トラッシュ

 下降する体、地上は人を受け止めるには不向きな、アスファルト。このままではぐしゃぐしゃの肉片になってしまう。だと云うのに、妙に、安堵している。ビルの窓硝子に映る、逆さまの僕……いや、僕じゃ、ない。落ちているのは、兄さん、だ。そう気付くと僕は兄さんの体からはなれて上空へ昇った。
 僕の夢は良く当たる。
 現実で起こりうる夢を見た朝はそれがどれだけ下らなくてもだらだらと冷や汗を掻く。この時もそうだった。これから兄さんは死ぬ。
 死のうが生きようが知ったことではないけれど、恐らく、自殺だろう。と云うのも今の兄さんは何時死んでもおかしくないような男だからだ。
      *
 理科室の扉を叩きかけて、一歩退く。アンモニア臭がした。ハンカチをはなに当て、人差し指を差し入れて引戸を開ける。先生はチョークで、ばらばらになった蝶の図を描いていた。僕が入って来たことにも気付かず、カッカッと細部を描き込んでいる。僕は後ろ手で引戸を閉めた。
 「そんなにも惹かれますか。」
 「やあ、おはよう、」肩越しに振り返り先生は目を細めて笑う。
挨拶を済ませると先生はさっさと描きかけの蝶へと向き直る。廊下側の台の上にある、電子ケトルのスイッチを入れた。二つのビーカーに同じだけインスタント珈琲の粉を落とす。
 「妙なものを見ました。」
 「へえ、ネズミの交尾でも、」
 右手でハンカチを押さえて左手でお湯を注ぐ。粉が残らないようスプーンでしっかりと混ぜ、ハンカチ越しにビーカーを持った。「いいえ。」散らばったカラーチョークやペン、教材の隙にビーカーを置く。もしもがないよう近くのプリントや教材はまとめて生徒机の上に重ねた。この生徒机は脚がガタガタとして揺れるので教室から排されたのを補助台として先生が貰って来たものだった。
 「コンクリと一体化しようとする、兄の奇行です。」
 ぴたりと手を止め、先生は振り返った。ためらいがちに珈琲の入ったビーカーを手に取る。けれども五センチ程浮かせると先生はビーカーを台の上へと戻した。
 「どうしてそれを僕に、」
 「お知りになりたいんじゃないかと思って、」
 「まさか。」先生は白衣の裾を伸ばし、ビーカーを手に持った。珈琲を啜るずるずるとした音が朝の理科室で鳴る。「気にしていらしたでしょう。」先生はビーカーを持っているのとは反対の手でチョークを小指、薬指、中指、人差し指、親指、と一本ずつ握り、またゆっくりと親指、人差し指、中指、薬指、小指、と開く。考えごとをしている時によく見せる仕草だった。
 「君は何か悪い思い違いをしている。」
 鋭くも重たく先生はビーカーの縁をいまいち焦点の合わない目でじっと見ていた。僕は考える間もなく否定する。「いいえ。」思うよりも大きく出た声を逃がすようにゆるく首を振った。「いいえ、」
 「それだけはあり得ない。」
 あり得てはいけないのです、と追い打ちをかけることはしなかった。それで追われることになるのは先生でなく、僕自身だ。理科室の窓を開く。清涼な朝の空気でアンモニアはうすまり、チョークは音を立てて、折れる。
      *
 もう決して若くも、人でもなかった。
 本に施されたボールペンの青インクを見つつ、テーブルへ突っ伏している兄の体を揺する。生活が逆転しているのだから心地良さそうにぐっすりと眠っている兄に起きる気配などあるわけもなく、僕は揺する手を止めた。
 三年ほど前、引きこもってしまった兄は去年になって人に戻ろうとでもするみたく求人を漁り、結果として夜になるとビルの汚れを取りにゆくようになった。引きこもる前までは大学院を出てコンビニでアルバイトをしていた。おかしくなる予兆は成人した頃からあり、徐々に、徐々に、蝕まれるように兄はおかしくなった。
 今度はさっきよりも強く体を揺する。出来ることなら起こしたくなかったけれど殆ど他人である僕らを住まわせてくれる伯父の云いつけを守らないわけにもいかなかった。
 揺すっても揺すっても心地良さそうに眠る兄に段々と苛立って、呼吸に合わせて上下する体を蹴り飛ばす。う、と声をもらし、兄の体は起き上がり小法師のようにこてんと倒れた。
 目を醒ますと首から上だけをこちらへ向け、一瞬、怯えたように目のおくを揺らす。僕が、見えている。ずっと前、こうなる前までは、視界にすら入れようとしなかったというのに。今では哀れな、僕に怯えるばかりの、ぶよぶよとした屍に成り果てている。兄の、怯えと怒りの混じった目が光る。「伯父さんが呼んでいるよ。」
 ああ、と辛うじて聞こえる声でそう答えると兄は速歩で僕の傍を通った。舌打ちがもれる。死んだ方が良い人間と云うのは少なからず居るのだ。それがただ、自分の兄だっただけで。
 「うるさい。」テーブルを蹴り上げた。あまりの痛みに爪先を押さえて蹲る。靴下を汗ばんだ足から剥がすと小指が赤く腫れている。テーブルから落下した、僕宛てのメモの青インクがてらてらとしていた。「……うるさい。」
 余りものを手に取るみたいに僕を取るな。
      *
 また、あの夢を見た。兄が、地上へ叩きつけられる、夢だ。それが行われるのは決まって見覚えのあるレンガ色のビルからで、僕は一度だけ、兄の後を付けて此処へ来たことがある。
 ひゅう、と風を切る音がする。近くのファミレスに僕の姿があった。あの日の夜も兄がビルから出てくるまで其処でドリンクバーやらサイドメニューやらを貪っていた。メロンソーダに刺さったストローを咥え、兄(であると同時に僕でもある。)の落下する姿を見上げている。其処に在るのはまさしく僕、であるのに其処に在る僕が何を考えているのか、分からなかった。
 目を見開いて、「僕」は咲いては散るばかりの花火を焼き付けるように、もしくは膜に張り付けるように、兄(僕)の失敗した飛行を見つめている。
 落下する兄の手がモップを持っているのに気が付いた。手放したら死ぬとでも云うようにモップをひっしと掴んでいる。房糸に染み込んだ、水滴が浮く。
 視点が、どんどん、どんどんと上へ向かう。目が回る、吐気を抑える。これは。汚れた水の入ったバケツ、明滅する外灯。柵のない、屋上。これは。自殺ではなかった。
      *
 有名メーカーのオレンジジュースは破格でディスカウントストアに並んでいる、殆ど果実も入っておらず、味も喉へ引っ掛からず、するすると入ってゆく缶ジュースに比べて先生の舌には甘すぎるらしく、苦虫を飲み込むようにちびちびとオレンジジュースを飲んでいる。僕は子供であるから、眉一つだって歪めることなく飲むことが出来る。苦味が大人の通行許可証であるなら甘味は子供の通行許可証だ。
 「死因は、発狂とか、自棄、とか、では、」
 独りごとのような話し方だった。考えに耽る先生へ昨夜の夢を伝えるか迷って先生の眉や服、手首をじろじろと見る。先生は先程からずっと生徒の忘れ物であろうファッション誌を読んでいて、こちらを見ようともしなかった。尤も、考えごとをするのに本は恰好の盾と云うだけでとろんとした目はブランド名の上で何分もの間、留まっている。
 「残念ながら事故死です。死ぬ時まで、退屈な男ですよ。」
 「相変わらず別人のようになるね、君は。唯一の兄弟だろう。」
 「死んだ方がマシです。」
 「君が、それとも、」
 ふと先生は閉口した。台と台の合間の、水道の蛇口を捻る。バタバタとシンクを叩く水道水へ指先を差し入れると血が流れて、見えなくなった。ぬれた指先をハンカチで拭う。
 「怪我、」
 「一寸、傷口が、」
 ぬっと先生の手が伸びて来て僕の腕を掴んだ。もう片方の手で手の平を開かれ、するすると中指まで、先生の親指が手の上を滑る。
 「一寸と云う風でもないね、」先生の手を振り払う。
 きつく水道水の蛇口を閉める。タイミングを見計らって再び先生は先程よりも強く僕の手首を掴んだ。眉を寄せる。「直ぐ済む。」指先から細く、止まった筈の血が流れる。先生は手早くバンドエイドを指先へ巻く。「先生は、」何時負ったのかも忘れた裂け目を撫で、先生は覗き込むように僕を見た。
 「兄さんとは違うね、」
 僕なりの精一杯の好意だった。
 「どうかな、」
 「全く違う。全然、違う。」
 気怠そうででも真剣な先生の目に飛び込んでしまえたらと思うけれどそれはどうしても駄目であって、だから、詳細不明な裂け目の生れと住所を正そうとする。「全然、」
 「だって先生のこと、好きですから。」ニイサントチガッテ。
 困って揺れる先生の目のおく、は怯えて揺れる兄の目のおく、と揺れ方がとても良く似ていた。それが心底苛立ってオレンジジュースの残ったビーカーを床へ落とす。音を立てて硝子が散乱し、兄の影はおどろいて先生からすっと離れる。怪訝な顔をする先生の前で僕は内心、安堵する。
      *
 こう何度も何度も人の死ぬ夢を見ていると例えそれが、兄であろうとなかろうと段々おかしくなってくる。
 噴き出した汗を拭う。シャツが汗でびしょびしょにぬれていて返って嫌な気分を与えられた。シャワーを浴びようと寝台から抜け出し、時計を見る。午前二時十三分。
 替えの服と下着を持って部屋を出て吸い込まれるようにふと足を止めた。兄の部屋を見る。今日は休みらしく、夜となく朝となく、居る。どうなのだろう、生きているのだろうか。安否。そっと扉へ近づき、耳を澄ませる。昨日と今日のこれまでと同じで、何の音もしなかった。兄が死ぬと云ったらビルだと夢を見て信じてしまったが、場所など関係あるものか。本気で死のうと思えば、何処でも死ねる。もしかすると、もしかすると、扉を開く。
 珍しく寝台の上で死体の如くきちんと横たわる体へ近寄って耳を澄ます。息が、聞こえた。大きな溜息を吐いてお尻から倒れ込む。それから放心して暫く、兄を見つめる。
 と、兄がうっすら目を開く。
 あまりの恐ろしさで指一本すらカチコチとして動かなくなった。どうしよう、と僕は汗を掻きながら思う。
 「僕を迎えに来たの。」妖しく煌く兄の目は雨上がりの夜のアスファルトのよう。
 人であることを辞め、今だけ、う、あ、と震える声を自らの喉から出す。
 正しく、兄の目。
 弟として見ることすら、見下すことすら、せず、他人として、見も知らぬ赤の他人として、知覚し、排する目。
 「まさか。貴方は自分の手でのみ死ぬのだよ。」
 そう伝えても尚、兄の目のおくは揺るぐことなく、心からどうでもいいものを見るような目を、したままだった。
 「う。あ、あ、うあ、う、う、あ、うあああああああ。」
 転がるように兄の元から逃げ出す。惨めだった。目を塞ぎたくなる程、惨めで仕方がなかった。それでも、プライドを保てるのは、以前の自分へつながるものを全て兄は外へ排してしまうからだった。だから僕は安心して、惨めになれる。「うっ、……う、……っ、」
      *
 尾行する所から始まった。
 ビルへ着き、兄が中へ入ったのを確かめるとファミレスの、丁度、ビルを見上げられる席を陣取る。初めて来た日と同じ席だ。
 自分が、しっかりと自分の中へ居ても、自分の考えていることは分からず、体の自由も利かず、次はこうする、ああする、と云うことだけが分かる。
 メロンソーダを一杯、ドリンクバーから持って戻ると暇を持て余して、暫く、ストローでちびちびとメロンソーダを飲んだりストローの袋を指先へ巻き付けたりを繰り返した。それから兄が降って来るまでは、あ、っと云う間だった。
冷えて固まったように僕は降って来る兄の姿を見つめ、そして、兄の体がアスファルトへ叩き付けられる寸前、走り出した。
 待って、と信号を送っても自分の体は止まることなくどくどくと脈打つのを押さえて兄の元へと近寄り、叫ぶ。それは、求めて求めて、手放した、兄の、名前だった。
 
 「――兄さん、しっかりして、――兄さん、」
      *
 理科室の掃除は本来、二年生の担当だ。しかし二年生は一番、気のゆるむ時期と云うのもあって所々、埃や汚れが目立つ。その為、休日返上で掃除をしている。
 「少し休みませんか。」
 窓枠の汚れを雑巾で擦る先生に声を掛ける。
 「もう少し、」
 先程からそう云って先生は休もうとしなかった。折角の休日なのだし、先生とゆっくり話したかったけれども、元々、先生は一人でするつもりだったのだからお荷物になるのは避けたかった。バケツへ汲んだ水で雑巾を洗う。
 「台の方、任せるよ。」
 真っ白なスポンジを手に取る。これは特殊なスポンジで、マーカーの落書きなんかも、きちんと消せるのだった。
中学生かと思う程、稚拙な、恋人同士のイニシャルへスポンジを宛がう。
 「少し休みませんか。」
 すっかり「S」も「T」もハートマークも消えた頃、又、尋ねた。「もう少し、」と呟き、先生は先程と同じ窓枠をごしごしと拭く。「先生、」
 「……先生、汚れ、取れませんか、」
 「思ったのだけどね、」
 「はい。」持ち上げかけた足を下ろす。
 「僕と君は別々になった方が、」
 前々から考えていたことをたった今思い付いたと云うふうに話し出す先生を遮る。
 「そんなことはあり得ません。」
 自分でも竦む程はっきりとした否定の声が出た。自分が先生をこんなにも強く否定出来るなんて知らなかったし、知らなくても良かった。
 一歩、先生は後退して窓を見上げる。それから振り返り、口角を上げた。
 「休もうか。何か、持って来るよ。」
 べしゃっと音を立ててバケツの中へ雑巾が落ちる。灰色の水が、床へ散った。否定も、反抗も、なかったことにして先生は出てゆこうとする。この反抗は、うそじゃない、そんなつもりは、ない。
 「僕でなければ誰が貴方に相応しいんですか、」
 大きな音をひびかせ、引戸が閉まる。明かり窓から、僕は、見えなくなるまで先生の頭を見ていた。
      *
 伯父を見送るとすることがなくなり仕方なく埃の被ったテレビを付ける。一つ一つチャンネルを回すも、午前中だからかワイドショーが目立ち、面白そうなものは一つもなかった。
 「テレビってこんなにつまらなかったかな……、」
 僕が変わったのか、テレビが変わったのか、考えて分かるわけもなく、早々に切り上げてテレビを消し、ソファへねころぶ。
 伯父には「風邪。」とうそを吐き、休んだ。それが祟って普段よりも早く帰る、と伯父は云って出て行った。バチが当たったのだろうか。一人になりたかったのに。
 起き上がってぬるくなったペットボトルの麦茶を飲む。「ん、」口元を拭う。足音がした。
 この足音の正体は考えなくとも分かる。それでもこの時間に起きてくるのはあまりに珍しく、ポルターガイストではないかと考えてしまう。
 どんどんと足音が近づき、リビングの扉が開く。
 「定理、」
 微かに口を動かして兄は小さく澄んだ声で僕を呼んだ。しっかりと兄の目が僕を捉えている。何処かで物の落ちる音がして足がぬるく、けれども冷たく、ぬれていくようだった。人形のように佇む兄へ向かって足を一歩、踏み出す。「兄さん、」手を伸ばす。
 「真理、兄さん、」
 首へ手を当て、力を込めた。兄の目がぐっと見開き、呻き声がもれる。僕は夢中になって兄の名前を呼びながら、首を絞めた。焦点の合わなくなり始めた兄の目を見て、少し力をゆるめる。
 「……どうして、」
 嗚咽を吐き出し吐き出し、問われる。口の端から涎が垂れる。
 「僕は、兄さんを生かしてやりたいんだよ。」
 何とか苦しみから逃れようと兄は体から力を抜いて自分から倒れた。咄嗟に跨って僕は手に力を込める。「見て。」
 「僕を見て、」
 その声はろうそくのように吹くと消えそうで、そのくせ、絶叫としか形容出来なかった。ゆっくりと兄の目へ映る、自分。しかし一方的な上映は長く保たず、兄は、ゆっくりゆっくりと目を逸らした。僕の手を剥がそうとして兄は魚のようにじたばたとフローリングを叩く。
 今度こそ、絶叫が僕の口から出たのが分かった。必死になって非力な拳で兄を何度も殴る。
 「僕をあいしてないことくらい分かってるんだよ。」
 何度も、何度も、殴った。兄は反抗する体力もなく、体を捻り、腕でどうにか顔を守る。自分が一体今、何をしているのか良く分からなかった。
 耳のおくで、キィンと音がする。
 「何とか云えよ、なあ、……分かってるんだよ、……分かってるんだ、……僕が何をしたって云うんだよ、……何か、云えよ、……なあ、……(……)……、」
      *
 先生よりも早く理科室へ来た。二人分の珈琲を作り、先生の珈琲の湯気が途切れるのを見ながら一人で珈琲を飲む。半分を飲んだところで珈琲をシンクに捨てた。排水溝へと向かって茶色の液体の痕が付く。
 立ち上がって腕を伸ばした。ぱき、と関節から音が鳴る。先生を待つのは退屈だった。何かすることは無いかと台の周りをふらふらと歩く。
 「ううん。どうしようかな、」
 わざと聞こえるように呟いてベランダへ出る。迷っていた。カキンとボールを打つ音が鳴る。乾く左目から生温かなものが流れた。拭ってベランダを後にする。理科室は怖いくらいにしんとしていた。
 「先生、其処に居るのは分かっています。」
 扉の向こうで先生が動く。僕は未だ付けたままのバンドエイドに触れる。「そう云えば、」
 「貴方でした。貴方から向けられたナイフを止めた時、出来たものでした。」
 「僕を侮蔑しているのだろう。」
 静かな声だった。僕はふと、先生も怖くなることがあるのだろうか、と思った。それは今だろうか。「いえ、」迷ってからバンドエイドを剥がす。
 「そんなことはあり得ません。云ったでしょう。先生のこと、好きなんです。」
 足音を立てて先生は去る。取り返しのつかないことを知って、僕は笑った。よれよれのバンドエイドを明かり窓へ貼る。先生の姿を完全に見失う。
      *
 兄はリビングで安価な缶ジュースを、他に何をするでもなく、首をさすりながら飲んでいた。リビングから一旦辞して洗面所へ入り、僕はネクタイを正し、かみを正す。出入口へ放ったリュックを持ち、あの日の痕をすっかり失くしたリビングへ戻った。
 痕をたたえる、首以外、してしまったことの印はなくて、砂のようにあの日のことは、兄からさえも、さらさらと通り抜けてしまった。
 ペットボトルをリュックへ入れ、「行ってきます、」と云った。一拍おいて、「ああ。うん、」と低く、返って来る。「行ってらっしゃい。」
 「あ、」
 リビングのノブに手を掛け、わざとらしく声を出す。振り返って兄を見ると、兄もまた、僕を見ていた。
 「先生になると良いよ。」
 口を半分開き、兄は間の抜けた顔をした。ノブを回す。
 「僕の夢は良く当たるんだ。」

 それ以上は云わないでおく。

トラッシュ

トラッシュ

びっくり箱アンソロへ寄稿したものです。兄の死を予知しそれを良しとする弟の相反する先生への気持ちと兄への気持ち。それ以上は云わないでおく。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-27

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著作権法内での利用のみを許可します。

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