僕がどんどん増えていく(第2稿)

エア

 もし、自分が普通の人間ではないと知ったら、どう思う?
 突然、こんな事を訊かれても質問の意味が分からないと思った人がいるかもしれない。僕もそんな質問をされたら戸惑うだろう。
 具体的には、ファンタジーや異能バトルの世界にしか存在しない特殊能力を持っている。人間離れした身体能力がある。致命傷の怪我を負ってもすぐに回復・再生する。人知を超えた知能を持っているなど、人類の脅威となる可能性を持つ存在だった事を仮定している。
 これを聴いて羨ましさを抱いた人はいるかもしれないが、そんな事が実際に起きたらマスコミから不必要に注目を集めたり人体実験にされたりして世間から迫害されるのがオチだ。
 そうなったら、真っ当な人生は二度と歩めない。
 僕は一般家庭に生まれ育ち、大学まで進学して就職、普通の人は聞いた事もないだろうが、業界内ではそこそこ知名度のある一般企業に勤めてきた。
 きっと、その後も平凡な生活を送り続け、結婚して子供を作って孫が出来て、小さないざこざは起きつつも特に大きな事件や災難に巻き込まれる事は無く、静かに生涯を終えるものだと思っていた。
 あの事件で、一度命を落とすまでは……。

語り部 小柳和仁

 気が付くと、そこは海だった。
 これが正確には海岸にいたとか船の上にいるという意味ならまだ分かるが、僕の場合、意識を取り戻したのは海の中だった。
 海で溺れて意識を失った話はあるけど、海で意識を取り戻した話なんて、まず無いだろう。
 でも、僕が目を開けた瞬間、薄暗い海の中を目の前で小さな魚の群れが泳ぎ、海の底には海藻が揺らいでいるのが見えた。
 スキューバダイビングや海水浴をしに来た覚えはないのに、どうして僕はこんな場所にいるのだろうか。
 そんな事を考えていると、急に息が苦しくなり吐き出した息が大きな泡となって吐き出され、海水が肺の中に雪崩れ込んでいく。
 このままだとマズイ。
 我を忘れて、僕は海面までもがきながら進み、どうにか顔を出すと、大きく息を吸い込んだ。
 大きく息を吸って酸素を取り込んだ事で、ようやく生き返った気がした。
 何回か荒い呼吸をした後、辺りを見渡したが外は陽が沈みかけていた。
 このままだとヤバイと思った僕は、必死にバタバタと身体を動かしながら叫んだ。
「おーい! 誰か、助けてくれー!」
 船が気付いてこちらにやって来ないか、せめて流木が流れて来てくれたらと願ったが、そんな都合の良い展開は起きなかった。
 そんな時、一瞬だが暗い景色が眩しく光った。それは秒間隔で何度も繰り返す。
 何が起きたんだ。辺りを見渡すと、向こうに街が見えた。街の近くには灯台があった。さっきの光はあの灯台からか。あちらに向かえば、陸地に辿り着ける。そう思った僕は暗闇の中を懸命に泳いだ。

 思っていたより距離があったので、泳いでいる途中で力尽きそうになったが、それでも必死で泳いでようやく海岸に辿り着いた。既に空は真っ暗になっていた。
 浅瀬に入ると、僕は息も絶え絶えになりその場にうつ伏せになって倒れ、しばらくそこで休んでいた。
 フルマラソンを走り終えた気分である。いや、ずぶ濡れで全身を動かした分、こちらの方がハードかもしれない。
 しかし、ここはどこなんだ? 場所を知る必要がある。まずは道に出て近くに人がいないか、看板や民家が無いかを探そう。
 でも、その前に少し休まないと。そう思いながら僕が砂浜に寝そべって一休みしようとした、その時だった。再び目の前が眩しい光に包まれた。顔を上げると、その眩しい光が目に入り僕は両手で視界を遮った。
「大丈夫ですか? 声は聞こえますか?」
 相手は僕に話しかけた。
 こんな時に話しかけて来るのは一体誰なんだと思い、僕は腕を少しだけ下ろして相手の顔を見た。
 見えたのは夜間パトロール中のお巡りさんだった。お巡りさんは懐中電灯を持って、心配そうに僕を見つめている。
「あっ、大丈夫です……」
 僕の返事にお巡りさんは目を丸くしながら言った。
「そうですか。こんな夜遅くに素っ裸で海岸に倒れていたので、心配しましたよ」
「えっ?」
 警察官からの質問に僕の目は点になった。まさかと思いつつも身体を起こして首から下を見た。
 陸地へ上がる事に精一杯で衣服の事など全く考えていなかった。
「いや……これは別にそういう性癖があるという訳ではなくて……」
 一気に込み上げる羞恥心のあまり、僕は必死で弁明したが、お巡りさんは苦笑しながら声を掛けた。
「まあ、君には何か事情がある様だから、ちょっと署で話を聴かせてもらおうか」

 お巡りさんから夜中に不審者扱いされてしまった僕は、コートを着せられた後パトカーに乗せられて警察署に連れて行かれてしまった。
 外で全裸の男がこんなところにいたら、そう思われるのも無理は無いが、不審者と間違われるのは非常に不本意である。好きでこんな所にいた訳では無い。
 変な誤解をされて、公然わいせつ罪で逮捕されなければ良いのだが……。
 乗車中、お巡りさんが警察署に連絡をしているのを見て、何だか不安になって来たが、運転中のパトカーから飛び降りて逃げる勇気は無かった。
 子供の頃はパトカーに乗ってみたいと憧れたが、こんな形で実現してしまうと素直に喜べない。こんな事が家族に知られたらと思うと、気が重い。どうにか適当に答えて、この場から逃れよう。

 警察署に着くと、別のお巡りさんがやって来て取調室まで案内された。
 早速、お巡りさんは僕に質問した。
「あなたの名前は?」
「小柳和仁(おやなぎ かずひと)です」
「年齢は?」
「三十三歳です」
「職業は?」
「会社員です」
「今の住所は?」
「東京都八王子市です」
「勤務先は?」
「戸田商社です」
 職業や住所、年齢など個人情報を根ほり葉ほり聴かれた。
「ところで、君はどうして夜に海で倒れていたのかね?」
 お巡りさんは僕が先程海で倒れていた理由について尋ねてきた。
「えっと……気付いた時には海にいたので、辺りを見渡していたら街が見えたので、砂浜まで泳いできました」
 僕の答えに、お巡りさんは軽く驚いたが、すぐに次の質問を出した。。
「じゃあ、どうしてあなたは海にいたのですか?」
 その問いが出た途端、僕は返答に窮したが変に黙っていたら誤解されそうなので、ぎこちないながらも言葉を絞り出した。
「……すみません。実は僕もどうして自分が海にいたのか分からないのです」
 僕の口から出た答えに、お巡りさんは意外そうな顔をした。
「えっ、分からない? それはどういう事なのですか?」
 お巡りさんに訊かれて僕は理由を説明した。
「はい。確か会社から帰る途中で、突然何者かに襲われたところまでは覚えているのですけど、それ以降の記憶はぷっつりと途切れているんです。それで、気付いた時には海にいました」
 僕の説明にお巡りさんの目と口が少し丸く開くと、すぐ難しい顔で少し考え込んだ。
「どうしましたか?」
 僕がお巡りさんに尋ねると、お巡りさんは僕に告げた。
「小柳さん。悪いですけど、ちょっと相談室まで来てもらえませんか?」
 お巡りさんからの誘いに、僕は尋ねた。
「どういう事なんですか?」
「あなたを見つけたら、すぐさま重要参考人として必ず連れて来て欲しいという命令が出ているのです。理由は、分かりませんが」
 この時、お巡りさんの言葉に疑問を抱いた。
 こちらも理由が分からないとは、どういう事なんだ。何故、その時に深く突っ込もうとしなかったのかと思った。
 それを察したのか、お巡りさんは続けて言った。
「恐らくですけど、署はあなたが事件の重要な鍵を握っていると考えているのだと思います。ただ、被疑者とみなされている訳ではない様です。せめて、話だけでも聞いたらどうですか? あなたが自分の記憶を思い出す手掛かりになるかもしれませんし」
 僕が事件の重要な鍵を握っているだと? どうして、僕の様な平凡な人間がそんな重要参考人に指名されたのだろうか。
 まさか僕が真っ裸で海にいた理由も、その事件に関係しているからだろうか。
 だが、失われた記憶を思い出す手掛かりがそこにあるならと思い、僕は「分かりました」と答えた。

 お巡りさんに案内されて連れて来られたのは、相談室だった。
 中に入ると、応接室の様な広々とした空間があった。照明も明るくソファもある。さっきの取調室で感じた無機質さは無かった。
 お巡りさん曰く、「被疑者と同じ部屋で取り調べを受けると、犯人扱いされた気分になるという苦情あるので、被害者が安心して聴衆出来る様にしている」との事だ。
 ドラマの中では、被害者も取調室で事情聴衆を受けている場面があったが、こちらもそれなりに工夫をしているのだなと感心した。
 お巡りさんは「しばらくしたら刑事が入って来られますので、しばらくお待ちください」と告げると、部屋を去った。
 待つ事数分。相談室のドアが開いた。
 入って来たのは肩より長めの黒髪に黒のパンツスタイルのスーツとパンプスを履いた女性だった。
 年齢は恐らく二十代後半で弟と同年代。顔は凛とした雰囲気で端正な容貌ではあるが、いかにも気が強そうな印象があった。
 女子からは「かっこいい」と人気を集めそうだが、自分を含めた男性社員には敬遠・畏怖されそうな気がする。
「あなたが小柳和仁さんですね」
「はい、そうです」
 緊張した面持ちで僕は答えた。
「私は警視庁南坂警察・刑事部捜査第一課警部補・佐渡真理(さわたり まり)です。よろしくお願いします」
 佐渡さんは自己紹介と共に、僕に警察手帳を見せた。
「こちらこそ。よろしくお願いします」
 僕もとりあえず挨拶をした。
「ところで、僕が事件の重要参考人になっていますが、どうして僕が選ばれたのですか?」
 すると、佐渡さんは答えた。
「実は昨晩起きたバラバラ殺人事件の件について、私が君を重要参考人にしたからよ」
「えぇっ?!」
 女刑事から明かされた発言に僕は驚愕した。そんな事件現場に居合わせた記憶は僕には全く無いのだが……。
 どうにか記憶を思い出してみる。
 確か、僕が会社から帰る途中に突然何者かに襲われて意識を失ったところまでしか覚えていない。まさか、あの時か。
 あの後、荷物を奪われ服を剥ぎ取られ、海に放り込まれたと思っていたけど、違うのか。そもそも殺人事件に関わった覚えは一切無いのだが。
「あ、あの……申し訳ございませんが、そのバラバラ殺人事件と僕に一体何の関係があるのでしょうか?」
「その点について、君に見せたいものがあるからだ。実際に見た方が君もこの先話す内容を信じてもらいやすいですから」
 と、佐渡さんが扉に向かって「出て来い」と話し掛けると。扉が開いた。相手はワイシャツと青のズボンを着た男性だった。
 容姿は仕事疲れした冴えない顔で体格も中肉中背、一際人目を惹きつける美貌はなく、だからと言って周囲から阿鼻叫喚を浴びせられて生理的嫌悪感を持たれる程に不潔で醜い風貌でもなかった。
 だが、それでも僕にはこの男に驚愕せざるを得ない理由があった。
 何と、容姿が僕と瓜二つだったからである。彼の顔を見た時は、目の前に姿見が現れたと一瞬見誤った位である。
「あ、あなたは……?」
 僕は思わず、指を差しながら男性に名前を尋ねると、彼は落ち着いた表情で答えた。
「小柳和仁です」
 しかも、同姓同名と来た。
 名前と顔、どちらか一方だけが一致していれば、まだ受け入れられたが、ここまで来ると、もはや違和感しかない。
「そういうあなたは誰なんですか?」
 男性が僕に質問してきた。
「小柳和仁です。あなたと同姓同名です」
「やっぱり、そうですか……」
 向こうは、それ程大きなリアクションは無かった。それに「やっぱり」と漏らした辺り、こちらは僕がここに来る事をあらかじめ予測していた様だ。
「あの……佐渡さん、この人は見た目も名前も全く同じですけど、彼は一体何者なのですか?」
 すると、佐渡さんは躊躇する事無く答えた。
「彼は君の分身です」
「分身?」
 あっけらかんと出された回答に、僕は思わず聞き返したが、佐渡さんは続けて答えた。
「正確には、増殖したとか再生したと言えば良いかな?」
 それを聴いて、僕は佐渡さんに尋ねた。
「それって、どういう意味なんですか? 増殖とか再生って。それに、さっき僕の分身とも言っていましたよね。僕と彼がどういう関係なのか教えてくださいよ」
 混乱しながら質問する僕に対し、佐渡さんはもう一人の僕が警察署に来た経緯を説明した。
「今朝、住民から通報がありまして、草むらで人体の断片が発見されました。調べたところ、大腿部の一部である事が分かりました」
「大腿部……太ももですか」
「そうです。最初は、DNA鑑定をして被害者を特定する予定だったのですが、その時に奇妙な事が起きたのですよ」
「奇妙な事?」
「その大腿部が再生したのです」
「再生?!」
 佐渡さんの口から出た言葉に、僕は耳を疑った。
「そうだ。細胞が増えて肉の厚みが増していったと言った方が良いでしょうか? その肉片が目の前でどんどん再生していって、身体が出来上がっていきました」
「身体が……出来上がっていった?」
「まぁ、こうして実物を見ない限り、こんな話を信じろと言われても無理な話ですよね。それが一定の大きさまで成長すると、胸板が出来たり手足が生えて来たりして、顔も出来上がっていきました」
「顔まで?!」
 顔が出来上がるとは、どういう事なのかが非常に気になった。目や口が出来たのか。
「あまりの不気味さに失神して倒れた者もいましたが、私が試しに『あなたの名前は、何ですか?』と尋ねたら、あなたと同じ名前を名乗ったのです」
「僕の名前を……ですか?」
「そうです。最初は、私も人の身体が急速に再生していく様子にとても驚きましたが、彼が再生を終えた後にすぐさま事情聴取を行いました。その時、彼が『僕以外にも同じ人間がいるかもしれないからマスコミには一切知らせず、見つけたらすぐさま警察署まで連れて来る様、全国の警察官に伝えてほしい』と頼んできたのです」
 なるほど、そんな背景があったのか。正しい判断だな。こんな奇怪な現象が起きた事が世間に知られたら、僕自身も無事では済まないだろう。そうなると、彼には感謝しないとな。
 それにしても、外見が非常によく出来ているな。本当に、僕と同じ人間なのか。
「あの、彼は僕の分身だと言っていましたよね。そうであれば、その証拠に鎖骨のホクロを見せてもらえませんか?」
「ホクロ?」
 佐渡さんが首を傾げた。
「はい。僕には鎖骨に大きなホクロがあるのですよ」
 証拠を見せる為に、僕はコートのジッパーを少し下ろして鎖骨のホクロを見せた。黒のマジックで点を打った様な大きなホクロである。
「彼が本当に僕の分身なら、彼にも同じホクロが付いているはずです」
 僕が話すと、佐渡さんは
「それなら確か彼にもありましたね。あなたも見せてください」
 佐渡さんに言われて、もう一人の僕もワイシャツの一番上のボタンを一つ外して、鎖骨を見せた。そこには、やはりマジックで点を打った様な大きなホクロがあった。位置も全く同じである。
 ここまで一致しているとなると、偶然にしても恐ろしい。
「外見だけが一致しているだけでは、まだ受け入れられないですか?」
 僕の内面を察した佐渡さんがニヒルな笑みで尋ねてきた。
「それじゃあ、次は互いに質問をしましょう。まずは、自分のプロフィールについて尋ね、もう一人がそれに答える。次に答えた側が質問する形にしましょう。まずは、あなたから」
 佐渡さんがもう一人の僕の肩に手を置いた。
「あなたの誕生日は?」
「九月十三日です。血液型は?」
「A型です。あなたの出身地は?」
「神奈川県横浜市です。最終学歴は?」
「横浜国立大学経済学部卒業です。身長は?」
「173cmです。体重は?」
「62kgです。何人家族ですか?」
「五人家族です。家族構成は?」
「祖父と両親、あと弟が一人います。勤務先は?」
「戸田商社です。部署は?」
「営業部です。部長の名前は?」
「佐々木部長です」
 プロフィールも、全て同じだった。しかも、部長の名前まで当てるとは。ここまで来ると、彼は本当に僕の分身だと受け入れるしかなかった。
「それにしても、同じ人間が二人もいるのは、区別に混乱がありますね。何か分かるものがあれば良いのですけど」
 佐渡さんは、腕組みをしながら僕達を見て考え込んだ。しかし、すぐさまポンと掌を叩いた。何か閃いた様だ。
「ならば、こうしましょう。最初に見つかった方が小柳1、次に来た方が小柳2だ。呼び名は1番、2番で良いですね」
 佐渡さんは、僕と彼を指差しながら命じた。本人は名案と言わんばかりに満足気である。
 先程の彼が1番、僕が2番か。
 それを聴いて、1番が恐る恐る手を上げた。
「あ、あの……非常に申し訳ないのですが、さすがに、番号で呼ばれるのはちょっと……」
「僕もそう思います。せめて、アルファベットはどうですか?」
 僕も小柳1と共に異議を申し立てた。
「ダメです」
「「えぇっ?! どうしてですか?」」
 佐渡さんからの拒否に僕と彼の反応がシンクロした。
「仕方ないでしょう。アルファベットだと、二十六人までしか数えられませんから。その点、番号なら幾らでも数えられるでしょう」
 ダメ元で抗議したが、敢え無く却下された。理由は分からなくも無いが、囚人みたいな呼び方で素直に受け入れる事は出来なかった。
「では、今度は私からの質問に答えてください」
「し、質問?」
 突然のフリに僕と1番は戸惑った。
「別に、深いところは訊きませんよ。例えば、どこで意識を取り戻したかとか、どうやって警察まで来たかを説明してもらうのです。互いの情報交換は必要ですからね。じゃあ、今度は2番から話してもらいましょうか」
 佐渡さんの独断な進行で、僕達は質問に答える事になった。
「2番はどこで意識を取り戻しましたか?」
「僕が意識を取り戻した時は、海にいました」
「それは、船に乗っていたという意味ですか? それとも海岸にいたとか?」
「文字通り、海の中です。あの時は、溺れていましたから」
「陸までは、どうやって辿り着きましたか?」
「向こうに陸地が見えたので、自力で泳いできました」
 それを聞いて、佐渡さんと1番はやや驚いた様子だった。
 僕自身、学生時代はともかく今の運動神経は抜群とは言えないけど、あの時は生命の危機にあった事もあり、ただ必死だった。
「警察署までは、どうやって連れて来られましたか?」
 それを訊かれて、僕は回答を躊躇った。
 海を泳ぎ切って砂浜で丸腰の状態で倒れていたところをパトロールしていたお巡りさんから変質者扱いされて、突然ここまで連れて来られたと答えるのは、たとえ自分の分身と刑事さんが相手であっても抵抗があった。
 そこへ、1番が追い打ちを掛けて来た。
「……何か、答えられない様な事でも、やらかしたのですか?」
 鋭いところを突くな。さすがは、僕の分身。きっと、佐渡さんも僕が警察に連れて来られた経緯を知った上での質問に違いない。
 とはいえ、やっぱり本当の事を話すのは抵抗があるので、1番に「どうしても気になるのでしたら、後でお巡りさんに詳細を聴いてください」と煙に撒いた。
「それでは、次は1番が答える番です」
「あなたはどこで意識を取り戻したんだ?」
「僕は、手術台の上でした」
「そうでしたね。では、手術台の上で意識を取り戻す前の記憶はありますか?」
「途中で何者かに襲われて、意識を失ったところで終わっています。事件に遭遇した時の記憶はあまりありません」
 やっぱり、彼も同じか。とはいえ、あの時はまだ増殖していなかったのだから当然か。
「自分の身体が、みるみると再生されていく感覚はどうでしたか?」
「正直、ゾッとしました。再生が終わった後も、あれは夢だったのではないかと思っています」
 確かに、そう思うだろう。怪我で出来た傷が日数を掛けてゆっくりと治癒されていくならまだしも、身体がみるみると急速に再生されていく様子を間近で見たら、多分僕でも恐ろしいと思う。
 僕は1番に質問した。
「その後、何か人体実験や解剖を受けましたか?」
「今のところは何も」
 それを聴いて安心した。まだ、再生を終えてから時間が経っていないからだろうけど、現時点では無事の様だ。
「それで、今後の生活はどうするのですか? 同じ人間が何人もいる事が世間に知られたら大きな騒ぎになるのではないでしょうか?」
 僕の質問に、佐渡さんが答えた。
「それもそうですね。では、1番は私と一緒に捜査に協力してくれませんか」
「えっ、僕がですか?」
「そうです。元は1番が自分達の分身を回収する様に求めてきたのですからね。それに捜査をしていくうちに、お前の分身が他に見つかるかもしれないでしょう」
「そ、そうですよね……。でも、住まいはどうするのですか? まさか、拘置所に入れるとか……」
 小柳1は、不安を感じつつ佐渡さんに質問した。
「心配はいりません。容疑者ならともかく、それ以外の人間を牢屋に入れる程、私も非情ではないですから。警察署に道場があるので、あそこを使うと良いです。ただ、他の警官はあなた達の体質を知っていますからね。あなたが容疑者でないと頭では分かっていても、怪しまれたり好奇の目で見られたりする事は避けられないでしょう。その辺は覚悟してください」
 佐渡さんから釘を刺されたが、小柳1は「分かりました」と返事した。
「それで、僕はどうすれば良いのですか?」
 僕は佐渡さんに尋ねた。
「2番は自宅に帰れば良いです」
「えっ?」
 まさかの帰宅命令である。
「帰宅って……本当に自宅に帰って良いのですか?」
「当然です。それに突然、人が失踪したら自分の家族や会社に迷惑が掛かりますし変に怪しまれるのも困るでしょう。それとも、今の生活に何か不満でもあるのですか?」
「いえ、全くありません!」
 いくら事件に巻き込まれた事で特異体質を知ったとはいえ、今までの平穏な日常生活を捨てる訳にはいかなかった。
「じゃあ、僕は警察に住み込みで捜査に協力する。2番は自宅に戻って普通の生活を送るという事になるのですか?」
「はい。もし、新たな情報が手に入ったらあなたにも連絡します。時々、あなたも来ると良いでしょう」
「分かりました」
 僕は小柳1に「頑張ってください」と声援を送って別れを告げた後、警察署を後にした。

 自宅に帰るついでに新しいスマートフォンを買おうとしたが、生憎殺された時に荷物ごと財布を奪われていたので、後日改めて行く事に決めて自宅に戻った。
 時間は夜十時を回っていた上に明日も仕事があるので、味噌汁とお茶漬けを食べて風呂に入ったら寝間着に着替えて、さっさと寝ようと思いながら台所に向かった。
 早速準備をしようと、冷蔵庫からちくわを取り出し、包丁で食べやすい大きさに切る。
「痛っ!」
 ちくわを切る最中に、痛みが走った。すぐさまちくわを抑えていた左手を見ると、指に切り傷が入っていた。誤って指を切ってしまった。
 そんな時、佐渡さんと小柳1の話を思い出した。
 まさか、こんなところからでも僕の分身が現れるとでも言うのか。
 自身の特性は、僕の分身である小柳1の存在や佐渡さんの発言からして本当だと思われるが、僕自身は小柳1とは違って実際に自分の身体が再生していくところは、まだ目の当たりにしていない。
 果たして、自分にもそんな特性が本当にあるのだろうか。
 そう思いながら僕はその傷をジッと見つめた。すると、驚くべき事が起きた。
 先程まであった指の傷が目の前でみるみると薄れていき、あっという間に治癒されていったのである。時間も十秒と掛からなかった。
 傷が入った指を手で触っても、痛みは全く感じなかった。まるで、さっきの怪我など最初から無かったかの様に。
 あれは単なる錯覚だったのか。
 恐怖に震えつつ、試しに包丁で自分の手を切る事にした。さすがに切断となると、僕の分身が新たに生まれる可能性があるので、傷を入れる程度に留めた。
 包丁の刃で左の掌に恐る恐る赤い線を引く。痛みは伴ったが、これくらいは大した事ではない。問題はそれ以降だ。
 傷を入れ終わった後、僕はその傷をジッと見つめた。
 すると、先程まで引かれていた傷が目の前でみるみると薄れていき、あっという間に修復されていったのである。時間も十秒と掛からなかった。
 手を閉じたり開いたりしても、全く痛みは感じなかった。
 今度は左腕に無数の傷を入れた。先程とは違い、乱暴に何本も深く傷を切り込む。
 もし、こんな光景を他の人に見られたら僕が狂ってしまったと思われるだろう。
 もう十分と言える程に傷だらけになって出血した左腕をしばらく見つめた。
 すると、それらも瞬く間に修復されて傷口が薄くなって、一分も経たないうちに腕の傷は治ってしまった。
 治癒されて元通りになった腕を手で触って確かめたが、こちらも傷の痛みは全く無かった。
 僕は、その様子に唖然とした。
 まさか、自分にこんな特性があったなんて……。
 三十三年間、今まで平穏に生きてきたと思っていたのに、何故自分はこんな異質な特性を持っていた事に気付かなかったのだろうか。
 僕はこの異常事態に、ただ茫然とするしかなかった。
 でも、こんな特異体質が周囲に知られたら、大変な騒ぎになるに違いない。何としてでも、この秘密は守り通さなければならない。
 一体、自分の身に何が起きたのか、どんな事件に巻き込まれたのか、僕を殺した犯人が誰なのかを知る必要がある。
 一刻も早く、この事件を解決しなくては。

語り部 小柳和仁1

 小柳2と別れ、警察署に残る事になった僕は、事件解決の間、警察署にある道場で暮らす事になった。
 正直、自宅に戻りたい気持ちもあったが同じ人間が二人もいたら、周りが混乱するという理由で拒否されるだろう。
 双子の兄弟と言って誤魔化す事も考えたが、バレたら意味が無い。
 僕の役目は、事件の捜査に協力する事だ。素人の僕がどこまで出来るかは分からないが、出来る限り力になりたいと思う。
 小柳2と別れた翌日、僕は佐渡さんから相談室まで呼び出された。
 佐渡さんは僕に質問した。
「確か、小柳さんは仕事から帰る途中で何者かに襲われたそうですが、どの辺りで襲われたのかは覚えていますか?」
「えっと……確か駅から降りた後だと思います。会社までは電車通勤ですが、駅までは徒歩でしたから」
「では、駅からどの辺りで襲われたのかは覚えていますか?」
「確か、アパートが見えた辺りだったと思います」
「だったら、そこから実際に歩いてみますか」
「えっ?」
 まさかの提案である。でも、もう一人の僕が会社に行っているのに僕が外に出て良いのだろうか。
「実際に現場付近を歩けば、記憶を思い出す事が出来るかもしれないでしょう」
「でも、どうやって外に出るのですか? アパートの近くを歩いていたら、近所の人から怪しまれるでしょう」
 実際、アパートの住人や近所の人達は僕の事を知っている。会社を出た筈の人が真昼間に近くを歩いていたら、間違いなく「会社はどうしたの?」と訊かれるだろう。
「そうでしたね。だったら、これを貸してあげます」
 佐渡さんから渡されたのは、焦げ茶髪のウィッグとサングラス、白い帽子が入った紙袋だった。
「これって……」
「いわゆる変装セットです。これを着ければ近所の人からは怪しまれずに済みます」
 なるほど。簡素ではあるけど、すっぴんで出歩くよりかはマシだろう。
「でも、大丈夫なのですか? 周りから怪しまれる心配とか無いのですか?」
 休日ならともかく、午前中に人が歩いていたら怪しまれる可能性があるに違いない。
 不安げな僕に佐渡さんはドンと胸を叩いた。
「心配なら私が付いて行ってあげましょう」
「えっ? 良いんですか?」
「何の為に警察がいるのですか? それに現場検証も捜査の一つですから」

 という訳で、普段乗る駅からアパートまで佐渡さんと共に歩きながら、当時の記憶を探っていく事になった。
 現場では、既に警察官が現場検証をしていた。
 ちなみに、駅からアパートまで到着する時間は徒歩で十五分。時間としては、大したものではない。
「事件当日、電車が駅に到着した時間は予定通り十八時五十分で、電車の遅れは無かったな」
「はい。帰る途中に店に寄る事無く真っすぐアパートまで歩いていました。その間に襲われましたね」
「という事は、殺害された推定時刻は十八時五十五分から十九時五分頃か」
 佐渡さんは僕の証言をメモに記録していく。
「で、肝心なのは殺害された場所が……」
 空き地が目に入った瞬間、突如ある光景が浮かび上がってきた。
「……っ!」
 それは一昨日僕が何者かに襲われた瞬間だった。
 僕は突如道路で膝をついてしまった。
「1番、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です……」
 僕は、眩暈を起こしつつもどうにか返事をした。
「この辺りですか。小柳さんが襲われた場所は」
「……多分、そうだと思います」
 僕は頭を押さえながら答えた。
「では、襲われたのは空き地で良いな」
 佐渡さんは再びペンでメモを取った。
 そこへ、ある人物が近付いて来た。
「誰だ、アンタは?」
 振り向くと、そこにいたのは目つきの悪い長い金髪の男性がいた。
 同じアパートに住む青年・三鷹圭介である。
 三鷹は目つきと柄が悪く、同じアパートの人間だけではなく、アパート近くの住人からも恐れられていた。
 僕自身も彼との交流は出来る限り控えており、万一出くわした時は無言で会釈する程度に留めている。
 今のところ住民とのトラブルは起こしていないが、ヤクザとの付き合いがある、学生時代に総勢百人を病院送りにしたという噂がある。
 さすがに、これらの噂は尾ひれが付いたものだと思われるが、学生時代は不良だった事は間違いないと思っているので、僕も含め周りは敬遠している。
 そんな男が僕に何の用だ?
「アンタ、105号室の小柳か?」
 鋭い。早速、僕の正体を見抜いた。
「い、いえ、違います! 僕は田中と言います」
 正解したとはいえ、あっさり認める訳にはいかないので、慌てて嘘を吐いたが、三鷹さんは「ふーん……」と言いつつ僕を訝しんだ。相当怪しまれている。
「で、警察がこんな所で何をやってるんだ?」
 三鷹さんが僕に顔を近付けながら尋ねる。強烈な圧を感じる。
 僕が躊躇していると、
「実は、一昨日会社員の男性が襲われたのです」
「襲われた?」
「はい。被害者の話によりますと、鈍器で殴られて気絶させられた後、金品を奪われて海に放り投げられました。その後、被害者は自力で泳いで戻ってきましたけどね。警察では、強盗及び殺人未遂の疑いで捜査しています」
 それを聴いた三鷹さんは「ふーん」と頷いた。
「よろしければ、何か情報はありますか?」
 佐渡さんからの質問に三鷹さんは「それならあるな」と答えた。
「最近、この辺で不審な人物がうろついているらしいんだ」
「不審な人物?」
「目撃した人の話だと、全身黒づくめの服でをキャップ帽を深く被っているそうだ」
 そう言えば、そんな話が出た事があった。
 事件に遭う数日前に不審人物の情報があり、近隣の人達は十分に気を付ける様に注意を呼び掛けていた。
 大事な事なのに、すっかり忘れていた。
 思わず、「そうでしたね」と返しそうになったけど、それを口にしたら怪しまれるので「そうなのですか」だけに留めた。
「分かりました。貴重な情報、ありがとうございました」
 佐渡さんは頭を下げながらお礼を告げた。
 三鷹さんと別れた後、僕は佐渡さんに尋ねた。
「ふぅ、危うくバレるところでした」
「まぁ、確かに。私も一時はどうなるかと思いました」
 佐渡さんも、突然のピンチが過ぎ去って安堵していた。
「もしかして、あの人が僕を殺したんじゃ……」
「いや、それは無いですね」
 佐渡さんは断言した。
「どうしてですか? あの人はすぐに僕の正体を一発で見抜いたじゃないですか!」
「あれは元々観察眼が鋭いだけでしょう。もし、彼が犯人だったら、小柳さんと見抜いた時に動揺しているはずですが、彼にはそれが一切ありませんでした。殺した筈の人間が生きている事を知ったら、多少の動揺は見せますからね」
 そういう事か。一発で正体を見破られたので焦ったが、こちらの勘違いだったか。僕が一度殺されている事は公になっていない。現在、この事を知っているのは僕と警察と犯人だけだ。
「じゃあ、さっき三鷹さんが近所で不審人物がいたと言っていましたけど、その辺はどうなのですか? そういった情報は警察も既に把握しているのではないでしょうか?」
「いや、そうでもありません。情報は届いてはいるかもしれませんが、掲載となると話は別ですね。ああいうのは、具体的な状況が無いと掲載しない事になっています。最近では、子供に挨拶したり学校を眺めたりしていただけで不審者扱いされた事例が増えていますからね」
 言われてみれば、確かそんな話を聴いた事があるな。挨拶したり学校を眺めたりしているだけで通報されたりしたら、やられた方は溜まったものではない。
 いくら犯罪が増えているからとはいえ、ほんの些細な言動で怪しまれて通報されてしまうなんて、何とも世知辛い世の中になったものだ。
「じゃあ、その不審人物が僕を襲った犯人である可能性も低いという事なのでしょうか?」
「いえ、その可能性はまだありますね。犯人が事前に現場を下調べしていた可能性もあります。でも、もし彼が犯人なら小柳さんが生きている事を知った時に再び君を殺しに現れるに違いありません」
 それを聴いて、僕の背筋は凍り付いた。
 殺した筈の人間が生きていたら、相手が確実に死ぬまで何度も現れるのは間違いない。でも、恐らく彼は僕の体質をまだ知らない。もし、犯人がその事を知ったら、どう動くか……。
「安心してください。そうならない為に我々警察がいるのですよ。これ以上、被害を出す訳にはいきませんからね」
 佐渡さんが僕の内面を察して、励ましの言葉を投げられて、僕は少しだけ安堵した。

語り部 小柳和仁2

 佐渡さんの指示で、会社員として元の日常生活を送る事になった僕。
 もう一人の僕、小柳1には申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、家族や会社に迷惑を掛ける訳にもいかないので、いつも通り出勤する事にした。
 当初は、周囲から怪しまれるのではないかと思っていたが、カレンダー機能付きの時計で日付を確認したところ、日付は三月十三日となっていた。つまり僕は一昨日の三月十一日の夜に殺されて、翌日に再生して警察署に連れて行かれたのか。
 つまり、会社には一日だけ無断欠勤をしていたという事になっている。
 周囲から怪しまれない様に出来る限り自然に振る舞った。でも、満員電車の中でも他の乗客と目が合うと、緊張が走った。
 事件後の出勤では、佐々木部長から「昨日は何をしていたんだ?」と心配されたが、「一昨日の夜、会社から帰る途中、不審者に襲われて意識を失いましたが、警察に助けられたので無事です」と理由を告げた上で、無断欠勤で心配させてしまった事を部長含め社員に謝罪した。
 かなり内容をぼかしているが、被害届は出しているし嘘は吐いていないので大丈夫だろう。
 席に着いて、僕が朝の準備をしていると、若い男性社員が話しかけて来た。
 僕の後輩・峰倉一幸(みねくら かずゆき)である。
「小柳さん、大丈夫ですか? 昨日、会社に来なかったし連絡も無かったので心配しましたよ」
「あぁ、心配させて済まなかった」
「部長からも聴きましたよ。一昨日の晩、誰かに襲われたそうでしたけど、大丈夫でしたか?」
「あの時は大変な思いをしたけど、警察に被害届は出しているから大丈夫だよ」
 僕の返答に峰倉は安堵の息を漏らした。
「そうですか。てっきり、城崎さんから恨みを買って事件に巻き込まれたと思いましたよ」
 城崎――その名前を聞いて、僕はふと彼の顔を思い出した。
 城崎勤(しろさき つとむ)。僕と同期入社で先月退職した男性社員である。
 彼は、俳優と見紛う程の端正な容姿と歯切れの良い営業トークで、かつては営業成績トップを誇っており、上司からは次期部長候補と目され、女性社員や後輩にも人気があった。
 ところが、二年前。今までの営業成績は中間くらいで時にノルマギリギリだった僕が大手企業の部長から気に入られた事がきっかけで、営業成績が飛躍的に向上した。
 その部長はとても社交的な人で、僕の事を周りに広めてくれたからである。トップを取った時は部長にお礼を告げ、今でも友好な関係を築いている。あの人には今でも本当に感謝している。
 だが、中には僕の躍進を快く思わない人もいた。
 それが城崎勤である。今まで営業成績トップを誇っていた彼は、その座を僕に奪われた事に悔しさを露にして、以来何かと僕を目の敵にして、親しい女性社員に小言を言ったり僕に嫌味をぶつけたりしてきた。
 さすがに雑用を押し付ける、僕のデマを周囲に流すなどの嫌がらせはしてこなかったが、それでもたまに僕を睨みつける事があった。
 もちろん、彼自身も業績を上げてトップに返り咲こうと頑張ってはいたけど、それ以降もなかなかトップ奪還を果たせず、焦るあまり次第に営業成績は下がり、ノルマを達成出来なくなる月も増えていき、二ケ月前に会社を去って行った。いわゆるリストラである。
 現在、彼がどうしているかは知らないが、まさか彼が僕を襲った犯人なのか。
「城崎が? 確かに、何かと僕を目の敵にして迷惑はしたけど、そこまで強い恨みを持っていたのか?」
「小柳さんが謙虚すぎるからですよ。ああいうタイプの人が自分より良い結果を出すと、自分のプライドが傷付くものなのですよ!」
「そ、そう……なのか?」
「そうですよ。あの人は今まで営業成績がトップである事を誇りに思っていましたから二年前まで大した成績を出していなかった小柳さんに負けた事が、未だ納得がいってなかったのですよ!」
「そんな事言われてもな……」
「そういう鈍感なところが余計にダメなんですよー! 自分の実績を鼻に掛けて調子に乗るのも良くないですけど、城崎さんの様なプライドが高い人には、小柳さんの謙虚さがかえって癪に障るのですよ。小柳さんが会社に来なかった時は、『城崎さんが小柳さんを襲ったのではないか』と職場で噂になっていたくらいなんですから!」
 後輩に鈍感と言われたが、別にそこまで人の機微に鈍くは無いと思っている。
 今まで当たり前だと思っていたポジションが、他の人に奪われてしまって悔しいと感じる彼の気持ちも分からなくは無いが、だからと言って僕に一方的な敵対心を抱くのはお門違いである。
 実際、あれ以降もトップ奪還どころか後輩にも追い抜かれていたじゃないか。
 なのに、何故僕ばかりに噛みつくのか理由が全く分からなかった。何か恨みでも買う様な事でもしたのか?
 僕には城崎の考えている事が全く分からなかった。

「そんな事があったのですか」
 昼休み。会社用の携帯電話から佐渡さんの電話番号に掛けて、今朝の出来事を話した。
「恐らく城崎さんには奢りがあったのでしょう。今までトップを走り続けて周囲からも称賛されていたのであれば尚更です」
「それで、城崎さんが僕への恨みから犯行に至った可能性があるという事なのでしょうか?」
「確かに、仕事をクビになった恨みで犯行を企てた話はよくあります。中には職場に直接殴り込んで事件を起こした話もあります」
 企業に殴り込むなんて、何だかヤクザやテロリストみたいな話だな。
 でも、それが実際にニュースになった事があるのだから余計に怖い。集団で乗り込んだり銃や爆弾を持ち込んだりしないだけ、まだマシなのかもしれないけど。
「では、城崎さんの事を警察の方で調査してもらえませんか?」
「分かりました。もし、分かったら報告します」
「ところで、そちらの方はどうですか? 何か進展はありましたか?」
「アパートの住人から数日前にあなたのアパートの近くで不審な人物がいた話を聴きました」
「不審人物?」
「何でも黒づくめの服を着た男だそうです」
「そういえば、そんな話がありましたね。警察の方はどうなのですか?」
「こちらでも調べましたが、特に具体的な被害報告はありませんでした。単にアパートの周辺をうろついていただけでしょう」
「そうですか……」
「だが、もしその不審者を見かけたら気を付けてください。また、あなたを襲って来る可能性がありますから」
「はい」
「あと、現場の記憶を探る為に駅からアパートまで歩いていたら、1番がフラッシュバックに襲われました。2番もそうなる可能性が高いから、帰り道には気を付けてください」
「分かりました」
 そう返事をすると、電話を切った。

 仕事を終えて会社を出た後、携帯ショップで新しいスマートフォンを買った。
 なお、支払いは別の財布にあったクレジットカードで一括払いした。ようやくスマートフォンが手に入り、安堵しながら駅に向かった。
 何だか周りで色々と不気味な事が起きているなと思いつつ、それでも誰もが平然としている。どんなに物騒な事があっても世の中は勝手に回っているんだなと思った。
 そんな中、黒い服を着た男性の姿が見えた。
 隣には派手な服に身を包んだ若い女性がおり、彼女から何かを手渡されると、それを鞄に仕舞って、女性に手を振ってその場を去って行った。
 その時に微かに見えた顔には見覚えがあった。
 僕はその男性に近付き、彼に声を掛けた。
「城崎さん……?」
 僕の呼び掛けに対し、男性は振り向いた。
 かつての端正な容姿は以前と比べてやつれており、髭も伸びていた。だが、顔つきは当時のままだったので、すぐに分かった。
 男性は僕を見た瞬間、すぐさま目を背けてどこかへ走り出した。
「待ってください!」
 僕は男性の後を追った。だが、意外と向こうは足が速く、なかなか追いつかない。それでも、何とか彼を追いかける。
 男性は人込みの中をかき分けて、追う途中で女性の小さな悲鳴が聴こえたが、会釈だけして標的を追いかけていった。

 追いかけて辿り着いた先は、雑居ビルにある事務所だった。窓に張られたシールには、『ファイナルファイナンス』という文字が書かれてあった。
 まさか、城崎は……。
 嫌な予感をしつつ不安になった僕はこっそりと二階の階段を上って行った。
 向こうに気付かれない様に、ドアをこっそりと少しだけ開けた。そこから微かに見えたのは、城崎が黒いスーツを着た男を中心に派手な服を着た男達が城崎を一斉に囲んで威圧している様子だった。
「これで、良いでしょうか?」
 机の上に置いてある札束を見て、直感した。恐らくあれは先程女性からもらった金だ。
「ダメだ、まだまだ足りねぇな」
 男性は冷たく突き放した。
「どうしてですか? もうこれで全部じゃないですか」
 城崎は男性に反発した。
「利息があるだろ、り・そ・く・が」
 男性は厳しく利息を強調する。
「利息だって、もうたくさん払ったでしょう。これ以上、払ったらもう自己破産するしか……」
 それを聴いた男性が机を強く叩いた。それを見た城崎だけではなく、覗いている僕も一瞬身が震えた。
「おい。てめぇ、今の自分の立場を分かって言っているのか?」
 男性は城崎に顔を近付けて睨みつけた。
「もし、これ以上返せないと言うなら、多額の保険金を掛けて、東京湾に沈めてやるぞ」
「ひいいいいいいいっ! それだけは!」
 それを見て、僕はいてもたってもいられずドアを完全に開けた。
「城崎さん!」
 ドアを思い切り開くと、まさかの来訪者に事務所内にいた人達は一斉にこちらへに視線を向けた。
 突然の事態に室内の空気が一変した気がするが、すぐさま城崎が咄嗟に僕を指差した。
「そうだ。彼を連帯保証人にするのはどうでしょうか?」
「えぇっ?!」
 突然の事態に、僕は混乱した。
「城崎さん、幾ら借金が支払えないからって突如、やって来た人を勝手に連帯保証人にするんスか? 幾ら何でも、相手が可哀想でしょ」
 闇金の社員らしきチンピラ風の派手な服の男性が、至極真っ当な返しをしながら睨みつける。
 当然だ。気になって追いかけて来たとはいえ、いきなり入ったところで連帯保証人にされるのは溜まったものではない。
「ちょっと、何ですか。急に……?」
 僕は城崎に問い詰めるが、城崎が手で僕の口を封じた。
「この人は小柳和仁と言いまして、かつて僕と同じ会社に勤めていた営業マンで、僕なんかよりも優秀な成績を取っているんです! だから、僕に万一の事があっても返済してくれます」
 城崎はこちらの都合を完全に無視して一方的に話を進める。
「無理ですよ。そんな……!」
 当然、僕は断固として反対したが、再び手を強く抑えられた。
「まぁ、それくらいにしておけ」
 と、黒い立派なスーツを着た社長らしき人が従業員を宥めた後、社長は僕に向かって話し掛けた。
「お前、さっきウチの店に入って来た時、コイツの名前を呼んだだろ。という事は、少なくともお前達は顔見知りなのだろ」
 しまった、そこまで聞かれていたのか。
 いっそ、「すみません、人違いでした」と誤魔化して逃げた方が良かったのだろうけど、ヤクザを相手に威圧されてしまい嘘を吐く余裕は無かった。というか、下手に嘘を吐いて逃げたところで後から何をされるか分からなかった。
「……は、はい」
 怖気づいた僕が正直に答えると、社長らしき男性はニヤリと笑みを浮かべた。
「だったら、ちょうど良い機会だ。お前、コイツの連帯保証人になれ」
 突然のヤクザから発せられた言葉の意味が全く分からなかった。
「何でですか?!」
 僕は理不尽な展開に反論した。
「俺達はヤクザだ。借金を返済させる為なら手段は一切選ばない。さすがに見知らぬ他人から返済は催促しないが、そうでないなら話は別だ。城崎(コイツ)の言う通り、お前がトップ営業マンならそれなりに金はあるんだろ?」
 理屈は通っているが、道理が破綻していた。無茶苦茶な理由だ。
「……もし、断ったら?」
 僕の質問にヤクザは城崎の首にナイフを突きつけた。
「その場合は、コイツの命は無い」
 相手の良心に付け込んだ脅迫か。別に親しい友人では無いので(そもそも、人を勝手に連帯保証人にしようとする奴を僕は友人とは呼ばない)、いっそ見捨てようかと思ったが、やはり目の前で他人の命が奪われるのは気分が悪い。
「そんな事をしたら、もう城崎さんからお金を返してもらう事は出来ないのでしょ。そうなったら、あなた達も困るのではないですか?」
 本気で顧客の命を奪おうとしているのではないと思い、追究した。
「安心しろ。そしたら、後からお前にも保険金を掛けて、一緒に沈めてやるから」
 やはり、見捨てたところでこちらの身の安全の保障は無いのか。別に、沈められたところでどうって事は無いのだが。
「やめてください」
 僕はチンピラの脅迫を止めさせようとしたが、彼はすぐさま僕の顔にナイフを突きつけた。刃が僕の頬をかすめた。僕は反射的に傷口に手を当てた。
「ほぅ、やはり放っておけないか」
 チンピラはにやりと笑った。
 頬には傷があり、血が出ているかもしれない。でも、これくらいの傷は痛くも痒くもない。
 頬の痛みが引くと、僕は患部に当てていた手を下ろした。
「何だ、コイツ? どうやって治したんだ?」
 突然の治癒にチンピラはぎょっとした。さっき掠めた筈の傷が治癒された事に動揺している。
 だが、ここで引き下がらず、今度は僕の腹部に屈強な拳をお見舞いしてきた。
「ぐはあっ!」
 顔面を殴られて、唾を吐き出してしまった。一歩間違えれば吐血ものだった。その時、体の内部で何かが粉々に破損する音がして、その場に倒れた。
 だが、すぐに立ち上がった。
「何?! さっきの一撃でアバラ骨が粉々に折れた筈なのに。コイツ、バケモンか?!」
 やられっ放しでいる訳にはいかないので、こちらも腹部に蹴りを入れた。
「ぐっ!」
 相手は痛がったが所詮素人なので、相手は一歩後ずさんだだけだった。だが、すぐさまヤクザから思い切り蹴り飛ばされて、僕は壁に激突して、床に倒れた。
 その隙に従業員は集団で攻撃を始めた。集団から一斉に殴られたらもはや抵抗は出来ない。もはや両腕で必死に頭を守るしかなかった。
 しかも、中には事務所の椅子で攻撃してくる人もいた。すっかり反撃するだけの気力は無くなっていた。
「フン、手を煩わせやがって」
 店長は僕が動かなくなった事を確認した。
「店長、コイツどうしますか?」
「決まっているだろう。アイツが先に襲ってきたんだ。こんな男にメンツを穢された事が知れたらたまったもんじゃねぇ。今からコイツを始末する」
 抵抗出来なくなって憔悴しきった僕にとどめを刺そうと、店長はポケットから銃を取り出して三発くらい発砲した。銃口から放たれた鉛弾は僕の心臓や頭部に入った。
「後始末は任せた」
 店長の言葉を読み取った社員は、僕を始末しようとした時である。
 僕はゆっくりと立ち上がった。
「何、コイツまだ生きていたのか」
 先程まで、余裕を見せていた店長の表情から焦りが露になった。
 当然だ。退治した筈の相手が突然立ち上がって来たのだから。
 まだ意識が朦朧とするが、突如喉の奥から異物が込み上がってきた。それを手に吐き出すと、そこには体液に塗れた弾丸があった。
 おかげで、喉はすっきりした。僕はそれらを敵に見せつける形で床に捨てた。
 そして、恐怖のあまり息を飲むヤクザを相手に、僕は集団暴行の仕返しとばかりに、机に置かれていた重量のある灰皿でヤクザの頭を思い切り殴りつけた。
 敵は「ぐあっ!」と鈍い声を頭部から血を出して、その場で白目を向いて伸びた。
「ヤバイ。お前ら、ここは一先ず退散だ」
 予想外の事態を眼前に、ヤクザ達は恐れをなして気絶した仲間を背負い、店から逃げていった。
 従業員がいなくなり、もぬけの殻同然となった事務所の中に残ったのは僕と城崎だけとなった。
 僕は城崎に目を向けた。
「く、来るな! こっちに近付いて来るな!」
 城崎は先程の事態に腰が抜けてしまって逃げる事が出来なくなり、その場でズボンから尿を床に漏らしてしまっていたが、それでもなお、抵抗を続けていた。
 かつてのトップ営業マンが失禁するという醜態に溜息を吐きたくなったが、事態が事態なので彼の肩にそっと手を置いた。
「安心してください。仕返しはしませんから。その代わり、何で僕にあんな事をしようとしたのか教えてくださいよ」
 それを聴いて、城崎は観念して理由を語り始めた。
「……借金をしていたんだよ」
「それはもう分かってます。でも、何で借金をしていたのですか? それに突然僕がやって来たからと言って勝手に連帯保証人にする事はないでしょう」
「何だよ! お前だって僕が退職した時に、後輩に僕の小言を言っていた癖に!」
「小言?」
「そうだよ! 僕がお前からトップの座を奪われたあの日! 峰倉に言っていただろ!」
「言っていただろって……何をですか?」
「別にトップに拘る必要なんてないとか、そんなに焦らなくても良いって言ってたんだよ! それが出来たら苦労しないし、今まで築き上げて来た僕の実績を完全にぶっ潰してさ! 部長になる日も近いと言われて、マンションまで購入したのに!」
 何となく発した言葉が彼の心を傷つけていたなんて。でも、それを言い出したらキリが無い気がするけど。
 あと、借金はそれが原因か。目標間近と思い込み調子に乗って購入したのだろう。
 元々彼は見栄を張る傾向があったから、内容を聴いても「やっぱりか」と思っただけで、さほど驚きはなかった。
「でも、お前がトップになってから全てが狂ってしまったよ。どうにかトップの座を奪還しようとしたけど、空回りするばかりでちっとも上手くいかなくて、客も離れていくし、いつしか後輩にまで先を越されて、給料も下がって、上司からも愛想を尽かされて、会社をクビになってから支払いが出来なくなって他の金融機関からも断られて、しまいには闇金に頼らざるを得なくなったんだよ」
「それで、女性を口説いてお金を貰っていたのですか?」
 僕が尋ねると、
「あぁ、そうだよ! そうしないと、こっちの命が危ないんだよ! 悪いか!」
 トップ陥落から退職の話を悲壮たっぷりに語り終えた後、完全に開き直った。
「十分に悪いですよ。いくら命が危ないからって、犯罪に手を染めたら本末転倒でしょう」
「うるさい! 元はと言えば、お前がトップを奪わなかったら、こんな事にはならなかったんだ!」
「じゃあ、もし僕が連帯保証人の件を断って見捨てていたらどうするつもりだったのですか?」
 僕が強く問いただすと、城崎は何も答えずただそっぽを向けるだけだった。
 全く、呆れてものが言えない。
 彼のピンチに駆けつけた自分が馬鹿に思えてきた。こんな事ならさっさと見捨てて家に帰った方が良かったのかもしれない。
 だからと言って、このまま放っておくのも後味が悪いので、僕は深い溜め息を吐きながら、買いたてのスマートフォンを操作した。
「分かりましたよ。でしたら、あとはこちらで相談してください」
 僕はネットで検索して見つけた借金専門の弁護士のページの画面を城崎に見せた。
「ここで弁護士に相談すれば、借金の事もどうにかしてくれると思います。それと警察にはちゃんと自首してください」
 城崎は不貞腐れた顔はしていたけど、今回の件で懲りた様で「分かったよ」と素直に従ってくれた。
 別に親しい仲でも無いしロクでもない男ではあるが、このまま落ちぶれられて終わるのは僕の心証が良くない。
 それに、かつては同期の僕も常に自信に満ち溢れていた彼を少しだけ羨んでいたんだ。これを機に、立ち直って欲しかったからである。
 彼が、また以前の様に前を向けたらと思う。

 城崎さんの一件が解決して、電車に乗って帰路に向かった。おかげで、時間は夜七時半を回っていた。
 先程、佐渡さんから別ルートで帰った方が良いと言われたので、少し遠回りにはなるが、普段とは違うルートで帰る事にした。
 何だか新鮮な気分になる。
 そう思っていた時だった。突如、目の前に黒い人影が現れた。
 佐渡さんから聴いた黒い服の男は城崎じゃなかったのか。まさか、僕が生きている事を知って、襲い掛かって来たのか?!
 どうにかその場から逃げようとしたが、恐怖に慄くあまり足が竦んでしまって逃げる事が出来なかった。
 それでも、黒い影はゆっくりと僕に近付いて来る。
 このまま殺されるのか? 恐怖が僕に迫って来た時だった。
「キャーッ! お化けーっ! 誰かー助けてー!」
 突如影の方から女性らしき悲鳴が響き渡った。僕は突然の事態に慌てふためいた。
「お、落ち着いて下さい。僕ですよ、僕。お化けではありません」
 僕がどうにか女性に駆け寄って、彼女を落ち着かせた。
「あっ、あなたは……」
 その女性の顔を見て驚いた。目が暗闇に慣れて徐々に姿が見えてきて、現れたのが顔見知りの人物だったからである。
 その正体は、短い髪の若い女性――一年前から僕と同じアパートに住んでいる吉澤美和子(よしざわ みわこ)さんだった。
 吉澤さんは僕の顔を見るなり、すぐに気付いた。
「あっ、すみません。驚かせてしまって」
「いえいえ。こちらこそ、驚かせてしまってすいませんでした」
 驚いたのはお互い様なので、お互いとりあえず詫びた。
「ところで、吉澤さんはどうしてこんな時間にいるのですか? もう仕事はとっくに終わっているでしょう」
「テレビを見ていたら、小腹が空いちゃってコンビニに行こうとしていたのです」
 吉澤さんは少し苦笑いを浮かべながら理由を説明した。それは彼女が手に持っていたビニール袋を見て分かった。
「そうですか」
 そこへ吉澤さんが続けて言った。
「それにしても、ちょっと顔が青ざめていますけど大丈夫ですか?」

 顔色が悪い事を指摘された事を受けて、僕は吉澤さんに勧められて、僕達は近くの公園のベンチで一休みする事にした。
 僕が吉澤さんを不審者と見間違えた件について話すと、吉澤さんは「驚かせてしまってすみません」と苦笑しながら再び謝った。
 僕はそこで一昨日遭った被害について打ち明けた。
 吉澤さんは、愚痴交じりの僕の話に、時折驚きつつもきちんと聴いてくれた。
「そうなのですか。襲われた上に服や貴重品を奪われて海に放り込まれてしまったなんて、それは大変でしたね」
「はい、あの時は本当に大変でしたよ。気付いた時は海で溺れていて、死ぬかと思いました。しかも、陸に辿り着いたかと思ったら、警察から不審者扱いされたのですから」
「でも、無事に生きて帰って来られたのだから良かったじゃないですか。警察も書類送検で済んだのでしょう」
「えぇ。まぁ……」
 本当は事情が異なるのだが、それを打ち明けたらややこしい事になるので伏せておいた。
「ところで吉澤さんは最近、近所に現れた不審者について何か知っていますか?」
「えっ?」
 吉澤さんは、きょとんとした。もしかして、忘れているのかもしれない。
「実は数日前に、不審者が現れていたという話があったでしょう。確か、黒い服を着た男性だったと聴いていますけど、吉澤さんは何かご存知ですか?」
 すると、吉澤さんは少し考えた後、
「ごめんなさい。私はまだ見ていなくて……」
 と申し訳なさそうに答えた。
「いえ、謝る事ではないですよ。見ていないのであれば別に良いです」
「でも、お互い見ていないのであれば、もう現れる事は無いですよ」
「そうなのですか?」
「はい。不審者が現れたと言われても、実際に他の人が見掛ける事ってあまり無いじゃないですか。でも、もしまた不審者を見たらすぐに連絡しますから」
「分かりました」
 重大な手掛かりは得られなかったが、吉澤さんに励ましてもらえたおかげで少しだけ気持ちが楽になった。

 僕は吉澤さんとアパートの前で別れると、自宅に戻ると、佐渡さんに再び城崎の事を話した。
「なるほど。そんな事があったですか。こちらでも城崎について調べましたが、さっき小柳さんが話した通り、彼には多額の借金がありました。何でも、ブランドの品やマンションの家賃の支払いがかさんでいた様です」
「それはもう本人から直接聴きました。あの後、彼はどうなりましたか?」
「彼なら、今晩署に出頭しました」
「それなら良かったです」
 城崎も僕からの言いつけを守ってくれた。彼もけじめを付けたのだろう。
「ところで、帰り道はどうでした?」
「一応、別ルートで帰ったのですけど、不審者らしき人が現れましたが、実際はアパートの住人でした」
「それなら良かったです。でも、その後も誰かに付きまとわれる様ならまた帰宅ルートを変えた方が良いでしょう」
「分かりました」
 そう言うと、電話を切った。

語り部 小柳和仁1

「ねぇ、あれが噂の増殖男?」
「本当だ。生で見るとは思わなかった」
「でも、身体がすぐに再生したり増殖したりするなんて、何だかホラー映画みたいな話だよね」
「これ、間違いなく大森さんから狙われるんじゃないの?」
「分かるー! あの人だったら、絶対に喰いつくよね!」

 刑事やお巡りさん達がひそひそと僕の話をしているのが聴こえた。
 本人には聴こえない様にしているつもりなのだろうが、明らかに声が漏れていた。
 警察署での生活を始めて二日目。
 既に佐渡さんから忠告されていたとはいえ、僕の存在は既にお巡りさんや刑事さん達の間で噂になっていた。
 周囲は僕を見る度に、じろじろとこちらを見てくる。
 食堂で昼食を取る時もトイレに入った時も、周囲の視線は一斉にこちらを見つめて来る。突き刺さった視線に耐えかねた僕が、不満げな顔で向けると、皆罰が悪そうな顔で目を逸らすが、これでは全く気が休まらない。
 いつもマスコミに追われている有名人も、きっとこんな気持ちだったのではないかと想像する。
 そんな気が抜けない日々を送っている中、更なる追い打ちを掛ける様に厄介な人物と関わる事になるのであった。

 それは僕が佐渡さんから呼び出しを受けて会議室までの廊下を歩いていた時だった。
 突如、顔に液体を浴びせられた。それにしてもこれは一体何なんだ? 色も無いし臭いもしないが水か……? と思っていたら、突如濡れた箇所が溶け始めて発熱し始めた。
「うああああっ!!」
 僕は痛みのあまり、顔を手で抑えながら床の上をのたうち回った。それでもどうにか液体を落とそうと、よろよろと立ち上がって近くに手洗い場が無いか探そうとした。
「安心したまえ。君の再生能力なら、たとえ濃硫酸を吹っ掛けられてもすぐに治るよ」
 突如怪しげな声が聞こえたと思ったら、先程まで熱が籠っていた痛みは次第に引いていった。
 その後、手を下ろしてもう一度自分の顔を触ると、どこにも痛みを感じなくなった。
 顔を見上げると、目の前には白衣を着た男性が立っていた。
 黒淵の眼鏡が特徴的で、ボサボサとした艶の無い黒髪で頬も若干痩せこけている。年齢は三十代半ばくらい。漫画や映画に出て来るマッドサイエンティストを絵に描いた様な風貌で、いかにも胡散臭い雰囲気が漂っている。
「フフフ……やっぱり噂は本当だったんだねぇ。まさか、フィクションにしかない様な異能を持った人に巡り合えるなんて、まさに生まれた時代が良かったねぇ~」
 男性は不気味な笑い声を上げながら先程まで僕がのたうち回った様子を見て楽しんでいた様だ。立派な嫌がらせだ。
「誰なんですか、いきなり硫酸を吹っ掛けて来たのは!? 一体何の嫌がらせなんですか! 僕じゃなかったら、大火傷になっていましたよ!」
 僕は謎の科学者に向かって、怒鳴る様に文句をぶつけた。
「ごめんごめん。君の噂を聞いたら、居ても立ってもいられなくなってね、是非君にお会いしたいと思ったのだよ。ちなみに、硫酸は再生の噂が本当かどうかを調べる為に用意しただけだよ」
 科学者は悪びれる事も無く、理由を告げた。
 それにしたって、いきなり硫酸を吹っ掛けられたらたまったものではない。
「私はこういう者だ」
 男性は僕に名刺を差し出した。
『科学警察研究所・研究員 生物室 大森賢一(おおもり けんいち)』
「科学警察研究所……科警研の人だったのですか」
「そう。科警研を舞台にしたドラマがシリーズ化されているから名前くらいは聴いた事があるだろう。私の職場・科警研とは、科学捜査についての研究・実験、これらを応用する鑑定・検査、犯罪防止や交通事故防止等の研究・実験を行っている施設だ」
 科警研を舞台としたドラマは僕も見た事はあるけど、犯罪防止活動もしていたのか。意外である。
「ところで、君は署内に拾われてからすっかり注目を集めているね。もはや警察署の有名人だよ。どこに行っても注目されるなんて、全く羨ましいねぇ。フフフフフフ……」
 不気味な笑いを浮かべる大森さん。
「有名人って……別にあなたが思っている程、羨まれてはいませんよ」
 実際は、悪目立ちに近い存在だ。スターが浴びる黄色い声援は全く無い。
「それで大森さん、何の用事なんですか? これから捜査会議に出席するので、手短に済ませてもらいたいのですけど」
 すると、大森さんは本来の目的を僕に告げた。
「君には、私の実験に協力して欲しいのだよ」
「実験?」
「そう。君の体質は人類に希望をもたらす可能性がある。こんな特異体質を活かさないのは非常に惜しい」
 大森さんは、もっともらしい事を告げて僕を誘いかけるが、答えは決まっている。
「無理ですよ。僕はあくまで捜査に協力するのが目的でここにいるのですから。それに僕の身体を研究したところで、特に捜査や事件解決には繋がらないでしょう」
 幾ら自分が特殊な体質とはいえ、人体実験をされるのは真っ平御免だ。
 それに、こういう人は何か、いかがわしい非人道的な実験をしてきそうな気がする。そうなったら、幾ら不死身とはいえ、身体が幾つあっても足りない。その前にメンタルがやられてしまいそうである。
「そうか。それなら、しょうがないなぁ……」
 僕の答えに大森さんは、がっくりと肩を落とした。
 意外とあっさり折れてくれた。もっと、しつこく迫って来るかと思ったけど、案外話が通じるのかもしれない。
 と思った瞬間、突如不気味な笑いを浮かべたかと思いきや、突如腹部に何かを押しあてられると同時に全身に電撃が流れる様な強烈な痛みが駆け巡り、意識が途切れて目の前が真っ暗になった。

「ん……ここはどこだ?」
 意識を取り戻し、どうにか身体を起こそうとしたが、動けなかった。
「大森さん、これは何の嫌がらせですか? というか、さっき諦めたんじゃなかったのですか?」
 僕は大森さんに問い詰めた。
「しょうがないとは言ったけど、諦めるとまでは言ってないよ。それに、これは嫌がらせじゃない。君の身体は人類に希望をもたらすかもしれないから、是非私の研究に協力してもらいたいだけなんだよ」
 大森さんは白衣のポケットからスタンガンを取り出して、電流を流した。さっき喰らった衝撃は、あれだったのか。
「それに、もし君が抵抗したら、またスタンガンで気絶させれば良いだけの話だからね、フフフフフ……」
 だったら、せめてこんな強硬手段を取らずに丁寧にお願いをしてもらいたいのだが、こんな男に礼儀や常識を求めても無駄な気がした。
 寧ろ、彼は常識に従う事を嫌い、目的の為なら他人の都合など考慮しない気がする。
「さーて、まずは定番のメスから始めようか。中身はどうなってるのかなー?」
 大森さんは興奮冷めやらない表情で、拘束されて身動きが出来ない僕の胸にメスを入れようとした。
 その瞬間、突如ドアが力強く開いた。
「1番!」
 声の主は、佐渡さんだった。良かった、助かった。
「全く、あなたが時間通りに来ないと思ったら、こんな所に拉致されていたのですか」
「こんな所って、どうしてここが分かったのですか?」
「先程、大森が1番を背負って運ぶところを他の署員が目撃していました。その後、車に乗って走り去って行ったので、慌てて後を追いましたよ」
 すると、先程の声が聴こえたのか、大森さんが戻って来た。
「あっ、真理ちゃんか。君も研究室に遊びに来たのかね?」
「遊びに来たのではない。私は1番に用があるのだ」
 普段はキツくも一応丁寧な言葉遣いで話す佐渡さんだが、乱暴な口調に変わっている。
「おや? 君は小柳くんを番号で呼んでいるのか。囚人みたいな呼び方をするんだね。仕事熱心で正義感が強いのは良いけど、事件の重要参考人を囚人扱いするなんて、惨い事をするねぇ。これだから職場で腫物扱いされ……って痛いよ、真理ちゃん!」
 嫌味を言った事が彼女の癪に障ってしまった様で、大森さんは佐渡さんから思い切り足を踏まれた。それなのに、踏まれた本人は何故か悦んでいる様に見える……。
「全く、人をからかうのも大概にしろ。このイカレ科学者! それに小柳さんを番号で呼ぶのは同じ人間が複数もいると厄介だからナンバリングをしているだけだ。囚人扱いしている訳ではない」
「相変わらずキツイ態度だなぁ、真理ちゃんは。これだから、彼氏が出来ない……って、待って! 胸倉を掴んで拳を構えるのは止めて!」
 こればかりは、さすがの大森さんも慌てた。表情だけだと笑って誤魔化している様に見えるけど、下手したら佐渡さんに殴られてもおかしくない勢いだと思う。
「あんまり人をからかうんじゃない。それと、私の事はちゃん付けではなく佐渡警部補と呼べ。それと、どうして1番を拉致した?」
 佐渡さんの鋭い尋問に、大森さんは答えた。
「あっ、それはね。彼の体質は人類に希望をもたらす可能性を秘めているからだよ。彼の身体を研究すれば、素晴らしい期待が寄せられるに違いない」
 大森さんは尤もらしい事を言って釈明した。
「確かに彼の特異体質には私も驚いたな。あれを利用すれば再生医療などにも活用出来るかもしれない。上手くいけばノーベル医学賞受賞だって夢ではないかもしれないな」
 言葉だけだと大森さんに賛同している様に聞こえるが、表情と口調はまだ険しいままだった。その証拠に拳を下ろしていない。
「だが、それは建前であって、本当の目的はお前の知的好奇心を満たす為の実験道具にしたいからではないか?」
 佐渡さんは容赦なく大森さんを問い詰める。
「ピンポーン♪ やっぱり勘が鋭いなぁ、佐渡警部補は……ぐふぅっ!」
 直後、佐渡さんから顔面に思い切り拳を喰らってそのまま吹っ飛ばされた。眼鏡が割れていないか、顔に痣が残らないか心配だ。
「捜査以外の目的で実験に使うんじゃない。しかも、相手は人間だ。私用で人体を弄ぶお前に、とやかく言われる筋合いは無い」
 佐渡さんは大森さんを叱ったが、それでも相手が引き下がる様子は無かった。
「でも、彼の身体を研究すれば、特殊警察や公安警察、マル暴の駒として使えるかもしれない。それにもしかしたら彼の体質を悪用する連中だって現れるかもしれない。その時に私の研究が大いに生かせるかもしれないだろう。それは君達刑事部にとっても十分メリットになるんじゃないかい?」
 殴られたにも関わらず、未だに気味の悪い笑みを崩さない大森さんの物騒な言葉に、佐渡さんは手を下ろして深い溜め息を吐いた。
「分かった。そこまで言うなら仕方ないな」
 あの佐渡さんが遂に観念してしまった。
 もはや、手に負えないと判断したのだろう。
「その代わり、実験で出来た分身達の世話は全て自分でやれ。あんまり増殖されたら我々も手に負えないからな!」
 佐渡さんに釘を刺され、大森さんは
「やっぱり話が分かるねぇ。佐渡警部補は」
 とにやついた。
「だが、今は捜査会議があるのでな。人体実験をするなら、せめて捜査会議が終わってからにしてくれ」
 と断って、僕の腕を引っ張って研究室を出た。

 科警研を出て警察署に連れ戻された僕は、捜査会議に出席した。
 会議室には、刑事さんの他に椅子に座っている人物が四人いた。
 そこに座っていたのは、刑事ではなく僕の分身だった。しかも、左の胸元にはそれぞれ3、4、5、6とマジックで書かれた名札がある。
「あの……佐渡さん。あの人達は一体誰ですか?」
「彼らはあなたの分身です」
「それは分かっています。でも、どこで拾ったのですか?」
「それは、後で話します」
 僕は空いていた椅子に座ると、佐渡さんは『会社員バラバラ殺人事件』と書かれたホワイトボードの隣に立った。
「さぁ、予定より少し遅れてしまったが捜査会議を始めよう。まずは三月十二日午前六時四十分1番の大腿部のみの状態で発見された。その後の同日午後八時五分に2番が海岸で倒れていたところを警官に拾われた。そして三月十三日3番が下水溝で、4番が川岸で、5番が池で、翌十四日に6番が路地裏で見つかり、それぞれ保護した」
 自分が頼んだ事とはいえ、もうこんなに分身が集まっているのか。近場だから見つかるのも早いか。
 特に、下水溝や路地裏で意識を取り戻した当初は相当な鼻を摘まみたくなる程の臭いを放っていたのではないか? 後で風呂に入ったのか、もう臭いはしていないけど。
「これらは今のところ全て都内で発見されている」
「バラバラ殺人で遺体が各所に遺棄されているとはいえ、他の遺体がどこにあるかは分からない」
「あともう一つ、別のバラバラ遺体が発見されました」
「もう一つ?」
「実は今朝、右手が発見されたのです。手や指の太さから二十代女性の遺体と思われますが、被害者の詳細は明らかにされていません」
「この件について、佐渡さんはどう思っているのですか?」
「私の推理では、犯行の手口が同じだったから恐らく同一人物による犯行と考えています。もしかしたら、小柳さんや被害女性の他にも被害者がいるかもしれませんね」
 つまり犯人は連続殺人犯である可能性があるのか。だとしたら、何の目的でそんな事をしたのかが気になる。
「それと、これらの遺体はどれも異なる場所で発見されています。この事から複数犯の可能性があります」
「どうして、そんな事が分かるのですか?」
「単独犯の場合、証拠隠滅を狙うなら遺体を細かく切断してトイレに流すとかゴミ袋に入れて捨てて遺棄する事が多いです」
「なるほど……」
 考えてみれば、解体した遺体をわざわざ一人で各所に遺棄するのは手間が掛かる。だったら、まだ先程佐渡さんが話したやり方の方が合理的である。
 だとしたら、複数犯の可能性が高い。
 でも、そうなった場合、一体何人いるんだ? あと、僕はそんなに大勢の人間を敵に回す様な真似をしたのか? もし、裏でヤクザが関わっていたとしたらどうする? 色々な可能性が頭の中を駆け巡った。

 捜査会議を終えて会議室を出ると、分身達に声を掛けた。
「お疲れ様でした」
 僕の挨拶に彼も「お疲れ様でした」と返した。微笑しているところも僕と同じだ。
 2番と会った時もそうだったけど、やっぱりこうして自分の分身と顔を合わせるのは少し緊張する。
「すみません。こんなおかしな事件に巻き込んでしまって……」
「いえいえ、それはあなたも同じでしょう。それに佐渡さんから聴きましたよ。あなたが自分の分身を見つけたら必ず署まで集めてもらう様に指示したのですよね」
「随分と大きく買ってもらっていますね……あの時は、自分達の身の危険を感じたので」
 僕は思わず照れ笑いした。分身が相手とはいえ、褒められるのは照れ臭い。
「ところで、皆さんはこれからどうするのですか?」
 僕の質問に、3番が答えた。
「僕達は佐渡さんから、1番と一緒に事件の捜査に協力して欲しいと言われています」
「そうなんですか……」
「1番さんはどうなのですか?」
「僕は、捜査協力の他に、科警研にも呼ばれていまして、これからそちらに行かないといけないのですよ。ハハハハハハ……」
 僕が苦笑しながら、説明した。
「科警研? そんなところに呼ばれているのですか?」
 僕が苦笑しながら答えると、他の分身達が興味を持ち始めた。
「いや、科警研と言っても実験材料にされるだけで、別に君達が羨む程では……」
 僕はしどろもどろになりながら説明するが、彼らはますます興味を示して、僕に質問をしてきた。
「具体的に、どんな事をされるのですか?」
 それを言われて、回答に詰まった。「人体実験」が答えだけど、それを口に出したらドン引きされるのではないか?
 そんな時、僕の中で悪心がよぎった。
 もし、彼らを身代わりにすれば、あの恐ろしい人体実験から回避できるのではないか?
「なぁ、せっかくだから君達も科警研に行ってみないか?」
 そこへ、先程の会議の片付けを終えた佐渡さんが会議室から出て来た。佐渡さんは、先程、科警研の話題で盛り上がっていた僕達を見た。
「何を盛り上がっているのですか?」
「ちょっと科警研について話をしていたのですけど、皆から興味を持たれまして」
 僕の話に、佐渡さんは僕を訝しんだ。
「あのですね。科警研の話で盛り上がるのは良いですが、大森さんの実験材料として扱われているのは、あなただけです。人体実験にされるのが嫌だからと言って、他の連中を巻き込まないでください」

 いっそ他の分身を代理にしようかと考えたが、佐渡さんに一蹴されてしまい、渋々科警研に足を運んだ。
 大森さんの実験室に戻ると、早速手術台に寝かせられ、手足を拘束された状態で実験が始まった。大森さんは僕の腕に麻酔を打った後、腹部にメスを入れた。
 麻酔を打たれたおかげで痛みは無いが、目の前で身体をいじくり回される感覚は酷く違和感があった。
 治療の為に手術を受けるのであればまだしも、目の前でただ内臓を掻きまわされるのは不愉快だ。
 この後も、血液を採取されたり薬物を投与されたり色々な事をやらされると思うと、憂鬱になってくる。
 それらも実験が終わった後には、見事に再生・治癒されてしまうのだろうけど。
 ちなみに、実験で出来た分身の処遇は全て大森さんが責任を持つ様にと佐渡さんから言われている。彼らが何とも憐れに思えてきた。
 僕以上に惨い人体実験を受ける事にならなければ良いのだけど……。
 そんな事を思っていると、大森さんは僕の腹部を開いて覗き込んだ。
「ほぅ……内臓自体は普通だねぇ。心臓も正常に動いているし、特に具合の悪い箇所も無い。さすが、無限の再生能力を持っているだけの事はあるねぇ」
 どうやら、僕の内臓は健康な様だ。これが健康診断で医者から言われた言葉だったら安堵しているが、今の状況からして素直に喜べる気分にはなれなかった。
「内臓の再生能力は、どんなものかな?」
 大森さんは僕の内臓を掻き回した。
「うああああっ……」
 内臓に刃物を入れられて、僕は大きな悲鳴を上げた。
「おや、もう麻酔が切れてしまったのかな? じゃあ、もう一本打つか」
 大森さんは僕の腕にもう一本、麻酔を打った。すると、先程まで感じた痛みがだんだん引いていった。
 どうやら、僕の治癒能力は麻酔の効果も無効にしてしまう様だ。
「おぉっ!」
「どうしたんですか?」
「心臓に傷を入れてみたけど、みるみると再生されていく。あらら……今度はさっきの傷口まで塞がれていっちゃって……」
 内臓にも再生能力がある他、腹部の傷も治癒されている様だ。
「ほぅ……私が先程入れた傷が見事に修復されてしまった」
 大森さんが僕の身体に、再びメスを入れながら尋ねてきた。
「それにしても、君の身体は本当に不思議だねぇ。どこで、そんな体質を手に入れたのかな?」
「別に……僕の再生能力は後天的なものではありませんよ」
「およ? そうなのかい? てっきり、治験で怪しい薬を飲んだのかと思ったよ」
 僕の答えに、大森さんは意外そうな顔をした。いつも不気味に笑っている彼も、そんな表情をするとは珍しい。
「怪しい薬を飲む度胸はありませんよ」
 ちなみに、本来治験とは新薬の効果と安全性を調べる為のものであって、決して怪しいものではないそうだ。とはいえ、効果や安全性が明確でない薬を飲むのは、やっぱり抵抗がある。
「じゃあ、自分は他の人達と違うと思った事は無いのかい?」
「違うと思った事?」
「そう。例えば、病気に全く掛からなかったとか怪我の治りが他の人よりも早かったとか。特に、子供の頃は上手く身体を動かせなくて怪我をする事がよくあっただろう? それに君は学生時代にスポーツをしていたそうじゃないか。その辺から考えれば何か心当たりもあるんじゃないのかい?」
 それを言われると、返す言葉が無かった。心当たりはあったからだ。
 自分で言うのもなんだが、僕の記憶で大きな病気や怪我をした事は無かった。
 元々、運動神経も良かったし、手先も非常に器用だったので、怪我とはほぼ無縁だった。
 高校時代もサッカー部に入っていた、と言っても、先輩からの強引な勧誘に根負けして入部する形だった。
 でも、いざボールを蹴ってみたら自分でも驚く程意外と早く上達してしまい、1年の冬には全国大会にまで出場してしまい、以後はエースと称される様になった。
 とはいえ、やはり練習はハードだった。ボールを追いかけているうちに身体がぶつかり合い、時に転倒する光景も見られた。
 僕自身も練習試合で相手の身体がぶつかって転び、膝を思い切り擦りむいた事があった。
 すぐさま保健室に運ばれて手当てを受け、保健室の先生からは「怪我が治るまでの間、絆創膏に触れない様に」と注意された。
 だが、家に帰って風呂に入ると絆創膏がお湯でふやけてしまって剥がれ落ちてしまった。
 後で新しいものに貼り変えようと思ったら、怪我をしていたのが幻だったかの様に膝のすり傷は綺麗に消えていた。
 当初は怪我の治癒に違和感を持ったが、時間が経つうちに忘れてしまった。
 思えば、あの時に自分の異常性に気付くべきだったのかもしれない。
「……どうやら、その辺の心当たりはある様だね」
 反論出来なかった僕の表情を見て、大森さんはにやりと笑った。
「最初は、プラナリアが人型に進化したものかと思っていたけど、君には家族がいる。もしかしたら、君の先祖には人外がいるのではないかと思って、君の家系も調べたけど、それらしきものもいなかった。後天的なものではないとしたら、恐らく君は何らかの突然変異で特異体質を得たのかもしれないねぇ。既に世間で噂になっているならともかく、それすらされていないとなると、必然的に人類から脅威の対象となるかもしれないね」
 ――脅威
 それを聴いて、背筋が凍り付いた。
 確かに、こんな体質が世間に知れ渡ったら、僕は人類にとって大きな脅威となり世界の大きな騒ぎに包まれて、畏れられるのは火を見るより明らかだ。
 そうなったら、自分の身も危ういだろう。
「まぁ、事件が解決したら、ここでの寮生活も終わるけど、その間に出来た分身はどうなるのだろうね。ククク……」
「自分で分身を作る可能性があるにも関わらず、そんな事を言うのは無責任な言い方じゃないですか?」
 僕は無責任なマッドサイエンティストに文句をぶつけた。
「安心したまえ、幸い私には十分な蓄えがある。君に住居を提供しても良い。何なら私の助手や使用人として、働く道もある」
「実験台になる気はありませんよ」
「そんな事を言って、せっかくの不死身の身体を活かさないのはもったいないよ。いっそ、絶食生活を送って何日間食事をせずに生きていけるかを試すのも良いねぇ。食費も浮くし」
「腹が減ったら、動けませんよ」
 いくら不死身とはいえ、食べる事が出来なくなったら常に空腹に悩まされそうである。それはそれで地獄になりそうだ。
「でも、死にたくても死ねない苦しみを味わい続けるのって、どんな気分なんだろうね」
「えっ?」
 僕の質問に、大森さんはある数字を出した。
「二万八四〇人」
 突如出された数字に僕は首を傾げた。
「何ですか、その数字は?」
「去年(2018年) 、自殺した人の人数だよ」
「そんなにいるんですか?」
 意外と多い人数に僕は声を上げたが、大森さんは軽く笑いながら返した。
「別にそこまで驚く程のものでも無いよ。統計開始時から現在までの記録と比べたら寧ろ少ない方だね。十年位前は三万人を超えていて社会問題になっていたんだから。自殺防止活動の成果が出ている証だね。その時の話は、君も聴いた事があるだろう」
「あぁ……そう言えば、そんなニュースがありましたね」
 確か、入社したばかりの時にそんな話を聴いた事があったな。
「原因は、借金で首が回らなくなったとか、仕事をクビになったとか、いじめに苦しんだとか、色々とあるけど、やはり彼らは切羽詰まってどうすれば良いのかも分からなくなって最終的に自ら命を絶っている。確かに自殺してしまえばこの先二度と苦しむ事は無いからね」
 シリアスな問題を飄々としながら語る大森さんだが、ふざけている様子は全く無かった。寧ろ彼に真面目な表情を求める方が無理な気がする。
「君は不死身とはいえ、痛覚はある。もし君が自分の持つ特異体質に耐えられなくなって自殺しても痛みこそ伴うが死ぬ事は出来ない。それは死ぬ以上にとても過酷な事だろうね」
 その皮肉に返す事は出来なかった。飄々とした口調で話すので、人を小馬鹿にしている様に聞こえるかもしれないが、本人は割と真面目に話しているのだろう。
「もちろん、簡単に自殺に逃げちゃうのは良くないけど、深い苦しみを長く味わい続けて、今際の際に『あの時、自殺していれば良かった』と思いながら息を引き取る位なら、いっそ早めに自らの命を絶った方が気持ち的には楽なのかもしれないね。自殺した方が良かったと後悔するという事は、必死で困難を乗り越えようと、がむしゃらに頑張ったり耐え忍んだりしてきた事が全部無駄になった証だからね」
「それを言われたら、おしまいですよ」
「そうならない様にする為に奮闘する事が生きるってもんじゃないかな?」
 話が終わる頃には、大森さんは僕の身体にメスを入れた。

 ようやく実験から解放されると、僕は警察署内に戻った。外は既に真っ暗になっていた。どうやら相当な時間、あのマッドサイエンティストから身体をいじくり回されていた様だ。実際、拘束されていただけなのに、どっぷりと疲れた。寧ろ、身体よりも精神に疲労が来た。
 大森さんから意外と真面目な話を聴かされたけど、死にたくても死ねない辛さはあるだろう。
 まるで、今まで平凡な人生を送れた事が奇跡であるかの様だ。
 そんな事を考えていた時だった。
「あっ、小柳サン。実験、お疲れ様でした」
 男性が声を掛けて来た。
 話しかけて来たのは二十代前半くらいの若い男性だった。警察署に入ったばかりの新米と見受けられる。髪は焦茶色に染めており、やや軽薄な印象がある。
「ちょっと良いですか?」
「誰ですか、あなたは?」
 すると、軽くお辞儀した。
「あっ。俺、池谷(いけや)浩(ひろし)と言います。階級は巡査です」
 軽そうな青年だと思っていたが、一応受け答えは丁寧だ。
「どうしたのですか?」
 また、増殖体質の事について聴かれるかと思ったが、
「あの、小柳サンでしたっけ。今晩動画でも見ませんか?」

 彼からも、僕の体質について訊かれるのかと思ったけど、意外にも動画鑑賞のお誘いを受けた。
 意外なお誘いに思わず、「はい」と答えてしまい、そのまま彼の寮に行く事になってしまった。
 迎えた夜、僕は池谷くんの部屋でホラー映画を観る事になった。
 ちなみに、視聴した動画はホラー系だった。題名は、『ギニーピッグ 悪魔の実験』。執行史三人が一人の女性に、五感を侵食する苦痛の限界点を求めるという実験の名目で、執拗な虐待を与えるという内容だった。
「どう、面白かったでしょ」
 動画を観終わって、池谷くんはニコニコと笑顔で感想を求めて来た。
「……まあまあだったかな?」
 本当の事を言うと、ストーリー性が無く、ただ女性が執行史から虐待を受ける様子に生理的嫌悪感が沸いて、途中で気分が悪くなった。
 フィクションだと分かっていても、非常に後味が悪かった。
 とはいえ、本当の事を言って傷つけるのは良くないと思ったので敢えて言葉を濁す事にした。
「そっかー。あれ、最初はスナップフィルムとしてマニアの間で評判だったんですけど、幼女連続誘拐殺人事件の犯人の部屋からこのシリーズのビデオが押収されてから、残酷な描写は情緒的に悪いって言われちゃって、有害図書指定にされちゃったんだよ」
「そ、そうなのか……」
 確かに犯罪者の部屋からそんな物騒なものが出てきたら、そう疑われるのも無理は無いだろう。
 人の趣味にとやかく言うつもりは無いが、映像でやっていた事を実際に真似されたらたまったものではない。
「でも、ヤバイ作品だからと言って、それらを全て無くせば犯罪がなくなるものでもないっすよ。チンギス・ハンだって、読み書きは出来なかったけど、世界で最も人を殺したと言われているからな。別に映像とか本に触れなくても、殺す奴は殺すし暴力を振るう奴は暴力を振るうよ」
 池谷くんは持論を展開した。
 チンギス・ハンの場合は、世界最凶の大量殺人犯ではなくモンゴルの英雄として讃えられているので、殺人犯と同一に扱うのは疑問があるが、彼が言いたいのは読み書きが出来なくても、やる奴はやるという事か。
「まぁ、実際に逮捕された人の中には、作品を見て性的興奮を覚えたとか好奇心でやろうと思ったって供述した人がいたけど、じゃあその作品を見た人が全員同じ行動を取るのか、犯罪に手を染めるかと聴かれたら、違うでしょ」
「まぁ、確かにそうですね」
 僕もミステリー作品に触れた事があるけど、実際に犯行を真似しようと思った事は一度も無い。
 僕以外でもミステリー作品で、犯行の内容が分かっても実際にそれを真似しようとする人は、ほとんどいないだろう。
 でも、その「ほとんど」から漏れた少数の人が実行に移してしまうのだから性質が悪い。あれらは謎解きやスリルの楽しさを目的としたものであって、犯罪の手引きではないのだから。
「これらは、あくまでフィクションである事を理解して楽しむものなんだよ。それが理解出来ないなら、初めから見ない方が良いよ」
 意外と聡明な考えを語れる青年だ。
 それにしても、彼は僕の体質について全く聴いてこない。もしかして、まだ知らされていないのかな? いや、周囲の反応からして彼だけが知らない訳がないか。
 一か八か、試しに訊いてみるか。
 僕は思い切って質問をぶつけてみる事にした。
「と、ところで、池谷くんだっけ? ちょっと質問したい事があるのだけど」
「何?」
「君は僕の体質について、どう思っているんだね?」
 それを尋ねられて、池谷くんはきょとんとした後、顎に人差し指を当てて少し考えて答えた。
「別に。何とも思わないかな」
 意外な返答だった。自分も、こんな異常体質に悩んでいるのに。まさか、何とも思わないという返事が来るとは思わなかった。
「そ、それはどうしてなんだ? 驚かないのか?」
「まぁ、最初に聴いた時は凄く興奮しましたけど、だからと言って悪い人ではないですし」
 そうか。彼とはまだそんなに会話もしていないのに、そんな風に思ってくれていた事を知って、少し嬉しくなった。
 僕を研究対象とみなしている大森さんとは違って、こちらは良い意味で僕を受け入れてくれている。
「皆は、小柳さんの事を変な目で見ていますけど、別に恐れているとか嫌っている訳ではないでしょう。佐渡警部補だって小柳さんを全く怖がってないですし。だから、そんなに気にする必要はないんじゃないですかね?」
 佐渡さんの場合は、僕を事件の重要参考人とみなしているからだと思われるが、恐れている様子は無かった。
 こんな体質の僕にも、偏見を持たずに接してくれる人がいたとは思わなかった。何だか救われた気分である。
「あと、そうだ。これはどうですか? 小柳さんと同じ増殖体質の人が出て来るホラー映画なんですけど、こっちも何度も実写映画化されているんですよ。見てみますか?」
 池谷くんはDVDを見せてきた。そこには、妖しげな美少女の写真が写ったパッケージである。
「まぁ……僕と同じ体質なのはちょっと興味があるけど、大丈夫なのですか? こんな夜遅くまで映画を観ていて。翌日の仕事に支障が出たらどうするのですか?」
 すると、池谷くんはあっけらかんと答えた。
「あっ、大丈夫です。俺、ショートスリーパーなんで」
 そんな理由で、翌日の仕事が務まるものなのかと疑問に思った。
 でもその後、僕達は夜が更けるまで動画を鑑賞した。

語り部 小柳和仁2

 昨晩は城崎勤と再会を果たしたものの、ヤクザ絡みのトラブルに巻き込まれてしまった。どうにか解決したものの散々な目に遭った。もうあの様な連中と関わるのは止めよう。
 おかげで風呂に入る気力も夕食を食べる気力も無くなり、帰ってすぐコートとスーツを脱ぎ、下着姿でベッドに倒れ込んでそのまま寝てしまった。
 それなのに未だに疲れが取れず、身体がだるくてつい駅のホームで欠伸をしてしまった。
 現在駅のホームは、通勤ラッシュで大混雑とまではいかないけど、それなりに人が多かった。
 ただ、混雑に紛れて痴漢やスリが近付いて来たら、一発で気付かれるレベルである。
 間もなく電車が到着する時間が迫ってきた時である。
 突如、背後から耳の鼓膜を突き破りそうな爆発音が響き渡り、辺りは騒然となった。それに反応した僕は咄嗟に振り向こうとした。
 その瞬間、背後から誰かが僕の背中を強く押した。
 その反動で、僕はホームから線路へと身を投げ出された。
 直後、ホームに入った電車が迫って来た。
「大変だ! 男性が電車に轢かれたぞ!」
 ホームは悲鳴が上がり大変な騒ぎが起きた。
「おーい……」
 僕はホームの下から声を掛けた。
「何だ、下から声が聴こえるぞ」
 駅員らしき男性の声が聴こえた。
 電車がバックしていくと、目の前の視界が開けた。
「ふーっ……」
 光が入り込んで、僕は一安心した。
「良かった、無事だったのですね」
 駅員さんは僕の無事を見て安堵した。
 実はホームの下にある退避箇所があるのだ。僕はそこに潜り込んだ事で、間一髪助かったのである。
 電車が通りかかった際に車体が擦れて足の骨を折ってしまったが、そこはすぐに回復した。
 再生能力があるのだから、わざわざそこに隠れなくても大丈夫なのではないかと思った人がいるかもしれないが、そんな事をしたら、周りに秘密がバレるだろ。
 だが、僕を突き落としたと思われる犯人はそこにはいなかった。

「あっ、小柳さん。今朝駅で突き落とし事件が起きたと聴きましたけど、大丈夫でしたか?」
 電車が何らかの理由で遅延になった場合、多少遅刻しても会社も事情を聴き入れてくれるが、それでも遅刻するのは個人的に避けたかった。
「あぁ、大丈夫だ……」
 怪我人が出なかったとはいえ、あの突き落とし事件のせいで予定の発車時刻が若干遅れてしまい、おかげで発着駅に到着してからダッシュで走って始業時間ギリギリでの到着となった。
 この事を峰倉に話したら、「大変でしたね」と同情された。
「ところで、小柳さん。昨晩はどこにいたのですか?」
「昨晩? えーっと……城崎に会った後は自宅に戻ったけど」
 自分の口から出た言葉に間違いや偽りは無かった。だが、峰倉は
「えっ、そうなんですか?」
 と驚いた表情を見せた。
「そうなんですか? って、どこかおかしいところがあるのか?」
 すると、峰倉は答えた。
「実は、昨晩小柳さんを目撃したという声があったのですよ」
「えぇっ?」
 まさかの情報である。僕を目撃した人がいただって?
 でも、冷静に考えてみれば、僕のバラバラ遺体が再生したとなると、誰かがそこで僕の分身を目撃した可能性がある。
「そんな噂、どこで聴いたんだ?」
「今朝、女性社員達が職場で話していたんですよ。かなり盛り上がっていましたよ」
 通りで今朝、女性社員が僕とすれ違った時に視線が妙に突き刺さると思ったら、それが理由か。
「それで、その人は何をしていたのかは聴こえたのか?」
「えーっと……その辺はよく聴き取れなかったんですけど、確か男性が夜、街を歩いている時に警察がやって来て事情聴取を受けていたらしいです」
「事情聴取か……それで、どうなった?」
「それで、パトカーに乗せられて行ってしまったそうです」
「でも、目撃した場所が小柳さんのいる自宅とは反対の方角だったので、あれは小柳さんのドッペルゲンガーではないかと噂されています」
「ドッペルゲンガーなら他人が見ても何の害も無いんじゃないかな?」
 自分のドッペルゲンガーを見ると、近いうちに死ぬという話は聴いた事はあるが、他人が見るとどうなるかはまだ知らない。
 でも、話の内容からして心当たりはあった。多分、あれはドッペルゲンガーではなくて僕の分身だ。
 先程、女性社員が見たのは小柳1の命令に従って、お巡りさんが僕の分身を回収していたところなのだろう。実際、僕自身も砂浜で倒れていたところをお巡りさんに拾われて警察署まで連れて行かれたのだから、間違いない。
 とはいえ、本当の事を話す訳にはいかないので……
「間違いなく、その人は別人だな」
「やっぱり、そうですか」
「そもそも、僕は警察のお世話になる様な失態は犯さない」
 若干嘘は混じっているが、自身の無実を証明する為にも僕は力強く断言した。
「そうですか……そうですよね。小柳さんが警察のお世話になる様な事をする様な人では無いですよね」
 峰倉は少し安堵した表情になった。
 その時、就業開始を告げるチャイムが鳴った。

「今度はそんな事があったのですか。やはり何者かが小柳さんを狙った様ですね」
 昼休み。また佐渡さんに今朝駅で起きた出来事と後輩から聴いた噂話を告げた。
「しかし、突然後ろから爆発音が聴こえたという事は、小柳さんを陥れる為の罠だったかもしれないですね。後で駅員が調べましたけど、爆発物らしきものは置いていなかったそうです。恐らくスマートフォンを操作して爆発音が鳴って周りが混乱させる事で隙を作ったのでしょうう」
「で、犯人は見つかったのですか?」
「防犯カメラに犯人が小柳さんの背中を押しているところはバッチリ映っていましたが、あなたを線路に突き落とした後、すぐさま駅を出て行ってしまいまして、途中で行方が分からなくなりました」
 それを聴いて、がっくりと肩を落とした。何をやっているんだ、警察。
「……今、凄く不愉快な事を思いませんでしたか?」
「いえ、何も……」
 電話の向こうからでも僕の考えはお見通しだった。
「とりあえず、防犯カメラにはその様子が映っていたので、そこからじっくりと解析します」
 それなら良かった。これなら、犯人も逮捕出来るだろう。

 仕事中も特に何事も起こらず、無事に仕事を終えて定時に会社を出た。
 佐々木部長が僕に声を掛けて来た。
「お仕事、お疲れ様」
「お疲れ様です、部長」
「峰倉から聴いたよ。あれ、お前じゃなかったんだってな」
「そりゃ、そうですよ。そもそも僕は警察のお世話になる様な事はしませんよ」
「そりゃ、そうだな。お前はウチのエースなんだから、会社の為に頑張ってもらわないとな」
 佐々木部長は、僕の肩を力強く叩いた。少しだけ痛みがあった。
 駅まで帰る途中、僕はこれまでの流れを思い返した。
 僕の分身がどれだけ存在しているかは分からないけど、社員からも目撃されている。もしかしたら、僕と僕の分身が偶然鉢合わせするなんて可能性もあるかもしれない。そうなったら、どうしよう。
 僕がそんな事を考えながら歩き始めた時だった。
 突如、けたたましい急ブレーキの音が耳に突き刺さった。思わず音がした右側を振り向いた瞬間、いきなり全身に強い衝撃が走ったかと思いきや、僕は宙を舞っていた。
 僕の視界には、その光景がスローモーションになって動いていた。
 目の前で起きた惨事に、唖然なり呆然なり驚愕なり一斉に口を開ける人々。その中でほんの少数だが、スマートフォンを片手に僕を撮影する若者の姿が見えた。
 そんな光景を見ながら、僕はそのまま地面に激突した。その様子に騒然とする人々、僕の意識はだんだん遠のいていき、次第に前の前が真っ暗になっていった。

 死んだかと思ったら、また意識を取り戻した。当初は病院に駆け込まれたのかと思ったが、視界はまだ夜空のままだった。思った程、致命傷ではなかったのか。
 体を起こすと、スーツが赤い血で派手に汚れていた。掌を見ると、そこにも大量の血が付いていた。
 周りの人達は起き上がった僕を見て、唖然としていたが直後、一気に震え上がった。
「何だ、この人。トラックに撥ねられたと思ったら急に生き返って身体が再生したぞ」
「コイツは化物だ!」
「何これ?」
 突如、僕に向かって罵詈雑言を浴びせる大衆。
「違います! 僕は……僕は人間です!」
「小柳……お前、まさか……」
 僕を見て恐れる人達を前に必死で弁明したが、周囲は誰も僕も話に耳を傾けず、騒ぎ立てるばかりだった。
 僕は恐怖のあまり、その場から逃げた。

 逃亡している時に血に濡れた箇所が盛り上がっていくのが分かった。それらはぼこぼこと膨れ上がり、人面が出来上がっていく。
 まさか、血液からでも再生出来るというのか。
「やめろ! 何なんだ、お前は!」
 僕は目の前で出来上がっていく赤い化物に怒鳴った。それでも、赤い化物の身体はどんどんと目の前に迫り、僕の顔に手を伸ばす。
 恐怖を覚えた僕は赤い化物を手で振り払った後、引きちぎった。
 赤い化物は道端に倒れたが、その後も再生は続き、身体が大きくなっていった。それが人間の大きさにまで成長すると、僕を追いかけて来る。
「うわあああああああっ!!」
 自分を追いかけて来る赤い怪物を眼前に顔面蒼白となった僕はひたすら逃げた。
 その時タイミング良く、パトカーが颯爽と現れて、後部座席の扉が開いた。
「乗れ!」
 僕は佐渡さんに手を伸ばして、彼女の手を握りしめると、すぐさまパトカーに入った事で、赤い怪物の手から逃れた。

「た、助かったー……」
 どうにかピンチを脱して、僕は大きな安堵の溜息を吐いた。
「大丈夫ですか?」
「そいつは災難でしたね。交通事故に遭ったせいで、自身の特異性が周囲に知られてしまうなんて」
「すみません。それに血塗れになった服から突然出て来て、怖くなったので自分で引きちぎってやりました。奴らがその後どうなったかは分かりません。あれは一体何なのでしょうか?」
 僕の質問に、佐渡さんが少し考えて答えた。
「恐らく、その赤い化物とやらもあなたの分身でしょう」
「分身……? あんな化物がですか?」
 まさかの答えに僕の顔は青ざめた。
「実は科学警察研究所の研究員が1番の身体で人体実験をしていまして、血液からの再生も調べているのです」
「そんな事までやっていたのですか?」
「はい。あなたが言う赤い化物も、きっとそれに違いないでしょう」
「という事は……」
 顔を真っ青にしながら話す僕の問いに、佐渡さんは容赦ない現実を突きつけた。
「別に化物でもなんでもない。しばらくすれば、あなたと全く同じ風貌になるでしょう」
 佐渡さんから突きつけられた残酷な現実に、僕は深い恐怖に襲われた。あんな得体のしれないものも、僕の分身だなんて……。自分の身体からあんな怪物が出て来るなんて。あんなものを見たら、生み出した僕自身すらも身体が震えてくる。アレを僕の分身だと認めろというのか。
 僕はそれを現実と受け入れる事が出来なかった。
 あんな化物が僕と同じ風貌になって世間を騒がせて、また僕が非難を浴びせられる。そして、僕は世界から脅威として恐れられて徹底的に排除されていく。
 そんな恐怖と絶望が僕の頭の中を駆け巡った。
「そんな。それじゃあ、もう僕は……」
 その事実を知った時、平凡な生活は完全に壊れたと悟った。二度と元には戻れない。
「どうしてこんな事になっちゃったんだよ……今まで普通に暮らしていたのに、どうして……」
 深い悲しみに暮れた僕は、ただ涙を流すしかなかった。
「泣かないでください。あの人達も私達が全て捕獲します。だから、心配する事は……」
「変に励まさないでください!」
 僕は、宥めようとする佐渡さんを突き放す形で怒鳴った。
 まさかの反応だったのか、佐渡さんが内心傷ついた悲痛な表情に変わった。
 だが、すぐに元の表情に戻り、
「そうか。申し訳ございませんでした……」
 と謝った。
「だが、決してあなたが独りになった訳ではありません。少なくとも私はいつまでもお前の味方ですから」
 深い悲しみで涙を流す僕に、佐渡さんは黙って僕の肩を優しく撫でた。

 警察署に到着すると、僕の分身が駆け寄って来た。人数は五人。最初に会った1番の他に四人確保していた様だ。
 僕は恐るべきものが映っていた。
 テレビに映っていたのは、僕が遭った交通事故だが、その後僕の身体がみるみると再生されていく姿が映っていたのである。
「マスコミによる独自取材ですね」
 佐渡さんがテレビを見ながら呟いた。
「独自取材? そもそも報道って、向こうからの許可が無いとダメではないのですか?」
「スキャンダルならともかく、刑事事件を報道する上では、わざわざ許可を取る必要はありません。マスコミの独自取材で真犯人を暴いた事例もありますが、嫌疑があるという理由だけで、容疑者でない人の顔写真を新聞に掲載した事例もあります。たとえ、我々が一般の交通事故として報道しても、現場にいた人がSNSに掲載したものが拡散されて、それをマスコミが拾ったらもうお手上げです。もし、小柳さんの関係者にマスコミが取材に来たら、君の事が報じられる可能性があるかもしれません」
 それを聴いて、僕は深い絶望のどん底に叩き落とされた。
 恐ろしい現実に、僕は閉口せざるを得なかった。
「とはいえ、小柳さんは被害者ですからね。顔や氏名は明かさない様に各マスコミに頼む。それと、2番も当分は外には出ない方が良いでしょう。あと、あなたの家族にも被害が出ない様に実家にもホテルに避難させます。近所の人やマスコミに追われるのは間違いないですから」
「そうしてくれるのはありがたいのですけど、それで大丈夫なのですか?」
「あんな不気味な映像が流れたら、向こうにも被害が及ぶでしょう。加害者家族ならともかく、被害者家族を匿う事は珍しいのですけどね」
「じゃあ、僕も迎えに行った方が良いですか?」
 その言葉に佐渡さんは少し考えて、
「いや、それは危険です。あなたも自分の体質に気付いたのはつい最近ですよね。自分の家族にもそれが知られたら、拒絶される可能性があります。落ち着いた時に会った方が良いですが、もし電話が来たら出てあげてください」
「分かりました」
 こうして僕は当分の間、警察署に匿われる事になった。

語り部 小柳和仁(ナンバリング不明)

 数日前の夜、何者かに襲われて気付いた時には森の中に全裸のまま放置されていた。
 自分が何故こんな目に遭ったのか全く心当たりが無かった。誰かが僕を恨んでいるのか。
 だが、自分は今までの人生で誰かに明確な恨みを買う様な事は一切していない。
 しかし、何故犯人は僕を襲った後、生きたままこんな山奥に置いたのだろう。単なる悪戯だったのだろうか。
 だが、肝心の貴重品やスーツが無かったので、当初は単なる強盗かと思ったが、そうだとしたら、わざわざ山奥に放置していく真似はしないだろう。
 それにしても、生き埋めと言われるとアウトロー漫画やVシネマに出て来そうなシチュエーションである。
 あの後、何とかそこから地面をかき分けて這い上がった。そこを偶然通りかかった猟師に拾われたので良かった。
 当初は死体と間違えたそうで、僕が目を開けた瞬間は非常に驚いたそうだ。
 それにしても、まさか自分がこんな目に遭うとは思わなかった。
 しかも、昨日会社員がトラックに撥ねられる事故が発生したという。一見すればよくある悲しい交通事故だが、何と被害者の身体が突如再生するという怪奇現象が起きたらしい。中には、全身真っ赤な人間の目撃情報も僅かにあったらしいが、肝心の画像は一切閲覧されていないそうだ。何でも、警察がSNSの運営会社に削除依頼を出したらしいので、肝心のシーンは見ていない。
 全く物騒な世の中になったものだ。
 とりあえず体力が回復した後、猟師にお礼を言って山を後にした。しかし、こんな嫌がらせをしたのは一体誰なのだろうか。警察に被害届を出そうと思いつつ山を下りた。
 その時である。
「ねぇねぇ、すいません。ちょっとお話良いですか?」
 突然、若い男性が僕に話しかけて来た。
 男性は渋谷系のファッション(最近の流行のファッションには詳しくないが、テレビでそんな格好の男性をよく見ている)に身を包んでおり、髪は金髪に染めており、耳にはピアスを付けている。一言で言うと、軽薄な男である。
「どうしたのですか?」
 僕は警戒しながら尋ねると、金髪の男性は答えた。
「実は僕達、動画配信をしているのですけど、今回僕達はある調査をしているのですよ」
「ある調査?」
「はい。実は最近、増殖男の都市伝説が話題になっているんです」
「増殖男? 何ですか、それは?」
 僕が尋ねると、男性は「実際に見た方が早いですよ」とスマートフォンに映し出された動画を見せてくれた。
 再生されたのは、例の交通事故の様子。大型トラックに衝突されたサラリーマンの遺体が映し出されていて、道路には血も大量に流れている。
 現場には救急車を呼ぶ人や悲鳴を上げている人、携帯電話で事故の様子を撮影している人がいた。大勢の前でこんな現場を目撃したら衝撃を受けるのも分かる。
 一見すると、不謹慎な動画に見えるが、肝心の場面はそこからだった。
 救急車が駆けつける前に男性の身体がみるみると再生していったのである。それを見て、顔を真っ青にする人々、呆然とする女性、唖然とする男性。これが単なるCGとか映画の撮影なら良いのだが、周囲の反応からして、とても演出とは思えなかった。
 肉体の再生を終えた男性はゆっくりと身体を起こすと、周囲は更なる悲鳴を上げた。その次に、男性を「化物」「お化け」と罵り、騒ぎ立てた。
 男性は必死で自分は人間だと主張するが、僕は被害者の男の顔に疑問を持った。
「あれ? 何でこんなところに僕がいるんだ?」
 僕がそう呟いた瞬間、背後から「ビンゴ♪」と声が聴こえ、次の瞬間には鈍器の様な物で力強く殴られた。
 僕の意識はそこで途切れた。

語り部 小柳和仁1

「佐渡警部補、大変です!」
 午後五時。池谷くんが大慌てで駆け込んで来た。
「どうしたんだ、池谷。そんなに慌てて」
 佐渡さんが池谷くんに尋ねる。
「これ、見てくださいよ!」
 池谷くんがスマートフォンの画面を見せた。そこには、動画サイトにとんでもない映像が映っていた。
 僕達は、その動画を見た。

「どうもー! 俺達怖いもの知らず! 罰当たりデンジャーズでーす!」
 画面に出て来たのは、テンポ良く流暢な口調で動画を進行する若い男性3人だった。場所は分からないが、恐らくどこかのビルの様だ。部屋の電灯の代わりに照明を使っている辺り、今は使われていないところを撮影場所として使っているのだろうか。
「今回は、最近都市伝説で話題になっている増殖男の回復力を徹底的に調べたいと思いまーす!」
 画面に映っていたのは、身体を椅子とロープで拘束された男性の姿だった。目隠しをされている為に素顔が分からず、口もロープを咥えられているせいで呻き声を上げるばかりだった。だが、こんな所に閉じ込めている時点で完全に誘拐・監禁でしかない。
「まずは、手をナイフで斬ってみたいと思いまーす」
 と言って、金髪の男性がナイフで右手の甲を貫いた。
「――っ!」
 男性から言葉にならない悲鳴が漏れた。
 男性の胸に刺さったナイフが引っこ抜かれると、若者達は男性の傷口を嬉々しながら観察した。
 すると、傷がみるみると治癒されていった。
 それを見た男性は歓声を上げた。
「スゲー! マジで傷があっという間に治った!」
「うおーっ! 皆さん、見ましたか? 今、傷が綺麗に再生されましたよ!」
「再生男の噂は本当だったんだー!」
 若者達は画面に向かって、指を差した。
「じゃあ、お次はライターでほっぺたを炙ってみたいと思います」
 ピンク色の神の男性がライターで火をつけて、彼の頬を焼いた。
「――っ!」
 火が男性の頬を焼いていく。頬が火傷して爛れ落ちると、男性はライターに蓋をした。カメラが傷口の方に近付くと、ケロイド状になった怪我はみるみると修復されていき、火傷の跡が全く無い状態に戻った。
「おぉーっ! マジでつるつるじゃーん」
 ピンク髪の男性は指で男性の頬を撫でた。
 その後も、膝に釘を刺したりナイフで心臓を刺したり人体実験を楽しむかの如く、男性の身体を傷つけていった。
 大森さんから人体実験を受けた時もヤバかったけど、向こうはライブ配信している辺り、更に狂気を感じる。コメント欄にも「これ、ヤバすぎ」「犯罪じゃないの?」と不安の声が出て来ているが、「これ、やらせじゃないの?」「いいぞ、もっとやれ!」と煽るものもあった。
「じゃあ、最後はチェーンソーでぶった斬ってみたいと思いまーす!」
 チェーンソーという言葉を聴いて、僕は耳を疑った。
 茶髪の男性は画面にチェーンソーを見せつけた。紐を引っ張ってエンジンを掛けると、チェーンソーの刃が高速で回転し始める。
「おい、そんなことして大丈夫なの?」
「どうせ、人体切断してもすぐ再生するから大丈夫じゃない?」
 と余裕を口にして、茶髪の男性はいきなり男性の首を斬り飛ばした。
 いきなりの断頭に興奮の声を上げる若者二人組。首は勢い良く飛ばされた後、壁にぶつかりそのまま床に転がっていった。
 すると、会場内はしばらく静寂に包まれた。三人は男性の人体再生を待つが、なかなかその様子は見られなかった。
「……どうしよう。オレ、人殺しちゃったかもしんない……」
 先程、チェーンソーで男性の首を刎ねた男性は引き笑いをしながら、他の男性二人に視線を向けた。
「そ、そんな事言われても、俺達何もやってないし」
「そうだよ。カッツンが一人でやったんじゃん!」
「おおおお前らだって、さっきまで楽しんでやってただろ?!」
 予想外の展開に、先程まで一緒にはしゃいでいた他二人も反論した。
 今までノリの良い流れで進行した三人組が突如、仲間割れを起こし始めた。何だか気まずい空気である。
 その時だった。先程首を失った男性の首からむくむくと何かが生えて来た。
 傷口が塞がれていくと同時に先端部分が丸く膨らんで大きくなっていく。
 その後、髪が生えて目や口、耳、鼻が出来上がって行った。その顔は紛れも無く僕と同じ顔の男性だった。
「うおおおおおっ! スゲー! 首をぶった切られたのに再生したー!」
 とんでもない光景を目の前に興奮する若者三人組。普通だったら、気味悪がられてもおかしくないが、かなり興奮していた。
「良かった! これで警察に捕まらずに済む!」
 どうやら、彼らは人の身体が再生していく不気味さよりもお縄につかずに済んだと安堵する気持ちが大きかった様だ。
 それ以前も、人体が急速に再生されていく様子を面白おかしく実験して興奮していたのだから、その様な反応をしてもおかしくないが。
 だが、生えて来た方の小柳は、安堵の喜びを浮かべる三人を問い詰める。
「なぁ。さっきから君達、随分と無邪気に喜んでいる様だけど、人をこんな所に閉じ込めて、一体何が目的なんだ?」
 椅子に縛られた方の僕の質問に、デンジャーズの三人は視線を向けた。
「あっ、おじさん。気が付いた?」
「てか、目隠しと口封じのロープ、どうやって外したの?」
「さっき、君達が首を斬った時に取れた」
 正しくは、目隠しと口封じのロープをされていた方の首が斬られただけである。再生するのは人体だけであり、衣服や身に着けているものまでは再生されない。
 ロープに縛られた新たな小柳は若者に問いつめた。
「ところで、君達は僕をこんな所に閉じ込めて何のつもりだ? まさか君達が僕を殺した犯人なのか?」
 小柳7の質問に配信者は悪びれる事無く答えた。
「殺した? 何を言ってるんですかー? 殺しましたけど、生き返ったんだから良いじゃないッスかー」
「生き返った? 生き返れば、それで許されると思っているのか?」
 恐らく、小柳7と若者との間には大きな思い違いが起きている。
 小柳7が聴いていたのは、今自分を殺した犯人ではなく最初に自分を殺した犯人についてである。
「実は俺達、ネット上で噂になっている増殖男に実験をしていたんだ」
「実験?」
「おじさん、知らないの? 俺達は罰当たりデンジャーズと言って、毎回近場のオカルトに体当たり取材をしているんスよ」
「ほら、今画面の向こうで大勢の人が見てくれているよー」
 ピンク髪の男性が画面に指を差し、カメラの向こう側にいる視聴者に手を振った。
「こんな事をして許されると思っているのか? もし、警察が来たらどうするんだ!?」
 小柳7は険しい表情で問い詰めた。僕自身、本来は人を叱れるタイプではないので、内心恐怖に怯えている事は察した。
 それでも、彼らはヘラヘラと笑うばかりだった。
「大丈夫だって! だって、おじさん、人間じゃないじゃん」
「そうだよねー。普通、あんな事されたら絶対に再生しないし。それに車に撥ねられても生き返っちゃうし、その後の血痕からも再生したっていうからさー」
「もし、人違いだったらどうしようかと思って話し掛けたけど、これなら幾らでも殺せるよね」
 被害者の意志を無視して、三人は一方的に話を進める。
「でも、首を斬られたり心臓を刺されたりしても再生するって事は他のところを斬っても平気って事じゃね?」
「だよなー」
「それに増殖していくところも生で見てみたいよな」
「じゃあ、他の部分もやる?」
「さんせー!」
 被害者の主張もむなしく、三人は被害者の身体をバラバラにし始めた。
「よーし、それじゃあ俺も首を斬ってみるかー!」
「ちょっと、何をす――うあっ!」
 首が生えてから十分も経っていないにも関わらず、小柳7は再び首を斬られたにも関わらず、すぐさま手足や胴体を椅子ごと斬っていった。それと同時に大量の血が流れ出す。
 切断をし終えて、血まみれになった床の上に完全にバラバラになった肢体が置かれた。だが、しばらくすると、バラバラになった肉片がうねる様に動き出した。
 待ち望んだ展開に息を飲む三人組。
 それから数分後、肉片がそれぞれ再生を始めた。
「おーっ! 再生キターッ!」
「やっぱり、増殖男の噂は本当だったんだ!」
「スゲー! じゃあ、今度はどこまで再生出来るか確かめようぜ!」
 まだ、完全に再生を終える前に、男性達は興奮しながら次々と斬り刻んでいった。それはまるで快楽殺人犯だった。
 そんな殺人犯に斬り刻まれながら悲鳴を上げる男性。中には、再生している途中であるにも関わらず、この場から逃げようとする者もいた。だが、ドアノブに手を掛ける前に、彼らはそいつらに容赦なく手を掛ける。
「助けてー! 助けてー! 助けてー! 助けてー! 助けてー! 助けてー!」
 画面の向こうで、チェーンソーや斧、ナイフで斬りつけられて、増殖しながらも悲鳴を上げながら助けを求める無数の小柳7。
 コメント欄もかなり荒れているが、そんな事もお構いなしに彼らは小柳7の殺害を楽しんでいた。
 その表情はあまりにも狂気的で明らかに小柳7を殺す事を楽しんでいた。まさに殺人に興奮と快感を見出すサイコパスと同じだ。
「これは大変です! 今すぐ助けに行かないと」
 僕は斬り刻まれる7番を見て声を上げた。
「彼らは、どこにいるんですか?!」
 僕は池谷くんに慌てて尋ねた。
「この動画は、場所からして恐らく警察署から約二十キロ離れた廃墟ビルだと思われます。あと、これはライブ配信ですけど、今は追っかけ再生にしていまして、実際の時間は、二十分程、進んでいます。恐らく彼らは今も切断を続けていると思われます」
「分かった。至急、配信先を特定してください」
「了解しました」
 佐渡さんの指示で警察は一斉に動き出した。
「2番は今精神が不安定な状態ですからね。1番と3番から6番も、一緒に行くが良い」
「えっ? 僕達も良いのですか?」
「あんな状況だから警察だけで彼らを保護するのは難しいですからね。君達も協力してください」
「分かりました」
 という訳で、僕とその分身もパトカーで同行する事になった。

 辿り着いたのは、都内の古いビル。建物の周りに隣接するものは無かった。どうやら、あそこで撮影が行われている様だ。
「あそこで、撮影が行われているのですか?」
「恐らくは」
「でも、どの階にいるのでしょうか?」
「それは、向こうから聞こえてくる騒がしい音を頼りに行くしかないでしょう」
 他に人がいないから、遠くからでも悲鳴が聴こえて来るのが分かった。
 その時だった。
「助けてー! 助けてー! 助けてー! 助けてー! 助けてー! 助けてー!」
 既に建物内から大勢の男性の悲鳴が聴こえて来る。その声は紛れもなく、あの動画で聞こえたものと同じだった。
 恐らく、増殖と再生を繰り返しているうちに大量に溢れ返った小柳達が部屋の中だけでは収まりきらなくなってしまって、遂にドアが破られてしまったのだろう。
 小柳7達は瞬く間にこちらまで迫って来る。
 まさかの非常事態に佐渡さんはお巡りさんを連れて一斉に突撃する。
 その様子を見た佐渡さんは大きく息を吸い込むと、拡声器で叫んだ。
「全員止まれ!!」
 体育会系の鬼教師並みに力強い佐渡さんの大声が響き渡り、小柳7達は一斉に動きが止まった。
 理由は佐渡さんの怒声にビビったからではないかと思った。実際、近くにいた僕もガチで怯んだ。
 だが、どうすれば良いのか分からない小柳7はしどろもどろになってしまい、ただ怯えるだけだった。
 佐渡さんは続けて告げた。
「安心しろ! 私達はお前達を保護しに来ただけだ。ここから逃げたところで、また恐ろしい目に遭うだけだぞ! 一般市民から化物として退治されたくなかったら、大人しく警察の言う事に従え!」
 普段とは違う乱暴な言葉遣いだが、今はそれがカッコ良く聴こえる。
 それを聴いて、小柳7達は一斉に佐渡さんの言う事に従った。
 警察という言葉が効いたのかもしれない。
 彼らは、佐渡さんの言う事に大人しく従い、全員パトカーに乗せられて行った。
 その間に、佐渡さんは僕と警官を引き連れて犯人のいる部屋に出向いた。
「警察だ! 午後八時七分。殺人未遂及び監禁の容疑でお前達を全員、現行犯逮捕する!」
 佐渡さんは部屋に入るなり、すぐさま逮捕を宣告した。
「ちょっと、何で警察がこんな所に来るんだよ!」
「誰が通報したんだ!?」
「何でだよ! そもそもアイツは人間じゃなくて化物なんだぞ!」
 若者達は必死に抵抗したが、駆けつけた大勢のお巡りさんには全く敵わず、配信者三人とカメラ撮影者に手錠に掛けた。
「離せ! せっかく良いところなのに!」
「そうだぞ! 今スゲー盛り上がっているところなんだぞ! 邪魔するんじゃねぇ!」
 逮捕されたにも関わらず、未だに喚く四人だったが、お巡りさんによって強引に部屋から連れ出されていった。
 
 犯人がいなくなった後、血まみれになった室内に入った。そこには、部屋の隅でうずくまりながら震える小柳7だった。
 多分、最初に首を刎ねられた方だと思う。
「大丈夫ですか?」
 僕は刺激しない様に、彼に話しかけて手を差し伸べた。だが、
「怖いよおおおおおっ! 触らないでくれえええええええ!」
 肝心の7番は暗闇を怖がる子供の様に酷く怯えていた。先程、身体を斬り刻まれたのが相当なトラウマになっているのだろう。
「安心して、僕は君の分身だ。さっき君を襲った連中は全員警察に逮捕されたから、もう大丈夫だ」
 当の分身が助けに来たにも関わらず、彼は身体を丸めて両手で頭を押さえ未だに震えるばかりだった。
「1番、7番達は無事でしたか」
「はい。斬られた後の身体は見事に再生されていましたが、やっぱり先程の惨殺が相当応えた様で、僕が話しかけても怯えるばかりでした」
 その言葉に、佐渡さんは目を伏せながら「そうか……」と漏らした。
「しばらくの間、確保した小柳7達は精神病院の閉鎖病棟に収容します。これでは、事情聴取も出来そうにないですからね」
 こうして、動画の投稿者四人は殺人未遂及び監禁の容疑で全員、現行犯逮捕されて問題の動画もアカウントと共に削除された。
 だが、保護された百人近くの小柳7達は未だに精神がかなり不安定な状態だったので、そのまま精神病院の閉鎖病棟に収容されたのであった。

「……とりあえず、犯人が逮捕されたのは良かったですけど、彼らは事件の犯人ではありませんでしたね」
 事件が終わった後、僕の言葉に佐渡さんは「そうだな」と答えた。
「彼らの目的は、人体が再生する7番の様子を動画配信で世間に見せつけて、自分達の注目を集める事でしたからね。もし彼らが小柳さんを最初に殺した犯人だとしたら、わざわざネット配信を使って世間から注目を集める様な事はしませんから」
 冷静に考えてみれば、そうだ。僕自身、この異常な特性に気付いたのは最初に殺された事件の時である。もし、あの現場に彼らがいたら、わざわざ小柳7を見世物にする事はしない。
 寧ろ、殺したはずの人間が生きていると知ったら、口封じの為に必ず再び動くし、それ以前にただ注目欲しさから殺人の様子をネットで公開するサイコパスはいない。
「しかし短い時間とはいえ、この動画が公になった以上、噂になる事はもはや避けられないですね。人の噂も七十五日と言いますけど、今回の噂はまず七十五日では静まらないでしょう。マスコミには報じない様に頼むし、出来る限り火消しに努めますが、当分は外に出ないでください。これ以上、厄介ごとを増やされても困りますから」
「分かりました……」
 とはいえ、この動画を見ていた人はかなり大勢いた様に思えた。後で彼らの事をネットで調べたら、彼らは以前から動画サイトで過激な企画を行っており、それで高い人気を集めていた。
 きっと、今回の事件でもかなりの人数が小柳7の再生を見ていたに違いない。
 もしかしたら、遠い将来にこの動画で流れた事が都市伝説になっているかもしれない。そう思うと、身の毛がよだった。
 もし、僕の家族が何らかの事件に巻き込まれたら……。
「佐渡さん、お願いがあるのですが……」
 僕は男勝りな女刑事にある事を頼んだ。

視点 小柳和宏

 ――小柳家は化物一家である。
 そんな噂が小柳家の近所で流れていた。原因は、あの交通事故。
 都内の人通りの多い交差点で、一人の男性会社員がトラックに撥ねられたのである。
 話だけを聴くと、よくある悲しい交通事故だが肝心なのはそれ以降。
 男性が撥ねられた後、何と撥ねられた男性の身体がみるみると再生されていったのだ。更に、血痕から赤い人型の怪物が現れたという目撃情報もあった。
 そんなホラーじみた内容が注目を集め、その男性は“増殖男”としてネット上のターゲットになり、まとめサイトやSNSなどで世間から注目を集めていた。
 あの事故が起きた日の夕方、突然和宏の家に警察がやって来て、「マスコミが押し寄せるかもしれないから、当分の間ホテルに避難した方が良い」と告げられ、理由も分からないまま和宏と両親は実家から遠く離れたビジネスホテルに宿泊させられた。
 和宏が「どうしてここに連れて来たのですか?」と尋ねると、警察は答えた。
「実際にテレビを見た方が早いです」
 警察がテレビの電源を入れると、そこに映っていたのは、トラックに撥ねられて仰向けに倒れている一人の会社員の姿だった。突然の事故に、周囲は騒然としていた。
 だが、数秒後。突如男がムクッと起き上がった。次に男は両掌を見つめて、周囲を見渡した。
 その男の顔は、和宏がよく知る人物だった。
 小柳和仁――自分の兄だ。
 その後テレビ画面には、男について司会のアナウンサーの質問に、オカルトに詳しい専門家が答えている場面が流れていた。
 具体的には、プラナリアが人型に進化したもの、人類の進化、最後の審判の予兆、悪魔の化身など、ありとあらゆる憶測を語っていた。
 彼らが確証の無いデタラメな憶測を語る中、例の動画が再び流れ、アナウンサーが例の増殖男への恐怖を煽るコメントをしていた。
 ちなみに、別のチャンネルを回してみても、どのチャンネルでも増殖男の話題で持ちきりだった。
 なお、動画に映っていた男はその後動画サイトで惨殺される様子を流されていたそうで彼も増殖男と同一人物、もしくは分身ではないかと言われている。

 あの事故のニュースが報道されてから、和宏の家族の生活は一変した。
 しかも、その後増殖男をネット配信者が切断しまくったライブ動画が配信されていたという話まであった。
 和宏もその惨殺動画の存在をネットで調べたが、噂話の存在こそあったが、肝心の動画はどこにも存在しなかった。
 内容に問題があるとして、既に運営から削除されたのかもしれない。
 だが、近所の人で実際に動画を視聴していた人がいたらしい。
 おかげで、まだ確定していないのに、小柳家は近所から陰口や非難を浴びる様になった。
 それだけではない。どこの誰かも知らない相手から携帯電話が掛かって来る様になった。
 どうやって調べたのかは分からないが、電話が掛かって来る様になった。一度出ると、いきなり「化物一家め!」などと罵声を浴びせられた
 携帯電話ショップに行って番号を変えても、一体どうやって調べたのか、未だに素性も知らない相手から嫌がらせの電話が次々と掛かってきたので、和宏は恐怖のあまり携帯電話の電源をしばらく切っていた。
 しかも、職場でも兄の噂で持ちきりになっていた。
 おかげで、すっかり職場から孤立してしまい、仕事場に行く事すら憂鬱になりとうとう休職届を出した。
 まるで、重大な事件の加害者家族になった気分である。
 その間、和宏はこれまでに起きた騒動について一人で考察する事にした。
 考えてみれば、マスコミに報じられた事故や事件は、あくまで兄は被害者の立場にいる。なので、兄は決して犯罪に手を染める様な事はしていない。それなのに、何故皆は兄や自分達を悪者扱いするのか。
 普段大人しい人が突然事件を起こしたという話があるが、まさか内向的な兄も何かやらかしたのか? 彼の身に何かあったのか? そう思った和宏はスマートフォンで、増殖男について検索した。
 調べたところ、アングラサイトやSNSで男性の身体が増殖・再生する話題を見つけた。試しに、それを覗いた。
 でも、それに書かれていた内容は、さっき俺がニュースで見たコメンテーターの発言とほとんど変わりは無かった。
 おまけに、増殖男の分身は全て警察によって捕獲されたという情報もある。
 とはいえ、さすがに兄さんがそんな事件を起こすはずは無いと思っていたかった。まさか、兄が増殖した理由も、あの事故や事件と関係があるのか。
 一体、兄は何をやらかしたというんだ。それとも、何か事件に巻き込まれたのか。
 不安になった俺は、久々に携帯電話の電源を入れて兄さんの携帯電話に掛けた。
 最近、スマートフォンを失くしたという事で和宏の携帯電話に新しい電話番号とメールアドレスが届いたが、何か起きたのか分からなくて、アドレス・電話番号の変更メールが届くまで連絡を取る事が出来なかった。
 だが、ここまで来たら自分で確かめるしかないと思い、和宏は兄さんの電話に掛ける事にした。
 コール音が何度も鳴ったが、兄は電話に出なかった。
 やはり、兄は家族に言えない何かをやらかしたのか。もし、そうだとしたら何故そんな事をしたのか。
 和宏は、未だに会えぬ兄を不安に思った。

 数日後、和宏は再び小柳に電話をした。発信音が二回鳴った後、すぐに出た。
「もしもし、兄さん」
「和宏。どうしたんだ?」
「警察の人から連絡があったんだ」
「連絡?」
「うん。警察の人が家にやって来て、兄さんについて聴きたい事があると言われたんだ」
「そうか、それは済まない事をしたな」
 声からして申し訳なさそうな事を言っているが、何か焦りというか切羽詰まったものを和宏は感じた。
「大丈夫だ。俺は何も悪い事はしていない。それだけは信じてくれ」
 と答えて、電源を切った。
「どうしたんだ? 和宏」
 和宏の父が尋ねて来た。
「兄さんと連絡が取れた」
「和仁と連絡が取れたのか?」
「うん……」
「それで、どうだった?」
「命に別状はなかったそうだけど……そこからがちょっと怖くて」
「怖いって、どういう事なんだ?」
「身体が再生したらしいのよ」
「再生?」
 振るえた声で話す母の言葉の意味が俺には全く分からなかった。
「母さん、それってどういう事なんだ?」
「分からない。でも、目撃した人達も結構いるみたいで、現場はかなり大変な事になっていたみたい」
 恐怖に震える母の呟きを和宏は聞き逃さなかった。
「……もしかして、あれは気のせいじゃなかったのかしら?」

 警察から許可をもらい、病院で祖父のお見舞いに行った。
 祖父は、膵臓癌を患っており半年前から入院している。
「おぉ、和宏か」
 祖父は元気そうに挨拶した。
「一ヶ月ぶりだなぁ」
 祖父は孫に会えた事を喜んでいた。
「ところで、和仁はどうしている?」
 祖父は笑顔を見せながら尋ねた。祖父は孫の件についてまだ知らない様だ。
「うん……元気にしているよ」
 さすがに本当の事を打ち明ける訳にはいかなかった。自分でも、まだこんな奇怪じみた現状を受け入れられていないのだから。正直に告げたところで、余計不安にさせて混乱させるのは目に見えている。
 せめて祖父だけは世間からのバッシングに苛まれる事なく、安らかな最期を迎えて欲しいと思っている。

 お見舞いが終わり、診療室に行くと医者が告げた。
「そう言えば、あなたのお兄さんの噂、聴きましたよ」
 祖父を担当する医者・金島(かねしま)先生から出たまさかの言葉に、俺は返す言葉が無かった。医者にまで届いていたのか。
「事故に遭ったかと思いきや、身体が突然再生されたそうじゃないですか。でも、警察は事故こそ処理しましたけど、肝心の男についてはどこも報じませんでしたね」
「そ、そうですね……」
 だったら、どこで兄の情報を知ったのだろうか?
「その件について、お兄さんから何か連絡はありましたか?」
「いえ、一度電話で連絡は取りましたが、大丈夫と返って来ただけです。でも、何か隠している様にも聞こえました。兄さんは嘘を吐く事があまり得意な方では無いので」
「そうですか……」
 医者にしては最近の時事を語って来るな。何か知っているのかな?
「ところで、あれは突然変異によるものではないかと噂されていますね」
「何か知っているのですか?」
「はい。たまにドキュメンタリー番組で出ているでしょう。例えば、ヘンリエッタ・ラックスってご存知ですか?」
「いえ、知りません。医者の名前ですか?」
「違います。彼女は一九五一年に三十一歳で、子宮頸癌で亡くなった際に、彼女の腫瘍からジョン・ホプキンス大学のジョージ・ゲイ博士が細胞を培養して。不死の細胞株とし、ヒーラ細胞と名付けて癌などの治療の研究に利用した。現在も難病の治療、放射線や毒物の影響に関する実験、遺伝子解読などさまざまな研究に使われています」
「そうなのですか……でも、それがどうしたのですか?」
「もしかしたら、彼の細胞もそのHeLa(ヒーラ)細胞……いや、それ以上に強烈な可能性を秘めている可能性があるのですよ。上手くいけば、人類の希望になる可能性だってある」
 金島先生の目からは、何やら暗い野望が見えた気がした。今まで普通に雑談をしていた金島先生から、次第に狂気が見え始めた。
「でも、その細胞を手に入れる事が出来ない。噂によると、政府がその男を捕獲しているという。あの神の細胞が手に入れば、人類の夢である不老不死や若返り、死者の蘇生だって現実となるのに……そこで私は考えた。その代わりを使えば良いと!」
「神の細胞の代わり……?」
 和宏は金島先生の言葉の意味が分からなかった。意味を考えようとしたその瞬間、金島先生は白衣のポケットから布を取り出して和宏の口に押し当てた。すると、目の前が歪んでいき、真っ暗になった。

語り部 小柳和仁1

 警察署に佐渡さんが駆けつけて来た。
「緊急事態だ!」
「何があったのですか?」
「小柳さんの両親から弟の捜索願いが出されました」
「弟? 和宏がですか?」
「今日和宏さんが病院へ祖父のお見舞いに行ったきり、夜になっても帰って来ないそうだ。電話を掛けても出て来ないそうです。今は県警が捜査に出ています」
 それを聴いて、僕は和宏の身を案じた。
 和宏は僕より五歳年下の弟で、勉強も運動も僕には及ばなかったが(本人の名誉の為に言っておくが、地元の大学を現役で卒業した後は、地元の外食チェーン店で正社員として働いており、決して出来が悪い訳ではない)、要領が良くて社交的な性格だった。
 それに住居の都合でお見舞いに行けない僕に代わって、仕事が終わったら時折祖父のお見舞いにも来ていた。
 でも、僕のせいで最近は精神的に参っているのではないかと思っている。
 僕が罪を犯した訳では無いけど、近所では既に僕の存在は知られているし、その人が増殖という異様な体質を持っているとなれば、驚きと戸惑いを隠せないだろう。
 周囲から偏見を持たれていなければ良いのだが……。
「GPSから連絡を取りますね?」
「どうぞ」
 そう言われて、僕はGPS機能で弟の居場所を探した。。
 調べたところ、画面のピンは病院を示していた。あそこは祖父のいる病院だった。
「あれ? という事は、まだ病院を出ていないのでしょうか?」
 それを見て、僕は佐渡さんに告げた。
「佐渡さん。あくまで俺の勘なんですけど、恐らく弟は……」

視点 小柳和宏

 ハッと目を開くと、そこは薄暗い部屋だった。
 具体的な場所を探るべく霞んだ目を手で擦ろうとしたが、手は拘束されていた。
「ようやく気が付いた様ですね」
 金島先生はニッコリと微笑んだ。
「先生、これはどういう事なのですか?」
 和宏は金島先生に怯えながら尋ねた。
「さっき私が言った通りです。あの男の弟なら、きっとあなたも神の細胞を持っているはずです」
 と、金島先生は和宏の左手の甲をメスで刺した。
「うわあああああっ!」
 手を刃で貫かれた痛みに、和宏は悲鳴を上げた。刃が抜かれて、赤い血液が流れて手擦りが汚れていく。
「さぁ、さっそくその神の細胞の力をこの目で見せてください!」
 金島先生は強烈な眼差しで流血した和宏の左手を見つめた。
 だが、肝心の傷は再生される様子は一向に見られなかった。
「おかしいですねぇ、本来ならこれくらいの怪我も、すぐに再生するはずなのですが……」
 金島先生は首を傾げた。
「もしかしたら、細胞の活性が出来ていないのかもしれません。もっと、刺激を与えればあなたも出来る筈なのです」
 先生は根拠の無い事を口にして、再びメスで俺を傷つけた。
 その後、数時間に渡って拷問を受け続けた。精神が消耗してしまって、舌を噛む気力すら残っていなかった。
「では、これならどうでしょうか?」
 そんな時、部屋の空気が大きく動いた。
 扉の向こうに立っていたのは、兄さん。その隣には女刑事さんがいた。
「和宏、大丈夫か?」
 小柳は、弟に声を掛けた。
「おっ、遂に本命のおでましか!」
 突如現れたターゲットに、金島先生は興奮した。まるで、目の前に神が降臨したと言わんばかりの表情だった。
 小柳は金島先生に告げた。
「弟の身体は再生しません。彼は僕と違って普通の人間です」
 兄の言葉を聴いて、金島先生は即座に視線を和宏に向けた。
「チッ、当てが外れたか」
 金島先生は和宏を睨みながら舌打ちした。
「それに、あなたの狙いは僕ですよね。弟は関係ありません。早く弟を解放してください」
 小柳は金島先生を説得したが、金島先生はこう返事した。
「それは出来ないな」
「何だって?!」
「君の身体は、解明すればきっと偉大な世紀の発見となるに違いないっ! 同じ血が流れているなら、きっと弟の細胞も未知なる力に目覚めるだろう!」
 金島先生はナイフを持って襲い掛かり、小柳を刺そうとしたが小柳は即座に腕でガードした事からナイフは心臓では無く右腕に刺さった。
「うっ……!」
 小柳はその場で膝が崩れたが、すぐさま刺さったナイフを引っこ抜き、刺された患部を手で抑えると、すぐに怪我が治った。
「ほぅ、コイツは驚いた。これが神の細胞の力か! まさしくこれが私の求めていたものだ!」
 だが、即座に佐渡が金島先生にハイキックをお見舞いした。
 金島先生は「ぎゃふぅっ!」と悲鳴を上げて気絶した。
 その隙に佐渡が金島先生に手錠を掛けた。
「午後六時二十八分。容疑者を現行犯で逮捕」
 その後、金島先生は警官に背負われて、連れ出されて行った。
 無事に解放されたが、和宏はまだ安堵出来なかった。
「兄さん、これはどういう事なんですか?」
 和宏は兄に迫った。
「ごめん。本当の事を話したら拒絶するんじゃないかと思って……」
 小柳は申し訳なさそうに謝った。
 そこへ佐渡が割って入ってきた。
「和宏さん。信じられないかもしれませんが、実はあなたのお兄さんは人体を再生・増殖する特異な体質なのです。さっきあなたも目の前でお兄さんの身体が再生されていく様子を見ましたよね。あれが証拠です」
「そんな……証拠と言われたって、あれを現実と受け入れるなんて……そもそも何で兄さんにそんな体質が……」
 佐渡から明かされた事実に、和宏は当初理解が追いつかず、混乱した。
「それは、僕も最近になって知った事実だからな。初めて自分の身体が再生されていくところを見た時は、気味が悪くなったから」
 と前置きを言った小柳は、自分の身に起きた出来事を話した。
 会社から帰る途中で何者かに襲われた事、その時に身体をバラバラに解体された事、でもそれが再生して身体が増殖してしまった事、今は自分を殺した犯人を捜す為に警察と共に捜査している事――全てを聴かされた。
「……そんな」
 小柳から全てを聞かされて、和宏はこれ以上言葉が出なかった、
 普通だったら、こんな話を聴いても、まず信用は出来ないが、先程兄の身体が目の前で再生されていく様子を見た後となると、兄の話を信用せざるを得なかった。全てを理解するしかなかった。
 でも、理解したからと言って、素直に受け入れられるものでもなかった。
 まさか、そんな化物じみた身体の持ち主と血を分けていたなんて……。
 今目の前にいる男が、自分の兄だとは思えなくなってきた。

 金島先生が逮捕されて自身も無事に解放され、家に戻ると両親が神妙な表情で待っていた。
 でも、決して自分達を拒絶しようとしている訳ではなかった。
「ただいま」
「和宏、無事だったのね」
 母は俺の顔を見るなり、和宏を強く抱きしめた。父も安堵の涙を流している。
「お帰り」
「和宏が無事で本当に良かったわ」
「弟さんが助かったところで申し訳ないのですが、ご両親にちょっと尋ねたい事があるのですけど、よろしいでしょうか?」
「尋ねたい事?」
「はい。ご両親は、長男の和仁さんの体質について、ご存じだったのですか? お母様が『あれは気のせいではなかったのかしら?』と弟さんが呟いていたのを聴いたそうですが」
 それを聴いて母は動揺のあまり身体が震えた。
「そ、それは……」
 佐渡の鋭い質問に、母は戸惑いを見せたが、父がそれを制止した。
「私は、子供はおろか結婚もしていませんが、ご両親が子供の事を心配する気持ちは想像とはいえ理解出来ます。しかし、こんな状況になってしまった以上、お子さんにもきちんと全てを話す必要があるのではないでしょうか?」
 佐渡に説得されて、両親は困惑したが共に腹を括った様だ。
「……そうね。ここまで言われてしまったら仕方ないわね」
「本当は墓場まで持っていきたかったのだが、こうなってしまった以上は正直に打ち明けるしかないな」
 覚悟を決めた両親の真剣な表情に、三人は当初疑問を抱いた。
 もしや、両親は兄の体質について何か知っているのか?
「やはり、ご両親はお兄さんの体質について何か知っている様ですね」
 佐渡が鋭く問い詰めた。
「ちょっと、佐渡さん。そんなに詰め寄らなくても……」
 両親に容赦なく迫る佐渡を兄は止めようとしたが、母は
「はい。知っているというより心当たりがあると言った方が良いでしょうか……」
 と前置きした。
「心当たり? それはどういう事なのですか?」
 母の口から意外な事実が告げられた。
「実は、和仁は赤ん坊の頃に小児性急性リンパ性白血病を患っていたのです」
「小児性急性リンパ性白血病?」
 兄も、今まで知らなかった事実を知らされて動揺した。小児性急性リンパ性白血病は、当時は不治の病と言われており、一度かかると完治出来ないとされていた。
 では、今ここにいる男性は誰なのか。
「か、母さん。それは、どういう事なんだ?」
 小柳は、自分を産んだ母に尋ねた。
「そのままの意味よ。あなたは生まれて一年も満たない頃に病気を患っていたの。あの頃は初めての子供を授かると喜んでいたけど、途中で具合が悪くなったから医者に相談したのだけど、不治の病だと告げられた時はとてもショックだったわ……」
 母は途中で言葉を詰まらせてしまった。当時の事が今でも辛い出来事だと感じているのだろう。
「初めて授かった我が子が死んでしまうという現実を知って私達は悲しみに暮れました。どうしてこんな事になってしまったのだろう。そんな事ばかり考えていました。そんな時、医者が私達に告げたのです」

「成功する可能性は低いですが、手術をすれば治ります。それに掛けますか?」

「それで、同意してしまったと……」
 佐渡が言葉を告げると、母は無言で頷いた。
「はい。あの時は藁にも縋る思いで、同意書にサインしました」
「その後、和仁さんは手術を受けたと」
「はい。手術が奇跡的に成功したと聴いた時は、とても喜びました。それ以降は何の病気や障害も無かったし、それで十分幸せだと思っていました」
「和仁さんの様子がおかしいと気付いた事はありませんでしたか?」
 佐渡からの質問に、母は口を閉ざしてしまった。
 そんな母親の内面を察したのか、父親が代わりに答えた。
「和仁が一歳になった時です。和仁が歩き始めた頃でした。近所の公園で遊んでいた時に、和仁が歩いてきたのですけど、その時に転んで怪我をしてしまったのです」
「怪我?」
「はい。最初はすぐに家に帰って治そうとしましたが、家に帰ると、先程の怪我が綺麗に消えていたのです」
「最初は気のせいだと思っていましたけど、
「……ちなみに、手術をした執刀医とは、その後どうなったのですか? あと、出来ればその人の連絡先も教えていただけると良いのですが」
 佐渡からの頼みに、母は申し訳なさそうに答えた。
「いえ……もう三十年以上も前の事ですから、名前など覚えていません。仮に覚えていたとしても、今も生きているかどうか……」
「そうですか……」
 佐渡は目を伏せた。
「最初は、我が子が無事に生きてさえいてくれれば、それだけで良かった。でも、あんな事件に巻き込まれていなかったら、こんな事にはならずに済んだ。私達のせいで、和宏にまで迷惑を掛けてしまった……」
 母から打ち明けられた衝撃の事実に息子達は返す言葉が無かった。
「和仁、和宏、刑事さん、ごめんね……ごめんね……私達のせいでこんな事に……」
 それでも母は涙を流しながら、長男に何度も何度も謝った。父親も無言でただ頭を下げるだけだった。

 真相を知って、和宏は小柳と今後について話す事にした。
「兄さんの身体が増殖する理由が分かったのは良いけど、これからはどうするの?」
「増殖する様になった理由をマスコミに公表するかは警察と相談してから決めるよ。もしかしたら、それで父さんと母さんと和宏をまた追い詰めるかもしれないけど、これ以上、謂れの無い噂が広がったら困るからね」
「ところで、兄さんは今どうしているの?」
「この前、交通事故に遭ったせいで僕の体質がバレたから会社に戻れなくなったし、アパートにも住めなくなったから、今は警察署に住まわせてもらっている」
「警察署?」
「他に行く宛が無いし、今は重要参考人として捜査に協力しているから」
「そっか……」
「でも、いつかきっと必ず犯人を捕まえるから安心して」
「うん、分かった。それじゃあ、兄さんも気を付けて」
 和宏は兄と警察に別れを告げると、パトカーに乗る彼らを見送った。
 外はまだ寒さが残っており、吐いた息はうっすらと白かった。

語り部 小柳和仁1

 実家を離れて、パトカーの中で俺は佐渡さんと今後について話した。
「それで? これからマスコミに自分の事を全て話すのですか?」
「正直、これで正解なのかは分からないけど、ここまで混乱してしまったらカミングアウトするしかないだろう」
「遂にあなたも腹を括ったのですね。でも、覚悟を決めた行為が良い方向に向かうとは限りませんよ。場合によっては、ますます自分を苦しめる事になるかもしれませんし、周りを巻き込む事になるかもしれません」
「それでも、何も知らない人達をこれ以上巻き込む訳にはいきませんから」

 翌日、僕は警察を通じてマスコミに全てを打ち明ける事にした。
 ただ、僕はあくまで被害者かつ私人なので本名や素顔は一切公表せず、声明文を出す事にした。

 この度は、数々の騒動で世間をお騒がせさせてしまい、誠に申し訳ございませんでした。
 ご存知の方もいるかと思われますが、交通事故の映像に被害者として映っていたのは、紛れも無い僕の分身です。
 しかし、僕は元々皆さんと同じ普通の人間で、つい最近までごく平凡な生活を送っていました。
 ところが、三月十一日の夜、俺は何者かに襲われて、身体をバラバラにされてしまい、各地に遺棄されてしまいました。犯人は未だに捕まっていません。
 その時に、僕の身体が再生して増殖したのです。今は六人の僕が警察署に、保護されている他、バラバラ動画事件で解体された百人近くの僕の分身が精神病院で入院しています。
 恐らく、僕の他にもまだ分身はどこかにいると思います。
 この度は、皆様に不安にさせ、世間をお騒がせした事については、深くお詫び申し上げます。
 しかし、僕自身は共にあくまで被害者であって、誰にも加害は加えていません。
 それなのに、増殖しただけで、周囲から気味悪がられ世間から迫害されました。
 皆さんが得体のしれない存在に対して、生理的に不快と感じる気持ちは理解出来ます。だからと言って僕を犯罪者同然に叩くのは、お門違いだと思います。
 この報道のおかげで、僕は会社に戻れなくなり近所のアパートにも帰れなくなり、弟が殺されかける事態にもなりました。
 僕だけではなく、家族にも被害が及びましたし、会社の人間、近所の人達にも迷惑を掛けました。
 これ以上周りに被害が及ばない様にする為に、今回声明文を出しました。
 僕はあくまで一般人なので、俺のプライベートに踏み込まないでください。

 それと同時に、犯人逮捕の協力も申し出た。
 ここまでバラしたのだから、ここはマスコミの力を借りても良いだろうと思ったからである。
 ちなみに、この報道は大きく報じられ、メディア出演のオファーも殺到したけど、全て断った。別に有名になりたくて出た訳ではないから。
 これを受けて、これまでの騒動は一旦静まったが、やはり話題が話題なので、また新たに世間を騒がせる事になるのであった。

語り部 小柳和仁(ナンバリング不明)

 ゆっくりと目を開けると、目の前には人の顔が近付いていた。
 かなり距離が近かったので、このまま口付けをされてしまうのではないかと一瞬思ったけど、残念ながら相手は男性だった。
 男性は僕の顔を見るなり、一気に顔を青ざめて僕から距離を離れた。だが、すぐさま再び顔を近付ける。
「あ……あな……」
 突然の出来事に僕もぎょっとして、口を動かそうとしたが、いきなり過ぎて上手く声が出ない。
 それでも僕は必死で声を出そうとしたが、目の前の男性の顔はどんどん青ざめていく。
「あなたは……誰ですか?」
 どうにか声を発した瞬間、先程まで顔を近付けていた男性は
「うわああああああっ! 生首が喋ったー!」
 男性は僕が声を発した瞬間、悲鳴を上げながら一目散に逃げて行った。
 全く、人の顔を見つめていて何をしたかったんだ、あの人は。しかも、生首とは一体何なんだ。
 どうにか身体を起こそうとしたが、何故か上手く起こせない。
 それでも、何とか力を入れようと身体を起こしたら、突然転がり始めた。
「うわあああああああっ!」
 転がり落ちた末に、コンクリートの地面に顔をぶつけてしまい、腫れた顔を手で押さえようとした。
 だが、肝心の手を見ようとしたら、手が異様に小さかったのである。大きさからして、赤ん坊の掌と同じくらいだ。
 一年前、会社の同僚の家に招かれた時に、生まれたばかりの赤ん坊を見た時、掌を合わせて手の大きさを比べたが、その時の赤ん坊の掌がそれ位だったと記憶している。
 他はどうなっているのだ。首から下の身体を見ると、地面との距離が非常に近い。
 どうして、こんな状態になってしまったんだ。
 自分の身に起きた事態を調べようと、何か鏡が無いか調べた。
 おぼつかない足取りで、何か自分の姿が見える物が無いか探した。
 だが、都合良くそんな物が見つかる訳が無かった。
 その時、未明に急な雨が降っていたのか、水たまりが出来ていた。
 それを覗き見ると、僕は青ざめた。
 顔は元のままだったが、首から下の胴体が縮んでいたのである。
 さながら、赤ん坊か胎児の胴体と代わり映えが無く、何とも不釣り合いな体型と化していたのである。
 傍から見れば、不気味に思えた。
 何でこんな姿になってしまったのだ?
 そんな疑問を抱えていると、僕の身体が成長を始めた。
 身長や手足は著しく伸びて頭身も増えて胸板や胴体も出来上がり、十数分後には元の姿に戻った。
 突然の事態を飲み込む事が出来ず、僕はしばらくの間、水たまりの前で呆然と立ち尽くしていた。
 その後、掌を見つめ、再び自分の身体を見つめると、先程と比べて地面からの距離も離れており、膝も曲げられる様になっていた。
 じゃあ、さっき見たものは何だったのだ?
 未だに疑問が残るが、とりあえず今いる場所を調べる必要がある。
 どうやら僕は気絶させられた後、ゴミの埋立地に捨てられた様だ。
 周囲にはゴミ収集車に捨てられたゴミが山の様にそびえ立っていた。当初、自分は異世界に飛ばされたのではないかと思った。
 だが、意識を取り戻した当初は首の下を見ると、全裸である事に気付いたので、まずはどこかに衣服がないかとゴミを漁り着古したパーカーとくたびれたジーンズを見つけたので、それに着替えた。
 一見したら浮浪者と思われるかもしれないが、裸でいるよりかはマシである。
 だが、場所がどこか分からなかったので、近くの人に場所を尋ねた。
 どうやら、僕が目覚めたのは都内とはいえ、自宅はおろか会社からも離れた場所である事を知った。
 ヒッチハイクで行こうかと思ったが、素性の知れない人間を乗せてくれる気前の良い人は、なかなか見つからなかった。
 仕方ないので、埋立地から勤務先の場所までひたすら歩き続け、辿り着くまでに丸一日掛かった。
 埋立地で目覚める前夜の帰り道。犯人に襲われて意識を失い、気付いた時には埋立地にいた。本来あそこで死んでもおかしくないのだが、どういう訳か奇跡的に無事だった。原因は分からないけど、
 だが、ここで安堵している訳には行かないので、直ちに警察署に辿り着かねばならない。
 犯人に見つからない様に警察署に行こうとした時である。
 向こうから、ビジネスバッグを持ったスーツ姿の男性が見えた。でも、その男性は見覚えのある顔だった。
 完全に顔が僕と瓜二つだったのである。
 最初は、よく似た別人かと思った。世の中には同じ顔をした人間が三人いるという都市伝説があるけど、そうだとしたらそれ以前にも何度か目撃している筈である。
 気になったので、彼に気付かれない様にこっそりと後を付いて行くと、戸田商社に辿り着いた。
 僕の勤務先に僕のそっくりさんが入って行ったのである。
 まさかの事態に、僕は呆然とした。まさか同じ会社に僕と瓜二つの人物がいたのか。それなら既に会社で一度くらいは会っている筈である。
 一体、何が起きたんだ? 僕も後を追いたかったが、生憎僕の会社は一般人の立入禁止である。
 ましてや、こんな薄汚れた服で中に入ったら、不審者と怪しまれかねない。警察に通報しに行く筈が、自分が警察に捕まるのは御免だ。
 仕方ないので、僕は会社を後にした。
 その後は、僕のそっくりさんが会社を出るまでひたすら時間を潰した。
 具体的には、会社の近辺をうろつく。近くの公園に居座る、ホームレスと会話するなどである。
 傍から見れば不審者やホームレスと見間違われてもおかしくないが、同じ人物が二人いると噂になるよりかはマシである。
 僕の予想が正しければ、夜六時過ぎに彼は会社から出て来る筈である。実際、僕が定時きっかりに帰るタイプだったからだ。
 夜六時近くになり、再び会社に向かった。ここでそっくりさんを待つ。
 約十分後。会社のドアが開いた。出て来たのは、スーツを着て黒のビジネスケースを持って一人会社を出る小柳和仁である。
 やっぱり、そっくりさんだった。
 それにしても僕に成りすまして、会社に入り何事も無かったかの様に仕事をこなしていた彼は一体何者なんだ。
 何で、僕のフリをして会社に潜入したんだ。僕を襲った奴らと関係があるのか。何かを企んでいるのか。
 僕は会社を出たそっくりさんの後をこっそりと尾行した。
 そっくりさんは、いつもの様に駅がある方向に向かって歩いて行った。
 相手にバレない様に近付いて行き、駅に到着した瞬間に声を掛けようとしたその時である。
 そっくりさんの足がピタッと止まった。それと同時に僕も歩行を止めた。
 何が起きたんだ。
 そっくりさんの視線の先には、茶髪の男性が若い風俗嬢らしき女性からお金を貰っている姿だった。遠くから見ているので具体的な金額は分からないけど、札を何枚か渡す辺り、かなりの金額だと思われる。
 何があったんだ。僕だったら、そんな事には興味無いのだが……。だが、僕のそっくりさんはお金を貰った男性に近付き、声を掛けた。
「城崎さん……?」
 城崎さん? 城崎さんとは、まさか二か月前に会社をリストラされた城崎勤の事か。
 城崎さんと呼ばれた男性は、パッと男性の顔を見ると、すぐさま逃げて行き、僕のそっくりさんも城崎さんを追い掛けて行き、駅とは別の方向に去って行った。
 そんな現場に居合わせた僕は、二人の後を追う事も城崎を取り押さえる事も出来ず、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
 あの人はそっくりさんではなくて本人だったというのか。
 だとしたら、彼は一体何者なんだ。どうして、僕と同じ姿形をした人間がこんな所にいるんだ。
 自宅に帰る事も出来ず(仮に徒歩で帰ったところで、ざっと七~八時間は掛かるだろう)、途方に暮れた僕は期せずして、会社の近くでホームレス生活を送る事になったのであった。

 ホームレス生活を始めて、数日が過ぎた。
 空き缶拾いやホームレス仲間とのやり取りをしながら日々を過ごした。
 でも、自分が何故ホームレスになったか、何故自分がこんなところにいるのかを尋ねられるかと思ったが、実際にその事を訊いて来る人はいなかった。
 やっぱり、彼らも他人に知られたくない過去や複雑な事情を抱えていて、僕自身も同じ人間だと察したからだろう。
 その方がありがたい。ましてや、自分と同じ人間が現れたので、自宅に戻る事も会社に勤める事も出来なくなりましたと言っても、誰も信じてくれないだろ。
 だが、住む家が無くなったとはいえ、生活をしないといけないので、僕はどうにか日銭稼ぎをした。

 今日もいつもの様に空き缶拾いをした。理由は、単に金銭稼ぎである。お金を稼いで、生活費はもちろん、自宅がある駅までの切符を買う為である。
 一見、簡単そうだが、思っていたより空き缶が見つからなかった。
 見つかったところで他のホームレスが先に拾っており、どちらが先に見つけたか拾ったかで揉める事も多々あった。
 生活の為とはいえ、たかが空き缶拾いでここまで揉める事になるとは思わなかった。
 まだ、ボランティアでやっていた方が平和な気がする。
 そんな中、ホームレス仲間からある情報を手に入れた。
「そういや、この前向こうのクラブでパーティーが開かれたから、あっちに行けば空き缶がいっぱい転がっているんじゃないか?」
 それを聴いて、僕は単独でそちらに向かった。
 声がしたので、振り向いた途端、僕は苦虫を噛み潰した。
 そこに立っていたのは、黒く派手なスーツを着た柄の悪い連中が数人いたのである。
「久しぶりだな。えーと、小柳サンだっけな?」
 向こうは、僕の名前を知っていた。
 でも、彼らに遭った記憶は全く無い。彼らが僕を襲った犯人なのか。
「誰ですか、あなた達は?」
 僕は恐怖が顔に出ない様、ヤクザに尋ねた。
「とぼけるんじゃねぇ! てめぇ、この前の出来事を忘れたのか?!」
 ヤクザは凄みを利かせながら、僕を怒鳴りつけた。
 でも、僕は彼らについて本当に身に覚えが無いのである。
「忘れたというか、本当に知らないのですよ。恐らく、人違いじゃないですか?」
 僕が適当に理由を付けて、その場から逃げたかったが、向こうは引き下がらなかった。
「あの時は突然生き返ったからビビったが、ちょうど良い機会だ。この間のお返しをたっぷりしてやる」
 恐怖に覚えた僕は一目散に逃げようとしたが、すぐさま僕の頭を掴んできて車に引き連れ込もうとした。
「何をするんだ、離せ!」
 僕は必死になって抵抗したが、すぐさま彼らは僕の口にハンカチを押しあてた。
 すると、たちまち意識が遠のいて途切れたのであった。

 意識を失ってから、どれだけ時間が経ったのだろう。
 重い瞼をゆっくりと開けると、辺りはビルが立ち並ぶ都会から深い森の中に変わっていた。
 もしかして、ここは山の中ではないかと直感した。
 今まで山の中に行った事は無いが、幼少時に遠足で山登りに行った時と比べると、かなり森が深かった事からそう思った。
 未だに眠気が取れなかったので目をこすりたくなったが、生憎手を後ろに回された状態で手首を縛られていた事に気付いた。
 それだけではない。胴体と腕、足首も縄で縛られている。
「いくら不死身のお前でも睡眠や気絶は、するんだな」
 首を動かして後ろを振り向くと、そこにいたのはさっき僕を気絶させたチンピラがいた。
 チンピラは、したり顔を見せながら言った。
「どういう真似だ?」
 僕はチンピラを睨みつけながら尋ねた。すると、チンピラはにやにやと笑いながら答えた。
「お前が不死身の化物だって事は今やテレビやネットで有名になっている。しかも増殖までするんだってな。まぁ、こっちはそれ以前から知っていたけどな。それで、色々と考えて思い付いたのが、生き埋めだ。これなら、いくら不死身のお前でも地面から這い上がって来る事は出来まい。たとえ生き返っても地面からの圧力に押されて身体が圧迫されるから身体は再生しても身動きは出来ない」
 よく考えたと言いたいところだが、実際に生き埋めにされるのは御免だ。
 それにしても、生き返るとはどういう事なんだ?
 だが、そんな疑問に彼らが答える訳が無かった。
「じゃあな、せいぜいそこで一生過ごしな」
 彼らは無情にも僕の口も縄で縛ると深い地面に放り込み、スコップで土を投げ込んでいく。
 土が放り込まれる度に視界を奪われ、見えなくなった後も土の圧力がだんだんと増していき、身動きが取れなくなっていく。
 それでも、ヤクザは土を放り込んでいき、足で地面を踏んで土を固めた後、その場から去って行った。
 遂に、僕は地面に生き埋めとなってしまった。
 音も聞こえなくなり、暗い地面の中で、僕はひたすらじっとしていた。身体を動かそうにも、土が邪魔をしてほとんど動けない。
 このまま、訳も分からずに死んでいくのか。どうすれば良いんだ。
 そんな時、僕はヤクザの言葉を思い出した。

「お前が不死身の化物だって事は今やテレビやネットで有名になっている。しかも増殖までするんだってな」

 彼らの言葉を聴いた当初は、何の意味なのか全く分からなかった。
 でも、もし彼らの言っていた事が本当なら、試す価値はある。きっと、ここからいくはずなんだ。
 頼む、動いてくれ。僕は冷たい土の中で必死に祈った。

語り部 小柳和仁2

 1番がマスコミ宛に送った声明文から一夜明けた。
 1番が声明文を発表した後、僕達は彼に対して頑張ったと称賛を送った。
 中には、周囲を不安にさせたのだから名前や素顔を公表すべきという意見もあったが、プライバシーの観点や犯人が再び接近する恐れがあるので、警察から差し控える様にお願いした。
 僕は図書館で、本を読んでいた。
 南坂警察署の近くには図書館があり、一般の小説や雑誌が豊富にあるだけではなく、DVDやビデオの視聴室もある。
 狭いアパートの部屋では場所を取るので、専らスマートフォンやパソコンの電子書籍で閲覧していたが、やはり紙をめくりながら読んだ方が読書に集中しやすいし、内容も頭に入る。
 他の分身も読書を気に入っており、偶然遭遇する事もよくある。同じ人格を持った人間なのだから、当然か。
 今まで事件やトラブルが頻発していたので、久々にくつろぐ時間を得て安堵していた時だった。
「やはり、ここにいましたか」
 低い女性の声が聴こえたので、振り向くとそこにいたのは佐渡さんだった。
「どうしたのですか?」
 いつも強気な佐渡さんにしては珍しく眉を“ハ”の字にして訊いてきた。
「3番がいなくなりました」
「3番が、ですか?」
「あぁ。彼が散歩に行くと言って、出掛けたのだが一時間以上経っても戻って来ないのです」
「戻って来ない? 万一に備えて、変装もさせていましたし、GPS付きのスマートフォンを持たせていたのでは?」
 外出時は万一に備えて、僕達は警察からGPS付きのスマートフォンを持たせた上に変装させられていた。
 ちなみに、僕自身は以前購入したスマートフォンをそのまま使用している。もちろん、こちらもGPS機能が付いているので、安心だ。
「はい。ですが、GPS機能で調べたら、途中で通信が途切れていました」
「途切れていた? どういう事なんですか?」
 すると、佐渡さんはタブレットを取り出して、3番の居場所を示した地図を画面に表示した。
 そこに映っていたのは、3番が歩んだルートの軌跡が記されていた。
 地図を見ると、3番は警視庁を出た後、近くのレストランを通っていた。
 だが、人通りが少ない道に入ったところで終わっていた。
「もしかして、ここで連れ攫われたのですか」
「分かりません。だが、お前にも連絡しようと思ったのですが、生憎あなたが電話に出ないので、もしかしたらと思ってGPSで調べたら、案の定ここにいたという訳です」
 それで、わざわざ直接来たという訳か。
 館内の迷惑にならない様にスマートフォンをマナーモードにしたまま、読書に夢中になっていたので、向こうからの連絡にちっとも気付かなかった。
 労力を使わせてしまった事を知って、僕は利用者や職員さんがいる前で「すいませんでした」と頭を下げた。

「……という訳で、今から小柳和仁3番の捜索を始める。本日、午後一時過ぎに3番が外出に出掛けたが、風椿通りの近くで軌跡が途切れている。恐らくそこで何者かに連れ攫われたのだろう。恐らく、殺人事件の犯人がお前の存在に気付いたからと思われる。君達は手分けして、3番の居場所を探して欲しい。見つかったらすぐさま私のところに連絡を入れる事。以上」
 警察署前で佐渡さんの号令と共に、捜索隊員となった僕達は一斉に捜索を始めた。
 近隣の住民に気付かれるとマズイので、僕達分身は警察の制服を拝借して、お巡りさんと共に捜索をする事になった。
 僕2番が担当する事になったのは、警察署から少し離れた住宅団地だった。
 僕はそこでお巡りさんと共に、行方を探す。
 一人での生活が困難な老人、子供でもないし、周囲に晒される可能性があるので一人ではそんなに遠くへは行っていないはずだが、万一の事を想定して、近辺を隈なく探した。
 分身とはいえ、彼らの居場所を探す事が出来ないのはとても不便だ。それが出来たら、とっくに他の分身も全員見つけ出しているけど。
 とはいえ、文句を言ったところで標的がひょっこり出て来る訳では無いので黙々と捜査を続けた。

「ふぅ……疲れた……」
 捜査開始から三時間が過ぎたが、有力な手掛かりは全く見つからず、そのまま休憩に入った。
「大変ですね」
 気さくに話し掛けたのは、一緒に捜査をしていたお巡りさんだった。
 彼からペットボトルの水を受け取り、僕はそれを一口飲んだ。疲れた身体に潤いが染みていくのが身体を通じて分かる。
 僕は全ての警察官に顔を知られているが、全員と顔見知りではないので、誰が誰だか全く分からなかったが、仲間に気を遣ってくれるのはありがたい。
「そうですね。手掛かりが少ないのに捜索をしないといけないので、大変ですよ」
「何か心当たりはありますか?」
 それを言われて、僕は考えた。
「あくまで僕の推測なんですけど、僕の分身は見た目だけではなくて人格や趣向も同じなんです。実際、同じ場所で鉢合わせした事も頻繁にありましたから」
「へぇー、そうなんですか」
「じゃあ、誰が何の目的で3番が攫われたと思いますか?」
 それを聴かれて、僕は再び考えながら話した。
「えーっと……可能性として最も考えられるのは、最初に僕を襲った犯人が接近したからだと思っています。実際、この前1番が声明文を出しましたから、向こうに被害者の生存が知られてしまいましたからね」
 とはいえ、ああでもしないと世間から危険視されると考えた故の行為であり、それも犯人逮捕に近付く為の手段になると考えた。
 それにしてもこの人、僕とは初対面なのに、結構気さくに話し掛けて来るな。もしや、他の分身と勘違いしているのだろうか。
「ところで、すみませんがあなたはどちら様ですか? 随分と親し気に話しかけていますけど」
 すると、男性は軽く笑いながら挨拶した。
「あぁ、これは失礼いたしました。私、警視庁南坂警察・刑事課第一課警部補補・酒井典史(さかい のりひと)と申します。あなたの事は、他の警察の間でも噂になっていまして、前々から是非あなたにお会いしたいと思っていたのですよ」
「へぇ、そうなのですか。でも、どうしてですか?」
 大森さんとは違って、胡散臭さが無い。
「それで、真相にはどこまで辿り着きましたか?」
「いえ、全く。分身の保護は今でも続けていますけど、捜査を追う途中で割込みが入って来るばかりで、捜査自体はかなり難航していますね」
 僕の話に、酒井さんは頷いた。
「確かに、実際にこんな体質の人がいたら嫌でも目立ってしまいますよね。とはいえ、怪我をしない限り、それを見抜く事は出来ませんけど」
 酒井さんの言う通り、普通に生活を送っていたら、今も会社務めをする日々を送り、警察のフリをして捜索をする事もなかっただろう。
「ところで、小柳さんは被害者なのですから誰が犯人なのかは覚えていないのですか?」
「実を言いますと、その時の記憶は覚えていないのですよ」
「でも、殺した筈の人間が生きている事が分かって近付いても、肝心の倒し方が分からなかったら、意味が無いじゃないですか。どうせ、また殺したところで生き返ってしまうのでしょ、あなたは」
「そうですけど」
「だとしたら、恐らく犯人はあなたを殺さずに捕まえる方法を考えるのではないでしょうか?」
「殺さずに捕らえる? どうやってですか?」
 僕が酒井さんに尋ねた時である。何だか視界が揺らいできた。酒井さんの姿がぼやけて二重に見える。
 しかし、目の前の男性がシメたと言わんばかりのあくどい笑みを浮かべている。
 まさか、中に睡眠薬でも仕込んだのか。でも、ペットボトルは未開封だったはずなのだが。
「あはは、ちょうど良いところで効いてきましたね」
 こんな状況下の中、爽やかに笑う酒井さん。
 まさか、彼が仕込んだというのか。
 僕の疑問に相手が答える筈がなく、僕の意識は深い底に沈んでいった。

 ハッと目を覚ますと、森の中だった。しかも、手足を縄で縛られており、身動きが出来なかった。
「あっ、やっと気が付きましたか」
 声がした方を向くと、そこにいたのは酒井さんだった。
 服は、警官の制服から黒いジャンパーになっている。到着後、車の中で着替えたのか。
 しかも周りには、ヤクザの男性がいる。
「酒井さん、これはどういう事なのですか? それに周りの人達は一体?」
 僕が酒井さんに喰いかかると、彼は答えた。
「実は、私は元々錦組に頼まれて警察の情報を流しているスパイなんですよ。ドラマでもそんな内容がありましたよね」
 ドラマにあったからと言って、現実でもそれがあるとは限らないのだが、実際にこんな事があるとは思わなかった。
 何で警察はこんな男を採用したんだ。こんな事が世間にバレたら、大惨事だぞ。
「まあまあ、警察をあまり責めないでくださいよ。暴力団と言ってもあの時の私は入団したてで前科ナシだったから、向こうもすんなりと受け入れてくれたのですから」
 なるほど、それなら納得……って、感心している場合じゃない。
「一体、何が目的なのですか?」
 僕はニセ警察官に尋ねた。
「……そうですね。あなたには消えてもらいたいのですよ」
「消えてもらう?」
「そうです。この前、あなたウチの錦組の組員を攻撃して怪我をさせたそうですね」
 錦組の組員? 聞いた事が無いぞ。
「何ですか、その錦組とは」
 僕の問いに、酒井さんは首を傾げた。
「あっ、カタギの人には分かりませんか。ファイナルファイナンスと言えば、思い出せませんか?」
「えっ……?!」
 その言葉を聴いて、ビクッと反応した。だが、その反応に酒井さんは見過ごさなかった。
「つまり、あの時襲ってきたのは、あなたでしたか……あなたは顔も性格もおんなじだから、六つ子よりも見分けが付きませんでしたけど、遂に見つけましたよ」
「そうですよ。任侠にはメンツというものがありましてね、本来ヤクザは堅気の人間には手を出さないというルールがあるのですけど、ある条件を満たすと、たとえ相手が堅気だろうと、手を出す事が出来るのですよ」
「条件?」
「それは、堅気がヤクザに手を出した時です」
 酒井さんは、笑みを浮かべたまま掟を口にした。
「ヤクザっていうのはメンツを気にするものでね、堅気の人間に舐められたら終わりなのですよ。この前、あなたが怪我をさせた組員も、組長から惨い罰を受けましたよ。あれを見た時は、私も吐きそうでした」
 飄々とした口調で語るので、誇張が入っていると思ったが、多分堅気にやられた事に憤怒してシゴキを与えたのは間違いないだろう。
 任侠を準じるヤクザが堅気に負けた事が知られたら、評判がガタ落ちになるのは堅気の僕でも理解出来た。
「だから、今からあなたにお礼をするのですよ」
「お礼ですか? それは気持ちだけで充分です」
 というか、そんなお礼はお断りだ。
「いえ、これは感謝の気持ちでは無くて、落とし前です。嫌でも、きっちり受け取ってもらいますよ」
 やはり、引き下がってはくれなかった。
 酒井さんはスタンガンを取り出して目の前で電流を流して見せた。
「あなたには、これで眠ってもらいます。目が覚めた時には土の中ですけどねあなたは死ぬ事はありませんが、気絶や睡眠は普通に効果があるみたいですからね」
 脅迫か。
 どうすれば良いんだ。僕が困惑した時だった。
「そこまでです」
 背後から声が聴こえた。
 酒井さんが振り返ると、何者かが酒井さんの顔面に拳を入れ、そこへもう一人が岩で酒井さんの頭を殴りつけようとした。
 だが、酒井さんは岩をすぐに避けてハイキックで岩を砕いた。
 しかし、三人目がすぐさま酒井さんにタックルして、酒井さんが倒れた隙に三人掛かりで取り押さえ、四人目が酒井さんの手を後ろに回して縄で縛り、足首と胴体も同様に縛った。
 更に森の中から続々と何者かが現れて、ヤクザ達を次々と倒し、気絶させていった。
 突然の出来事に僕は何が起きたのか全く分からなかった。
 よく見ると、彼らは全員僕の分身だった。
 彼らは全員、錦組に捕らえられていたのか。
「お前ら、生き埋めにされたのじゃなかったのか?!」
 身体を拘束されて、今まで飄々としていた酒井さんが自分に襲い掛かった男性達に怒鳴り散らした。
 すると、仲間のうちの一人が答えた。
「あなたの仲間が教えてくれたのですよ。お前は再生と増殖を繰り返す化物だって。あなたが、それを言わなかったら、僕は永久に土の中だったかもしれません」
 にやりと笑う分身の発言に、酒井さんはハッとした。
 恐らく彼はあの時自分の体質について知らない事に気付いていなかったのだろう。だから、彼はヤクザの言葉を聴いてようやく自分の体質に気付き、それを利用したという訳か。
 それを理解した酒井さんは歯を強く噛み締めた。
 恐らく、彼らは先程のお礼参りとして僕を狙っていたのだと思う。
 とはいえ、全く同じ外見の人間なのだから、同一人物と見間違えるのも無理は無い。
 あの後、錦組は他の分身を捕えるべく、以前から警察署に偽装潜入していた酒井さんを使って、僕達分身を捕らえていたのだ。
 酒井さんの事だから僕の存在も事前に把握していた筈だけど、向こうも僕を倒す為に色々と考えていたのだと思う。
 それも分身達の機転で反撃されたが。

語り部 小柳和仁(ナンバリング不明)

「それにしても、あなた達は具体的にどうやって脱出したのですか?」
 分身からの問いに僕は生き埋めにされてから、どうやって脱出したかを話した。
 ヤクザによって土の中に行き埋めにされた僕は、口に挟まれた縄に舌を滑らせたのである。
 縄のざらつきを利用して舌に傷を入れたので、そこから流れた血を縄に染み込ませたのだ。
 僕の勘が正しければ、ここで異変が起きる筈だ。
 そう祈っていると、血が染みついた箇所がうごめき始めた。
 それは、口の中でどんどん太く大きくなっていき、口の先端から傷が入り大きく引き裂かれると同時に縄がちぎれ、血の塊が目の前に広がっていった。
 その後も血の塊は肥大化を続け、地上に向かって伸びていった。
 それは種から発した芽の如く突き進んでいき、遂に地面を割った。
 暗闇の中から眩しい光を浴びて、思わず片目を強く閉じたが、こういうやり方で遂に地上に出られたという訳である。
 そして、地面に光が差し込む中、地面から這い出た血の塊は人の形に変形して、赤い身体が薄く変色して髪も生えて、もう一人の自分の姿になった。
 僕の分身は、心配そうに僕に声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
 手を差し伸べる自分の分身に僕は目を限界まで開きつつ、大きく頷いた。
 分身に縛られた縄を解いてもらった後、僕は頬まで引き裂かれた筈の口を触ったが、いつの間にか治っていた。
 なるほど。僕の身体には、こんな特性があったのか。
 最初に自分の身体が再生していく様を見た時は、驚きと恐怖を隠せなかったが、今はこの体質を持った事を非常にありがたく思えた。
 その後、ヤクザが僕の分身を生き埋めにしようと再びやって来ると考えた僕達は、僕の分身を捕えたヤクザが再びやって来るまで、ひっそりと森に隠れて待ち伏せしていたという訳である。

 僕も同じ事をして脱出しました。
 性格も同じだからか、向こうも同じ事を実行していたのか。
 そんな時、パトカーがサイレンを鳴らしながら二台やって来た。
 女刑事さんと若い男刑事さんがそれぞれ車から降りて来た。
「小柳さん、大丈夫ですか」
 女刑事さんが話しかけて来た。
「はい。僕は大丈夫です。この人達に助けてもらいました」
 この分身は警察と知り合いの様だ。
 女刑事さんはヤクザの縄で縛られた男性を見下ろして言った。
「それに、まさかお前が錦組のスパイだったとはな。人事部も節穴だな。だが、お前達の悪事もこれまでだ。今から警察で取り調べを受けてもらう。きっちり裁きを与えてやるから覚悟しろよ」
 そして、女刑事がふと僕達の方を見た。
 そうか。僕達が作った分身は、一糸まとわぬ姿だった。
 それを見た気の強い女刑事さんは、山全体に響き渡る程の大きな悲鳴を上げた。

 こうして、錦組のヤクザは殺人未遂の容疑で全員逮捕され、その後も芋づる式で錦組のこれまでの悪事が次々と発覚し、遂に錦組は壊滅したのであった。
 暴力団壊滅の裏で、僕達が関わっていた事、警察に成りすましたヤクザがいた事は伏せられたけど、ようやく決着を着ける事が出来て良かった。
 もう人違いで襲われる心配は無いだろう。

語り部 小柳和仁2

 ファイナルファイナンス及び錦組を壊滅させた後、僕達は小柳3達を保護して警察に戻った。
 そんな中、僕は小柳8(佐渡さんがナンバリングした)に尋ねた。
「それにしても、あなたはまだ警察には保護されていない存在でしたよね。どうしてこんなところにいたのですか?」
 すると、8番は答えた。
「はい。実は僕は事件に遭ってから、警察署に行こうとしたのですけど、途中であのヤクザに捕まってしまいまして……」
「さっきの錦組ですか。彼らに捕らえられて、山の中に埋められたという訳ですね」
「そうです。恐らく、彼らは以前に僕の分身と会った事があったみたいで、僕を分身と勘違いしたらしいのです」
 8番の話を聴いて、佐渡さんは僕を指しながら「それは、あちらにいる2番の事ですね」と口にした。
「それって、どういう意味なのですか?」
「実は小柳さんの元同僚が、錦組の運営する闇金融に借金をしていたのだよ。その時に2番がそこに居合わせていました」
 それを聴いて、8番は僕に嫌そうな視線を向けた。放っておいてくれ。
「それで、8番は何の為に警察署に行こうとしたのですか? 何か重大な手掛かりを掴んでいるのですか?」
 佐渡さんの問いに、8番は「そうなんです」と重大な発言をした。
「実は、三月十一日の夜に、三人組に襲われたのです」
「三人組に襲われた?」
 それを聴いて、佐渡さんを始め警察及び僕達分身が一斉に身を乗り出した。
「8番、それはどういう事なのか相談室で詳しく説明してくれませんか」
 佐渡さんからの頼みに、8番は「分かりました」と同意した。

視点 佐渡真理

 真理は相談室に小柳8を連れて行き、事情聴衆を始めた。
「さて、生き埋めから解放されたばかりで申し訳ないですが、こちらも今捜査が大事な局面に入っておりまして、何としてでも犯人逮捕に近付けたいから、是非君も捜査に協力してください」
「分かりました」
 まず、真理は8番に小柳和仁バラバラ殺人事件について教えた。
 8番も被害者の分身ではあるが、警察に拾われたばかりで事件についてまだ知らない事もあると思ったので、丁寧に話した。
 小柳8番は他の分身と比べて、とても落ち着いた様子で真理の説明を聴いた。
「……それで、君は事件当日に三人組に襲われたと話していましたが、事件について何か知っている事があるのですか?」
 真理の尋問に、小柳8は真剣な眼差しで答えた。
「はい。恐らくですけど、僕は頭部から再生されたので、少なくとも僕自身は他の分身よりも事件について、はっきりと記憶していると思います」
 他の分身達は、襲われる前後の記憶が曖昧で、有力な手掛かりが掴めずに難航していたが、ここで有力な情報を持つ人物がいた事に真理は内心驚いた。
「じゃあ、その日小柳さんに何があったのか、詳しく話してください」
「はい」
 小柳8番は事件のあらましについて語り始めた。
「実を言いますと、あの日の夜、僕がいつもの様に会社から帰る途中で犯行現場を目撃したのですよ」
「目撃? どこでですか」
「アパートの向かい合わせにある空き地でした」
「そうか。そこであなたは何を見たのですか?」
 真理は、小柳8を尋問した。
「そこには、黒いフードを被った人が三人いて、そのうちの一人は座っていました」
「座っていた? 地べたですか」
「いえ、その人が跨いでいた下には女性が倒れていました。倒れていた女性の胸元にはナイフが刺さっていて、血が流れていました。恐らく、倒れていた女性は既に死んでいたと思われます」
「容疑者の顔や身体の特徴は、覚えていますか?」
「容疑者については、全員フードを被っていて顔が隠れていたので見えませんでした。でも、被害者の女性は知り合いだったので、すぐに分かりました」
「知り合い?」
 真理の問いに、小柳8は冷静な口調で打ち明けた。
「はい。被害に遭った女性は吉澤美和子さんでした」
「吉澤さんと小柳さんは、どういう関係なのですか?」
「はい。僕と吉澤さんは同じアパートの住人なのです。吉澤さんが一年前に僕のアパートに引っ越して来たのです。明るくていつもアパートの住人や近所の人達にも笑顔で挨拶していました。犯人が僕を襲ったのは、吉澤さんが殺された時に、犯人は自分の顔を見られたと思ったからだと思います」
「つまり、犯人は口封じの為に小柳さんを殺したという訳ですか」
「そうだと思います」
「それで、再生した後で事件について警察に向かおうとしていた途中で、ヤクザと関わってしまったと」
「その通りです」
 それにしても、小柳が吉澤美和子と知り合いだった事に真理は驚いた。
 だが、それを聴いて真理は遂に犯人の目星が付いた。
「分かった。君のおかげで大分、良い情報が聴けた。ご協力ありがとう」
 真理は小柳8に深く頭を下げた。

「その通りです」
 それにしても、小柳が吉澤美和子と知り合いだった事に真理は驚いた。
 だが、それを聴いて真理は遂に犯人の目星が付いた。
「分かった。君のおかげで大分、良い情報が聴けた。ご協力ありがとう」
 真理は小柳8に深く頭を下げた。

 8番の事情聴衆を終えると、真理達は再び捜査会議を開いた。
「……以上が、会社員バラバラ殺人未遂事件で集まった情報だ」
 真理が小柳8から聴いた情報を小柳達と警察に伝えた。
 そこへ小柳2が割り込んできた。
「ちょっと待ってください」
「どうしたんだ、2番?」
「僕が城崎さんと会った日の帰り道に、吉澤さんと会っているのです」
「何だと?!」
 小柳2からの告白に真理は驚いた。
「それは、2番の人違いではなくてか?」
「いえ、人違いではありません。僕が会社から帰る途中に一度だけ吉澤さんと会っています。あの時は近くの公園のベンチで事件について話したのですけど、彼女は僕の話をきちんと聴いてくれました。今でも、吉澤さんは僕のアパートに暮らしています」
 それを聴いて、小柳8番は驚いた。
「だったら、2番が見た吉澤さんは……?」
 それを聴いて、小柳2は真理に告げた。
「あの……佐渡さん。お願いですが一度吉澤さんの事を調べてくれませんか?」
 小柳2が尋ねると、先程までの話を聴いていた真理は
「その必要は無い」
 と断言した。
「どうしてですか?」
 小柳2に尋ねられた。
「実は、私も彼女とは一度面識があるんだ。犯人が誰かも大体の予測は付いている」
「本当ですか?」
 意外そうな顔をする小柳2だが、真理はにやりと笑った。
「だから、私も一度吉澤美和子にお会いしたい。彼女に会って、是非話を聴かないとな」

語り部 小柳和仁2

 捜査会議を終えた翌日の夕方、僕は真っ先に吉澤さんがアルバイトをしているファミレスに行った。
 事件の真相を知る為にも彼女に会う必要がある。
 店に入ると、周囲は少しだけだがざわついた。都市伝説として噂されている男が現れたから驚いているに違いない。
 でも、今は周りの反応などどうでも良かった。ターゲットは、ただ一人。
「あら、小柳さん。お久しぶりですね」
 吉澤さんは、顔見知りの来店に明るい笑顔を向けた。
「ご注文はお決まりですか?」
「ホットコーヒーを一杯」
「分かりました。それではしばらくお待ちください」
 と告げると、吉澤さんは席から立ち去ろうとしたが、僕は彼女に声を掛けた。
「あと、ところで吉澤さん。バイトの終わりにちょっとお話したい事があるのdせうけど、良いですか?」
 僕からの誘いに、吉澤さんは首を傾げたが、
「良いですよ」
 と、すんなり応じてくれた。
「それなら良かったです。で、いつ頃、終わるのですか?」
「午後六時です。もうそろそろ終わる頃なので、お会計が済んだら駐車場で待っていてください」

 午後六時過ぎ。時間通り、吉澤さんがファミレスから出て来た。もちろん、制服から私服に着替えている。
「すみません。お待たせさせてしまって」
「いえいえ、大丈夫ですよ。あと、コーヒーも美味しかったです」
「気に入っていただけで嬉しいです。ところで、肝心のお話って何ですか?」
「はい。実はあなたとお話ししたいという人がいまして」
「私とお話ししたい人?」
「はい。あなたも一度お世話になった事がある方だそうです」
 僕が手招きをすると、佐渡真理がやって来た。
「お久しぶりですね、吉澤さん」
 それを見て、一瞬だが、吉澤さんの眉がピクッと動いたが、すぐにいつもの調子に戻り「お久しぶりです」と挨拶した。
「ところで、刑事さんがどうしてこんなところに?」
 吉澤さんは、首を傾げた。
「実は、今回あなたにお尋ねしたい事があるのです。少々お時間よろしいですか?」
「あなたは吉澤美和子さんですか?」
 それを聴いて、吉澤さんの表情から余裕が消えた。
「ちょっと、どういう意味なのですか?」
 佐渡さんからの質問に、吉澤さんは動揺した。
「そもそも、あなたは吉澤さんではないでしょう」
「吉澤さんじゃないって……どうしたんですか? 急におかしな事を言い出して」
 そこへ僕がその理由を告げた。
「あの晩、僕は見ていたのですよ。あなたが本物の吉澤さんを殺害しているところを」
 本当は8番の証言によるものだが、あの時はまだ増殖する前だったので、間違ってはいない。
「あれって、確か小柳さんが何者かに襲われたと言ってましたよね」
「あの時は世間に知られた時の影響を考えて、伏せていたのです」
 僕の言葉に吉澤さんは戸惑いを見せた。
「それは、ただの見間違いじゃないですか? 一体何の根拠があるのですか?」
「公園で話した時、僕が不審者の話を出した際、あなたは『知らない』と言っていました。でも、この話はアパートの住人や近所の間では既に知れ渡っている話であって、あなただけが知らないなんて事は有り得ないのですよ」
「それは単に忘れていただけであって……」
「最初は僕もそう思いました。それなのに、その話をした後で『もう不審者は現れないですよ』とはっきり言いましたよね。それは単なる直感ではなくて明確な根拠があったからではないですか?」
「明確な根拠?」
「その不審者が本物の吉澤さんを殺していたから……だったら、どうでしょう」
 それを聴いて、今まで温和だった吉澤さんはしばらく沈黙した。
「そんな、それはあくまで小柳さんの憶測でしょう。思い込みで語らないでくださいよ」
 今まで温和だった吉澤さんの感情に乱れが出て来た。
「それだけではありません。三月十三日に僕と帰り道で偶然会った時、お化けと間違えて悲鳴を上げていた。それってもしかして殺した筈の人間が現れたからではないですか? それに僕と公園で話している間も、あなたは僕を名前で呼んだ事は一度も無かったのですよ。元々口封じで殺したのですから、相手の事は一切調べていなかったでしょう。ましてや、その人が吉澤さんと顔見知りとは思わなかった。しかし、殺した筈の人間が実は生きていた。その事に驚いたからではないですか?」
「そんな! どこにそんな証拠があるのですか?!」
「証拠はあります。さっき僕が店に入った時、あなたは『いつも来てくれたのに』と僕に言いましたよね」
「はい。そうですけど……」
「実を言いますと、僕はこの店に来たのは初めてなのです」
 僕自身も彼女の職場を聴いた時は僕の住むアパートと近かったので非常に驚いた。徒歩だと少々時間は掛かる距離だが、帰宅時に駅から降りた時に行こうと思えば毎日通う事も出来る程、近い距離だった。
 それでも、僕自身はファミレスの込み入ったざわつきが苦手だったので、今まで来店しなかったが、真相を暴く為にわざわざ出向いたのである。
「あと、駅で爆発音が鳴って周りが騒ぎ出した時に、僕は背後から何者かに線路に突き落とされました。すぐに退避場所に身を隠して助かりましたけどね。後で警察が駅の防犯カメラを警察が解析したところ、僕の背後でイヤホンの人がスマートフォンを操作している姿が映っていました。あのイヤホンは周囲から自分が音楽を聴いていると見せかける為のものだったのでしょう」
「その人が私だと言いたいのですか?」
「少なくとも我々はあなたの仲間だと睨んでいます。実際、彼は小柳さんを線路に突き落とした後、混乱に乗じて電車に乗らずにその場から去って行く姿も確認しています」
 佐渡さんの推理に、吉澤さんの表情から余裕が消えた。
「それと、昨日あなたの事を色々と調べさせていただきました。ここ最近、彼女の様子におかしなところはないかとね。すると学生時代、吉澤さんと交流があった人から吉澤さんの画像を見させてもらいました。彼女は細い割に筋肉で引き締まっているのですよ。きっと学生時代はスポーツをやっていたのでしょう。それに比べて、あなたはとてもほっそりとしている。あまり運動をしてこなかったか、仮にやっていてもあまり得意ではなかったと思われます。あと彼女の目頭は元々蒙古ひだが目立たないのですが、あなたはアイライナーで上手く隠しています。あと、顔の骨格も微妙に違っています。メイクで入念に顔を似せたのでしょう」
 佐渡さんの指摘に吉澤さんは歯を食いしばった。僕自身メイクには無知だったので、彼女の話には感心した。
「それと、実を言いますと吉澤さんは一年半前に同じバイトの後輩からストーカー被害に遭っているのですよ。その時に事件を担当したのが佐渡さんだったのです。犯人が逮捕された後、出所した後に逆恨みした犯人の報復から逃れる為に一年前に僕が住むアパートに引っ越して来ています」
 報道時は、被害者の名前は公表されていなかったので、まさか吉澤さんがその被害者だったとは思わなかったし、本人も事件の事は一切語らなかった。
 下手に打ち明けて噂になられるといけないと思ったからだろう。
「でも、犯人は出所した後も吉澤さんに復讐する為に執念深く彼女を探して見つけ出した。そして、犯行仲間と共に吉澤さんを殺害して、彼女に成りすました。彼女に成りすませば、怪しまれる事は無いし、もし気付かれたら口封じに殺害するか逃亡すれば良いだけの話ですから」
 固唾を飲む吉澤さんに、佐渡さんは吉澤さんの本当の名前を告げた。
「そろそろ犯行を認めたらどうですか? 宮崎美幸(みやざき みゆき)さん」
 それを聴いた瞬間、吉澤さんは普段の柔らかいものとは違った自虐的な笑みを浮かべた。
「何だ……バレちゃったんですね」
 観念したかとも思いきや、彼女の表情から不穏な空気を感じた。その瞬間、吉澤さんはポケットから何かを取り出した。
「危ない!」
 だが、そこから白い煙が一気に噴き出して視界を奪った。
 煙をどうにかしようと思った瞬間、首の側面に強烈な一撃が入り、僕はその場で気を失った。

視点 佐渡真理

「警部補、大丈夫ですか?」
 煙が晴れた後、池谷が心配そうに真理を見ていた。
「あぁ、私は大丈夫です。だが、2番が攫われた」
「攫われたって……まさか吉澤、じゃなくて宮崎にですか? さっきの煙の中でどさくさに紛れて連れ去った様ですね」
 吉澤美和子になりすました宮崎美幸を逮捕出来たかと思いきや、彼女は思わぬ代物を持っていた。
 彼女がそれを使うと、たちまち目の前が煙に包まれてしまい、視界が開けた時は小柳2も宮崎美幸も消えていた。
 犯人が抵抗した時に備えて、相棒・池谷を隠し玉にしたが、まさかあんなブツを持っていたとは予想外だった。
「あれは間違いなく発煙弾ですね」
「発煙弾って、アレって民間の人でも手に入る物なのですか?」
「はい。実際に持っている民間人を見たのは私も初めてですけど、アレはネット通販でも手頃な値段で買えるから問題は無いですね」
「で、でもどうするんですか? このままだと、犯人逮捕どころか小柳さんを助ける事が出来ませんよ」
「まだ、犯人はそこまで遠くへは入っていないはずです。至急、応援を頼みます!」

語り部 小柳和仁2

 暗闇の中で僕はようやく目を覚ました。こんな展開は二回目だが、今度は海の中ではなかった事が幸いだった。
 しかし、ここはどこなんだ?
 僕は辺りを見渡した。古びたコンクリートの壁に広々とした暗い部屋、大きな機械――どうやら、ここは廃墟となった工場の様だ。
 どうにか身体を起こそうとしたが、手足はベルトで縛られていた。声がした方を振り向くと、そこには吉澤さんに変装した宮崎さんがいた。しかも、彼女の他に強面な男性が二人いる。
「やっと目を覚ましましたわね」
 宮崎さんは、僕が意識を失う前と同じ黒い笑みを浮かべていた。
 でも、彼女の声に違和感があった。今まで聴いていた声と比べるとやや声が低い。
 そんな僕の考えを読んだのか、吉澤さんは答えた。
「あなたの言う通り、私は吉澤美和子ではありません」
 鞄からウェットティッシュを取り出して顔を吹くと素顔が露になった。
 化粧をしていたせいか本物の吉澤さんと比べると、若干地味な印象がある。彼女が宮崎美幸本人だ。
 僕は宮崎さんに尋ねた。
「どうして、こんな事を……?」
 僕の質問に、宮崎さんは答えた。
「決まっているじゃないの。あなたは私達の計画を邪魔したからよ」
「計画? 警察に捕まった逆恨みの犯行がか?」
「何よ、私の気持ちも知らない癖に、嫌味なんか言わないで!」
 別に嫌味を言った訳では無いのだが、宮崎さんは激高した。
 知ったところで、同情する気も許す気も無いが。
「そもそも、どうして女性の君が吉澤さんを狙ったんだ?」
 僕の問いに、先程まで怒りを露にした宮崎さんがよくぞ聴いてくれたと言わんばかりににこりと笑った。その表情は、極めて狂気じみて不気味だった。
「実を言うとね、私は同性愛者なんだ……あっ、同性愛者と言っても別に男嫌いという訳ではないから」
 突然のカミングアウトだった。でも、彼女は実際に女性をストーキングして捕まっているのだから、落ち着いて考えれば、すぐに気付く事は出来たか。
 宮崎さんは僕が口を挟む間もなく、吉澤さんとの出会いについて、目を輝かせながら語り始めた。
「私と吉澤さんの出会いは、ファミレスだった。以前から何気に通っていた店だったけど、そこにいた店員さんに私は一目惚れしたの。彼女を見た瞬間、閉塞で退屈だと感じていた世界がぱあっと明るくなったの。私はどうにか彼女に近付きたい、彼女の傍にいたい、彼女と一つになりたいと思った」
 まるで、運命の恋だと疑わないばかりの口ぶりだった。
「その日以来、私は吉澤さんのいる店に働き始めた。吉澤さんは私が思った通りの人で、明るくて面倒見が良くていつも私に優しくしてくれた。そうしているうちに、仲良くなりたいと思って、彼女の家にも遊びに行く様になった。そして、思い切って告白したのだけど、フラれちゃったんだ……」
 当時の失恋は未だにショックだった事が窺える。
 宮崎さんは薄ら笑いを浮かべた。
「その時は凄くショックでさ。フラれた後も必死で吉澤さんの後を追いかけたよ。電話も何回もかけたし、家にも遊びに来た。彼女に悪い虫が近付かない様にした。でも、ある日突然警察がやって来て、私の両手首に手錠を掛けられてパトカーに乗せられて拘置所に入れられて裁判を受けさせられて、刑務所で仕事をさせられたわ。刑務所を出た後も、仕事をクビになるだけじゃなくて店にも入れなくなって、あの人に近付く事すら出来なくなった。あの間は何が何だか分からなかったわ」
 何が何だか分からなかったと言っているが、結局ストーカーの疑いで逮捕された事に納得がいっていなかった様だ。
「でも、どうしても諦めきれなくてさ。出所した後も、こっそりと吉澤さんを探して、彼女が働いていると言われている店に待ち伏せしていたの。そしたら、予想通り吉澤さんが来たけど、シカトされちゃった。あの人はもう私が知っている吉澤さんでは無かった。だから、私が吉澤さんの代わりになる事にしたの」
 絶縁された想い人との思い出を時に笑顔で時に切なく、長々と語る犯人だが、所詮はただのストーカーでしかなかった。
 要は、宮崎さんが吉澤さんに成り代わる事で、彼女が理想とする吉澤さんになったのか。
 別人だった事は正解だったが、少なくとも僕の知る範囲で本物の吉澤さんの口から、宮崎さんの話は一切出てこなかった。
「まぁ、知らないのも無理は無いよね。吉澤さんは誰にも私の事を話していなかったみたいだったし。でも、吉澤さんの住む自宅を探していたら、近所の人に見つかっちゃって怪しまれたから、予定よりも早く実行に移したんだけど、思わぬ邪魔が入ったわ。しかも、それがまさか再生や増殖する身体の持ち主だったとはね。私って、とことん運が無いんだな。ここまで来ると、もう笑うしかないわ」
 口では自虐的な事を言っているけど、哀愁を漂わせる印象は無かった。軽薄に笑っている分、寧ろ無礼だった。
 あんな事をされたら、吉澤さんが怒って逃げるのも無理は無い。それでも、当事者には自覚すらないのだから、余計に厄介なのだけど。
「これで、完全に美和子になる事が出来たと思ったらまた邪魔が現れたのよ。それがあなたよ。顔を見られたら自分の計画が水の泡になると思って、口封じに遺体をバラバラにしたんだけど、それからは周囲に怪しまれない様に美和子のフリをして過ごしていたわ。美和子が持っていたメイクをして、美和子と同じ髪のウィッグを被って、変装したら皆簡単に騙されていたわ。とはいえ、さすがに周りからも怪しまれそうになったら引越の準備をしてそのままアパートから立ち去ろうと思っていたのだけど、あなたは想像以上にしぶとかったわ。最初は殺した相手を見間違えたのかと思ったけど、あなたが交通事故に遭ったりチェーンソーで身体を斬り刻まれたりしても再生する特異体質だと知って凄く驚いた。ねぇ、あなたの身体って一体どうなっているの?」
 宮崎さんは僕を睨みつけながら詰ったが、僕からすれば君の方が厄介で危険としか思えなかった。
 僕が特異体質の化物なら、彼女達の精神は完全に狂っている。人でありながら、まともな精神を持たず私欲の為なら平気でボーダーラインを超えて法やモラルを犯してしまう狂人だ。アイツらの方が余程恐ろしく感じる。
 宮崎さんは僕に詰め寄った。
「ねぇ……あなたは世間で噂になっている増殖男なのよねぇ。バラバラにしてもナイフで刺しても銃を撃ってもどうせすぐ再生するから無駄なんでしょ? だったら、これならどう?」
 宮崎さんはにやりと笑いながら、あるものを僕に向かって投げつけた。

視点 佐渡真理

 パトカーを走らせる事、数十分。ようやく廃工場に辿りつけた。
「2番!」
 駆け込んだ先は、廃工場。そこに犯人達と2番がいる。
「見つけたぞ!」
 だが、そこで真理が見たのは炎に包まれた人間だった。
「ハハハ……燃える! 燃えるわ!」
 2番の身体が瞬時に爆炎を上げていた。
「2番!」
 真理は2番の名前を叫んだ。だが、それでもなお炎は2番の身体は炎で燃え盛っていく。
 2番も火に包まれた状態で、助けを求めるかの如くこちらに向かって手を伸ばしてきた。彼を助けようと、水や消火器が無いか探すが、近くに無かった。
 2番は助けを求めるが遂にその場に倒れ、二度と動く事は無かった。それでも炎は小柳の身体を燃やし尽くしていた。
「この野郎!」
 真理は怒りのあまり、犯人に殴り掛かった。
 だが、美幸の共犯者である体格の良い男が私の拳を捕えて、そのまま私を床にねじ伏せた。
「警部!」
 池谷が真理を助けようとするが、もう一人の共犯者の男が爆弾を投げつけた。爆弾は池谷の顔に当たった途端に爆破した。
「うわあっ!」
 当たった箇所が悪く、池谷は顔を負傷して、その場に倒れた。
 その間に小柳も燃え切って、あっという間に灰になった。はらはらと灰色の粉になってしまっていた。
 灰になったら、もはや再生は不可能だろう。仮に再生出来たところで、元に戻るまでにどれだけ時間が掛かるか……。
「ハハハッ、これで増殖男も終わりよ」
 主犯である宮崎美幸は、小さな灰の山を目の前に勝ち誇った笑みを浮かべた。
「さーてと……後は、警察どもをコレで皆まとめてぶっ飛ばしてあげる!」
 宮崎美幸は爆弾を取り出して見せつけた。
「コレは、さっきのヤツより破壊力が高いの。これが爆発したら全部オシマイよ!」
 自分諸共、この一帯を爆発させるつもりだ。
 もう駄目なのか。
 そう思った時だった。
 突如、灰の一粒一粒が大きくなっていった。それはちょうど原子を巨大化していくかの様だった。
 それがバランスボールくらいの大きさになると、今度はみるみると縦長に伸びて、人の形に変化していった。
 そして、灰色の人間達は一斉に犯人に向かって、ゆっくりと歩み近付いて行く。
「何よ、コイツ! さっきの爆撃をくらったのに、まだ再生するの!?」
 犯人はまさかの出来事に衝撃を受けているが、それでも彼らはただ犯人を目掛けて、一歩ずつ歩んでゆっくりと近づいていく。
「来ないで! それ以上、近付いたら……爆発させるわよ!」
 主犯は脅しをかけるが、犯人は灰色の男達が迫る様子に驚愕して震え上がりながらも脅迫した。だが、彼らに威嚇は通じなかった。
 犯人は、近付いて来る灰色の男を前に、ただ後ずさんで壁に張り付いた。
 それでも灰色の人間は犯人を追い詰めていき、遂に先頭にいた灰の一人が犯人の爆弾を手で掴んで、呪いの様な言葉を犯人に告げた。
「僕は死ねないんですよ。あなたを捕まえるまでは」
 その言葉を聴いた宮崎美幸は、恐怖とも絶望とも取れる発狂じみた悲鳴を上げた。

エピローグ 語り部 小柳和仁

 四月。
 ようやく犯人・吉澤美和子――正確には吉澤さんに成りすました元アルバイト店員・宮崎美幸さんとその共犯者が逮捕され、捜査も無事に終わった。
 ちなみに、宮崎さんと共犯者達は、アングラ系の掲示板を通じて知り合ったそうだ。
 以前、三鷹さんから不審人物と言われた人は宮崎さんの事だと思われる。憧れだったバイトの先輩を探していたところを近所の人に目撃されて怪しまれた事から、予定より早く犯行に移した。
 だが、その犯行現場を偶然通りかかった僕に見られ、彼女の仲間が僕の頭をハンマーで殴打して撲殺した。
 その後、吉澤さんの自宅の鍵を使って自宅に侵入し、風呂場で僕と吉澤さんの遺体を解体した。
 その途中で、頭部を切断された小柳8は意識を取り戻したが、犯人に気付かれるとマズイと思い、再生のエネルギーを使わず遺体のフリをして眠り続けていた。
 つまり、僕自身は自分の体質について既に気付いていたのか。
 当然、宮崎さんはいつまでも吉澤さんに成りすましているつもりは無く、一定の日数が過ぎたらバイトを辞めて逃亡する予定だったそうだ。そうなる前に逮捕出来て本当に良かった。
 ちなみに、宮崎さんが持っていた爆弾に使われた爆薬は、市販の材料で買える上に作り方も簡単で、やろうと思えば素人の僕でも作れるものらしい。
 そんなコストパフォーマンスの圧倒的な高さから、実際にテロで使われた事もある反面、粉末の状態だとほんの僅かな摩擦でも爆発する上に殺傷能力も高く、事故も数多く発生しているそうだ。
 下手をしたら、僕だけではなく犯人や周りの人達まで巻き込んでいた可能性もあったそうだ。
 宮崎さんは、そんな危険な爆弾の情報をネットで見つけ、そこに書かれてあった作り方を元に爆弾を作ったそうだ。
 こんな物騒なものがある事を佐渡さんと大森さんから聴いた時は、身近なものであんな恐ろしい爆弾が作れるのかと思い、ゾッとした。
 しかし、こんな爆発を受けて灰になっても、再生してしまう自分はやっぱり化物なのかもしれない。
 それでも、発狂した犯人が爆発させる寸前に灰の僕が爆弾を奪い取って、その隙に警察が逮捕したのだから、これで良しとしよう。
 案外、この身体も不便ではない。

 時期が時期なので事件解決の祝いに、お花見をしようと佐渡さんが提案してきた。
 とはいえ、法律順守を職務とする警察が粗相を起こしたら問題になるので飲み物は甘酒とノンアルコール飲料のみとなった。
 だが、その分弁当は極めて豪華な幕の内だった。何でも、高級デパートで売られていたものらしい。
 実際、メニューも食欲をそそるものばかりだった。
「あなたのおかげで、事件が無事に解決しましたよ」
「それにしても、犯人を逮捕した後、あなた達が無言で抱き合い始めたから何をするのかと思ったら、見事に合体しましたね。それはあなたが一人に戻るまで続いた」
 そうなのである。佐渡さんから聴いた話によると、犯人が逮捕された後、灰の僕達が無言で抱き合って合体していったそうだ。
 その時の記憶は、ほとんど無いけど。
「まぁ、あれだけの灰が全て再生したら、地球はあっという間に僕でいっぱいになってしまいますからね」
「そうなったら、もはや手に負えませんね」
 佐渡さんは、笑いながら甘酒を飲んだ。
「ところで大森は、この事には気付いていたのか?」
「さぁ、何のことやら?」
 大森さんはしらばっくれた。
「惚けるんじゃない。散々、人体実験を繰り返していたお前がそれに気付かない訳がないだろう。それに1番の様子が心配になってお前の研究室を何度か覗いてみたが、肝心の分身はいつも数人しかいなかったし人数が減っている時もあった。他はどうした?」
 佐渡さんは、大森さんに問い詰めた。
「そうだね。さすがに職場でやったら火事だと騒がれるから、試しに自宅の近くにある更地でやってみたら、さっき真理ちゃんが話した通りの展開になったよ。あそこまで人数が増えると、僕の屋敷にも入りきらないからね。でも、あの時は大変だったよ。あまりに大勢の人数を一気に焼いちゃったから大変な事になっちゃって……って痛いよ、真理ちゃん!」
 笑いながら話す大森さんの頬を佐渡さんは思い切りつねった。
 ちなみに、事件の後で僕達は身体を焼かれて灰になり、その後一つに合体した。ちなみに、合体した僕達の記憶は全て保有している。
 だから、小柳1達が大森さんから受けた人体実験や合体した他の小柳達が遭遇した出来事も全て知っている。具体的にどんな内容かと言うと……まぁ、言わぬが花だろう。
 でも、未だに合体していない分身がいる。
 動画配信で何度も惨殺された小柳7達とは、まだ合体していない。彼らは殺害された事による外的トラウマがかなり酷かったので、合体した時に僕の精神に悪影響が出ると医者と警察が判断したからである。せめて百人近くにまで増えた7番達だけでも合体させようと思ったが、彼らは恐怖に怯えて拒むばかりだった。
 この前、お見舞いに行った時は少し落ち着いていたけど、まだ不安定なところがあるそうなので、今後も定期的にお見舞いをしようと思う。
 回復までの道のりは長いかもしれないが、いつか彼らも立ち直って欲しい。そう願う。
 それにもしかしたら、捕獲した分身の他にも僕の分身が存在しているに違いない。でも、彼らもどこかで上手くやっているだろう。根拠は無いが、そんな気がした。
「ところで知っていますか? 桜は挿し木で子孫を残しているのですよ」
「はい、中学の時に理科の授業で聴いた事があります」
 確か、桜――ソメイヨシノは交配によって作る事が出来ないので、挿し木で子孫を増やしている。とはいえ、ソメイヨシノ自体、元々観賞用に雑種の交配によって人工的に作られたものなのだが。
「小柳さんもあの桜と同じ、挿し木の様に増えていく存在なです。あなたの場合きっかけは不幸な事件でしたが、それでも今はあなたを受け入れ、必要としてくれる人がいるのdすから、良いじゃないですか」
 佐渡さんの言う通りだ。
 僕自身も元々は一人の平凡な人間だった。
 でも、あの事件に巻き込まれて、自分の分身が次々と現れて、日常が壊されて、世間から脅威の対象として恐れられ、拒絶され、狙われ、巻き込まれていった。
 でも、今では異常な存在の僕を必要とし、受け入れてくれる仲間がいる。
 不条理な目に遭っても、案外どうにかなるものなのかもしれない。
「ところで、まだ再生と増殖はまだ続いているのですか?」
「はい。試しに血液を採取してみたら、やっぱり再生しました」
「なら、その身体を活かして派遣サービスでもやったらどうですか? 危険な仕事にも対応できるし、色々と使えるでしょう?」
「それは、難しいなぁ。サラリーマンならともかく、専門職やあんまり過酷な仕事や難しい仕事は出来そうにないからな」
「ハハッ、確かにね」
 佐渡さんは軽く苦笑したが、どこか微笑ましい表情だった。
 桜の花びらがそよ風に煽られて舞い落ちていった。それは異質な存在である僕にも優しく降り注いだ。

僕がどんどん増えていく(第2稿)

僕がどんどん増えていく(第2稿)

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  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日 2019-12-01

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