Rosa multiflora



 誰か俺の話を聞いてくれませんか。いや、話したところできっと誰にも届かないだろうし、そもそも顔も知らぬ誰かに宛てても仕様のないことだし、何よりこれを懺悔するということは、秘密の園を暴くことになってしまう。だからやっぱり、自分の中に留めようと思います。詰まるところ、独り言ということです。
 俺は悪い子なんです。十七年ほど生きてきて、それなりに真っ当に生きてきました。母子家庭の生まれであったけれど、母が明朗活発で笑顔を絶やさぬ人であったからこそ、生活資金がカツカツでも人らしく生活できるし、スーパーのタイムセールを攻略すれば食事にある程度は困らない、至って平凡な人生を送っています。
 最近は新聞配達のバイトも始めました。母が昼も夜も働いているので、自分も何かの足しになればと思って早起きをしています。よく授業中に眠りこけてしまうけれど、たまに母親の煙草をちょろまかしてふかすこともあるけれど、友達とも仲良くしているし、本当に当たり障りのない、平凡なティーンエイジャーだと、思っていました。
 俺が何をしでかしたか、どうか聞いてくれますか。此処から先は俺の行き過ぎた妄想か、またはそういったヤマイなのかもしれませんが、どうしたって自分には感触という現実が、騙せない五感があるもので、どうにもできないんです。
 高校には廃れた美術部があるんです。美術部の若い顧問がそれはもう偏屈で人付き合いが下手くそなもので、周りからは大して好かれないような、そんな男です。髪がとても長くてうねっていて、一本に結わえているものの、よく主任から小言を言われていた気がします。ネクタイも締めなければ何時も顔色は悪くてくまも色濃く浮かんでいて、まるで死体が吊るされている心地になるので、美術の授業は断トツで不人気です。しかし顔は整っていたので一部の女子から人気はありましたが、その顧問が部員を意地でも取りたがらなかったので、美術部は数年ほど死んでいたんです。
 俺は今、息を吹き返した美術部に在籍しています。第一希望のバスケ部を蹴ってまで、絵心もない自分が美術部に無理矢理入部したのは、ひとつのきっかけによるものでした。
 あの日見てしまった。夕陽に溺れる美術室の中で、真っ白なYシャツを突き破る蔓が、赤を生む棘が彼の肌を突き抜けてぞろぞろと生える瞬間を。そんなこと有り得ないでしょう、人から植物が生えるなんておかしいことじゃないか。でも確かに先生は植物に侵されていた。というよりは『愛されて』いた。幾ら傷付けられても身を縮こめて耐え忍ぶ彼を見て、初めて美しいと思いました。
 心を揺さぶられたのです。当時は彼の苗字すらうろ覚えだったのに、彼は自分を見付けるなり懇願したのです。――取ってくれ、と。今思えば、あの言葉は俺を支配する言霊だったと思います。現に今もそうやってせがむのだから間違いないでしょう。
 荊は根こそぎ毟ってやりました。その度にぶちぶちと嫌な音を立てて肉が抉れるものだから、血が苦手な自分は指の感覚を失いつつも、棘が手のひらを貫くことすら厭わずに抜き続けました。時には鋏も使いながら、早くこの時が終わることを願うばかりで、彼の安否なぞ何も考えちゃいなかったのです。
 血と肉が自分を追い詰めて限界を迎える手前、最後に手を掛けたのは彼の頭部に食い込む荊でした。白い花もあってか冠のように嵌め込まれた荊は彼の薄い皮膚に絡み付いて離れてくれません。引っ張れば引っ張るほど流血する様は処刑されるキリストのようでもありました。
 しっとりと濡れる黒髪の感触が手にこびり付いて忘れられないんです。柔らかくていい匂いがして、女の人を連想させるしなやかな髪だったんです。それでも俺は切らずにはいられませんでした、髪ごと荊を切らなきゃいけなかったんです。切らなければ彼がどうなっていたか解らなかったんです。
 じゃき、という切断音が春の空気を切り裂きました。母を彷彿とさせる髪が手のひらから零れて逃げてしまった。そして彼からも。彼の目が見開かれて、あの時初めて罪の自覚をしたんです。長い髪が蔦とともに床へと落ち、その上からぽつぽつと赤い彩りを添えました。彼の顔面すら真っ赤に濡れているのに、前髪が邪魔をして何も見えなくて、それでも一点の光がこちらを捉えた途端に、俺は鋏を手放しました。要は気絶しただけなのですが、あの時のアーモンド型の瞳がうっすらと微笑んでいたのです。
『私の髪を奪ってくれるな』
 ごめんなさいという微かな謝罪は果たして、彼の耳に届いたのでしょうか。ねえ、俺はあの日から十字架を背負った気でいます。貴方の長くて柔らかい髪を奪ってしまったあの日から、俺もほんの少しだけおかしくなってしまいました。貴方はおかしな体で、ありとあらゆる美しいものに寄生されては無理矢理引き剥がせと命じましたね。貴方の絶対的な強制力も、その直後に戸惑い揺れる大きな瞳も、すっかり短くなった黒髪も、肌から覗く血肉も何もかも尊く感じます。
 だから俺は貴方を神様と位置付けることにしました。貴方は取り憑かれる毎に美しさを増すものだから、そういったものを喰らって生きているのでしょう。貴方は人ですか、証明してくれる紙面は正しいですか。神様って何でしょう、俺は宗教に明るくないですが、きっと貴方のような人のことをいうのだと思います。ねえ先生、神様に触れることのできる俺は、神様を傷付けられる俺は、死んだら何処に行くのでしょう。悪いことをしたから地獄ですか、そうですね、きっとそうかもしれません。
 俺の願いはただひとつ、貴方の最高の終わりを拝みたい。貴方が選ぶ寄生を祀り上げたい。ただそれだけなんです。だから今日も寄生の残留物を集めては、いつかのための偶像作りに励んでいます。
 先生、美術室でしか生きられない貴方の願いはなんですか。そうやって犠牲になることしかできない貴方は、神様以外の何になれるというのですか。教えてくれますか、先生。あの日俺を選んだのは偶然ですか、運命ですか。
「なんてね。寝たふりしないでよ、園先生」



 貴方が住まう美術室は楽園ですか。それとも、

Rosa multiflora

Rosa multiflora

2019.1.22発行「パラサイト・イン・ザ・アートルーム」より

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2019-12-01

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