一口短編集

蛙鳴蝉噪

物ノ怪
「いやはや、棲みづらい世になつたものよ」と物の怪は言ふ。
もはや暗闇など何処にあろうか。
時代にそぐわぬ提灯が口を開けるかの如く横に裂ける。
「山ン本サンの木槌鳴らず」
千鳥足で彷徨う群れ。
背後が徐々に明けていく。
「やぁ日起きぞ、日起きぞ、空亡きや」
からからと嗤い進み続ける。
「あなおそろしや」「げにおそろしか」

悪漢法師
「この世のありとあらゆる悪行を成し、今ここに在るわけだが」
坊主は座布団の上に胡坐をかいている。
「でしたら貴方は天国へは往けませぬな」
坊主の前に正座をしている身なりの整った男性が言う。
「元より行く予定もない。我らが御本尊様は皆を極楽へとお運びくださるそうだからな」
顎で奥に鎮座する仏像を指す。
「そも私が天国とやらに行けぬのならば、このような外道に弔われた者たちはいったいどうして天国に行けましょう」
「その者たちは貴方が悪であることを知らなかったのでしょう。仕方のないことです」
「一旦でも外道の力を求めたのであらばその者ももはや外道に違いありませぬか?」
坊主はにたりにたりと笑みを浮かべる。
「神も仏も同じく貴方の悪行を知っていることでしょう。いずれ罰が下りますゆえ」
天網恢恢(てんもうかいかい)ですか。これほどの悪行を成してもいまだに天には拾われませぬ。
いうなれば私の悪はそれほど小さいということ。網をくぐることなど造作もない」
坊主は咽喉の奥をくつくつと鳴らすと木魚の内に隠していたパイプを取り出してぷかぷかと吹いて見せた。

夜半
部屋の灯りを消し布団の上に横になる。
開け放たれた襖の向こうには月明かりに照らされている庭先が見える。
池の水が月の光を反射して煌々と輝いている。
蚊取り線香の香りが涼やかな風と共に部屋を駆け回る。
昼間聞こえていた蝉の鳴き声は今ではぴたりと止んでおり、蛙の鳴き声にとって代わっていた。
ひとしきり風情というものを堪能した後、私は忘れていたことを思い出した。
頭の近くに置いてあるランタンを灯す。
暗がりの部屋は仄かな橙色の灯りを含んだ。
ランタンの足元を手で探り、薬剤のチューブを取る。
か弱い灯りを頼りに私は目を凝らして節くれ立った手に軟膏を乗せて馴染ませた。

警鐘
爆発音が鳴り響き、店内は大きく揺れる。
原稿に一滴の珈琲が落ちてじわじわと広がっていく。
店内にいた客達は避難、もしくは様子を見るために一斉に外へと出ていった。
男はそちらに見向きもせずに小説を書いていた。
今起きている戦争の悲惨さを、自分達は、国民は何をなさねばならないかを男は理解していた。
しかしそれを述べたところで誰一人耳を貸す者はいない。
そこで男は物語の中にそれを組み込むことにした。
物語ならば万人の興味を引くことができる。
ふと、机の向こう側から顔を出してこちらを覗いている少年に気が付いた。
紙からペンを離して少年を見つめる。
「クレマン、なんだっけ。おじさんお話を書く人でしょ」
「あぁ、そうだよ」
「父さんも母さんも読んでたよ、ぼくはよく分からなかったけど。二人とも同じこと言ってた」
「なんてだい」
少年は何一つ含みのない、純粋なままで答えた。
「裏切り者」
男は少しだけ苦笑して見せ、何も言わずに再び原稿に取り掛かった。
少年は何事もなかったかのように店を出ていった。
男はこの戦争が終わるまで、誰一人それを理解することはないと思った。
たとえあの少年が死んだとしても。
再び爆発音が鳴り響く。
近くで発生したらしく、窓ガラスが何枚か割れて棚からカップが転げ落ちた。
男は原稿を鞄にしまって立ち上がると、冷めた珈琲に口づけを交わした。

一口短編集

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-11-23

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