことについて、何も教えてもらえないって言ってたよね。でも、何でなんだろう」

「さあね──じいちゃんは俺に薬師になってほしいからじゃないの?」

「けど、僕達も2年後に陽皇様の元に行くんだよ。そこで将来ソルシエになるのか、別の職になるのか決まるって、この間父さんが」

「そうなのか? 2年か──まだまだ先だな」

その一方で、さっきまでそこにあったはずのぼんやりとした雲の輪郭が、いつのまにか消えていた。


 ✤


 赤い鳥のばあちゃんが言った。
──やっぱりソルシエはすごいわね!



 俺と良也が手伝いに行ったけど、結局のところまだ魔法の使えない俺達は二度手間だったらしい。陽の浦の森を当てもなく探す俺達と、たった一回唱えるだけで、一瞬にして大切な存在を取り戻すことのできる魔法使い。どちらが必要とされるかなんて、大人にとっては一目瞭然なんだろう。
 何故だかとても、悔しかった。
 誰にも言えない本音を、そっと遠くを見るフリをしてしまい込む。


「残念だったけど、ソルシエには敵わないよね」

「ああ──まぁ、仕方ないよな」

 俺達の前で、燃え盛るような赤い羽を持つ鳥が鳴いている。
 夕暮れ時の狭間に浮かび上がるかのように。
 遠くの空で、ホウキに乗ったウィッチ達が夜の訪れを警告していた。魔法の使えない俺達にとっても、暗闇の中で家まで帰るのはとても危険だ。
 すると、ばあちゃんと話しが終わったのか、白いローブを着た若い男のソルシエが俺達に声をかけてきた。

「さあ、もう夜がやってくる。早く家に帰りなさい。遠いのであれば、家まで送っていきますよ」

「いいんですか? ありがとうございます! いっちゃん聞いた?」

 涼しい顔に礼儀の正しい姿勢。それに良也は眩しい顔で喜んでるし。

「ありがとうございます……けど、俺達は歩いて帰ります」

 モヤモヤしていた俺は咄嗟に答えてしまった。
 本当は良也と同じ気持ちのはずなのに。まずいな──空気が一気に冷え込む。
 暫くの沈黙の後、真上に指を向けながらソルシエは静かに続ける。

「夜は、危険だ。空を見てごらんなさい」

「「月……?」」

 2人の声が揃う。
 指先の方を見上げると白く光る月がすでに昇り始めていた。

名もない日々.2


「そう、月だよ。あの月が色を放つ前に家に帰るんだ」

 白いローブを着たソルシエは真剣な眼差しで俺達を見ている。何とも言えない気迫に、良也(りょうや)も俺も再び黙り込んでしまう。それから、先に口を開いたのは良也だった。

「えっと──すみません。お言葉に甘えてもいいですか?」

 引きつった笑みでこう話し始めた。隣にいる俺は我に返り、すぐに話しに加わる。

「つまり?」

「いっちゃんも素直に喜べばいいのに。つまりそういうこと、でしょ」

 小声で俺にそう告げる。

「……わかったよ」

 このまま子供の足掻きでソルシエに逆らっても、何も良いことはないのだ。
 つまり、そういうこと。
 その言葉を聞いて安心したのか、ソルシエの表情や言葉遣いも少し角が取れた気がした。

「さぁ、急ぐよ。2人は友達? 家は何処らへんになるのかな」

「僕達は家も近くで、幼馴染です。今日は陽刻の杜から来たんですけど、お願いできますか?」

「もちろんだよ。私は凪、君達の名前を聞いても良いかな」

「僕は良也です。で──こっちが」

十六夜(いざよい)……」

 俺達の名前を聞いたあと、凪という男は眉根を上げて少し驚いていた。

「良也? どこかで聞いた名前だな。もしかして──咲馬(さくま)さんの息子さん?」

「え……父さんのお知り合いの方ですか?」

「そうなのか! 知り合いも何も、私は咲馬さんに憧れてルナ騎士団に入団したんだよ! まさかここでご子息に会えるなんてね」

 先程とは打って変わり、とても嬉しそうな顔をしている。本当の顔はこっちなんだろうか。俺はそんな会話を聞きながら、再び空を見上げていた。さっきよりも確実に月が色見を帯びてきているのがわかる。それに気付いたのか、凪という男は一旦話を区切ることにしたらしい。

「おっと──つい私情を挟んでしまったね。話しはこれに乗りながら聞いても良いかな?」

「もちろんです! よろしくお願いします」

 良也が気前よくそう答えると、再び俺に小声でこう告げる。

「いっちゃん、凪さんて父さんの知り合いの人みたい。良い人そうでよかったね」

「うん──凪さん、良い人そうね」

「ちょっと……言葉と顔が合ってないよ」

「そんなことねぇよっと」

 良也を軽く小突いた。
 別に凪──さんに、悪気はない。
 多分この人は、良い人なんだろうし。
 そんで結局、俺達はソルシエである凪さんに家まで送り届けてもらうことになった。



 ソルシエやウィッチ達の移動手段は、ホウキひとつを取っても多種多様だった。凪さんに詳しく聞くと魔力や技術、知恵の優れた者によって自分に合った乗り物を生み出したり、浮遊することができるのだと言う。これ以上は規律違反になるとかで、詳しい話しを聞くことができなかったけど。

「急がないといけないな。それにこのホウキじゃ少し狭いね、形を変えようか」

「すごい! 間近で見られるの光栄です」

「確かに、滅多にないよな」

 俺もそれなりに高揚していた。何だかんだソルシエに憧れはあるのだ。
 俺達は固唾を飲んで凪さんを見つめる。
 凪さんはまず、身につけていた白い手袋を外した。俺も良也もどういうことか解らないままにその動作を見ていた。片方の手の甲に一瞬触れて何かを唱え始めると、凪さんのローブが白から黒へ。そして、眩ゆい光を纏いホウキがみるみる形を変え始めていく。

『これが──魔法……』

 思わず口をつく言葉。
 喉の奥がジンワリと熱くなる感覚。
 身近に魔法を使う人と言えば、良也の父親か母親だ。けれど、おじさんは騎士団の団長であるが故に滅多なことでは魔法を家族の前で使わないらしい。きっと、仕事では腕の立つ魔法を使うに違いない。その一方でおばさんは、家事の手助けとしてたまに使うくらいだと言っていたのを覚えている。部屋に明かりを灯したり、料理を作る際に火を起こしているのを見たことがあったな。だけどその時はどんな感じだったか、あまりよく思い出せないでいた。何故なら、目の前でその身近な「魔法」であったはずの常識が崩れてしまったからだ。
 ソルシエになるということは、こういうことだと無言で突きつけられている気持ちになった。

「よし、これでいこう。後ろに乗って」

「はい! 凪さんって凄いんですね」

「良也くんに言われると、何だか咲馬さんにドヤされそうだよ──ははは」

「目の前でソルシエの魔法を見られるなんて、光栄です!」

 良也はすっかり興奮した様子で、凪さんに詰め寄っていた。困ったように笑うソルシエをこんなにも格好良いと思うのは、この先またとないかもしれない。そんな風に思うほど、俺もまた完全に高揚していた。


 ✤


 体が宙を舞う。とは違うけれど、空を舞っている。
 そう、生まれて初めて空を飛んでいる。



「乗り心地はどうかな、平気? 空を飛ぶのは初めてなんだってね」

「乗り心地は最高です! 僕、父さんともないです──夢みたいです」

 隣に座る良也は感動していて、瞳が潤んでいた。俺もさっきから鼓動がドキドキしていて、夢を見てる感覚だ。
 何と言っても、凪さんの魔法でホウキが大きなひとつの生き物になっているのが信じられない。こういうのもセンス……なんだろう。格好良いな。

「君はどうかな、えっと……十六夜くんだったよね。さっきから口数が少ないけど平気?」

「え!? えっと、くんいらない、です……」

「ははは! わかったよ。なかなか面白いな、十六夜は」

「いっちゃんは昔から不器用なんですよ」

「おい! 余計なこと言うなよ」

「2人は本当の兄弟みたいだね」

 そう言うと、凪さんは笑いながら前を向く。少し急ぎながら飛んでいるせいか、フードを片手で抑えながら飛んでいた。

「あの、凪さん。この形って……鳥?」

「うん、そうだよ。風見鶏っていう魔法なんだ。羽根の方の乗り心地は良いかな」

「凄く、良いよ。風見鶏? 風見鶏っていう魔法なの──か」

「いっちゃん、なんか失礼じゃない? その聞き方」

「いいよ、いいよ。子供に気を遣わせるなんて好きじゃない。好きなように喋りな! 私も面向きは装ってるけど、本来はそういうの苦手なんだよ。それと、十六夜の質問の答えだけどその通りかな。風見鶏は移動手段によく使われるんだ。速さも出るし、ウィッチやソルシエにとって万が一の為にも、覚えときたい魔法だね」
 万が一の為にか。それってどんな時なんだろう。

「……あれ、いまのって規律違反じゃないの?」

「まぁ、そうなんだけどさ。今回は特別に無礼講ということで、咲馬さんにも秘密だよ」

「はぁ……」

「もちろんですよ! 凪さん」



 それから家路に着くまでの間、俺達は他愛もない話しをしていたと思う。ソルシエと話しをしている時点で驚きものなのだが、夜が更けたせいなのか、空を飛んでいるせいなのか、今夜は夢心地が良過ぎて眠れないだろうと、俺も良也も同じことを思っていたに違いない。それに、凪さんは案外子供っぽいところもある人だった。顔が綺麗に整っているから初めは女の人にも見えたけど、笑い方は歯を見せて思いきり笑うし、魔法使いとして本当に楽しそうに生きているように見えた。その分、この人が真剣な顔をすると気迫が増していたのだろう。でも、そのことが妙に嬉しかったのを今でも覚えている。ぼんやりとしていたはずの月が色濃く差し掛かるように、ソルシエへの興味もこの時、強く芽生え始めていたのだ。



 とても懐かしく暖かい記憶であって、それだけ無垢でいられた子供の証。
 この証は誰にも消すことはできないはずだ。 
 自分だけのもののはずだ。
 大切なもののはず、だったんだ。


 ✤


 楠のてっぺんが見えてきた。
 良也のセンスの良い家がお目見えだ。
 ついに陽刻の杜まで俺達は到着。凪さんの操る風見鶏は目的地を捉えると、静かに羽を小さくしながら地面へと降りていく。俺達を降ろすと、再び光を纏いながらただのホウキに戻っていった。そんなことにさえ、いちいち感激してしまう。けれど、ドアの前に良也の父親と母親が心配そうな顔で立っているのを目にし、気持ちは醒めていった。

「──はい、到着したよ。2人ともご苦労様」

「凪さん、送っていただいてありがとうございました!」

 良也は真っ先にお礼を言いに側へ寄っている。俺もその後ろから声をかけた。

「ありがとう、凪さん」

「お粗末さまでした」

 凪さんはそう言いながら、例の涼しい澄まし顔で丁寧に会釈をしている。
 その後で軽くウィンクも添えて。
 そして、姿勢良くある方向へ歩いていく。

「こんばんは。咲馬さん、奥さん」

「お前がなんで良也達と一緒に?」

 驚いた顔で俺達を交互に見やっていた。隣に立っている良也もまた、何とも言えない表情で苦笑いしている。ここは察するに、夢の世界から現実へ引き戻された可哀想な子猫のように、頭を丸めて小さくなるしかない、そう考えることにした。

夕食の名残と斜陽

「2人が勇敢にも我々の仕事を手伝って下さったからですよ、咲馬さん」

「どういうことなんだ、凪。ちゃんと説明してくれないか」

 どうやら凪さんは俺達を庇ってくれているようだ。なんせおじさんの表情が険しく、今にも落雷が起こりそうな空気のひりつきだから、何とも言えない。
 俺と良也はただ黙って凪さんさんの後ろで小さくなっていた。
 さっきまでの夢の時間は完全に醒めてしまったようだ。

「若気の至り──じゃ駄目ですか? 子供なんですし。ですからご心配されているような問題はないかと」

 凪さんは更に続ける。しかし、その矛先はこちらへ向かう。

「良也! 十六夜! 早くこっちへ来なさい」

「と、父さん! 僕達はただ……」

 良也が泣きそうになりながら声を絞り出している。
 胸の奥がチクリと痛んだ。元はと言えば俺のせいでもあるからだ。

「おじさん! 俺が悪いんです。俺がソルシエに対抗して、人助けしたいって。この時間まで──そういうことして、ました……」

 おじさんとおばさんが黙ってこちらを見ている。知らないうちに体に力が入っていたのか、爪が掌に食い込んでいく。少しの沈黙と良也の俯いたままの横顔が更に緊張感をつのらせた。
 けれど、そこで口火を切ったのは意外な人物だった。


「そう……偉いこと考えるのね、2人とも。人を助けたいと「思う」だけなら誰にでも出来るわ。でもね、それを実際にしようとする人はなかなかいないはずよ。立派なことだわ! ねぇ、そう思わない? あなた」

 優しい声が空気を変えていく。
 おばさんは俺と良也を暖かい瞳で見つめている。良也もようやく顔を上げることが出来たみたいだ。

「お前はまた、そうやって甘やかして」

「あら、偉大なルナ騎士団の団長さんは子供達の立派な行いを無下にするのかしら」

「……はぁ。分かったよ、全く」

「凪さんだって、子供達を庇ってくれてたのよ。その上送っても下さったのに、無視できないわ」

 その言葉を聞いて、凪さんも肩の力が抜けたのか微笑んでいる。おじさんは叱る理由を無くし、溜息をつきながら頭を掻いていた。俺と良也も見合わせてホッとしている。
 今回ばかりはおばさんの勝ちだ。ここにいる誰よりも、優しい魔法を使うことに長けているからだ。
 ありがとう、おばさん。
 心の中でそう呟いた。


 ✤


 オレンジ色のランプが部屋に灯ると、天井から全体をあたたかく包み込む。この空間は本当に離れがたくなるような、そんな気持ちにさせるからいつも不思議に思うんだよな。テーブルを囲んで夕食の準備が始まると、俺達を叱る理由を忘れたおじさんも今はもう優しい父親の顔に戻っていた。
 基本的に仕事の時以外は優しい。それは良也もよく解ってるんじゃないかな。
 皿を一枚二枚、と並べる横で良也はおばさんの作ってくれた特製シチューを運ぶのを手伝っている。とても美味しそうな匂いが食欲をそそる。



「さぁ、冷めないうちに食べて」

「お腹空いたー! いただきます」

 良也の声に続き、俺も「いただきます」と続く。おじさんは片手に葡萄酒を持ち、美味しそうに呑んでいる。お酒が好きだと言うのをじーちゃんから聞いたことがあったから、俺も早く呑んでみたいものだとその姿を見て考えてしまう。そういえば凪さんは、まだ見廻りの仕事があるとかで、俺達の元を後にした。帰り際に耳元で「友人を守ろうとする君はとても格好良かったよ。けど、あまり無茶な遊びはしないこと。いいかい? 約束だよ。じゃないと僕が咲馬さんに叱られちゃうもの! 頼んだよ」と、軽くウィンクしながら再び空へと飛んでいってしまった。凪さんは憎めない人だなぁと思う。
 シチューの味が口に広がり幸せな気持ちになっている頃、他愛もない話しは思わぬ方向へと向かっていた。



「それで、2人はいつも今日みたいなことをして遊んでるのか?」

 良也がこっちをチラリと見て、目で話しかけくる。どうする? 話しても良いの? ってね。どうせバレたんだから仕方ないんじゃないって顔で首を少し傾けた。隣に座る良也も苦笑い。けれど、何を決意したのかへの字口で鼻息荒く息を吐き出した。
 ほんと、どうしたんだ。

「父さん! 聞いて欲しいんだ!!」

 静まり返る食卓。俺は構わず、静かにシチューを食べる。

「ど、どうした……? 良也がそんな大声出すなんて珍しいな」

「僕はね、父さん。感動したんだよ」

「感動? 待て待て、話しがズレてきてるぞ良也」

「あなた、話しを聞いてみましょうよ」

 俺はおじさんと同意見だけど、おばさんの言葉にも同意する。まぁ多分、話しを逸らそうとする作戦だろうけどね。何となくそれだけはすぐに解った。

「凪さんだよ! 凪さん!」

「凪がどうしたんだ」

「僕、今日初めて目の前で本物の魔法を見たんだ! 初めて空も飛んだんだ……すごく、感動したんだよ。それにね、凪さんは父さんに憧れて、ルナ騎士団に入ったって言ってたよ」

「ふんッ……また凪の奴ホラ吹いてるな」

 と、言いつつもおじさんは腕組みをしながら口元をニヤリとさせている。
 悪い気がしないのか嬉しそうだった。

「だから、僕も思ったんだ! 凪さんみたいになりたいって」

 良也の瞳がキラキラしている。きっと、この気持ちに嘘はないんだろうと思う。

「そうか、そうか。じゃあ、良也はソルシエになるってことだな?」

「えっと──うん、なる。僕はソルシエになるって今、ここで決めた! 騎士団にも入りたい」

「あら、そんな大事なこと簡単に決めて良いのかしら」

「本人が決めたことだ。ただし、騎士団に入るならそれ相応の覚悟が必要だぞ」

シチューをたらふく食べ終わった頃、良也がこちらを見ていた。

「いっちゃんは? どう思う?」

「どう思うって言われてもな……」

「僕は本気だよ! いっちゃんも本当は同じ気持ちなんじゃないの?」

「俺は……」

 解らない。けれど、本当は俺もなりたいのかもしれない。凪さんの魔法を見た時の何とも言えない、心が満たされる感覚がまだ残ってる。
 そんな俺を見かねたのか良也が溜息をつくと、素直じゃないなって小突かれた。その通りかもな。


 ✤


 食卓が片付くと、再びおじさんが俺達に話しかけてきた。片手に持つ葡萄酒は離さないままだけど。

「2人とも、ちょっとこっちへ来なさい」

「何? 父さん。まさかお酒の相手とか言わないでよね」

「そうじゃない。少し話しがある」

「説教は嫌だよ」

「説教する気はもう無くなったよ。それより、さっきの話しの続きがある」

 俺は良也と顔を見合わせた。驚いている。だって、こんなこと言うおじさんは初めてだからだ。言われるがままにリビング横にあるソファに2人で腰掛けた。

「珍しいね、父さんがソルシエや騎士団の話しをするなんて」

「あの、凪さんが言ってましたよ? 詳しい話しは規律違反になるって」
するとおじさんは葡萄酒の入った盃を見つめながら口を開いた。

「規律違反か……けどな、お前たちは俺の宝だ。だからこそ、この先のことを少しでも教えておきたい。──本当は必要なことなんだ」

「もしかして、僕がソルシエになるって言ったから?」

「それもあるな」

 少しの沈黙と葡萄酒の香りが漂う中、話しは始まっていく。


 ✤



 あの日聞いた話しは、騎士団や協定についての話しだった。本来ならまだその話については触れてはいけない歳なだけに、おじさんの声は低く落ち着いた声だった。酔いも回ってるだろうに、いや……その酔いに任せて大切なことを伝えようとしてくれていたんだろう。今でも葡萄酒の香りを嗅ぐと蘇ってくる。子供にとっては苦くて切ない、定めの話し。だけど俺は、子供なりに深く話しを聞いていたはずだ。始めは尚のこと騎士団やソルシエに興味あり、と言った好奇心からのもの。
 あの頃の俺は何を選択すべきだったんだろうか。



「騎士団はな、俺の誇りなんだ。大切な家族を守るためにな……たとえ、友を救えなかったとしても。俺はお前を──」

話しが途切れてしまった。おじさんは急に言葉を詰まらせて、歯を食いしばっている。おまけに目も赤い。

「父さん、大丈夫?」

「あ、ああ……すまない。ちょっと昔のことを思い出してな」

 ふぅっと息を吐き、続ける。

 ルナ騎士団は、ルナ協定を元に陽皇の直属に当たる。……か、協定と言われてもサッパリだなと俺は考えていた。

「あの、どうして陽皇の元で神託を?」

「様──でしょ! いっちゃん」

「……様の元で神託を受けないと魔法を使えないんですか」

 俺にとっては単純な疑問だった。

「全く──亥蔵さんは本当に、何も教えてないんだな」

 おじさんは少しだけどこか遠くを見るような、寂しげな目で笑っている。

「いずれ知ることにはなるんだが、俺達ソルシエは太陽主の力で魔法が使える。その太陽主創造の師が陽皇様なんだ。お前達もあと2年で神託を受ける」

「楽しみだな! 早くその年にならないかな〜」

 横で陽気に足をバタつかせている良也。一方の俺は、心臓をドクドクとさせていた。変な気持ちだ。言葉には出来ない。無意識に見えないように身に着けている首飾りの御守りを握りしめていた。

「ひとつ条件はつくけどな」

「条件?」「条件って何ですか?」

「月には会えないってことだ」

 月には会えない?
 けれど、少し思い当たる気もしていた。夜が近づくと、やたら早く家に戻るように言われてきたからだ。けれどそれらは、野生の動物との遭遇や迷子になる可能性もあるからということだけだと思っていた。そもそも、ソルシエやウィッチ以外の大人が夜道を出歩いているのを見たこともなかった。

「会えないって、どういう意味ですか」

「そのままの意味だ。魔法を授かった者は皆、月の下に出てはいけないんだ」
良也と俺は不思議そうな顔で見合った。

「でも父さんや凪さん達はいいの?」

「ソルシエやウィッチ達は特別だ。特殊なローブを身に付けているだろ? そのおかげで見回りが出来る」

 確かに、凪さんが身に付けていたローブは魔法を使うと同時に白から黒へ色が変化した。そのことを言っているんだろうか。

「少し……喋り過ぎたか。ただ、ひとつ覚えていて欲しい。月の光を直接見ていられるのも、今だけだということ。今日みたいなことは、出来なくなるってことを知っていて欲しかったんだよ」

「変、なの……」「うん……」

「変か……ああ、そうだな。変だよな。寂しいことなのかもな、本来なら。けどな、太陽主の力を授かるからには、決まりを守らなければならない。今はまだ全部を理解できないだろうが、いずれかはお前達も身をもって知る。大切なものを護るために必要な理なんだということを」



 それからおじさんは呑みすぎたからと言って、話しを切り上げた。つまり、伝えたかったことは最後の話しに詰まっていたんだろう。良也は決まりなら仕方ないよねって言いながら、今のうちに月を眺めておこうなんて言って窓際に俺を引っ張っていく。

 小さな丸い窓から見える月はいつものように光を放っていた。おじさんの話しは少し難しくて、全部を理解するのは無理だった。けれど、仕方のないことなのだと線を引くように理解できた。魔法を授かるために必要な条件。俺達は同じことを考えていたんじゃないかな。

 でも俺は、違う想いも浮かんでしまっていたんだ。純粋にただ、感じていた。
 真っ直ぐに空を見つめながら。


「こんなに綺麗なのに、何で……」

 隣にいる良也には聞こえたか知らないが、確かにそう口にする自分がいた。

ただ純粋に求めたもの

 いつから身に付けていたんだっけ? そんな風なことを考えながら、首にぶら下げている御守りを転がしていた。
 そうそう、じいちゃんは家を空けてから2日後に帰って来た。いつものように沢山の荷物と土産話も一緒に。



「西の方は駄目だな、ありゃ人手不足なんてもんじゃないぞ。まともな医者もおらん。まったく、昔と今じゃ力を入れとるもんが違う……」

 帰って早々にじいちゃんの愚痴が止まらないようだ。今回の往診は酷いものだったらしい。最近じゃ薬師の後継者も減っていて、何でも魔法に頼った治療が主流になっているとか。便利で良いじゃないかと俺は思うけど、じいちゃんにとっては面白くないのかもしれない。

「じいちゃんもさ、治療法見直せば良いんじゃないの?薬師じゃなくてさ」

「馬鹿者! よくもそんな口聞けたな十六夜! じいちゃんは悲しいぞ。人はな、本来扱える力量が決まっとる。手に余る行為はいつか自分達に返ってくるもの、それを忘れちゃいかん──」

「わかった、わかったよ。でも、じいちゃんだって本当は魔法使えるんでしょ?」
 
 そういえば、面と向かって聞いたことがなかったな。そもそも、話題になることもなかったから。じいちゃんは何故か眉間に皺を集め難しい顔になった。

「魔法か……誰かに何か聞いたのか」

「えっと、ソルシエと色々あって。それからおじさんに少し話し聞かされたかな」

 別におかしなことじゃない。

 普通のことだ。

咲馬(さくま)か……余計なこと吹き込みおって」

「余計なことって何だよ! だいたい、じいちゃんは俺に何にも教えてくれないじゃんか」

 そう、じいちゃんは何も──何も教えてくれないんだ。本当に聞きたいことだってある、それにこの御守りのこともだ。物心ついた頃に俺に渡してきた御守りは、何かの爪で出来ていて、大切にしなさいとだけ伝えられた俺は子供だったわけだし、カッコ良さに惹かれただけで、特別な思いはなかった。でもある日、これはじいちゃんがくれたものではないということだけ伝えられた。それに、人前では見せない方が良いと言われたものだから、良也にだって教えたことはない。大きくなったら教えるって言われてから何年経ったことやら。じいちゃんを一瞥し、深い溜め息を零した。

「なんじゃ、人の顔見て溜め息つきおって」

「もう魔法のことはいいとしてさ、この御守りのこと教えてよ」

 せめてそれくらいはして欲しい。常に空っぽのまま過ごすなんて、もうまっぴらだった。幼心に感じていたこの気持ち──じいちゃんは、俺に何を隠しているんだ。今度ばかりは真剣だった。絶対に話してくれるまで目をそらす気なんてないし、動かないつもりだ。さすがに頑固なじいちゃんも俺の気迫に参ったのか、おじさんから貰ってきた葡萄酒を呑みながらポツリポツリと話し始めてくれた。

十六夜(いざよい)、お前いくつになった」

「また忘れたの? 10歳だよ。もう立派な大人さ」

 ゴツンと頭を殴られた。

「馬鹿言え! なーにが大人だ! ガキが生意気言うでない」

「──ちぇッ。酔っ払いジジイのくせに」

「何か言ったか! お前は本当に生意気に育ったもんだ……それだけ、元気な証拠じゃがな」

 今度は頭をガシガシと撫でられた。少し酔ってるのかもしれない。じいちゃんも歳だし、酒に弱くなったんだろう。
 細く日に焼けた皺の多いその手から伝わってくるもの、それはじいちゃんの苦悩と栄光だ。この難しい言葉は本人から聞いた言葉である。人の世の戦いは日々生きる上で続いていると、そしてその戦いは相手がいるものではなく、己自身との戦いであると。つまり、自分が生きていく上でどれだけの努力と喜びを手にし、人を慈しむことができるかであると──教えられてきた。実際、じいちゃんは沢山の人の命を助けている。そして、預かっているんだ。俺だってそんなことくらい、じいちゃんの側にいたら解るよ。生意気言うけどさ、偉大な存在であることは認めてるんだよ。


「その御守りはな、十六夜──お前の父親の形見なんじゃ……」

「え──今何て言ったの、じいちゃん」
 俺の、父さんの形見?
 分かっていたことだった。自分の産みの親はもう、この世にはいないという事実。両親の顔すら覚えていないということ。

「十六夜、よく聴け。今よりまだ若い頃にな、師匠の元に行っていた時期があってな……その道中、赤子を連れたある若い母親に会ったんじゃ。それが、お前の母親だった。どういう経緯かは解らないが、全身がボロボロで手当の施しをしようとしたんだが、とにかく「この子だけ連れて行って下さい」とだけ懇願されてな。初めは断った。人の命をそう簡単に引き受けることはできない、そう思ったからじゃ。でもな、ワシは何の為に薬師になったのか、それは一人でも多くの命を守る為だと。ろくに話しもする時間はなかったが、お前を連れて行くことにした」

 頭の中が真っ白になる。
 突然に知らされた母親のこと……動揺を隠せなかった。

「……その時、身包みの中にその御守りが入っていたんじゃ。お前の母親はこの子を守ってくれる御守りだと、父親の形見だと言っていた」

「そう、なんだ。その時にはもう、父さんは一緒じゃなかったんだね……」 

 じいちゃんは俺の肩を引き寄せ、背中をさすってくれた。何て言ったら良いのか解らなかった。お酒の甘い香りがして、声を我慢することもなく、ただ泣くことしか出来なかった。

 その後のことは、あまりよく覚えていない。泣き疲れて眠ったのかもしれないし、何か話したのかもしれない。一つ変化したことと言えば、薬師の仕事も進んで勉強するようになったことだろうか。反抗していた気持ちも無くなり、素直にじいちゃんの仕事や自分の両親を信じて俺のことを引き受けてくれた気持ちに、報いたいからだ。それと同時に、ソルシエに対する憧れの気持ちも捨て切れずにいた。
俺も強くなりたい──誰かを守るために。その一心だけだった。


 ✤


 あれから2年、刻一刻と神託の日が近付いていた。ソルシエになるかならないかは置いといても、太陽主の力を授かることの意味は、今の俺には嫌でも解る。この2年間はじいちゃんの仕事を手伝いながら、自分の気持ちに向き合ってきた。
だから俺は──。

「やるぞ! やってやる! うぉぉぉぉ」

「コラァ! うるっさいぞ、十六夜! 患者さんの薬を調合しながら何を叫んどる!」

「……ごめん。でもさ、俺もついに神託を受ける歳になったんだよ! じいちゃん」

「そうじゃな、だからどうした。手を動かせ手を」

「ちぇッ──相変わらずだな、じいちゃん」

「お前は薬師になるんだ、魔法よりも技術を学べ! 手を動かせ!」


 だから耳にタコだって。相変わらずなじいちゃんの元で俺は今か今かとその日を待ち望んでいた。その名前すら知らずにいた俺が、良也と一緒にいつしか同じ目標を掲げるようになるとは思いもしなかった。 あの頃はまだ迷いがあったからだ。
 俺は、ソルシエになると決めた。

「いっちゃん、それで話しはできたの?」

「それがさ、全然できてない」

「ええ!? どうするのさ、明後日なんだよ」

「分かってるよ。ちゃんと俺の口から話す……じいちゃんを説得してみせる!」

「頑張ってね、いっちゃん! 2人でソルシエになって活躍するって決めたんだから」

「ああ、そうだよな。その為なら、ゲンコツなど怖くない!」

 明後日というのは、神託の日を指している。じいちゃんに、ちゃんと俺の気持ちを理解してもらおうと良也の前で息巻いていたのだ。そこへ良也の父親が仕事を終えて帰宅した。

「十六夜、来てたか。亥蔵(いぞう)さんは元気か?」

「こんばんは、おじさん。じいちゃんなら毎日、毎日、俺に薬師の仕事教えるのに大忙しだよ」

「なんだ、それは心配いらないな──はははッ! ところで、亥蔵さんには明後日のこと何て伝えるつもりなんだ」

「今思ってることそのまま伝えるつもりだよ!」

「そうか、なら良也と一緒に頑張れ! 応援してるからな。それとな、亥蔵さんも魔法が使えないんじゃなくて使わないだけなんだ。頑固ではあるけど、あの人なりの自分で決めた流儀、志なんだと思うよ」
 そう言っておじさんは背中を押してくれた。


 ✤


 神託の日の前日は、家族の中でその年齢の者がいる場合、親は仕事を休み次の日に備えることになっている。もちろん我が家もそうだ。それに今日、自分のことを話さなければタイミングを見失ってしまうのではと心配だった。ちゃんと話そう、自分の決めたこと。


「じいちゃん、俺さ……薬師の仕事覚えるよ」

「当たり前だ! その為に仕事手伝わせてるんじゃ」

「だけど俺、決めたことがあるんだ。薬師の仕事も覚えるけど、ソルシエにもなりたいんだ!」

 小さな丸いテーブルの前で、初めて肩に力の入った正座をしている。返答はない。黙々と患者さんの薬を調合していた。いくら家にいながらの仕事だからって、こんな時くらい面と向かって話しを聞いてくれても良いのに。

「また咲馬にそそのかされたか」

「おじさんは関係ない! 自分で決めたことだ。じいちゃんはソルシエのこととか、神託の日のことだって少しも教えてくれなかった。確かに教えちゃいけないって決まりはあるみたいだけどさ……けど、じいちゃんだって本当は魔法使えるんだろ。この歳になれば授かるのが通る道なんだろ? 陽皇(ひこう)様に俺は伝えるよ。必ずソルシエになるって!」

「……もう勝手にせい!」

「俺は、俺の流儀と志でソルシエになる」



 結局、じいちゃんには納得してもらえなかった。気持ちの晴れないまま、この日の俺は眠りについた。明日、じいちゃんはちゃんと付いて来てくれるだろうか。それだけが不安で仕方なかった。


 ✤


 次の日の朝、窓を開けると清々しい天気が広がっていて、陽刻(ようこく)の杜の新鮮な空気と鳥の鳴き声が心地良い。部屋のドアを開け、居間に行くとじいちゃんはもう起きていた。気まづい空気の中「おはよう」と小さく声をかけると、「おう、起きたか」と短い返事が返ってくる。

「じいちゃん……あのさ」

「準備したのか? 今の陽皇様は気難しいお方だと聞く、身支度はちゃんとするんだぞ。それと、これを渡しておく」

 手渡されたのは一枚の用紙。
 神託を受ける際に提出するもので、事前にどういった方向へ子供は進みたいのかを記入する申請書というものらしい。これには親、もしくはそれに値する大人のサインが必要であり、前日までに用意しておかなければならないものだった。昨日は一切そんなことなど触れなかったのに、じいちゃんは初めから用意してくれていたのかと思うと、胸が一杯になった。
そしてそこには、本で読んだことのある字が書かれていた──ソルシエを希望すると。

「……ありがとう、じいちゃん」

「止めても聞かんからな。お前の中では既に、己が決めた流儀と志があるのだと知って、自分の若い頃を思い出しただけじゃ」

 薬を調合する手を動かしながら、じいちゃんは話してくれた。こうして俺は神託の日を迎えることとなった。


 ✤


『──太陽主、陽皇様の元にて神託の日となった若き者達よ、よくぞ来てくれた。その刻まで、この門を抜けた先にいるウィッチらの指示を受け、待つように』
 
 沢山の人が陽刻の杜の中枢に集まっていた。高くそびえ立つお社の周りにはソルシエやウィッチ達が巡回している。この場所は良也のおじさんの管轄下にあるから、一緒に連れて来てもらった。

「ついにこの日が来たな。ほら、2人共しっかりな!」

「うん! これで僕も魔法が使えるんだね」

 良也とおじさんは楽しそうに話していた。一方で俺とじいちゃんは、会話こそあまりないけど、認めてもらえたことが嬉しかっただけに黙って目の前の門を見つめていた。

「十六夜、失礼のないようにな」

「はいはい! ここから先は俺達しか入れないみたいだから、終わった後に呼ばれるまでおじさんと待っててな」

「分かっとる。しかし本当に、この日が来たんじゃな」

「何言ってんのさ、じいちゃんも昔、来た場所でしょ」

「そうじゃな」
 
 染み染みと塔を見上げる目には、昔の面影が写っているんだろうか。その横顔を見て、そんなことを思う。

「いっちゃん、そろそろ行かないと!」

「ああ、行こう」


 俺達は一緒に朱色の門を潜り抜け中へと入った。その門は鳥居と呼ばれる物らしく、初めて見るその仰々しいまでの色味に心奪われ、そして身の引き締まるような感覚が身体中を締め付けていたのを覚えている。


『これより神託の儀を行う。呼ばれた者から順に、この扉の向こう側におられる陽皇様の元で、新たなる力を授かるであろう。さぁ、行け! 気高きその魂を捧げ、無二の力を呼び覚ますのだ──』

 ウィッチから放たれた脅しにも似たその言葉は、ここにいる若干12歳の子供達の心に強く響いたに違いない。いや、響かざる終えないというべきか。意味を理解しなくとも、言葉が言霊になるのと同じように人の心に強く入ってきてしまう。

「いっちゃん……僕達も魔法が使えるようになるんだね!」

「ああ……! そうだな」

「父さんや凪さんは、こんなに立派な仕事を任されているんだ。お社の護衛もそうだし、僕も早く大人になって陽皇様をお守りする立派なソルシエになりたいよ」

 良也はあの夕食の晩に見せた強く輝かしい目でそう言い、ウィッチを見上げていた。周囲を見渡すとみな同じような顔付きになっている。この日を待ちわびていたのは、俺達だけではなかったということ、そうに違いない。
 一人一人、仕切られた扉の向こう側へと消えていく。俺と良也も緊張の中で、その刻をひたすらに待っていた。そしてついに、良也の名前が先に呼ばれた。

「先に行って来るよ、いっちゃん!」

「うん、また後でな」

「くれぐれも、失礼な態度にならないよーにね。ここからが僕達の始まりなんだ」

「はいはい! 分かってるよ。もういーから、早く行って来いよ」

 良也は頭も良いし、魔法の質? とかもあるのか解らないけど上手く使いこなせそうだなと、何となく思ったりもした。
 きっと問題は無いさ、それより問題は俺の方かな。さっきから落ち着かないし、とっとと魔法を授かって、この場所から早く離れたいとさえ思っていた。絶対にそんなこと周りには言えないけどな。苦手なんだよ、こういういう――いかにも──な場所がさ。
 しばらくして、鳥居の内側にいる人数も減ってきた頃ウィッチにより「次の者の名前を読み上げる──陽刻の杜から来た、十六夜! さぁ、中へ入りなさい」と声がかかることになった。「はい」と短く返事をした俺は、扉の前に行くまでの間ゆっくりと息を吐く。そして、吸い込んだ空気と一緒に心の中で一人、気合いを入れていた。

運命と月の燈

 扉の向こう側に足を踏み入れる。ここから先は、失敗の赦されない場所……。

 ウィッチの後ろに無心でついて行く。正面のお社からは想像もつかない、暗闇の中で微かに灯る焔が道標となっていた。変わらず無言のままに進んで行く。いったいこの空間はどうなっているんだろうか──必死に抑え込んでいたイタズラ心が騒ぐ。ウィッチの目を盗み、いや元々こっちを見る気などさらさらない風だ。よし、いける。そーっとその焔に手を近付けてみた。すると、瞬く間にその焔は強く燃え盛り、俺の手に燃え移ってしまった。
まだ触ってもないのに、まるで生きてるみたいに自分の手に燃え移ってきたのだ。

「た、助けて……! 燃えてる!」
 必死に利き手を振る。当たり前だけど、どんどんその焔は服に広がっていくばかり。ようやくの騒がしさに気付いたのか、やたら背の高いウィッチがギロッと睨みながらこちらに振り向いた。
「なにを、している」

「た、助けて! このままじゃ火傷どころじゃなくなる、死んじゃうって!」

 再びギロッと睨み付け、舌打ちをされた。

「お前、何をしに此処へ来たと思っている。お前のような餓鬼は初めてだ。面倒をかけさせるな! 腕をこっちに出せ!」

「は、はい」
 
 言われるがままに燃え盛る腕を差し出した。すると、暗闇の中で何かの線が赤く光り始める。その線は円を描き、燃え盛る焔の腕を瞬間的に強く掴んだ。痛みが走り、腕が折れてしまうのではと思うほどに痛かった。我慢顔でその光景を黙って見守るしかない。
「可笑しな顔だな! お前が悪い、少し我慢しろ」一言だけ付け加え、ウィッチの表情が不気味な笑みに変わる。更に力が込められた瞬間に思わず声が出てしまいそうだったけど、途端に捕まれていた腕がパッと離された。腕がジンジンと痛み、心臓までも痛い。ゆっくりと目を開けると、もう少しで体まで燃えそうだったさっきまでの焔は消えていた。

「あれ? 消えてる。それに腕も火傷してない! なぁ、この焔も魔法の一種なのか」
 頭の上から金槌が落ちてきた。いや、ようなゲンコツが振り下ろされようとしている。

「先に言うことがあるだろうが! とんだ餓鬼が来たもんだ。お前、何しに此処へ来たのか言ってみろ」
 当たり前だが激怒している。

「す、すみませんでした。助けていただき、ありがとうございます……」

「で、」

「こ、此処には神託を受けに来──ました」

「そーだ、よーく解ってるじゃないか。時間がないんだ、黙って付いて来い! 余計なことはするな!いーな?」

「しない──から、さっきの焔のことは教えてくれよ」この餓鬼、何を言ってるんだと言う様な顔をしている。だけど、こんな機会はないんだ。どうしても訊いてみたかった。

「……肝の座った餓鬼だな。まぁ良い、教えてやる。そうだ、あれは太陽主の力を利用した魔法。私の歩く速度と同じ間隔で灯っているだろう? 私ほどの術の技術を得れば、手をかざさなくとも容易い」

「念じればできるのか? だから俺の体に燃え移っても、魔法であって本物ではない何かの物質に変化した。だから今考えると熱くなかったんだな……あれは幻覚みたいなものか?」

 暫く黙り込むウィッチ。ピタリと足音は止む。再び舌打ちをすると、俺の頭を掴んできた。

「餓鬼……遊びに来てるのかお前は。とっとと神託を受けて来い、此処が神儀の間だ。もう、着いているぞ」
 そう言われ辺りを見回すと、広い空間の中に天窓から差し込む光が見えた。そこには確かに、誰かが居るとだけは解る。そのまま背中を押されたものだから、つんのめってしまった。靴の音だけがやけに響き、此処は酷く冷たい空間だと感じた。
 すると、奥の方から俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。重みのある低い声が特徴的だった。

『次の者、来ているのだろう。早くこちらへ来なさい──十六夜』

「は、はい……!」

 走れば良いのか分からず、とりあえず真っ直ぐにその人物から目を離すまいと、足早に向かう。少しずつ近付く距離に心臓がドキドキとしていた。
――自分の足が勝手に止まってしまった。この先へは近付けないのだと、そう理解するのが正しいのか否か。大きな天窓から差し込む光は、目が痛んだ。注意を逸らされ、しかめ面をしていると、途端に空間が光に包まれていく。一枚の扉を開けたかのように陽の当たる空間へと変化した。金の椅子だろうか、そこに陽皇様は微笑みながら座っている。

『随分と待たせるじゃないか。案内の者も手を焼いたそうだね』

「いや、あの……ごめんなさい」

『なに、謝ることはない。さ、もう一歩前へ出なさい。神託の儀を行う』

 陽皇様の顔を再び見上げると、白髪の長い髪と頭の上に乗るソレはいわゆる象徴の証。王冠というものだろうか。そんな風に考えていたことがまるで筒抜けだったのか、「この王冠に興味があるかな」と、鼻で笑われてしまった。しかし今はそんなことはどうでも良い。ついに、この時が来たのだから。
一歩前に進むと足元に何かの円が出来上がった。これは一体何なんだろう。その円の中には赤い字が這うようにして、ある模様を創り出していく。この模様……どこかで見覚えがある。あ、そうだ確かおじさんの着てる服に同じ模様を見た。それは陣と呼ばれるもの。

『汝の名を十六夜。お前の目指す先はソルシエ。それは暗き闇を払い、光の道を創造するもの。主である我の元に宿る力、すなわち太陽主の力を授けよう。──月は忌まわしき罪であることが今、この時から理になる──忘れてはならぬ。さぁ、気高き魂の子よ利き手を前に出しなさい』

 吸い込まれそうな感覚と言葉が直接頭の中に流れ込んでくる。意識を保つのに精一杯だった。すると、無意識に利き手である左手が前へ動いた。驚いているのに声を出せずにいると、陣が再び赤い字を走らせながら光り始めた。目を細めながら左手を見ると、手の甲に赤い線が縦に描かれていく。けれど痛みはなく、その線は生き物のように動き、自分の手の甲に印を刻んでいく。
均等に三本の線が引かれ終えると、足元の陣も動きを止め、陽皇様も静かに席へと着いた。それと同時に、身体の縛りが解けたのか身動きも自由になった。これで……神託の儀は終わったと言うことなんだろうか。そんな風に呆然と陣の上で手の甲を見つめていた。火傷と言ったら火傷のようだった。けれど痕のように見えて、黒い墨で描かれたような三本の線が刻まれている。

「お前もこれで立派なソルシエになる道の一歩を得た。心技体と鍛錬に励みなさい。そしてこの地を守る騎士になってくれることを、切に願っている。手始めに、その陣から出てみなさい。それで全ての儀は終わる──その手の甲に、上から軽く触れてみなさい。そして陣から出たいと願うだけで良い。その術式は初期に学ぶものだ、簡単に出られるようになっている」

「は、はい」

 ソルシエになるときめた日から、この時をどれだけ待っただろう。これでようやく魔法が使えるのだという、興奮した気持ちだった。
 あの時の凪さんのように、イメージをすれば良いということなんだろう。この陣から出ることで、初めてソルシエとしての一歩を踏み出せるんだ。良也も今頃は飛び跳ねて喜んでいるはずだ!考えただけでもワクワクする。俺は軽く深呼吸をした。腹から空気を出し、そしてイメージする……『陣から出る』と、それだけを頭の中に置き、考え、集中しながら手の甲に触れる。が──それから数秒経っても何の変化も出ないので、何度も何度も繰り返し頭の中で唱え続けてみた。瞑っていた目を開き手の甲を見るけど、三本の線は何も反応せず黒いままだ。おかしいと思いつつ、焦るようにして再び同じことを繰り返してみる。
 黙ったままこの状況を見ていた陽皇様も、見兼ねたのか声をかけてきた。

「……十六夜、何をしているのだ。さっさと陣から出なさい。次の者も控えてるのだぞ。ほら、真面目にやりなさい」

「あ、の……言われた通りにやっているんですが、何も起こる気がしません」嫌な汗が身体の中に湧き出てくるのが分かる。焦りと不安が掻き立てるようにして足元を震わせた。

「三本の線は、太陽主の恩恵の形を表している。その線が刻まれているということは、お前の中には既にその力が備わったことになるのだ。反応が無いなど、滅多なこと……あるはずがない。陣から出るなど容易いことだ」

 そう告げられ、同じことを繰り返してみるが風一つすら吹かず終い。俺には才能が無い、ということなんだろうか……さっきまでの自信は失せていく。
 そして俺は、結局陣から出ることができなかった。



 神託の儀は保留とされ、特別枠で後日に検証することになってしまった。このようなことは異例中の異例らしく、陽皇様の呆れたような顔は忘れられそうもない。最後に告げられた一言はこうだ。
『月の下へは決して出るなよ──お前も魔法使いになったのだからな』釘を刺すその言葉が頭の中で渦を巻いた。今の気持ちはとてつもなく複雑だ。まず、じーちゃんにはどう説明するかとか、良也には恥ずかしくて言いたくもなかった。
 神儀の間を出てからは、再びウィッチに連れられて外へと出なければならないらしい。行きの時と同じウィッチがそこにはいた。口の悪いウィッチがね。

「お前……どれだけやらかすつもりだ。このような事態など、起きたこともないな」

 何も答えられないまま、足取り重く付いて行く。だれが予想できたよ、俺の方が聞きたいくらいさ。

「何だ、落ち込んでるのか? あの威勢はどうした。全く、餓鬼のくせに大口叩くからこうなるんだぞ」

「そんなの分からないよ。どうして発動しなかったのか……俺だって知りたい」

 悔し涙はごめんだ。歯をくいしばっていた。

「お前の手に刻まれている印は、何よりもの証明だ。なぁに──稀なこともあるさ」

 妙な間だった。

「同情なんかすんな……」

「ったく、可愛くない餓鬼だ」



 神儀の間から鳥居のある門まで知らず知らずの内に辿り着いていた。その間に何を考えていたかは、着いた時には忘れてしまっていた。
外に出るとウィッチは俺の肩を軽く叩き、そのまま去って行く。重い足取りで門をくぐり抜け空を見上げると、既に夕焼け色に染まり始めているのに、頭の中は真っ白だった。すると、そこへ声がかかる。

「十六夜、もう終わったのか。ご苦労さん」

「じいちゃん?何だよ、家に帰ってて良かったのに」

「浮かない顔じゃな、何かあったか?」

 じいちゃんは変に鋭い。多分、隠し事はできないんだろうな。

「じいちゃん……俺、ソルシエになれないかもしれない」

 俯いたままゆっくりと話した。じーちゃんは何も言わず、良也達が家で待ってるからと腕を引いてきた。その手は皺々で、細くて頼りない。だけど、力強く掴んでそのまま離さなかった。


 ✤


「いっちゃんおかえりー! 待ってたよ、さぁ入って入って。母さんも沢山料理作ってくれてたよ。それに、ソルシエについて話しもしたいよ」

「うん、ただいま」

「……どうしたの? 浮かない顔して。何かあったの」

 心配そうに俺の方を見つめる良也。その目を見れなかった。

「いや、何もないよ。ちょっと疲れたなーってさ」

「ご飯でも食べて元気出そう! ほら、早く席に座りなよ。亥蔵さんは?」

「先に家に帰ってるって。じいちゃんも疲れたってさ」

 笑ってそう伝えると、納得したようにおばさんの元へ駆け寄って行った。だけどごめん良也──今のは嘘だ。じいちゃんには結果のことを全て話した。その上で、まだ誰にも言わないで欲しいとお願いしたんだ。気を遣ったのかこの場には来ないと言った。じいちゃんには悪いことしてしまった。
 この掌の上の線はこの先も反応を示すことは無いのかとか、もしもこのまま──などと色々考えてしまう。自分の左手をそっと触りながら思う。

 夕食をいつものように食べ終え、片付けを手伝う間も良也はずっとソルシエのことを話している。本当のことを伝えてしまおうか……そんな気持ちにさえなっていた。

「ご馳走様! ほら、いっちゃん早く二階に行こう!」

「あ、ああ」

 二階にある良也の部屋には沢山の本がある。昔から勉強熱心な我が友は、すでにソルシエたる者の書……とでも言うのだろうか。魔法書や術の本がいくつもあった。さすがはルナ騎士団の団長の息子だ。ひとつ部屋の感じが変わった箇所はただ一つ。丸窓に覆う形で扉が付いていたことだ。
 月は忌まわしきものなり……その残響が耳にくすぶっている。

「窓に扉付けたんだな。他の場所も?」

「ううん。僕の部屋は特別に!」

「何で?」

「うーん……何でだろう。神託を受けた今だからなのかもしれないけど、月がね、ちょっと眩しいんだよ」

 良也ははにかんだ笑顔でそう言った。

「眩しいのか、そっか。確かに、陽皇様も言ってたしな……月は忌まわしきものなりってさ」

「そうそう、言ってた。けど、確かに太陽主の力を授かった今は信じられる気がするよ。それに、僕等は もう昔みたいに裸のまんまじゃ外に出られないもんね」

 その例えもどうかと思うが。

「それより! 僕等よーやくソルシエになれたんだよ? 最高じゃない?ねぇ!」

「あ、ああ。この日を今か今かと待ちわびてたもんな、良也」

「いっちゃんも! でしょ? ……ねぇ、何かあったの。様子がおかしいよ」

 その純粋無垢な瞳には嘘はつけなそうだ。拳に力を入れ、俺は全てを話すことにした。

「実はさ……神託を受けたのに、俺は魔法が使えなかったんだ。何度試しても、駄目だった。陣から出ることすら出来なかった」

 良也の顔がみるみる変化し、驚きと共に神妙な顔付きになっていく。

「え、どういうこと? 手、手を見せて!」

 言われるがままに手を見せた。

「何だ……ちゃんと太陽主の印があるじゃない。その線はその証だって言われなかった?」

「言われたよ……だから、今度また検証することになったんだよ。稀なことらしい」

「そうだったんだね。けど、大丈夫だよ! 緊張か何かでそうなっただけさ。次はきっと上手くいくさ!」

「そうだよな。ありがとう」

「そーだよ! いっちゃんだもの。心配いらないよ」

 良也なりに気遣ってくれてるのだろう。嬉しかった。

「ほら、見ててよいっちゃん。僕の魔法」

 そう言うと良也はそっと目を瞑り、まだイメージがうろ覚えな感じなのだろうけど、本を片手に何かを唱え始めた。その姿に背中がゾクゾクとした。「俺達はもう、魔法が使えるんだな……」と、独り言のように溢れてしまう。
 軽く手の甲に触れ、刻まれた線が赤く光りだす。

「──我の掌に、光よ灯れ──」

 良也の掌の上に小さな光の球が生まれ、揺れ動いている。そしてそのまま俺の掌に乗せてきた。じんわりと暖かく、不思議な感覚だった。

「どう? 凄いでしょ! 簡易魔法みたいだけど、知識だけは先に付けとかないとねーって思ってさ」

「はははっ! 凄いなー……やっぱ、凄いよ良也」

「少しは元気出た?」

「うん、ありがとな」


 本来ソルシエになった者の半数は、ルナ騎士団入団の為に翻弄する。まず、騎士団養成所の学校へ行き、徐々に階級が上がるにつれて魔法の技術も同等になっていく。ルナ騎士団に入るには相当な訓練や試験、その壁を乗り越えて行かなければならない。これらは後に知ることになるのだが……。
しかし、良也はその道を迷わず進むのだろうとこの時の俺は既に感じていた。
そしてついに、運命の日を迎えることとなる──。


 ✤


 再び神託の日が訪れていた。じいちゃんにはその旨を伝え、良也にもきっと大丈夫だからと更に念を押され、借りものの自信と共に歩き出す。

 今、目の前にはあの日と同じ術式が在る。
 俺はその中で強く念じるのだ。「この陣から出る、この陣から出る、俺はこの陣から出られる……」イメージと頭の中の復唱は合っている。良い感じだ──!

「よし、出るぞ」

 薄っすらと目を開け、歩み出ようとした。その瞬間術式が赤く光り始め、足元から静電気のような光りが発して音が出た。バチンっと身体を走り抜ける感覚的な痛みは、思った以上にダメージが重かった。身体的ではなく、心……自分自身への戸惑いだ。

「十六夜よ……この様な事態は例を見ない。残念だが、しばらくの間この儀式事態を無かったことにさせてもらう。原因が判明するまで、行動を制限してもらうが──よいな?」

 言葉が出てこない。何をどう言えば良いんだ。

「……前にも伝えた通り、その手の刻印は力が備わった証。魔法が使えないが、お前は太陽主の力を授かったことに間違いはないはずだ。無茶な行いをして、この神聖な儀式に傷が付いてもらっては困るのだ。厳しいことを言わせてもらっておるが、理解してくれるな?」

「……はい」

 ようやく出た言葉だった。何を言われ、何がどうしてこういうことが起きているのか、俺の今の知識では追いつかないのを肌で感じる。つまり、ただ事ではないことが、起こってしまったということ。そしてその要因は、俺自身にある、ということだったのだ。
──何もかもが過去の産物である。


 ✤


 数ヶ月が経った。空白の時間を過ごす俺の中には沸々と湧き上がる気持ちができていた。
それは──声を大にしてはとても言えない感情だ。けれど、自分では分かっているんだと思う。心で思っているだけで、決して行動に移さないものだと。
 じいちゃんは相変わらず薬師の仕事に懸命だ。こんな風な俺をどう見ているのだろうか。何も語らず、普段通りに口煩いものだから、かえってこのまま跡を継ぐ方が良いのだろうかとも考えてしまう。

「十六夜、最近は良ちゃんの所へ顔出してるのかい?」
今一番聞きたくない話題だ。薬草をすりこぎながらつい、口元を尖らせてしまう。

「行ってない」

「そうか、あんなに毎日一緒にいたもんだからな……」

 少しだけ寂しそうに聞こえた。

「合わせる顔ないよ……あっちはどんどんと勉強に忙しくしてるみたいだからさ。ソルシエになる為に必死なんだよ! 応援してやらないとさ」

 無理矢理に笑顔を作る分、その反面、胸が痛かった。
 違和感を覚えたのはついこの間になる。たまたまじいちゃんの遣いで薬草を取りに森へ入り、良也と鉢合わせした時の事だ。



「良也か? 何か……久しぶりだな! 元気にしてたか」

 この時期は新緑も深くなり、よく見ると動物も増えた。その最中、遠くから聴こえてくるのは赤い鳥達の鳴き声にも思える。

「いっちゃん? 久しぶりだね……僕は元気だったよ。今は、その──修行してたところなんだ」

 初めて味わう居心地の悪い空気だった。こんなことは、多分俺達の間には無かったことだ。数ヶ月ぶりに見る良也は一回りも大きく見えた。

「そうか、やっぱり良也は凄いよ。俺なんかさ──」

「知ってる、知ってるよ……もう噂になってるからさ」

 目も合わせてくれないようだ。

「そうだよな~稀に見ないことらしいからな。このまま薬師になった方が良いのかなって思うよ」

「……その方が、良いかもしれないね。いっちゃんの為にも」

 ガツンと殴られた気分だった。
 簡単にその「事実」を突き付けらたら、俺は認めるしかなくなるじゃないか。戯れ合うように逃げ惑う小動物をふいに目で追った。重なる懐かしい記憶は、束の間に消えてしまうものかもしれないと知った瞬間。

「良也は、そう思ってたんだな」

「初めからそう思ってた訳じゃないよ! ただ──僕は悔しくて、こんないっちゃん見たくなかっただけだよ」

 初めて目が合うその時、良也の泣き顔が映り込んだ。それこそ初めて見る表情だった。良也はこんな顔もするのかと、静かに受け止めることしかできなかった。

「そうか。何か悪かったな……こんなどうしようもなくて」

「そんな風に思ってないよ!」

 そうだ、違う。ただの八つ当たりだ。

「お前は良いよな……色々と、恵まれてるじゃないか。父親がいるんだから特別に訓練だってこれから沢山──」

「何それ、今までそういう風に思ってたの? 僕が団長の子供だから?」

「そう、だよ……だって本当のことじゃんか!」


 この時の俺は、ただただ感情的でしかなかった。不甲斐ない自身に苛立って、良也に当たっただけだ。今思えば、この時から俺達は見える景色が変わってしまったのかもしれない。


 ✤


 家路に帰る途中にふと、空を見上げた。そこには巡回しているウィッチやソルシエの姿が映った。彼等と自分とでは何が違うのだろうかと素朴な疑問が頭の中に浮かんでくる。
「何が違うんだよ……」



 良也と会ったあの日から更に月日は流れ、一年が経とうとしていた。長いようで短く、じいちゃんの手伝いも様になってきていた俺は、よく往診に付いて行った。簡単な治療なら一人で請け負うこともできるようになった。
 風の噂も何とやら。けれど、小さな村では話のネタの新鮮さを失うのにはまだ時間を必要としていた──太陽主の恩恵を受けられなかった可哀想な子供。ソルシエのなり損ない。恥晒し。恥晒しって何だよって思うけど、言い返せない自分がもっと悔しかった。

「はい、できたよ。これで治療は終わりだから。今回の治療費は──」

「治療費? はははっ! まさか子供のお前に払うってのか。十六夜だっけか? お前は亥蔵さんの代理で今日来たんだから、そっちの都合でまともな治療もしてもらえないんじゃーねぇ……」

 右腕の負傷をした患者の治療に来ていた俺は、確かにじいちゃんの代わりでここに来ていた。けれど、ここに来るまで1日半かかったのだ。治療に関してだって、これまでに経験のある簡易的な症例だ。目付きの悪い親父に露骨に睨まれる筋合いはないはずだ。

「あの、すみません。それって治療費は払う気は無いと?」

 腹に力を入れ、営業スマイルで静かに問う。

「おい──生意気な口聞くな! こっちは患者なんだぞ! これで炎症でも起きたらタダじゃおかないからな!」

 顔面に唾が飛んでくる。それを拭いながら我慢するしかないと言い聞かせた。

「それは、困ります。こっちにも生活があるんだ……それに、今回の治療は悪いけどそんなに酷くない症状だった。だから、亥蔵先生じゃなくても治療できるんだ。理解して欲しい」

 すると患者はスッと立ち上がり、俺の治療した右腕を振り上げながらいきなり大声をあげ始めたのだ。

「いでででででで! た、助けてくれ! 下手な治療されて腕が腐っちまう!」

 今回訪れていた場所は日影浦の外れにある村だった。そのせいか人口も少なく、事が起こればたちまち村人が騒ぎ出すに違いないのだ。予想は不運にも当たり、続々とその声の上がる家の周りには人集りが出来上がっていた。窓から見えるのだ、村人の不安そうな表情が。俺は仕方なくその患者の大きな身体を後ろから止めに入るが、力の加減が足りずそのまま家の外まで出てしまった。

「た、助けてくれ! こんな子供に雑に治療されたんだ……亥蔵さんもタチが悪いよなぁ! 患者を何だと思ってんだ。田舎だからって見捨てていいってのか!」

 その男の口からは有る事無い事じいちゃんの薬師の仕事をけなす内容ばかりが飛び交った。それらに同調した村人達もそーだそーだと声を上げ始める。

「もう、あの……すいません。止めてもらえませんか。金ならもういいから」

「──触んな! 汚らわしい! お前の噂なら知ってるぞ。あの神聖な儀式が中断されたあげく、陽皇様にも無礼な態度取ったんだってな! 今も観察中の身だと聞く。魔法も使えない出来損ないが、薬師の真似事なんかして何になるってんだ!」

 思った以上にこの場の空気の温度が上がっていて、さすがの俺も口角が引きつった顔になってしまう。

「けっ……薬師なんて古臭い仕事やってるよーな家庭だから、こんな出来損ないが出来上がっちまうんだよ」

 一瞬、空気が冷めたくなり、そして沸点はとうに達していた。

「あのなぁ……さっきから聞いてれば何だよ。薬師を馬鹿にすんな! じいちゃんはこれまでだって沢山の人を救ってきたんだよ。それに──今だって自分の身体より患者のこと考えてんだ! 解ったような口聞くんじゃねえ!」

 その親父の右腕を振り上げながら叫ぶと、その勢いのまま突き飛ばされた。その反動で地面に転がり込む。どよめいた声が上がる一方、良い気味だなどと心無い声もする。

「とっとと帰っちまえや! もちろん治療費は一切払わないからな! こんな雑な仕打ちを受けた薬師は初めてだ」

 口の中で土の味がする。
 そしてひとつの疑問が過ぎった。

「じゃあ、何で呼んだんだ……何でじいちゃんじゃないって事前に連絡してあるはずだよな。何で、呼んだんだ」

 クスクスと笑う声が聞こえてきた。

「──どんな奴かこの目で拝むためさ。この不届き者の顔を見てやるためにな!」

 心臓がどきりとした。
 落ち着け、落ち着くんだ。こんなのはもう慣れたはずだ。すくと立ち、俺は熱くなりかけた頭の中を凍らせる。

「……ははっ。人が悪いな~これだから嫌なんだよ。ちまちま魔法も使わずに治療する仕事なんて。そんなものに、価値なんてないのさ」

 声に力なく告げてやった。
 こんな思いするくらないなら、辞めてやる。

 俺は道具一式をまとめ、野次の飛び交う中からすぐさまその村を出た。まだ心臓が強く鳴っている。足早に陽刻の杜までの道をひたすら歩いた。
 徐々に辺りは薄暗くなり始めていた。険しい山道なだけあって、陽が沈んだあとの視界の悪さは酷いものだった。
 ひたすら歩き続け、うっすらと白い月が見え始めているのが目に映る。それを見つめながら歩き続けた。じいちゃんには白い月が見えたら、民泊できる宿を見つけて泊まるように言われていた。これまでもそうして来た。だけど、今はとてもそんな気持ちにはなれず、頭に浮かぶのは大人達の攻撃的な視線と患者から言われた一言。

「……ごめん、じいちゃん。俺ってやっぱり出来損ないなのかもしれない。だけど、じいちゃんの薬師の仕事ってこんなに大変だったんだな──俺には荷が重いや──」

 胸に込み上げるものを押し殺し再び白い月を見上げると、滲んだ向こう側の白い月はただの光に見えた。燈のように揺れながら導いているかのようだ。


 月は忌まわしきものである。そう教えられてきた中で、微かではあるが疑問があった。誰も何も語らず、それが決まりだからと従わなくてはならない理由は何なのだろう……と。子供ながらに自分も思うのだから、じいちゃんや凪さん達も一度は思ったことがあるのだろうか。駄目だ今日は頭にそんなことばかりが浮かんでは消える。まるで熱にでもかかったように。
 歩みは止めずにいたが、気付けば見知らなぬ場所の小川へ辿り着いていた。無我夢中で歩いて来たから此処が位置的に自分の家の方角さえ分からなかった。

 静かに流れる川の水面に映る自分の姿は暗くてよく見えない。地べたに座り込みその顔を見ようとした。ただ、何となくだった。
 数分間からそこらだろうか、揺れる水面に光が見え始めた。
 くるりと空を見上げると、そこには──月だ──。
 今、正に自分は禁忌というものを犯しているということなのだろうか。再び水面に映る自分の姿と月を見つめた。月の光で顔が見えるようになっていた。
「どうして、どうして俺には魔法が使えないんだ……!」悔しくてどうにかなりそうだ。
目をぎゅっと瞑り、一人声を上げてしまう。すると胸元にしまわれているお守りが温かくなるのを感じた。不思議に思いそのお守りを取り出してみると、月と同じ光を放っている。今までこんなことはなく、初めてのことだった。それから水面に視線を移すと更におかしなことが起きている。

「何だ、これ……目の色が変だ」

 目を擦ってみたが、みるみるうちに自分の瞳の色が金色に変化していくのだ。そして完全に光放つ色、金色のそれは同じく月の光そのもの。
 次の瞬間、全身に違和感を感じ、痛みでもなくゾワゾワと身体の奥から何かが溢れるような感覚に襲われていく。徐々に怖くなった俺はよろめきながら立ち上がり、肩で息をしていた。そしてそのまま川に倒れこんでしまった。幸いにも川底は浅く、溺れるようなこともなくすぐに起き上がることはできた。
全身がずぶ濡れになり髪から冷たい雫が溢れ落ちる。けれど、水面に映る自分の目は金色のまま。

「どういう、ことだ──俺、どうしたんだ」

 鼓動が速くなる。
 初めて味わう恐怖の裏で、じいちゃんの顔が浮かぶ。とにかく早く帰ろう。俺はお守りを握り締めながら、この場所から離れることにした。

月冴ゆるとき、〜witchcraft stories

月冴ゆるとき、〜witchcraft stories

魔法を主とした世界に生きる少年、十六夜。 友である良也とは幼い頃から兄弟のように育ってきた。ソルシエに憧れを抱く彼等の想いが交差していく中、追いつかない気持ちとは裏腹にただ時間だけが過ぎていく日々。 「あの頃そこに在ったのは、純粋な気持ちだけだった」 罪を犯した少年に伸し掛かる運命との戦い、逃避。 魔法の真理を問うための孤独な旅が始まろうとしていた──。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-12-04

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