せんせいの研究
せんせいの研究
「きみは、かんがえごとをするとき、右手のおやゆびの、つめの右がわ側面の皮膚を、ひとさしゆびのつめで、じっ、とめくる癖があるようだよ」
せんせいが、しっとりとした声色で、寝起きのぼくの鼓膜をゆらす。十八時十分前、生物準備室はすこしだけ、かびくさく、でも、秋のにおい。たしかな。
せんせいは、およそ生物準備室で暮らしているとはおもえないような、清潔さで、いつもいる。うちがわの綿がこぼれでているソファにゆったり腰かけ、今日はさかさくらげ事典をながめている。
「せんせい、おはようございます」
挨拶をしなさいと強制しないせんせいに、心から、挨拶をする。
心からの挨拶をすることができる、ぼくは、せんせいがすき。
「また、ねむってもいいですか」
「許可をとるようなことではないよ」
冬晴れの日の海のような青色を飼っているせんせいのひとみが、じっとぼくをみつめ、ぼくの右手をみつめ、
「またやったのか」
とわらった。せんせいは、笑わない。
ただ純粋な誠実さで、わらう。
「左手にしなさい」
「なぜですか」
「きみは右利きなのだから」
「無意識をあやつれるほど、ぼくは明瞭に生きていません」
わかりやすく、はきはきと、生きていたなら、ぼくはきっと、生物準備室にかよったり、十八時半には帰りなさいと言うせんせいのくちびるをどうやってふさぐか、という研究をしてみようとしたり、せんせいをすきになったり、しない。
(あいまいなぼくで、よかった。)
ねむりのふちで、せんせいのにおいについてかんがえる。薬品のにおい。つかいこんだ白衣のにおい。
せんせいからおそわったことのひとつで、ぼくにとってとてもたいせつなことのひとつに、さびしさについて、というものがある。
ひとりでねむるさびしさについて。
どうか、ひとりでねむりたいだれかのことをとやかく言ったりしないから、どうか、ぼくがひとりでねむることをさびしいと感じることについて、とやかく言わないで。
勝手な願望、せんせいの所為。
ゆめのなか。さかさくらげの微生物として、光合成をする。ぼくは、ほんもののさかさくらげの光合成のしくみについてわすれたが、さかさくらげの微生物になったつもりで、光合成をする。
浜辺にせんせいが来る。出てこられたのだ。瓶をもっている。標本になる。
「十八時半になる」
せんせいの声のめざまし時計なら、おこづかいをはたいて、買いたい。
「ねむるとき、きみは、左のみみたぶを、赤くする。今日はこれがわかった」
せんせいはメモを取ったりはしない。せんせいの文字が、すきなのだけれどな。
「さあもう、帰りなさい」
せんせいがぼくについて、おしえてくれる。ぼくはぼうっとなり、けっきょく今日も、ぼくの研究はすすまない。
遅々として、すすまないまま、きっと、あすも。
せんせいとねむり
火は、ちょっと、にがて。
風にはにおいがあって、夏の終わりに吹く風は、あまくて、いいにおいがするんだよ。
風によりかかって、身をあずけて、いまにもねむりそうなせんせいが、ささやく。せんせいが、あまい、とか、におい、とか、やわらかいことばを発するときの、せんせいのくちびるのかたちが、もうどうしても、すき。
自然体がいいのだ。なんでも、アイも。だからぼくは、すきであることを、やめようとか、いけないとか、言いきかせることをやめた。すっぱりやめた。相も変わらず、だから、せんせいがすき。
いまはまだこたえとか結果とかはいらない。せんせいにばれている恋。だれもわるくないんだ。
ゆらゆら、風のかたちになるせんせいのたばこのけむり。生物準備室で吸うと標本が苦しがるんだ。せんせいの、几帳面なんだかよくわからないやさしさにつきあって、放課後の校庭がゆるやかに赤らむのをながめる。
夕暮れ時になると、実はせんせいのひとみがすずしげな青だということが判明する。
ぼくのトップシークレット。
一瞬の風。加速度。せんせいのにおい。
つつまれてるみたい。感覚、誘発。
本物がここにいるのにな、せんせいが青いひとみでぼくを見透かす。
ねむたげなにおいがする。ねむたい時、体温があがって、ぼくはそうやってほんのりあたたかくなったせんせいのにおいが、やっぱり、すきなのだった。
そろそろ冷えるのでもどりましょう。
適切なすきまにそっとことばを挟みこむ。正解とか正義とかより、ただ、適切でありたい。
こうしてせんせいとぼくはまた、生物準備室へかえる。
せんせいの研究