森の観測
むしのこえが、ときどき、きこえますので、あの森は、まだ、森としての機能を保っているのだと、せんせいは語り、ぼくたちは、星の観測をするように、毎夜、森を眺めます。学校の屋上から、見下ろす森には、その昔、おおかみがいて、りすがいて、野鳥がさえずっていて、いまは、すこしのむししか、おりません。ぼくらの街は、おおかみがいて、りすがいて、野鳥がさえずっていた頃とは、比べものにならないくらいの大きさに、なったのだといいます。つまりは、にんげんが増え、人工物が蔓延り、はんたいに、森は切り倒され、小さくなり、いきものは住処を追いやられて、いまは、ぎりぎり、森、というなまえを失わずに存在しているだけの、わずかなむしの寝床であることを、せんせいは、憂いている。
「ひとは、でも、自然を愛する心を、かんぜんに失ったのではないよ。みんな、花が好きで、緑が好きで、海が好きで、どうぶつが好きなのだから」
誰よりも森を想っている、せんせいの、祈りにも似た言葉が、ふしぎと、ぼくのあたまのなかに、するするとはいってきます。一語一句、浸透してゆきます。気温七度の夜は、空気が澄み渡り、街のあかりも、星のひかりも、うつくしくみえて、森は静かに、そこに横たわっています。ブラックコーヒーを飲みながら、せんせいが、屋上の鉄柵に寄りかかります。ぼくはしゃがんで、柵越しに森を見つめています。なにも、一ミリも、変化はなく、たとえば、とつぜん、おおかみが吠える、なんていうことも、もちろん、ありません。カラオケや、ゲームセンターといった、夜遊びよりも、ぼくは、こうして、せんせいと、微動だにしない森を、否、そういう風にしか、ぼくらには見えないだけで、実際には、あの鬱蒼とした樹々のなかで、日々、毎分、毎秒、なにかしらのことが起こっているのだと想像する、この時間が、好きでした。それこそ、秒単位でうつり変わってゆく、スマートフォンのなかでのことを、じっと監視している時間よりも。
「あ、ながれぼし」
せんせいが、つぶやきます。
天体観測も、いっしょにおこなっているのです、せんせいは。
森も、空も、平等に愛する、せんせいが、いつか、ぼく、というにんげんだけを愛してくれる日はくるのだろうかと、ぼくは思います。漠然と、しかし、明瞭に、ひみつだけが、雪のように静かに、降り積もっていく。
(この時間、この瞬間が、永遠でありますように)
すでに流れてしまった星に、こころのなかで、ひそかに願う、冬の夜です。
森の観測