お庭番
硝子戸を大きく開け、縁側から庭を何気なく眺めていた。紫陽花のあたりで、地虫が鳴いている。
庭には関心が無く、この家を作ったときに、園芸店に見積もってもらった木が庭に生い茂っている。
手入れもしていないのに、毎年よく咲く紫陽花が今年も大きな花をつけた。そんなことをぼんやりと考えながら、紫陽花の根本に目をやると、赤い小さなものがピョコピョコと動いている。
なんだろう。動きが虫としては何かおかしい。と言って鼠などの動きとも違う。
私は縁側からおり、サンダルをつっかけた。
しゃがんで紫陽花の根本を見ると、赤い小さなものが飛び跳ねている。
老眼鏡がないと何が跳ねているのかわからない。乱視と軽い近視のはいった眼鏡をはずし、目を凝らしてみた。何とか見ることができる。跳ねているのは形で言えば、赤い傘を持った小さな茸といったところである。しかし茸が飛び跳ねるわけはない。茸に似た虫などいただろうかと考えてみたが、自分の知識の範囲では思い当たるものはない。
そこに蟻がやってきた。すると、小さな赤い茸のようなものが蟻に向かって突進し体当たりした。蟻は仰向けにひっくり返ると足をばたばたさせた。しばらくそうしていたが、ぴょこっとからだをひっくり返すと、来た方向に引き返していった。
茸のような虫はどうして蟻を追い払ったのだろう。縄張りの主張だろうか。
老眼鏡をとりに部屋に戻った。
老眼鏡と虫眼鏡をもって庭に戻った。紫陽花の根本にはまだ赤い小さな茸が立っていた。老眼鏡をかけてもよくわからない、一センチもみたない虫である。
虫眼鏡をかざしてみた。赤い傘がこっちを向いた。動いているが、やっぱり茸にしか見えない。
茸がいきなり、しゃがんでいる私より高く飛び上がった。私はびっくりして後ろにひっくり返った。起きあがると、赤い茸は何事も無かったかのように立っていた。
そこへ蟻が二匹やってきた。二匹の蟻は二手に分かれると、茸に向かって挟み打ちをするように向かって行った。茸の赤い傘が右左に揺れた。左から来た蟻に茸が突進した。右の蟻がそれを追いかけた。茸は左の蟻を撥ね飛ばしたが、右から蟻が茸に噛み付いた。茸は蟻を振りほどくと、ほんの数センチほど飛び上がり、右から来た蟻の背中の上に落ちた。蟻は頭とお尻を上げ、ぐにゃっとのびた。
こうして茸の虫がまた勝った。二匹の蟻は這々(ほうほう)の体で逃げていったのである。
再び赤い茸は紫陽花の根本に立った。
私はカメラをとりに部屋に戻った。接写のできる一眼デジタルカメラである。
赤い茸に向けてピントを合わすとシャッターを押した。その瞬間、赤い茸は柄をくねらせて傘をぱっと開くと、カメラのレンズ真正面に向けた。撮った画像をモニターで確認すると、ただの赤い丸いものが撮れているだけで、茸とわからない。もう一度やってみても同じ結果だった。
茸はどうも私を意識しているようである。
そこへ蟻が列をなしてやってきた。
私はカメラを蟻の列に向けた。それは綺麗に撮れた。
蟻たちは一つの、いや一匹の赤い茸を取り囲んだ。
こんなに沢山の蟻に囲まれれば、茸も噛まれて死んじまうだろう。そんなことを考えながら見ていたところ、紫陽花の根本から赤い茸がぞろぞろと出てきて、蟻たちに勢いよく体当たりし、飛び上がって蟻をつぶし、大戦争を繰り広げた。
私はここぞと、写真を撮った。
沢山の蟻たちがひっくり返って、腹の上を茸が跳ねている。やがて蟻たちはぞろぞろと退却を始めた。
蟻たちが行ってしまうと、茸たちがいっせいにぴょんと飛び上がった。あたかも、万歳をしているようである。
蟻たちの姿が見えなくなると、赤い茸たちは紫陽花の根元に消えていった。また、赤い茸が一つ残り、紫陽花の前に立った。
門番のように。
私は部屋にもどって、撮影した画像をPCに取り込んだ。最初に映した赤い茸は傘だけであった。その後の蟻と茸の戦いは、なんと蟻ばかり映っていて、茸はちらちらとしか映っておらず、茸に見えない。沢山撮ったのにそんな状態だった。ただ蟻が沢山ひっくり返っている様子は面白かった。そのうち生物学者の友人に見せてみよう。
次の日、庭にでて紫陽花の根元を見ると、相変わらず赤い小さな茸が突っ立っている。少し離れたところにある椿の木の下を見ると、小さな白いものが跳ねている。今日は老眼鏡も持ってきているし、ルーペもある。近づいてルーペで見るとやはり一センチに満たない小さな茸である。レンズを向けてズームで拡大すると、柄でリズムをとっている。動いているのである。傘もパクパク上下している。
そこへ、団子虫が白い茸のところにやってきた。団子虫は白い茸にゆっくりと近づくと、いきなり勢いよく走り出しぶつかった。そう思ったら、白い茸がひょいと空中に舞って団子虫の背中の上に落ちた。団子虫がのけぞって、丸くなった。白い茸は団子虫をけっとばし、丸くなった団子虫は遠くに転がっていった。
転がった団子虫は草の根っこでやっと止った。団子虫はからだを伸ばし、今度は全速力で白い茸に向かって走っていく。団子虫がこのように早く走れるとは知らなかった。途中から丸くなって、ごろごろと音はしないが、そのような感じで白い茸にぶつかった。茸は後ろの方にはじきとばされた。団子虫はざまあ見ろといった様子で、椿の木の根元に向かって歩き始めた。すると椿の根本から白い茸が二つ現れ、団子虫にぶつかっていった。団子虫は丸くなって身を守った。二つの白い茸は団子虫をけっとばしてキャッチボールをしながら、庭のはずれの方に連れて行ってしまった。最後にけっとばされ、団子虫は榊の木でできている垣根の外に放りだされてしまった。
白い茸はステップを踏みながら椿の下に戻ると、最初からいた白い茸が二つの白い茸にお辞儀をした。助人のお礼なのだろう。二つの茸は椿の根元に消えていった。
これは面白い見せ物である。誰かに見せたいと思うのが人情だろう。それで、私は、まず友人の生物学者に連絡した。
「茸に似た虫なんていないよ、目が悪くなったのじゃないか」
彼は電話ではそういいながらも、次の日曜日に採集用具をそろえてやってきた。
「久しぶりだなあ、相変わらず訳の分からない文章を書いているのか」
そう言いながら、ずかずかと書斎兼、居間兼、台所兼、寝室に入ってきた。
「ワンルームの一戸建てというのもいいな」
この家は私の希望を全面的に聞き入れてくれた、友人の建築家が設計してくれたものである。
彼はガラス戸を開けると、つっかけをはいて庭にでた。何度か来ているので、勝手はよく知っている。
「どれだい、あの紫陽花だな」
彼はそういいながら紫陽花の下に行くと、根本をのぞき込んだ。
「なにもいないよ」
椿の下も見た。
「いないよ」
そう言って、私の方を見た。
そこで、私が近づいて紫陽花の根本をのぞくと、赤い小さな茸がぽっこりと顔を出した。
「ほら」と指さすと、彼が顔を近付けると、赤い茸はぴょこっと紫陽花の根本に隠れてしまった。
「君が見ると隠れてしまうよ」
「よし、それじゃ遠くから見ていて見よう」
彼は少し離れたところから、双眼鏡を出して眼にあてた。
私が紫陽花の下をのぞくと、赤い茸が顔をだした。
「おお、何か動いた、赤いものだな」
そこへ足の長い蜘蛛がやってきた。座頭虫という奴だ。長い針金のような足が小さな胴体を支えている。
前足で前を探るようにしてゆっくりゆっくり歩いてくる。その様子が杖を頼りに歩く座頭に似ているところから名付けられたわけだ。
その前足で赤い茸をけっとばした。
赤い茸はかろうじてよけると、座頭虫の細い足に体当たりした。
座頭虫の足がひん曲がった。あわてた座頭虫はびっこをひきひき、もどっていった。赤い茸はまた紫陽花の根本に陣取った。
「見ただろ」
「なにやら見た。が、よくわからんかった」
「近寄ってみたらどうだい」
彼が近づくと、赤い茸はふっと、紫陽花の根本に消えてしまった。
「何もいないじゃないか」とかがんだ彼が振り向いた。
そこへ、違う座頭虫がやってきた。赤い色をしている。また赤い茸が顔を出すかと期待をしていると、予想通り、紫陽花の根本に赤い茸がぽこっと立った。
「ほら、そこに、赤い茸が見えるだろう」
「ああ、確かに、赤い茸はある、さっきは気がつかなったようだ」
彼もうなずいた。座頭虫が近寄ると赤い茸が飛び上がる。そう、期待して私はみていた。
ところが赤い座頭虫が近づくと、茸から緑色の煙が立ちのぼった。座頭虫が四本足で伸び上がり、二本の前足をいやいやをするように動かした。緑色の煙を追い払っている。
「おもしろいね」彼はカメラを構えた。
「茸の胞子を座頭虫がいやがっている」
「なに茸だろう」
「俺に植物はわからんよ、ただ、この赤い座頭虫はあかさび座頭虫に似ているが、こんなに全身真っ赤じゃないから、新種かもしれない」
「この蜘蛛は糸を張らないんだろう」
「蜘蛛に近いが、本当の蜘蛛じゃないから糸はださない」
こんな話をしている間に、赤い座頭虫は茸から離れて逃げていった。
「面白かったな」
「ひとまず、部屋に入れよ」
彼を家の中に呼び戻した。
「何か面白い話ができたか」
生物学者の彼は、とり散らかっている書斎机の上を見た。雑誌に頼まれ、一つ作り上げて送ったところだ。
「それで、茸が蟻と戦争をしたとか、団子虫と戦争をしたとか言っていたが、さっきのところで見たのかい」
「うん、確かに、赤い茸が飛び上がって蟻をけちらした」
「俺がみたときには動かなかったぞ」
「見えなかったかもしれないが、確かに動いたんだ」
私は彼に写真を見せた。ひっくりかえっている蟻をみて不思議そうな顔をした。
「蟻がこんな状態になるのは珍しいし、確かに面白いが、茸が動いているようには見えんな、むしろ、茸がさっきのように何か出して、それにやられてひっくり返っているように見えるな」
そう言われればそうである。
「たしかにな」ここは妥協しておくしかないようである。
「あの座頭虫はちょっと面白い、俺の範疇じゃないから捕まえなかったが、専門家にとって驚くような新種かもしれないな」
「そんなに珍しいのがこんなところにいるのかい」
「昆虫の世界は広いんだ、そこらを這いずくっているゴキブリだって、変わったのがいないとは限らないよ」
「昆虫学者は喰いっぱぐれないね」
「いや、虫好きはたくさんいるが、ほとんど趣味の人たちだよ、もちろん素人といっても知識や観察能力はプロなみの人がたくさんいるよ、しかしね、それで食べられるのはほんの一握りの人たちだけだよ」
「そんなもんか」
その日は遅くまで酒を飲んで、彼は機嫌良く帰っていった。
次の日は昼近くまで寝てしまった。少し飲みすぎたようで、水を一杯飲んで、ガラス戸を開け放した。
サンダルを履いて庭にでてみると、白山吹の根本で黒っぽいものが飛び跳ねている。また茸だろうと、部屋に戻り虫眼鏡と老眼鏡をとって返すとのぞいてみた。
たしかに茸だった。ただ、なにをやっているのかわからない。土の上をとんとんと跳ねているだけである。そのうち山吹の根本から黒い茸がピョコピョコと顔を出した。ぞろぞろと集まると、わーっと言う声を上げてと言いたいところだが、声は聞こえないが、人間だったらそんな状態だと思われる様子で、黒い茸たちが紫陽花の根本めがけてかけていった。
紫陽花の根本には真っ赤な茸が一つ立っている。赤い茸は黒い茸が走ってくるのを目にすると、とんとんと飛び跳ねた。すると、紫陽花の根本からぞろぞろと赤い茸がでてきた。黒い茸は赤い茸に襲いかかった。ぶつかり合ってお互いがはね飛ばされ、起きあがるとまたぶつかってを繰り返し、どちらかが起きあがれなくなるまで続いた。立っているのは黒い方が多い。その連中がまたぶつかり合いをし、とうとう、赤い茸はみんな倒れてしまった。
残った黒い茸がピョコピョコ跳ねると、倒れていた黒い茸が起き出して、跳ね始めた。すべての茸が起きあがると、赤い茸がいた紫陽花の中に消えていった。やがて赤い茸たちは、もそもそおきあがると、すごすごと黒い茸の住処だった山吹まで歩いて、根本に消えていった。
陣取り合戦のようだ。植物の大きさによって住みやすさが違うのだろう。こうなると、紫陽花の根本と山吹の根本にはどのような世界が広がっているのか見たくなるのが人情だろう。私はただそれだけの目的で、大きなスコップで山吹を根こそぎ掘り起こした。
土の中にはなにもいない。
その山吹を紫陽花の隣に植え変えた。
紫陽花はかなり大きく広がっており、スコップで掘ることができない。小さなスコップでまわりをほじくった。なにもでてこない。その時、私はしたことの重大さが全く分かっていなかった。
次の日、紫陽花ととなりあった山吹の根元には、黒と赤の茸が一匹ずつ立っていた。にらめっこをしている。それで終わった。
それから半月ほどたった時である。
四国まで取材旅行に行って帰ってきた次の日の朝、庭にでた。家の周りを見ると、木製の南京下見の外壁が虫食いになっていた。防腐剤を塗ってあるはずなのに、虫がついてしまったようである。私は、虫食いの部分に改めて防腐剤を塗っておいた。
庭をみると、相変わらず、黒い茸と赤い茸が紫陽花と山吹の根本に立っている。
次の日、外壁はますます小さな穴が開いて朽ち始めている。
困ったことである。何とかしなければならないが、その日は昼の音楽会に誘われている。
仲間と音楽会にいったあと、夕食をともにして家に戻った。玄関先から庭の方をみると、家の外壁の木の上で何かが動いている。
庭に回ってみると、無数の赤い茸が外壁の木の上でグリグリと回っている。そこには穴が開いていた。あの前に紫陽花の下にいて、今は山吹にすんでいる赤い茸が木に穴をあけていたのである。
しっつしっつと追い払うと、茸たちは一斉に壁から飛び降り、山吹の根本に一目散に走っていって、潜り込んだ。
家が穴だらけにされる。これは困ったことである。家の壁の木を取り替えたほうがよいだろう。
さっそく、大工さんに来てもらった。
「南京下見たあ、めずらしいね」
大工のおじいさんに穴の開いたところを見せた。
「こりゃ朽ちてきたね、ここから全部取り替えなければねえ」
と窓の下一面を指さした。
「結構かかるがしかたないねえ」と言いながら、明後日くるよと帰って行った。
その日は朝早くから大工のおじいさんは仕事に励んだ。お昼前には終わりそうな勢いである。十時になったので茶菓子とお茶を用意した。
「すいませんな、それにしても面白いいい家だね、なぜ日当たりのいいところなのに朽ちたのかね」
茸がやったとはいえない。
「家の方角がわるいか、何かに嫌われたんじゃろ」
「どうしたらいいですかね」
「わし等はよく言うよ、家にすむもの、周りにすむものみんな平和じゃないと、その家は崩れやすいってね、庭の木や虫や蛙は一緒に家に住むものだってね」
「周りによくしてやらないといけないのですね」
「そうだよ、庭木は枯らさないようにしないといけないよ」
そういって仕事に戻った。南京下見の外壁は綺麗に仕上がり、防腐剤が塗られた。
私は老人の言ったことをかみしめて思いついたことがあった。
園芸店に行って、大振りの格好のいい紫陽花を注文したのだ。園芸店から届いた紫陽花は玄関の脇に植えてもらった。
早速次の朝、山吹の前にいた赤い小さな茸に声をかけた。
「紫陽花を玄関の脇に植えたよ、どうぞ」
山吹の根本から赤い茸たちがぽこぽこでてきて、ぞろぞろ玄関に向かって突進した。黒い茸も元の紫陽花から顔を出したが、赤い方が早かった。あっと言う間に玄関の紫陽花の根本は赤い茸が集まり、ピョコピョコ飛び跳ねて、すーっと中に入った。
黒い茸たちは、あきらめた様子で、もとの紫陽花にもどっていった。
これで、丸くおさまったのだろう。
それ以降、赤い茸は玄関の紫陽花に住んでいる。もう壁に穴はあかなかった。
私の家の庭には、庭を守っているお庭番がいる。
茸たちだ。庭に生える茸も、この家に一緒に住む仲間である。
彼らも大事にしてやらなければ家がもたない。
じーじー、と地虫が気持ちよさげに鳴いている。
地虫は土の中に住んでいる虫のことだ。特にコガネムシなどの幼虫ということらしいが、茸たちも土の中で鳴く。茸は「じ」とも読む。地虫は茸虫でもあるわけである。
じむしの鳴き声は、お庭番の茸たちの歌声なのだ。
お庭番
私家版 第九茸小説集「茸異聞、2021、一粒書房」所収
茸写真:著者: 東京都日野市南平 2015-9-3