心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その2 高原へ

Yangchen Dolma

  1. 十一月七日
  2. 十一月八日
  3. 十一月九日
  4. 十一月十日
  5. 十一月十一日
  6. 十一月十二日

十一月七日

 麗江(リージャン)には四泊した。
 洋子さんと郊外に観光に出たり、一人で旧市街をどこに行くとなく散歩してみたり、部屋に帰ってこれからのことを考えてみたり。

 五日目の朝、洋子さんはバスターミナルまで見送りにきてくれた。彼女はもう二、三泊するらしい。
「気をつけて、行ってらっしゃい」バスに乗り込む私に、洋子さんが笑顔で言う。「楽しんでくるんだよ」
 私も笑顔で、でも何を言っていいのかわからない。
「ありがとうございました」
 それだけ言うとバスに乗り込んで、自分の座席についた。ギェルタン行き高速バスは麗江に来るときに乗ったのよりはランクが落ちて、車内トイレなし、お水なし。原色のアウトドアウェアを着た中国人観光客のほかに、労働者風の中国人もお客さんとして乗っている。外国人は、白人のカップルと私。

 定刻通り、バスは発車。バスがターミナルから大通りに出ると、洋子さんが歩道を歩いているのが見えた。私が座っているのは右の窓側、つまり歩道側で、洋子さんが私に気づいて手を振った。声は聞こえないけれども、口の動きでバイバイと言ってるのがわかる。私も手を振り返す。さようなら。なんだか涙が出た。
 一人旅をしに来たはずなのに、一人になってしまうと思うとやたらに寂しかった。小さいときから友だちと外で遊ぶよりは家の中で本を読んでいるほうが好きなたちだったのに、本格的に一人っきりになってしまうのが、こんなに切ないものだとは思わなかった。人恋しくて人恋しくて、でも、泣いていてもしょうがない。これからの私の行き先を考えることにする。

 ギェルタン行き高速バスが走っているのは、高速道路ではなく一般道だった。針葉樹の森の中をくねくねと、登ったり下ったり、洋子さんの言っていた雲南(ユンナン)省は事故が多いとの話にも、なんとなくうなずける。
 深い谷間に下りて、長江上流のディチュ川を渡った。麗江地区とデチェン州の境。ここから先は、デチェン・チベット族自治州。道路の標識や看板が、漢字とチベット文字で書いてある。あの人には読めるんだろうけれど、チベット文字は私にはまったく未知の文字で、わかるのはローマ字と違ってどうやら罫線の上を基準にして書くことくらい。中国語は、麗江で洋子さんに教えてもらって中国式漢字とカタカナと私なりの声調記号で簡単な語彙集を作ったから、買い物、食事、それに泊まるのと移動はなんとかなりそう。

 経済発展特区だかなんだか、きれいに整備された広い道路とぜんぜんテナントが入っていない大きなビルが立ち並ぶゴーストタウンみたいなところで休憩。やっぱりトイレは、中国式。腰の高さくらいの仕切りしかなく個室にはなってないところで、みんな大きな声で話しながら用を足す。
 食事休憩の時間みたいだけれども、私はバスに戻って、買っておいたチョコとビスケットで簡単にすませた。
 それから、トレッキングルートで有名らしい虎跳峡(フーティアオシア)の入口でまた停車。白人カップルはバスを降りたから、虎跳峡観光に行くらしい。ホテルとかレストランとか英語の看板が多いから、シーズン中はトレッカーでにぎわうんだろう、と思う。
 そういや、シーズンていつなんだろう。十一月初旬の麗江は、朝晩は少し寒かったけれど日中晴れれば上着を着ていると少し汗ばむくらいで、私にはちょうどいい気候だった。麗江旧市街は中国人観光客だらけだったのに、ここは閑散としている。
 洋子さんによると、「白人はトレッキング大好きだけど中国人って意外とヘタレで、上から下までアウトドア用品フル装備でもトレッキングとか行く人は少ないんだよね」
 カップルを降ろすと、すぐにバスは発車。ディチュ川をさかのぼって、標高を上げる。いつの間にか、寝てしまっていた。

 目が覚めると、針葉樹林の森は消えて草原地帯に入っていた。地平線の彼方までまっ平らではなくけっこう起伏が多くて、そして遠くには雪山。太陽光線が強いからか、景色がものすごくくっきりと見えるような気がする。中国人観光客は大はしゃぎで、カメラを持って車内をあっちに行ったり、こっちに行ったり。
 草はもう枯れているけれども、まぎれもない、これは、私が思っていたチベットの風景。その枯葉色の野原に、牛のようでモップのような長い毛の動物。
 ヤクだ。毛の色は黒が多いけれど、たまに白と黒のブチもいる。頭が大きくて、なんとなく愛嬌のある顔だった。車に驚いたのか、ふさふさした尻尾を振りながら突然駆けだす姿がかわいらしい。
 それと、重厚な壁のチベット人の家。あの人のノートにイラストがあって、『ギェルタンハウス、土壁、切妻』とある。あの人に絵の才能があったとは知らなかったけれど、考えてみれば芸術系の大学に通っていたのだから、これぐらい描けて当然かもしれない。
 二階建てで小さな窓、南向き、土の壁に囲まれた庭付き。屋根と二階の天井の間にある三角形をした空間は、収穫した穀物か何かを干しておくところらしい。屋根のてっぺんに立っている何かの旗が、風にはためいている。時計の高度計を見たら、表示は三二00メートルだった。

 私は、チベット高原に来ていた。

 午後三時ごろに、バスはギェルタンの市内に入った。麗江ほどではないのだろうけれど、ここも予想外に大都会。ここはデチェン・チベット族自治州の州都、香格里拉(シャンゲリラ)チベット族自治県の県庁、大都会なのは当然といえば当然か。洋子さんの言うように中国はものすごい勢いで開発されていて、チベットだけがいつまでも秘境であるわけにはいかない。

 町の北側にあるバスターミナルに着いた。あの人のノートの地図を見ると、バスターミナルは昔、町の中心にあったらしい。地図の昔のバスターミナルの位置に描いてあるバスのマークにバツ印が付けてあって、今のバスターミナルの位置に『新バス駅』と書いてある。
 旧市街に客桟があるみたいだったから、バスターミナルから市バスで町の南側の旧市街に行くことにした。寒さに備えて服を着込んでいたからバックパックは軽くなっているはずなのに、背負うと押しつぶされそうにまだまだ重い。それに、服を着込んだものの、日差しが強いから日中は意外に暑かった。バックパックを背負ってちょっと歩いただけで、息が切れて心拍数が上がるのがわかる。空気が薄い。

 旧市街前で市バスを降りた。
 麗江。広い駐車場に、お土産物屋街に中国人観光客。まるで麗江だった。
 とりあえず宿を見つけなければ、と旧市街の中に入る。石畳に、やっぱり麗江みたいなお土産物屋が軒を連ねていて、でも麗江と違って建物にはどれも趣がなく麗江の安いコピー商品のよう。
 とにかくそんな中、ホテルと書いてあった看板のあるところに入って部屋の料金を聞く。どこも新しくてきれいで、ツイン一部屋で百元とかそんなのばかり。一元を十五円と考えると日本的には悪くないんだろうけれど、これから先のことを考えると、一泊百元とかそんな部屋には泊まっていられない。何軒がまわって、ようやく四人部屋一ベット二十元の客桟を見つけた。シャワーは温水だし、トイレはちゃんとした個室で水も流れる。
 部屋に荷物を置くと、ベッドに横になった。心拍数が一分間に百近い。麗江で買っておいたペットボトルの水を一気に半分くらい飲んだら、ちょっと身体が楽になったような気がする。
 あの人の写真集をバックパックから取りだして、眺めた。写真にはぜんぶ番号が付いていて、アルバム帳の表紙の裏に対照する番号と撮影場所をカタカナとチベット文字で書いたリストがある。その中に、ギェルタンの家の写真があった。麗江からギェルタンに来る途中に見たような土壁の建物、撮影場所は旧市街のはずなのに、たとえば今私がいる石造りの建物とはまったくべつのもので、道路も石畳ではなく未舗装の土の道。
 ギェルタン旧市街は、新しく造り変えられているらしい。
 ベットから起きあがると、あの人が撮ったギェルタンの写真をちょっと眺めて、その写真とあの人のノートとカメラを持って外に出た。

 町の外に点在していたチベット人の民家は高くて厚い土壁に囲まれていたのに、今のギェルタン旧市街に建つ家はどれも石造りで、道路に面した一階が麗江で見たような壁のない構造。あの人が撮ったような路地は見当たらない。
 麗江と同じような四方街には、串焼きの屋台が並んでいた。ちょっと旧市街の中心から離れると、建設中の建物ばかり。ギェルタン旧市街はまだまだ発展途上、これは、旧市街という言葉に対する私と中国人の認識の違いだろうか。たぶん中国人観光客にしてみれば、お土産物屋さんがたくさんあって買うものがいっぱいあるし、これでいんだろう。新しく造ったんなら新市街じゃないか、と私は思う。あの人が撮った路地は、とうとう見つからなかった。

 ネットカフェを見つけたから、日本語は打てなかったけれどいくつかメールを送って新市街を散歩。中華食堂で牛肉面(ニュウロウメン)を食べると、歩き疲れたからもう帰って寝ることにした。
 空は夕暮れ。旧市街の真ん中の丘の頂上に建つお寺に、ネオンサインみたいな電飾が光っている。
「趣味悪いなあ」
 思わずひとりごと。
 四方街では、麗江みたいに大勢の人が輪になって踊っている。頭の奥が少し痛い。四方街を通り抜けて、宿に帰った。

 天井が高くて壁が真っ白で、四隅にそれぞれベットがあるだけ。そんな部屋に私のバックパックがポツンとひとつ、こんなにこの部屋広かったっけと思う。
 寂しかった。日本を出てまだ十一日なのに、こんなにも寂しくて人恋しくて、やっぱり私は来るべきではなかったのかもしれない。
 なんだかもう疲れたし頭が痛いし、みんな高地の薄い空気のせいなんだろうか。ちょっと歩きすぎた。

十一月八日

 眼の奥から頭の内側に広がるような痛みと息苦しさで、なかなか寝つけなかった。
 それでもいつの間にか眠っていて、気がついたらもう朝の九時すぎ。なんとなく身体は重いけれど、頭痛は消えていた。順応したんだろうか。

 空には、雲が多い。
 ベッドから起きて、ちょっと寒かったけれどシャワーを浴びた。チベット人はシャワーとかお風呂とかめったに入らないし、あの人もチベットにいる間はお風呂なしの生活が続くことがあると言っていたけれども、私は髪だけは毎日洗いたいなと思う。
 夜は麗江(リージャン)より寒かったのに、日が昇ると麗江より暖かいような気がする。部屋に暖房はないし、窓は西向き、日中は少し寒い。外に出よう。
 ギェルタンの町の北には、大きなチベット仏教のお寺がある。観光でもしていれば、気分も少しは晴れるかもしれない。

 スムツェンリンというそのお寺に行く市バスに乗って、郊外に出た。いや、出ようと思ったら町のはずれにチケット売り場があって、バスから降りてスムツェンリン風景区入場料三十元を払うとまたバスに乗った。
 丘を越えると、その先にはスムツェンリン寺。チベットのお寺は飛鳥寺式とか四天王寺式とかそんな整然としたした伽藍配置でなく、丘の南斜面に白やエンジの壁の建物が雑然と寄り集まって建っていた。いくつかの建物には金色に光輝く切妻屋根がのっていて、それと、白いチェスの駒みたいなのはチベット式のストゥーパ。チョルテンと呼ぶらしい。
 お寺の正面がバスの終点。バスを降りると朱色の柱に金色の装飾がされたケバケバしい大きな門、その道を挟んで対面には、旧市街にあったようなお土産物屋さんが並んでいる。門をくぐるとコンクリートの階段が、あれは本殿だろうか、金屋根の大きなエンジ色の建物まで続いていて、これを登るのかと考えただけでも息が切れる。
 境内を歩くお坊さんたちの僧服のエンジ色が、色鮮やか。エンジ色の袴に、身体に巻いているエンジ色の布はチベット式の袈裟だ。
 階段を登り始めた。鼻歌まじりにヒョイヒョイと歩き回ってる小僧さんが、信じられない。私はハアハアとしながら、ようやく歩いている。本堂横の入口までなんとかたどり着いて下を見ると、ギェルタンの町は丘の陰に隠れてほとんど見えないけれど、うねうねと続く丘や草原が遠くまで見渡せて気分がよかった。

「ニーハオ」と言われて振り向くと、エンジ色の袈裟の初老くらいのお坊さんがいた。彼は私に何か言って、でももちろん何を言われたのかよくわからない。
「すいません、わかんないの。私、ジャパニーズ」
 日本語で言ったら通じたのかどうか、お坊さんは「ジャパン、ジャパン」と言いながら、入りなさいと手振りをする。
 本堂の中に入ってはみたものの、日本でもお寺に行くのはお墓参りのときくらいの私だし、ましてチベットのお寺なんてよくわからないことだらけ。けれど、朱色をベースにしたカラフルな柱と、金ピカの仏像と、そしておどろおどろしい壁画。壁画の神々は人の頭蓋骨を頭に飾ったり首にぶら下げたりして、その頭蓋骨のケラケラ笑っているような顔がどこかユーモラスだった。
 お寺の中は極彩色の世界で、青空と枯草色の草原の殺風景さとのコントラストが印象的。枯草色の草原は、夏には一面緑の青い草原になるんだろうけれど。

 小さいお堂をのぞきながらしばらくお寺の境内の中を歩いてから、バスでギェルタンの町に帰った。少し距離はあるけれど、町の北側、バスターミナルの近くで市バスを降りて歩いて旧市街に戻ることにする。
 ショッキングピンクの毛糸を束ねたものを頭にターバンみたいにグルグル巻きにしているのが、チベット人女性らしい。中国服みたいな打合わせの刺繍がきれいな黒いベストを着ていて、両脇にスリットが入ったふくらはぎくらいの丈のスカートの下にズボンと、青いエプロン。若い娘さんは、ジーンズと民族衣装を組み合わせている。道路清掃係のおばさんがふつうに民族衣装で作業してたり、ここでは民族衣装というものは普段着らしい。私が着物を着たのは、七五三のときと成人式くらい。
 そういや、男の人で民族衣装を着ている人は少ないと思う。男物は日本の着物みたいで、左前で裾を膝あたりまでたくし上げて、胴回りをダブダブにして着る。異常に長い袖は、下にたらすと足の膝ぐらいまである。若い男の人の民族衣装姿は、まったく見ない。男の人には、洋服のほうがカッコよく見えるのかもしれない。

 日差しは強烈で、歩き回っているとけっこうな暑さ。部屋に戻ると、やっぱり広い四人部屋に私のバックパックがポツンとひとつ。空気が薄いから、身体が疲れやすいんだろう。頭痛は消えても、ひどく疲れた気がして眠い。自分のベットに座って、そう、さっきスムツェリンのお土産物売り場を見て思い出した。
 バックパックを開けて奥から引っ張りだしたそれは、高さ四センチ、厚さ二センチくらいの銀色の小さな箱で、五角形を上下に引き伸ばしたそのてっぺんがモスクの屋根のようになっていて、真ん中に開いた窓から神様か何かの絵が見える。紐で首から下げるようになっている、チベットのお守りらしい。これは、あの人が最後のチベット旅行から帰ってきたときに私にくれた。お土産なんて買ってくるようなタイプではなかったから何かお土産が欲しいと言ったことも忘れていて、チベットから帰ってきたあの人に手渡されたときには、素で驚いてしまった。
 お守りの紐を首にかけてガイドブックとあの人のノートを開くと、ギェルタンの次を考えてみた。このまま北上すれば、四川(スーチュアン)省カンゼ・チベット族自治州チャンテン県。西に行くとデチェン・チベット族自治県で、デチェン県を通って、道はチベット自治区ラサへと続いている。けれど、チベット自治区に入るには入域許可証が必要だ。
 デチェン県には、聖山のカワ・カルポがある。カワ・カルポは雲南(ユンナン)省とチベット自治区にまたがる雲南省最高峰、標高は六七四0メートル。山の写真はあの人のテーマの一つだったはずなのに、あの人の写真集にはカワ・カルポの写真はない。なんでだろう。ノートには一通りデチェンの町の地図は書いてあるから、行ったことはあるんだと思う。

 デチェンに行ってみよう。そのあとはギェルタンに戻って、四川省カンゼ・チベット族自治州。デチェン行きのバスが昼くらいまであるのは、ターミナルで確かめておいた。

十一月九日

 切符売り場のおばさんは微妙な英語をしゃべっていたけれど、これは中国ではかなり珍しいことだとあとで知った。
 お客さんは中国人観光客と地元の中国人と、外人は私のほかに白人のおじさんが一人。やっぱり中国人観光客は、大きなカメラを持って大はしゃぎ。大草原を走っていくのかと思ったら、意外と麗江(リージャン)からギェルタンに向かうときのような針葉樹林帯。細くて危なっかしい道を、スピードを出して走る。チベットだけにヒマラヤ杉だろうか、と思いながら、流れる木々を眺めていた。
 着生植物なのか、木々の枝からは浅緑色のもやもやしたものが垂れ下がっている。あれは、なんて名前だろう。

 また、気がついたら寝てしまっていた。バスの旅は振動が心地よく、すぐに眠くなりがち。
 景色といえば、木々はまばらで岩だらけの山が目立つようになった。遠くの山には白い雪。空は曇り、なんだか寒々しい。少し息苦しい気がして高度計を見たら、四000メートル近かった。
 バスはくねくねとした道をゆっくりと登って、万国旗みたいなチベットの旗がたくさんはためいているところをすぎると、そこから下り。峠越え、標高は四二九二メートル。道幅が狭い上にくねくねと曲がりくねっているのに、そこをけっこうなスピードで下るからちょっと怖い。
 やがてまたぼろをまとったような感じの針葉樹林と着生植物の森が見えると、ギェルタンから五時間ちょっとでデチェンの町に着いた。山の中腹に建物がゴチャゴチャと集まっている風景は、私の思い描くチベットよりも日本の温泉街のような感じ。県名はデチェンなのに、県庁所在地の名前はジョルというらしい。チベット語、中国語、それにチベットの伝統的な地名やら中国の行政上の呼び方やらいろいろで、難しい。

 ターミナルは町の真ん中。バスから降りてバックパックを背負うと、「ホテル探しているの?」英語だった。
 声のほうを見ると女の子が立っていて、私のしゃべるような壊れたアジアなまりでない、ちゃんとした英語で話しかけてきた。
「あなた日本人? どこに泊まるの?」
 彼女は、ジョルの町から五キロ離れたところにある客桟の客引きだった。ジョルの町中にも立派なホテルはいくつもあるけれど、ほとんどの観光客は町の中には泊まらないで十キロくらい遠くの村に行く。カワ・カルポが見えるからだ。一瞬考えてから、客引きの女の子に引かれてタクシーに乗った。
 英語をしゃべる女の子は昼のバスで来るかもしれない外国人観光客を待つんだろうか、彼女はその場に残って、べつの英語がわからない女の子とタクシーに乗って客桟に向かう。ギェルタンでチラシを見て、その客桟は知っていた。民家を改造した客桟だそうで、なんとか賓館(ビングアン)みたいな中国宿よりはチベット的なんではないかと思った。

 町の外に出ると、山の斜面の傾斜のゆるいところは畑になって、その中にポツンポツンとチベット人の家が点在している。ギェルタンの民家と違って屋根には切妻がないし、中庭を囲む重厚な土壁のある家は少ない。二階建てで壁が白く塗られていて、これはギェルタンの家もそうだったけれど、窓が小さいのは寒さを防ぐためらしい。
 タクシーから降りて道路から少し石段を降りたところにある民家が、その客桟だった。一見二階建てのようでも斜面を利用して建ててあるから、女の子に案内されて入ったのは一階だと思ったらそこは二階、半分地面に埋もれたような一階へ降りる階段があった。南側、正面から見ると三階建てなのに、裏側から見ると二階建て。あの人のノートに、こういう東チベットの標準的な家屋の見取り図が描いてある。一階部分は家畜小屋らしい。ここの客桟では、砂利をひいた地面にベットが並ぶドミトリーになっていた。私は一階ドミは寒そうだしと、二階の四人部屋に泊まることにした。先客が一人、ベットの横に荷物が置いてある。ほかにお客さんはいないらしい。

 空は曇り、ギェルタンよりも寒い。太陽熱を使った給湯設備があったからシャワーを浴びたけれど、そのあとがものすごく寒かった。洗濯をすると、まだまだ明るかったから散歩に出る。標高は三二八0メートルもあるのに、息苦しさは感じない。緑が多いからだろうか、身体が薄い空気に慣れたんだろうか。
 道路はところどころ今にも崩れそうだったり、危なっかしいけれども、この道はラサへと続いている。チベットというと草原と遊牧民のイメージしか持っていなかった私の目には、畑があって緑の農村のチベットというのは新鮮だった。森の中にはポツンと、白いチベット式ストゥーパ、チョルテンが建っている。チベット語でチョルテン・ガンという、カワ・カルポが見えるポイントまでの道のりを半分くらいまで歩いてから、引き返した。

 私と同室の人が帰っていた。ドイツ人のおじさん、日本に住んでいたことがあるし日本人の彼女がいたそうだけれど、過去形なのはあまり気にしないでおこう。英語の授業は好きだったし高校のときアメリカに短期留学したこともあったのに、日常生活で使う機会はなかったから、中学高校の英語の先生方には合わせる顔がないくらい恥ずかしい英語でも、おじさんにはなんとか通じている。こんなことになるなら、もっとまじめに勉強しておけばよかった。
 宿の周りにレストランはないから、宿の食堂というか、台所兼居間でおじさんと晩ごはんを食べていると、バスターミナルで会った英語をしゃべる女の子が帰ってきた。その女の子は英語の通訳係で、バスターミナルから私とタクシーに乗ってきた女の子が中国語でいう服務員(フーウーユアン)的な雑用係、あとはコックさんと、どうやらオーナーらしいおじさん。なんか、アットホームだった。
 英語をしゃべる女の子はデキという名前で、青海(チンハイ)省の学校で習ったというその英語は、たぶん先生がよかったんだろうし本人も努力したはずだ。東洋人なまりがほとんどないし文法もきちんとしていて、やっぱり私は恥ずかしかった。

十一月十日

十一月十日

 起きたら、雪が降っている。
 寒いし、午前中は音楽を聞きながら日本から持ってきた文庫本を読んで、ダラダラと布団の中ですごした。ベッドに寝転んで天井を見上げると、青い梁とか赤い柱とか、壁のあちこちにも絵が描いてあったりするのがスンツェンリン寺と同じように鮮やか。
 ドイツ人のおじさんは、雪が小降りになったら散歩に出た。禅、だろうか。朝起きると頭からすっぽりと布団をかぶってベッドに座って、じっと動かなかった。

 昼ごろに空は曇ったままだけれど雪はやんだから、チョルテン・ガンまで歩くことにした。約五キロ。これは、けっこうな運動。相変わらず空気は冷たかったのに、チョルテン・ガンに着くころには汗をかいていた。
 チョルテン・ガンの少し手前に、中国語で飛来寺(フェイライスー)、チベット語でナムカ・タシというお寺がある。あの人のノートには簡単に『新築物件、坊主ナシ』と書いてあるだけで、古い建物の見取り図やら来歴やらは細かく書いてあるようだから、つまり、あの人の趣味はチベットの古建築にあったということだろうか。
 その先のホテルやお土産物屋が並んでいくつも白いチョルテンが建っているところが、チョルテン・ガン。カワ・カルポを眺める場所。建てている途中のホテルもあるし、まだまだ開発中らしい。

 チベットの言葉でカワ・カルポ、白い雪。中国語では梅里雪山(メイリーシュエシャン)。曇っているから当然といえば当然に、カワ・カルポも雲の中。ちょっと残念。
 白いチョルテンがいくつも建っている、そのあたりを歩いてみる。万国旗みたいな旗があちこちにいっぱいで、この旗の五色は地水火風空の五大に対応してそれぞれの旗に印刷してあるチベットの経文を風が読んでうんぬんとか、たいていのチベットの旅行記には書いてあるけれど、そんな知識なんかなくても、黄緑赤白青の旗がいくつも風にはためいている風景は美しかった。晴れていれば、もっと絵になる風景だったんだろう。
 山腹に刻まれた自動車道路は、谷側がところどころ崩れている。やっぱり危なっかしい。そしてあちこちにゴミが捨ててあるのは、どの国も似たようなものだと思う。観光開発と自然保護は、両立しないんだろうか。
 洋子さんが言っていたようにチベットはいつまでも秘境ではないんだろうし、私はここではしょせんよそ者で、環境保護がどうとかこうとか、口を出すべきではないんだろう。でも、ちょっぴり悲しかった。

 宿までまた歩いて帰ると、雨が降りだした。歩きすぎたみたいで、また少し頭が痛い。
 ドイツ人のおじさんは、薄暗くなり始めたころ雨に打たれながら帰ってきた。明日の朝のバスに乗って、ギェルタンに戻るらしい。おじさんは食堂でデキを通訳にみんなと談笑していたけれど、私は疲れて頭が痛かったから、早くに寝た。

十一月十一日

十一月十一日

 朝早くおじさんは出ていって、けっきょくお互いあんまりよく知らない人のまま。
 頭痛は消えたし、空には雲は多いけれどちらりと晴れ間がのぞいていたから、またチョルテン・ガンに行った。でもやっぱり、カワ・カルポは雲の中。また道路沿いを歩いてから、宿に帰る。

 あの人のノートには、カワ・カルポを何日もかけて一周する巡礼路のことが詳しく書いてある。デチェンには一回しか来たことがないはずなのに、あの人には何か、カワ・カルポに対するこだわりがあったんだろうか。

 天気がまた悪くなってきた。宿まで歩いて帰って、一人になった部屋の中でぼうっと考えごとをしていたら夕方。
 明日、ギェルタンに戻ろう。ギェルタンから北へ、四川(スーチュアン)省カンゼ州へ。

 その日はお客さんが私一人だったからだろうか、デキは戻ってこなくて、私は晩ごはんのあとすぐに部屋に戻った。私はもちろん中国語もチベット語も話せないし、オーナーのおじさんや服務員(フーウーユアン)の女の子は英語が話せない。日本語なんて論外だ。どうやら、コックさんは中国人らしい。
 オーナーのおじさんも服務員の女の子もデキも中華人民共和国の国民なんだから中国人のはずなのに、チベット人を中国人と呼ぶのにはなんだか違和感がある。私が思うステレオタイプな中国人とはつまり、漢人、漢民族のことで、中国には五十六の民族があって、でも十三億の人口のうち九割以上が漢人で、中国語と呼ばれる言葉は実際には漢人の言葉で。
 なんだかよくわからなくなってきた。

十一月十二日

 オーナーのおじさんにジョルまで車で送ってもらって、バスに乗ってギェルタンに帰った。
 天気はやっぱり曇りがちだし峠では雪がパラついていたのに、ギェルタンに近づくと雲がだんだん晴れてくる。天気って不思議だ。峠ひとつ越えただけで、デチェンは曇っていたのにギェルタンは快晴。そして標高も同じぐらいなのに、デチェンの山と森、ギェルタンの大平原、地球って不思議だ。

 スムツェリン寺の金屋根がきらきら光っている。
 お寺に向かう道からは見えなかった山の裏側は採石場か何かになっているらしく、山肌がざっくり削られていた。たぶんそこは風景区域外で、だから土をとっても問題ないということなんだろうか。釈然としないけれども、日本でもそういったことはよくあるし、世界的にもそうなんだろう。

 バスは行きと同じように、五時間弱でギェルタン着。切符売り場で微妙な英語をしゃべるおばさんに四川(スーチュアン)省行きのバスのことを聞いたら、明日の七時半と言われて切符を渡された。なんか、おばさんのペースでウヤムヤのうちに切符を買わされたけれど、まあ、ギェルタンに用事もないし、明日、四川省カンゼ自治州のチャンテン行き。

 旧市街のユースホステルに泊まることにすると、また新しい旧市街の中を歩いてから、早めに夕ごはんにしてその日も早く寝た。なんだか、寝てばっかり。
 私が泊まっていたのは、二段ベットが三つの六人部屋。私のほかに、住人が二人いるらしい。でも彼らだか彼女らだかは夜中に帰ってきたから、顔を合わせることはなかった。

心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その2 高原へ

心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その2 高原へ

二00七年十月、私は旅にでた。目的地は、チベット。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-11-21

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