心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その1 雲の南より

Yangchen Dolma

心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その1 雲の南より
  1. 十月三十一日
  2. 十一月一日
  3. 十一月二日
  4. 十一月三日
  5. 十一月六日

 片雲の風にさそはれて、漂白の思ひやまず。
 そう書いたのは、松尾芭蕉だったか。

 私は、漂泊の念に駆られたわけではないけれども、理由(わけ)あって旅に出る。
 仕事を辞めて、私にとってえらく壮大なこの計画を実行するのに準備にまるまる一ヶ月、思い立ってからは四ヶ月か。漠然と三ヶ月かそれ以上の旅行と予定を立てると、住んでもいないのに家賃を払うのもバカらしいと思って、アパートは引き払うことにした。実家に帰ればいいのに出発の日にアパートを出たのは、親の反対を押し切った手前、なんだか気まずいから。

 十月末、日本最後の夜は、何もないガランとした部屋に寝袋を敷いて寝た。寝袋の窮屈さに慣れていないのと、いろんな、雑然としたイメージが寄せては返してほとんど寝られなかった。

 不安だらけ。
 あの人も、そうだったんだろうか。
 私を駆り立てるのは、もうひとりのあの人。私の知らないあの人。あの人は、何を見て、何を想い、笑って、怒って、ときに涙を流していたんだろう。

 答えは、チベットにある。

十月三十一日

 香港。
 長期の中国ビザは香港で簡単に取れるそうで、私は香港に来ていた。海外旅行は初めてではないけれども、一人旅は初めてだし、『ドミトリー』に泊まるのも初めて。いわゆるバックパッカー的な旅が、初めてだった。

 洋子さんに会ったのは、香港に着いた夜のそんなドミトリーの中。彼女は、何かフリーの仕事をして暇と資金を作っては世界中あちこち旅して回っている人らしいということを、なんとない自己紹介で知った。香港には仕事で一年くらい住んでいたことがあるそうで、北京語と広東語を流暢に話す。小柄でかわいらしい感じ、若く見えるけれど、三十歳くらいだろうか。
 私は、自分のことを人に話すのは得意ではないし初めて会う人との会話も苦手だから、松島真理子といいます、仕事辞めて中国に旅行に行くんですとか、それくらいしか話すことがない。
 まあ、最初はそんなもの。洋子さんは私と正反対に外向的な性格だから、会話の糸口は、彼女が与えてくれる。

「あんた、何か思い悩んでいるでしょう?」二杯目のビールを飲み干して、洋子さんが言った。
 さすがに住んでいただけあって、洋子さんは香港のおいしいお店にとても詳しい。香港最後の夜に連れてきてもらったのは、洋子さんいわく『ドイツおやじの店』
 不思議な場所で、カウンターの中にいるのはドイツ人のおじさん、もうひとりの女の人はネパール人、店のお客さんもほとんどが白人だし、とてもここが中国だとは思えない。まあそれが、香港の香港らしさといったところか。そうしてそこで洋子さんとビールを飲みながら、私はなんとなく物思いに沈んでいたんだろう。
「えっ、酔っちゃって」答えになっていない答えをする私。当たらずとも遠からず、いや、かなりいい線かもしれない。「なんていうか、やっぱり不安ですよ」やっぱり何が言いたいのか、我ながらよくわからない。
「まあ、麗江(リージャン)まではいっしょだからね、お姉さんにまかせなさい。そっから先は、なんとかなるもんだよ。みんななんとかしてるもん。まりちゃんさ、ときどきスイッチ切れるヘキがあるけど、案外しっかりしてるみたいだし」
 案外、ですか。

 洋子さんは、私のことを下の名前でまりちゃんと呼ぶ。
 香港に着いた日からずっと、洋子さんにはお世話になりっぱなしだった。中国のビザを取って、ビクトリアピークに登って、夜景を見て、飲茶、インド料理、日本のラーメン、ビール飲んで、飲んで食べてばかり。
「しばらくおいしいもの食べらんないからね、中国の中華って、油ギトギトで私はあんまり好きじゃないんだよね」
 洋子さんは言っていた。雲南(ユンナン)省の麗江まで二人いっしょに行こうと話がまとまったのも、飲茶の席だったか。
「どこ行くの? 麗江のあと」洋子さん、三杯目のビール。
「チベット」短く答える私。
「え? ラサ? 麗江行くんじゃあ、そっから陸路? 一人で? なんでまた?」
「いえ、チベット自治区の外の、チベットエリア」

 実は、出発前に調べるまで『チベット』なる『国』がどこにあるのか、よく知らなかった。ヒマラヤ、草原、ダライ・ラマ。私の心の中にある貧困なチベット像はそれくらいで、モンゴルと混同していた部分もある。
 実際にふつうチベットと呼ばれているところは、インド、ネパール、ブータン、ミャンマーと国境を接する、中華人民共和国の民族自治区。そしてそのチベット自治区の外、雲南省、四川(スーチュアン)省、甘粛(ガンスー)省、青海(チンハイ)省にもチベット族自治州やらチベット族自治県やらあって、多くのチベット人が住む。それがチベット人の大チベットで、チベット人とかチベット系民族とかチベット系仏教徒の住む地域になると、モンゴル、ロシアとパキスタン、インドの一部、ネパール、ブータン。
 チベットとひとくちに言っても、その言葉の表す範囲は広大だった。
 まあ、中国のチベット自治区が、『チベット』自治区だけに一番『チベット』っぽいところなんだろうと思う。
 そしてチベットに行こうと思ってはみたものの、私には、具体的にどこに行って何を見るかのような計画がなかった。香港からだと、雲南省の昆明(クンミン)から麗江とつないでデチェン・チベット族自治州に行くのが、チベット地域に一番近い。麗江には、あの人も足跡を記している。
 一番面倒なのは、中国には外国人旅行者がぶらりと訪れていい地域とむやみに行ってはならない地域があることで、チベット自治区に外国人が行くにはチベット自治区旅行局の許可証が必要らしいけれど、雲南省は全省が開放地域、つまり外国人が旅行しても何も問題ない地域。とりあえずは、雲南省から始めよう。
 洋子さんの質問の最後の部分、『なんでチベットに行くのか』には答えなかった。私はそれを、この先のどこかで見つけるはずだった。

「ほら、テレビとかで見て、いいところなんだろうなって思って。洋子さん、行ったことありますか?」
「うん、ラサには、一回行った。あとは、ラブラン寺とか甘粛のほう。まあ、いいところだとは思うよ。漢人とかずっと相手にしてると、チベタン優しいし。でも、ラサとか中国人の観光客が増えたし、鉄道通ったなんだですっかり変わったって話。私行ったの、五年くらい前だからね」
 五年前。洋子さんは、あの人とどこかですれ違っているんだろうか。また考え込む私。
「でもさあ、度胸あるよねえ。まりちゃん、度胸あると思うよ」
 いやあ、あなたに比べたら。とは思ったけれど、はあと気の抜けた返事。いつの間にか洋子さんの三杯目のグラスは空、私は二杯目を半分くらいで持て余し気味。
 実は私は、アルコールにはけっこう強い。けれど今日は、いくつもの考えごとが並列して頭に浮かんでは消えて、断片的な想いで頭がいっぱいで、なんだろう、漠然とした不安感。いや違う、もう、言葉も見つからない。もともと何事もあとあとまでクヨクヨと考え込んでしまう性格だし、今日はとくに何も考えがまとまらなくて、せっかくのビールもちっともおいしくない。
「帰ろうか? 明日早いし」私の気分がよろしくなさそうだったのか私の気持ちを察したのか、洋子さんが言った。
 宿への帰り道でも宿に着いてからも私はほとんど黙ったままで、本当に暗いやつだなと自分でも思ったけれども、どうしようもない。
 明日は早く起きて、歩いて国境を越える。

十一月一日

 眠ろうと思えば思うほど目は冴えて、気がついたら、もうすぐに起きる時間。私は寝たんだろうか。ときどき意識は落ちていたような、浅い、断続的な眠り。かえって疲れたような気がする。アラームが鳴るには五分早いけれど、もう起きあがって支度しよう。
「おはよう」いつも朝からさわやかな、洋子さんの声。
「はい、おはようございます」そう言ったつもりなのに、たぶん口の中でモゴモゴと何か呟いているだけの私。

 二人で一度宿の外に出てファストフード店で朝食を軽くつまんでから、宿に荷物を取りに戻って出発。地下鉄からKCRに乗り換えて終点の羅湖(ルオフー)に着くと、駅から歩いて国境を越える。
 背負っているバックパックは、成田で量ったら十四キロあった。重い荷物を背負って歩くことに慣れていない私には、これはけっこうきつい。日本を出る前に、アパートから成田にたどり着く段階で泣きそうになった。
 日本人としてはだいたい標準的な身長の私に比べると、洋子さんはかなり小柄。麗江(リージャン)のあと昆明(クンミン)から南下する彼女は防寒具を持つ必要がないからバックパックは私のより小さめだけれど、それでも十キロくらいはあるはず。そして、写真が好きな彼女はバックパックとはべつの大きなバッグにカメラとレンズをいくつか入れていて、それでも歩くのは私より速い。
 写真。あの人も、写真が好きだった。というか、写真はあの人の人生そのものだった。そう、まるで人生みたい。重い荷物を背負いながら、それでも歩いていかなければならなくて。

 泣きそうになりながらも、午前中の早い時間に国境にかかる橋を渡って中国に入った。パスポートチェック、税関、両替。中国領になっても、香港と中国の間にはまだまだ超えられない高い壁があった。でもそんなことに思いをめぐらせる時間もなく、私たちは先を急ぐ。ちょっと前の日本の新幹線みたいな特急電車に乗って広州(グアンジョウ)の駅前広場に着いたのは、お昼少し前。
「ずいぶん減ったけど」広場を見回して、洋子さんが「それでも、すんごい人」
 人の多さにもびっくりだったけれど、私が驚いたのは、人々の服装と顔つき。何が入っているのかよくわからない大きな荷物を持ったいかにも労働者風の人たちは、香港のおしゃれな人たちと同じ中国人とはとても思えない。布団とか洗面器とかそんなもの抱えて、この人たちはどこに行くんだろう。
「ちょっと待ってて」
 キョロキョロしながら挙動不審な私の横で駅舎の正面にある大きな電光掲示板を見ていた洋子さんは、バックパックを下ろしてスタスタとどこかに消えてしまった。広州駅前は治安がよろしくない、と洋子さんは言っていた。気をつけなくてはと思っていたら、意外にも洋子さんはすぐに戻ってきて、手には、今日の昆明行き列車の切符が二枚。
「昆明行きね、午後二時発だって。広州に一泊するよりは、このまま麗江まで行っちゃったほうがいいでしょ?」
 はい、そうですよね。駅前の光景を見て、私も泊まるよりは電車に乗ったほうがいいと思った。
「車中一泊で、明日の夕方には昆明。あさっては、麗江」
 なんだかうれしそうな洋子さん。麗江に、何があるんだろう。

 駅に入るまでが、まず行列。空港のセキュリティーチェックみたいに大きな荷物をX線で検査していたけれど、列に横から入る人が多くてなかなか前に進まない。X線の機械の前では、駅員さんとお客さんと警官がもめている。
「中国だな」ポツリと洋子さん。「二年ぶりに来たけどさ、ルールを無視するのがルールってのは、いつまでたっても変わらない。来年はオリンピックだってのに、ヤレヤレだよ。ゴミ捨てるなとか啖吐くなとか、誰も守ってない。禁煙サインの前でタバコ吸ってるし」
 はあ。確かに洋子さんの言う通り、待合室は禁煙のはずなのにタバコ臭い。私は吸わないからタバコの臭いには敏感だし、洋子さんはやめたと言っていた。
「食料買ってくる。まりちゃんは?」
「そうですね、荷物見てます。たぶん、私より洋子さんに行ってもらったほうがいいと思うし」
「オッケー、じゃあ待ってて」
 そう言ってバックパックを下ろすと、洋子さんはまたどこかに消えた。私は自分のバックパックの上に腰を下ろして、洋子さんのバックパックと自分のサブザックを抱えながら目の前の光景を眺めていた。この人たちは、大きな荷物を抱えてどこに行くんだろう。なんでみんな、ビニールのバッグに入れた毛布を持っているんだろう。なんでみんな、ヒマワリの種をポリポリと食べているんだろう。

 洋子さんが戻ってきた。
「ラーメン、パン、水、トイレットペーパー。紙はこの先必需品だからね。中国のインスタント麺っておいしくはないけど、まあ車内販売の弁当よりはマシかな」
 なんだか、遠足みたい。ちょっぴりワクワクする。
「こんなに食べきれるんですか? 一泊でしょ?」
 笑いながら私が言うと「今日の晩と、明日の朝と、昼。それに間食でちょうどだよ、何もすることないしさ。まりちゃん、今のいい笑顔」
「あ、ありがとうございます」
 ほめられたことを素直に喜べばいいんだろうけれど、なんだか恥ずかしくて話題を変えた。
「何時ごろ、乗車開始ですか?」
「一時間前のこともあるし、十分前のこともあるし。中国だからね」
 しょうがない。いい機会だし、私はいろいろと洋子さんに聞いてみる。
 昆明はどうなんですか?
 大都会。気候はいいけど、私は都会は嫌い。
 麗江は?
 一大観光地。何でも揃ってて長居はできるけど、ちょっと騒がしいかもね。
 デチェン方面に行ったことは?
 中甸(ジョンディアン)? 行ってない。私、寒いとこダメ。
 話は、女の一人旅に必要な細かい技術的なことから、世界各地のおいしいもののことやら、日本の男の子はなぜか海外に出るとヒゲを伸ばす、とか。

 待合室の奥、改札のほうが騒がしくなった。
「始まった。すんごいことになるからね」
 洋子さんは立ちあがって、バックパックを背負った。私も彼女にならって、改札のほうについて行く。
 本当に、すんごいことになっていた。みんな大きな荷物を持って、我先にと改札口に押しかける。怪我人がいないのが不思議だった。いや、怪我している人もいるんだろうか。私たちもその人波の中に飲み込まれると、波の一部になって改札口を通る。階段を下りて、地下道からまた階段を昇ってホームに出て。
「座席のお客はね、荷物と自分の場所確保しないとだから必死なんだよね。私たちは寝台だから本当は余裕なんだけど、なぜか走る人、多いよね」
 小走りで、洋子さんが言う。確かに、二等寝台、硬臥(インウォ)のほうには人は少ない。それぞれの車輌の入口に立っている人は、駅員さんなのかと思ったら車掌さんだった。一つの列車に、何人の車掌さんが乗っているんだろう。その車掌さんに切符を見せると、指定の車輌に乗り込んだ。
 右側というべきか左側というべきか、電車の中は片方の窓側が通路、反対側には三段ベッドがずらりと並ぶ。出入り口すぐ近くの向かい合った列、真ん中の段のベッドが私たち。洋子さんはベッドとベッドの間の仕切りに付いている梯子をするすると登って、通路の上の網棚にバックパックを置いた。私もやってみたけれど、これはけっこうな重労働。肩ストラップから腕を抜いてどうにかバックパックを棚の上に置いたときには、疲れ果てていた。
「いやあ、一日でここまで来られるとはねえ」通路の折り畳み式の椅子に腰掛けながら、洋子さんが言った。「お疲れさん。あとは、寝てりゃあ昆明だよ」
「おなか減った」
 洋子さんに、力なく笑ってみせる私。あとは、車窓を流れ去る景色を眺めながら、洋子さんが買ってきたものをつまんでおしゃべりして。
 昨日あんまり寝ていないのと今日の大移動で疲れていたから、夜七時には自分のベッドに横になった。音と振動で寝つけないかと思っていたのに、すぐに眠りに落ちた気がする。

十一月二日

 目が覚めて時計を見たら、九時近くだった。
 案外電車の振動が心地よくて、なんだかずうっと前からここでこうして横になっているような、このままいつまでもこうして横になっていたいような気分。

 なんとか決心して上のベッドで頭を打たないようにモゾモゾ起きあがると、洋子さんは昨日のように通路の折り畳み椅子に座って、窓際に頬杖をついて窓の外を眺めている。香港ではいつでもスイッチがオンになっているような人だったから、今みたいにただ流れる景色を見ているだけの洋子さんの姿は、意外に思えた。
「おはよう。よく寝た?」ベッドから下りる私に気づいて、洋子さんが言う。
「あ、はい。日本出てから、一番寝たかも」
 靴をつっかけながらそう答えて、洗面所に向かった。寝起きで、まだ頭がぼうっとしたまま。洗面所の大きな鏡で自分を見ると、髪はボサボサ。とりあえず顔を洗おうと思ったら、蛇口から水が出ない。やれやれとあきらめて、自分のベッドに戻った。
 洋子さんが、「お水、出た?」
「出ないんですけど」
「タンクが空になったんだ。次の駅で給水するんじゃないかな、みんなジャバジャバ使うから」
 しょうがない、ペットボトルの水を使った。私も昨日のように、洋子さんの反対側の椅子に座る。
 彼女は窓の外を眺めながら、「でもお湯は出るんだよね。さすが中国」
「何、考えてたんですか?」朝ごはんに取っておいたパンをかじりながら、洋子さんに聞いた。
「私だって、物思いにふけることぐらいあるよ。まりちゃん寝てるから、話し相手いないしさ」
 それもそう。

 窓の外は、緑の山々と赤い大地。
 しばらくそんな景色を眺めていると洋子さんが、「チベット、かあ」ひとことつぶやいたあと私に向き直って、「なんでだろうね、みんなが憧れる」
 なんででしょうか、私が聞きたい。「ううん、秘境、神秘? あとは、なんだろ?」
 言葉を捜すけれども、実は私にもよくわかっていない。あの人が通っていたチベット。あの人は、なんでチベットに通っていたんだろう。私は、なんであの人の影を追おうとしているんだろう。
「それなんだよね」洋子さんは私の顔を真っすぐに見つめながら、「もう二十一世紀だよ? 中国のバカみたいな発展ぶりを考えるとさ、チベットなんて、秘境であるわけがないじゃん。毎日飛行機飛んでるんだし、電車だって通った。ラサなんて、日本から早くて二日で行けるんだよ。中国人の成金とかにすんごいブームでさ、でもこの国って、祈るひまがあんなら国家のために働きなさいって、そんな国だったはずなのに」少し間を置いて、「まあ、いいか。私、嫌いなんだ。なんかそういう、精神論みたいなの。まりちゃんはどうなのさ、秘境ってタイプでもないと思うんだけど?」
 困った。困ったけれども、ゆっくり考えながら、どうにか話しだす。「知り合いの人が、毎年通ってたんです」過去形を使ったことを、なんとなく後悔した。なんだかそれが重大なことのような気がしたけれど、洋子さんは気がついただろうか。「それで、前から行ってみたいなあって思ってて」思いはしたけれども、まわりに反対されながら日本での生活を捨ててまで、とは、思わなかった。「それで、仕事辞めたついでに、行っちゃおうかなぁって」これは、明らかな嘘。仕事を辞めたから行くのではなくて、行くから仕事を辞めた。
 でもどうして?
 来てしまったはいいけれど、そのへんの核心が、自分でもよくわかっていない。あの人が旅したチベットを、私もあの人のように旅してみたかった。
 でもどうして?
 思い出。あの人の、思い出。そして、あの人が私には語ることのなかった、あの人のチベットに対する想い。

「どんな仕事、してたの?」
 洋子さんの声が、私を現実に引き戻す。
「看護師、です」これは、事実。「なんだか疲れちゃって。たぶん向いてなかったんですよね、私」
 そろそろ話題を変えたくなった。他人に私をあんまり見せたくなくて、ついつい人との間に壁を作ってしまう、私の悪い癖。この六日間で洋子さんとはかなり打ち解けたけれど、それでも、これ以上のことは話したくなかった。
「洋子さんは、麗江(リージャン)は何日くらいの予定ですか?」
「一週間くらいかな」
「その次は? 西双版納(シーサンパンナ)?」
 洋子さんは、雲南(ユンナン)省の南部が好きらしい。
「そうだね、あとは、ベトナム。そっから先は決めてないけど、最後はバリかな」
 南の島、か。寒いんだろうなあ、チベット高原は。と、思う。あとは、当たり障りのない会話を適当に切りあげて、私はまた、ひとり考えごとをするために自分のベッドに戻った。

 午後四時、電車は昆明(クンミン)駅に着いた。大都会。雲南省の省都だけに、高いビルが建っていて人も車も多い。
 洋子さんに連れられてたどり着いたホテルは、かつてはバックパッカーのたまり場だったらしい。駅からなんとか歩いて行ける距離だし、部屋はトリプル。シャワー、トイレは共同、一応トイレは個室だった。
 さっそく、明日の麗江行きバスの切符を買った。長距離バスターミナルも、ホテルからそう遠くはない。バスは朝十時発、昆明には十八時間弱の滞在で、麗江に向かう。

十一月三日

 十時ちょうど、バスは発車。座席指定のはずなのに自由席みたいだし、『豪華』大型バスというほどのバスでもないよなと思っていたら、べつのバスターミナルで本物の豪華大型バスに乗り換えた。車内トイレ、シートベルト、日本の高速バスみたい。発車前には、ペットボトルの水を配られた。
麗江(リージャン)行きはナシ族の民族衣装のおねえさんがスチュワーデスのことが多いんだけど、今日はふつうのおっさんだね。残念、イケメンの若者だったらよかったのに」
「ははは。おっさん、頑張って仕事してるじゃないですか」

 乗り換えが終わるとバスはすぐに発車して、昆明(クンミン)の市街地を出ると、そこは相変わらずの緑の山々と赤い大地。高速道路が高速道路みたいなのが、意外だった。どうして高速道路の標識は、日本も中国も緑色をしているんだろう。
 途中、サービスエリアでお昼。給食用みたいな金属のトレーを持って列に並ぶと、貫禄たっぷりなおばさんがトレーにごはんとおかずをたっぷり盛ってくれる。ごはんはパサパサだったけれど、おかずは大根の煮たのとかで、まあ、まずくはない。
 ここで初めて、噂には聞いていた中国式公衆トイレに入った。覚悟はしていたつもりだったのに、想像を絶したというか、でも仕方ない。こういうのにはもう、慣れるしかないんだろう。
 洋子さんはひとこと、「あんなの、マシなほう」

 食事休憩のあと、また発車。いつの間にか洋子さんは寝てしまって、私も窓の外を眺めながらだんだんウトウトする。
 気がつくと、バスは高速を下りて一般道に入っていた。湖が見える。それと、大理(ダーリ)の町。
「大理かあ」洋子さんの声、起きていたらしい。「まりちゃん、大理は興味ないの?」
 興味というか、『チベット』に行くのに『中国』のビザが必要なことすら知らなかった私だし、『中国』を観光しようとか、考えたこともなかった。大理石の産地だとか、南詔国がどうのとか、大理国がどうのとか、そんなのはぜんぶあとで知った。
「私、チベット行くことしか考えてなかったんですよね。洋子さんは、どうなんですか? 大理って」
「私はね、前に来たからいい。なんか、旧市街つってもそれっぽく造ったもんでさ、わざとらしさがいやらしい。まあ麗江もそうなんだけどね。大理二号店って感じかな。でも、大理はなんとなく好きになれないけど、麗江にはついつい長居しちゃうんだよね。なんでだろ」
 洋子さんにも、明確な答えがない場合ってあるんだろうか。たぶん、あるんだろう。考え込んでいるのかと思ったら、洋子さんはまた眠りに落ちていた。考えながら寝てしまったのかもしれない。私は、洋子さんと別れてからのことを考える。

 麗江。チベットの言葉では、ジャン・サダム。洋子さんは、『れいこう』ではなく中国語の発音で『リージャン』と呼ぶ。
 日本の旅行者のあいだには一応のルールがあって、麗江を『れいこう』と読む人は少ないと思う。でもたとえば、四川(スーチュアン)省の成都は人によって『せいと』だったり『チェンドゥ』だったり、基準はイマイチよくわからない。洋子さんは中国語を話す機会が多いからか、中国語発音が多い。私はどっちつかずな感じから、洋子さんに合わせてなんとなく中途半端に原音派になった。
 麗江は少数民族ナシ族の多く住むところで、ナシ族のことをチベット語ではジャン。ナシ族自身の言葉でどう自称するのかは知らない。最近は、ナシ語を話せないナシ族の若者も多いらしい。
 ナシ族とチベットとの関わりはあとで人に教えてもらったけれど、麗江がチベット高原への玄関口であることは、前にあの人からのメールで知った。麗江地区の北は、デチェン・チベット族自治州。あの人が何回目かのチベット旅行で通った同じ道を、私もたどろうとしていた。

 午後七時すぎ、夕暮れの麗江に到着。太陽はもう西に沈んだけれども、空にはまだ少し気持ちくらい明るさが残る。意外と大都会だった。
 バスターミナルでバスを降りて、タクシーで旧市街へ。旧市街の中にタクシーは入れないから、入り口でタクシーを降りるとバックパックを背負って歩きだす。タクシーに乗っている間にもうすっかり日が暮れたのに、旧市街に灯る数々の明かりはまばゆいばかり。『千と千尋』みたいというのが、私の第一印象。そこは、私が旧市街という言葉から想像していたのとはまったくの別世界だった。
 お土産物屋さん、レストラン、アメリカ資本のファストフードチェーン店まである。洋子さんはいかにもお金持ちそうな中国人観光客でごった返す大通りをスタスタ歩いて、私はそのあとを追う。
 麗江には、客桟という民宿的な宿がたくさんある。私たちは、洋子さんの行き付けらしい客桟に落ち着いた。ツインで、一ベッド二十元。部屋は二階。シャワー、トイレは共同。中庭を囲むようにロの字形の建物。伝統的な造りなのか、宿がこれなら悪くない。ちょっと長居してもいいと思った。
 あの人がここに来たのは、二00一年、二00三年、二00五年。二00五年は、あの人の最後のチベット旅行。

「ごはん行こうよ!」
 洋子さんの声。とりあえずは、晩ごはん。
 メインストリートには、大勢の中国人観光客が行き来する。新市街に戻って小さな通りに入ると、そこにはアジア名物屋台街。何口もある大きなガス台が置いてあって、釜めしのお釜みたいなのが並んでいる屋台のごはん屋さんが何軒も、ビルの谷間の広場に集まっていた。その中の一軒で、お釜に興味深げな私にお兄さんがフタをパカンと開けて見せてくれると、中身はホカホカごはんだった。釜めしみたいなのは、釜めしだった。
 洋子さんが、「麗江名物、砂鍋飯(シャーグオファン)。食べる?」
 うなずく私。会議に使うような長いテーブルに二人横に並んで座って、洋子さんが注文すると、お兄さんはすぐにガス台から釜めし二つと大根の漬け物を持ってきてテーブルに並べた。フタを取ると、白いごはんにベーコンとサラミみたいなソーセージのスライス、グリーンピース。おいしそう。思わず写真を撮った。
「いただきます」
 私がひとくち食べると、「どお?」洋子さんが聞く。
「うん、好きな味です。サラミおいしい。これは、ナシ族料理なんですか?」
「それは、知らない。でもこれって、中国の南のほうでよく見かけるね。このサラミ入ってるのとかは、なんとなくイメージ的に大理とか麗江のものって気がする。ペー族とかナシ族とか民族衣装は違うけど、それ以上のことは私はよくわかんない。雲南(ユンナン)はね、詳しい旅行者多いけど、私はあんまり関わりたくない部分があるんだよね」大根の漬け物を箸でつまみながら、洋子さんが続ける。「ダーリーズっての、知ってる?」
「ダーリーズ、ですか? なんですか、それ?」
「昔はいたらしいのよ。大理に沈没、つまり長期滞在してて、日本人の若い子を捕まえてはエラそうにしている日本の旅行者が」
 私も大根に箸をのばしながら、「なんで、大理なんですか?」
「なんででしょう? うん、漢人はやっぱりムカつくこと多いけど、大理はペー族だし、気候いいし、雲南物価安いし、とか? じゃない? でも、大理が騒がしくなって、彼らだんだん麗江に移ってきたらしいんだよね。そんでやっぱり、ドミでヌシになって的な。でも、今は民宿いっぱいあるし、どうしたんだろ」洋子さんは、お釜の内側のおこげをスプーンでガリガリ落としている。「この、おこげのさ、クリスピーな感じが、たまんない」
 いつも、なんでもおいしそうに食べる人だ。
「洋子さん、今まで食べられなかったものって、ありますか?」
 洋子さんの食べっぷりがあまりにもおいしそうで、私は聞いてみた。
「そうね、ウチの田舎イナゴとか食べるんだけど、ありゃ、ダメ」
 意外にも、洋子さんの食べられないものは日本にあった。
 そう思っていたら、「あれだよ、チベットの、バター茶。あれは頑張ったけど、飲めなかったよ」
 バターとお茶の組み合わせなんてのは私の想像を超えているけれど、洋子さんが飲めなかった味というのは、どんなものなんだろうか。
「しょっぱくてバター臭キツくてさ、あれをチベット人以外でガブガブ飲める人、私は尊敬するよ」
 それは、すごそう。そういえば、あの人はいつも何を食べていたんだろう。なんだか突然気になった。たまにあの人から来るメールはいつも簡潔で、というか簡潔すぎて、『どこどこに来た。寒い』とかそんなことばかり。旅の生活を想像させるような話は、ぜんぜん送ってこなかった。『どこどこ』がどこなのか私はよくわかっていなくていちいち地図で探していたことに、あの人は気づいていたんだろうか。
「行くかい?」
 洋子さんが立ちあがった。食べ終わったあと、あんまり長居する雰囲気の店ではない。
「はい、おいしかった。洋子さんと一緒だと、毎日おいしいものばっかり食べて太っちゃいそう」
 ははは、と洋子さんが笑う。
 洋子さんと石畳の旧市街の中を少し散歩ながら宿に向かうと、四方街という広場になったところで大きな焚き火を囲んで輪になって踊っている人たちがいた。
「お祭りですか?」
 洋子さんに聞くと、「毎日やってる。ナシ族情緒ってやつ。観光用だよね」
 ははあ。
 十一月はじめの麗江の夜は、ちょっと寒かった。

「まりちゃんさ、ビザは三ヶ月だったよね。三ヶ月、中国?」
 ベットに入って日記を付けていたら、洋子さんに聞かれた。
 滞在三ヶ月の中国ビザは取ったけれど、三ヶ月まるまる中国チベットにいるのか、あんまりはっきりとは決めていない。香港へは片道チケットで来た。チベットから先は、ネパールに行ってもいいし、成都とか上海とか、どこかの中国の都市から日本に帰ってもいい。正直、私の体力気力が三ヶ月も続くのか、怪しいと思う。
「あんまり決めてません。ネパールに行っても、いいかなって」
 曖昧気味に答えると洋子さんは、「いいなあ。私も、予定を決めない旅をしてみたい」
 私が三ヶ月ビザを取るのを手伝ってもらったけれど、洋子さん自身は一ヶ月ビザで中国入りしている。
「ベトナムから先は、未定なんじゃあ?」
 ベットに入って天井を見上げながら私が尋ねると、「帰りは、決まってんだよね。今回は一番長いんだけど、それでもマックスで二ヶ月」
「仕事、ですか?」
「家、あんまり空けてらんないんだ。面倒見てやんないとさ」
 ペットでも、飼っているんだろうか。
 日記を付け終わると、もう十一時すぎ。起きあがって部屋の明かりを消して、またベットにもぐりこんだ。洋子さんは頭からスッポリと布団をかぶると、もう寝に入る体勢。洋子さんにおやすみなさいを言うと、時計のアラームを切って寝た。

十一月六日

 夢を見た。
 どこか外国の知らない街で、あの人はひどく怒っていて、なんで来たんだと私に問う。だって、だって会いたかった。会いたかったんだよ。

 目覚めると、私は泣いていたらしい。枕が涙で濡れていた。こんなこと実際にあるんだ。と、他人ごとのように思う。外はまだ暗い。洋子さんは、泣いている私に気がついただろうか。
 洋子さんが、何かゴニョゴニョと寝言を言うのが聞こえた。
 たぶん、私は環境の変化でストレスが溜まっていたんだろう。疲れてるんだ。夢のことはあんまり考えないように努めて、また眠りについた。

 本屋でふつうに買ったチベットの旅行ガイドのほかに、私は、私だけのガイドブックを持っている。あの人が残した、あの人のチベットの思い出。

 チベットに足しげく通っていてそのために働いているような人だったのに、あの人の日本での生活には、意外にもチベット好きを感じさせるようなところはほとんどなかった。日常生活にチベットとの接点はなかったようだし、部屋にあったチベット的なものといえば、引き伸ばした写真が飾ってあっただけ。あの人が自分で撮ったのか人が撮ったのかは知らないけれど、青空に何か、紙みたいなものがいくつもひらひらと舞っているような写真。

 そのノートを見つけたのは、あの人が友だちと共同で借りていた仕事部屋の中だった。B六サイズのノートが三冊。几帳面なあの人らしく細かい小さな文字で、日本語、中国語、ローマ字、それとチベット語で、あの人が訪れた街や建物の様子が簡単なイラスト入りで書いてある。それは、あの人があの人自身のために書いてきたガイドブックだった。ほかにもうひとつ、ほとんど建物の写真ばかりの写真屋さんでもらうようなアルバム帳があって、これはたぶん、資料用に整理した写真集らしい。あとは、チベットの人たちのスナップ写真の束。
 本当はあの人の家族に渡すべきなんだろうけれど、ときどき眺めては、あの人がチベットに魅せられていた理由(わけ)が知りたくてとうとうここまで持ってきてしまった。

 旧市街川沿いにあるレストランで紅茶を飲みながら、あの人が書いたノートのギェルタン方面のページを見ていた。
 チベットの言葉で、ギェルタン。中国語で中旬(ジョンディアン)。洋子さんは中旬と言うけれど、中旬県は二00二年に県名を変えて今では香格里拉(シャンゲリラ)県と呼ばれる。雲南(ユンナン)省デチェン・チベット族自治州の州都で、私の次の目的地。
「お茶の時間?」
 洋子さんも、お茶をしに来た。理由はとくにないけれど、なんとなくあの人のノートを彼女に見られたくなくて太もものポケットに入れた。
「時がゆっくり流れてくようで、いいですね」
 私が言うと、洋子さんは私の反対側のイスに腰かけながら、「そうね、年がら年中働いてっての、私はダメ。ときどきこうやって息抜きしないと。年がら年中働ける人とかって、尊敬するよ。まりちゃんは、あんまり休みとか取れなかったんじゃないの?」
「休みは人並み、てか、並の日本人ていどは取れましたけど、時間が不規則だったり、まあ、体力は使いますからね。私、休みの日は家で寝てたり、あんまり有意義にはすごせなかったなあ」それに、相手してくれるはずのあの人はチベットに行ってたり。
「でもさあ、まりちゃんみたいな子がいきなり仕事辞めて長期旅行ってのも、すごいね。リストラされて仕事なくしたからって人はちょくちょく見かけるけど。昔は、失業保険で旅行してますって人、けっこういたんだよ」
「最初で最後、たぶん。資格あるから、再就職もなんとかなると思うし」
「最初で最後、か。私もいつも最後のつもりなんだけど、気がついたらまた海外出てる。逆ホームシック」
 洋子さんが頼んでいたお茶がきた。ウェイトレスの女の子はナシ族だそうで、でも誰が何族とか、私には区別がつかない。
 お茶を飲みながら洋子さんが、「麗江(リージャン)もね、なんだか中国人相手の土産物屋だらけになってきてもういいやと思ったんだけど、今回は香港、昆明(クンミン)西双版納(シーサンパンナ)って決めたら、麗江は押さえておかないとなって。不思議だよね。もう見るものはないはずなのに、また来てるんだ」
 あの人もそうだった。同じところに何回も、身体壊しても、それでも通っていた。なんでだろう? 洋子さんなら、ヒントを与えてくれそうだった。
「洋子さん、麗江好きなんですか?」
 彼女は少し考え込んで、「それはね、ひとことで答えるのは難しいよ。好きか嫌いかで分ければ、まあ好きなんだろうけど、好きって言葉で簡単に片づけられるような感情ではないよね。何回も来てれば、よかったこともあるし、いやな思いをしたとこもあるし。うん、難しい」
 また、考え込んでしまった。
『チベットが好きなの?』
 私の問いに、あの人はとうとうきちんと答えてくれなかった。今の洋子さんのように、難しいと言ってそれっきり。私は単純に行って楽しいところだから通ってるのだと思っていたのに、そうでもないらしい。私が知りたいのはつまり、あの人がチベットにこだわっていた理由で、だから私も、あの人が旅したチベットをあの人のように旅してみたいと思った。
「まあね、たぶん、好きなんだよ」洋子さんが口を開く。
 たぶん、か。彼女にしては、珍しく曖昧な表現。
 お茶をすすって、「それにしても日本の男子は」話題を変えたいらしい。「パッとしないね」
 洋子さんの視線を追うと、川の反対側のやっぱりオープンカフェ的なところに東洋人の男の子が三人。遠くて内容はわからないけれど、言われてみると、話している言葉の響きは日本語っぽい。
「よく、わかりますね」
「ううん。全体的な雰囲気、かな。最近はバックパッカー的な旅をする中国人の若い子も増えてきたけど、彼らはみんなデカいカメラ持ってるし、服装が、原色大好き。韓国人はもっと群れる。日本人はなんとなく小汚くてヒゲボーボーが多いね。あとは、態度が微妙にオドオドしかったりしてる」
 ヒゲがボーボーなのは、確かに三人が三人とも、無精ヒゲが伸びきったような感じ。
「洋子さん、前にも言ってましたね。日本の男子は海外に出るとたいがいの子がヒゲ伸ばすって」
「うん。ありゃあね、たぶん、自分に酔ってるんだよね。一人旅してる俺ってワイルドだぜ的な。でも、彼らだいたいどこ行っても誰かとつるんだりしてさ、なんつーかさ、見てるとけっこうダサい部分が多いんだよね」
 あの人はどうだったんだろうとか思うけれど、こっちでのあの人の姿は、私にはまったく想像できない。
「まりちゃんはねえ、可愛いから、気をつけたほうがいいよ」
「はあ? 何を?」なんだか照れる。
「野郎が集まってる中に女の子が一人とかいるとさあ、男が寄ってきて、ウザい。まりちゃんなんか、たぶんモッテモテだよ」
「な、なんでですか?」
「だって、世話してあげたくなるタイプだもん」
 そうだろうか。あの人は、私の世話よりチベットだった。
「洋子さんは?」
 彼女は笑いながら、「私はだって、自分のことは自分でしちゃうタイプだからね。でもまあ、便利は便利かな。バブリーなころの日本の男子みたいに、こいつは通訳で、とかさ。たまにかっこいい子がいたりして、そこからロマンスに発展する可能性もないとは言い切れないしね」
「洋子さん、ロマンスしちゃったりするんですか?」
「私には、だって、ダンナがいるもん」
「エー!」という私の声は日本人三人組にも聞こえたらしく、三人がこっちを見ている。はずかしい。
「ちょっと、大きな声出さないでよ。はずかしい。」
 いや、びっくりしますとも。失礼、世話をしているのはペットとかではなく、人間様だったのだ。「いんですか? ダンナさんほっといて。一ヶ月も二ヶ月も」
「うん。彼、仕事忙しいし、なんてんだろう、自由放任主義でさ、俺も好きなことやりたいからおまえも好きにやれ、みたいな。釣りバカなんだよね、ウチのダンナ。そんで、休みが取れると車に道具積んでどっかに行っちゃう。二、三日帰ってこなかったり。二人で食事とか約束しても、すっぽかして魚釣りに行っちゃうんだよ。スマンとかあとからメール送ってよこしてさ、信じられる? だから、私は私でときどきこうして旅行に出る。でも彼、私の趣味が旅行だってわかってるから、何も言わない」
「心配じゃないんですか? ダンナさん。いやその、ロマンスとかも含めて」
「そこはまあ、ほら、夫婦だから」
「はあ」ロマンス、か。今まで考えたこともなかった。なんでも器用にこなしてしまうのに人間関係だけは不器用だったあの人だけれど、いや、話題を変えよう。「私、そろそろ出ます」
「中甸?」
「はい。そこから、カム地方へ」
 ギェルタンから北に、四川(スーチュアン)省カンゼ・チベット族自治州に行くことに決めた。本当に一人旅。自分のことは、すべて自分でしなければならない。あの人のように。
 洋子さんは私の心を読んだように、「不安?」
「そう、ですね。不安は不安だけど、せっかく一人旅しに来たんだし」
「まあ、中国で個人旅行って、いろいろ大変なことは多いけどね、前より旅行はしやすくなってると思うよ。メイヨーの機関銃攻撃とか、最近はめったに聞かないし」
「機関銃? って、なんですか?」
「日没の没に有無の有って書いて、没有(メイヨー)。無いって意味だけど、ひと昔前まで中国人の口癖みたいな感じでさあ、何か買うときとか、よく言われた。乗り物の切符とかホテルの部屋とか、とくにそう。それが、理由の説明がないし、そういう言葉だからしょうがないんだろうけど、言い方がぶっきらぼうだし日本語でネエよって言われてるみたいで、何するにも没有没有言われて大変だった」
「今は、豊かになったってことですかね?」
「そういう見方も、あるのかもしれない。でも、サービスに対する考えが変わってきたんじゃない? よくも悪くも社会主義国家だからさ、前はめんどくさい仕事はしたくない的な雰囲気があって、今でもそういう体質が残っててね、私も大変だった。こっちで暮らしてるとき。でも、なんでもかんでも没有言われるっての、古い旅行者の昔話に出てくることはあっても、今は実際にはあんまり聞かなくなった。若い子たちも人から聞いてるからね、ネタとしてはそういう、中国では没有言われてどうこうって話になるけど、実際は、私はもうめったに言われたことない」お茶を飲んで日本人の男の子たちを眺めたあと、「あんまり変なことばっかり、深く考えすぎてもね。実際、なんとかなるもんよ」
 私は、なんとかできるんだろうか。なんとかやっていかなくては。

心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その1 雲の南より

心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その1 雲の南より

二00七年十月、私は旅にでた。目的地は、チベット。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-11-20

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