リラの花が咲く頃に  第11話

リラの花が咲く頃に 第11話

「大切な人の過去を受け入れる為に大切なことは(1)」

ーーピンポーン



「聡!起きてる?いるんでしょう?!」




(まさか…そんなわけ…先生が)




昨夜あんなにたくさん愛し合い、確かめ合ったというのに、まさか暫く会っていないうちに他の女がーー?!



佳奈子は不安に思いながら恐る恐る玄関の扉を開けた。



「…ど、どちらさまですか?」



私は彼女の立場、ここは白黒はっきりさせねば…!!佳奈子はそんな気持ちであったが、扉の向こうの人物は明らかに自分より年上で、腰が引けてしまった。自分はなんて弱いのだろうか…。


その女性は小柄でかわいらしく、センター分けの似合う美人で尚且つ年上であるはずだが佳奈子より背が低い。150㎝前半くらいであろう
か。


玄関で女同士が対峙しているこの状況、穏やかではいられない。しかし自分も相手もぽかんと口を開けて立ち尽くしている。


先に会話の糸口を手繰り始めたの女性の方だった。




「も、しかして、あなたは…」




まさか自分を知っているのか?



「あなた、佳奈子ちゃんでしょう?」




「…え…ええ?!」




佳奈子は混乱した。


初対面である人物に名を知られているなど、気味が悪い。



「とにかく、聡寝てるなら起こしてくれない?
ちょっと用があって」



よくわからないが、女は先生に用があるらしい。佳奈子は言われるがまま軽く揺すって起こした。




「朝から何?怒涛の学会巡り終わって疲れてんだけど」



先生が佳奈子には普段言わない「疲れてんだけど」がこの女には発せられた。どう言う関係なのだろう。




「そこに座って、正座で」



先生は怠そうに正座した。その怠そうな所作でさえ先生には色気がある。



そんなことはどうだって良い。一体この女はなんなのだ。佳奈子は気を揉んだ。





「例の佳奈子ちゃんでしょ、この子」




「そうだよ。俺の患者で、あまり公表できないけど彼女」




「は、はじめまして」




佳奈子は「どうぞ」と煎茶を差し出す。





「ありがとう佳奈子ちゃん。ところで、今私のこと、気になってる?」




「え…まあ…」



「だよね。戸惑ってますって顔に書いてる」




佳奈子は顔を赤らめ手で顔を覆った。




「私は汐川あおい(しおかわあおい)」




「汐川さん…?」





「俺の姉貴だよ。前にもちらっと話したかなぁ」





「あの、お姉さん…」




付き合いが始まる前か始まったあたりで姉の話は聞いていたが、正直佳奈子の中で壮絶なブラコンお姉さんと言う印象で、見た目はこんなにかわいらしいなんて想定外だった。


きっと今回はその壮絶なブラコン気質を発揮して弟の食生活などを心配していつも通り様子を見にきたのかもしれない。ブラコン姉も怖いが、新手の女の存在発覚ではないので佳奈子はひとまず安心した。



「聡ってアレルギー多いから佳奈子ちゃん作るの大変でしょう?外食も思うようにできないし」



朝食を作っていたことに気づいたらしい。


確かに小麦や卵といった代表的なアレルゲンだけでなく、先生は人参などの野菜やフルーツ類のアレルギーの方が多いのだ。




「いえ、そんなことは」





気にしない様にしているのだが、大変なのは本音だ。




「そう…それにしても佳奈子ちゃん…“あの人”に似てる」




「やめろよ、佳奈子の前で“あの人”の話は」




“あの人”とは誰のことなのか。


先生やめろという話とは、なんなのか。





「聞きたい?佳奈子ちゃん」




「姉貴、やめろって」



佳奈子に聞かせたくない先生と聞かせたいあおいの対立に板挟みで佳奈子は少し真空状態の魚になったような息苦しさを覚えた。




「あの人の話するくらいなら帰ってくれよ。双子の娘、保育園連れて行かなくていいのか?姉貴がいない間に出産入ったりするかもしれない。その様子だと別に大した用でも無かろうに」





「病院のこともあの子達のことも大輔に任せればいいわ。それに大した用だからきたのよ、もしかしたら佳奈子ちゃんきてるかもって思ったし、弟の様子を抜き打ちで見に来ちゃ悪い?」





「あのさ、俺達もういい年なんだからこんなこともういい加減やめよう?姉貴だって仕事も家庭も持って子供もいるんだから、そのエネルギー俺じゃなくてそっちに回したら今以上に家庭円満になると思うよ」




冷静に答えているが、寝癖のついた先生の髪から覗くこめかみから怒りマークの如く血管が浮き出ているのが佳奈子にはわかった。



しかし、あおいは怯まない。





「わかってるわ。でも姉としてあんたが心配なんだ。佳奈子ちゃんとの関係は本来バレたら色々やばいし、アレルギーだって食物アレルギー以外はあんまり聞き慣れないものだったりするわけなんだから…」




あおいの心配は弟のことを思うばかりに深刻なものだった。過去に何があったのか、そしてその過去に“あの人”は関係あるものなのか不謹慎だとは思いながら佳奈子の中でさらなる興味が湧いていた。




「あ、あおいさん」





佳奈子は思わずあおいに声をかけていた。




「聞かせてください…“あの人”が誰なのか」



「佳奈子…やめておいた方がいい、この話は」



話した方があおいにとって楽になれるのかもしれない。しかし、先生にとってその話は男のプライドを傷つけるのかもしれないが、先生を心から愛している佳奈子は彼のことをなんでも知りたいとを思っている。どんな恥ずかしい話だろうが、倫理に欠けた話だろうがこの際なんでもいい、なんでも知って先生の全てを丸ごと愛したいーー





「先生のこと、どんな過去があろうとなんでも知りたいの。もう過去とか年齢なんて関係ない、私は先生を愛してるし、これから何十年経っても先生と一緒にいたいからそのためにも何でも知るべきだと思うの。特に生死にかかわることはね」




「佳奈子…」




過去に対し前向きに向き合おうとする佳奈子の姿勢にあおいは心の中で高く評価した。





「佳奈子ちゃん、覚悟はいいわね?」



「はい」




あおいは佳奈子に小さく微笑んで見せると過去を話し始めた。





「あれは…そうね、21年も前のことになるかなぁーー」





今からおよそ21年前のこと。


当時あおいは17歳、先生は14歳。季節は冬、12月24日の昼間だ。世間はやれ冬休みだの、クリスマスだの浮かれている。


そんな中、14歳の先生はは1人机に向かい黙々と宿題に励み、17歳のあおいは幼馴染からクリスマスのお誘いがあり不在だった。


あ、先生のことはここでは聡と呼ぶ方が自然かもしれない。


雪雲立ち込めるクリスマス、聡以外不在の聊斎家(りょうさいけ)の呼び鈴を鳴らす者がいた。





ーーピンポーン




「誰だろう…?」



聡は一旦勉強の手を止めた。




(めんどくさいけど行くか…)




重い腰を上げ2階の自室から階段を駆け下りると、玄関扉の前で「どちらさまでしょうか?」と扉の向こう側の見知らぬ訪問者に声をかけた。




「私、あおいさんのクラスメイトの鶴喰(つるばみ)しょう子と言います。あおいさん、いらっしゃいますか?」




訪問者の女性はあおいのクラスメイトで親友のしょう子であった。あおいからは色々と聞いてはいたが、実際には会ったことはなかった。




「すいません…姉は今外出中でして…夜まで戻らないかと」




しょう子は残念そうな声をあげる。





「あら…そうなんですね。実は先日お邪魔したんですけど、その時にしていたイヤリングを落としてしまって…。ごめんなさい、また後日伺いますから」




扉の向こうのしょう子は諦めて踵を返そうとしたが、聡はお気に入りのイヤリングかもしれないと思った。聊斎家は長い間女系家族の為女性のお気に入りのファッションに対する執念深さについては中学生の聡にもわかっているつもりだった。



聡はあおいに黙って家に上げることにした。




「あ、あの、待ってください!」





「え…?」




「姉には部屋に入ったこと黙っておきますんで…」





「でも…なんか悪いわ…」




「大丈夫ですから…大事なものなんじゃないですか?」





「…じゃあ、お言葉に甘えて…」



聡が扉を開けるとそこには長い黒髪がよく似合う色白の美しい女性が立っていた。前髪は眉毛が少し隠れるくらいの長さで切り揃えられ、大きな二重の眼をくっきりと見せている。身長は160㎝くらいであろうか。


安室奈美恵を真似ているのか、腰丈までのダッフルコートの下からはバーバリーチェックのスカートが見え、スカートの裾からは冬だというにも関わらず細い太ももが黒のサイハイブーツに挟まれてのぞいている(今で言うとこの「絶対領域」である)。姉以外のなまの太ももを見た聡には刺激が強すぎた。





「ど、どうぞ」




目の前の凄艶なしょう子は高級人形の様な端麗さと年増の様な艶かしさを掛け合わせた様な容姿で色白の肌は透ける様な白さだ。こんな女性がこの世のものだとはにわかに信じられないものがある。





「えーっと、あおいの部屋って階段昇って直ぐだったわよね?」





「は、はい…」




「お邪魔しまーす!」





しょう子は元気よく階段を昇っていく。その為短すぎるミニスカートが翻り、ピンク色のパンツが聡の視界に入った。




(わっ…!やば、見ちゃった!)





あまりのしょう子の刺激の強さに、初対面で聡は翻弄され、気がつけば鼻血がツーっと口元をなぞって流れていた。






ーーカーンカーンカーン…




市民憲章にも登場する札幌市のシンボル、時計台の鐘が3回鳴った。約束の午後3時だ。


昭和の時代ならばわかるが、待ち合わせにここを指定する高校生なんて今時いるのだろうか…いや、そんな奴は絶滅危惧種に近い。




「あおい」





右側後方から優しい男性の声がした。呼ばれたあおいは振り向く。




「よっ!」




声の主は彼女より2回り大きく、褐色の肌したあおいの幼馴染、汐川大輔(しおかわだいすけ)である。




「大ちゃん、今日も時間きっかり…」




大輔はいつも約束した時間通りに来る男だ。早まることも遅れることもない、いわば電波時計の様な人。


そんな大輔に感心してしていると彼が真っ白な歯をむき出しにニッと笑った。いつもと変わらね笑顔のはずなのに、あおいはなぜかときめいてしまった。今日の彼は何か違う。




(あれ…?大ちゃんって…こんなにかっこよかったかなぁ?)





ぽかんと口を開けてフリーズしているあおいに大輔は気づく。





「なした?口開けてぽかんとしてるあおいなんて珍しいじゃん。らしくないなぁ」




大輔に指摘されあおいは我に返った。開いていた口に手を覆う。





「あ、ごめん…ボーォとしちゃった」




「なんだよ、とうとうお前、俺に惚れちゃった?」




このからかい方はいつもの大輔だ。


きっとこの銀世界がゲレンデマジックを起こしているだけ。それに大ちゃんは日本とフィリピンのハーフ。偶然が重なっただけだ、あおいはそう考えた。





「な、なわけないでしょ?バッカじゃないの?」





いつものやりとり。それにしても、なぜクリスマスにここに呼んだのか?




「大ちゃんさぁ、なしていきなり私をクリスマスに誘ったの?なしちゃったのさぁ?
しかも、待ち合わせがなして時計台よ?!裕次郎さんでもあるまいし、時代遅れもいいとこよ」





大輔の顔が急に赤くなる。




「それはさぁ…卒業したらあおいに会えなくなるし、昔みたいにお前ん家でクリスマス一緒にやるなんてなくなったから今年はな…」




「そっかぁ。大ちゃん、卒業かぁ…」




1歳年上の大輔は来春には東京の大学に通うため札幌を離れるのだ。ずっと一緒だったあおいはそのことを忘れていた。一緒にいるのが当たり前だったから…。




「それにさ、いつかクリスマスにあおいと待ち合わせするなら時計台ってガキの時から決めてたんだ」




大輔が軽く下唇を噛んだ。バスケ部での試合前前や緊張した時に昔からよくやっているのを側で見続けてきたあおいには彼が緊張しているがすぐにわかった。なぜ彼が緊張しているのかということも…あおいは恥ずかしくなり敢えて話題を変えた。




「…あ、あの子、ちゃんと宿題やってるかなぁ。宿題やるようには言って聞かせといたけど心配だなぁ…」





「ははっ聡なら大丈夫だよ。うちの妹と同い年だなんて信じられないくらいしっかりしてるし」





菜摘は大輔の妹で当時は荒れており学校の不良グループとつるんではタバコを吸ったり、教師に反抗しては度々呼び出されていた。


数年後札幌のバス会社に就職し、道内は勿論離島まで案内するベテランガイドになったとはこの当時誰が予想できただろうか。




「ま、どうしようもなくなったら自分でも気づくだろうけどな。取り敢えず歩こう?立ち止まってたら冷えるっしょ」




2人は時計台を左手に見るように方向を変え、テレビ塔がある大通公園を目指して歩き始める。



「地下街のカフェでココアでも飲もうよ」





「そだね」




地下鉄大通公園駅前の信号で2人は信号待ちをする。

青になりあおいが渡ろうと一歩踏み出すと雪が積もったアイスバーンに足を取られてしまった。





「きゃっ!」




「大丈夫か?立てる?」



大輔が手を差し伸べてくれる。しかし、上手くブーツのヒールが氷に刺さらず立ち上がれない。





ーーブー!!





「…うっせぇなぁ。女の子が転んで困ってるのに」



車にクラクションを鳴らされ、大輔は小さく呟いた。

軽々あおいを抱き上げ、歩道に渡った。





「…大輔、ありがとう」





突然のお姫様抱っこにあおいはドキドキしていた。しかし、同時に妙な胸騒ぎを感じた。




「足、捻ったりしてない?」



「大丈夫だよ、ありがとう」





心配してくれる大輔の優しさ…そしてかっこいい顔もいつも以上に近くてドキドキする。今日は幼馴染以上の感情が自分の中で生まれている中で、この妙な胸騒ぎは何なのだろうか…。




「わっ!さむっ!」




急に冷たい風が吹き、あおいはピンクの手袋をはめた両手にハーと息をかけた。




「大丈夫?…寒いし、また転んだりしたら大変だから手、繋がない?」




「え…?」




大輔はあおいの右手を優しく取るとコートの左ポケットにそっと忍ばせ大きな手で包み込んだ。初めての異性の手の温もりなどを感じ、あおいは恥ずかしさから頬を染め口元に手をやった。

幼い頃に何度か遊びの中で繋いでいたと言うのに、高校生になった今は何かが違う。





「あおい…?嫌、かなぁ ?」



大輔の手がゆっくりと離れていく。

あおいはそれに抗う様にポケットの中でしっかり指を絡ませた。



「嫌じゃないよ…嫌なわけ、ない。ただ、昔繋いだ感じとは違って、“男の人”だから…」





体の奥から火照ってくるのを感じた。

初めての感覚に戸惑いと恥じらいが混在し、あおいは頭の中が真っ白になる。が、そんなこと、バレたくない。あおいは平静を取り戻そうとする。





「ねぇ…地下街入ろう、大ちゃん」





「う、うん」




2人は再び歩き始めた。

階段を下りながらポケットの中の指同士が隙間なく、力強く絡みあって簡単には解けなくなっていく。

あおいは大輔を見上げた。

大輔の耳は外気温の冷えによるものだろうが、ほんのり赤くなり、心なしか彼が照れくさそうにしているのにあおいは気づいた。




(大ちゃんも、ドキドキしてるのかなぁ…)




大輔も同じならば…あおいは大輔に寄り添う様にくっついた。大輔の視線を感じるが、照れくさくて彼の目などドキドキして見れない。



歩き慣れたオーロラタウンの地下街も今日はほんのり淡いピンクフィルターがかかっている。
好きな人と歩くってこんな感じなのかなぁ…あおいはそう感じていた。



目的のカフェに着いた。



友達や家族ともよく来るいつものカフェなのに、今日はなんだか特別感がある。幼馴染以上恋人未満の大輔がいるからだろうか。







「いらっしゃいませ。2名様でしょうか?こちらのお席にどうぞ」






2人が案内されたのは窓際の席だった。


ココアを2つ注文し、それまでずっと無口だった大輔が喋り始めた。




「なぁ、あおい」





「なに?」




「なんか今日のあおい、いつもと違うね」



「そう…?」




「うん…なんか違う。なんていうか…かわいい」




大輔にかわいいなどこれまで言われたことがなかったあおいだが、素直に嬉しかった。だって今日はいつもより背伸びをしてしょう子に選んでもらったヒール付きのブーツを履いたり、お気に入りのリップを塗ったりしたから…。



あおいはハッとした。


今まで気づいていなかったが、クリスマスデートに誘われて無意識背伸びをしたおしゃれをしてしまうほど彼のことが好きになってしまっていたことに…。



異性として意識すると途端に恥ずかしくなってきた。あおいはほんのり頬を染めながら言葉を返す。





「大ちゃんも…なんか違うよ?」





「え…?」





「かっこいいんだね、大ちゃんって」




先程から思っていたことをそのまま口にすると遠回しに告白しているような感じがして恥ずかしい。



大輔は目の前に置かれた水をがぶ飲みした。





「い、今頃気づいたのか?全く何年一緒にいるんだよ、ははは!」





いつもの調子でおちゃらけるが、再び水をがぶ飲みして一瞬下唇を噛んだ。照れているのがバレバレだ。




「大ちゃんだって私のかわいさに今頃気づいたんじゃなくて?」





大輔の顔がほんのり赤くなると、再び下唇を噛んだ。






「ずっと前から思ってたけど…恥ずかしくて言えなかっただけだよ。今日はいつも以上にかわいい」




これまで生きてきた中で大輔の「かわいい」が一番照れくさくて嬉しい。


あおいは火照る頬や首筋に手をやった。





「あー、なんまら恥ずかしいなぁ」




頭を掻きながら大輔はまた下唇を噛み締めているが、なまら恥ずかしいのはあおいもだ。


頭を掻きながら下を向いている大輔の顔を身を乗り出して覗き込むと、あおいははにかみながら微笑んで見せた。それに対し大輔もはにかんだ笑みであおいを見つめる。見つめられるとなんだかくすぐったい気分になり目を逸らした。


目を逸らした先には聡と同じくらいの歳と思われる少年がいた。


待ち合わせしていたのか茶髪に染めた髪をソバージュにしブランドものでかためた派手な女が近づき少年の肩を軽く叩くと、ブランド物のバッグから何か小さな正方形のものを取り出した。少年はそれを受け取ると不釣り合いの2人は人混みに紛れて消えた。




「お待たせしました」





注文したココアがあおいと大輔の元に運ばれてきた。




「あおい…?」





「…へ?」




余所見しているあおいに大輔が声をかける。




ーーがっしゃーん!!





あおいが大輔の方へ向くと同時に店員の手からコップが滑り落ちた。





「大変申し訳ございません!すぐに替えをお持ち致します!」





あおいは妙な胸騒ぎを覚えた。


コップは真っ二つに割れ、床に広がるココアは一瞬真っ赤な鮮血に映った。





「…あ、やば…」





聡は我を忘れ暫く鼻血を出しながら立ち尽くしていた。


探し物は見つかったのだろうか?気になり階段を駆け上がる。


扉は少しだけ開いていた。聡は少しだけ開いた隙間の向こう側にいるしょう子に声を掛ける。




「しょう子さん、見つかりました…?」





扉の向こう側からしょう子の哀しげな声が上がる。




「…ないわ」





「そうですか…。あと探すとしたらリビングとかトイレですかね…途中でトイレとか行かれました?」




「んー、あ、1回借りたかなぁ」




「探しましょう。僕も手伝います」




聡がやる気を見せると哀しげだったしょう子の顔を一瞬でパッと華やいだ。




「あら、ほんとぉー?ありがとう♫」





沈んでいたしょう子の気分は一気に上がると、
2人の間を隔てていた扉が彼女の気分のバロメーターの針の如く勢いよく開き、2人の間に距離は無くなった。

距離が近くなったことにより少し甘く、それでいて大人の香りがしょう子からするのがわかった。

香りだけではない。しょう子の髪質、小さく、それでいてしっかりとした輪郭、きめ細やかで真っ白な肌質、視線を更に下に下げると黒のニットの下に隠れたEカップ程の大きな乳房があるのがわかり、聡は彼女を目の前にし興奮してくるのが自分でわかった。





「どうしたの…?」




「い、いや、なんでも…ないです」






見ているのがばれてしまった。途端に恥ずかしさを覚える。


そんな聡の態度にしょう子はニヤリとすると、獲物に狙いを定めたヒョウの如く爛々と光らせ、そっと目を逸らした。




「もういいわ…」




「え…?」



「もう、イヤリングのことなんてどうでもよくなっちゃった。そういえば、名前なんだっけ?」





「聡(さとし)、ですけど…」





あまりの気の変わり様に聡は混乱していた。そんなに大事なイヤリングではなかったのだろうか?


同じ女性のあおいでも性格の違いであるだろうがこんな展開の早い気の変わり方はしない。こんなことが日常なら友人であるあおいは毎日振り回されているのだろうか…?聡はお節介ながら姉が心配になった。





「あ、そうだ、聡くんだ。あおいがあなたのことよく話すから聞いてはいたんだけど忘れちゃってた」





あおいが弟であり病弱な自分のことを気にかけて…いや、異常なまでにブラザーコンプレックスであることは気づいていたが、まさか学校でも友人に話しているとは思っていなかった。


話しているところを想像すると気分が悪くなりかけたが、気分を取り戻す。





「ねえねえ、さっき、あたしがここにお邪魔するまで何してたの?」




「冬休みの宿題してました」




「あら、あおいから聞いた通りの真面目さんね。お利口さんだから当たり前かぁ。
わからないところがあればお姉さんが教えてあげる」




しょう子はニコッと笑って見せた。

その笑みは大人っぽい見た目とは裏腹に幼げでかわいらしい笑顔で、聡の心は一瞬で射抜かれてしまった。

クラスの女子と全く違い、しょう子は大人の色気の中に年相応のかわいらしさもあってまだまだ知らない部分にも触れたいという好奇心が湧いてきた。



これが聡にとって初恋の始まりであり、同時に地獄の幕開けであった…。





温かいココアの甘さと、少しほろ苦くセンチな言葉たちが程よく調和したカフェタイム…。


そんな言葉が似合うカフェタイムを過ごしたあおいと大輔が次に向かったのは4丁目プラザだった。


4丁目プラザ、通称4プラはさっぽろ地下街・ポールタウンからアクセスできる。



4プラであおいが好きなのは7階にある自由市場。個性的なアクセサリーやファッション雑貨などの商品が独特の空気感の中で展開されるこの場所は、おしゃれ好きなしょう子から教わり、初めて訪れた瞬間からあおいは虜になった。


かわいらしい動物のぬいぐるみやヨーロッパや北欧文化やエスニックを思わせる雑貨が並ぶ店も好きだが、あおいが1番とする店は「宝箱をひっくり返したような店内」で有名なブリッカ・ブラックである。


この店ではジャンクなアクセサリーアクセサリーはもちろん、アンティークなお宝まであり、「1フランから買えるお店」とうたっているだけあって女心をくすぐるアイテムが安く買えてしまう。


ウインドーショッピングを楽しんだ後にあおいが訪れたのはやはりブリッカ・ブラックであった。




「すげぇなここ…」



初めて訪れた大輔は札幌にこんな店があるのかという顔をしている。


ネックレスとペンダントが商品ごとに束状に少し絡み合いながらずらりと並び、女性・子供では届かない位置にまで及んでいる。その下の商品ケースには指輪、ピアス、イヤリング、ブローチがところ狭しと配置され、それらは照明の光でキラキラと輝いている。




「すごいでしょ?子供のお小遣いでもかわいいアクセサリーが買えちゃうし」




早速あおいは見るもの全てに「かわいい」と言いながら気に入ったものを手に取っては、大輔に「これ似合うかなぁ?」確認する。そんな仕草のひとつひとつがなんとも表現し難い程に大輔には愛おしく映った。


大輔は何かひとつプレゼントすることにした。



あおいが少し離れた隙に気さくな店主に声をかけ会計を済ませると、先に店を出ていたあおいを追いかける形で店を出た。




ブリッカ・ブラックの隣にあるカフェで2人はクリームメロンソーダを飲み、歩き疲れた身体を癒す。


あおいの甘い物好きだった祖父も生前ここのパフェを一度食べたことがあったようで、昭和の甘い物好きも満足できる甘さなのだろうと想像していたが、このクリームメロンソーダのアイスクリーム自体が充分甘く美味しい。


クリームメロンソーダを半分ほど飲み干し、あおいは先程ブリッカ・ブラックで購入したネックレスを早速大輔の目の前でつけて見せた。


鎖骨より少し上の位置でシルバーの小さな天使が照明の光に照らされ光る。




「かわいいでしょ?さっき見てた中で違うのと迷ったんだけどね」





あおいによく似合っている、大輔は素直にそう思った。


大きく羽根を広げ舞う小さな天使が自分たちの恋のキューピットになることを祈った。




「よく似合ってんじゃん」





「ありがとう」





ワンレングスの黒髪セミロングが似合っていて、彼女の親友・しょう子の次に周りの女子高生より少し大人びて見える。しかしその笑顔にはまだ幼さがあり、口元には八重歯が覗く…そんなかわいい女の子のあおいに大輔は先程購入したプレゼントを差し出す。






「俺からプレゼントあるんだけど、受けとってくれる?」




「クリスマスプレゼントって、こと?」





「うん、開けてみ?」





袋を受け取るとあおいはある事に気がついた。





「あれ?これブリッカ・ブラックの袋…もしかしてさっき買ったの?」




「そうだ」




「大輔ったらいつの間に買ってくれたんだ…ありがとう」





あおいは小さな紙袋の口に貼られたテープを丁寧に剥がした。中からはアンティーク調のイヤリングが出てきた。





「あ、これと迷ったやつだ」





「そう。そのネックレスも似合うんだけど、迷ってたみたいだしそっちのイヤリングの方が俺の中では似合ってたから」





「天使と天使…」




「でも、イヤリングの方はただの天使じゃない。大天使ミカエル」






「ミカエル様なの?」





「それはね、17世紀に活躍したバロックナポリ派の巨匠、ルカ・ジョルダーノって画家が描いた大天使ミカエルなんだ」





大輔が説明する。


ルカ・ジョルダーノが描いた大天使ミカエルはこの絵の中で逆らうサタン達を退治しているのだと。作品名は「大天使ミカエルと叛逆(ほんぎゃく)する天使たち」で、イヤリングはその作品をカラーのメダイにしたものである。




「大輔、さすがクリスチャンの家庭なだけあって詳しいのね」





「まぁね。家にいっぱい母親が収集したキリスト教の関連本がいっぱいあって、大天使ミカエルの記述は子供の頃から目にしてただけ。
ただ、ルカだけは他の作品とは何か違う“光るもの”を感じるから他の作品よりも調べた」





「確かに、ミカエル様の神々しさはもちろん、力強さとか上手く表現されていて、教科書で見るキリスト教画とは違うかもね。ルカさんは巨匠っていうだけあって表現法や技巧面でも優れてたんだ」





「周りの評価はもちろん自分でも『俺は上手い』って自覚してたらしいから自他共にてやつかな。…てか、話し始めたら3時間はここで入り浸る事になるからまた今度話してやるよ」





「うん、また聞かせて!」





あおいは満面の笑みで喜んでいる。あおいは幼い頃から大輔のこの手の話が大好きなのだ。大輔もあおいが嫌がらずなんでも喜んで聞いてくれるからいつの日からかそんな彼女のことを女性として愛おしく感じるようになっていた。



今も充分のかわいいあおいが上機嫌な満面の笑みを見せると、早速両耳にはめて見せた。白い肌にルカの絵画が良く映えている。




「やっぱ、似合う」





「ほんと?嬉しい、大事にするね」




大輔は自分が卒業してからもあおいを守ってくれる様にイヤリングに祈った。


きっと、大天使ミカエルならばあおいに近づこうとするサタンを光の剣、または足蹴りで追い払ってくれるはずだから…(ルカの絵画では足で退治しています)。




聡の部屋。



聡は机に向かい再び宿題を、しょう子は聡のベットの上で寝そべりながら週刊少年マガジンを読んでいる。





「…はぁ」




各教科半分ずつやり終えて気づけば使い続けた頭が疲れていることに気づく。甘いものが欲しくなり席を立つ。しょう子に出していた紅茶のティーカップも空だ。





「聡くん、どこに行くの?」





長袖の裾を掴み、上目遣いで小首傾げる仕草をするしょう子。その仕草は美しい彼女を生まれたばかりのか弱い子猫の様に愛らしく見せた。聡は上目遣いで自分を見つめる円らな瞳に吸い込まれそうになる。




「ちょっと甘いもの欲しくなって…あ、しょう子さんのお茶ももうないじゃないですか。おかわりはいかがーー」




「私はもういいわ。甘いものならここにあるチョコレートで良いじゃない」



茶菓子として出していたロイズの生チョコレートをひとつぶ爪楊枝で刺すと、聡の口に入れてやった。




「行かせてあーげないっ」





そう言うとしょう子は聡の身体に抱きつき、ベットに引き寄せて倒れ込んだ。



身体を重ねる2人の唇の距離は目と鼻の先程しかない。キスしようものなら出来てしまいそう…。


しょう子の愛らしい唇に自分の唇を重ね合わせることを想像し、聡の下半身は素直に年相応の反応を見せている。そんな聡にしょう子は嫌がる素振りを見せず、寧ろ目を爛々と輝かせて嬉しそうに見える。



彼女は聡を挑発した。




「聡くんってかっこいいよね…すごーく真面目だし、お姉さんのあおいには悪いけど、好きになっちゃいそうだなぁ。…ねえ、私とさ、あれ、してみない…?」





目を真ん丸に見開き紅潮させた聡はしょう子の唇に口づけを落としたい衝動に駆られた。しかし、このまま挑発にのってしまっては間違いを起こしかねない。





「あの…正直そういうのは…その、まだ」





だが、しょう子は引かない。





「そうかなぁ…?大人になってからなんて思ってるの?若しくは結婚してからなんて?そんなのキリスト教から持ち込まれた思想よ」





しょう子は聡の首に腕を回し、汚れを知らぬ唇にキスをした。





「本来の日本人に恋愛なんてない。恋愛なんてものは西洋の文化であって、日本人は本能的な性愛を愉しむだけなの」





再びしょう子はキスをし、耳元を指で触れるか触れないかの力加減でなぞってゆく。その耳元がゾクゾクする性的な感覚は聡がこれまで14年間親また先生による教育で築き上げた価値観という壁をダルマ落としの如く一気に崩し、身体の奥底からムラムラと湧き上がる本能のまましょう子を襲い始めた。



しょう子の唇を貪る様にキスをしながら豊かに実った右乳房を服の上からパン生地をを捏ねる様に弄った。ほんの少し開いたしょう子の柔らかな唇から吐息混じりの嬌声が漏れる。



貪る様なキスはやがて舌を絡ませた濃厚なものに変わる。しょう子は舌で聡の舌を転がすように舐めたり、吸ったりする。それがまた気持ちよく、自分の下半身のものが更に硬くなるのがわかった。


しょう子の唇もいいが、今服の上から弄っている大きな乳房も貪ってみたい…聡は自分の中の悪魔の指示に従いキスしながら指を服に滑らせ下から手を入れた。





「んん…っあん」




聡の冷めたい指先が肌を這う感覚にしょう子の唇から再び嬌声が漏れた。聡は貪っていた唇から唇を離すとしょう子の頬、首、首筋、鎖骨…と軽いキスを落として行き、彼女の服をめくっった。


淡いピンクのブラジャーに包まれた豊かに実った真っ白な乳房が目の前に現れ、聡は少し愛おしく眺めた後その愛おしい乳房にキスをした。



キスをするたびにしょう子の「あんっ」と小さな吐息にも似た嬌声が漏れる。



聡は全体的にキスをしていくとブラジャーを少しめくり、現れたほんのり薄紅色に色づいた柔らかな突起を舌先で転がしては少し優しく吸ってみせた。






「あっあっ…あんっ…聡くん…凄く、上手…」






しょう子の脚は聡を全て受け入れる様に少しずつ開いていく。“雌の本能のまま”に。


彼女の問題はここからだ。



未経験の少年を挑発し誘って関係を持っては、その関係は一度きり、つまり捨てる男の女版なのだ。




「ああんっ…聡くん、本当に初めてなのぅ?凄く上手…」




しょう子はこれはいけると思ったのか、ポーチから天然ラテックス製のコンドームを取り出し自ら聡のものに被せると、しょう子は聡の上に馬乗りになり腰を上下に動かし始めた。




「ああ…なんて気持ちいいの…?あん…あんっーー」




聡はなすがままだ。所謂“マグロ”だ。先程の彼とは違う。


しょう子は上半身裸になり大きな乳房を上下に揺らしながら腰を激しく動かし1人悦に浸っている。その下で聡は顔を真っ青にしぐったりとしているのだが、快感とも言える悦に浸るしょう子は気づかない。





「あっあっ!い、いくぅ!!…ああぁん!ーー」





しょう子はひとり果てた。なんとも表現しがたい快感がしょう子を襲い、聡の身体に倒れた。






「…あれ?」






ここで漸くしょう子は聡の変化に気づいた。


顔は青ざめ、全身に蕁麻疹が広がっている。彼女の中で硬いはずの聡のものは少し軟らかくなるだけでなく、温かいはずの体温はもはや人肌ではなくなっている。




「ど…どういうことよ…」





未経験の少年を食べてきたしょう子だがこんなことは初めてだ。少し揺すってみると聡はブェッと嘔吐した。


しょう子は前代未聞の事態にパニックに陥った。先程の快感の余韻にも浸れない。


ここから逃げなくては…本能的な逃げたい衝動に駆られ、慌ててブラジャーを身につけ服を着ると証拠隠滅としてなのかコンドームを外し小さなクリアパックに入れ、それをバッグに詰め込み部屋を出た。


しかし、階段下の玄関から鍵を開ける音と共にパンプスの踵がコツコツと床を打つ音が聞こえてきた。あおいと聡の母・あき子が仕事から帰ってきたのだ。


あき子はノーカラーのシャネルタイプのスーツに厚手の黒のコートを羽織っていた。





「あら、しょう子ちゃんじゃない。あおい今日いないのにどうして?…まさか、聡に?」




あおいを通じて聡といつのまに接点持ったのかしら…あき子は疑問に思った。


しかし、娘のあおいは家族公認の弟思いを通り越したブラコン気質、女友達に自慢の弟として話しているだろうし、写真を持ち歩いていてもおかしくはない。あき子はあおいが紹介したのだろうと思った。




「あ、あっ、そうです」





あき子はしょう子の顔色がおかしい事に気がついた。冷や汗も見られる。






「しょう子ちゃん、なしたの?具合悪い?おばさんに診せてごらん」




あき子は現役の看護師、プロの看護師の目は誤魔化すことはできない。あの聡の状態がばれてしまうのは時間の問題…小心者のしょう子は自分がやってしまったことがばれてしまうのを恐れていた。




「あ…あ、あの…私…」



しょう子の目から止めどなく涙が溢れ出した。




「…しょう子ちゃん…?」





あき子には何が起きたのかわからない。


しゃくり上げるしょう子を宥める様にあき子は
彼女の頭を胸に引き寄せ抱いてやった。




「…聡…くんが…っ聡くんがぁ…」




「聡がなんかしたのかい?!」




しょう子はぶんぶん首を振ると、バッグから先程入れたコンドーム入りのクリアパックを見せ、これまでの経緯を説明した。


説明を聞き終え怒りを覚えたあき子は目の色を変え、しょう子の頬をひっぱたいた。




「あんたうちの子殺す気かい!?聡はねは、『ラテックスアレルギー』っていってね天然ゴム製品が肌に触れるとアレルギー症状が出るの!わかる?!運が悪ければ死ぬことだってあり得るんだから!!!!」





ラテックスとは天然ゴムの事である。原料となるパラゴムノキというゴムの木の幹に傷をつけて得られた白い樹液から天然ゴムが作られるのだが、この樹液にはアレルギーの原因となる多くのタンパク質が残留しているため、アレルギー反応が起きてしまうと考えられている。


このラテックスアレルギーによる陽性反応が出る割合は、日本人で5〜7%、聡はその中の1人だった。



しょう子はこの事実をあおいから知らされていなかった。いや、知らなかったでは済まされない。





「高校生が中学生の男の子誘惑するなんて何考えてんの!いくら勉強できるとはいえ、バカなのかいあんたは!この淫乱娘!!!」






放蕩(ほうとう)による罰がしょう子に下る。

再びあき子はしょう子の頬を2度、3度叩いた。

パニックになっているしょう子はただ「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣きながら謝るばかりで、そんなしょう子を放ってリビングに置いている子機を取ると、階段を昇り聡の元に駆けていった。





「聡!聡!」



呼びかけてみるが返事がない。バイタルサインを確認し、救急車を呼んだ。





「…ほんと、お前もバカだね。女で死にかけてんじゃないよ、全く…」





我が子の名を呼びかけながら必死で心臓マッサージを行った。


14年前にお腹の痛みに耐えて産んだ我が子をこんな事で失いたくないという強い思いを抱きながら…





その頃、あおいは大輔と大通公園でイルミネーションを眺めながら手を繋いで歩いていた。


大輔の優しさ、温もりを感じながらも胸の奥ではなんとも表現しがたいざわめきが渦巻いたまま。


先程のカフェで割れたココアの時よりも一層強まった感じもする。


だが、そんな確証もない胸騒ぎを大輔には悟られたくないし、この良いムードを自分のせいで壊したくなかった。





「綺麗だね…イルミネーション」





あおいは取り繕う様に笑顔を作り、平静を装って見せた。






「あおいの方がいいなぁ、俺は」






「え?」




「でもさ、今のあおいはイルミネーションの輝きに負けてる。なんか心配事でもあんのか?」





大輔はずっと一緒にいるだけあって鋭かった。





「何か心配事あるなら俺に話せ。ずっと今日変だった」





「大ちゃん…」





「俺なぁ、いつも優しくて明るいあおいが好きなんだよ。元気のないあおいは嫌だから俺がそばにいて元気にしてやりたい。時間がかかってもいいからさ」





「ずっと…そばにいてくれる…?」





「うん」




「ほんと…?」







「卒業して離れても会いに行くし、結婚して、一生涯あおいのそばにいたい…!」






あおいの目から涙がひとすじ溢れる。





「だから…あおいの幼馴染から恋人になりたいです。これから恋人として付き合ってください…!」





大通公園の幻想的なイルミネーションの中で2人だけの甘い世界が広がった。


大輔はあおいの中でただ1人の王子様になり、あおいを元気付けるため魔法でどこでも連れてってくれる、そばにいてくれる、そんな存在になった。


あおいは一歩、また一歩と大輔と近づき、幼馴染の距離から恋人の距離になったところで彼に抱きついた。





「大ちゃん…好きだよ。ずっとそばにいてね」






「うん、そばにいる」





「なにがあっても、だよ?」






「うん、約束する」





「私の…王子様」






あおいの目がうっとりと大輔を見つめると、大輔はあおいの顎をクイっと持ち上げキスをした。触れるだけの、優しいキス。いつか絵本で見た様な、優しい王子様のキス。





「このまま…帰したくなくなる。でも帰さないとおばさんに怒られちまうな」




「そう、だね」




シンデレラにも0時の門限があったように、女の子には門限がある。





「大ちゃん」





「ん?」




「もう1回、キスしよ」





大胆にも自分からキスのおねだりをし、言った後途端に顔が熱くなった。ただ、離れたくないだけなのに。





「いいよ」




「…え?」





大輔は優しく微笑んで優しくあおいを抱き寄せると、あおいの柔らかな唇に優しく、今度は少し長めにキスをした。





「帰ろうか」





「…うん」






大輔に手を引かれ地下鉄駅に向かって歩き出す。



キスされた後からあおいは身体が火照る感覚を覚え、見るもの一つ一つが再び輝いて見えた。





「あっ」






あおいのポケベルが鳴った。





「大ちゃん、ちょっとごめん」




ポケベルをバッグから取り出し、メッセージを読み解く。嫌な胸騒ぎが再び蘇り、ひとつひとつ輝いて見えていた世界が一瞬にして一変する。





「大丈夫…?」





「49106841…『至急、TEL欲しい』、お母さんから」




「公衆電話探すぞあおい!」




事の重大さに気づいた大輔はあおいの手を強く引き寄せ、走り出した。

近くの公衆電話を見つけると、あおいはすぐ様電話をかけた。




「もしもし、お母さん?私あおい!」






〈今どこにいるの?〉





「大ちゃんと大通公園」




〈すぐあきらおじさんの病院にきて!聡が…聡が大変なのよ!〉





ーーブチッ!…ツー…ツー…ツー…




あの嫌な胸騒ぎはこのことだった様だ。


受話器を置くと再びあおいのポケベルが鳴った。今度はしょう子からだ。






「500731…『ごめんなさい』…?」





あおいの頭の中でしょう子と聡が繋がった。


最近しょう子の悪い噂は耳にしていた。友達だからとあおいはしょう子のことを信じようとした。そんなこと、友達のしょう子に限ってするわけがないと。しかし、噂は本当なのかもしれない。



電話ボックスから出ると、大輔が心配して駆け寄ってきた。





「大丈夫か?…何か、あったんだな」




俯いたまま答える。





「聡が…聡がね…今あきらおじさんがやってる病院にいるって…。よくわかんないけど、とにかく大変なことになったみたい。聡が…もしかしたらしょう子に…ーー」





聡のアレルギーのことは幼い頃から知っていたし、しょう子の悪い噂も全て知っていた大輔はあおいがなにを言いたいのかわかった。真面目で勉強ばかりだった聡に未経験の少年好き美人のしょう子が近づき“食べた”結果、安いコンドームで聡のアレルギーが反応したのだろうと。


あおいには悪いが初めてあおいに友達だと紹介された時から大輔はしょう子のことが好きではなかった。更に極み付けのあの悪い噂だ。友達として2人仲良くしているのを普段から見ているとあおいに黙っているしかなかった。




「あおい、とにかく急ごう。タクシーとめてくる」




タクシーを停め2人は乗り込んだ。






「すいません、〇〇病院に行ってください」






「急いで貰ってもいいですか?!」



病院に向かうタクシーの中であおいは聡が生まれた頃まで過去を遡らせた。


あき子から妊娠を告げられた幼少期のあおいは『お姉さんになる!』と宣言し、あき子の妊娠中は勿論、出産後も身の回りの世話からなにまで手伝いをし初めての弟の世話をする中で聡の名付け親になり、宣言通りあおいは立派なお姉さんになった。


あき子の職場復帰前に聡のアレルギー体質が判明した。職場復帰を延期しようかと悩んでいるあき子の為、アレルギーの専門家でもある耳鼻科医の父から教わりあおい自らアレルギー対応食を作っては食べさせ完全に育児をすることにより、あき子の職場復帰を後押しした。


大きくなって反抗期が始まってもあおいは一度も見放すことなく聡の姉、育ての親として面倒を見、かわいがってきた。それが側から過度のブラザーコンプレックスだと罵られても構わずに。



聡が生まれてから14年、とても大切な弟を考えずにいたことは一度だってなかった。かわいくてしょうがない弟を失うなんて考えたくもない。だから、しょう子が聡を誘惑し、襲ったならば、誘いに乗った聡も悪いがしょう子は余計に悪く許せない。もう一生許さないだろう。



そんな弟思いのあおいをずっと側で見てきた大輔は、周りから「お前の幼馴染のブラコン、やばくね?」などと言われてきても「そんなことない」と否定してした。理由をわかっている大輔だからこそ否定できるのだ。そして女性として好きなあおいの2番目でも構わない、ずっと側で支えてやる、そう思っている。


大輔はあおいの小さな右手をしっかりと握る。






「…大ちゃん」





世界で一番の弟思いかもしれないあおいがとても愛おしい。そして、そんなあおいから弟を奪うような奴は絶対許さない。





「あおいがしょう子を憎く思うなら、俺はいつだってあの女殴ってやる。罰受けたってあおいの為なら構わない」






「大ちゃん…私の為にそんなことしなくていい…」






泣きそうになっているあおいの方を抱き寄せる。



「俺さ…いつかあいつはあおいを裏切るんじゃないかって思ってたんだ。でも、確証はないから黙ってた。ごめんな」






「…いいの…大ちゃん。あの子のことを見抜けずに友達になったのは私なんだから、大ちゃんが悪く思ったりしなくていい…しょう子を殴ったりしなくていい…」






涙を止まらなくなったあおいの肩を大輔は強く抱きしめた。その小さな肩はとても頼りなく、うすはりガラスの様だ。そんな彼女が弟の為に抱えてきた責任は一体どれだけ重いものだろう。しかし、それでもかわいい弟のために頑張ってきたのだ、ここで奪われては生きる意味すらなくなってしまうだろう…。


大輔はマフラー外しロザリオを取り出すと、心の中で祈った。



(神よ、どうかあおいから聡から奪わないでください。お願いします。
聡の命を、どうかお救いください。アーメン)


隣で大輔が祈っているとわかると、あおいも心の中で祈った。



(神様、大天使ミカエル様、どうか聡の命を、私の弟の命をお救いください。この命にかけても構いません。お願いしますーー)







(あれ…?ここは…どこだろう…)




眠りから覚めた聡は美しい花畑にいた。

それはいつか写真で見た美瑛町の四季彩の丘の様な場所。空も透明水彩とパステルを組み合わせて描いたが如く美しい。


立ち上がり花畑を見渡す。遠くには山が見え、1メートル先には大きな川があった。




「さっきまで部屋にいて…俺はしょう子さんとベットで…」




聡は記憶を辿っていった。しかし、しょう子との行為から先が思い出せない。途中で具合が悪くなったのは憶えているが…。






(なんでこんなとこにいるんだ…?夢でも見てるのか俺は…。それにしてはやけに鮮明すぎる気が…あ、しょう子さんーー)





あの後しょう子はどうしたのだろうか?帰ってのだろうか。そう思っていると、




「聡くん」




ぼぉーとしていると突然目の前にしょう子が現れた。



「わぁ…しょう子さん…!」




思わずびっくりしてしまった。


170㎝の自分よりも頭ひとつ分小さい彼女は、花畑の中でより一層美しかった。上目遣いで見上げられると、くすぐったい気持ちになる。




「あの、しょう子さん」





「なあに、聡くん」






「俺、あの後一体どうなったんでしょうか?…その、憶えてなくてーー」





しょう子はふふっと笑う。





「そんなの気にしなくていいよ。多分気持ちよすぎて記憶飛んじゃったんだよ、ね?」






そう言うとしょう子は聡の首に腕を回し、「好きだよ」と囁きキスをした。





「ずっと…一緒にいようね」




美しい空に悪魔の笑い声がこだました。


穢れなき純粋な少年を嘲笑うかの様にーー

リラの花が咲く頃に 第11話

リラの花が咲く頃に 第11話

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 成人向け
  • 強い性的表現
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2019-11-28

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