心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その5 再び、高原へ

十二月一日

 私は、ダルツェンド行きのバスに乗っていた。

 成都(チェンドゥ)にはいい宿があるらしいけれど、バスターミナルのすぐ隣のホテルに泊まって、何カ所かの中国銀行で分けて両替をしているうちに一日が終わってしまった。
 そういえば、ぜんぜんメールを見ていない。バスに乗ってから気がついた。パンダも見ていないし、日本資本のデパートで買ったあんパン以外に日本的なものも食べていない。
 私が泊まったのは四人部屋で、私のほかには、たぶん白人の女の子が二人。でも彼女たちは夜遅く帰ってきて昼まで寝ていたから、顔も合わせなかった。

 九時発のダルツェンド行きバスに乗るまでの意志決定は、ほとんど自動的だった。
 青い空が見たい。そう思って、このまま帰っても何かに負けて逃げたようで、それがいやだったのかもしれない。
「私の心は、どこよ?」
 銀色のお守り箱に話しかけると、もう少し、がんばってみよう。そう思った。

 このバスはちょっと高めだったけれど、車内トイレ付きの豪華バスで暖房が効いているし、そしてテレビではカンフー映画。私は来たときと同じように、ひたすら音楽を聞いている。
 成都では太陽を見ることもなく、雅安(ヤーアン)は雨の都という別名のままに雨。そして、天全(ティエンチュアン)から雨に煙る緑色の水墨画みたいな世界を通って二朗山(アーランシャン)トンネルを抜けると、青い空と白い雲。
 なんだろう、この安心感は。

 バスは順調に午後四時ごろ、ダルツェンドのバスターミナルに着いた。向かい風に涙を流しながら歩いておとといと同じ宿に行くと、愛想のいい女の子にまた来たのみたいなことを言われて、おとといと同じ部屋の同じベッドに荷物を置いた。また、一人だった。
 町に出てネカフェの看板を見つけたから、半月ぶりにようやくメールを見た。ここも、日本語は見られるけど書けない。母と姉は心配そうで、何回も送ってきている。謝るしかない。洋子さんはもうベトナム。友だちから、仕事の悩みとか、彼氏と別れたとか。日本のニュースを見ても、変化が急でついていけない。

 ネカフェを出るともう夕暮れ、ダルツェンドは深い谷の底にあるからか、オレンジ色の夕焼け空を見ることなく夜になる。
 おとといと同じ中華屋さんで砂鍋飯(シャーグオファン)を食べて帰ると、やっぱり一人。
 川の流れる音を聞きながら、ぐっすり眠れた。

十二月二日

十二月二日

 谷底だから、日が差すのも遅い。
 この部屋は東と西に窓があって、西面の窓のすぐ外は隣の建物、東の窓はカーテン越しにぼんやりと薄明るいままで、九時になっても太陽が出ている気配がない。それでもようやく起きて部屋から出ると、粉雪が舞っていた。夜干しておいた洗濯物が、パリパリに凍っている。

 そういえば、まだダルツェンドの町のどこにも行っていない。
 この宿の隣はチベット寺で、今朝も早く、ボオッと何か楽器の鳴る音がしていた。
 とりあえずお寺にはお参りしておこうと、隣のチベット寺に行った。南向きのエンクローズド型、ねずみ色の瓦屋根が、どこか中国風。本堂の床は板張りで、中は金ピカの仏像だらけだった。
 メインの大きい仏像に手を合わせて外に出ると、雪がやんでいる。雲は厚く灰色のまま、昨日の青空がなつかしい。
 次に町の南の郊外に歩くと、南無寺と書いた看板のある細い道を登る。そのラモ・ツェ寺はけっこう大きなお寺だったけれど、チベット風近代建築というのか、豪華さが逆に味気ない。そこからさらに先のドルジェ・ダク寺も同じようだったけれど、近所の子たちなのか、お寺の敷地の中で教科書を広げて自習している子たちがいてほほえましかった。

 部屋に帰ると、私の斜め反対側のベッドの上には脱いだ緑色のコート、大きなバックパックがベッド脇に置いてあった。バックパックにかかっているグレーの防水カバーは、真っ白く汚れている。お客さんだ。どこから来たんだろう。どこの人だろう。
 枕の上に、刃渡り三十センチくらいの長さのラガンで見たようなナイフが置いてある。銀色の鞘と、黒い柄。なんでそんなものが無造作に置いてあるのか、気になってしょうがない。でもナイフはあんまり見ないようにと努めて、次のルートを考えることにした。

 布団にくるまって本を広げていると、ガチャガチャと鍵の開く音。鍵を開けてくれた女の子に「あんがと」と言って入ってきたのは、真っ黒に日焼けした東洋人の男の人だった。
 たぶん日本人だと思ってベッドから顔だけ上げると、「あ、こんにちは」
 彼は答えて、「ちは、日本人だと思いましたよ」
 私は起きあがると、チベットのお坊さんみたいに布団をマント代わりにして話を続ける。「なんで、わかったんですか?」
「簡単だよ、ワトソン君。まず、卓の上に飲みかけの午後ティーがある。ふつうの外国人は、わざわざ高い上海キリンなんて買わない。そして、大ザックがゼロ・フロント、日本のメーカーだ。さらに、ベッドが適度に片づけられている。僕の経験では、白人てのは片づけられないかわいそうな奴が多い。どうかな?」芝居じみた感じでそう言うと、自分のベッドに腰掛けて、「なんちって。俺、山本ノブです」
「ノブ、さん?」
「南極探検隊の、白瀬矗の矗。直角とか垂直の直が三つ。どんだけ真っ直ぐに育ってほしかったんだか。でも、どっかでひん曲がっちゃったんスよね。ひどい名前負け」
 笑ってしまった。人と話して笑ったのは、すごく久しぶりな気がする。
「私、松島です。よろしく」ナイフが気になっていたから、「あのう、そのナイフは?」
「ああ、刀ね。護身用っスよ。あんまり気になさらずに」
 彼は枕の下に刀を差し込んで、ニット帽を取る。頭はボサボサ、ヒゲもボウボウ。
 バックパックを開けて中をゴソゴソ引っかき回しながら、「松島さん、ここのシャワー浴びました?」
「はい、ふつうにホットシャワーでしたよ」
 彼はタオル、着替えと取りだして自分の横に並べて、私はその姿を眺めている。
「よかった、もう一ヶ月以上風呂入ってないんスよ。シャンプーが切れて買いに行ってたんだけど」タオルと着替え、それにシャンプーそのほかを小脇に抱えて立ちあがる。「じゃ!」
 ドタドタと、シャワーのある一階に下りていった。

 しばらくすると部屋の外の廊下に何かを干す音が聞こえて、ドアが開くと、すっかり別人のようになったノブさんが立っていた。
 私の視線に気づいたのか、彼は顎をさすりながら「どう? さわやか?」ベッドに座って、「ヒゲは剃ったし、洗濯はしたし、いやもう、生き返ったというかなんというか」
「あの、ノブさん、どうして日本の男子は、旅行中ヒゲを伸ばすんですか?」
「なんででしょうねえ」バックパックから取りだしたものをまた順序よくもとに戻しながら、「俺は、剃れるところでは剃ってますよ。今みたいに。でもねえ、黙ってても生えてくるもんだしねえ、寒いと剃る気なくなるし。イギリスの軍隊じゃあ、寒いとこではヒゲ剃るなって教えてるんスよ。あるのとないのとじゃあ、暖かさぜんぜん違う。ただ、日本のニイちゃんたちのは、やっぱりカッコ付けだと思います。たぶん」

 ノブさんは話しやすい人で、私のバカな質問にもひとつひとつきちんと答えてくれる。チベット圏を旅するのは二年ぶり五回目、私が聞きたかったいろいろなことも知っていそうだった。
 日本で三ヶ月ビザを取って、船で上海に渡ってから青海(チンハイ)省内を回ったあと西寧(シーニン)から電車でラサ入りして、ラサからチャムド、そして四川(スーチュアン)省カンゼ自治州のバタン、リタンとバスとトラックを乗り継いでダルツェンドに来たらしい。
「チャムドって、外人は行っちゃあいけないんですよね?」
 私が聞くと、「そう。だから、よい子には真似すんなよって常に言ってますよ。でもね、イカしたキてる連中がいるのは、確実に非開放地区。よく、非開放地区に行ったのを自慢気に話す英雄気取り旅行者がいるけど、俺の場合は、非開放地区に行くのが目的でなくて、行きたいとこが非開放だから仕方なく法律破ってるってことで、守れるもんなら俺だって法律守りたいっスよ。てことにしといてください。知らなかったんだよ、非開放だって」
 ケラケラ笑う。そうだ、ノブさんはあの人に会っているかもしれない。どうやって聞こう。何を聞けばいいんだろう。
 考えているとノブさんが、「松島さん、どこ回って来ました?」
 私のことを話す番だけれど、あんまり話題は多くない。香港から始めて、昆明(クンミン)麗江(リージャン)、ギェルタン、チャンテン、リタン、ニャロン、カンゼ、ダンゴ、タウ、ラガン、ダルツェンド、そして成都(チェンドゥ)
「松島さん、チベ語話せるんスか?」
「え? どうして?」
「ギェルタンもチャンテンもラガンもダルドもチベ語でしょ? ふつうは、香格里拉(シャンゲリラ)とか康定(カンディン)とかって言いますよ」
 ノブさんは、ダルツェンドを縮めてダルドと言う。そうだ、あの人のノートに書いてあるから、チベット語表記のほうがふつうだと思っていた。
「私、ダメです。チベット語も中国語も。ただまあ、チベットの地名だからチベット名のほうがいいのかなと思って」
「一部のコアなマニア界ではいい心掛けだって言われるかもしれないけど、一般受けはしないっスよ。俺は、マニアだけど」
「ノブさんは、言葉しゃべれますか?」
「チベ語? 勉強中だけど、まだまだ。チャイ語は大学んときやったけど、こっちもぜんぜん。日本語は、東京弁ならぼちぼち」
 笑うところだったのかもしれないけれど、東京の人なんだと思ってそのまま話を続ける。
「どこで勉強してるんですか? チベット語って」
「自習、かな。基礎はちょこっとダサラで習ったけど、あとは、ハートでなんとか」
「ダサラって?」
「インドの、ダラムサラ。そこで文字の読み書きと簡単な口語文法だけ習ったけど、ベーシックな部分はわりと簡単なんスよ。文字は三十しかないし、ある程度はカタカナの発音で通じるから」
 あの人も、ひまを見つけてはときどき勉強していたっけ。

 いつの間にか外は暗くなっていて、そろそろごはんでもいっしょにどうですかとなった。中華屋さんで、二人とも砂鍋飯(シャーグオファン)
 ノブさんがチベットに来たのは、二00一年、二00三年、二00五年。
「ノブさんは、どうしてチベット行こうと思ったんですか?」
「そうスね、大学が仏教系でチベットって言葉に多少馴染みがあったし、中国の内地は大学の休みに行ったんスよ。その延長のつもりだったのかなあ。卒業旅行でアムドに行ったのが運の尽きで、闇バスでラサ行って、ネパール的な。その年の冬に、また行っちゃった」
 二00一年から二00二年にかけての冬は、あの人もデチェンとカンゼを旅している。
「そのときは、どこに行きました?」
「えっと、ラサ行ってネパール、インドかな。チベ語習った年で、ダラムサラにしばらく滞在したんだっけ」
 インドのダラムサラにはチベットの亡命政府があって、だからリタンのお坊さんもカンゼのドルカルも、インドに行ってチベットに帰ってきた。あの人もネパールとインドには何回か行っているし、最後の旅のときは、確かコルカタから真っ黒になって帰ってきた。
「インドって、どうなんですか? その、旅しやすいとか。私、怖いとこってイメージがあって」
「昔の、カルカッタ・ショックっての? あんなのはもうないと思うんスよ。俺、昔のカルカッタ知らないスけど。でも、あのカオスの中で飯食って移動して泊まるとこ見つけてってのは、ちょっと大変かも。デリーとかカルカッタとかバラナシとか、とにかく旅行者騙そうとしてるのがウヨウヨしてて。でも、システムがわかってくるとおもしろいっスよ。意外と親切な人、多いんスよ。南インドの人はやさしいし、不思議なもんで、バラナシから隣のサルナート行くと、ちょっと離れただけなのにものすごく人がいい。それに、飯がうまい。俺、中華よりカレー派。ああでも、松島さん女性だから、俺よりは大変かも」
 笑うと童顔で、初めは怖い人かと思ったけれど、ヒゲがないと意外とかわいい。
「それは、触られたりとかですか?」
「ネパールもそうなんだけど、社会的な制約があるからかな。まあ、いろいろと。詳しくは、女性に聞いてください。そろそろ、帰りましょうか」
 今日も、お腹いっぱい。
「また来るよ」
 ノブさんは店のおばさんに日本語で言うと、何か買い物があるそうで、そこで別れた。私も少し散歩して、町の中心にある広場の前を通ると、広場で輪になって踊っている人たちがいた。どこから流れる音楽に合わせて老いも若きも男女のべつなく日本の盆踊りのように、チベット服姿のおばあさんが優雅に踊っているかと思えば、仕事帰りなのかバッグを持ったままの若い女の子もいたり、入るのも出るのも自由らしい。
「松島さん!」
 名前を呼ばれて振り返ると、ノブさんが、「食べます?」
「焼き鳥?」
「いや、牛」
 その牛肉の串焼きを二本左手に持っていて、右手には食べ終わった串を一本。
「すいません、さっきのでもう、お腹いっぱい。ありがとう」踊りの輪に目を戻して、「お祭り?」
「ゴルドね。毎晩やってますよ。チベ人、歌と踊りが大好きだし、ここから北に行ったギェロン地方の踊りは有名っスね」
「ノブさん、踊れますか?」
「え、俺? 俺は見る専門なんで、ってことにしといてください。踊れたら楽しそうだけど」
「そうですね、みんな楽しそう」
 眺めているうちに、寒くなった。
「そろそろ、帰りますか」
 ノブさんが言って、私はうなづく。
 宿に帰ってからも、話は続いた。二人とも日本語が久しぶりで、私はともかく、ノブさんはラサを出てから一ヶ月近く日本語を話していない。彼は明日一日ダルツェンドで休んで、あさってダンゴにお祭りを見に行くらしい。そういや、お坊さんたちが踊りの練習をしていたっけ。そのあと、カンゼ州からンガワ・チベット族チアン族自治州に行って、最後は上海から船で大阪。
「あの、私も行っていいですか? ダンゴと、その先」ノブさんなら、いろんなこと知ってそうだし。
「いいも悪いも、ダメですとは言えないし、まあ、いいスよ」
 決まり。これからしばらくは、ノブさんといっしょに旅してみよう。

十二月三日

十二月三日

 電気を消しても他愛のない話が続いて、眠ったのは真夜中すぎだったか。起きたらもう、九時近かった。
 ノブさんのベッドはきちんと掛け布団が畳まれているけれど、ノブさんの姿は見えない。歯を磨きながら部屋の外に出ると、彼は廊下にあるベンチに座ってタバコを吸っていた。
 私のほうを向いて、「おはよう、ございます」
 ものすごくかしこまった感じで丁寧に言われて、思わず吹いてしまった。
「あ、ごめんなさい」
 洗面所に駆け込んでから部屋に戻ると、ノブさんはベッドに座って緑色のコートを羽織った姿勢で、ホーロー引きの大きなカップから何かを飲んでいる。
「ひょっとして私、気い使わせちゃいました?」
「いえ、べつに。家では俺しか吸わないし、慣れてますよ。それより、コーヒー飲みます?」
 私はカップを持っていない。ベッドに座って、「いいです、カップないし。ありがとう。それより、何か食べに行きますか?」
「そうスね」
 外に出て、すぐ隣にあった食堂で豆漿(トウジャン)油条(ヨウティアオ)のスタンダードな中国式朝食。
 ノブさんが刻んだ油条を何個か豆漿に泳がせながら、「人民カップ、あると便利スよ。お茶すすめられたときとか、はい、いただきますって」
 豆漿と油条の組み合わせは希飯(シーファン)包子(バオズ)よりもしつこくなくて、私のお気に入りになっている。
「お茶、すすめられることって、よくあるんですか?」カンゼのドルカルとデチェンを思い出した。
「チベ人は、そうっスね。よくあちこちで飲まされる。あと俺、カフェイン中毒だから部屋でコーヒー飲むんで。この国の連中、コーヒーに砂糖入れやがるから一杯分のインスタントとかでもミルクと砂糖入りしかなくて、昨日ようやく混ぜもんなしのを見つけましたよ。前、外人で瓶のやつ持ち歩いてんの見たけど、瓶は重いしね」豆漿に浸かった油条をムシャムシャと食べて、「電車でラーメン食うときにも使える」
 あの人も、コーヒー中毒だったっけ。あの人とノブさんとは、どことなく共通点があって似ている気がする。でもノブさんは外向的で、そこはまるっきり正反対。あの人も、もう少し人当たりがよかったら。
 私が考えごとをしながらひとつひとつ油条をつまむのに比べて、ノブさんは食べるのが早い。
 私が食べ終わるのを待ってから、「ゴンパ行きますか?」
 彼もお寺のことを、チベット語でゴンパと言う。

 宿のすぐ隣のお寺に行くと、お坊さんたちがなにやら忙しそうに動き回っていた。
「ンガムチュの準備だ」
「なんの?」
「ガンデン・ンガムチュ。明日はチベット歴の十月二五日で、ジェ・リンポチェの命日なんスよ。ジェ・リンポチェってお方はチベット仏教ゲルクパを開いたお方で、ゲルクパのゴンパでは明日は灯明を燃やして大きな法会をする。今日はその準備っス」
「いつごろの人ですか、その」
「ジェ・リンポチェ? 遷化されたのが一四一九年、お生まれは一三五七年アムドのツォンカ、今の青海(チンハイ)省、湟中(ホアンジョン)県。アムドの連中って生真面目な人間が多いんだけど、ジェ・リンポチェもたぶん、真面目な人だったんでしょうね。当時の乱れきったチベットの仏教界を見て、お前らアホかボケェって、言ったかどうかは知らないけど、真面目に修行されて、その清廉な行いを見てだんだん周りに弟子が集まってゲルクパになった、と」
 ノブさんのあとについて本堂に入る。彼はニット帽を脱いで、そしてブツブツ言いながら頭の上で手を合わせて、口の前で手を合わせて、胸の前で手を合わせて、五体投地礼を始めた。三回身体を折って額を床に付けて、最後にもう一度、頭の上、口の前、胸の前で手を合わせる。
「あの、私もしたほうがいいですか?」
「気持ちですから、チベ人でもチャーしないでラカンの中に入る人もいるし、べつにアクションで信仰心の大小が測れるわけでもなし、まあ最低限ヅラは取るべきだと思うけど」
「ヅラ?」
「失礼、かぶりもの」
 ノブさんも写真が好きらしく、大きなカメラバッグを肩から下げている。そのバッグから一角や五角の紙幣の束を取りだすと、本堂の中を右回りで歩きだした。
 私はそのやや後ろを歩きながら、「あの、私思ったんですけど、こういうのって、知ってる人と見たほうがいいなって」
「俺にガイドせよと。いいっスよ、俺の知ってる範囲なら。このゴンパね、実はマイナーに歴史があって、俺は好きなんスよ」
「新築じゃあないんですか?」
「ガワは、そうスね。でもよく見たまえワトソン君、床の色が違っているだろう。こっち側は、あとから増築したものだ」
 このお寺の本堂は正面入り口から入ると左手側が広くなっていて、言われてみると確かに、二列になったお坊さんの席が並ぶ正面部分と左手のがらんとした部分では、ニスを塗った床板の色が微妙に違っている。
「こっちの十二柱の部分は文革前からのもので、ほら、柱が違う」
 そういえば、古いほうは柱の上の部分に彫刻がしてあって、二階まで吹き抜けになった天井は、煤で真っ黒。
「なんで、大きくしたんですか?」
「なんででしょうねえ。文革中とかはここ、坊主を収容する刑務所だかに使われたらしいんスよ。だから、建物が残ってる。仏像はたぶん新しいけど。一九五四年にあのお方が北京に行かれたときには、ここに一泊されたそうで」
「どのお方?」
「ダーアアラマ」
「ダライ」
「いや、だから」人差し指を唇にあてる。
「タブー、なんですか?」
「どこで誰が聞いているかもわからない。政治的に微妙な地域なんで、気い使ったほうがいいスよ」
「はあ」
 彼はそう言っている間にも、一角札を何枚も額に付けては仏像の前に置いて歩く。
 私もいっしょに歩きながら、「仏像、詳しいですか?」
「まあ、多少は」
「このお方は?」
 正面奥に並んだ大きな仏像のうちの一番左から、グル・リンポチェ、シャキャ・トゥッパ、ジェ・リンポチェ、ドルマ、と次々に仏像の名前を挙げていく。
「あの、どうやって見分けるんですか?」
 一周終わって、入り口に戻った。
「ゲスチュアと持ち物とヅラと乗り物とお顔と色と。まあ、数見てりゃあなんとなく。それに俺、好きですからね」
「仏像マニアなんですか?」
 ノブさんは、最後に正面に手を合わせて外に出た。私も並んで歩く。
「うーん、仏像ってか、もっとこう神話的なものかな。例えば尊格の色とか、武器とか、ひとつひとつに意味がある。仏像を観賞するってのならチベットの仏像はほとんどここ二十年くらいのものだから、日本的な仏像マニアの世界は成立しないんじゃないのかな。そもそもチベットでは仏像って信仰の対象であって、美術品じゃあない」中庭の真ん中に立って、本堂を振り返る。「左の二階にあるのがゴンカン、護法尊のお部屋で、右の新しいのがジャムカン、弥勒殿。ジャムカンは何年か前に造った、完全な新築物件」
「なんかこう、どこに行っても新しいけど、チベット人的には古いものより新しいもののほうがいいんですかね」
「それはね、仕方ないですよ。古いものがよくないって時代があって、なにもかもが壊された。ようやっと表面上は信仰の自由ってのが認められたし、暮らし向きもよくなってきた。で、何をしよう。そうだ、俺たちのゴンパを再建しようってなったとき、何も残ってないわけですよ。だからみんな、新しく造っちゃう。まあ立ち話もなんだし、ほか行きます?」
 くるりと振り向いて、門の外へ。次に、郊外のドルジェ・ダク寺に行くことにした。

 ノブさんは歩くのも早くて、急な上り坂を息も切らせないで登っていく。
「ノブさんさすがですね。よくまあ、サクサクと」
「ああ、俺、高校のころからずっと登山部だったんで、そのアレもあるのかな。チベット、ネパール、ヒマラヤ。そういや、南の島の海がきれいなとことか、行ったことないや」
 そうだ、あの人も登山部だったとか言っていた。
「やっぱり、多いんですかね。山登りする人とか」
「このへんにってことっスか? うーん、どうだろう。いわゆるバックパッカー全体で言ったら、山用の装備使ってるヤツが多いわりには、実際に山登るってのは少ないでしょう、確実に。そもそも、ハードな山屋さん自体最近少なくなってる。俺自身のことだと、頂上を攻めるとかよりも、どっちかっつうとトレックのほうが好きんスよ。たまには岩も登るけど。なんだっけ、そう、結論を言うと、べつにチベットに来てるからって、山好きとは限らない」
 最後の急坂を登って、ドルジェ・ダク寺の正門前に着いた。
「ヒマラヤって言葉は、まあ、ある種憧れだったけど、要はこの地域に興味を持つキッカケだったってことかな。ひとくちにチベット好きっつってもアプローチの方法はいくつかあって、例えばチベット仏教だったり、中国の少数民族マニアだったり、怪しげな精神世界系だったり、高いとこが好きだったり、バター茶が好きだったり、バター茶好きはそうはいねえか。まあ、いろいろあるわけですよ」
 門の内側のマニ車をいくつも回して、中庭へ。
「で、ノブさんのアプローチ法は?」
「うーん、困るな、考えたことないや。あの、ザンドパーリがかっこいいとか」手のひらで、本堂を指した。
「かっこいい? の?」
「ここの本堂、ザンドパーリスタイルに造ってあって、かっこいい」
「なんですか? それ」
「グル・リンポチェ、ペマ・ジュンネってお方は、八世紀あたりにインドからチベットに飛んできた密教行者で」
「なんか、河口慧海とかの人ですか?」
「そう、河口先生にメッタ斬りされてる人。グル・リンポチェは、チベットを去ったあとも今でもどこかで教えを説いているらしくて、その山の名前がザンドパーリ。このゴンパはニンマパだから、本堂をグルのパラダイス風に造ってあるわけです」
「ニンマ派とかゲルク派とか、どう違うんですか?」
 ガイドブックばかり読んでいたおかげで、単語の字面だけはやたら覚えた。入り口の石段を登ると、このお寺は、本堂に入るのに靴を脱ぐ必要がある。
「最後に目指すのはもちろん悟りの境地だけど、よく使われる言い方は、目的を達成する手段が違う。例えば、下の町からここまで歩くのに、俺はメレルのブーツだけど松島さんはモンベルの軽トレッキングシューズを使う、みたいな」
「すいません、私もアウトドア活動しないのに、アウトドア用品フル装備で」
「否定はしませんよ。使っていて便利だし」私の服を指さして、「こういう暖かくて軽い服ってのは、やっぱりアウトドア用品っスよ。旅には軍隊ズボン」ノブさんも私も、カーゴポケット付きの、ノブさん流に言うと軍隊ズボンをはいている。「ジーンズは、洗濯したあとなかなか乾かないんスよね」
 靴を脱いで本堂に入ると、ノブさんはまた五体投地礼。それが終わったらバッグから小額紙幣を出して、右回り。
「新しいは新しいけど、ここの壁画は、けっこうクォリティが高いと思いません?」
 そう言われてみると、淡いグラデーションと小さい人物の細かいところまで緻密に描き込まれているのが、繊細できれいな感じ。
「中央のお方がグル・リンポチェ。脇にいらっしゃるのが、カミさん二人とチベットのティソン・デウツェン王とインドのシャーンタラクシタ。ティソン・デウツェン王がインドからシャーンタラクシタを招いてサムイェ・ツクラカンを建てようとしたとき、工事を魔物に妨害されて、だめだこりゃあ、魔物を退治するのに密教パワーが必要だと思ったのを察知して、グル・リンポチェが飛んできた、と。そんな三人衆です」
 正面の大きな仏像の並びをすぎて、右手の壁画を見ながら「グル・リンポチェって、実在の人物なんですかね?」と私。
「蓮の花から生まれてインドからチベットまで飛んできたって話は、確実に実話ではないでしょう。まあ、今だったらインド人でなくてパキスタンかアフガニスタンの人なんだろうけど」
「あ、いや、その、伝説のもとになる人がいたのかどうかって」
「松島さんの言いたいことはわかってますよ。まあ、八世紀九世紀くらいにチベットに密教を伝えた人物がいたことは事実でしょう。それがスワートから来た一人の行者だったのか、何人かの行者の行いがグル・リンポチェっていうスーパーヒーローに統合されたのかは、べつとして」
「スーパーヒーロー? なんですか?」
「魔術を使ってローカルな神々を次々と倒していくんスよ。こっちの壁画、グルの八相について描いたもので、グル・リンポチェは生涯に八つのフォームを持っていて、最後はザントパーリに去る。かっこいい」手のひらで壁画を指して、「ツォキェ・ドルジェチャン、蓮から生まれたり、ペマ・ギェルポ、一度は王になったり、ドルジェ・ドロォのフォームでブータンに行ったり」
「お忙しい方だったんですね」
「まあ何人もカミさんがいたし、大変だったでしょうね」
 一周終わって二人で正面に手を合わせてから、外の石段に座って靴をはく。
「俺よりね、もっとちゃんと研究してる人から聞いたほうがいいっスよ。俺はしょせん、人から聞いた話を繰り返しているだけで」
「いえ、私ぜんぜん無知で、すいません」
 彼は笑って、「俺はマニアなだけです」立ちあがってニット帽をかぶると、「行きますか」
 お寺の写真を撮ったり中庭の芝生の上で談笑していたお坊さんたちと話をしたりで、ノブさんもけっこう忙しい。チベット語はまだまだと言っていたけれど、お坊さんと会話しながら、メモ帳にチベット文字を書いていた。

 町に戻って、一応外人も相手にしているような少し小ジャレた喫茶店に落ち着いた。
「さっきの話に戻るんですけど」二人でミルクティーを飲みながら、また質問攻めの私。「古様の建物とか仏像とかは、もう造れないってことですか? 技術的な問題ですか?」
「一九四九年からの、カムとかアムドではもっと前からですけど、中国が攻めてきて、六十年代から七十年代に文革ってものがあって、例えば僧侶ってのは搾取者で階級の敵であるわけですよ。だから、寺院てものがごく一部以外は徹底的に破壊された。旧時代のシンボルなわけだ。古い因習なんてのもよろしくないってことで、仏師とか、そんな人たちもほとんど死んだかヒマラヤの向こうに去ってしまった。で、一度途絶えてしまったものをなんとかしようと思っても、なかなか難しいですよ。アムドとかは頑張ってるけど、ラサなんかの新しく描かれた壁画と残ってる古いものとは、明らかにタッチが違う」
「でも、家とか今でもチベット式に建ててますよね」
「カムなんかだと、そうスね。木い切るなって言ってるのに、なぜか立派なログハウス。でもラサなんかだと、チベット風中国住宅ってか、そんなのが多いスよ。昔のラサの建物って、壁がやや内側に傾いてて、正面から見るとこう、ベースが広くて上がやや細い台形のシェイプをしていて、見て安定感があるからかっこいい」
「今の建物は?」
「弱いけど一応鉄筋が入るっスからね。強度的な基準とかもしかしたらあんのかもしれないけど、壁は垂直で、なんかこうエッジがキッチリしすぎてどうも、ね。それに寒いらしいスよ、ラサのモダン住宅」
 ノブさんがグラスのミルクティーをすすって、私は大きなポットからノブさんのグラスに注ぎ足す。
「それにね、やっぱりコストが高くつくとかって話も聞いたっス。土固めたりして造るトラディショナルなチベハウスって。だから、ゴンパとかでもコンクリで新築するのはしょうがない部分もあるんじゃないかな。俺は、新築するのはともかく文化財的なものは残しておくべきだと思うんスけど、中国政府はそう考えてないらしくて」
「なくなってるんですか?」
「ラサ旧市街とか、保存しようって頑張ってたNGOもあったんだけど追いだされて、保護建築物とかプレートが付いてた家、いくつも壊されちゃった。実際に見てたけど、あれは悲しかった。そのうち、新旧市街になるんじゃないかな」
「ギェルタンみたいに」
「ギェルタンとか麗江(リージャン)とか、みんなそう。新中国ですから。新中国(シンジョングオ)新西蔵(シンシーツァン)、クソくらえ」今度はノブさんが、私のグラスにミルクティーを注ぐ。「失礼、まあでも、一種のオリエンタリズムって言ってしまえばそれまでで、もともとチベ人に文化財とか、古いものがいいって考えがあんまりないし、チベ人もいい暮らしすべきなんでしょうけど」
「いい暮らしって、どんな暮らしだと思います?」
「そう、まさにそれ。なんかもう今の中国、国家を挙げて国民、いや、人民に成金になれって言ってるようで、金さえあればなんでもできるぞ金持ちになるヨロシ、みたいな。チベ人にも金に汚いヤツは、そりゃあもちろんいるけど、でももともとチベ社会ってのは物質的な豊かさよりも心の豊かさを求めなさいってところで、どっちがいい悪いとは言わないけど、相互理解がなかなか進まない理由のひとつではあると思いますよ」そう言ってからグラスを空にすると、「政治向きの話はあんまり面白くないし、そろそろ出ますか」
 一度宿に戻ってから、ノブさんはまたどこかに出かけた。私もあとで町に買い物に出ようと思っていたのに、靴を脱いだら外に出るのがおっくうに思えて、ベッドに座った状態からだんだん姿勢が崩れると、最終的には、布団にもぐり込んで電気毛布のコントローラーをいじっていた。

 六時に夕ごはんに行こうと約束して、ノブさんは六時少し前に帰ってきた。
「松島さん、デントク・リウォ登りました?」
「川の、反対側の山?」
「そう、ロープウェイとか通ってるとこ」
「あー、いえ、何があるんですか?」
「チョルテンと、広場。てか、金取るようになったって知らなくて、行ったら頂上に料金所がありやがんの。もちろんブッチしたけど」
「どうしたんですか?」
「料金所の死角からこう、道なき道をなかばロッククライミングになりながら。したら、登りきったところで楽な道見つけて、下りは変なとこ通って風で飛ばされそうになるわで、もう」
 楽しかったことは、ものすごく楽しそうに話す。それから外に出て、今日も砂鍋飯(シャーグオファン)を食べたあと、私の買い物にノブさんにも付き合ってもらう。また帰り際に広場前を通ったら、今日も踊りの輪ができていた。
「ちょっと、いいっスか?」
 そう言うノブさんについて行くと、広場の近所にある串焼きの屋台で立ちどまった。炭火で焼き鳥のようにいろんな串を焼く台の後ろに、素朴な感じの女の子がちょこんと座っている。
「昨日、見つけたんスよ」
「おいしいんですか?」
「いや、女の子が、かわいい」魚やらジャガイモやらウズラの卵やらが銀色のトレーの上に並んでいる中から、牛肉の串を二本取ってそのかわいい女の子に渡すと、「小さいものひとつ買うにも大声出さにゃならんこの国にあってですね、こう、渡されるとき、はいって笑顔ですから、この子は。癒される」
「なあんだ」
 少しあきれたような顔の私に、「あれ? かわいいと思いません?」
「だって私、女だし、かわいいとは思わなくはないけど、だからどうっては」
 焼きあがった牛肉の串を、その子はニッコリほほえみながらノブさんに渡す。
 ノブさんも愛想よく日本語で、「また来るよ」
 広場で立ちどまって、今日も踊りの輪を眺める。
「この踊ってる人たちって、チベット人ですか? 中国人ですか?」
 深い意味なく聞いた質問に、ノブさんは急に真顔になって「松島さん、そんな類の偏狭な民族主義的発言は」そして笑いながら、「俺は大好きですよ」
「すみません」
「いやあだって、明らかに違うもん。一般的な中国人、つまりは漢人と、チベット人って。どうしても、分けて考えたくなる」
 あの人の言い方では確実に中国人の中にチベット人は含んでいなかったから、私は考えなしにあの人のように使い分けていた。
「ステレオタイプでものを見るのはよくないんだろうけど、例えばアメリカ人にしたって、ネイティブとかアフロ・アメリカンもいればヒスパニック系だっているし、アジア系だって多い。日本だって、沖縄にはもともと王様がいて、アイヌとか、まあ世界中そうなんだろうけど、中華民族ひとつの幸せな家族あるよって、漢人側に言われるとね。朝鮮族とか、ロシアとかモンゴルとか、自前の国を持ってる人たちはどうなんだって話で、難しいっスよね」
「ノブさんは、どう思います?」
「そうっスね、何回か来てチベ人と話してみると、やっぱり中国人嫌ってる人は多い。言葉も文字も食い物も気質的なものもぜんぜん違うし、チベットが共産中国に占領される前は独立した国家だったってことは事実なわけで、まあ、政治っスよ、政治。どうしてもどっちかの味方になれって言われたら俺は仕方なくチベット側に立つけど、俺ひとりの力じゃあどうにもならないことっスから」そう言って、「帰りますか」
 明日は朝早いバスに乗って、ダンゴ行き。

十二月四日

十二月四日

 ノブさんがガサゴソ何かしている気配で目が覚めて、時計を見ようとしたら、アラームが鳴った。
「あっ、すみません。電気、点けていいですよ」ノブさんは、ヘッドランプの明かりでなかば準備を終わっているみたいだった。「すみません、ひょっとしてもう、用意できてます?」
「いえ、夜明けのモーニングコーヒーを、少々」
 コーヒーを飲まないと一日が始まらないそうで、部屋の明かりを点けてからベッドに戻ると、緑色のコートを頭からかぶってコーヒーを飲んでいる。でもカップさえしまえば、いつでも出発できる様子。私もあせって準備して、用意が整ったころにノブさんは緑色のコートの袖に手を通す。チベット服みたいにモコモコで、あったかそう。

 まだ六時前。真っ暗な中、歩いてバスターミナルに行った。ダンゴ行きのミニバスは空いていて、お客さんは何人もいなかった。バックパックは一番後ろの座席に置くと、バスの真ん中あたりに座る。私と通路を挟んで、反対側がノブさん。私もノブさんも、二人分の座席を一人で占領している。バスには暖房が付いていないのかスイッチを入れていないのか、車内でも吐く息が白くて、靴下を二枚はいてるのに爪先から凍りそう。

 それでも、バスが発車するといつの間にか眠くなる。はっと目が覚めると、ダルドラ峠を越えて外は明るくなっていた。
 ゾンシャプでトイレ休憩。ノブさんはゆで卵を買って、私は昨日買っておいたビスケットで軽く朝食。すぐにまた発車。私は、ついこの間見た景色を、逆回しで眺めていた。ゾンシャプからラガン、シャダ・ラツェ、峠越え。
 ノブさんが窓を開けた。チベット人のように紙切れを窓の外に撒いて、同時にカメラも外に出して後ろに向けているのは、舞い散る紙切れを撮っているんだろう。窓を閉めると、カメラの液晶ディスプレイを見ながら満足げ。道はバルメェに向かって、下り坂。
「その、峠で撒くの、なんですか?」
「ルンタ。風の馬」バスの中は騒音がひどくて、二人で大声を出しながらの会話。「馬の絵が描いてあるでしょ? この馬が風に乗って、仏法を広めてくれるらしいっス」
 輪ゴムでまとめられた、赤青白の紙の束を私に見せる。いくつも持っているらしい。
 バルメェで食事休憩。私もノブさんもバスの中、私はパンをかじって、ノブさんはビスケットをつまんでいた。
「峠越えるとき、何か唱えますよね。なんて言ってるんですか?」
「ラーギェロ。神に勝利あれって意味。キキソソ・ラーギェロだったりとかソソーだけだったりもしますけど、俺はラーギェロって言ってます。峠だけでなくて、川越えるときにもやってるっスよ、橋の上で」
「仏教の、何かですか?」
「仏教どうとかよりも、仏教以前のボン教の習慣でしょう。山には山の神がいて川には川の神がいて、神っつうか、低級なスピリットがいろんなものに宿ってる。で、そういうスピリットに旅の安全を祈願するとか、世界中にあるおまじないの一種っスよ。でもこう、青い空にルンタがパッとバラ撒かれるのは、絵的にかっこいいと思いません?」
「そうですね」
 あの人も、お気に入りだったっけ。ひざの上にひらひらと飛んできたルンタを一枚手に取って眺めながら、部屋に飾ってあった写真を思い出す。
 お客さんがバスに戻って、小さな魔法瓶を持ったドライバーが席につくと出発。峠を越えるとき、ノブさんはまた窓を開けてルンタを撒いた。

 タウ、そしてダンゴ。八時間かかって、十日前に泊まったダンゴの町。雪が降ったようで、ところどころに白く残っていた。十日前と同じホテルだけれど、ツインの部屋を二人でシェアするから、今度は半額で泊まれる。
 さっそく二人で、お寺に登った。ノブさんはどんどん先に行ってしまって、私はあとから息を切らせてようやっとたどり着く。彼は広場で、何人かのお坊さんと打ち解けた様子で会話していた。私に気づくと、手を振る。
 はあと大きく深呼吸してそこに近づくと、ノブさんが「今夜、ンガムチュだから来いって。大タンカのご開帳は、もう終わっちゃった」
「何があるんですか?」
「法要。タウのゴンパもそうなんスけど、今日は大きな仏画のご開帳があって、でもそれは昼くらいで終わっちゃいましたね。あ、ちなみに松島さん、俺のプンチェって設定にしときました」
「プンチェ?」
「リレーティブ。いやあ、俺と松島さんの関係を彼らに話すにはいろいろ解説が必要だけど、その解説が面倒で。チベ語のプンチェって言葉が含む範囲ってものすごく広大なんで、まあウヤムヤに」
 お坊さんたちとは別れて、二人で右回り。この前と同じように、踊りの練習をしているお坊さんたちがいる。
「ノブさん、チベット語ペラペラじゃないですか」
「ここの坊主どもね、ほとんどがインド帰りで、ラサ語っつうかシジャケが通じる」
「シジャケ?」
「失礼、ダラムサラ語。ラサのラサ語とは微妙に違ってて、日本語の東京弁と標準語みたいなもんかな。俺習ったの、ダラムサラ語、つまり亡命チベット社会で標準になってるチベ語で、でもそれはラサ語ベースだから、このへんのテホルの言葉話されるとぜんぜんわかんないっス」
「ぜんぜん違うんですか?」
「そうね、例えば、津軽弁も江戸弁も同じ日本語だけど、お互いに理解するのは難しいでしょ? 同じことっスよ」
「でも、標準のチベット語は話せるんですよね?」
「いやあ、まだまだっスよ。たいしたことしゃべってないし、日本帰ると忘れちゃう」

 一周して、広場に戻った。
「夜に法要があるんで、とりあえず帰って夜また来るってことで」
 ノブさんはそう言うと、お坊さんたちと軽く言葉を交わしながら来た道を戻る。私もいっしょに、町へと下った。それからお寺から町に入る橋を渡ったところで別れると、私は町の中を歩いてから宿に戻った。
 日が差して部屋の中が暖かいうちにシャワーと洗濯をすませて、ノブさんが夕方帰ってきたら、夕ごはん。ダンゴには、イスラム食堂が少ない。中華食堂で、久しぶりに白いごはんとおかずとスープの中華料理をつついた。
「なんか私、お米は好きだからいいんですけど、でもチベット来てるのに、チベットの料理ぜんぜん食べてない気がするんですよ」
 ノブさんも白いごはんが大好きだそうで、お代わりしながらおいしそうに食べている。
「チベットで食に期待するのはね、間違いだと思いますよ」
「すいません」
「いやあ、べつに謝んなくたっていいっスけど、遊牧っていう、人間が動物に寄生する生活をしてる時点で、食い物のバリエーションはたかが知れてますよね。肉と乳製品。比較的標高の低いとこでは農業も盛んだけど、気候が厳しいから大麦とかジャガイモとか、限られた作物しか育たない。大麦を主食にしてるのって、世界中でチベ人だけらしいスよ。外食っつったらチベ人だって中華か回族(フイズー)食堂っスから、チベット来て食うのが中華とか牛肉面(ニュウロウメン)なのは、しょうがないのかと」
「バター茶はどうですか?」
「ポット一本おいくらとかの世界だから、旅行者が一人でフラフラっとチベ食堂に入って頼むにはちいと勇気が要る。バター茶一リッターとかは、飲み切るの結構ハードコアっスよ。暇つぶしには、いいんだろうけど」
「ノブさん、バター茶飲めますか?」
「出されりゃ飲むって感じっスかね、積極的にはあんまり。でもね、よくできたもんで、ここよりもっと標高高い四000メートルくらいのとことか行くと、ものすごくうまく感じる。身体が欲しがるんじゃないかな、塩分とか、バターの脂肪分とか。ラサだと、町中ではバター茶よりも甘いミルクティー飲んでますからね、チベ人も」
 そろそろ外は暗くなって、中華食堂を出る。割り勘だけど一元半端になって、ノブさんに五角札を渡そうとしたら、「どこか、小さいゴンパに喜捨しといてください」一元札を渡された。

 一度宿に戻ってから、またお寺に登った。空の西のほうには、かすかに白く太陽の光が残っている。ノブさんの歩く後ろを追いかけてお寺にたどり着くと、お寺が、光っていた。クリスマスツリーのようなというか、工事現場にあるようなピカピカ光る電飾が本堂に取り付けられていて、まるでネオンサイン。
「チベ人のこのセンスは」ノブさんが苦笑いしながら「いただけないなあ」
 私も、ついつい笑いだす。「なかなかシュールですね」
「ラサだと、チベ人の家は窓辺にバター灯明が灯ってたりしてなかなかきれいなんスけどね、まあ、火は危ないってことで、これでいい、のかなあ」
 チベット人が大勢、お寺の周りをぐるぐる回っていて、子どもたちが手に持っているチカチカ光る提灯からは、クリスマスの音楽が流れている。
「ジングルベル?」
 思わず口に出すとノブさんが、「案外、ツリーの電飾がヒントになってるかもしれないスよ」
 マントを羽織ったお坊さんが何人か、本堂のほうに歩いていく。知り合いなのかノブさんは声をかけると、また何か楽しそうに話している。話を終わるとお坊さんたちは本堂の中へ、私たちは本堂を右回り。
「さっきの坊主ね、おまえが来ることは知ってたよだって」
「なんでですか?」
「なんて言ったと思います? 同じ僧坊に住んでる小坊主が、夢で俺が来るのを見たんだって。チベ人って、そんなやつら。かっこいいなあ。日本人に言われると、ドン引きだけど」
「夢? はあ」
 本堂正面に戻った。石段を登ったポーチ部分に人が集まっていて、開いた入り口から本堂の中をのぞき込んでいる。お坊さんたちが、席について読経していた。
 ニット帽を脱ぎながらノブさんは中に入って、私もいっしょに入ったけれど、「靴は脱がなくていいんですか?」
 お坊さんたちの脱いだ靴が入り口にたくさん、きちんとそろえている人もいれば、歩きながら脱いだようになっているのもある。
「ここは、大丈夫」
 そう言いながら、また五体投地礼。一角紙幣の束を懐から取りだす。
「壁画のクォリティは、高いと思いません?」
「うん、数見れば上手い下手もわかるんだろうけど、正直まだどれが上手いのかもわからなくて」
 これはドルジャン、これはオパーメ、とノブさんの解説付きで回る。
「まあ規格が決まってるから同じと言えば同じなんだけど、やっぱり上手下手ってのはありますよ。ラサとかカトマンで売ってるのには、ひどいのも多い」
「このお寺は、新築物件ですか?」
「そう、まるごと新築。もともとのダンゴ・ゴンパって、向かいの丘の上にあったそうスよ。それがぜーんぶ壊されちゃったわけだ」
「壊したのって、中国人?」
「それはまた複雑な事情があって、文革時代のラサなんかじゃあ、もちろん紅衛兵もいたし、紅衛兵の中にチベ人もいたろうし、紅衛兵に脅されたチベ人もいたかもしれない。今となっては、ね。文革ってのは中国現代史の暗部みたいなもんで誰も語りたがらないし、俺はもちろん、少ない証言を読んだりしただけなんで、なんともかんとも」
「政治、ですか」
「まあね。でもいい話もあって、チベ人って赤い嵐が吹いてる間、密かに大事な仏像隠し持ってたりするんですよね。そんで嵐が去ったらまたゴンパに納めて、みたいな。ゴンパとかも穀物倉庫って名目で生き残ったのがあったりして、うまいと言やあうまい。今でもなんちゃって共産党員とか、大勢いるし」

 一周して本堂の外に出ると、広場に人が増えている。ノブさんは本堂を見上げて、「始まるかな」
 本堂の屋上にお坊さんが何人か、手に持っているのはどうやら楽器らしい。
「あの長いやつがトゥンチェン、チベタン・ホルン。短いのはギャリン、チベット式のチャルメラ」
 何か演奏でも始まるんですか、と聞こうとしたら、ボゥっと低くアルペン・ホルンみたいなトゥンチェンが鳴りだした。そしてもっと高い、ギャリンの音。
「このギャリンって、中国のチャルメラよりも品のある音だと思いません?」
「中国のチャルメラって、私よくわからないです」
「もっとこう、キューキューする感じ。こっちでVOAとかRFAとか聞いてると、中国側が妨害放送流すんスよ。その中国音楽が人を小バカにしたような響きで、なんかムカつく。こっちは、荘厳な感じがしていい」
「ブイオーエー?」
「ボイス・オブ・アメリカとラジオ・フリー・アジア。西側のプロパガンダ放送で、どっちもチベ語放送があって中国政府にとって面白くないニュース流すもんだから、中国側は躍起になって妨害する」
 シンバルみたいなのがスィルニェン、白いホラ貝はトゥン、太鼓はンガ。
「こういうのって、宗教音楽のための楽器なんですか?」
「そうっスね、ンガとスィルニェンはラモってオペラの伴奏に使うけど、ほかはどうかな。民間レベルではダムニェンとかピワンだし、ナンマって宮廷音楽だとフルートとか洋琴だもんな。ふつうの俗人でギャリン得意ですって人は、あんまり見たことない」
 私はくしゃみを一回、するとノブさんが、「帰りますか」
 もう少し聞いていたかったけれど、身体がだいぶ冷えた。
「そうですね、うん」
 お寺から麓に下る道には街灯も何もなくて、ノブさんが持っていたヘッドランプの明かりだけを頼りにして歩く。
「チベットの音楽って、どんな感じですか? 車の中とかで流れてるの、チベットの音楽か知らないけど、澄んだいい声してるなって思うんですけど」
「歌と踊りが大好きな人たちっスからね、民謡とかは、みんなしょっちゅう歌ってるからうまいっスよ。伴奏に使うのが、中央チベットだと三味線みたいなダムニェン。カムだと、ピワンって二胡のほうがメジャーだけど、これがまた哀愁のあるいい音出すんだ。アムドだと、あれはマンドリン? 卵形の胴体のやつをベンベケやってますね。今は中国風ポップスとかラップもあるけど、俺はチベ民謡、好きだなあ。歌手でいったらプルジュン・ドルマとか、ヤンチェン・ラモとか、シェルテンとか、クンガとか、ナムカーもいい」
 大勢のチベット人とすれ違う。お寺にお参りに行くんだろうか。
「中国があーでもねーこーでもねー言ってても、やっぱりチベ人は仏教徒なんだよな。って、思いますね。こうして見ていると」
 ノブさんが言う。友だち同士とかで誘いあったような若い子も多い。
「やっぱり、みんな仏教徒なんですかね? チベット人って」
「ボン教徒もいるし、キリスト教徒とかイスラム教徒もいるし、何も信じてない人もいるかもしれないけど、まあ日本的な複合的無宗教ってのは、ないんじゃないかな。赤ん坊のころからババアに背負われてグルグル回ってりゃあ、信じる信じないとかじゃなくナチュラルに仏教徒ってことになるんスよ、たぶん」
「ノブさんは?」
「俺? 俺はまあ、なんちゃって仏教徒っスよ。なんとなあく、みんながそうやってるから、ね」
 なんとなあくにしては、五体投地礼をするところとか数珠を繰りながらマニ車を回す姿が板に付いているというか、周りに溶け込んでいる気がする。
 橋から宿までのゆるい登り坂をゆるいはずなのに息を切らせながら上る途中、ノブさんの指すほうを見ると、窓辺に灯明が置いてある家がちらほら。宿の廊下の窓にも、バターの灯明が静かに灯っていた。
 宿に戻ると、ノブさんは、わざわざ部屋の外に出てタバコを吸う。
「あの、いいですよ。気い使っていただかなくても。どうせ部屋の中、もともとタバコ臭いし」
 廊下で一服して私のあとから部屋に入ったノブさんに言うと、「いやあ、実家じゃあかなり煙たがられてるんで、いいっス。一応、日本人同士では、日本のルールを適用するってことで」
 そう言われると、なんだかこっちが恐縮してしまう。
「すいません。明日は、何があるんですか?」
「明日とあさっては、ワン。わかり易く言うと、なんだ、みんなでゴンパに集まってお祈り。チベ暦二十八日がチャムのリハーサル。二十九日がグトーでチャムの本番。チャムってのは、坊主が輪になって踊ってたでしょ? あれを、仮面かぶってやる。そんな流れです」
 ここには四泊してグトーの次の日にセルタに移動しましょうと決めると、私はなんとなく頭が重い感じがして、早く寝た。

十二月五日

 時計のアラームにびっくりして目が覚めたけれど、外はまだ真っ暗。昨日の朝早い出発に合わせて、セットしたままだった。
 どこが痛いとかでなく身体全体がダルく、また風邪の引き始めか、なんとなく体調が悪い。

 ノブさんは日が十分に昇ってからゴンパに行ってきますと言って外に出たけれど、私はお昼ごはんを食べに行っただけで、一日部屋の中でぼうっとしていた。朝は雲が多くて寒々しかったのに、夕方になると空が晴れて、西日が部屋の中に差し込むからポカポカと暖かい。
 ノブさんが帰ってきた。「リンゴ、食べます?」
 小さめの、青いリンゴ。
「すいません、ありがとうございます。なんか、果物って久しぶり」
 ノブさんは洗面所でリンゴを洗ってから自分のベッドに座って、刀でなく小さな折りたたみナイフで、リンゴの皮をむく。
 私がじっと見つめているのに気づいて、「松島さんも、皮むきますか?」
「ノブさん、そのままガリガリかじりそうなイメージでした」
「農薬がね、ひどいらしいっスよ。まあ、そんなこと言ってたら何も食えなくなるけど、気分で」
 器用に皮をむいたリンゴを、私に差しだす。
「ありがとう。刀は?」
「ぜったい言われると思ってたっスけど、刀は肉を食うときと護身用。リンゴむくにはデカすぎ」
 私はリンゴをかじりながら、「護身用って、治安、よくないんですか?」
「河口慧海もハインリヒ・ハラーも木村肥佐夫だって、みんな盗賊に襲われてるっスよ。昔のチベットって盗賊だらけで、巡礼でも商売人でも旅するときはなるべく大きな集団を作ってみんな武装して旅してて、それが中国に占領されて警察力ってものがイナカにまで及ぶようにはなったけど、それでもときどき、あんまり人の住まないような地域には盗賊とか出るらしいっス。長距離のトラッカーって(フイ)とかサラールが多いいんだけど、拳銃持ってんの、俺見たことあるもの。チベ人が、これがまた武器が大好きでみーんな刀持ってるし、酔っぱらってケンカするときすぐ抜くんだ。とくにカム人は、人殺しつつ寺回りつつってお国柄で、もう」話しながら、また器用にリンゴをむいてかじりだす。
「ケンカとか、よくあるんですか? チベット人って、一般的には穏やかな人たちってイメージですよね。チベット旅行記とか読んでると、そうでもないような気もしますけど」
「女の取り合いとかで切り合いって、しょっちゅうっスよ。静かに仏教を信じる平和な人々ってのはある種オリエンタリズムで、我々が勝手に思い描いている姿でしかない。昨日の夢坊主、一人でどこかに行くときは必ず刀持ってくって」
「ノブさんは、刀、抜いたことありますか?」
「俺は、相手が抜いて襲いかかってきたら抜く覚悟はしてるけど、そんな事態はまだないっスね。大声は、しょっちゅう出してるけど」
 リンゴを食べ終わると、ノブさんは寒くならないうちにとシャワーを浴びていたけれど、私はやめておいた。晩ごはんは、今日も白いごはんとおかずとスープ。二人で炒め物を食べると意外と安くて、一人で麺とかチャーハンよりいいかもしれない。

 食べ終わって部屋に戻ると、なぜかノブさんは急いでテレビのスイッチを入れる。リモコンで、目当ての番組を探しているらしい。
「何か、あるんですか?」
青海(チンハイ)テレビ」しばらくザッピングを続けたあと、見つけたらしくて満足げにベッドに横になる。「これこれ」
 画面の文字が、チベット文字だった。
「チベット語?」
「青海はもともとチベットで、イナカにはチャイ語話せない人とかいるからチベット語の放送があるんスよ。アムド方言だから俺には何言ってるかわかんないけど、ラサのチベットテレビよりは、確実に楽しい」
「面白いんですか?」
「いや、このラモってアナが、かわいい」
「だと思った」
 へへへ。笑ったあと、ノブさんはときどきテレビを見ながら日記を書いている。私は、食欲はなんとかあるけれども何もやる気が起こらない。今日はそれ以上はあんまり会話もなく、私は布団の中で丸くなって音楽を聴いていて、いつの間にかノブさんが部屋の電気を消していた。

十二月六日

 夜中に目が覚めたまま寝られなくて、朝になっても、布団の中でモゾモゾと寝返りを打ってすごしていた。

 ノブさんが起きて、部屋の中を動き回っているのが聞こえる。私は頭から布団をかぶったまま、時計を見る気にもならないけれど、九時前くらいだろうか。
 気力を振り絞り、といった感じで起きあがると、ノブさんの姿はなくて、電気式のポットがグツグツと音を立てている。この宿では、お湯はポットでもらうのでなく、それぞれの部屋の中で電気で沸かすようになっている。
 ノブさんが部屋に戻った。廊下でタバコを吸っていたようで、気を使わせてしまってばかりなのが申し訳ない。
「どうっスか、体調は?」
 沸いたお湯で、コーヒーを淹れている。
「完全に風邪の引き始めです。昨日よりは悪くないような、でもあんまりよくはないような。今日も、ゆっくりしときます」
「そうっスね、食い物とか気候とか、日本で暮らしてるのとは違うから、無理しないで休んだほうがいい。コーヒー飲みます? インスタントだけど」
 言いながら備え付けのカップにコーヒーの粉を入れて、私のぶんも作っている。
「すいません、いただきます。なんか私、病人みたいで、恐縮です」
「疲れがたまりやすいしなかなか回復しない環境だから、倒れる前にゆっくりしといたほうがいいっスよ。まあ、お互い様ってことで、俺が倒れたらよろしく。リンゴ食べます?」
 ベッドのサイドテーブルには、ビニール袋の上に皮をむいて四つに切ったリンゴが置いてある。ノブさんは自分のと私のカップをサイドテーブルに置くと、ベッドに寝転がってリンゴをつまむ。
 私もリンゴをかじりながら、「こっちで病気になって入院したことって、ありますか? ノブさんて、病院嫌いっぽいけど」
「そうっスね、医者と名の付くものはあんまり好きじゃあないから、大抵は自力で治しますよ。つか、松島さん、よくおわかりで」
「私、医療関係者だったから、なんとなくわかるんです」
「看護婦さん? 怖いなあ。ガキのころ予防注射んときとか、医者よりもその横に立ってる看護婦さんのほうがもう、恐ろしくて恐ろしくて。あ、でも俺が倒れたらよろしく」
 恐ろしかったのかなあ、私。
「そうだなあ」ノブさんが考え込みながら、「一番ヒドかったのは、ネパールで米のとぎ汁みたいな下痢になって、さすがに病院に担ぎ込まれたけど、ネパールあたりじゃあ下痢なんてのは日常茶飯なんスよね。薬と、それからジーバンジャルって、なんだろ、粉末の電解質みたいなのもらって帰されたけど、あんときはもう、俺的にはこのまま死ぬのかなって思ったな。ジーバンジャルがまたまずいのなんのって。あとは、水と食い物が変わると、マイナーな下痢はしょっちゅうっスね。でも薬ですぐ治すし、そんぐらい。病院行かないから、いたって健康」
「たまには、行ったほうがいいですよ」あの人みたいにならないうちに。そう思いながら、「高山病とかは?」
「松島さんは?」
「私? うん、ギェルタンで少し頭痛かったくらいかな。リタンでいっしょにいた外人は吐いたりしてたけど、私、風邪で寝込んでて、風邪なんだか高山病なんだか。今って、心拍とかふつうだし、あんまり空気薄いとか気にならないですね。順応したんですかね?」
「俺の見たところ、意外と男のほうが高地に弱いみたいっスよ。一応、女は定期的に血が入れ替わるからって説を俺は建ててるんだけど、あとやっぱり、男は無理しちゃうのかな。ネパール人の話だと、若くて健康そうな男のほうが年寄りよりも高山病になるケースが多いんだって。体力に自信があるから無理するわけだ」
「ノブさんは今まで、なんともなかったですか?」
「俺は、無理しないもん。限界点がなんとなくわかるようになったっつうか、ヤバそうだなと思ったら、水ガブガブ飲んで寝ちゃう。寝るのはよくないらしいけど、俺の場合はとにかくガーガー寝ちゃう。それで、今んとこはなんとか」
「私、ダイアモックスとか真剣に必要かなとか思ってたんですけど、来てみると、なんか感染症とか、そっちがよっぽど心配な気がして」
「まあ、あんまり無理なさらずに。釈迦に説法かもしれないけど、よく食って寝て、体調治してください」

 今日もノブさんはお寺に登って、私は部屋の中でダラダラすごした。
 彼は午後早い時間に帰ると、「はい、おみやげです」
 そう言って私に差しだしたのは、赤い毛糸の紐。真ん中あたりに結び目がある。
「ありがとう。なんですか? これ」
 手にとってたずねると、「お守りっスよ。こう」服の中に手を入れて、首に巻いた紐を私に見せる。「こんな感じで、守られるわけだ」
 もらった紐をノブさんのように首に巻きながら、「なんか、すいません。これで私も守られますか?」
「松島さん、たいそうイカすガウ、持ってるじゃないですか。十分効きそうな」
 サイドテーブルに置いた、銀色のお守り箱。
「これは、もらいものです。よくわからないでただ持ってるだけで。この絵は何か、神さまですか?」
 真ん中の小窓から見える緑色の人物は、どんな意味があるんだろうと思っていた。
「いいっスか?」私のお守り箱、ガウを手にとって眺めながら、「ドルジャン、ドルマ・ジャング。グリーン・ターラー。神さまっつうか菩薩なんだけど、多羅菩薩ってのは観音の妃で二十一相とかあるんだけど、緑ターラーは旅人を守るんで、いいチョイスじゃないっスか」
 ノートとガウ、あの人は、私がこうしてチベットに来ることを知っていたんだろうか。
「あの、ノブさん、大澤さんって人、知ってますか?」あの人。大澤さん。コウちゃん。
「オオサワ、オオサワ」
「ノブさんと同じ、写真撮る人で、やっぱりチベット何回も通ってる人」
「サワやん? 背の高いメガネの? 俺もメガネだけど」
「うん、いつも渋い顔して、スタスタ早足で歩く」
「はいはい、オオサワさんだ。いつもサワやんって呼んでたから。知ってるもなにも、知り合いっスよ。でもあの人、なかばプロみたいなもんでしょ? 俺の写真は、単なる趣味で。松島さん、サワやんの知り合いっスか?」
 知り合いもなにも。「ええまあ、そんなところです。ノブさんは、どこで知り合われたんですか?」
「うーん、三、四年前かな? サダムだったっけ? そう、麗江(リージャン)でちらっと会って、ラサでまたばったり。二00三年だ。おととしもラサで会ったっけ。そういや最近、連絡してないな。松島さんは、なんでサワやん知ってるんスか?」
 私から振った話だから、話さないわけにはいかない。でもノブさんは最近のことは知らないようで、安心したような、なんで安心なんだろう。「妹さんと知り合いなんですよ。それで、なんとなく」妹さんと知り合いの部分は本当だけれど、なんとなく、なんなんだろう。
 次に何を言っていいのかと思っていたら、ノブさんのほうから話しだした。
「チベット関係ってなぜかとっても小さい世界で、初めて会った人が知り合いの知り合いとかけっこうあるんスよね。でも松島さんとサワやんが知り合いっての、意外だなあ」
「そう、ですか? ノブさんと大澤さん、は、なんか似たような感じで話が合いそうな」
 ノブさんが、思い出し笑い。「うん、サワやんとは、なぜか気が合う。いろいろバカなことしたよなあ。ラサにね、ちょっと変な人がいるんスよ。イカしてるっつうか、イカれてるっつうか、とにかくキてる人で、その人と三人で、結構ムチャクチャなことやった。あの二00三年のラサは、楽しかったなあ」
 あの人は、ごく少数の気の合う友だちとはものすごく仲がよかった。ノブさんも、そんな内輪の人のひとりだったんだと思う。
「その、変な人って?」
「なんか、ラサに仙人みたいな日本人がいるんスよ。サワやんと前から知り合いらしくって、これがまたいいコンビで、ボケとツッコミってか、二人でボケ合ったりツッコミ合ったり。俺は、あの二人のオマケみたいなもん。その二人に言わすと、二000年はもっと楽しかったそうで」
 こっちに来ているときのあの人って、意外と人付き合いがよかったんだろうか。「あんまり、話やすいってタイプの人でもないですよね」
「サワやん? そうっスね、排他的に人がいいってか、初めはとっつきにくいけど、仲良くなるとものすごく人の面倒見がいい。たぶん、シャイなんスよ」
 そう。シャイで、変に強情で、変に人がいい、不思議な人。
「サワやんとその仙人がなぜかメチャメチャ仲がよくて、実は付き合ってるんじゃないかって疑惑があったんスよ。そしたらある日サワやんが、俺たち、ひとつベッドに寝たことある仲だもん、だって。あの発言の真意は、いまだにナゾ。とにかく、あの二人といっしょだといろいろと面白かった」
 自分勝手なんだけれど、ノブさんに嘘をついているようで申し訳ないような、私が始めた話なのにもう終わりにしたいような、でももっとあの人のことを知りたいような。
「オウルド・ラング・ザイン。まあ、あんまり昔の話とか、懐かしがるのもね」
 そう言って、けっきょくノブさんが締めくくった。

 それからノブさんは、今日撮った写真をチェックしながら何かメモを書いて、そんな作業に没頭する。明日は朝からお寺に行くそうで、二人で早めに回族(フイズー)食堂に行って晩ごはん。なんだかとっても愛想のいい夫婦の食堂で、ここらでは大盛り八元くらいが相場の面片(メンピエン)が、食べきれないくらいの大盛りで七元だった。
 帰ると、今日もノブさんは青海(チンハイ)テレビを見て、私は布団の中で丸くなる。

十二月七日

十二月七日

 夢を見た。
 内容は思い出せないけれど悪夢だったのは確実で、全身に汗をかいていて、それが冷えて寒い。
 電気毛布のスイッチを点けたり消したりしていたら、ノブさんが起きてお湯を沸かす。七時半。外はまだ真っ暗。
「おはようございます。毎日お早いですね」
 あいさつすると、「松島さんも、今日はお早い」
 ノブさんが部屋の電気を点けた。タバコをくわえてライターを擦るまねをすると、彼は部屋の外へ。布団をマントみたいにしてベッドに座っていたら、一服を終わったノブさんが戻ってコーヒーを淹れる。
「何時くらいからですか?」
「十時十一時くらいかな。チベットの時間なんで、そのへんはアバウトな感じで。コーヒー飲むんならどうぞ」
 すいません、と言いながら、遠慮なくいただいてしまう。

 ノブさんが早めにお寺に行ったあと、私は少しゆっくりして、十時くらいにお寺に登った。
 広場に人はまばら、本堂の入り口にお坊さんが集まっている。石段を登ったポーチ左側に、大きなンガが置いてあった。直径一メートルくらいの、日本のような樽型ではなくもっと平たい感じ、木の枠に縦に吊られて横から叩くようになっている。その隣でノブさんが、お坊さんたちと話をしていた。私を見て手招きする。
「ずっと寝たきりだったから、きっついですね。この坂は」
 慣れたつもりでいたのに、やっぱり息も絶え絶え。
「大丈夫っスか?」
「いつまでも寝たきりも、どうかと思って」振り返って広場を見て、「人、あんまり多くないですね」
「本番は明日っスからね」
 本堂から石段を下ったところに踊りの輪ができるんだろうか、そこを囲むようにコの字型にマニ車を回しながら座っているのは、おばあさんが多い。本堂の中ではマントをかぶった座ったお坊さんたちが何人か読経の最中で、入り口に集まったお坊さんたちは、お互いの着付けをチェックして着崩れないように袈裟を安全ピンで止めている。いつもより襞の多い袴と、金襴を使った派手なベスト。
「ダンサーです」とノブさん。
「あと、どのくらいで始まりますか?」
「そろそろじゃないかな」
「ここ座ってて大丈夫ですか?」
「大丈夫、でしょう。俺よく座ってるけど、何も言われないから」
 石段の隅っこのほうに、腰を下ろした。日差しが強いから、日向に座っているとけっこう暖かい。ニット帽とマフラーと、ノブさんが貸してくれたガラの悪いサングラスで日焼けしないように顔を覆ったのに、あとで鏡を見たら、鼻の頭だけ赤くなっていた。
 ノブさんが私の横に座ると、すぐに始まった。本堂からダンサーがゾロゾロ出てきて広場で輪になると、ンガとスィルニェンのリズムに合わせて片足を軸にくるっと回って、襞を多くした袴がフワッと広がる。
「これは、仏教の儀式なんですか?」
 私が闇雲にシャッターを切っている横で、ノブさんは、大きなカメラを構えることもなく見ているだけ。
「一応修行なんだけど、もともとは仏教以前のものだと思いますよ。ボン教でもやるし、ボン教がボン教としてまとまったのは仏教が伝わってからだから、要は、宗教よりももっと呪術的な儀式が仏教的に再解釈されたもの、かな。明日の本番だとよくわかる」
「みんなけっこう練習してたのに、揃ってないあたりが手作り感ってか、ほほえましいですよね。明日も、同じような感じ?」
「明日のは、お面かぶって武器持ってやるし、プログラムももっと長いっス。でもまあ、ここのはちょっと冗長かな。ゴンパによって伝統があるから、決まってるところはすげえ決まってるしダラダラと長いだけのとこもあるし、そのへんがチベット的ってか、ギャラリーも飲み食いしながら見てるし」
 ダンサーの列が一周ぐるりと広場を周り終わると、一度に二人づつくらいの組になって、踊りながら本堂に戻る。
「ロクチャム。最後の三人が、メインっス」
 ノブさんが、カメラを構えた。その三人は一人づつソロになると、激しくなるンガとスィルニェンのリズムに合わせてスキップしながら右から左、くるっと回ると袴と袈裟がヒラヒラときれいで、そんな瞬間を狙ってノブさんがシャッターを切る。
 最後のダンサーが踊りを終わって石段を駆けあがると、ノブさんが立ちあがって「お昼です」

 午後にまた来るつもりで町に下ってお昼にしのに、またお寺への坂を上るのが面倒になって、けっきょく宿に帰ってゴロゴロしていた。ノブさんはお寺に残って、夕方帰ってきた。
 今日もノブさんがいたく気に入っているらしい回族(フイズー)食堂で、大盛りの面片(メンピエン)をつつく。
 そして帰ると、青海(チンハイ)テレビを見ながら写真をチェックするノブさんの横で、私はいつの間にか眠りに落ちていた。

十二月八日

十二月八日

 最近にしては寝付きも寝覚めもよく、起きたら、ノブさんがコーヒーを飲んでいた。
「どうっスか? 今日は」
「絶好調とは言えないものの、なんとか。今日も、昨日と同じくらいの時間ですか?」
「だいたい。でも、チベット時間なんで」

 今日もノブさんは素早く用意して、早めにお寺に行った。私も昨日よりはちょっと早めに行くと、大勢の人たちが広場にコの字型に座ってチャムが始まるのを待ってる。昨日と同じように、ノブさんが本堂の入り口でお坊さんたちと立ち話をしていた。その奥のほうを眺めると、金襴のきれいな服を着たダンサーが、踊りの練習をしたりお互いの着付けを直したりしている。
 ノブさんのそばに行くと、「ね、今日が本番」
 着飾ったダンサーの写真を撮っている。
 私も便乗して写真を撮りながら、「お面は、どんな?」
「よくゴンパん中に飾ってあるでしょ? テーマが悪の力に対する善の力の勝利とかそんなだから、忿怒尊関係っスね。これがまた、セクトやゴンパによってバリエーションがあるから、あちこち見てるとけっこう面白いっスよ」

 とりあえず、石段に座って始まるのを待つことにする。
 南側を向いて広場を眺めると、コンクリートの地面が眩しい。ノブさんからまた、ガラの悪いサングラスを借りた。ノブさん自身は今はメガネをかけていて、私の横で本堂の入り口を向いてカメラを持っている。ギャラリーは、ノブさんが言っていたようにポット持参だったり、おばあさんたちはグルグル手持ちのマニ車を回しながら、踊りが始まるのを待っている。正装の人も多い。女の人のエプロンは黒、両下側の角の部分に、黄色と赤のストライプが斜めに入っていた。
「女の人のベルトからぶら下げてるの、なんて言うんですか?」
 銀色のTの字を逆にしたようなアクセサリーで、大きさはいろいろだけれど、チベット服の女の人はほとんどが腰に付けている。
「ショルン、ね。もともとは、ミルキング用のバケツをぶら下げておくフックだったのが、アクセサリー化したものらしいっス」
「あんなのとか、きれいでいいですね」
「そうっスね。牧民とか、すげえ絵になるんだよなあ」

 しばらくそんな正装姿のチベット人を眺めていたら、ボォッとトゥンチェンの音が響いた。本堂から、ニワトリのトサカのような黄色い帽子をかぶって赤いマントを羽織ったお坊さんたちが、トゥンチェン、ンガ、ギャリン、スィルニェンを演奏しながら広場に登場。長く延ばしたトゥンチェンは二人がかりで、先のほうは吹き手とはべつのお坊さんが紐で肩から吊っていた。手持ちタイプのンガは、直径が本堂入り口に置いてあるのの三分の一くらい、長い取っ手がついていて、弓形のバチで叩く。
「あのエイリアンみたいな頭したのが、僧兵。河口慧海の本に書いてある」
 ノブさんが適度に解説してくれる。ニワトリのトサカ帽を前後逆にかぶって、鬼の金棒みたいな太い木の棒を持ったお坊さんたち。
「あの棒、実際に使うんですか?」
「人ブッ叩くって意味で?」
「百年前は、けっこう暴力沙汰が多かったみたいですけど」
「今は、一部ではまだスパルタだけど、坊主同士で斬り合いとかはさすがに聞かないっスよね。でもほんの五十年前、チベットがチベットだったころは、河口慧海の時代とほとんど変わらなかったみたいっスよ。今のあれは、一種ショーだけど」
 続いてお面のダンサーが、ゾロゾロ列になって石段を降りる。ラチャ、シンジェー、タムディン、ンガクパ、ゲロン、ノブさんが説明してくれる。お面の色と形が違うのは私にもわかるけれど、自分でマニアと認めるだけに、ノブさんはものすごく詳しい。
 赤い粘土細工みたいなものが運ばれてきて、広場の真ん中に置かれた。三十センチかそれよりちょっと大きいくらいの細長い錐形、てっぺんには笑っているような白い骸骨。その頂上に、傘のような青い布がひらひらとしている。
 ノブさんを見ると、「あれは、トルマ。バターとツァンパこねて作るんだけど、ほら、腸が絡みついてるでしょ? 今年一年の悪いことを引き起こしたスピリットの、死体っスよ。たぶん、残酷さがあんまり残酷と思われてなかった古い時代には、本物の人間を使ってたんだろうけど」
 何かの儀式が始まって、たぶんその儀式の中心になるお坊さんがお経を唱えながら手に持ったハンドベルみたいな鈴を鳴らしながら、麦なのか米なのか、何かを空に撒いている。
 それが終わるとノブさんが立ちあがって、「そろそろ移動です」
「どちらへ?」
「あれを、トルマを燃やすんですよ。今年の悪いもの」
 ノブさんについて、私も広場の反対側、町へ下る石段に移動した。そうするとトルマが広場から私たちの前を通って下のほうに運ばれて、楽器隊とお面のダンサーたちが続く。ノブさんと私もトルマのあとを追うけれど、ダンサーは広場から一段下がった建物の前でお面をはずして、休憩らしい。
 チベット式民家の間を抜けてトルマが運ばれた先は畑の真ん中で、積み重ねられた枯れ枝の小山の前に並べられると、また法要。さっきのように、えらい人がお経を唱えながら鈴を鳴らしている。ガソリン臭い。トルマが枯れ枝の山の中に放り込まれると、火が点けられた。長くつながった爆竹が、連続して大きな音を立てて破裂する。お坊さんたちも私もノブさんも、燃えあがる炎と飛び跳ねる爆竹から逃げるように広場に戻る。
「びっくりした。激しいですね」
「ははは。爆竹がね」
「フィナーレ、ですか?」
「そうっスね、普通、最後にトルマ燃やすとこが多いんだけど、ここはこれからまだまだ続きますね。でもまあ、今のがプログラムのメイン。清めの火。サー・ジェームズ・フレイザーって人の金枝篇って本読むと、いろいろ書いてある」

 休憩を終わったダンサーが列を作って、また広場の中心に登場。ロクチャム。昨日と同じで、何人かづつンガとスィルニェンの音に合わせて踊りながら、本堂に戻る。最後に残った三人は、ラチャ。黒い鳥のお面に、今日は袴と袈裟ではなく、金襴服のスカート部分と大きく広がった袖がダンサーの動きに合わせて、ひらひらときれいだった。
 最後のダンサーが、両脇を小さいお坊さんに抱えられて石段を上る。
 本堂の中に消えると、ノブさんが「お昼です」

 ノブさんといっしょに町まで下ると、中華食堂でお昼を食べてからまたお寺に登った。午後の部はもう始まっていて、赤い三ツ目の忿怒尊のお面をかぶったダンサーが二人、右手に刀を持って踊っている。
「一生懸命練習してたのに、なんか息が合ってないですね」
 ノブさんに言うと、「そのへんのユルさが、チベット的でいいじゃないっスか。でもね、こう、ゴンパによっちゃあカッチリ決まってるとこもあって、ここもラチャの三人は、メインだけにきちんと決まってる」
 確かに、ラチャの三人は動きが決まっていて、一番うまい。二人でまた石段に座って、次々とプログラムが移り変わるのを眺めていた。

 最後にまた、ラチャの三人が踊ってフィナーレ。コの字型に集まっていたお客さんが、バラバラと帰りだす。ノブさんも立ちあがると、周りのお坊さんたちに軽くあいさつしながら私のほうを向いて人差し指でぐるっと空中に円を描く。お寺を一周しましょう。
 歩きながら、「ノブさん的には、評価は?」
「うーん、前、今後充実させてくって言ってたけど、ちっとも進歩がない。まだまだかな」
「手厳しいですね」
「マニアなんで。俺に監督させてもらえたら、いい仕事しますよ。松島さんは?」
「うーん、たしかに冗長と言うか、地元の人たちみたいにお茶持って持久戦ならいいんだろうけど、丸一日じゃあ、日本じゃお客さん飽きて帰っちゃいますね」
「ショーであってショーでないっスからね。こう、一日ダラダラってのは、まあチベット人だからできるんだろうな」
「でもまあ、いいもの見せてもらいました。ありがとうございます」
 一周終わって、ノブさんはまた知り合いにあいさつしながら町へ帰る。
 ノブさんが、「来年もよろしくね、だって。もう来ねえよ」
「来ないんですか? あんなに楽しそうだったのに?」
「そう、もう来るもんかバカって言ってても、また来ちゃうんスよね。不思議なもんで」
 麗江(リージャン)も、もういいやって思いながらまた来ちゃうって、洋子さんが言っていたっけ。
「ノブさんは、チベットの魅力ってなんだと思いますか?」
「空気の薄さっスか?」
「それって、苦しいだけじゃあ?」
「いや、空気が乾いて澄んでるから、こう、エッジの立ったカッチンコッチンな写真が撮れるって意味で。赤とか黄色とかピンクとか、鮮やかでフォトジェニックだなあと」
「写真撮りに来てる人って、多いいんですかね? チベットって」
「ムダに大きいカメラ持ってる旅人は多いけど、旅先で思い出にとかじゃなくて、チベットの写真を撮るって目的で来てる人は多いのかな? でもね、プロを狙ってるアマチュアとかでチベットネタで勝負ってのは、なかなか難しかったりして」
「なんでですか?」
「第一に、ライバルがあまりにも多すぎ。みんながみんなチベット撮ってるから。第二に、出版社とかが中国と取り引きがあると、嫌がるらしい。政治的に微妙な問題っスからね、写真にキャプションひとつ付けるにしても、公の場に出るなら言葉を選ぶ必要がある。って、サワやんが言ってたっス。俺はまったくの趣味なんで関係ないけど、プロとかだと、仕事じゃない、趣味の部分でチベット撮ってることが多いって。確かに、チベット一本ってプロは少ないっスよね」
 そう、あの人、仕事でチベットの写真どうこうってことはなかった。
「人間、好きなことやって食えたらもちろん一番いいけど、なかなかそうもいかないっスよね。黒いものを白く撮れとかって、クライアントの言うことハイハイって聞いて」
 ノブさんの言う通り。だからあの人は、自分の撮りたいものを撮りに、チベットに来ていたんだろうか。あの人の撮りたかったものって、なんだろう。
「そういやノブさんて、お仕事は何されてるんですか?」
「俺? 俺は、実家が商売やってるんで、手伝ってとかね。まあいろいろと」
 なんだか話したくないような雰囲気だったから、それ以上聞くのはやめておいた。
 話しながら歩いているうちに宿に着いて、明日のセルタ行きバスの切符を買った。バスは宿の中庭から出るし、時間はお昼の十二時、早起きしなくてすむ。

 ノブさんはまたどこかに出かけたけれど、私は部屋に戻って、ちょっと横になるつもりが気がついたらもう夕方。いつの間にか帰っていたノブさんとすっかり顔なじみになった¥回族(フイズー)食堂に行って、大盛り面片(メンピエン)を食べる。帰ると、明日に備えてパッキング。
 明日は、久しぶりの移動。あの人のノートに『ワムダハウスかっこいい』と書いてあるのは、ダンゴからセルタに向かう途中の村のことらしい。でもセルタに関することは、簡単な地図しか描いていないし写真も残っていない。
 セルタには行っていないんだろうか。そう思いながら、すぐに眠りに落ちた気がする。

心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その5 再び、高原へ

心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その5 再び、高原へ

二00七年十月、私は旅にでた。目的地は、チベット。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-25

Copyrighted
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  1. 十二月一日
  2. 十二月二日
  3. 十二月三日
  4. 十二月四日
  5. 十二月五日
  6. 十二月六日
  7. 十二月七日
  8. 十二月八日