榾木(ほだぎ)の夢
昨夜、新宿の紀ノ国屋で新しくでた幻想小説を買った。退職してからは、旅行をするか、本を読むかする事で時間をつぶしている。たいがいは市の図書館で借りてくるのだが、今回、買い物に新宿に来て、紀伊国屋によったら、きれいな本が目に止まり、つい買ってしまったということである。
この本の作家は日本語の操りがみごとで、文章に独特の香りがある。新進気鋭の、芥川賞とか直木賞候補にすぐなるというタイプの人ではなく、少ないだろうが、強烈なファンを集める作家である。
本を買うときには勘で選ぶことが多い。装丁からその文章が想像できる。きっとこの本も面白いだろう。作風にあった装丁者が選ばれているのには、出版社の編集者に敬意を表しなければいけない。
いつも夜寝る前に本を読むのだが、昨日は食事のときの酒の量が少しばかり多かったのかベッドに入るとすぐ眠くなり、本を机の上に出したままだった。
書斎の机は無垢の椎の木で作られた渋い座り机で、私が退職をした記念に友人がくれたものである。日記を書いたり、時として依頼される小文を書いたりしている、とても気に入っている机である。
朝風呂のあと、いつものようにキッチンで簡単な朝食をすませ、書斎にはいった。
青い装丁の本が机の上にのっている。庭に面した窓からの光がカーテン越しに本の上にそそいで、表紙が浮き出て見えている。目のせいか、細いものが立っている。
近寄ると、なんと小さな茸が本の上にのっている。針金のように細い柄にピンクのかわいらしい傘の茸だ。上手くのっているものだ。買ってきたばかりの本に、茸がすぐ生えるわけはない。どこからか飛ばされてきて、たまたま本の上に落ちたということなのだろうか。
といっても、書斎の庭に面したガラス窓は閉めたままだ。ここのところ、いい天気が続いており、うちにいるときにはよく窓を開けておく。庭のどこかに生えていた茸が飛ばされて室内にはいり、カーテンにでも引っかかっていたのが偶然本の上に落ちたのだろうか。
カーテンを開け、座椅子にあぐらをかくと、茸を摘んで、机の上のクリスタルトレイにいれた。透明の器の中にピンクの茸はかわいらしくおさまった。
青い装丁の本は、手に持った感じもよく、見開きの館の絵は誰が描いたのかわからないが、これから読む内容を期待させるものである。
海岸の崖の上にある洋館で起こった物語で、幽霊でも、化け物でもなく、庭の木々のざわめきだけで、住んでいる五人の家族が翻弄される幻想小説であった。
木々の枝葉のすり合う音が、五人の住人、父親、母親、娘二人、父親の母たちには、それぞれ違った声になり、言葉になり、それに操られ、父親は再婚相手の連れ子であった娘の一人と相思相愛の中になり館を飛び出し、母親はエメラルドグリーンの海の中に飛び込み、実の娘は祖母を殺して館に火を放つ。木々の会話がその出来事の合間に狂言のように差し込まれていて、心理ドラマがより強い印象を受ける話に仕上がっている。
その日は、一日中といってよいほどその本に集中した。夕方には一冊読み終わった。予想通り本の中に強く入りこむことができた。しかし、何か釈然としないものが残った。読んでいるときに何箇所かで引っかかったのだが、想像力で読みとばしているようなところがあったのではないか。はじめからぺらぺらと何気なくめくっていくと、こういう文章があった。
[庭の芝の中に生えているたちは、一晩にして成長し、胞子をまき、死んでいくーー]とある。
なにが生えているというのだろう。さらにめくっていくと、
[犬がこすりついただけで死んだ、あのを酒に仕込めば、一族を殺せるだろう]
という文に気がついた。
誤植のようである。作家が校正をきちんとしなかったのもあるが、出版社がだらしない。出版社はどこだったか再確認すると、かなり大きなところである。あの出版社がそのようなことをするとは信じられない。作家も若いが、いくら若くてもこのようなことはしまい。駆け出しの編集者だったにしろ、このような間違いはしない。
それからほどなく。図書館で面白い本をみつけた。ずいぶん昔の人だが、英米文学の名訳者として知られている人の本である。幻想小説の領域の、イギリスの有名な作家の本をずいぶんたくさん訳している。その人が唯一自分で書いたゴシック小説である。マニアックな古本屋でもなかなかでてこない。でてきたにしても十万円を下らないだろう。それほど珍しい本が、図書館の書架の英米文学のコーナーに本人が訳した本に混じってあった。
貸し出しのカードもつけられていたのにはびっくりした。
私は早速借りることにした。
家に帰り、昼食を早くすませ、その本を読み始めた。
ゴシック小説はかならずしも好んで読む方ではないが、出だしの森の中の描写はいかにも何かが潜んでいるような、不気味な雰囲気が伝わってきて、さすがの文章家だと思った。。
[炭流しような空気のうねりがこけ蒸した木々の間をねっている。その闇の中にさらに黒い足が二本、木の祠から突き出されている。ふたつの足の間に人間の頭がはさまっている。暗闇の中でも、その首が切られ、手足の間に置かれていることがわかる。
蛍が一匹、闇の中に彷徨いでてくると、その首の周りを飛んだ。
真っ赤な目がこちらをむいた〕
これが出だしだった。読んでいくと、森の闇の悪戯であることがわかる。主人公が真夜中、森の中で楽しんでいる白昼夢とは逆の黒夜夢である。その娘は毎夜家からでると、真夜中森の中で大きな目を開けてそのような幻想を見る。
面白い話が続くので読みふけっていると電話が鳴った。仕方なく本を机の上に置いて電話にでた。大学時代の友人からの飲み会の誘いだった。久しぶりのクラスメートも来るということだった。
私は読みかけの部分に栞を挟んで、本を机の上に置いた。
その夜は、銀座のウイスキーバーにかなりの人数が集まり、若い頃の話でもりあがった。同じクラスの恋仲だった二人が、別々の人生を歩んで、四十年ぶりに再会した瞬間に立ち会えたのはなかなかのものであった。みんなの好奇の目の中で、二人は「あ」、「やあ」と肩を抱き合ったのである。よほど仲がよかったのだろう。「どうしてわかれたんだ」と誰かが聞いた。「惚れすぎてたのよ、この人が」と彼女が答え、「そうだな、一緒になってたら二人ともだめになっただろうな」と彼が答えた。
そういう間柄もあるのだなと納得した雰囲気が周りを押し包んだ。それからふたたび小説の話になった。文学系の集まりのような雰囲気だが、みんながちがちの理系の教育を受け、それぞれの道を歩んできたのである。私は新人の幻想小説を読んだことと、有名な翻訳家の小説が図書館に入っていたことを言った。
あの机をくれた友人が「そりゃ、すごい図書館だ、あの本は何万もする」とよだれをたらさんばかりだ。医者になった彼も古本集めでは人後に落ちない。
そんな話で盛り上がりお開きになった。
その日は家に帰るとすぐ床に入った。
明くる日、いつものように朝風呂に入り、食事をすました後、読書の続きをしようと書斎に入った。
まず目に留まったのが借りてきた本の上に大きな木耳が三つも乗っていたことである。茸のことはほとんどわからないが、木耳ぐらいは知っている。
机の前に座ってそれをつまみ上げると、とてもみずみずしく、食べたらおいしそうである。
だが、どうしてここに木耳があるのだろう。誰か入ってきているのだろうか。ガラス窓をみても鍵はかかっている。天井に木耳が生えるわけはないと思いながらも上を見た。やはり、なにがあるわけではない。
思案にくれ、木耳をみると、ぷるっとふるえている。やっぱりうまそう、食欲がわいてきた。酢味噌にして食べてみよう。
木耳をだいどころにもっていって、ザルにいれた。茸がなぜ現れたかという疑問は頭の中からなくなっていた。
書斎に戻ると、本を手に取り、読みかけのところを開いた。
[足の間にあった首が、暗い森の中を漂い始めた。首は枯れたブナの木に生えている大きなをかじりとると口を動かした。暗い森の中に、くちゃくちゃという音がながれていく]
面白いところである。だが、首はなにをかじり取ったのだろうか。これも誤植のようである。
[首はそこに生えているをすべてかじり取ると、また宙に浮き、暗い森の木々の間をふわふわと漂った]
どうも、文章がすっきりしない。[いるをすべてかじりとる]の文はおかしい、[いるものを]などではないだろうか。この翻訳家は文章にはとてもうるさく、このような誤植が生じるということは信じられない。
古い本であり、必ずしも印刷はよくない。出版社の問題なのかもしれない。
お昼までにその本を読み終わった。誤植らしきものがいくつかみられたが、内容はすばらしく、ゴシック、幻想系の小説としてよくできていた。
さて、本の上にあった木耳であるが、ゆでて酢味噌和にしたところ、それは美味で酒によくあった。
その本は図書館に返し、また小説類を何冊か借りて読み飛ばしていった。新しい作家の本はどれも厚い。ワープロ、PCで書くと書き直しが効く、その成果もしれない
その日はミステリーを借りて家に帰ると、ちょうど客間の電話がなっているところだった。
あわてて受話器をとると、友人がうまいウイスキーが手に入ったから持ってくるという。時々彼は酒を抱えてやってくる。私も彼も妻を亡くし、話し相手がほしくなると電話をかけてくる。
「こんなウイスキーが手に入ったよ」
彼は来るなり、紙袋から少し汚れたボトルをとりだして、書斎の机の上に置いた。
「神社のアンティーク市、というか、がらくた市でみつけたんだ、これ、結構年代ものだよ」
そこそこ知られたアイラのシングルモルトである。
「いくらで買ったんだい」
「二千円、安いだろう、ネットで調べたら、二万円近くしている」
「そういくこともあるんだね」
書斎にテーブルを用意し、グラスと氷をもってきた。
彼が注いでくれたウイスキーの味はかなりスモーキーな癖のあるものだった。
「これは、ストレートがいいね」
彼はそう言うと、自分からキッチンに行ってショットグラスをもってきた。
「カスクだよ、水でうめちゃもったいないよ」
彼はショットグラスを口に運び、一口飲むと書斎机を見た。彼がくれたものである。
「いい色になったな」
「気に入っているんだ、高さも調度いい」
「かなり凝った作りなんだ」
手作りの家具である。群馬の山奥の作家だそうである。
「その職人さんは他の物も作るのかな」
「なんでもつくるよ、寸法さえ正確にして、気にった形の外形などをおしえれば、それを元に、向こうで設計してくれる」
「高いんだろう」
「安くはないが、アンティーク物と比べれば安いし、日本の大手の物とかわりがない、手作りだし、いい木を使ってくれる分、ずいぶん安いことになる」
「キッチンの戸棚とテーブルが古くて、当時の安物だから、いい物にかえたいと思っている」
「紹介するよ、きっと気に入る物を作ってくれるよ」
「そのうち設計図を書いとくからお願いしようかな」
「いいよ、だけど、もしかすると、直接話したいといってくるかもしれない、そうすると、群馬まで出向かなきゃならないけどね」
「それはいいよ、どうせ時間はあるんだから」
「もしいくなら、俺も行くよ、群馬の温泉でもいくか」
彼は医院の院長だが、副院長の息子が中心に患者を見ている。
そのような話のあと、本の装丁のことを彼が話し出した。
本好きの彼のことである、本の話を始めたら止まらない。
「今は本の装丁に凝らなくなったが、昔は、外国の本づくりのように上手ではないにしても、凝った物があったものだな」
「そう、桃源社などが結構趣味で作ったような本を出していた」
「渋澤の本などだろう、うん、あそこの出版社は結構小口を黒や赤に染めた物があった、そう言えば金と銀のもあったな」
「今は小口染めをした本などほとんどみないね、どこかでその技術が残っているのだろうか」
「どうだろうね」
「印刷会社の中に、技術をもっているところはあるさ」
「一度、自費出版してみたいと思ってね」
彼は大学を卒業後、医大に入りなおし、卒業して開業した。趣味だらけの人間であり、カメラもその一つである。
「茸の写真がずいぶんたまったんで、写真集でもだそうと思っているんだ、文章をそえてね、きれいな本をつくりたい」
「それはいいね、ネットで探すといい自費出版社がみつかると思うよ」
「うん、だけど総カラーの本は高いからね」
すでにいろいろな出版社に当たってみたようだ。だが気に入ったところはないということだった。
「丁寧な校正をやってくれるところじゃないとね」
凝り性な彼は本に関しては妥協しないといった。
その話を聞いたときに、誤植の多い本を思い出した。
「最近何冊か読んだ本に誤植がずいぶんあってね、今回も図書館から借りた本に変なところがあるんだよ」
机の上に置いておいた、借りてきたミステリーをとって彼に見せた。
「これもそうなんだ、面白かったが誤植が目についた」
その箇所を開いて見せた。
[殺人に使われたはジキタリスやトリカブトほどではないが、心臓や体が弱っている人間には危険であった]
彼はそれを見ると、
「ほんとだね、これはひどいね、こんな大手の出版社でもこういうことがあるんだね、いい自費出版者をさがさないとだめだな」
ウイスキーを飲みながら、遅くまで本の話をした。
それから一年後、彼から、自費出版した茸の写真集がとどいた。「きのこのこのき」と題されている。回文がタイトルだ。彼らしく、変わった茸の剽軽な写真が多数あり、茸の回文が書かれている。面白かった。
彼がくれた机の上にその本をおいた。表紙の深紅のハリガネオチバタケの写真が、机の木の色と肌に調和して本が浮き出るように見える。
明くる朝のことである。机の上を見ると、彼の本の上からぎっしりと茸が生えていた。本の中に写っている茸ばかりである。
気味の悪い出来事だ。誰かが入ってくるわけがないし、たとえ入ってきていたずらに茸をおいたとしても、こんなにたくさんの種類を集めてくることが不可能なはずである。茸を手に取ってみると本物である。なにか得体の知れないことが起きている。
茸をよけて、彼の本を手にとった、開けてみると、また驚いた。
写真の茸のところだけが真っ白になっている。昨日は確かにきれいな茸のからー写真集であった。
本の上に生えていた茸はこの本から抜け出たものである。
そう思ったとき、まだ図書館に返していない短編集をもってきて誤植だと思ったところを開いた。
[猫が庭の片隅に生えている天狗をかじると、よろよろと睡蓮鉢の脇に歩いていき倒れた]
]
茸をあてはまめると、
[猫が庭の片隅に生えている天狗茸をかじると、よろよろと睡蓮鉢の脇に歩いていき倒れた]
隣意味が分かる。
もう一つおなじ本の中の文章、
[卵料理の中にはいっていたは、彼の頭の中に妄想を引き起こした。]
に「茸」をいれることで意味が通じる。
彼のくれた机は上にのった本から「茸」を抜き取り、本の表紙の上に本物として生やした。
友人に電話をした。信じてはもらえないだろうと思ったが、案の定である。
「すぐにいく、おとなしくしてろ、どこにもいくな」、
彼は私がおかしくなったと思ったらしい。診察にくるということだろう。私は、本をもう一冊持ってきてくれと言っておいた。
二時間もすると彼が自分で車を運転して、診察カバンをもって到着した。
あわただしく「どうしたんだ」と家に上がってきた。
私は彼を書斎に連れて行った。
彼は机の上の色とりどりの茸を見た。びっくりするどころではなかった。
「まさか、ほんとなのか、何が起きたのだ、君のいたずらか」
私は首を横に振った。
「君の本を見てくれよ」
「ああ、この茸たちは僕が撮ったものであることは間違いない」
そう言いながら机の上の自分の本を開いた。
さらに彼の顔色が変った。写真の中から茸だけが消えていた。彼はもってきていた本と見比べながらしきりと首をひねった。私は机を指差した。
彼もわかったようだ。
「この机をつくった工房に電話しよう」
「このことを言っても信じてくれないよ」
私のことばに、かれもうなずいた。彼は、
「机のことで話がありますが、いつ行ったらいいでしょう」
電話に出た家具職人と相談し、私の都合のいい日に、その工房に行く約束をとりつけた。
「なにがおきたんだ」
その日、彼は新しい本を私にくれると、
「きっと理由があると思う、君も僕も正常だから」
彼にしては珍しく青白い顔をして車でもどっていった。
その日、私は彼の車に乗って群馬に向かった。予定していたキッチンの食器棚も作ってもらうつもりで、ラフスケッチも持っていくことにした。
その木の家具作家のアトリエは、山の奥にあった。林の中の山小屋風の建物の周りには椎茸の榾木がたくさん並べられていた。
入口の戸を開けると、家具職人はベンチを作っているところだった。
「いらっしゃい」
「久しぶりです」
友人は家具職人に挨拶をした。
「使い心地はどうです」
「この人が大事に使っています」
私は自己紹介をし、大変気に入っていることをつげた。
「キッチンの食器棚を作っていただこうと思いまして」
「そうですか、時間がかかりますがいいですか」
「ええ、ラフスケッチですが、寸法などは書き込んであります」
家具職人は私が書いた食器棚の図をみて、「いいですね、よくわかります」といって、注文用紙を私に渡した。
彼はお座りくださいと、テーブルを示した。そこで自宅の住所などを書き入れた。
「今、コーヒーをいれます」
「ここのコーヒーがまたおいしいんだ」
友人は椅子に腰掛けながら言った。
彼はコーヒーを三つはこんできて自分も席に着いた。
友人は、私の机の上の出来事を話し始めた。
「あの座り机に不思議なことが起きたのです」
「どうしました」
友人の言葉に彼は怪訝な顔をした。
「これ、今度私が出した本です、さしあげます」
彼は、受け取った本を開いた。
「きれいな茸の写真集ですね、茸たちがみな嬉しそうだ」
友人は私の机の上にあった本も家具職人にわたした。
彼はその本を開いて驚いた顔をした。
「茸がみんな抜け出ている、これも作ったのですか」
そこからは私が説明した。
「あなたが作った座り机においておいたところ、本に茸が生え、本から茸が抜け出てしまったのです、不思議どころではありませんでした」
それに、机の上においておいた小説から、茸の文字が消え、茸が生えたことも説明した。
「え、あ、そうですか、あの机の上に置いておくと本の中の茸がなくなり、本物が生えるわけですか」
「そうなのです」
家具職人は、ちょっと考え込んでから、顔を上げた。
「あの座り机は、榾木になる予定の椎の木を使って作ったものです、その椎の木は東関東大地震のためにおきた放射能騒ぎの影響で、放射能のカウントは低く問題なかったのですが、榾木として使えなくなったものです、ちょうどそのとき、いつもの木のストックが底をつき、それを使ってみました。意外と、しっかりとできて、うまくいきました。それをお客様がお買いになったのです」
「だが、それで、どういう説明ができるのでしょう」
友人が首をかしげた。
「木は自分たちの意志があります、私ども、家具職人は、木の意志と我々の興味を一致させないと、よい作品ができません」
「その意志というのはどのようなものでしょう」
「椅子をつくりたいと思ったときは、椅子になりたい木を選ぶのです」
「それはどのように選ばれているのでしょう」
「木をストックしている小屋に行き、椅子を作ろうと思いながら、使う木を選びます、探していると知らない間に、目が椅子になるべき木のところにすい寄せられるのです、木が私に着目せよと言っているようにです」
「それで、私がいただいたあの座り机は、榾木になりたかった木だったということですか」
「はい、私の想像の世界かもしませんが、茸をはやしたくて仕方がなかった木ではないでしょうか、だけど私がそれに気がつかずに机にしてしまった、すみません」
職人は私に頭を下げた。
「いえ、とても良い机です、机が満足するように、私も大事に使います」
「ありがとうございます」
「榾木は何年茸をはやすことができるのでしょう」
「菌をうえて原木をつくり、一年から一年半で椎茸が生え始めます、四年程で生えにくくなります。
その日群馬の温泉に泊まった。
温泉につかりながら、私は彼に言った。
「あの机をたのしませてやるよ」
榾木になりたかった椎の木の座り机の上に、できるだけ茸のでてくる本を置くようになった。
泉鏡花の鏡花全集第十巻を乗せたときには、かわいらしい赤い茸が本の上にあらわれた。いわずとしれた。茸の舞姫である。机も楽しそうだった。茸が生えるのはあと数年である。
群馬に行って六ヵ月後、食器棚がとどいた。とてもしゃれているつくりで、入れる食器もそれなりに選ばなければならないと思う。
納品書と一緒に、家具職人の手紙が入っていた。
「私の作った机を大事に使っていただいていること感謝いたしております。お話した私の想像が正しいかどうかわかりません、勝手なことですが、食器棚に榾木になる予定の木を一部に使いました。お気に召していただければ幸いです」
今日、茸の絵柄の食器を買いに行くつもりである。
頭の中が食器から茸が生えるのを期待しているようだ。
食器棚も楽しませてやろうと思う。私もそれが楽しい。
榾木(ほだぎ)の夢
私家版 第九茸小説集「茸異聞、2021、一粒書房」所収
茸写真:著者: 長野県富士見町 2016-8-2