心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その6 ンガジョン・チュクモ-豊穣なるンガワ
十二月九日
急ぐ必要もないから、ノブさんもゆっくりめ。私はいつものように遅く起きて、ゆっくり準備する。
十一時すぎになって、セルタ行きのバスが宿の中庭に入ってきた。朝セルタを出たバスが、昼にダンゴから折り返してセルタに戻るらしい。大ザックを後ろのトランクルームに入れてからバスに乗り込むと、お客さんは私とノブさん以外はモコモコのチベット人。なぜか、尼さんが多い。
出発したのはようやっと一時すぎだったか、一度乗ったはずの尼さんたちが降りたり乗ったり、よくわからない。
ボロボロのバスだったけれど、なんとか順調に走って標高を上げる。だんだん曇って、雪がパラパラと降りだした。高度計を見ると、四000メートル。私は通路側に座っていて、ノブさんは窓側。彼はその窓を開けて、ルンタを撒いている。峠越え。
「ラーギェロ!」
そしてニンマリしながら窓を閉めて、ニット帽を目の上に深くずらすと寝に入った。
峠をすぎると空がだんだん晴れてきて、谷間にはポツリポツリと、あの人のノートに描いてあるようなワムダハウスが建っている。石積み平屋根の三階建て、二階の日当たりのいい角部屋がログハウスになっていて、三階部分は外側にぐるりとバルコニーがある。丘の上にゴチャゴチャと集まって建っていると、西洋のお城のよう。
「うわっ、スゲェかっこいい。要塞みたいっスねえ」
寝ているようで起きていたノブさんが、窓を開けてカメラのシャッターを切る。セルタに行くのは初めてだそうで、珍しく興奮気味。
ワムダに着いた。小さな村で、ここから東に行くとザムタン、北に行くとセルタ。時間が限られていてンガワに何日か滞在したいノブさんの希望で、明日はここから東、四川省ンガワ・チベット族チアン族自治州のザムタン県に向かうことになる。道はセルタまで、川沿いをゆるやかに登り。時間が止まったように、流れる滝が凍っていた。途中の村で見かける子どもたちがほとんどチベット服を着ているのは、どうやらものすごく寒いかららしい。
ワムダハウスはいつの間にか少なくなって、農業地域から遊牧地域に入った。バスは幹線道路を外れ、何かの門をくぐると谷間の細い道を登る。
ノブさんがボソリと、「ガルに寄ってくんだ」
「え?」
「セルタ・ガル。かつては八千人以上の坊主尼がいたそうで、ビビッた中国政府が取り潰しを企んだんだけど、それでもまだまだ大きい、ニンマパの超巨大僧院」
「ガイドブックにあった?」
「そう、セルタに行くっつったらふつうはガルに行くって意味だから、ガルまで登ってくれるんだ。ちなみにね、ここ本当は、外人は立ち入り禁止っスよ」
谷間の斜面には、たくさんの小さな家。
「僧坊ですか? これみんな?」
「うん、噂には聞いてたけど、スゲェや。全然縮小されてないじゃん」
「なんで、こんなに人が多いいんですか?」
「先生がいいから? ケンポ・ジグメ・プンツォってお方が文革を生き残った数少ないラマで、学識があって徳の高いラマを慕って、弟子がどんどん集まってくる。そうやって、気いついたらこんだけになってたってことでしょう」
「勉強しにインド行くって話、聞きましたけど」
「インドもまあオプションのひとつではあるけど、内地にいい先生がいれば、わざわざヒマラヤ越える必要はないと。ケンポも、ヒマラヤ越えずにこっちに残ってたのはすごい人だと思いますよ。チベ人って、盲信なようで意外と見るとこ見てて、やっぱりいいラマのところには人が集まる。ゴンパとかって、そんな風にしてできあがったもんっスよ。ここは、正確にはゴンパじゃないけど」
「お寺じゃないんですか?」
「一般レベルでは坊主尼の住んでるとこはみんなゴンパって言うけど、ここはシェータ。教典を勉強する学校。ゴンパはもっと広範囲に、日々の勤行をしたり、密教修行だったり。ゲルクパだと修業システムの中に顕教が組み込まれてるけど、ニンマパとかカギュパだとゴンパとはべつにペチャを、教典を勉強する学校があって、問答とかやってる」
たぶん駐車場のような、ライトバンが何台か停まっているところでバスは停車。尼さんたちを降ろすと、また発車。谷間に広がる僧坊はまるで町のようで、そこをウロウロしているエンジ色のお坊さんや尼さんも、今まで見たこともないほど大勢。
窓越しにシャッターを切りながらノブさんが、「これだけ坊主が集まってるんじゃあ、そら当局もビビるわ」
幹線道路に近づくと、ノブさんはカメラを服の下に隠した。壁に警察と書いた青い建物がある。
「くわばらくわばら」とノブさん。そして何事もなくそこを通りすぎると、小声で「バーカ」
私が笑うと、「いやいや、そのうちね、言いたい気分になりますよ。こっちも法に触れるようなこと、ときどきやってるんだからあんまり大声では言えないけど」
その法に触れることがどんなことかは、知らないほうがいいと思って聞かないでおいた。
夕方五時ごろ、セルタの町に着いた。町の入り口に大きなチョルテン、草原に人工的に造った町らしく、チベット式民家の旧市街は見あたらないし、広い道には車がほとんど走っていない。
町の中心から少し離れた原っぱが終点で、バックパックを背負ってとりあえず町の中心部に向かって歩く。なんだかすぐに息が切れると思って高度計を見たら、三九00メートルだった。
馬の像がある大きな広場に着いて、そこの周りがたぶん、セルタの町で一番栄えているエリアらしかった。いくつか賓館とか書いた建物があるから、適当にそのうちのひとつを選んで入る。ツインで一ベッド二十元なら、まあ標準的。トイレはべつで、水道管が凍るのか、バケツの水で流すセルフ式になっている。
バックパックを置いて、二人で町の様子を見にすぐに外に出た。風が冷たくて寒いし、町に人は多いのに、どことなく寒々しい。道行く人々のほとんどがチベット服で、ラガンで見たような長い刀を持っている人も多い。ちっちゃな子どもも、みんなチベット服だった。
セルタ・ガルがあるからか、この町には宗教用品店が多くて、マニ車とかルンタとかそんなものがたくさん売っている。広場からちょっと離れると、壁に大小便禁止とか書いてあるところはほぼトイレになっていて、これは強烈だった。
「不潔の都。はははは」
ノブさんはそう言って、もう慣れてるのか気にしていない。
町の中に見所があるわけでもなく、三十分もかからないでほぼ一周。
「腹、減ってません?」
お腹が空いたと思っていたらタイミングよくノブさんが言いだして、夕ごはんは今日も回族の食堂。
「うちの親父だったら便所食ってるときにメシの話すんなって言われそうだけど」拌面を待ちながらノブさんが、「県城が人のウンコだらけってのも、スゲエ話」
「ここ、トイレないんですか?」
「だって、チベットがもともとトイレない世界だもん。松島さん、河口慧海読んだんスよね?」
「ええ、予習の意味で。さらっと」
「あれ読んでまだチベット来ようって思えるのは、マニアになる素質があると思いますよ、俺は。メッタ斬りじゃないっスか、チベットいいとこほとんどなしって感じで」
「でも、河口慧海って、チベットで相当いやな目に遭って、それでももう一回チベット行ったんですよね? チベット人のことけっこう否定的に書いてるのに、日本でもチベット風の袈裟着てチベット風になんだったか、手でこねて食べてたんですよね?」
「そうっスね。河口先生も木村先生も西川先生も野本先生も、行った人って、だいたいがチベットにあんまりいい印象持ってないようで、でもチベットに関わりながら生きてたりしてますね」
あの人も、そう。ときどき、チベット人は好きじゃあないと言っていた。「なんでかなって、思って。気になりません?」
「なんでっスかね。サワやんもよくチベ人嫌いって言ってるし、俺もときどき、いやあ、頻繁にそう言ってるけど、まあ、たぶん愛なんスよ、愛」
「わかんない」
拌面が運ばれてきてその話はウヤムヤに、それで終わり。あとは、明日どうするか、その次どうするか。
宿に帰って、明日の準備をさっさとすませて布団にもぐり込む。電気毛布はどこでも備え付けられているけれど、部屋全体を暖めるようなものが欲しい。
ここで初めて、寝袋を使うことにした。ノブさんはいつも緑色のコートにくるまって、その上から布団をかぶって寝ている。今はその緑色のコートをお坊さんマントみたいにしてテレビのスイッチを入れて、青海テレビを見つけてごきげんだと思っていたら、突然停電。
「はい終了。お休み」
きゅうと言うと、そのまま寝てしまった。私も本格的に何もすることもなく、一度入ったらもう、寝袋の外に出られなくなった。
十二月十日
窮屈さが息苦しくて寝られないかと思ったら、案外熟睡していた。
寝袋と寝袋用のシーツの組み合わせは暑いくらいで、上にかけていたはずの布団はいつの間にか床に落ちていた。
ノブさんのコーヒーと昨日買ったパンで、朝ごはんにする。昨日の夜に電気ポットからテーブルに吹きこぼれたままにしておいた水が凍っていたのにはちょっとびっくりしたけれど、部屋の中なのに吐く息が白いのには、なんだかもう慣れてしまった。
なかなか小さくならないダウンの寝袋をなんとか丸めてから、バックパックに押し込んで出発。入り口のシャッターは、ノブさんが服務員のおばさんを大声で起こして開けてもらった。
鼻の奥が痛くなるくらいの寒さの中を馬の広場の前に行くと、ライトバンが何台か停まって客待ちをしている。ザムタン行きの直通バスはないから、私たちはバンをチャーターするしかない。イナカの言葉はわからないと言いながらも、ノブさんがドライバーと交渉。私は、見ているだけ。
「一台三百五十元だって。どうっスか?」
「ほかに、選択の余地はないんですよんね?」
「そうっスね、松島さんがオーケーなら、俺は急ぎたいんで」
決定。ほかのお客さんを待つのかと思ったら、すぐに発車。完全にチャーターだった。ノブさんは助手席、私はドライバーの後ろ。町の入り口のチョルテンで、男の人をひとり乗せる。彼はすぐに、セルタ・ガルの入り口で降りた。
太陽はようやく山の上に顔を見せたくらいで、とにかく寒い。靴下を二枚はいていたのに、それでも、靴底を通して伝わる寒さで足の指が取れそう。今までで、一番寒い思いをしているかもしれない。
なのにドライバーは元気いっぱいで、お経のテープに合わせて、ときどき大声で何か唱えている。私は、ワムダに着くころには両足の感覚がなくなっていた。
ワムダでお客さんを三人乗せた。家族なのか、チベット服の男の人二人と女の人一人。車の中はギュウギュウになって、私は足の裏だけが凍えている。
ワムダから先はずっと森林地帯で、川沿いの、ところどころが未舗装の道。谷底だからあんまり日が当たらないのか、川幅が広くて湖みたいになったところでは、川面に一面氷が張って真っ白だった。そこからいくつか村を通りすぎると、ドライバーが路肩に車を停める。トイレ休憩なのかと思ったら、ドライバーとモコモコの男の人がどこかに行って、帰ってくるとノブさんと何か話し合う。
「どうやら、ここで降りるみたいっス」
そう言われて車から降りると、私もノブさんと同じように、車の後ろに押し込まれていたバックパックを背負った。
「この先にカンゼとンガワの州境があるからかな。この車、カンゼナンバーだからいろいろあるのかも」
「乗り換えるんですか?」
「うん、車あるって言ってるけど、この人たちもザムタン行くらしいんで、なんとかなるのかなあ」
ノブさんとチベット人三人組と歩いていくと、チベット語ではザゴ・サムパと言うらしいコンクリートの橋があって、反対側の岸は四川省ンガワ・チベット族チアン族自治州。橋のンガワ側には、青と白の建物が建っている。警察らしい。
その建物を見ながらノブさんが、「交警だ。あれがあるから、行ってくんなかったのかな」
「検問?」
「いや、あれは交通警察のチェックポスト。ンガワ州は全県開放だから問題ないはずだし、交警は交通ルール守らせるのが仕事だから、大丈夫。面白いもんで、中国とかチベットじゃあときどき検問あるけど、違法旅行者取り締まる以外の林業とか交通関係の検問は、どんなに怪しい外国人でもスルーできる。たまに外人狩りでも突破できるけど」
歩いて橋を渡ると、その交警の建物以外に何もなくて、どうやらそこでザムタン方面に行く車を待つらしい。
「すみません、俺の考え違いで」珍しく、微妙に不安げなノブさん。
「なにかしら、来るんですよね?」
「バスならいいけど、小さいのだとライバルがほかに三人いるから、それでも交通量が多けりゃいいけど、なんせ初めての土地で右も左もわからず」
不思議と私には、あんまり不安はなかった。けっきょくは他人任せなんだけれども、ノブさんといっしょなら、どうにでもなりそうに思う。
私は交警の建物を指さして、「あそこに泊めてもらうのは?」
「それもいいかも。時間的にバルカムとか成都からのバスが来るはずだけど、なんとかなるのかなあ」
「なりますよ」
その検問所だか派出所の前には、四駆車が一台停まっている。それを見ていたら建物から私服の男の人たちが出てきて、一人は長い銃を持っている。その人は空に向けてそれを構えてから、残りの人たちといっしょに横に交警と書いた白と青の四駆車に乗った。
車がザムタン方向に走り去ると、建物は無人になる。
それを見送りながらノブさんが、「五六式だ」
「なあに?」
「五六式アソールト・ライフル。ロシアのAKライフルの中国バージョンで、二つ前の制式ライフル。輸出型とか、中国が世界中にバラ撒いてるヤツ」
「あの、ノブさん、ひょっとして軍事オタクですか?」
「失礼だなあ。俺はオタクでなくて、ハードコア軍隊マニアっス」
「違いがわかりませんよ」
「えっとね、軍オタってのは、例えば、兵器の性能で戦争語るような、近視的なやつ。ハードコア軍隊マニアが目指すのは、トータルとしてのミリタリオロジー、みたいな?」
「よけい、わかんない」
「あれ? つまり、経済政治いろいろひっくるめて、軍事を深層から科学的に考察するんスよ。だから俺、古代ローマからナポレオニックから現代まで、守備範囲は広いっスよ」
「やっぱり、わかんないや」
なんとなく足元を見ると、赤銅色の小さいものが目に留まった。拾ってみると、それは空の薬莢だった。
「七・六二ミリ、カラシニコフ」ノブさんが、興味津々。
私は驚いて、「実際に撃つことって、あるんですか?」
「これは、遊びで撃ったんじゃないかな? なぜか中国国内、こういうものが落ちてることが多々あるんスよね。てか、あいつら交警なのになんでライフル持ってんだって話だけど」
「危ないですよね。私、アメリカ行ったとき、ホストファミリーの家に散弾銃って言うんですか? あって、でもそこのお父さんがものすごい気を使ってて、私とか絶対触らせてもらえなかった」
「もちろん危ないっスよ。この七・六二ミリ弾なんか、発射する角度によっちゃあ軽く一キロ以上飛んでくし、理論上はその一キロ先でも十分に殺傷能力がある。弾だって、警察なんだから何発持ってて何発使ったとかキッチリ管理すべきだけど、そこはまあ、中国ですからね」
ザムタンと反対の方向、成都方面からバスが来た。窓の上のほうに大きく金川ー壌塘と書いてある。金川って地名は、ンガワ州だったっけ。
モコモコの三人のうちの一人が道路に出て手をあげると、バスが停まった。私とノブさんがバックパックを背負って小走りにバスに近づくと、バスを止めた男の人が乗れと合図する。お客さんは半分くらい、バックパックは一番後ろの席になかば放り投げるように押し込んで、出発。
「やれやれだ」
すっかり安心した口調のノブさん。ニット帽を深く下ろして、寝に入ったのか目を閉じているだけなのか。
高い塔のあるお寺、センカルゴン寺の横を通ると、あっという間にザムタン着。二人とも地図も何も持っていなかったけれど、小さい町だから宿なんてすぐに見つかるだろうとバックパックを背負って歩きだす。
ザムタンは谷の南斜面に小さくまとまった町で、川をはさんだ反対岸にはバルコニー付きの石の家、町の中には新しい中国標準のビルばかりが建っている。
たぶん町一番の立派なホテルがあったから、一泊だけだし探すのが面倒だしと二人で相談すると、そこに泊まることにした。ツインで、一部屋六十元。暖房が付いてない以外はきちんとしたホテルだし、トイレの水もちゃんと流れて温水も出た。
バックパックを部屋に置くと、もうかなり遅いお昼ごはん。
明日のンガワ行きバスのチケットを買ってから、私はスーパーに寄って宿に帰ったけれど、ノブさんは調べものをするとかで町に残った。
明日はンガワ。ンガワ州と名前が付いているのに、州都は明日行くンガワ県でなくてもっと東のバルカム県にある。ややこしい。カンゼ州もそうだった。
あの人はザムタンとンガワには来ていないのか、ノートには何も書いてないし写真も見つからない。ノブさんは、ンガワにはまだ外国人に非開放だったころに一回行ったそうだ。
ンガワ、バルカム、とガイドブックを眺めてから、なんとなくテレビを見ながら買ってきたお菓子をつまんでいると、ノブさんが帰ってきた。
「すいませんね。なんか、はしょっちゃって」
「いえいえ、私は、おまけみたいなもんだから。ノブさん的には、いいんですか? 一日とかで通過しちゃって」
「俺は、次回このへん中心に回るつもりなんで、今回は下調べだけ、一日で十分。それよりンガワでゆっくりしたい。あと、成都で洗濯とかしないと」
「また、来るつもりだ」
「なんとでも言ってください。あちこちで言われてるから、もう痛くも痒くもなんにも感じない。それより、晩めし行きます?」
バスは朝七時発車。さっきお昼ごはんを食べたばかりだけれど、朝が早いからと早めに夕ごはんに行くことにする。ここもニャロンのバルショクみたいにシャッターが閉まっているところが多くて、あんまり選択の幅がない。宿のすぐ近くの中華屋さんで、二人でチャーハンにした。
帰って、ノブさんがテレビの電源を入れたちょうどそのとき、停電。
「ちっきしょー。またかよ」
窓から外を見ると、どうやら停電しているのは町のごく一部らしく、通りの反対側のビルには明かりが灯っている。
「まったく、偉大すぎて電気も満足に作れねえのかよ、この国は」
ノブさんは、ブツブツ言いながら寝る体勢。私もヘッドランプを探して、お小遣い帳をつけてから歯を磨くと、あとはもう寝るだけ。
布団に入ってからノブさんに、「そういや、カンゼで毎日停電でしたよ。あとリタンでも、ときどき」
「前リタンで聞いた話だと、冬は水が凍っちゃうんで電気停まるとかって。水力発電だから、タービンが動かなくなっちゃうんだ。あと、家だけガンガン建てちゃって電気の供給が追いつかないとか。計画がいい加減だから、もうどうしようもないっスよ。そういや、昔はラサでもしょっちゅう停電してたな。イナカ行きゃあ電気ないのけっこうふつうだったんで便利にはなったんだろうけど、中途半端に便利だからムカつくんスよね。電気なけりゃコーヒーも飲めない」
ここもお湯は、電気式のポットで部屋の中で沸かすようになっている。
「そうですよね。なんでもなきゃないでなんとかなるんだろうけど、便利な生活に慣れちゃうと、急になくなっちゃうと大変ですよね」
「うん。チベ人とか、なるようになるさって感じだけど、俺は日本的に気が短いんで、ダメっスね。コーヒーも飲めねえのかよって、イラついてしまいますよ」
話しているうちに、電気が点いた。
「ノブさんほら、青海テレビ」
「もういい。おやすみ」
ふて寝。私も起きあがるのが面倒になって、サイドテーブルに手を伸ばして照明のスイッチを切った。
「おやすみなさい」
十二月十一日
ノブさんがお湯を沸かしている。そう思ったとき、時計のアラームが鳴った。急いで起きると、朝はもう決まってパンとコーヒー。
鍵はもらっていないしデポジットも払っていないから、準備を終わると誰に断ることもなくバックパックを背負って外に出た。建物の扉は開いていて、駐車場に入るゲートも開いている。大丈夫なんだろうか。
外はまだ真っ暗、街灯が煌々と灯っている。それでも、星が降るようにきれいだった。
こんな朝早くから、通りに誰かの話し声。そして、カン、カン、と木が打ち合わされるような音とズルズルと何かが擦れる音。五体投地礼をしながら、歩いている人たちがいた。手には木製の下駄のようなものをはめて、身体の前に分厚い革のエプロン。両手を合わせるときに、下駄が拍子木のような音を出す。道路に身体を伸ばしてから、また頭の上で、カン。それから起きあがって、何歩か歩いて、同じことの繰り返し。
ノブさんはあんまり気に留めていないようで、スタスタとバスターミナルに向かって歩く。私もそのあとを、早足で追った。
バスターミナルに着くと、ちょうど成都行きのバスが出るところ、エンジンの音が騒々しい。ンガワ行きバスのドアは開いているけど、まだ誰も乗っていない。バックパックをトランクルームに入れてからバスの中で発車を待つ間、昨日と同じく足の裏が冷えて痛い。ノブさんは我慢しているのか何か工夫しているのか、まったく平気そうだった。
「さっき、五体投地してる人たちいましたよね」
寒さで、微妙に口が回っていない私。
「記録じゃあ、あれでモンゴルからラサに行った人とかいるらしいっスよ」
「さっきの人たち、どこに行くんですかね」
「たぶん、トゥクチェンかな。ザムタンからバルカムに行く間に、トゥジェ・チェンポって聖地があるんスよ。そのあとは、ラサかも。カンゼから二年かかるとかって、前聞いたけど」
「ずっとあれで行くんですか? 誰も見てないからいいやって、途中で歩いちゃったりとか、ないんですか?」
愚問だった。
「彼ら、誰かと競ってるわけじゃなく自分のためにやってるから、そりゃないっスよ。ダメだと思ったら途中でやめりゃあいい。ただときどきパフォーマーがいて、そいつら要は物乞いだから、稼いだらバスに乗ってべつの町に行くこともあるけど、さっきのは本物っスよ。どっから来たのかは知らないけど」
「パフォーマーって?」
「物乞いがね、巡礼姿で金をせびる」
そうやって話しているうちにお客さんがパラパラ乗って、たいした混乱もなくしばらくしたら発車した。ノブさんは写真を撮ったりルンタを撒いたりするから窓側の席、私は通路側。走り始めたころはまだ真っ暗だったのがだんだん明るくなって、でも窓ガラスが凍りついて真っ白いから、景色は見えない。ノブさんはときどき爪でガリガリと窓の氷を削り取るけれど、結露がすぐに凍って白くなる。しばらくそれを繰り返すと、あきらめたのかニット帽を深く下ろした。
お客さんは、ほとんどがモコモコのチベット人。チベット服を着ている男の人みんな、なぜか袖に手を通していない。襟の幅が広くて、すっぽりと頭からかぶれるようになっている。私と通路を挟んで反対側に座っているのもそんなモコモコのチベット人の男の子で、と思っていたら、車に酔ったらしく突然自分のチベット服の懐にゲーゲーと吐きだした。びっくりして目をまん丸くして見ていると、彼は私を見て不敵に笑ったあと、何もなかったように頭を懐に入れて寝たようだった。私も、何も見なかったことにしておく。
それからだんだん眠くなって、目が覚めると、バスに日が当たって窓の氷が解けている。
青空と雪原、ワムダからザムタンにかけて見た深い森は消えていた。標高は三六五0メートル。はためく万国旗、タルチョが見えて、峠越え。ルンタを撒く人はいなかったけれど、あちこちからお経を唱える声が聞こえる。
「ラーギェロ」ノブさんが帽子を取って、つぶやいた。そして窓越しにカメラを構えながら、「いいね、このルート。気に入った」
峠をすぎると、今は一面雪景色の広い草原。その中に建物が集まっているのは、ンガワの町だろうか。
「ンガワですか?」
指をさして、ノブさんに聞く。
「イエス。インプレッシブじゃあないっスか? それにしても、デカくなったなあ」
峠の上から見下ろすンガワの町はノブさんの言う通り印象的で、そこを目指して、急な下り坂。カーブを曲がるとき、バスは雪の上を微妙に横滑りしていた。
大きなお寺がいくつもあるからか、人が多くて町に活気がある。ところどころお客さんを降ろしながら、郊外というか、開発途中の町の東外れにあるバスターミナルが終点。前にノブさんが来たときは町の中にバスターミナルがあったそうだけれど、新しいバスターミナルは町の中心部からはけっこう遠い。二人で相談すると、朝早いバスに乗ることを考えて、チベット服の女の人が管理しているバスターミナル近所の安宿に泊まることにした。 どこかのお寺の経営らしい。
ベッドが二つとテレビがあるだけの部屋で、二階の南向きだから、今は日差しが暖かい。トイレは、ノブさん式に言うと人民型。シャワーなんてもちろんない。でも一泊十五元だし、まあまあとしておく。
宿が決まって落ち着くと、ノブさんといっしょに町に出て、とりあえず回族食堂でお昼ごはん。そのあと、二人で町の中を散歩した。ンガワの町は東西に長く、東の端にはバスターミナル、西の端にはキルティ寺。一番栄えているキルティ寺の門前あたりでは、お参りに来たついでに買い物をしているのかその逆か、モコモコのチベット人だらけだった。
キルティ寺のほかにも、道路を挟んで私たちの泊まっている宿の向かいにセゴン寺があったり、周辺に大きなお寺がいくつもあるから人とモノが集まるのか、地図で見るとかなり奥まったところにあるのに、思ったよりも町の規模が大きい。
「けっこう、栄えてますね」
「うん。巡礼は観光旅行の原初形態だって、何かの本に書いてあったっス。キルティの在籍坊主が二千だか三千だか、それだけで、町ひとつぶん」
私と話しながら、ノブさんはガイドブックの地図を確認している。ノブさんの持っているのは私と同じガイドブックのふたつ前の版だから、地図も古くなっているのに。
そう思って、「その本、新しいの出てますよね」
「初めのやつから全部持ってるけど、個人的にはこの二版が一番好きなんスよね。いろいろとメモ書き込んであるから、なんか愛着があるというか」
あの人のノートみたいなものか。ちらっと見ると、ページの余白部分が細かい字と図で埋まっている。
「情報マニアなんスよ、俺。ちょっとでも気になると、自分で調べないと気がすまない。で、新しい情報が入るとそれを調査しに来ないとならない。するってえと、また新しい発見があってってな感じで、また来なくちゃならない。繰り返し。たぶん、永遠に」
「軍事マニアで、情報マニア?」
「ハードコア軍隊マニア!」
「はいはい。でも、いいですね、何か熱中することがあって。うらやましい」
「熱中、かあ。うん、ある種、趣味かも」
「チベット旅するのが?」
「チベット調べるのが。でも、それで世の中に何か残せりゃあいいんだけど、けっきょく俺のは単なる趣味で。写真もそう。手慰みっすよ。ははは」
あの人も、ノブさんと同じ理由だったんだろうか。私が興味を持っていなかったからあの人とチベットの話をしたことはほとんどなかったし、それで何も、わからないまま。現地に来てみても、やっぱりよくわからないまま。
たぶん町一番の大きなスーパーで、パンとお菓子を買って宿に帰った。今まで大都市を出たら硬貨を受け取ってもらえなかったのに、おつりがふつうに硬貨で返ってきた。
宿でお湯をもらって、洗濯したり、ノブさんに手伝ってもらって髪を洗ったり。洗面所に蛇口はあるのに、水が出ない。タイル張りのシンクというか、排水口が詰まっていて溜まっている水がカチンコチンに凍っていた。
夕方になると急激に寒くなるし、もちろん部屋には暖房は付いていない。いつものように、布団にくるまって日記を書く。ノブさんはテレビをいじっていたけれど、なぜかアンテナ線が繋がっていないようで、あきらめて私と同じように布団をかぶる。
そしてボソリと、「布団、臭い」
「よかった。私、微妙に自分が臭いのかと思ってました」
「松島さん、こんな臭気放ってるんじゃあ、相当ヤバいっスよ。三ヶ月くらい洗ってない犬みたいな臭いだもん」
二人で笑う。
「でも、あれ、臭いかなって思って終わっちゃうようになってるのって、ヤバいかも。私、ノブさんが臭いって言わなかったら、気にしないで寝てましたよ。日本帰れんのかなあ?」
「まあどうにせよ、臭いって言って、そこから次のアクションに結びつけることなくそのまま寝ちゃうんだけど。下のおばあに布団臭いって言っても、たぶんべつの布団持ってきて、それが二ヶ月洗ってない犬臭だったりしてね」
「たいして変わんない」
「でもほら、一ヶ月分マシでしょ? なんでも、見方を変えれば気分も変わるってことで。飯、行きましょう」
見方を変えれば。その通り。なんか、日本にいると細かいことにこだわることが多くて、でも実際は、それがどうでもいい、たいしたことではなかったような。万事、気の持ちよう。でも、あの人のことを考えるとよくわからなくなって、そこでまた思考停止。
宿の一階にあるチベット食堂で、チベット食堂なんだけれども、注文したのは回族食堂で食べるような面片。でも、ポットに入ったお茶は、白く濁っていた。
「バター茶ですか?」
「ノン。アムド式の、ミルクティー」
飲んでみると、脂っぽくはなくて塩味でもない。ちょっと獣臭いような気がしないでもないけれど、そのまんま、お茶にミルクが入った感じ。
「バター茶って、あんまり飲まないものなんですかね?」
「頼めば出てくるけど、俺どっちかっつうとカムパーなんで日常はミルクバターなしのチャダンのほうが多いし、バターティーは、あれば飲むけど自分から注文することは、あんまり」
「カムパー?」
「いやほら、チョルカ・スムって三つの地方にチベットを分けると、それぞれの地方にファンがいるわけだ。俺は中央チベットとかアムドよりもカムが好きなんで、カムパー」
「どう違うんですか?」
「カムの男、カム男ってなんかこう、アニキって感じじゃないっスか? そうなんスよ。ケンカっ早くてすぐ刀抜いて凶暴だけど、仲良くなるとすごい頼り甲斐がある。ラサの連中は、やっぱり都の人間だからお上品。アムドは、服の着方とか、イナカもんでダサい」
「すいません、その、三地方の区分って、どうもいまいち。青海省はアムドで、四川はカム?」
「こうってカッチリ決まってるわけじゃないけど、まあ大まかに、ユルシュル州以外の青海と甘粛はアムド、四川は、ンガワ州はアムド、カンゼ州はカム。カムはあと、雲南のデチェン州とTARのチャムド地区、ナクチュ地区。そのほかは中央、ウ・ツァンって分け方で、正解ってわけでもないけどまあ間違いでもないって感じかな。人によって異論はあって、たとえばコンボはウ・ツァンなのかカムなのかとか、ギェロンはカムなのかアムドなのか、ナクチュはカムパでなくてアブホーだとか、ね」
「ティーエーアールって、チベット自治区?」
「そう。チベット・オートノモス・リージョン。実際には、オートノミーって言葉はウソっぱちだけど。ウ・ツァンもそれなりに楽しいんだけど、俺はカンゼ州あたりが好きっスね」
「ダンゴとかですか?」
「ダンゴもそうだし、デルゲとか、チャムドとか。デルゲ行きました?」
「いえ、カンゼまで。カンゼって、州の名前はカンゼなのに州の中心はダルツェンドですよね? なんでですかね?」
「清朝がチベットからカム東部をもぎ取って、それが民国時代に西康省になるんだけど、カンゼ県って寺多いし、交易関係で昔から栄えてたんじゃないかな。それでなんとなく、西康全体をカンゼって呼ぶようになった的な? よくは、わかんないっス。中国人の考えることは。ダルツェンドだって、昔は中国人も打箭炉ってチベ語に漢字当てて読んでたのがカムを定むるってんで康定って改められてるし。チベ人は今でもダルツェンドって言ってるけど」
「で、ノブさんもダルツェンド?」
「俺は昔、成都だったかな? 同じドミに変なジャップ野郎がいて、どこから来ましたかって聞かれたから俺はチベ人と同じようにダルツェンドですって言ったら、そのロン毛野郎、そう言わなくっちゃいけないんだ、だって。そいつの言い草がなんかムカついて、それ以来もう意地でもチベ語。馬爾康はバルカム。新都橋はゾンシャプ。塔公はラガン。たまに留学生で覚えたてのチャイ語とにかく使いたくっていちいちチャイ語名なやつとかいるけど、そんなやつの前だと、とくにチベ語。ここはチベットだからって」
一瞬、梅田さんの顔を思い浮かべていると、チベット服の女の人が面片を持ってきた。両袖を脱いで、その袖を腰の後ろで結んでいる。チベット服の下に着ているのは、ニットのタートルネックというよりトックリと呼びたくなるような、流行りなのかみんな同じようなピンク色の服。首には、大きなピンク色のサンゴをいくつも連ねたネックレスをしている。
「あちこち行ってるとね、いろんな変なやつに会いますよ」
そう締めくくって、ノブさんは面片を食べる。回族食堂とか中華食堂だと味気ないテーブルとイスが並んでいて、壁には、回族食堂だとモスクのポスター、中華食堂だとメニューには絶対ないような果物とかパンとかおいしそうにテーブルに並んでいるポスターがあるけれど、チベット食堂には、壁際に鮮やかな柄の絨毯を敷いたソファと、低めのテーブルも鮮やかな赤。壁にあるのは、お坊さんか金ぴかの仏像のポスターとか。
その中に、山の上から谷間に広がる大きな町を撮った横長のポスターがある。
「ラサ、ですか?」
「イエス。なんかもう、すっかり中国風の都市になっちゃった。俺が初めて行った二00一年の頃と比べても、ぜんぜん変わっちゃったもんな」
「チベットの人にとって、憧れなんですか? ラサって」
「カムのほうだと、ニマ・ラサって言い方があるんスよ。ニマはチベ語で太陽。心の中の太陽なわけだ。伝説によればチベットは観音菩薩に祝福された土地ってことで、ラサはその聖なる蓮の花の国の中心だから、ポタラもあるしジョウォ・リンポチェもいらっしゃる。ムスリムにとってのメッカみたいなもんで、チベット人の大多数にとっては一生に一度は行ってみたい聖地ってことっス。モンゴル人とかもそう。インドネパールのチベット系の人たちとか、最近はブータン人も見かける」
「ポタラって、ダ、ダライ、さんの宮殿でしょ? でもラマさんて、インドですよね?」
「そこはそれで、主不在でもチベット的ルールがあるんだけど、ラサには、あのお方にお会いしたいとかよりも、ジョウォ・リンポチェがチベットで一番ありがたい仏像だから、ジョカン参りに行くんスよ」
「中国から来た仏像でしたっけ?」
「オリジンを辿るとインド製なんだけど、まあそう。今は国策的なものがいろいろあったりして、俺も専門じゃないんで詳しくは知らないけど、ラサのジョカンがチベット初の仏堂でラサのジョウォがチベットに初めてもたらされた仏像であると」
「国策って、なんですか?」
「チベットは昔から中国領であるアルっての。だいたい、唐朝がチベットから嫁さんもらうんならまだしも、ソンツェン・ガムポのチベットが軍事的に強くなってきてビビって嫁さん差しだしたんだろうに、しかも文成公主って、ソンツェン・ガムポの息子の嫁さんだったらしいっスよ」
「ソンツェン・ガムポって、王様ですよね。チベットの」
「ヤールン王朝の、第三十三代だったっけ? チベットを統一して、すごいイケイケだったんスよね。ネパールの王様に嫁さんくんなきゃお前殺っちゃうよって言って、ネパール側は泣く泣くブリクティ王女を差しだしたって話。唐朝はさすがに、文成公主嫁入りさせる前にいろいろ条件は付けたみたいだけど」
「でも、ソンツェン・ガムポのお嫁さんではなかったんですか? 本とか、文成公主はソンツェン・ガムポの妃って書いてあるけど」
「息子の、グンリ・グンツェンだっけ、落馬かなんか事故で死んじゃったらしいんスよ。そんで、おとんのソンツェンさんの嫁になったらしいっス。そういう習慣は昔はよくあったことで、べつに珍しいことじゃあない。まあ結果、文成公主はソンツェンさんの嫁さんってわけです。あと、ラサのジョカンって、ネパールのブリクティがスポンサーになって建てたものだから、それが中国政府のお気に入ってないフシがある」
「どうでもいいような気がしますけど」
「いや、ブリクティの建てたジョカンが大昭寺で文成公主の建てたラモチェが小昭寺ってのは、なんでもかんでも大きいことが大好きな中華人民にとっては屈辱的なんじゃないかな。俺はそう思います。それに、まあ中に収まってるのは文成公主のジョウォなんだけど、チベ人がお参りするっつったらまずジョカンだ。で、ウヤムヤのうちにブリクティとか、チベットとネパールの関係を過小評価する風潮が作られてるような。ネパールは小国だらか歴史問題云々とか、中国に噛みつくことできないし。政治っスよ、政治」
「はああ」
食べ終わってからもすっかり話し込んで、外はもう真っ暗。達磨ストーブというのか、かわいらしい丸っこい形のストーブがあるから、暖かくて外に出たくない。もう少し、ノブさんと話を続けることにする。
「ラサはどうなんですか? 行ってみる価値、ありますか?」
「そうっスね、チベットの中心ではあるし、いろいろチベット的なエッセンスが集まってるというか、松島さん、今回とくにチベットエリアってことで旅行に来たんスよね?」
「そうですね、チベットエリアっていうか、まあ、チベット的なところ? でもチベット自治区は許可証とか面倒そうなんで、とりあえずこのへん、みたいな」
「法律破ることだから奨励するわけじゃないけど、パーミットは実際は有名無実ってか、持ってなくても行く手段はいくらでもあるし、行っちゃえば誰も何も言わないっス」
「なんでですか?」
「個人旅行者が落とす金がバカになってないんじゃないかな。観光開発してお金を儲けましょうってのは政府の方針だし、ラサとか、観光関係で食ってる人多いから。それに中国の役所って、お互いの横の繋がりがものすごく弱くて、役人も仕事したくないから自分の仕事に関係ないことには何も言わない。TARのパーミットだと、出すのはTTB、TARの観光局なんで、ラサの公安局的にはラサに来ている旅行者はTTB通している前提だし、外国人出入境管理法の管轄は公安局の仕事だし、何か起こんない限り現行のままでしょう」
「何かって?」
「ラサの仙人がね、来年の夏は取り締まりが厳しくなるだろうって。オリンピックのあたり」
「オリンピックって、観光客呼び込もうとしてるんじゃないですか? 取り締まるって、許可証持ってないと入れないってことですよね?」
「そこはそれ、政治っスよ。中国って国は秘密が多くて、外人には見せたくないものがたくさんある。チベットは独立問題がくすぶってて、いつでも燃えあがる可能性がある土地っスからね、亡命チベット人側は、オリンピックで中国に注目が集まるからチャンスだとみる動きがあるらしいっス。で、内地のチベット人がそれに呼応しないとも限らない。中華民族ひとつの幸せな家族アルよとか言ってる手前、もし問題が起こったときにはそれを外人に見られるのはマズいと。だから外人は締めだすかもしれない。って、ラサの仙人が言ってたっス」
「なんか、こうして見てると、ふつうにみんな何事もなく暮らしてるように見えますけど、深いとこではいろいろあるんですね」
「まあね、何回か来ると、おかしいなって思うことがありますよ。で、なんだっけ、ラサ? まあ行ってみる価値は、あると思いますよ。なんでもあって便利だし」
「なんでもあるんだ」
「成都並みとはいかないまでも、ダルツェンドを越えるくらいなら。ネパール料理屋は多いし、なんちゃって日本食とか、本物のケーキとか、コーヒーも飲める。とくに、インドネパールからの輸入ものはビスケットからインスタント麺からなんでもうまい」
「なんか、食べものばっか。女の子がかわいいとか言いだすかと思った。ああ、だからカムパーなんですか?」
「いやそれは、どうかな。それも、なくもないかも」お茶を飲み干すと、「そろそろ、帰りますか」
ノブさんに言われて、ようやっと宿に戻る気になった。今日も、帰って寝るだけ。
十二月十二日
私のガウが見つからない。胸に手を当ててから、あちこちポケットを探ってみる。バスの中のノブさんは、私が乗っていないことに気づいていない。サブザックを開けて手を突っ込んで、ゴソゴソと中を探る。やっぱり見つからない。もうバスの発車時間、あせってバックパックの中身をぜんぶ広げて、そこで目が覚めた。
サイドテーブルを見ると、ガウはちゃんと夜寝る前に置いたようにそこにあった。安心して、はあと大きな溜息。
もう九時前。窓に日が差しているけれど、珍しくノブさんはまだ布団の中。三ヶ月洗ってない犬臭がすると言っていたその布団を頭からかぶって、人の形に盛りあがっていることで、ノブさんがそこに寝ているのがわかる。起きあがってそっとカーテンを開けたら、窓の日陰の部分は真っ白く凍り付いていて、日の当たったところではそれが融けてサンに水が溜まっていた。
「呼気が結露するんだ。意外と気密性が高い」
ノブさんの声。
「ごめんなさい。起こしちゃいました?」
「起きてはいましたよ。起きあがっていなかっただけで」
「珍しいですね。ノブさんがこんな時間まで」
「今までけっこうハードな日々を送ったんで、ちょっと休憩」
ノブさんは、コーヒーを飲んだり部屋の外に出てタバコを吸ったり、お昼前にようやく始動。
二人で、すぐ近所のセゴン寺に行った。
平地に建っているから、いちいち坂を上り下りする必要がない。小型のマニ車が並んだ回廊に囲まれていて、その内側に僧坊とお堂。中心のあたりの大きな本堂は南向き、石畳の前庭は鉄の柵で四角く囲まれている。その中に赤い袈裟のお坊さんが何人も集まって、ンガとスィルニェンの音に合わせて踊りの練習をしていた。
「ここも、チャムやるんですか?」
「一月だったかな? 真冬にここらへんに来るチャンスがなかなかなくて、見たことはないけど」
本堂の西隣にある大きなラプツェを右回りに歩きながら、ルンタを撒いている人がいる。
「カムとかアムドだと、峠以外でもああやってルンタ撒く機会が多いんスよね」
そう言って、ノブさんもラプツェの方向に歩いて写真を撮る。その向こうには、大きなチョルテン。中はお堂で、頂上まで急な階段を使って登れるようになっていた。チョルテンの頂上から景色を眺めると、遠くの山の端が白くかすんで空の中に溶け込んでいる。
チョルテンのお堂から出ると、なぜかノブさんは、本堂には入らないで帰ろうとする。
「お寺ん中、入らないんですか?」
「ここはねえ、チケット制なんスよ。それにアムドって、ふつう寺の中にお参りする習慣があんまりないんだかなんだか、中入ろうとする人そんなに見ないんスよね。郷に入りては郷に従えというか、ゴンパって本来修行の場なんで、むやみに入れてくれってのもなんだし、チケット買うってのもなんかなあと思うんスよ、俺は」
「なあるほど」
熱心にお経を唱えながらお参りしている人たちを見ていると、日本的な感覚で観光地に来るのとは違っているようにも思う。
次に、キルティ寺に向かって大通りを歩く。雲はほとんどない快晴で、日向では暑いくらいなのに、日陰には雪が何センチか積もったままだった。
歩きながらノブさんに、「チベットの観光資源って、なんでしょう? お寺?」
「手つかずの大自然の景色と、いわゆるラマ教情緒ってやつ? けっきょく寺か。ただ、自然を売りにしてるわりに開発優先で、ひどいことになってることが多いっスよね」
「ああ、デチェンで見たんですけど、カワ・カルポ見るとことか、少し外れると建物の廃材とか崖から捨ててあって、いいのかなあって思ったんですよね」
「もともと中国にエコロジー思想って概念が存在してないから、なんでもそう。フォロースルーがなくて、とりあえず目先の金儲け優先。ナムツォって湖、知ってます?」
「すいません。チベット?」
「サラから車で日帰りできる距離にある湖で巡礼地なんだけど、湖岸に大きな岩が二本ばかし立ってるんスよ。ナムツォ・ドリンって、ドリンは石碑とかオベリスクって意味。漢人のツーリストってのはどこどこに行ったって証拠の記念写真を撮る必要があるから、そのドリンにナムツォって漢字が書いてある石のプレートがはまってる。そこでポーズとって写真撮って、あとでナムツォ行ったアルって自慢するわけだ。自然公園に行きましたって証拠を不自然な人工物の前で撮る。意味わかんねえ。ナントカ自然公園とか何十元も入場料取って、どんだけ自然保護に役立ってんだか」
「ノブさん、エコロジストなんですか?」
「うーん、気にはしているが、過激派ではない?」
「それは、心では思っていても、口にはしないってこと?」
「たとえば日本の山小屋で聞いた話だけど、昔は山小屋のトイレってぜんぶ垂れ流しだったんスよね。それが、夏の登山者のトイレ問題があちこちで騒がれて、山小屋みんな環境に優しいとかってハイテクなトイレを新しく造ったそうなんス。で、たまったウンコを外に流すこともなくなって地球に優しい、よかったよかった、と。でもね、前は夜だけしか電気使ってなかったのが、今ではそのハイテクな屎尿処理のシステムを動かすのに一日中電気が必要になったらしいっス。山小屋はみんな自家発電だから、単純に考えて二酸化炭素排出量が二倍。世界中で二酸化炭素を減らしましょうってご時世なのに。でも、山の景観保護なんとかって言ってた人たちは、そんなことまで気にしていない。グリーンピースとかシーシェパードもそう。鯨保護しようって、その抗議船の出す排気でどれだけ地球が暖まってんだか」
「そういうのってつまり、フォロースルーがないってことですか?」
「本当に地球環境を守りたいんなら、今すぐ服を脱いで狩猟採取生活に戻るべきだけど、それは無理でしょ? どこかで折り合いをつけて、生きてかなけりゃあならない」
「なんか、ある意味過激派ですよね」
「そう? こう、ウンコの処理に目くじら立てるとかじゃなくて、もっと頭からケツまで、ケツがまた頭に戻るんだけど、そういうシステム全体を考えたプロジェクトとか、チベットでやれたらと思いますね」
「そこでまた、チベットに戻るわけですか」
「だって、ひどいじゃないですか、チベ人。なんでもかんでもそこらにポイポイ」
「ああそう、バスの窓からビール瓶とか。あれはびっくりしました」
「もともと、広い国土に少ない人口が散らばって動物製品とか使ってるうちはよかったんだろうけど、急激な都市化でね。俺、初めて来たとき、ビニール袋に衝撃だったっスよ。遠くから見るとピンクとか黄色で、きれいだなあと思って近づくと、あらびっくり。チベットがゴミの山になる前になんとかしないと。って思うんだけど、なかなか」
「そういうNGOとかはないんですか? ノブさんが作るとか」
「いくつか入ってるみたいだけど、この国では外国人がそういう活動をするのはいろいろと難しいし、俺には何より先立つものが」
話しながら、キルティ寺の前に来た。ここも大小いろんな大きさのマニ車が並んだ回廊に囲まれていて、そこを大勢の人が右回りで歩いている。
「すごい人出ですね」
言いながらノブさんを見るとチベット服の子どもに何か話しかけていて、その子は泣きそうになって、お母さんだろうか、女の人のチベット服にしがみつく。
「だめですよノブさん! 怖がってますよ」
「ははは。アメリカ行こうって言っただけなのに」
ガラの悪いサングラスは相当お気に入りらしいけれども、見た目がものすごく怖い人になっている。
「あのくらいの姪っ子がいるんですよ。子ども、かわいいなあ」
もう何日目だったっけ、ダルツェンドを出てから、ぜんぜんメールを見ていない。みんな心配しているんだろうか。心配しているんだろうけれど、私のほうはもうどうしようもないというか、しばらくしたら成都に下りる予定だし、そのときまとめてチェックしようくらいに思うようになった。
お寺の西の小山の麓には白い大きなビルみたいな建物があって、屋上に金色の仏像がのっている。
「あれ、なんですか?」
ノブさんに聞くと、ガラの悪いサングラスを取ってメガネをかけ直す。
「ああ、あれは大タンカのディスプレイ台。あの大きさだとたぶん、チベ語でゲクっつうんスけど、アップリケの大きな仏画を、あの屋上からつり下げてご開帳するんスよ」
「頂上の、あの仏像は?」
「あの金色いやつはね、シュールっスよね。インドのセンスってか、いただけないっスね。チベ人のあのセンスだけは」
「シュールと言うか、インドのセンスなんですか?」
「インドとかネパール行くとあんなの多々あって、どうかなと思いますね、俺は。キルティは本部がインドに移ってるから、ああなるんスかね」
「本部がインドって、亡命?」
「そう。キルティ・リンポチェは亡命されて、ダサラにマンションみたいな再建バージョンがあるっス」
亡命バージョン。誰もがみんなインドを目指す。インドのチベットの様子も、見てみたいと思い始めた。
タンカ台よりも手前、キルティ寺の一周巡礼路から少し外れたところに、壁に囲まれたお寺風の建物がある。
細い小川を渡って門をくぐると、中庭にはラプツェが二つ門のように並んでいて、その間にある一辺が二メートルくらいのコンクリート製の四角い箱型のものの胴体に開いた口に、杉だか松の葉を放り込んでいる人がいる。箱型のてっぺんからはモクモクと白い煙。そして、ラプツェの周りでさかんにルンタを撒く人たち。中庭一面、敷き詰めたようにルンタが落ちていた。
奥の建物の周りを、大勢の人がグルグル回っている。
「ここも、お寺ですか?」
ノブさんはまた、ガラの悪いサングラスを度の入ったメガネに変えながら、「キルティのゴンカン、つまり、護法神のお住まい」
「お祭りですか?」
「いや、ふだんからこうっスよ。仏ってのは超越者でもうこの世とは関係ないもんだから、もっとこう、現世的なことをお願いするのは下位の神様に頼ることが多い。神ってのは恐ろしいもんだから、お怒りにならないように、捧げものをしたり」
お参りの人たちに混じって、私たちも右回り。前を歩くチベット服の女の人は右袖を脱いでいて、そのチベット服の背中から、赤ちゃんの頭がにょっきり出ている。ノブさんが手を伸ばして、その赤ちゃんのかぶっている毛糸の帽子に触ろうとしていた。
「だあめ、ノブさん! 赤ちゃん起きちゃうじゃないですか!」
彼はヘヘと笑って、手を引っ込めた。
「でも、チベット服って便利ですね。赤ちゃんまで入っちゃうんだ。かわいい」
「かわいいとか言ってると、子どもくれてやるぞって言われるっスよ」
「なんですか、それ」
「アムド人とか、本気かどうかは知らないけど、子どもと遊んでると、欲しいならやるぞってよく言う」
またヘヘと笑った。
一周終わると、少し開いている扉の隙間から、二人でお堂の中をのぞき込む。さらに中庭になっていて、その奥がお堂だった。
私が質問する前にノブさんが、「グラウンド・ルールってのか、ゴンパによっていろいろあって、ここは一般人立ち入り禁止」
また歩き始めて、私もいっしょに右回りを続ける。
「わからないと、大変ですね」
「まあ、坊主に怒鳴られるんでそんなときは入んないほうがいいってことで、とくにゴンカン関係は多いっスよ。女の人入っちゃいけないとことか、中央チベットでもけっこうある。しかも、そんなとこに限ってシブいものがあったりしてね」
「なんか、ずるい」
「それは、しょうがないっスよ。五障といってね、女人は帝釈天とか仏にはなれないって、法華経に書いてある」
「どんなに修行してもだめなんですか? 尼さんとかは?」
「まあいろいろあって、成仏する方法もなくはないことになってたりはしますが」
「ふうん」
「釈尊のおっしゃったことはともかく、世相というかそんなものが常に反映されてる以上は、男尊女卑的になるのはしょうがないっスよ。ただまあ、経典の解釈にはいろいろあって、仏教は女人禁制なのかってえとそうでもない。こういう、護法尊を祀るとかって習慣は、もともとはチベット土着のもんっスからね」
一瞬、強い風が吹いた。中庭に積もっていたルンタが舞いあがって、吹雪のようだった。
お堂を三周回ってから、キルティ寺の巡礼路に戻る。ふつうに歩いているうちは息苦しさを感じなくても、セゴンとキルティ、大きなお寺を二つ回ったらさすがに疲れた。遅いお昼ごはんを回族食堂で食べて宿に戻ると、午後は洗濯をしたり本を読んだり。夜はまた一階のチベット食堂で、そういえば昼も夜も面片だったっけ。
寒いし、いつものように音楽を聞きながら布団の中で丸くなって、いつの間にかノブさんが部屋の電気を消す。
心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その6 ンガジョン・チュクモ-豊穣なるンガワ