リラの花が咲く頃に 第13話

かぐらゆうい

リラの花が咲く頃に 第13話

「結婚をする為に大切なことは」


時は3月になった。

札幌はまだ春には程遠く、アスファルトに雪が残っている。

春休みを利用し佳奈子は先生としょう子が眠る函館へと向かった。

丘珠空港から函館空港までの便は1日6便。車で約4時間のところを飛行機では約40分で着いてしまう。

佳奈子は右耳の耳抜きを苦手としていて、それに必死になるあまり外を楽しむ余裕などなかった。それに付き合う先生もだが。

2人を乗せた飛行機は問題なくスムーズに飛行し、函館空港に着陸した。

函館の地に踏み入れると、風がふわりと駆け抜けて佳奈子のワンピースの裾を揺らした。


(ここが、しょう子さんが生まれ育った函館ーー)


しょう子はここ函館で生を受け、札幌の高校に入学するまで育った。

母が歌う「立待岬」の歌を一緒に口遊みながらこの地を歩き、漁師で頑固だった父に反抗していたというのが葬儀に来ていた近所の人の証言だ。

駅前ターミナルから市電2系統の各停に乗り込む。

佳奈子は駅前の花屋で買ったすずらんの花束を見つめながらしょう子を想った。


(しょう子さん…これからあなたに逢いに行きます。待っていてくださいーー)


立待岬の最寄り駅・各地頭駅に着いた。ここから16分程歩くと津軽海峡を望む立待岬である。



「もう少しだね、先生」


「ああ」


立待岬は冬の冷たい潮風で2人を包み込むと、詩人の与謝野夫妻の歌碑と共に迎え入れる。

佳奈子と先生は崖の上の黒い柵の上に立つと、すずらんの花束を足元に置き手を合わせて黙祷を捧げた。

長い黙祷のあと、海を眺めながら先生は口を開いた。



「しょう子さんはこの立待岬から見える津軽海峡が好きで、ここに来ると「立待岬」を口遊みながら海を眺めてはしばらくここを離れなかったそうだ」



太陽の陽に照らされブルーサファイヤの如く光る輝く津軽海峡。



「『死んだら私はこの海になりたい』って言ってたみたいで、亡くなった時散骨してその願いを叶えてあげたんだって」



時には陰鬱に青黒ずんで狂った人間の如く激しくうねって命をも奪い去る狂気に満ち、時には冬でも温かい水温で人々を温かく出迎える津軽海峡の海。27歳という若さで儚く、そして美しく散っていったしょう子の命そのものだと佳奈子は感じた。


「しょう子さんを感じる…まるで側にいるような…」


佳奈子は海に向かって口遊み始めた。しょう子が好きだった「立待岬」をーー。


「♪霧笛かすめて飛び立つ海猫(ごめ)よ〜」


それは2番の歌詞だったが、しょう子に捧げるならば切ない恋を歌う2番だろう。


想いを込めて口遊むうちに、どこからかしょう子の声がしてきた。佳奈子の歌に合わせて口遊んでいるようだ。


「♪あなた あなた 待ちます
この命涸れ果てるまで〜…」


しょう子の優しい歌声は2人の耳から心へと響いてきた。目には見えなくても、しょう子が側にいることを感じ取った。


「また来年も来るからね、しょう子さん」


来年もまたしょう子さんに逢いに来よう、そして彼女を思い出してあげるんだ、佳奈子はそう心の中で誓った。



2人は気がすむまでしょう子を偲び、再び約40分のフライトで札幌に帰ってきた。しかし、丘珠空港に着いてから佳奈子の様子がおかしい。


「佳奈子、大丈夫か?」


「軽いめまいがする…」


「少し座って休もうか」


待合の席に並んで座り、先生の肩に頭を預ける。


「帰る前に、うちで検査するか?」


病院で検査する程のめまいではなかったので佳奈子は断る。


「ううん…大丈夫、多分慣れない飛行機に乗ったりして疲れが出ただけだと思う…」


「そうか…じゃあ、少し休んで帰ろうか」


「…いや」


いつもなら聞き分けのいい佳奈子が首を振り、先生の腕にしがみつく仕草をする。


「もっと…もっと一緒にいたい…」


これは何かおかしい。先生には佳奈子が何か隠していると判断した。


「…何かあったか?ん?」


佳奈子の頭を優しく撫で、宥める。


「先生には敵わないな…すぐにわかっちゃうんだから」


「そりゃわかるよ。こんだけ一緒にいれば隠し事くらいすぐにわかるよ」


「実はね、さっきLINEで珍しくママが来てるっておばさんが…」


「めまいの原因はお母さんか」


「うん…」


佳奈子のめまいは耳鼻科的要因の時もあるが、時に精神的要因のことも多い。今回は苦手としている実の母親・佳苗が燕家に来ているということが精神的に佳奈子を追い詰め、めまいを引き起こしたというのが見解だ。


しかし、逆に先生にとっては好都合な展開。滅多に現れない佳苗が自ら燕家を訪れているのだ。佳奈子には申し訳ないが、今回はここで引き下がるわけにはいかない。


「佳奈子、ごめん」


「え…?」


「今日はこのまま燕家に帰ろう」


「どうして?」


「宗教熱心で家庭を省みない酷いお母さんだとは思うけど、佳奈子を産んでくれたのはそのお母さんたった1人だ。だから今日はそのお母さんに会わせてほしい。今回逃したらまたいつ会えるかわからないんだろ?」



「それは…そうだけど」


自分が信仰する宗教を信仰しない娘など娘と認めない佳苗の尻尾は今回を逃せばまたいつ掴めるかわからないのだ。だから今回は佳奈子には悪いとは思いながらも佳苗に会う選択をした。


「…好きな女の子を産んでくれたお母さんには変わりないんだ。今日はお母さんに会わせてくれないか?」


「それって…」


「佳奈子が成人したら、ちゃんと籍入れたいからさ」


先生が佳奈子を真剣に愛しているという証拠だ。しょう子に認められた、次は佳奈子の母親ということだろう。佳奈子は嬉しすぎて泣きそうになり、声が震える。


「…いいよ。私の…私のお母さんに会ってください」


どうしようもない母親でも、やはり佳奈子を産んでくれた以上は佳苗が母親なのだ。これまで佳奈子を育ててくれたのはおばである知世だが、産みの親とはやはり違う。大切な人ができた時に会わせるべきなのは、自分を産んでくれた実の母親なのかもしれない。


知世に電話で事情を説明し、佳苗が何が何でも逃げないようにしてほしいと頼むと、すぐに燕家に向かった。



燕家の玄関フード内。

佳奈子は隣にいる先生を見る。

緊張などあまりしないイメージが先生にはあったが、今日に限っては少し緊張している様子だ。


「…先生、いくよ?」


「うん」


インターホンの呼び出しボタンを押すと、「はい」の返事共に知世が玄関のドアを開けた。


「いるわよ猫宮のボスが。先生、緊張なさってますか?」


「…はい、まあ」


「大丈夫です。常識が通らないだけであの人も私たちと同じ人の子ですから。さあ、上がってください」


知世の足元から見える佳苗の黒のショートブーツがとても威圧的で、先生とはまた違った緊張を佳奈子は感じた。ここ何か月と顔を合わせていない佳苗と30分以上顔を付き合わせると言うだけで気分は最悪だ。


靴を脱ぎ、佳奈子から先に居間に入りドアを閉める。


猫宮のボスは窓辺の3人掛けソファーでリラックスモードなのか、横になりながらタバコをふかしていた。


「あらぁ、もう来たの?もっと先生とのんびりデートしてきても良かったのにね?」


早速佳苗の嫌味が飛び出した。この人にとって嫌味は挨拶のようなもの、先生に対してどんな嫌味が飛び出すかわからない。


「どんなのと付き合ってんかしら?さっきおばさんから17歳差って聞いたわ。17も上だと30…あ?いくつだ?あんたの歳いくつだか忘れちゃったわ、産んだだけだからさ」


佳苗は酒とタバコで潰れた声でゲラゲラ笑う。品のない笑い方だ。


「今年で20歳になるよ。成人式も済ませた」


「もうそんなんなったんだっけ?ふーん。信仰心を持たないあんたなんか、あたし興味なくてさぁ。てことは、35、6ってとこか。ジジイ一歩手前の奴、早く連れてきな」


ムカついた。自分はもうとっくのとうにババアだろ。棚に上げやがって…佳奈子は握り拳を握る。しかし、今怒りを露わにしては負けだ、落ち着こう…。

佳奈子はドアを開けて先生を居間に通すと、佳苗は頭の先から足先まで舐めるように先生を見た。


「…いい男だね。そこ座んな」


(え…)


佳奈子は忘れていた、佳苗の面食いを。


(そうだった…ママはかなりの面食いで、顔とお金だけで結婚相手を決めたんだ…)


佳苗はその昔、当時会社経営者だった佳奈子の父・慶一と会内で出会い、顔が良かっただけで自分から結婚を申し込んだ女だと知世から聞いていた。


(あー、親を選べないとは本当に苦じゃ…。てか、パパもこんな女に引っかかってバカだったのね…)


自分の親について悔やみ頭を抱えていると、先生を気に入った佳苗はタバコを一本先生に差し出していた。


「だいぶ緊張してる様子だね…吸うかい?」


「いいんですか…?すいません、いただきます」


いつも吸っている甘いタバコよりきついタイプのタバコだったが、緊張していた先生はありがたく吸い始める。


「何年吸ってるの?長そうだねぇ」


美味そうに吸っている彼の様子で喫煙歴が長そうだと佳苗は判断した。


「かれこれ10年は吸ってます」


「普段は何吸ってんのさ?」


「甘いのを」


「あー、やっぱりそうかい。なんかホットケーキっぽい匂いがするんだよねぇ」


「匂いでバレちゃいましたか」


「昔、この子の父親と出会う前に付き合ってたバスの運転手が吸っててねぇ…多分銘柄は違うけどホットケーキっぽい匂いでさ…思い出したよ」


(初めて昔の恋人のこと聞いた…)


「あと…ホットケーキって言ったら、昔佳奈子が小さい時は姉さんにホットケーキ焼いてもらう度にホットケーキの匂い漂わせて帰ってきたもんだよ。ホットケーキ好きだったみたいでほんと喜んでた」


(たまには…母親らしいことも言うんだこの人…)


数少ない娘との思い出を語り、佳苗は遠い目をしながらタバコを吸う。いつもこんな感じで娘との思い出語ってれば普通の母親となんら変わらないのかもしれないが…。


「姉さん、なんかお酒ある?できれば冷えたビールね。あとぉ、鮭とばとかつまみちょうだい!」


「あんたね、ここは居酒屋じゃないのよまったく…」


自由すぎてこんな女を母親だと思いたくない気持ちになる。ほんと、顔合わせる度不快でどうしようないし、先生に会わせてしまったことを後悔しそうだ。


「娘の彼氏がお参りで疲れてるはずなのにわざわざあんたに挨拶しに来てくださったのよ?いい加減起きてちゃんと座ったら?ほらビールお待ちどう」


佳苗の目の前に瓶ビールとグラス、つまみの鮭とばが置かれる。


「ほんと、こんな人でごめんなさいね、先生」


「何が『こんな人でごめんなさいね』さ?…あれ?この人の分は?」


「先生は車で来てるから飲めないわよ」


「あ、そうか…じゃあ、今現れたこの髪の長い女の分のグラスは出してあげて」


佳苗は先生と佳奈子との間に急に現れた“髪の長い女”対して指を指す。


「はぁ?何言ってんのあんた、まだシラフよね?」


知世には見えていない様子だ。佳奈子は恐る恐る後ろを振り返る。


「…しょう子さん」


「え…?」


先生にも見えないその女は、先程立待岬で偲んだはずのしょう子だった。


佳奈子は先生に耳打ちして教える。


「しょう子さんが来てる」


「マジで…あ、そっか」


最初は驚いた様子だったが、すぐに何か思い出した様子だ。


「確か、しょう子さんは無類の酒好きらしいんだ。それで来たのかも」


「そうなの…?」


「俺の代わりに飲んでもらおうか」


「そだね」



2人はしょう子が飲めるように間を空けた。


「しょう子さん、どうぞ」


「ありがとうっ♡」


久々に酒が飲めるとしょう子は上機嫌だ。


「お、あんたが代わりに飲んでくれるのかい?姉さん、もう一個!」


「…はいはい」


1人だけ霊感がない知世は訳がわからんと思いながら頼まれるままグラスをもうひとつ用意した。


「あんた、見た目は強くなさそうだけど、結構飲める口なのかい?」


「はい」


しょう子は得意の営業スマイルで大きくうなづいた。


「よし、じゃあ見せてもらおうかな」


しょう子のグラスにビールが注がれる。


「ほれ、お飲み」


「いただきます」


グラスに手を伸ばし、ビールに意識を集中させると、ぐびぐびと喉を鳴らしてその実体がないはずの体に流していく。


「見た目によらずいい飲みっぷりだねぇ、見てて気持ちいいよ。もっとお飲み」


しょう子は流れ作業で注がれるビールを次から次へと飲んでいく。


「プハーァ!!うんまい〜♡やっぱり冷えたビールって最高ぉ〜♡」


「だよねぇ〜!あはははは〜!」


「佳苗さんももっと飲みましょうよ?聡くん、注いであげてくれる?」


「はい」


「ありがとう!…おーとっと」


酔っ払い2人はかなり出来上がった状態だ。そんな酔っ払い2人を先生は手伝い、佳奈子と知世はそれらを見守る。


しかし、見守っている中で佳奈子はひとつ疑問に思った。


(なんでしょう子さん、普通に飲めてるの? )


初めて佳奈子の部屋で会った時は佳奈子の身体に触れることすらできなかったはずだ。それなのに、今日は生きた人間のようにグラスを傾けてその身体にへ流し込んでいるのだ。


一方で知世は白いローテーブルから少し離れた台所の食卓でコーヒーを飲みながらその“宴会”を異様に感じながら見ていた。


(…一体誰と飲んでるのよあの妹は…。佳奈子たちは変だと思ってないのかしら?)


見えないだけに終始見えない誰かが流れ作業のようにビールが消えていく様は、不思議で仕方なかった。


2つの見えない謎が空気中の塵の如く空間に漂う中、3時間ほどで“宴会”はお開きとなった。


そこそこ酒に強いはずの佳苗は顔を真っ赤にし酔いつぶれ、空瓶10本と空になった鮭とばのビニール袋が床に転がっている。


「はー飲んだ、飲んだ。ごちそうさまでした」

満足したしょう子は合掌し一礼する。


「2人ともありがとうね。あと佳苗さんも」


眠っている佳苗にも礼を言い、グラスにすずらんを一輪挿す。


「しょう子さん」


「ん?」


「…俺の代わりに飲んでくれてありがとう」


「いいわよ。死んだ私が遺していった大事な人にできることはこれくらいだもの」


「ありがとう」


「佳奈子ちゃん」


「…はい?」


急に話を振られて佳奈子はドキッとした。


「あとは佳奈子ちゃんが聡くんフォローしたげて。聡くん、大人だから顔に出さないけど、佳奈子ちゃんと同じでかなりお母さんのこと苦手みたいだからさ。やばい時はおばさんに助けてもらってこのいい空気を乱すことの無いように」


「わかりました…」


「そんじゃあ、頑張ってねー♪」


しょう子はすずらんの花を一輪ずつ佳奈子と先生の足元に落として消えていった。


「まったく、こんなに酔い潰れちゃって…。先生、うちのバカ妹がこんな醜態晒してほんとごめんなさいね。恥ずかしいことにこれが佳奈子の実の母親なのよ」


「いえ、構いませんよ。一度ご挨拶できただけでも良かったですから」


「そう…?って、このすずらんなんなの?」


「しょう子さんが置いていったの」


「へぇ…私、霊とかそういう世界のことはよくわからないけど、こうしてみると本当にいるのね…」


しょう子が置いていったすずらん3輪は花瓶に入れられ、仏壇横の供物などを置いているローテーブルの上に飾られた。




「おばさんも謝ってたけど、本当にあんなママでごめんね…」


せっかく先生が実の母親に会わせてほしいと言ってくれたにも関わらず、その母親が下品なただの飲んだくれで佳奈子は謝っても謝りきれないで再び謝った。


「なんも俺は気にしてないよ。寧ろ逆にお母さんが堅くない人でよかったくらいだよ」


「そう…?」


「それより俺はこんな遅くまでいて、晩御飯をご馳走になることの方が心苦しいところではある…」


今晩は滅多に顔を出さない佳苗もいて知世が手料理を振舞うということになったのだ。そのため先生はすぐ帰るわけにはいかず、出来上がるまで佳奈子たち2人は2階の佳奈子の部屋で休んでいる状態だ。


「明日は確かお仕事だったよね…?」


「そうだよ。でもしょうがないよ、お母さんには滅多にお会いすることができないんだからさ」


「まあ…そうだね」


佳奈子は先程の佳苗の立ち振る舞いを振り返っていた。来客に対して横になった状態で出迎えたり、酔っ払ったり、他人のふりをしたいほど佳苗の振る舞いは下品でとても褒められたものではなかった。


「佳奈子」


「…へ?」



「今お母さんのこと考えてた?」



「うん…」


「佳奈子からしたら他人のふりしたいくらい嫌なお母さんだろうけど、もうあのくらいの歳になっちゃったら人間スタイルは変えられないから直すことはできない。宗教も何十年やってたらやめさせることは不可能だからこっちが寛容的に接するしかないよ。な?」


「そうだね…」


「納得いかない?」


佳奈子は静かにうなづく。


「…だって、家族を壊した原因も、お父さん苦しめる原因も、全て宗教だもん。頭ではやめさせることはなできないってわかってても許すことはできなくて…」


「そうか…」


ーーチリチリーン


知世が1階の居間から2階に向けてベルを鳴らした。


「ご飯できたって!先生行こう!」


「ああ」


佳奈子は心の闇があっても、食事で満たすタイプだ。


「今日はなんだろう♪」


階段を降りる足が軽やかになる。しかしそれは一時的なことは先生にもわかっていた。

佳奈子の大食いは幼少期からの心の闇だ。どんなに食べても太らないのは体質。心の闇を消し去らない限り、無限の食欲はおさまらない。


(なんとかしてやりたい…)


佳奈子の心の闇の原因を作ったのは佳苗だ。その精神的ストレスによって元々弱かった右耳に真珠種性中耳炎の最初の症状があらわれ、再発、目眩を繰り返している。

精神科は専門外だが、大学からの親友が精神科医で時々連絡を取り合っている。彼には佳奈子のことを話し、どうしたらいいかなど相談に乗ってもらっていたが、やはり佳苗が原因のため佳苗との問題を解決しなければ根本的解決にはならないと言われた。

今回佳苗と対面し思ったことは、新興宗教を信じている云々を除いても、佳苗は常識外れで母親として佳奈子を全く思いやる気持ちが皆無だということ、酒がなくては本人も場を持たせることが出来ず真面目な話から逃げてしまうことだ。佳苗もかなり精神的に弱いタイプと先生は見た。これはかなり難しい問題であることは確かだった。


1階に降りると食卓にところ狭しとご馳走が並べられていた。


「さぁ、先生も食べよう!」


既に佳奈子の口元にはご飯粒がついていて、待ちきれなかった様子だ。

今夜の燕家の晩御飯は寿都産のごっこ(ホテイウオ)を使ったごっこ汁、皿いっぱいのザンギ、北海道産のイカを使ったいか里大根、白米はゆめぴりかである。そしてデザートはかぼちゃの汁物。北海道の郷土料理で視覚的にも満腹になる。


「先生も召し上がってくださいな」


「すいません、突然だったにもかかわらずここまでしていただいて…」


「なんもいいのよ。あんなのもいるから突然の訪問には慣れてるんですよ」


あんなの呼ばわりされた佳苗は仏間でぐーすか気持ち良さそうに眠っている中、「いただきます」と手を合わせ食事を始める。


「おばさんの手料理、ほんと美味しい」


「そう?ありがとう。今度はあんたが先生に作れるように仕込まないとね」


「あ、そうか。結婚したら私が作らないといけないんだ」


「そうよ。先生、この子かなり食費かかりますけどよろしくお願いしますね」


「ええ、覚悟はできてますから」


「まぁ、先生なら大丈夫かしらね。おかわりいっぱいありますから食べてください」


「ありがとうございます。知世さんの手料理、美味しいですね」


「ありがとうございます。あとはいっぱい食べてくれる旦那様が私にもいればなぁって思うんですけど」


「ほんともったいないよ。美人でこんなに料理だってうまいのに、世の中見る目がないのね」


「佳奈子、褒めても何も出ないわよ〜」


笑いが絶えない食卓…全ては佳苗に放置され愛情不足の子供にならないように知世が数年間努力を続けてきた結果の賜物だった。

本当は苦手だった料理も佳奈子のために練習をして きたことを佳奈子は陰ながら知っていて、その口から出る褒め言葉は母親代わりをしてくれた知世に対して感謝から出るもの。


「おばさん」


佳奈子は箸を置いて改まる。


「いつもありがとう。本当は苦手だった料理も私のために練習してくれたこと、私知ってたの。ありがとう、おばさん」


「…佳奈子」


「こんなに美味しいのは愛情がこもってるからなんですね知世さん」


「あらやだ…愛情なんて照れちゃうわ」


「おばさん、おかわり」


「はいはい」


育児放棄した佳苗の代わりに愛情を込めて佳奈子を育てた知世。そんな彼女を周りは半分気の毒に思っている。それは育てられた佳奈子も。

3人は食事を済ませ、食後に煎茶を啜る。


「おばさん」


「ん?」


「結婚とか…おばさんは考えたこと、ある?」


「結婚ねぇ…まあ、願望はあったから佳奈子くらいの時には今の会社に勤めて貯金始めてたわね。…先生との結婚、佳奈子も意識し始めたの?」


「うん…まあ、そうなんだけど」


「なによぉ?」


「おばさん、この20年間私を育てることに時間割いてくれてたわけじゃない。もしいい人がいるなら私いなくなるわけだしおばさん自身の幸せだって考えてもいいのかなって…」


おばへの感謝を伝える反面、内心では佳苗に怒りがおさまらず佳奈子は小さく肩を震わせて湯のみ茶碗を持つ手がカタカタと震えている。横で察した先生が背中を摩り、深呼吸をするよう促す。


「佳奈子…優しい言葉をありがとう。そこまで思ってくれてるなんておばさん嬉しいわ。でも、その思いの裏ではママのこと怒ってるのよね?」


知世も佳奈子の怒りに気づいていた。


「あの時、佳奈子立ち聴きしちゃんたんだもんね、大人の話…」


ーー佳奈子、11歳。


それは2月の真冬の深夜、佳奈子が週末燕家に預けられるために泊まりに来ていた時のこと。佳奈子はトイレに起きた。

トイレを済ませて2階に戻ろうとした時だった。


『佳苗、これは一体どう言うことなんだ』


『黙ってちゃわからないでしょう?ちゃんとお母さんたちにもわかるように話してちょうだい』


大きな声がし、玄関と居間とを仕切っているドアの前で立ち止まる。

ガラス窓から映るのは祖父母が佳苗に問い詰めているところだった。佳奈子にはわからなかったが、佳苗と知世当てに裁判所から封書が届いたからである。もちろん知世にはなんの覚えもないものだ。


『御本尊や祭壇を頂くためにお布施代が欲しかったのよ。だから最初は私のクレジットで借りてたんだけど使えなくなっちゃってさ、姉さん名義でカード作ってまた更に借りたらさまた使えなくなっちゃって』


『ばっかじゃないの?!勝手にカード作られて、身に覚えもない裁判に呼ばれるこっちの身にもなってちょうだい!』


『は?先生の御本尊や祭壇頂いて幸せになるためには多額のお布施が必要なのよ?姉さんだって幸せになれるはずよ?そのためのステップよ』


佳苗が娘に興味がなく、薄情な性格であることは佳奈子にも重々承知の上だったが、まさかここまで酷いとは思っておらず子供ながらに傷ついた。


『幸せにだ?!何千万も借りたままにした状態にされて、行きたくもない裁判になんか呼ばれなきゃなんないのに幸せもへったくれないもないわ!いい加減に教祖様のビジネスに乗せられてることに気付きなさいよ!それにね、私から借りた200万、いつになったら返してくれるわけっ?!』


『200万だって!?』


『知世、まさかそのお金は…』


『私の…20歳から貯めてきた結婚資金よ…』


その場が凍りつき静まり返る。


『あんたって子は…人が良すぎるよ』


ガラス窓越しに祖父母が嗚咽を漏らして泣いているのがはっきり見える。

知世が顔を上げると佳奈子と目があった。知世はハッとした顔をすると佳奈子はその場から2階へと逃げた。


佳苗の多額の借金発覚後、働かない佳苗に代わって慶一は自分の仕事以外にも知り合いの下請け会社から仕事をもらっては、寝る間もなく働き続けて身体を度々壊すことになった。

両親が家に帰らなくなり佳奈子は燕家で一時的に預けられることとなり、知世と祖父母らに精神的なケアも施された。しかし、子供ながら受けた傷は今でも尾を引いたままだ。


「あの日以来…家族が家族でなくなった気がしてるの。ママは更に宗教にのめり込むようになって家に帰らず宗教施設に泊まり込むようにもなって形としての機能すらなくなった。
愛なんて最初からないはずなのに、パパはなんで別れようとしないのかわからないよ。パパにだって幸せになれるみちがきっとあるはずなのにーー」



目の前が涙で滲んで見えなくなり、大粒の涙が零れおちる。


家族の幸せを思い、怒り震え、涙する優しい娘。が、その母親は大いびきをかいて眠っている。この状況に知世と先生は胸を痛める。


「あんたの母親は本当に最低ね。こんな優しい娘、ほかにいないわよ?私が佳奈子の立場なら今頃グレてどっか遠くに行っちゃってるわ」


「…おばさん」


「え?」


「ママ、お金持ってるはずなの」



「どう言うこと?パートもしてないのに」



「私、知っているの。ママがパパに隠れてネットオークションでパパの昔からのコレクション売って稼いでること…」



「うわぁ…なんでまたそれを?」


「この前自分の物を取りに家に戻ったらパパの物減ってて、変だと思ってパソコン調べたら…ね」



「先生、これって法律に引っかかりますよね?」



「器物損壊罪ですね。親告罪なんで佳奈子さんやお父さんが訴えなければ犯罪にならないんですけど」



「なるほどね…宗教やってる人がこんなことして、ほんとう宗教ってなんなのかしら。佳奈子、ママ叩き起こしてやろうか? 」


「…え?!」


知世の目は本気だ。怒りに満ち満ちて爛々としている。20数年の積み重ねてきた宿怨を晴らす時がきたようだ。


「…お、起こそう…」


思わず怯んでしまった佳奈子だが、一緒に起こすことにした。知世と共に宿怨を晴らす時なのかもしれないと思ったからだ。


人の気持ちも知らずに大いびきをかいて気持ちよさそうに眠る佳苗に、宿怨を晴らそうとする女2人が忍び寄る…。

リラの花が咲く頃に 第13話

リラの花が咲く頃に 第13話

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 成人向け
  • 強い性的表現
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日 2019-11-26

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