獣頭症の見えた過去

 目に入る情報は常に更新され、それも凄まじいスピードで更新されている。
 いつでも世界と繋がっている端末には次々と最新の情報が流れ、どれが正しくてどれが正しくないかを考える余裕もない。どれが『誰か』の考えで、どれが『自分』の考えかわからない。
 多数派に流れるのは、一番簡単で時短で効率的。天秤が揺れているときは、重い方へ。皆がそう言うのなら、きっとそれが正しい。

 私は、不満はなかった。流されるという感覚すらない。天秤に乗り日々左右に振られるがまま、どこかの誰かに賛同していた。違和感もなく。
 いつものように頭をカラにしてスマホを覗くと、ネットの中ではいつものように情報の濁流が流れていた。
 最近の話題は、テレビでもよく取り上げられている社会問題、獣頭症について。ある日突然、体の一部が動物化する奇病。主にその症状は首から上に出るため、一般に「獣頭症」と呼ばれている。

 治療法も予防法も見つからないと騒ぐ中、ネットではそもそも獣頭症は本当に存在しているのだろうかという疑問が渦巻いていた。
 複数の獣頭症が見えない人々が声を挙げ始め、その数は次第に増えている。毎日のように繰り返される二択アンケートでは、『獣頭症は存在しない』がついに60%を超えようとしていた。

 天秤は片方に傾いている。
 しかし、私はどちらのボタンもまだ押せていなかった。

 会社のトイレの鏡を見ると映っているのは白い毛に赤い目。

「うさぎ」

 1ヶ月前から自分の顔がうさぎに見えている私は、自分がおかしいのか皆がおかしいのか決めかねていた。

 元々幻覚を見ていた人々が騒ぎ、それをマスコミが世間に広め、集団暗示にかかったという説がネットでは主流になってきている。
 暗示から目覚めた人が、マスコミが報道しているのは全て嘘だとそう言っていた。どこかの心療科の先生も、獣頭症の自覚のある人は、一度病院に行ってみることを推奨していた。また、ある人は心を落ち着かせるために入った宗教で暗示が解かれたと言っていた。
 皆、ネットでそう言っていた。
 ……皆、とは誰だろうか。

 私は、私の『うさぎ』を眺めた。
 小学生の頃飼っていたうさぎの「もも」はこんな顔をしていた気がする。妙に愛着が湧いて、最近ではうさぎの小物やうさぎ柄の物を手に取ることが多くなった。

「あ、うさぎ柄のハンカチかわいいね」

 ポケットから出したハンカチを見て同僚にそう言われて、うさぎが最近気になっちゃって、と答える。……ちなみに私、うさぎになってる?うさぎに見えてる?とはいつも聞けない。
 私は皆からは人間のまま?それとも誰も言わないだけでうさぎに見えている?周りの態度は変わらない。

 数日前から馬になった部長にも私は、馬になりましたね、なんて言えなかった。
 何が正しくて何が正しくないのかわからない。私はどう見えているのか。
 うさぎか、人間か。

 私はポケットのスマホを取り出して、つぶやきアプリを立ち上げた。


獣頭症は存在すると思いますか。
1.獣頭症は存在しない
2.獣頭症は存在する


 その小さな画面の情報量に疲れた私は、1の選択肢をタップしてスマホをしまった。
 長い耳が頭上で揺れる。


 そういえば、近頃では元の自分の顔が思い出せなくなった。

獣頭症の見えた過去

獣頭症の見えた過去

きっと見えない。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-18

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