白昼夢とゆうれい

あおい はる

 へやは、いつも、つめたくて、へびの神さまがねむるには、おそらく、適温だったのでしょう。せんせいが、真昼にみる夢は、みんな、白と黒。愛、なんてものにすがっているひとのところには、あくまがくるんだって、そうおしえてくれたのは、せんせいのところにいた、おんなのひとでしたね。なまえも、かおも、わすれてしまったけれど。
 ともだちが、アルバイトをはじめてから、すこしだけ、かわりました。なんだか、すこしだけ、生気をぬきとられた感じ、というか、いのちをはしっこから、すこしずつけずられている、というか、うわさだけれど、ともだちがはたらきはじめた、観光ホテルというのが、いわくつき、らしいのですが、せんせいは、ゆうれいって、しんじますか?わたしは、ゆうれい、こわい、というより、かわいそう、って、おもいます。だって、ゆうれいって、なんらかの未練があって、現世にとどまっているのでしょうから、たとえば、やりのこしたことや、置き去りにしてしまった、たいせつな誰かのことをおもって、そこにいるのでしょうから、でも、やりのこしたことをまたやることも、たいせつなひとにふれることも、もう、叶わないで、いるのですから、きっと、はがゆいです。ともだちは、ゆうれいなんてぜったいにいない、と思っている。
 わたしの話をききながら、せんせいは、うとうとしています。こういうの、舟をこぐ、ともいうんでしたか、せんせいのへやは、せんせいだけがねむるための、ベッドと、うつくしい風景の写真集が、三冊ほど、壁掛けの棚に、表紙を向けて並べてあるだけの、たいへんにシンプルな、無駄なものがないへやで、それででしょうか、いつも、つめたい気がするのは、このつめたさが、へびの神さまには、ちょうどいいのかもしれない。
 わたしは、せんせいがいれてくれた、ココアをのみながら、舟をこぐせんせいを、ながめています。長いまつげ。かたちのいいくちびると、ゆびをとおしたくなるような、前髪。せんせいの観察は、わたしの趣味に、なりつつある。ずっと、みていてあきないので、ふしぎです。へびの神さまは、白いです。艶めかしい白さで、ときどき、ちろちろとのぞかせる、赤い舌が、かわいらしいです。
 せんせいは、わたしがいても、いなくても、息をして、この、静かなへやで、ねむり、真昼に目を開けたまま、夢をみるのでしょう。
 視界に、うつっているはずなのに、せんせいのせかいに、じつは一ミリも、介入できていないの、が、とても、かなしい。
 ともだちが、あまったからといってくれる、れいの観光ホテルの、おみやげもののクッキーは、意外とおいしい。

白昼夢とゆうれい

白昼夢とゆうれい

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-11-19

CC BY-NC-ND
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