リラの花が咲く頃に 第12話

かぐらゆうい

リラの花が咲く頃に 第12話

「大切な人の過去を受け入れる為に大切なことは(2)」

あおいと大輔を乗せたタクシーは病院に着いた。


あおいのおじでありあき子の兄であるあきらが院長を務めるこの病院は、内科をはじめ、アレルギーの専門外来も扱っている病床数も多い大病院である。常日頃から聡を診ているこの病院ならば、聡の命も救えるかもしれない。


集中治療室に行くと母方の従姉妹の姉崎姉妹が見えた。当時まだ小学3年生と1年生だった幼い姉妹はお揃いのお団子ヘアが特徴的だ。2人は聡に大変懐いていたために、息をしていない聡の傍らにしがみつき、かなり泣きじゃくっている様子だ。



「お兄ちゃん起きてぇーっ!志穂(しほ)と遊んでよう!」



「お姉ちゃん、病院で…えぐっ…叫んじゃ…だめぇ…」



場所をわきまえず泣き叫ぶ姉・志穂を泣きながら注意する妹・志麻(しま)。

志穂はしっかり者のお姉さんタイプのあおいとは対象的に子供っぽく、妹と立場が逆転していた。いつも志麻が姉を宥めている。



「お兄ちゃん…グスっ…早く元気になって…うぐっ…志麻たちと…遊んでね」


他にも聊斎家と近しい親戚などが聡が眠るベットを囲んでいた。その光景を目の当たりにしたあおいは腰を抜かし、その場にへたり込んでしまった。



「大丈夫か、あおい」


「どうしよう…立てない」


立ち上がれなくなってしまったあおいを抱き抱えて廊下の長椅子に横向きに寝かせてやった。
先ずは気持ちを落ち着かせなければ…あおいの小さな手を握ると大輔は優しく話しかける。



「…びっくりしたな、あおい」


「うん」


「でも聡はきっと、眠ってるだけだ」



「うん。今は人より長い夢を見てるんだ。そのうちまたあおいに生意気な口きくようになるって」



「そうかなぁ…」



「少ない確率ではあるけれど目覚めることはあると思うんだ。だから今は聡のこと信じてあげないか?信じて待つことも愛だと思うよ」



大輔の優しいその一言で枷(かせ)がついていたあおいの心は少し軽くなった。昔から大輔の優しい言葉は落ち込んだあおいの心を軽くしてくれるのだ。


あおいは聡のことを信じて目覚めるまで待ってみることにした。


「大ちゃん…」



「ん?」



「私、聡が目覚めるなら、少ない確率ではあっても信じて待ってみる…!」


「うん、待ってやろうぜ。俺も一緒に待つから」



決意を固めた2人。しかしそこへ今は顔も見たくない人物が薄暗い廊下の奥から姿を現した。



「あおい…?」



「…しょう子…!」


しょう子はあおいの顔を見るなり気まずそうな顔をしてその場から引き返そうとした。それをすかさず大輔が止める。



「待てよしょう子!」



引き止める大輔の声にビクッと肩を震わせ動きを止めた。そして俯きながら恐る恐る2人の方へと身体を向ける。



「しょう子、お前…お前まさか、聡を…」



大輔の問いにその身を震わせながら答えた。



「そうよ…私が…私が聡くんを…誘って…」



その声は微かに震えていた。怖いのだろう、自分が仕出かした罪はもちろん、思い出すだけでもあの時の聡の姿は悍ましいものがあったから…。



「アレルギーのこと知らずに中学生誘って安いゴム使ってんじゃねーよ!それも友達の大事な家族、弟だぞ?!」


「だって…だって知らないものどうしようもないわ…!」



しょう子は泣きながら反論した。


しかしそれが大輔の怒りを買い、更に感情を昂らせた。


「知らないでこんなん済まされると思ってんのか?!お前聡殺そうとしたのと同じなんだぞ?わかってんのかよ!」



このままではしょう子に掴みかかりそうな勢いである。あおいは止めに入ろうとする。



「大ちゃん、もういい…もういいから!」


「いいわけねーだろあおい!この女はお前の大事な弟を色目使って誑かした上に殺そうとしたも同然なんだよ!このまま許すわけにいかねーだろ!」



「このまま許すわけじゃないよ!責めつづけたり殴るのが良い制裁方法じゃないと思うの。大ちゃんカトリックでしょう?こんな悪魔みたいな女が友達だなんて私嫌だわ!カトリックらしい制裁方法でこんなの追っ払ってよ!」


「…え?私…悪魔…?」


あおいが勢いに任せて言ってしまったことで話がややこしくなってしまった。悪魔扱いにされたしょう子もだが、大輔もポカンとしている。


だがそれが逆に良かったのかもしれない。感情的になっていた大輔が冷静を取り戻し、責める以外の制裁方法をおとなしく考え始めたのである。そして思いついたのか大輔は徐にコートのポケットから聖書を取り出すと、しょう子の頭の上にポンっと置いた。



(大ちゃん…私が勢いに任せて言ったこと、ほんとに実行に移すの…?!)



聖書を頭に置かれたしょう子は「は?」という表情を浮かべている。そんな彼女の前で大輔は十字を切ると、小声でブツブツ呪文を唱え始めた。


「…ゔっ!」


呪文開始3分でしょう子はうめき声を漏らしやがて顔を歪め苦しみ始めた。


「しょう…子…?」


弟を危篤状態に追い込んだ犯人だが2年間親友として過ごしてきたあおいの中ではしょう子はまだ親友のままだ。彼女の表の顔としての優しさ、女の子としてのおしゃれの才能、そして何より親友として苦楽を共にした過去は美しいままで本当に彼女がやったことなのか信じられない自分がいるのだ。その為、苦しみ顔を歪ませている姿を見るとやはりどこか心配になってしまう。とても複雑だった。



「お…お腹痛い…!トイレ〜ぇ!!!!!!」



しょう子はその美しい容姿とは裏腹の、まるで地の底から聞こえてくるような呻き声でお腹の痛みを訴えると、お腹を抱え廊下奥のトイレに向かって走って行ってしまった。



「お、お腹壊しちゃったの…?」


「やべぇ、この呪い(まじない)本当に効くんだ…」


「なんの、呪いなの?」



この状況についていけていないあおいの為に大輔は説明する。



「今のはな、昔俺の母さんが教えてくれた悪魔払いの方法なんだ。本当に効くなんてまじで俺自身びっくりしてんだけどさ」

「呪いが本当に効くとしても、悪魔ってあんな簡単に取れちゃうもんなの?」


大輔は聖書をポケットに入れながら答えた。


「いや、あいつに憑いてたのが『ベルフェゴール』って言う比較的取れやすいやつだっただけ」


「『ベルフェゴール』って…?」


「怠惰と好色の悪魔。自分って言うアイデンティティのない女性に憑きやすくて、憑かれると色仕掛けで男性に迫るようになる。あいつは暫く帰ってこないと思うしまた憑かれるんじゃないんかな」


また憑かれる…つまりこの方法は応急処置でしかないのである。

そしてその後、あおいがしょう子を探したがトイレにもどこにもいなかった。

冬休み明けに顔を合わすことはあっても会話をすることはなくなり、後日遂にあおいの方から絶交を告げたのだった。



聡は3日、4日…と経っても目覚めることはなかった。

「もう4日目だ…。あき子、あおい、すまないが万が一のことも考えておいたほうがいい。本当に…ごめんな」


院長・姉崎あきらは2人に万が一のことを告げると頭を下げた。その残酷な宣告にあき子とあおいは堪えきれぬ涙と共に嗚咽した。


その日の午後、あおいは汐川家が通う教会で洗礼を受け毎日神に祈りを捧げることを誓った。全ては聡の為だった。きっと神のご加護を信じて祈りを捧げ続けていれば聡は目覚めるはずだと。


大輔もあおいと共に祈りを捧げ続けることにした。彼女を元気づける為にも出来るだけそばに居られるように…。

その頃、夢の中の聡はしょう子と共に川原に来ていた。

美しい川には様々な人々が白装束の様なものを着て渡っている。その中では途中で渡れずに脱落している様子である。


川原では子供達が石を積んでいるが、昔桃太郎の絵本で見た鬼達に崩され泣いている。それらを見ていると川の向こう岸から聡を呼ぶ声がした。



「聡…聡…」



「あれ…ばあちゃん…?」



向こう岸で聡を呼んでいたのは5歳の時に亡くなった母方の祖母・あき代であった。


母のあき子が里帰り出産の際にはあおいと聡をとりあげ、人の生と死についてやアイヌ民族についてなどあらゆることについてわかりやすく教えてくれた人だった。


と、言うことは…まさかここはーー。



(ここは…あの“三途の川”…?)



聡は悟った。今自分がいる場所は生きている人間が訪れる場所ではないと。


ならば、今隣にいるしょう子は一体誰なのか…?



「しょう子さん」



「なに、聡くん」


「…あなたは、しょう子さんではないですよね?一体…誰なんですか?」


答える間に“しょう子ではない人物”は怪しげな笑みを浮かべた。風が吹き、長い黒髪が舞い上がる。



「聡、その子は人間じゃない!人の皮を被った悪魔だ!」



あき代に正体をバラされ、悪魔は真の姿を現した。頭にねじれた2本の牛の角、顎には髭(ヒゲ)を蓄え、美しいしょう子とは正反対の姿だ。


「聡!あんたはまだまだ生きるんだ!早く逃げて下界に帰んな!」


祖母の生前もおばあちゃん子だった聡は祖母の指示に素直に従った。


「わかったよ!頑張って生きるよ、ばあちゃん!」


聡は必死で逃げる。その後を悪魔は獲物を追うヒョウの如く追ってくる。しかし病弱で体力のない聡は息を切らし、足が縺れて転んだ。


このままでは悪魔にやられてしまうーー。

悪魔の手から逃れて再び元の世界へ戻らなくてはーー。


聡は再び立ち上がり走り出した。


しばらく走っていると目の前に森林が目の前に見えてきた。最後の力を振り絞り、全力疾走で駆け抜け森林へと入っていく。気がつくと悪魔はもう振り切っていた。


「はぁ…はぁ…ひとまず助かったのかなぁ…」


息を切らし、木の根元に倒れる様にもたれる。


「てか、俺どうやって元の世界に帰ればいいんだろう…?」


安堵の末に湧いてきた疑問。そして途方にくれた。


このまま帰れずにここにいるのはごめんだった。ブラコン気質の姉から逃れられるのは嬉しい。しかし、自分は先程祖母に言われた通り元の世界に戻って生きなければならない。


しばらく佇んだのちに聡はあてもなくただひたすら歩くことにした。真っ直ぐに歩いた先に見覚えのある大きな湖に遭遇した。


「支笏湖(しこつこ)…?」


支笏湖は北海道千歳市にある淡水湖である。四季彩の丘と思われる場所から走ってすぐ辿り着く場所ではないのだが。


あき代がよくあおいと聡を連れてきた思い出の場所、支笏湖。ここでよくスワンボートに乗ってはあき代の昔話を聞いたものだ。


そんな思い出n多い支笏湖だがいい話ばかりではなかった。日中は観光スポット、夜は心霊スポットに姿を変え、数々の心霊話をのこしている。その中でも有名なのは、死体が藻に絡んで浮かんでこないという話だ。


(やばい…俺もう帰れないんじゃ…)


途方に暮れた。目の前は心霊話がいっぱいある支笏湖、もう自分は元の世界に戻れない可能性が高いかもしれない…そう諦めかけた矢先だった。


(え…?)


誰かに背後から肩を叩かれた。振り向くとどこかの民族衣装を纏った少女が聡を不思議そうに見つめていた。


少女はあおいと同じくらいの歳なのか唇を一回り大きく見せるような刺青を施している。この刺青は成人したアイヌ民族の女性にするものだ。

「アイヌ…?」


少女はコクリと頷く。


(そういえば…本州豪族に攻め入れられた時、アイヌ民族はここに埋められたってばあちゃん
が言ってた…)


その話が本当ならば彼女もここに埋められた一人…。だとすれば彼女もここを彷徨っていることになる。聡は再び途方に暮れ、悲しくなってきた。俯く聡の目から涙が溢れた。


聡の突然の涙に少女は敵ではないと悟ったのかポケットから布を取り出し涙を拭ってくれた。その優しさに聡は実の姉を思い出した。


(姉ちゃん…今頃もしかしたら泣いてるかもしれない…)


涙を拭った少女はそばにあった切り株の上に座る様聡に促した。指示に従い座ると少女は聡の手を握り、アイヌ語で歌い始めた。その声はとても優しく、かつて子供かきょうだいに歌っていたのかと思わせる程だ。


(…これは「60のゆりかご」…ばあちゃんが生前歌ってくれたあの曲だ…)



幼い頃あき代があおいと聡に子守唄に歌ってくれた歌。今思えばなぜあき代はアイヌについて詳しかったのか…。今となっては知る由も無いが。


子守唄は走り疲れた身体に染み入り、軈て瞼がゆっくりと落ちて行き聡はそのまま少女の膝を枕にして眠りについた。


少女の歌が終わると聡の身体は眩い光に包まれていた。


「力強く生きるのです…生きる力を身につけ生きようとすれば、どんな状況下においてもカムイ(神)は力を貸してくださいます。さあ、生きるのです…」


アイヌの少女の言葉共に光に包まれた聡は元の世界へと帰っていった。


(…ま、眩しい…)


煌々と灯る蛍光灯の光が目に入り眩しい。

聡は探る様に目を動かしてみた。白いカーテン、白い壁、白い天井…。そして今自分は白いパイプベッドに寝かされているのか…。

息をする度に機械音がする。人工呼吸器が付いているらしい。

聡は悟った。ここは病院、きっと母方の親戚である姉崎家の病院に違いなかった。

窓側に目をやる。聡の手を握ったままあおいが眠っている。


「…姉ちゃん」


呼吸器越しに呼んでみるがあおいは起きない。

「姉ちゃん…姉ちゃん…」


今度は呼びながら手を強く揺すってみた。


「んん…さと…し?」


やっと目覚めた。


「姉ちゃん…」


ずっと付き添ってくれたのであろうあおいに向かって聡は小さく微笑んで見せた。


「…聡!」


あおいは一瞬驚いた表情を見せると、その大きな両眼からポロポロと涙を流した。


聡の目覚めは奇跡の生還として院内と騒然とさせ、両親からは泣いて喜ばれた。


後遺症もなく1週間後には退院。しかし、あおいの口からはもちろん、両親の口からしょう子の名が出ることはなかった。


それから20年あまりの時が経ち、現在に至るーー。


「という訳です、佳奈子ちゃん」


あおいの口から語られた過去はここで幕が降りた。しかし、ここで話が終わったわけではなさそうである。


「あの…」



「ん?なぁに佳奈子ちゃん」



「先生はその後…後遺症とかってのは」



「大丈夫、幸い体には何も残ってない。でも、心には…」


(心…)


しょう子は先生の心に爪痕を残していったのだ。“恋心”という爪痕を。それが未だに後遺症として残っている、と言うのか…。


「ここからは俺から話す。佳奈子、いいか?」


本当はこれ以上聞きたくない。しかし先生を愛しているならばここから先も受け入れなければ…佳奈子はどんな話だろうと受け入れることを再び誓った。


退院して1週間、2週間が過ぎても聡の心にはぽっかりとまだ穴が空いた感覚があった。


しょう子の安否が気になっていた。相変わらず家族はしょう子のその後については語ろうとしない。理由はわかっていても、好きな相手のことが気になって仕方がないし、再び会いたい気持ちになるのが恋心。

初雪の白さにも似たあの儚げな彼女の美しさはこの世のものとは思えない。記憶の中に押しとどめようとしようものならばまた押し返してくる。


「あー、集中できねぇ…」


頭を掻き毟る。


集中力に自信があった聡だったがこの頃勉強に手がつかず、なんとなく腹の調子が悪い。


それだけ14歳の聡を魅了しあらゆる不調に状態にまで追い込んでいる理由は美しさだけではない。


行為中、しょう子の目は終始なにかを求めていた。当時の聡にはわからなかったが彼女が求めていたのは“愛”だ。快楽と共に誰かに愛されることを求めていたのだ。


聡はその愛を求める目に魅了された。エロスを感じたのかもしれない。そして何処からか湧いてくる愛情のようなものを感じ、彼女が愛しくてしょうがないのだ。


愛しいしょう子に会いたい…そんな気持ちになり勉強に集中できない聡。


そんな彼の心の扉をこじ開けるようなあらっぽさで、彼の部屋の扉を誰かがノックした。


ーーコンコンコン


「なに?」


「聡、ちょっといいか?」


「うん」


父・幹久(みきひさ)だ。

幹久は扉を開けると、20冊程はありそうな分厚い本を聡のベットの上に置いた。


「…これ読んで、少しはあの人を忘れてみたらどうだ。最近、勉強に集中できてないんじゃないのか?」


「…うん」


「遅れたがクリスマスプレゼントとして受け取ってくれ」



「でも…これ父さんの宝物だって言ってたじゃないか」


幹久は静かに首を振り、


「宝物だからお前にやるんだよ、今はお前が宝物だから」


と言って照れ臭そうに頭を掻きながら聡の部屋を出て行った。


しかし、その若干押し付けるような贈り方に不器用な父親なりの愛情があるような気がした。

聡は父親の気持ちに応えるべく直ぐ様読み始めた。

「ブラック・ジャック」は聡が思っていたよりも面白く深い内容で引き込まれていった。読み進めていくうちにいつもの自分を取り戻し、再び勉強に励む日々に戻っていった。


それから数年後。

聡は医大に進学していた。

親も親戚も皆医療系ということもあったが、あの時父親からプレゼントされた「ブラックジャック」に影響されたのである。


後から聡は気づいた。あれは男である自分に跡を継がせる為には医学に興味を持たせなくてはならないし、その為にはなんとしてもしょう子を忘れさせて勉強させなければならない。だからあの時読ませたのではないかと。


やられた、聡はそう思った。自分は父親の思惑どうり医学に興味を持ち医大に進んだ。


ある深夜のこと。


勉強していると眠気が襲ってきた。眠気覚ましに何か口にしたくなり席を立った時だった。


ーートントン


「なに?」


振り向くと扉が開いた。幹久だった。


「そろそろ眠たくなってきたんじゃないか?」


幹久の手にはココアの入ったマグカップがあり、聡に手渡される。


「あ、ありがとう」


「勉強中にすまない。ちょっといいか」


2人はベットに腰かけた。話がある様子だ。


「なしたんだよ、父さん」


幹久は重たい口を割るようにあの日以来禁句とされていた話を始めた。


「…あの人のことは、少しでも忘れることはできたか?」


しょう子のことである。あれから3年以上が経過していた。


父親の思惑があるのは薄々気づきつつも、父親ののお陰で少しずつしょう子のことを忘れることができるようになって、勉強も成績が下がることなく医大に進学することができたのだ。


「ああ、父さんのおかげで少しずつ忘れることができてる。感謝してるよ」


「そうか、よかった」


そう言うと本棚から「ブラックジャック」を一冊取り出し、あるページを指差した。


「聡、これを見ろ」


「ん…?」


父が指差したページの箇所を見る。


「ピノコ…?」


「ピノコはこの容姿にして18だろ?」


「うん」


「こんな小さい幼女だが、その中身は18の女だ。好きな男に対して一生懸命尽くすだろ?可愛げもある。
将来お前に尽くしてくれて、どんなことがあろうがお前についてきてくれる女を選んで幸せなれ」


確かにピノコは大小さな体を駆使してちょこまかちょこまかと動いて好きなブラックジャックに尽くす。こういう女性に出会ったら男性は幸せかもしれない。

ブラックジャック好きの恋多きプレイボーイの父が導き出した答えに、聡は納得がいった。


「わかったよ、父さん」


それ以後一切父は恋愛について一言も口にしなかった。


聡は父の言葉を胸に刻んで成長し、25歳になった。


ーー3月。



医大を卒業し、研修医として働く病院も決まって頃、医大の同級生に誘われすすきのを訪れていた。


ニッカの看板の下で5人待ち合わせし、1人が予約した店で酒を呑んでいた。


「このメンバーで集まるのは最後かもしんねーよな」


「だよなー、研修始まったらこんな馬鹿騒ぎできねーわ」


5人はしみじみとこの状況を噛みしめ、思い出を語りながら呑む。


そんな飲み会もお開きになり、自宅方向が同じの鹿島(かしま)と2人になった時だった。


「なぁ、聊斎」


「ん?」


「お前も明日バイト休みなんだろ?」


「まあ、な」


「最近別れたばっかで彼女いないんだろ?俺に付き合ってくんない?」


「付き合うってなにを?」


「…デリヘル」


「…いや…別れたばっかで知らない女の子と寝るのはちょっとなぁ」


「女肌欲しくねーのかよ?」


「鹿島、俺はお前と違って別れてすぐに他の女に乗り換えられるような男じゃないんだよ。そりゃ、俺だってみさきと別れて寂しいけど…」


「真面目な奴だなほんと。でも、お前さんが忘れるのに苦労したっていうあのお姉さんに似てる子を見つけたんだ」


「…しょう子さんに似てる子…?」


「そう。人魚って店のあみちゃん」


鹿島は携帯サイトの画像を見せる。


「どうだ、しょう子さんか…?」

“人魚のあみ”は化粧が濃く、パソコンソフトで加工されていて、もはやこんな人間が存在するのかと疑うものだった。しょう子自体が幻のような存在だったが…。


「この写真じゃわからないよ…」


「だよな…実際会ってみねーとわからないか。だったら会ってこいよ。この店一回7千円だ。金はあるだろう?」


「…ああ」


「あの真っ赤なホテルにしょうぜ」


鹿島はラブホテル街にある強烈な赤が印象的なホテルを指差した。


「みさきと別れて傷心してるのはわかるんだけどさ、もしかしたらこれがまた会えるチャンスだと思うよ?」


「…チャンスか…」


「全く違う女の子だったらごめん。先に謝っておく」


2人は無言のまま真っ赤なホテルに入り、それぞれ別室で女の子を呼んだ。


人魚のあみを待つこと1時間。部屋のインターホンが鳴り、扉を開けると風俗関係者らしき強面の男が立っている。


「こんばんは、人魚です。ご希望の女の子連れてきましたーー」


男に手短な説明を受けて前金を払う。


「連れてきますんでお待ちください」


1分経たずに“あみ”が部屋に入ってきた。


「こんばんはぁ♪はじめましてあみです♪お兄さんよろしく、ね♪」


ばっさばっさという表現が的確であろう本数の多いつけまつげが印象的なギャルメイクに、首元と手首にファーのついた白のロングコートを着ているあみ。しかし、聡には大人になったしょう子だとわかった。


「…え…?」


しょう子はしばらく聡を凝視するとあの日行為の後に蒼白となった聡だとわかったのか、口をパクパクさせ絶句している。


「どうしたんですか、“あみ”さん?」


「だ…だって…あおいから『あなたのせいで弟が死んだ』って聞いてたから。ゆ、幽霊とかじゃない…よね?」


風俗嬢が得意とする演技も聡の前ではその力も発揮できず、素の状態になってしまっている。


「あの日、天然ゴムがダメなこと知らずに安いゴム使って、その上病院から逃げたわ。本当に…ごめんなさい」


長い間、しょう子はずっとあの事件を悔やみ続け、一度も聡のことを忘れることはなかった。


「あの日のことはもういいです、気にしないでください。俺はこの通り生きてますから」


が、気にしないでとは言ったものの、しょう子にひとつ約束させたいことがあった。


「しょう子さん」


「なに…?」


「イヤリングのことは嘘だったんですよね?」


しょう子は静かに頷く。


「俺には金輪際嘘つかないって約束してくれませんか…?」


「金輪際って…どうして?」


「好きな人に嘘つかれたら、悲しいでしょう?」


「…“好きな人”って…まさか」


「しょう子さん、あなたですよ」


「え…?昔一度えっちしただけの関係で、しかも私、あなたを殺しかけて…ーー」


ーードンッ

扉横の壁にしょう子を勢いよく追い込む。


「他の女の子と愛し合っても、あなたのことが頭にちらついて上手く愛せなかった…」


聡はこれまで3人の女性と付き合い愛し合ってきたが、愛し合えば愛し合うほど忘れていたはずのしょう子への想いがまた蘇ってしまい、相手の女性のことを愛せていない自分に自己嫌悪を感じることの繰り返しだった。


「…私、あなたにとって悪いことしちゃったのね…」


「“罪な女”ですよ」


しょう子の髪を撫で、その華奢な体を抱きしめた。

シャンプーの匂い、体温、吸い付くようなもち肌、息遣い…。夜の蝶となって派手な化粧をしていても、彼女の基本的な薔薇のように洗練された美しさは変わっていなかった。


「…私にとってもあなたは唯一無二の存在。何十、何百と抱かれたり貞操を奪っても、もう一度抱かれたいと思う男性はあなただけ…本当よ」


抱きしめられている体が聡を求めて疼いてしまう。これまで貞操を奪ってきた少年たちの中でも、また、年齢関係なく体の関係を結んできた不特定多数の男性たちの中でも聡はしょう子中で最も優れていた。


容姿や育ちも素晴らしい聡は腹上死状態となったが、初めてでもしょう子を満足させるセックスをした。しかしそれだけではない。聡はとても心が清らかで優しすぎるくらいしょう子にも優しいからだ。


「ねぇ、ひとつ聞いていい?」


「なんですか…?」


「あの時…本当に初めてだったの?」


しょう子らしい質問に聡は思わず笑みがこぼれる。


「もちろん初めてでした。あの時人を好きになる事すら知らなかったし」


(…は?天才かっ?!)


「人間に本能なんてないっていう人いますけど、本能はあるんじゃないかな…?」


「そうね…人間にだって本能はあるわ。あなたが実証したんだもん。天才ってこともあるかもしれないけど」


「天才なんかじゃ…はぁ…ちょっと耳は」


初めてだったという真実にムラっと性欲を感じたしょう子は、聡の耳に触れるか触れないかの感覚で指を滑らせた。


「ああ…もう、俺耳弱いのに…はぁ…」


耳を犯し、首筋、鎖骨、そしてパーカーの下から乳首を攻め始める。


「そんなことしたら…食べたくなるじゃないですか…」


「食べて…今度はあなたから。あなたとのセックスには別料金なんて取らないから…」


しょう子の耳元で囁く。


「なんで、俺とのセックスには取らないんですか?」


「なんでって…それは…」


理由なんてわかっているが、しょう子に、初めてを奪った相手に好きと言わせたい。


「あっ…」


しょう子の小さな耳を指でなぞりながら、再び囁く。


「…なんで、取らないの?」


「はぁ…ぁん…」


頭を撫でながら耳と頬、そして首筋、鎖骨とキスの雨が降る。


感じているしょう子の体はよがり始め、頬は紅潮、目は潤んできた。


「す…好きだからよぉ…」


形の良い唇がようやく答えた。


心の中で嬉しい反面、しょう子はだんだん悔しくなっていた。再会した彼はこんなに自分を乱して、女にしてしまうのだから。


「好き…好き…悔しいくらいよ、こんなに私を乱して…聡くん…」


しょう子の目は求めている、愛してくれる人を。あの時の目だ、この目だ。今この目は聡を求めているのだ。今すぐこの人を愛してあげよう…。


「しょう子さん…」


「もう待てない…待てないわ…私を聡くんで満たしてほしい」


ベットに運ぶため抱き上げたしょう子の体はとても軽かった。ぞんざいに扱えばきっと壊れてしまうくらいに。


優しくベットの上に寝かせ、長いキスの数を重ねてからしょう子を愛で満たしていく。


「しょう子さん…愛してます」


「私もよ…」


求め合う体同士を絡ませることはもちろん、2人は互いの視線も絡ませた。時折視線を絡ませ見つめることで、この想いは本気だと示したかったからだ。


「あっあん…聡くん…」


しょう子は聡の両腕や背中など、体のあらゆる場所に軽く触れる。


「…なんて、幸せなの…」


「お互い愛し合ってるからですよ…愛がなきゃこんなに幸せなわけがない」


「“愛のあるセックス”ってこと…?」


「そう」


「確かに…満たされてるせいかセックスしてて後悔がないわ…」



行為を終えて2人一緒にシャワーを浴びる。

シャワー中も時折キスをして笑みがこぼれる。離れがたい、しかし時間というものは残酷に訪れる。


「もっと一緒にいたいんだけど、この後もお客さんがいっぱいいるから…」


身支度を済ませ、本当は違反行為であるとわかっていながらレシートの裏に電話番号を書いて聡に渡す。


「本当はだめなんだけど…あなたとはプライべートで会いたいから」


踵を返し部屋を出ようとしたが、何か嫌なものを感じて引き返す。言い残しがないようにした。


「聡くん」


「…はい」


「わがまま、聞いてほしい」


「しょう子さんのわがままなら、なんでも」


聡の手を取り、握る。


「私と瓜二つなくらい、そっくりな女の子が現れるまで私だけを愛してほしい。たとえ私が死んだとしてもね」


「…え?」


「冗談じゃないからね?」


「あ…はい」


「もしそっくりな子が現れたら、私以上に愛して結婚してね。でなきゃ、「リング」の貞子みたいにテレビから出てきて呪い殺しちゃうからね?本気よ」


「俺は遠山さんですか?」


「そうよ」


冗談にも聞こえるが、目が本気だ。


他に言い残すことはない、そう悟るとしょう子は触れるだけの口づけをして静かに部屋を出た。バイバイも、さよならも言わずに。


後日、鶴喰しょう子の名はニュースで流れた。

3月某日未明、すすきのの某ラブホテルの一室で全裸のままベットの上で寝かされ亡くなっていたのである。

遺体の周りには彼女の好きだったすずらんの花が大量にばらまかれていたが、現在に至るまでその死因と犯人については未だ特定されていない。そしてその死に顔は、なぜか幸せそうに笑っていたそうだ。

あれから数年、医師となった聊斎先生は毎年命日とされる日に彼女が10歳まで生まれ育った函館まですずらんの花束を抱え訪れる。

今でも、彼の心の奥にはしょう子が生きているのだ…。



「…そういうことなんだ。黙っててごめんな」

今回あおいが押しかけてきたのはそのことを佳奈子に伝える為だったのだ。未だに先生はしょう子を引きずっている、それでも佳奈子は今後も彼と付き合っていけるのかと。


佳奈子はしばらく黙っていたが、佳奈子の中でこの問題をどう処理するかはもう決まっていた。

先生の最愛の人、しょう子を受け入れることだった。それはかなり難しいことだとわかってての判断だ。


「先生…」


「ん…?」


「今年も、行くんでしょ?“しょう子さんのとこ”」


「…ああ、そのつもりだけど…」


「ちょっと図々しいかもしれないけど…私も連れてってほしい。しょう子さんのこと、もっと知りたいし感じたい…。だって、先生の初めてでずっと愛してきた人だから…ーー」


不意にそう言ってくれた佳奈子を愛しく思い先生は抱きしめた。

佳奈子は心の中に今は亡き最愛の人がいる先生を受け入れた。あおいはそんな優しい佳奈子ならば…と安心した。


「私、安心したから帰るわ」


抱き合う2人は身を離す。


「佳奈子ちゃん」


「あっ、はい」


「アレルギー体質で避けなきゃいけないもの、食べられないものが多いし、健康体の男性より身体弱くて大変だと思う。でも、10年以上亡くなった人想い続けるような優しいやつだからずっと一緒にいて幸せだと思うよ。受け入れてくれてありがとう、佳奈子ちゃん」


佳奈子はうなづき、微笑んだ。

あおいのiPhoneが鳴る。


「あ、夫から電話。それじゃあまたね」


扉を閉め、階段を下る足音と話す声が遠のいていく。


「佳奈子、ありがとう」


「ううん、なんもだよ」


と、その時だった。


「ママ〜!」


「ママ、おっそい!」


階下から子供2人の声が聞こえてきた。


「あおいさんのお子さん…?」


「そう。俺の双子の姪っ子達。あんなとまりあっていうの」


「へぇ…双子かぁ…」


窓から覗くと、汐川家族が見える。


「あんなー、まりあー、ごめんねぇ。ママとお歌歌って幼稚園行こうねーぇ」


「あおい、朝から聡に迷惑だろう?いい加減弟離れしてあげろよ。心配なのもわかるけどなぁ」


先生はクスリと笑った。


「ほんとだよ、大輔さん」


佳奈子はもうその心配はないと思った。「受け入れてくれてありがとう」言った時の表情は、長きにわたる不安から解放されやっと安堵できたと取れる表情だったからだ。


きっと彼女はこれまで弟に向けてきた愛情をかわいい娘達に全て向けるのだろう…。





その夜、丘珠の燕家に戻った佳奈子は、二階の自室でベットに寝転びながら物思いにふけていた。


「しょう子さんって…きっとしょこたんに似てるんだろうな…」


スマホのアルバムから中川翔子の画像をピックアップし眺める。


(先生のベットのマットレスの下にしょこたんの写真集が挟まってるんだよね…あおいさんに破かれないように隠してあるんだろうなぁ…)


写真集の他にも、中川翔子が表紙のマガジン、DVD、CDなどがマットレスの下に挟まっているのだ。


(いつ見ても綺麗でかわいい人…。私も似てるって言われるけど、流石に私は似てないよ。きっと、しょう子さんの方が似てるんだよなあきっと…)


そう思っていると、突然部屋の明かりがバッと音を立てて消えた。


(なっ、何?!いつもの心霊現象っ!?)


燕家は昔から心霊現象が度々起こる家で
この家に住んでから何度か金縛りなどの現象に遭っている。

大きな地震でもないのに大きく電灯だけが揺れ始める。ゾクゾクするような恐怖に動けなくなっている佳奈子の前に 膝から上がない色白の足が現れ、ヒタヒタと歩み寄ってきた。


「こ、来ないで…」


足は佳奈子の前でピタっと止まる。恐怖で目を閉じると、目の前に温かい光を感じた。


「ごめんなさい。かなり怖がらせてしまったわね。冗談よ、目を開けて」


恐る恐る目を開けると、目の前に黒髪の時の中川翔子そっくりの美しい女性が真っ白なワンピースを纏った姿で立っていた。


「私が、見えるのね」


目の前の美しい女性はすぐにしょう子だとわかった。中川翔子を大人っぽくした感じである。


「あなたが佳奈子ちゃんね。確かに私に似てるかも」


「私のこと…知ってるんですか…?」



「うん、聡くんから聞いてる。彼は私の姿は見えてないけど、声だけはわかるみたいなの。このリラ花第一話で話しかけてたわ。忘れちゃった人は読み返して見てねーぇ♪」


(急に誰と話してるんだろう…?)


「なるほどね…確かに私に似てるわ」


しょう子はまじまじと佳奈子を見つめた。あまりの美しさに、女であるにもかかわらず佳奈子は一瞬ときめいてしまった。


「あなた…失礼だけどおいくつなの?」


「19歳…です」


佳奈子の回答にしょう子は衝撃を受けたのか、大きな目を更に見開いた。犯罪だと言いたげな反応だ。


「犯罪だって…おっしゃりたいんです、よね?」


咎められるのは承知である。これまで何事もなく付き合ってこれたのは、単なる運の良さだけだと佳奈子は思っている。


「成人の年齢に1年満たしてないだけでも犯罪なのは重々承知しています。…でも、先生が…先生のことが大好きなんです。そばにいたいし、先生のこともっと知りたい…しょう子さんのことも含めてもっと知りたいんです…」


涙が止めどなく溢れてる。その涙は先生を心から愛しているからこその涙だ。

しょう子は心打たれた。女だからこそわかる、愛している男に対して流す涙だからだ。

肩を震わせ泣いている佳奈子をしょう子は抱きしめようとする。しかし、実体化できていない身体は佳奈子の身体に触れることをできずもどかしI。

「そこまで、聡くんを愛しているのね…」


静かに頷く佳奈子にしょう子は優しい微笑みを佳奈子に向ける。


「いいわ、あなた気に入った」


「…え」


キョトンとしている佳奈子にしょう子は再びにっこり微笑む。


「3月、函館にいらっしゃい。待ってるわ」


そう言うとしょう子はすずらんの花びらを纏いながら静かに消えていった。


「しょう子さん…必ず行きます」


とても美しい女性だった。生前淫乱だの言われたようだが、それはこちらには計り知れない底知れぬ寂しさからくる行動だったからであり、本来の彼女はその容姿に釣り合った心の美しい、品行方正美人なのかも知れない。


佳奈子はとても安らかな気持ちでその日は眠りについた。

この平和で穏やかな時が再び何者かに崩されるとは知らずにーー。

リラの花が咲く頃に 第12話

リラの花が咲く頃に 第12話

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • サスペンス
  • 成人向け
  • 強い性的表現
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日 2019-11-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted