心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その7 女王の谷から芙蓉の城

十二月十五日

 セゴン寺でチャムの練習を眺めたりキルティ寺の周りをぐるぐる回ったり、町からちょっと離れたナンゴン寺でもチャムの練習をしていてそれを眺めたりで、けっきょくンガワには四泊した。
 ノブさんはここからさらに北の青海(チンハイ)省ゴロク州へ行きたかったそうで、でも、もう時間が残っていない。また次回、と笑って言っていた。

 ンガワからバルカム行きのバスは、朝と昼の二本。前の日の夕方チケット売場に行ったら、朝のバスは満席らしくて昼発のバスに乗ることになった。ゆっくり用意してバスターミナルに行くと、玄関の前にバルカム行きバスが停まっている。指定の席は、後ろのほうだった。
 相変わらず出発前にゴタゴタして、予定の時間を三十分近くすぎて発車。少し走ったらすぐに停車。このバスはエンジンが前にあって、ドライバーがそのカバーを開けて何か見ながらアクセルを吹かしている。
 ちらっとノブさんを見るとヤレヤレみたいな顔をして、「今日が終わるまでには、着くでしょう」
 よくあること、ということらしい。しばらくしたらドライバーがエンジンのカバーを閉めて、発車した。始めは様子を見ながらなのかノロノロと人が歩くくらいの速さ、それがだんだんとスピードを上げる。

 このへんは農業地帯で、今は何も植えられていない畑と枯れ草色の山々、積み木のような四角い形のチベット人の家も、景色と同じ土の色。あの壁は、泥を固めて造るらしい。
 空はいつもと同じ、これ以上ないような青で、雲ひとつ浮いていない。だんだん標高を上げて、枯れ草色の山々が真っ白な雪原になる。交通量が多いのか、道路には雪がなくて空の青と雪の白、それに輝くアスファルトの世界。なんだか、叫びたいくらい爽快だった。
 ときどき見える池の水は日向にあるのに凍ったままで、高度計の数字は四000メートル近い。窓側に座るノブさんが、ガラの悪いサングラスを下にずらしてニヤリとしならが窓を開ける。
 ラプツェとタルチョ、峠越え。
 パッとルンタを撒いて満足そうに窓を閉めるノブさんに、「ルンタ、もうなくなったのかと思ってた」
「ちゃんと、こまめに補充してるっス。こないだは、窓が開かなかっただけ」
 サングラスを元に戻して、寝ているんだか起きているんだか。
 峠を越えると、だんだん雪が減って緑が多くなる。茶色の山々の世界と緑の森の中を、行ったり来たり。またひとつ、ノブさんがルンタを撒きながらゆるやかな峠を越えたら、下り坂。
 どうやら、ノブさんは寝ているように見えて実は起きているみたいだけれども、私は、起きているつもりでもいつの間にか意識がなくなっていることが多い。

 今日も途中経過を見ないまま、気がつくとバスは谷底のカーブの多い道を走っている。右側は高い崖、左側に川が流れるその向こう岸も山が壁のようで、チベットって、切り立った谷間かだだっ広い平原かの両極端な地形しかないような気がする。

 ノブさんはガラの悪いサングラスをメガネに変えていて、窓の外に釘付け。私が身を乗り出して何があるのか見ようとするのに気がつくと、外を指をさす。私たちのバスと同じ、バルカムの方向に歩いている人たちがいる。ほとんどが袖の長いチベット服姿、小学生くらいの子供から白髪頭の人までのいろんな年齢層が、男も女も、何人も歩いていた。服は薄汚れていて、私のサブザックよりちょっと大きいくらいの荷物ひとつ。
「引っ越し?」
 本当にそう思って言ったけれど、自分の間抜けさがあとで恥ずかしくなった。
「いや、巡礼者」
 ノブさんはそう答えながら、カメラを構える。
「どこから来たんだろ?」
 私が聞くと「服装から見て、メワとか、ゾルゲ? ンガワ? あんな軽装で?」
 たぶんノブさんも、さっきからずっとそれを考えていたんだろう。自問気味に、私に答える。
 道沿いにときどき見える民家はミニャクハウスに似た石積み、斜面にまとまって建っている姿はワムダと同じ、お城のよう。

 ガイドブックにもあの人のノートにも地図を見ると町の真ん中にバスターミナルが描いてあるのに、バルカムの町のはるか手前のバスターミナルに着くと、どうやらそこが終点らしい。
「およよ、バス駅、郊外に移転したんだ」
 ノブさんも、新しいターミナルのことは知らなかったらしい。周りには何もないし、ちょうど市バスが待っていたのに乗り込んでバルカムの町の中まで行くことにした。バスはほとんど満員で、私たち二人はバックパックを背負って通路に立ったまま。ノブさんは、パラシュート部隊みたいと言ってニヤニヤしている。

 バルカムはンガワ州の州庁があるから、ダルツェンドと同じように高いビルばかりの中国の町だった。標高は二六七0メートル、三000メートル以下の土地に降りるのは、久しぶり。空気は少し湿った感じ、着込んだままの姿でバックパックを背負って歩いていると、少し暑いくらいだった。
 建物は古いけれど、一応なんでもそろったホテルに落ち着く。すぐに散歩に出ると、ついでに今日も回族(フイズー)食堂で夕ごはん。ノブさんは、ガイドブックにせっせと何か書き込んでいる。
「なんか、あちこち地図とだいぶ変わってますね」
「どこもかしこも西部大開発で、毎年新しいのが出せればいいけどそうもいかないし、そうすると情報が古いとか言われる。このガイドブックとか、大変らしいっスよ。俺も西部大開発がひと段落するまでは、気が抜けない。そのころには、あちこち壊れて造り直してるんだろうけど」
「やっぱり、また来なくちゃならないんだ」
「そういうこと」
「ふうん」

 外の大通りを、バルカムに来るとき追い越した巡礼姿のチベット人がゾロゾロ歩いている。中の一人は、真っ黒く煤けたヤカンを持っていた。
「はるばる、キャンプしながら来たんですかね」
 ノブさんを見ると、彼もヤカンに注目していた。
「そう、でしょう」
「あんなに身軽で」私ときたら、いつも家の中で寝ているのに、荷物は三倍くらいの大きさで。
「彼ら、寝るときはチベット服にくるまって寝るし、肉とお茶とツァンパがあればどうにでもなるし、それにしても、俺たちなんかよりはるかに装備少なくてうらやましいっスね。俺には、無理だなあ」
「お金とか、どうするんですか?」
「貯えはあるんだろうけど、巡礼は物乞いするのが基本っスよ。誰でも一生に一度は巡礼したいから、巡礼者は助ける。いつか自分が巡礼者になったときは誰かに助けてもらって、そういうお互い様精神が根付いてるんスよ。厳しい土地に住む知恵かもしれない。イスラム教徒とかもそうっスよね。パキスタン行ったとき、ものすごく親切にされたっけ」
「みんな悲愴感がないってか、こないだの五体投地もそうだけど、おしゃべりしながらで意外と楽しそう」
「俺たちからは苦行に見えても、本人たちはあれで罪が消えると信じてますからね。それにまあ、観光的なノリもあるだろうし。チベ人てね、遊牧民が多いからなのかな、あんまりひとつの土地にこだわるような、農民的な気質がないような気がするんスよ。二年も三年もかけてキャンプしながら巡礼の旅とか、べつに苦にならないみたいだし、別れ際すげえあっさりしてるし、服とかトランクにつめて保管する癖がある。思い立ってポンと巡礼に出ちゃうとか、けっこうあるらしいっスよ」
「そういう、何事もカッチリと決まってない生活もいいかなって、最近思います」
 あの人の生活は、なかばチベット的だったのかもしれない。洋子さんもそう。

 食べ終わって宿に帰る途中、さっきの巡礼グループがみんなで橋の欄干にもたれて休んでいた。小学校高学年くらいの男の子が、周りの大人に興奮した調子で何かしゃべっていた。

 明日もう一泊して、それから成都(チェンドゥ)に行く方針で決定。ノブさんとは成都でお別れ、私の先の計画は、成都で決めることにする。

十二月十六日

 朝八時、外はまだ真っ暗。
 ノブさんは、ベッドの上にあぐらをかいて緑色のコートをマント代わりにしながら、電気ポットのお湯が沸くのを待っている。すっかり日常の風景になっているけれど、それももうすぐ終わり。そう思うと、ちょっぴりさびしいような。

 ノブさんの誘いで、町の北の高台にあるお寺に登った。二週間も標高三000メートルを越えるところにいても、急な登り坂に息が切れることに変わりない。林の中の石段の道、ノブさんはスタスタ先に進みながら、ときどき立ち止まって私を待つ。
 お寺はこぢんまりと、箱のような形をした本堂の建物がひとつと僧坊がひとつ。ちょっと離れて建っている同じような建物は、べつべつのお寺らしい。
「こっちはダルギェリン、仏教ゲルクパで、向こうはツェパク・ユンドゥンリン、ボンポのゴンパ」
 ノブさんは言ったけれど、どっちにも違いがないように見えた。仏教側のお寺を一通り回って、ボン教側のお寺に行く。誰もいないし、入り口の扉は閉まっていた。
「仏教もボン教も、同じに見えてしまうんですけど」
「いや、よく見たまえワトソン君、マニのランツァ文字が、リバースだよ」
 本堂には一周ぐるりとマニ車が並んでいて、その表面に打ち出してある文字が左右反転しているらしい。
「ンガワのナンゴンみたいに、反対に回せってこと?」
「イエス。左手で、こいつらを反時計回りに回しながら反時計周りせよと」
 そのようにボン教回りをしながら、「ノブさん、この文字読めますか?」
「ランツァ? 無理無理、これはサンスクリット文字だもの。たぶんボンだからオム・マティ・ムエサレドゥとかだろうけど。でもね、最近はゴンパん中に書いてあるランツァとか、間違ってることも多いらしっス」
「それはやっぱり、そういうものがダメな時代があったから?」
「そう。チベ語すら間違ってんだから、サンスクリットは言うに及ばず」
「チベット語も?」
「チベ語は文語と口語が違うし、口語になると地方差が激しいっスから、しかも分割統治のお陰で、TARん中だとテレビがラサ語だからラサ語の通用度が高いけど、このへんまで来ちゃうと、もうどうにもこうにも。そんで、ちゃんとした文語を習わないで、今はほら、少数民族保護政策とやらで文字はある程度習うことが多いから、てえと各地方で話し言葉を書くと、もうメタメタ。俺使った教科書もラサ口語のテキストだから口語の発音を無理に手で書いてあるんだけど、それをこっちでそのまま書くと、まったく通じない」
「ぜんぜん、通じないんですか?」
「うん、ほぼ外国語。ベースは同じだから長くいるとだんだんわかるようになるらしいんスよね。でも、このへんのギェロン方言ってのはかなり特殊で、中央から離れてるから古い形のチベ語が残ってる。大枠で、アムド語のバリエーションらしいけど」
「じゃあたとえば、西から来たチベット人と東から来たチベット人と、どうやって会話するんですか?」
「もちろんチャイ語。坊主とか商売人はいくつか違う方言を理解する人もいるけど、やっぱり中華人民共和国の一部だから、占領から半世紀も経っちゃうと日常の語彙にもチャイ語が多いし。インド行くと、ヒンディー語と英語のチャンポンになったりしてね」
 一周終わって、「ナンゴンもそうだったんですけど、やっぱりどっちも同じに見えてしまいますね」
 そう言ったら、ノブさんが笑いだした。
「こっちの、ボンポのほうね、俺前来たときラサ語のわかる若い坊主がいて、そいつがすげえアンチ仏教主義だったんスよ。ギェロンはもともとボンの土地だって。あのダルギェリンももともとはボンポだったとか、まあそれは事実だろうけど、お釈迦さまはボンポだったとか言って、なかなか面白かった」
「お互いに申し訳ないですね。私にはわからなくて」
「そりゃあね、今のボン教団ってのはボンポ側が仏教に対抗するために、言い方は悪いけどパクって新しく出来あがったもんだから」
「いつごろ?」
「テンバ・チダル、十世紀以降? 俺はよくは知らないけど、体系化される前の神道のような民俗信仰的なものがあって、ペルシアとかの影響を受けてるんだっけ? それが仏教教団に押されてきて、このままじゃヤバい、どうしようってなったから、ボンポ側も教団化して教義とか理論的なものを整備してったわけだ。反時計回りとか、オム・マティ・ムエサレドゥとか、みんな言っちゃ悪いけど、パクリ」
「教義って、どうなんですか?」
「ボンの? すいません、研究不足っス。中央チベットはほぼ仏教徒の土地だし、ギェロンはボンポの影響力が強いけど、言葉がわからなくて」
 最後に両方のお寺を眺めて、それからふり返ってバルカムの町を見下ろす。谷間を吹き抜ける風が、心地よい冷たさだった。

 町に戻って通りを歩いていると、今までのチベット服とは違う民族衣装姿のおばあさんが多い。鮮やかな幾何学模様の刺繍をした黒い布を折り畳んで頭に乗せて、それを頭にぐるぐる巻いた三つ編みで押さえてある。黒くて花柄の刺繍の入ったベストと、横にスリットのある中国服のようなスカート。黄色とかピンク色の、やっぱり幾何学模様の帯がステキだった。
「ギェロンの、民族衣装?」
 ノブさんに聞くと、「そう。あれも、同じギェロンでもチュチェンとロンダクとか狭い地域ごとにまたバリエーションがあったりしてね。もっと東に行くと、チアン族も似たような感じで」
「チアン族?」
「ンガワ・チアン族チベット族自治州の、チアン族。中国政府がエスノロジカルにどこをどう区別してるのかは知らないけど、もともとはチベット系で十一世紀に西夏(シーシア)王国を建てたグループ。まあ民族どうこうなんてのは、けっきょくは政治的なことっスからね。このへんだと漢人と混じってる人もいるし、少数民族は優遇されるから、漢人なのに戸籍をチベット人にすることもあるそうで」
「なんだか、むずかしいですね。外の世界に出ると」
 話しながら郊外に歩くと、味気ないビルの町がお城のようなチベット民家の村々に変わる。ところどころ十メートルを越えるような高い塔がそびえているのが、ギェロン地方の特色らしい。そんな美しいギェロンの田園風景を、トラックに何度も轢かれそうになりながら、ノブさんと散歩して宿に帰った。

 朝早いバスで成都(チェンドゥ)に行くことに決めて、夕方早めにごはんに行ってから宿に戻るとパッキング。ノブさんの好きな青海(チンハイ)テレビが映らなかったから、九時ごろにはもう電気を消した。

十二月十七日

 今までの寒さが嘘のようで、ノブさんも緑色のコートをかぶらないで、備え付けの布団だけで寝ていた。

 宿を出た目の前の交差点に成都(チェンドゥ)行きのバスが停まっていたから、客引きのおばさんに言われるままバスに乗って出発を待つ。暖房の効いたバスだから凍えることがなくていいと思っていたら、ノブさん的には窓が開かないのがちょっと不満らしい。
 お客さんは三分の二くらいか、満員にはなっていないのに、六時半には発車。
 四0四0メートルの峠を越えるはずがバスはトンネルに入って、「ちぇっ、ルンタが残っちまったい」ニット帽を鼻の上まで下げながら、ノブさんが言う。

 トンネルを出てから先はずっと、川沿いのゆるい下り坂。いつの間にか、ノブさんの肩にもたれてウトウトしていた。
「あっ、すいません」
「松島さん、ヨダレ、出てますよ」
「えっ、ウソ!」
 手の甲を口に持っていった私に、ノブさんがヘラヘラしながら「ウッソー」
「やあもう、ムカつく」
 そんなやりとりも、そろそろ終わり。ノブさんは成都から上海、そして日本。私は、どこに行くんだろう。ちょっぴり悲しくなった。
 空は灰色、遠くの景色はぼんやり霞んで、空の中に溶け込んでいる。空気が湿っているからで、ノブさんの言うカッチンコッチンの風景ともしばらくお別れ。
 都市の中に入る。都江堰(ドゥジャンヤン)市、そして成都。今朝出てきたばかりなのに、チベットの青くて広い空がもう懐かしかった。

 三時すぎ、成都のバスターミナルに着いた。ンガワ州方面のバスが出る茶店子(チャディエンズ)バスターミナルは成都の中心部からは遠いから、タクシーをつかまえる。日本人の女性が経営しているゲストハウスがあるらしくて、ノブさんがそこの住所をメモに書いてドライバーに見せた。タクシーの中では終始、ノブさんが日本語で話しかけるのにドライバーが中国語で答えて、何か会話をしていたみたいだったのはいいんだけれど、お互い理解していたんだろうか。
 ゲストハウス入り口に着いたら、門が閉まっていて張り紙がしてある。
「移転、したみたいですね」
 私が言うと、「なんですってえ!」
 そうノブさんがそう変な声を出したとき、門が開いて中にいた男の人が「日本人ですか?」
「はい、イエス、是的(シーダ)
 相手が日本語をわかっているのになぜかノブさんは英語と中国語のチャンポンで、二人の話を要約すると、どうやら移転先の新しいゲストハウスに車で連れて行ってもらえるらしい。言われるままに、停まっていたバンの後ろにバックパックを放り込んで出発。あとで知ったけれど、初めに出てきた男の人はシンガポール人で、日本人女性とその宿を経営している旦那さんだった。
「この世知辛い世の中に無料でお出迎えとは、なんて優しいんだ」
 ノブさんが、やたら感動している。
 混雑する成都市内を走って、すぐに新しいほうに到着。大通りのふつうにビルが建っている一角で、わかりづらい。看板が出ていないのは、まだまだいろんなところを工事している途中だからだとあとで気がついた。八人部屋一ベッド二十元。大きな収納スペースがあったり一人ひとりの枕元にライトがあったり、そんなことひとつひとつにノブさんは感心している。二段ベッドの私は下の段で、ノブさんが上の段。
 彼はサブザックを持って自分のベッドに登りながら、「このベッドが少し高いな。じじばばとか小さい女の子だとひと苦労だ。下だとヘッドルームがあっていいんだろうけど」
「手厳しいですね」
「いや、ね。参考に」
「なんの?」
「それはまあ、いろいろとね」
 ときどきそうやって、謎めいた言い方をすることがある。あんまり気にしないで、シャワーに洗濯と、荷物の整理、家にメール。なかなか忙しくて、あっという間にもう八時近くになった。いつも六時くらいにごはんを食べていたから、もう夜中のよう。
 伸びきった髭を剃ってさわやかになったノブさんと外に出ると、今日もイスラム食堂に入った。回族(フイズー)食堂ではなく、サラール食堂。
「サラールって、回族とどう違うんですか?」
 今日は無事成都に下りた記念にとノブさんが強く希望して、鶏とジャガイモを煮込んだような小盤鶏(シャオバンジー)を二人でつつく。
「回ってのは、要は漢人のイスラム教徒。昔アラビアとかから来た商人なんかと漢人がくっついて、改宗できないでしょ? ムスリムの子はムスリムだから、それが残っているんスよ。独特の訛があるらしいけど、しゃべってんのはチャイ語、中国語。サラールは、青海(チンハイ)に住むトルコ系のイスラム教徒。民族大移動伝説みたいなのがあって、もともと中央アジアの人たちらしいっス。しゃべってんのは、テュルク系の言葉。よく見たまえワトソン君、みんな、西域系の顔立ちだろう」
 そう言われると、家族なのか、働いている人たちは色が白くて鼻が高い独特の風貌をしている。男の人は白い縁なしの小さな帽子、女の人は髪の毛全体を包む白い帽子の上から黒いレースのベールなのは、回族もサラール族も同じらしい。
「それに、あの子がかわいい」
 たぶんノブさんがそう言うだろうなと思いながら、私もその女の子を見ていた。
「それに、サラール語ってときどき声が裏返って、かわいい子がしゃべるとものすごくかわいい」
「それは、何語でもそうなんじゃないですか?」
「そうとも言う」
 二人でアハハと笑う。

 帰り道、油断して防寒用のインナーを脱いだから、ちょっと寒かった。朝早かったのと、バスに十時間も揺られて疲れていたのかもしれない。ベッドに入ったら、頭の上のライトを点けたまますぐに寝てしまった。

十二月十八日

 時計のアラームは五時にセットしたままだったのに、まったく気がつかないままぐっすり寝ていた。

 このドミは隣がビルだからあんまり日が差さないけれど、それでももう窓の外は十分に明るい。こんな大都市のど真ん中なのに、中庭が池のある庭園風になっていて気持ちがよかった。
 晴れていれば。
 今日もやっぱり薄曇の天気で、この街は、晴れることってあるんだろうかと思う。
 宿の中にあるレストランで優雅にコーヒーを飲みながらメールをチェックすると、昨日のメールに早速姉から返信。母は心配しているんだろうけれど、昨日はメールを見ていないんだろうか、返信がない。タイムラグがもどかしいのは、向こうもたぶん同じ気持ちだろう。

 メールチェックを終わってレストランの二階に行くと、ベランダにノブさんがいて、ジュースの瓶を片手にほかんと空を見上げている。
 テーブルを挟んで、ノブさんの反対側の椅子に座る。「日も差してないのにグラサンしてるのはどうかと思うっスね、ってキャラだと思ってたんですけど」
「誰、俺? いやあ、心の中の太陽を、眺めていたんスよ」
「ニマ・ラサ?」
「もう、帰んのかなあって」
 昨日までノブさんがニット帽をかぶってない姿はお寺の中でしか見たことないし、そんなときはたいてい頭がボサボサで、今みたいに髭がなくて髪の毛がちゃんと落ち着いているのは、初めて会った日以来か。
「ノブさん、ふつうの旅行者みたいですよ」
「失礼だなあ君は! 俺はいつだって、なんの変哲もないふつうの旅行者っスよ」
「ふつうの旅行者、ふつうにチベット語しゃべったり手品みたいにルンタ出したりしないですよ。それより、成都(チェンドゥ)のチベット人街、連れてってくれる約束ですよ」
「そうだった。行きましょうか」
 ノブさんはガラの悪いサングラスをメガネに換えると、立ちあがる。

 市バスに揺られて、二人で成都市内の武候祠(ウーホウチー)地区に行った。チベット自治区とカンゼ州政府の成都出張所、それに少数民族の学生が多い西南民族学院がある武候祠地区はチベット人が多く住むエリアだそうで、赤い袈裟のお坊さんが目立つし、高原から下りてきたばかりのようなモコモコのチベット人がウロウロしていたりする。ルンタ、タルチョ、マニ車、数珠、仏像、仏画、家具、チベット人の必要なものはなんでもそろうといった感じ、チベット人が多いから物乞いも多い。
 と、ノブさんが言っているそばから、小額紙幣を手に持ったちっちゃな女の子が駆け寄ってきた。私に抱きつこうとしたのを、ノブさんが女の子の手首を掴んでなかば引きずるように歩く。ノブさんが手を放すと、その子は何かひとこと言ってどこかに走り去った。
「ガキの躾は、小さいときにしておかないとね」
「ノブさん、ときどき凶暴」
「そうかな、へへ」

 どこで使うんだか、ノブさんがタルチョを買い込むのに付き合ってから、チベット食堂でお昼ごはん。生まれて初めて、バター茶を飲んだ。ポットからお茶碗に注がれたそれはきついバター臭がして、見た感じから、好き嫌いが分かれそう。
 ひとくちすするとノブさんが、「どうっスか?」
「しょっぱい」
 しょっぱくて、乳製品は嫌いじゃないけれどバターに独特の癖というか臭いがあるから、ガブガブ飲める人を尊敬すると言っていた洋子さんの話にも、納得。
 ノブさんもひとくちすすって、「でもこれは、薄いほうっスよ」
「成都だから?」
「たぶん、そう。ネパールとかインドの低いとこで出てくるのは、もっと薄い。まさに、高原の飲みものっスねえ」
 癖があるとか言いながら、二人して一リットル半くらい入っているらしいポットのバター茶をガブ飲みしていた。

 またノブさんの買いものに付き合ってから宿に帰ると、晩ごはんは、ノブさんの希望で昨日のサラール食堂で拌面(バンメン)。そのあと、寝るにはまだ早かったから、宿のレストランでノブさんと話をする。バーにもなっていて、いろんなお酒がカウンターの奥に並んでいた。
「松島さん、飲めるんでしたっけ?」
 ノブさんは、ラサを出てからずっとお酒を我慢していたらしい。聞いても、理由は教えてくれなかった。
「私、おごりますよ。お世話になったし」
「いいっスよそんな、おごるだなんて。ギネスとか、チョー好き」
「一番高いのじゃないですか」
 二本買って、席に着いた。
「松島さん、黒ビールとか飲むんだ」
「へへへ、実は、好きなんですよ。スタウトとか、ね」
「意外だなあ」
 そういえば考えてみれば、強いビールとか濃いコーヒーとか、もともとあの人の好みだった。よく、ダブルエスプレッソをガブ飲みしてたっけ。なんて物思いにふける前に、乾杯。ノブさんの前で思い出に浸って、泣きだしたりしてもしょうがない。
「何時ですか? 明日」
 ノブさんは、明日の電車で上海行き。
「夕方の出発だから、実はほぼ一日あったりして」
「夕方まで、何してるんですか?」
「そうねえ。昼くらいに起きて、最後にバター茶飲みに行って。そんなとこかな」天井を向くと、「もう日本かあ」ため息がちに言う。
「でも、また来るんですよね?」
 そう聞くと、ニヤリとしただけで答えはしなかった。
「松島さんは? この先どうするんスか?」
 今度は私が天井を向きながら、「そうだなあ、ビザはあと一ヶ月ちょいあるし」
 予算的にもまだ十分だし、もうちょっと、チベットを感じていたい。いつの間にか、そんな気分になっていた。これから先のルートについては、ノブさんがいくつかヒントをくれた。それに、ラサに行ってみたい。あの人がこだわり続けたチベットの中心、そうだ、ラサに行けば、私が探している問題の答えが見つかるかもしれない。
「とりあえずアムドとか、行ってみようかなって思ってます。そんで、行ければラサにも」
「あと一ヶ月? うらやましい」
「やっぱり、うらやましいんだ」
「そう、ね。いい加減、もういいかなって思っても、日本にいるとだんだん行きたくなってくる。ただどこでもいいどこかに旅に出ればいいってんじゃなくて、チベットじゃなきゃならないんだ、これが。チベ語しゃべって、バター茶飲んで。チャカンとかでふつうにお茶飲んでても、涙出そうなくらい暖かい瞬間とかある。そうかと思うと、あとから考えるとどうでもいいようなことでチベ人とケンカしてたりしてね」
「ノブさん、チベット好きですか?」
 ノブさんは、ビール瓶を見つめて考える。
「うん、好きとも言えないし、好きでないとも言えない。嫌いではないし、嫌いでなくないでもない。何言ってるか、わかります?」
「さあ。ぜんぜん」
「安心してください。俺にもよくわからない」
「そう、ですね。わかった気がします。ありがとう」
「本当に?」
「わかったような、わからないような」
「なんか、禅問答だな」
 二人で笑って、こんな落ち着いた気分になるのって、何ヶ月ぶりだろう。もう何本か中国ビールを飲んで、宝くじに当たったとか意味のわからないことを言いいながら、けっきょくビール代はほとんどノブさんが払った。

十二月十九日

 昼くらいに起きると言っていたのに、ノブさんは朝早くから起きると、周りに気を使いながらパッキングをしていた。
 私は九時くらいにノソノソ起きて、パソコンの前に三十分くらい座ってからレストランのベランダに出ると、昨日のようにノブさんが空を見上げてタバコをふかしている。
 ガラの悪いサングラスを下にずらしながら私に、「至れり尽くせりなんだけど、スモーカーにもう少しフレンドリーだったらベストなんだよな、ここは」
 私は昨日と同じ椅子に座ると、「手厳しいですね」
「いやね、カムでゲストハウスをやろうって、思ってるんスよ」
「ノブさんが?」
「友だち何人か、共同で、資金集めて。タウ、ニャロン、ワムダ、リタン。チェーン展開でね。夢っスよ、夢」
 私に気を使って、タバコを消した。
 珍しく、空は晴れていた。晴れというか薄日が差すといった感じで、太陽はどことなく不健康そうに霞んで輝いている。
「松島さん、人民コート、要りません?」
「あの、緑色の?」
「うん。暖かいっスよ」
「いいですよ。私、ダウン持ってるもん」
「縁起物っスよ。俺の涙と汗と鼻水が染み込んだ、なかなかレアな商品なんだけど」
「よけい、イヤ」
「ちぇっ、しょうがない。日本に持って帰るか」
「入国拒否されるかもしれませんよ。汚いって」
「なんだとお!」
「はいはい、バター茶行きましょう。バター茶」

 今日も武候祠(ウーホウチー)地区に行って、ノブさんの最後のバター茶に付き合う。青海(チンハイ)省、甘粛(ガンスー)省の情報、見所、ノブさん流に言うと、どこがかっこいいか。泊まるところ、交通機関、食べ物、それに、ラサへ行く方法。お茶を飲みながら、いろいろ教えてもらった。

 夕方宿で落ち合う約束をして、私は街の中を二時間近くかけて歩いて宿まで帰った。
 門をくぐると、すっかり準備を終わったノブさんがレセプションの外でタバコを吸って黄昏ている。ちょっと早めだったけれど、昨日のサラール食堂に行って二人で拌面(バンメン)を食べてから駅に行った。
 ノブさんは、背中に大きなバックパック、胸の前にもサブザック、手にはカップめんとかお菓子が入ったスーパーの袋を下げて、緑色のコートを着た姿。
 駅の入り口で、「なんかすいませんね、わざわざ見送りにまで来ていただいて」
「いえ、いいですよ。私、することもないし」
「そんじゃあまあ、このへんで」課題がひとつ片づいたというか、さわやかな笑顔。「またいつか、たぶんチベットで」
「また来るんですか? 私」
「だって松島さん、また来るんでしょ?」
 ノブさんは手を振ると、駅の中へ。
「また来るのかなあ」
 思わず口に出して、しばらく駅の中に吸い込まれる人の列をながめてから、宿に帰る。

 ひとりになると、また突然なんとも言えない寂しい感じになって、何か考えているようでも何も考えていない。
 何回か自転車に轢かれそうになりらがら、宿に着いたときには、大きなため息が出た。

十二月二十日

 寝られないし、起きあがれない。急に気が抜けたようで、これじゃあいけないと思いながらようやく起きだしたのは、お昼前。
 太陽は昨日よりさらに不健康になっていて、今日の晴れは曇りの半歩手前くらい。

 宿のレストランでコーヒーを飲みながら、あの人のノートとガイドブックを交互に眺めて考えた。
 甘粛(ガンスー)青海(チンハイ)、アムド。
 青海省都の西寧(シーニン)からはラサまで鉄道も通っているし、乗ろうと思えばバスでもラサに行ける。ラサ。私の旅の目的地が、決まっていた。私は、ラサに行くんだ。
 とりあえずは、明日バスで四川(スーチュアン)省ンガワ州の北、ゾルゲに行くことにした。ゾルゲから、ノブさんおすすめのタクツァン・ラモ村。何か考えごとをするには、成都(チェンドゥ)は天気が悪い。高原に行けば、晴れた青い空が見えるだろう。
 そう思ったら、人民元の現金を作って、明日のバスの中の食料と、朝晩二回、三十日分のコーヒー、またしばらくメールできなくなりますごめんなさい、とあちこちにメールを送ったり。

 晩ごはんは、なかば行きつけになったサラール食堂で拌面(バンメン)。ひとりで食事をしていると、またいろんなことを考えだす。あの人のこと、もっとノブさんに聞いておけばよかったかもしれない。
 いけない、また心がマイナスの方向に向かないようにと食べ終わったら急いで帰って、明日に備えてパッキング。詰め込められるものはぜんぶ大ザックに詰め込んで準備に満足すると、最後にガウを枕元に置いてから、手元の電気を消した。

心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その7 女王の谷から芙蓉の城

心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その7 女王の谷から芙蓉の城

二00七年十月、私は旅にでた。目的地は、チベット。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-26

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著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. 十二月十五日
  2. 十二月十六日
  3. 十二月十七日
  4. 十二月十八日
  5. 十二月十九日
  6. 十二月二十日