水平線の彼方へ

大月クマ

  1. 【序章】
  2. 【第1章】
  3. 【第2章】
  4. 【第3章】
  5. 【第5章】
  6. 【終章】

【序章】

 全ての出会いには意味があるらしい。
 海彦が海岸の潮だまり……磯に打ち上げられていた彼女を助けたのは、運命だったのかもしれない。
「大丈夫!?」
 最初は、どこかの……外国の船から落ちた人だと思った。
 明治とか言う新しい時代になって、頻繁に異国の船が目の前の海を通るようになったからだ。
 彼女は、見たことがない、きれいな顔。しかし、不思議な髪型をしている。腰までありそうな長い髪を、縄のように編んであった。髪の色は自分と同じ黒色だが、潮風に焼けてボロボロになったくすんだ色ではない。まるで烏の羽のような、光の加減で紫にも見える美しい黒だ。
 服が見たことのない色をしていた、青やら桃色やら。
 それに……懐から見え隠れする肌も、魚を捕って生活をしている村人では見たことのない美しさ。
 まるで、まるで……海彦には表現できなかった。
 ようやく表現できる物を思いついた。牡蠣の殻を割った時の純白だ。
「――うっ……」
 彼女がうめき声を上げた。生きているようだ。
「しっかり!」
 とにかく、水の中から引き上げなければならない。気を失っている彼女の脇に手を入れて持ち上げた。
「えッ!?」
 するとどうだろう。
 《《下半身が人ではなかった》》。まるで|海豚(イルカ)だ。
(にっ、人魚!?)
 脚がない。海の中から姿を見せたのは、イルカのようなヌルッとした皮膚に尾っぽが見えたのだ。よく見れば、彼女の細い指の間には水掻きのような|(モノ)まである。
 噂に聞く半人半獣の|妖怪(化け物)、人魚ではないか!?
 そう思った途端、海彦は、恐ろしくなって手を離してしまった。
スルスルと彼女の|身体(からだ)が海に引きずり込まれていく。長い髪が波間に消えていくのを見ているだけだった。
 しかし、おかしな話だ。
 海を自由に泳ぎ回れるはずの人魚が、まるで溺れているようだ。
 そもそも、海を住み処としている人魚、波間に打ち上げられているのはおかしく思った。
 後で考えて見れば、たまに|(クジラ)などが砂浜に打ち上げられたことはある。大海原を住み処としているのであれば、人魚もおかしくはないだろう。
(人魚は……でも!)
 化け物であったが、苦しんでいたように見えた。
 消えていく、彼女の姿。消えていく泡ぶくを見ていると、彼は居ても立ってもいられなくなった。
 気が付けは、海に飛び込んでいた。そして、沈んでいく彼女の手を取ってしまった。

(勢いで助けてしまったが……)
 海彦は結局、人魚の彼女を海から引き上げてしまった。
 改めてみると、普通の少女としては大きい。頭の先から尾っぽまでの長は|約一七〇センチ《五尺半》はあるかもしれない。大半が下半身のイルカの部分。
 腰から上の半身は人間の少女の身体だ。その辺の大きさは人間と同じぐらいだ。それを先程も説明した、見たこともないキレイな色の着物を着ているが、先程の件があってか|(はだ)けていた。キレイな白い肌がおへそまで見えている。
 そんな半身の腰から下はイルカだ。腰の下のあたりに普通なら胸のあたりにありそうな対の胸びれ――腹にあるので腹びれか――のようなもある。
 興味本位に下半身を触ってみたが、噂で聞いたウロコのような感じはなかった。なめし革のように滑らかで弾力があり、少し生暖かい。
 しかし、よく見れば身体中に傷があった。擦り剥き、ぶつけたような……。
「――うッ!」
 苦しそうに彼女が声を上げた。
 そこで、海彦は少しドッキッとしてしまった。
 助けた人魚の歳なんて分からないが、顔をよく見れば白く美しく、そして人間からしたら幼さもある。
 自分の歳より少し下。自分が一七なので、となると一四かそこら……。
 そんなことを思うと、ますます彼女を直視できなくなってしまった。
「助けたのはいいが、どうすれば……」
 気を失っているようだが……人ならまだしも、人魚なんてどうやって助けたらいいのか分からない。
 しかし、今の硬い岩の上ではかわいそうだ。
(とりあえず、ウチに連れて行こう)
 彼女を抱きかかえる。
 人の少女も抱えたこともないが、ずっしりと重い。海で鍛えられた彼であったが、重く感じた。恐らくイルカの部分の所為かもしれない。
 幸いにも彼の家は一人きりだった。
 両親は早くに亡くし、双子で兄がいた。だが、兄は数年前に漁に出たきり、行方不明になっていた。
 何とか彼女を家に運び込めば、隠すことは出来るだろう。
(村の人に見つかったらまずいな……)
 女の子だとは言っても、人魚は妖怪だ。
 吉兆の印とも言われているが、凶兆だとも言われている。
 明治とか言う新しい時代が変わったばかりで、みんな敏感になっているときだ。なんと言われるか分からない。
 彼女を助けるためにも、見つからないように移動しなければ……。

 彼の家……と言っても、粗末なモノだ。
 集落の端っこに位置した場所にあり、何度も修理を繰り返している。扉も無い。入り口には使い古しのむしろで、中と外を区別しているだけだ。
 他の村人には見つかっていない……と、思う。
 彼女を運び込んだモノはいいが、中に入っても土間しか無い。あった板は全部壁の修復に使ってしまった。
 自分は何に寝ているかと言えば、むしろを引いているだけだ。
 それしか無いのだから、仕方がない。土の上に寝かせるよりはマシであろう。
(服を脱がせる……本当に……)
 むしろの上に寝かせたが、濡れたままの服のままではかわいそうに思えた。
 唯一ある自分の着替えを持ってきたが、古ぼけた灰色の麻の着物だ。彼女の着ている着物と比べた本当にみすぼらしい。だけれど、これしか無い。
 彼女の上半身を起こして肩に手をかけたが、白い肌が目に入ってきた。
(人間じゃ無い……人間じゃ無い……)
 頭に血が上るのを押さえつつ、彼女のキレイな服を脱がせた。
 考えれば、彼女の人間の部分は自分の歳に近い少女だ。村にも若い女性などほとんどいないし、身体など見たことがない。
 慌てて自分の着物を着せて前を合わせた。
 濡れた彼女の着物は本当にキレイだ。だけれど……考えていて見れば、こんなキレイな着物を乾かしていたら、村人に見つかってしまう。
 彼女の着物を単に脱がして、裸を見ただけ……人魚だとは言っても、海彦の頭の中にはすでに年頃の少女に見えている。
 くすみのない白い肌、柔らかそうな頬、くっきりとした鼻筋、緩やかな曲線……。
 しかも、嗅いだことの無い甘くいい匂いもしてくるではないか。
「おい、海彦はいるか?」
 突然、入り口のむしろの向こうに人影が現れた。
 村の者のようだ。
「なっ、何だ」
 入ってくるかもしれない。慌てて彼女にむしろをかけて隠した。
 海彦は飛び上がると、入り口に向かって走り寄った。
「どうかしたのか?」
 入り口にしているむしろの向こうにいたのは、隣に住む海馬という男だ。同じく漁を生業としている。
 親を亡くし、唯一の兄弟を亡くした海彦に何かと世話を焼いてくれているが……今は、彼女のことを相談できるとは思えない。
 そんな彼が怪訝そうな顔をして中を覗こうとしたが、海彦は覗かれまいと外に出て話をする。
「何でもないです。それよりどうかしたんですか?」
「――ああ、いや、村に知らない奴が来ている」
 海彦は『知らない奴』と言われた途端ドキッとした。だが、よく考えてみれば、匿っている彼女ではないはずだ。
「誰?」
「なんだかよく解らん。異国人のような格好をした日の本の者だ。
 村の者を集めろ、と騒いでいる」
「なんで?」
「何かを捜しているようだ」
 捜している……その言葉に、家の中を見ようとした。だが、すぐに思いとどまる。
 匿っている彼女を悟られるかもしれない。できるだけ、隠し続けなければ……。
「――それで俺を呼びに来たんですか?」
「ああ、見つけた者に金を出すという」
「――金。それは本当ですか?」
 金と聞いて、心が揺らいだ。
 この村では食料はほぼ物々交換だ。だが、金がなければ手に入れられないものはたくさんある。自分の家の木材だってそれだ。
 それにあっても困るものではないだろう。
 何か見つけるだけで、金をくれるというのは魅力的だ。後で思えばそんなうまい話があるわけではないが、目先の『金』と言う言葉に目をくらんだ。
「どこで!」
「こっちだ!」

 村の集会部分。祭りを行うときの空き地に村人が集まっていた。
 その中心には、ふたりの人物がいる。
 目に入ったのはひとりの大男だ。背は|約一八〇センチ《六尺》はあるだろう。髭ずらの入道のようにも思える。歳もかなりいっているようだ。口をへの字に曲げて直立不動のままでいる。
 もうひとりはその脇にいる。背の高さは普通に|約一五〇センチ《五尺》弱だろう。隣の入道が大きすぎて、女のように見えるし、顔が能面のように細い目をしている。それがますます女性ぽく見えてくるが、もみあげから顎にかけてグルリと薄い髭が生えているので、男であるのだ。歳は……海彦の父親ぐらいだろう。
 ただ、ふたりとも見たことの無い着物を着ていた。
 袴などではなく、鯉口シャツや股引を分厚くしたような感じだ。頭の上もチョンマゲではなく、散切り頭に半球の布のようなモノを被っている。腰には一応、脇差しのようなモノがぶら下がっていた。
「見つけたモノには一圓を差し上げる。
 捜しているのは、あるお方……捜し物をしている」
 小柄な男が話していた。ちゃんと金を持っていると、思わせたいのか、掲げた手には金色に光るモノが見えた。
 しかし、人を探しているのか、捜し物なのかよく解らない。最初は『あるお方』となんだかエラい人のことをいていたが、急に物扱いをした。
「――クロウ様」
 それを村人以外にも大男も思ったのか屈んで、小柄の男に小声で耳打ちするように言った。
「その名前で呼ぶな。ホアンチョウ」
「申し訳ありません。フクチョウ……しかし、あまりミツヒメ様のことを……」
「いいんだ。あのお方は勝手だから」
「では、何も言いません」
 ホアンチョウと呼ばれた大男は、再び直立不動にもどった。
 フクチョウと呼ばれた小柄な男は、パチンっと手を叩き注目を集める。
「さてッ! 我々が捜している物は……人魚だッ!」
 人魚。
 その言葉に村人が響めき上がった。
「人魚とは……そのようなモノは、ワシは見たことがありませぬ」
 網元を務めていた村の長老が、歩み出していった。
 村人は……
「人と魚の合いの子らしい。食べると長生きできるそうだ!」
「猿の身体に、魚の身体がくっ付いたモノだっていうぞ。そんなもん食べる奴がいるのか?」
「そんな化け物が、うちの村におるのか!」
「俺が見つける。金をもらうぞ!」
 混乱しているモノもいれば、馬鹿にしているモノもいる。金目当てで捜し出すと息巻いているモノもいる。
(彼女を捜しているのか?)
 その中で海彦は、気が気ではなかった。だが、村人達の言っている人魚の姿は自分が見つけた彼女とは違っていた。
(また別の人魚か?)
 とはいっても、そんな珍しいモノが二体もこの村にいるとは思えない。
「あっああ。人魚を傷つけるのは無しだ。生け捕りにしろ。
 それから……」
 再びあの小柄な男が話した。
「捜す人魚は女の子だ。もう一度言う。傷ひとつ付けることは許さない!」

 村人達は海岸の方、砂浜や岩場、少し離れた入り江へと散っていった。全員ではない。
 捜す者もいれば、くだらないと切り捨てた者、そもそも歳だからと諦めて家に帰る者。
 海彦はその中で、自分の家のことが気になって仕方がない。皆の注意が海に向いている間に、悟られないようにそそくさと急いで戻った。
 それを見ていたものは……いないと思った。だが、人の目なんてどこに見ているか分からない。
「あいつ、どこに行くんだ?」
 海馬が彼の妙な動きに気がついた。
 金がもらえるかも、と喜んでいたのに彼の姿がないのを不審に思ったのだ。

 海彦は自分の家に来てみると、中に人の気配があった。
(もう見つかってしまったのか?)
 意を決して、入り口のむしろをめくり上げる。と、薄暗い家の中に誰かが座っている。
 一瞬判らなかった。
「どなた?」
 その人影は、聞いたことのない透き通るような声を発した。

【第1章】

 人魚の彼女が起きていた。
 上半身を起こし、キョロキョロと家の中を見回している。
(やはり人とは違う。でも……)
 今まで目をつぶっていたから分からなかったが、キラキラした大きな瞳。人とは違う、見たこともない黄金色に輝いていた。
 それを見た瞬間、海彦は今まで感じたことのない感情がわき上がった。
「ここはどこ? あなたはどなた?」
 再び彼女が質問した。
「えって、あ……」
 海彦は息がつまった。顔に血が上るのが分かる。身体が固まって口が上手く動かない。
 彼女の方は、再びキョロキョロと家の中を見回し、最後には自分の着ていた着物がそばに落ちいたのが目に入ったようだ。
 そして、自分が別の着物が着させられている事に気がついたようだ。
「どういうこと……」
 急に彼女は怪訝そうな表情を浮かべた。
 着替えたのは海彦だし、着ていた高級そうな着物と比べて粗末なのを着せたのも自分だ。それを説明しなければ、誤解をあたいかねない。
「ぬっ、濡れていたのを乾かそうと……磯で気を失っていたから……」
 テンパって時系列がバラバラだ。
 彼女を見ていると、やはり頭に血が上ってボーッとしてしまう。
「クスっ! 人魚なのに着物が濡れるなんて……」
 ツボにはまったのか、コロコロと彼女は笑い出した。
 その表情を見ていると、やはり人間の少女にしか見えない。下半身がいるかである以外は。
 たしかに、考えて見れば水の中にいつもいるのだから、着物が濡れようが関係ない話だろう。
「それで、幼気な少女の着物をむしり取ったのですか……クスクス……」
「いや、おッ俺は……」
「顔が真っ赤になって、カワイイっ!」
 とんでもない者を拾ってしまった。
 海彦はそう感じたが、急に彼女の顔が引き締まった。
「――それはそうと……見ず知らずのこのわたくしを、あなたは助けてくれた。
 それでよろしいですか?」
「えッ? あッ! そうです。磯にあんたが打ち上げられていたから……」
「それで助けてくれたと? ありがとうございます。
 何かお礼をしたいのですが……生憎と持ち物があまりありません」
 突然、口調がどこかの高貴な姫様のような変わった。
(一体何者なんだろうか?)
 海彦は自分が助けた彼女のことを計りかねていた。
 只の人魚ではないような……いや、そもそも人魚に上下があるのだろうか?
 あの村人のひとりが言っていた『猿の身体と魚の身体がくっ付いたモノ』とは、彼女の容姿はほど遠い者だ。
「あっ、ちょっと待ってくださいね。ひょっとしたら……」
 と、自分の着ていた着物をあさり始めた。そして、何かを見つけたようだ。
「これ、これを進呈します!」
 彼女が差し出したのは、キラキラした青色の透き通った石だ。水滴を固めたようにも見える。
「何ですか? それは……あっ!」
 綺麗な細い指の上にあるその石に手を伸ばした。その時、彼女の指に触ってしまった。柔らかい……水掻きのようなものがあるが、少女と変わらないだろう。
 海彦はその柔らかさにビックリして、手を引っ込めてしまった。
「顔が真っ赤になって、カワイイっ!」
 またコロコロと笑い出した。
 そう言いつつ、彼の手を掴むと引き込んだ。人魚だからだろうか、見た目の少女とは思えない、かなりの力だ。漁で鍛えているはずの海彦の力でさえも、侮れない。
 海彦は彼女の力にビックリはしたが、そのまま掌に青い石を置いた。
「これはお守りです。何かあった時に……」
 彼女はそう口にした途端、急にそわそわし出した。
 何ごとかと、海彦も辺りを見回す。
 ふと、隙間から入っていた光が、一瞬点滅したのだ。
(マズイ! 誰か来たのか?)
 海彦も気になると……外が何やら物音が聞こえた。

 海彦が壁の隙間から覗くと、なんと言うことか、村人が集まってきていた。
(どうして……)
 どうしてなんのかは、海彦にわかりようがない。
 彼の行動に不振を思った海馬が、後をそっと追いかけていたのだ。
 そっと彼の小屋を覗いてみると、見たこともない女と話しているではないか。しかも、よく見れば人外……人の身体にイルカの下半身、そんなモノは見たこともない。
(先程の金を持っていた男の言っていた人魚か?)
 そう思ったが村人の話していた人魚とは姿が違っている。
 判らないが、これがあの男に言っていた人魚なら金がもらえる。と、海馬は金に目がくらんだようで、きびすを返すと村人を集めた。
 そして、人魚を手に入れたい村人達は海彦の小屋を取り囲んだ。
 それを海彦は目にしたところだ。
「海彦はいるか?」
 と、海馬は声をかける。
「どっ、どうかした?」
 海彦は、恐る恐る入り口のむしろを少しめくり外を覗いた。
 途端、数名の村人が彼を蹴飛ばし、小屋になだれ込んだ。
「なッ、何するんだ!」
「触らないでッ、無礼者ッ!」
 人魚の彼女が数人の村人に担ぎ上げられて、小屋の中に出される。その間にも海彦は邪魔とばかりに、他のモノに蹴飛ばされて踏みつけられた。
「妖怪だ、人魚だッ!」
「金だ、金だッ!」
「肉だッ、不老不死だッ!」
「やッ、止めろ!」
 と、海彦の声などとかない。
 彼女を担ぎ上げた村人達は、狂ったように暴れている。
 あの男が示した金もそうだが、彼女の肉を食らうと長生きできると言う情報が、間違った方向に進んでいるようだ。不老不死になるなどと。
「キャッ、痛い! 止めてッ。痛い!」
 傷ひとつ付けることは許さない、と釘をされていたではないか。だけれど、彼女の髪を引っ張るモノも入れは、腕やヒレを引き剥がそうとしているモノまでいる。
「止めてくれ! 彼女は関係ない!」
 海彦は必死に起き上がると、彼女に襲いかかっている村人共に飛びかかった。だが、体格も年齢も、数も彼より上だ。
 簡単に振り払われ、殴られ、蹴られ……。
 バンっ!
 突然、何かが弾ける音がこだました。
 村人の動きが止まった。
 気がつけばあの二人組のひとり、フクチョウと呼ばれていた小柄に男が天に向けて銀色の鉄の筒……小さな|種子島(火縄銃)のようなモノを掲げていた。鉄砲なのだろう。だが、火縄が無い物は見たこともない。
「傷ひとつ付けることは許さない、と言ったはずだ!」
 バンっ! 再び、引き金をひいた。
「ベンケイっ!」
「承知!」
 小柄な男が鋭く命令すると、ホアンチョウと呼ばれていた大男が動いた。
 その巨体、その年齢にしては驚くほどの素早さ。数人の村人を蹴散らすと、人魚の彼女に取り付いている者を引き剥がした。そして、彼女を抱え上げる。
「何するんだ!」
 人魚を取られまいと叫んだ男がいた。その途端、男の顔めがけて拳が飛んでくる。
「見つけたんだ! 金をよこせッ」
 小柄な男に取り付く者もいるが、その後ろから彼女を抱えたホアンチョウが蹴りを入れる。その勢いで、フクチョウにぶつかりそうになるが、彼はさらりとかわした。
「貴様達は、|ルール《決まり》を破った。
 わたしは、傷ひとつ付けることは許さない、と言ったはずだ!」
「そっ、そんなッ!」
 それでも食ってかかろうとする。だが、フクチョウは、
「やかましい!」
 と、あの短い鉄砲をその男の足下に向かって撃った。弾によって、土が跳ね上がる。
 続けてフクチョウは、懐から別の鉄砲を取り出した。手にした銀色の鉄砲よりも一回りは太い。
 それを天に向けると、引き金を引く。
 まるで打ち上げ花火のようにスルスルと煙を引くと、上空で音を上げて弾けた。
「――あれは何だ!?」
 ほとんどの村人は上空で弾けた《《それ》》を見ていたが、ひとりだけ違うところを見ていたようだ。
 海の方を……沖を見ていたものが、指をさす。
「何だ!? 化け物だ!」
「亀の化け物だ!」
「|虚舟(うつろぶね)だ!」
 最初は鯨か海豚かと思われた。だが、水しぶきを上げながら浮かび上がると、日光で黒光りしている。
 それは丸い鉄の塊のようなモノだった。正確には、亀の甲羅のような、少し前後を引きの伸ばした姿。長いところの大きさは|一〇メートル《三〇尺半》ほどあるだろう。
 それが浜に上がると、こちらに向かってくるではないか。
 舟と思っていたモノが、陸に上がった。
 六個の大きな車輪が船体の下に付いていて、キュルキュルと音を上げて陸に上がると、フクチョウ達の前で止まった。
 その虚舟の脇の壁が突然、開いた。
「――おまたせしました!」
 ハシゴのようなものまであり、中から別の男が顔を出す。
「行くぞ、ホアンチョウっ!」
「承知!」
 フクチョウのかけ声と共に彼女を抱えたホアンチョウ共々、虚舟に駆け込む。
 村人達が現れた虚舟に呆気にとられている間に、扉が閉まると来た道を戻って行ってしまった。
(あれは……兄貴じゃなかったか!?)
 一瞬、虚舟から顔を出した男。海彦は……いや、村人はその男の顔には見覚えがあった。しかし、そんなはずはないと疑った。
 顔を出した男は、海彦にそっくりだった。そう双子の兄、山彦がそこにいた。
 そう見えた。しかし、彼は数年前に漁に出て以来、不幸に事故で海に飲み込まれたと聞いている。
 では、あそこで顔を出した人物は何者なのか?
「虚舟とはなんだ!?」
 誰かがそう叫ぶ。
「神様の乗り物らしい……」
「よその国で許されない恋をしたモノを流している、とも言われているぞ」
「だとしても……」
 集まっていた村人の視線が、転がっている海彦に集まった。
「お前の所為だ! 人魚の肉が取れなかったのはッ!」
「金がもらえなかったのは、お前の所為だ!」
 不満を爆発させた村人達が、海彦に一斉に襲いかかった。

 海に戻った虚舟はどうなっただろうか?
 水中を航行していた。
 もう少しこの舟を説明すれば、亀が手足を甲羅の中にしまったような姿をしている。頭の部分はガラス張りで操縦席になっており、今はひとりしか座っていないが、左右ふたりでも操縦できるようだ。操縦席を挟むようにサーチライトが左右にひとつずつ。前足の部分は今は格納されているが、テナガエビの腕のような細長いアームが付いている。後ろ足の部分からは水流を力強く排出し推進力としている。
 さて中ではどうなっているだろうか?
「ミツヒメ様。勝手な行動は慎んでください」
 フクチョウは、そう人魚の彼女に話す。
 ある程度水中を進んで、村人達が追ってくる事はまず不可能だろう。何せ人間世界ではまだ潜水艇など構想状態の代物だ。では、彼等は何者なのだろうか?
「判りましたから、降ろしてくださいませんか」
 彼女は、まだホアンチョウの肩に担ぎ上げられたままだ。
「これは失礼。ヤマ、椅子をお持ちしろ」
「はいッ!」
 入り口の開閉を行っていた男……海彦にそっくりな男が、そそくさとと椅子を用意した。用意されたのは……車椅子だった。座り心地の良さそうなクッションが背もたれや座面にしっかりと張られている。左右に大きな車輪が付いているが、西洋の高級品な調度品のような代物だ。
 ホアンチョウが、彼女を丁重にその車椅子に座らせる。
 座った彼女は車椅子を少し前後に動かすと、満足したのかニッコリと微笑んで見せた。
「ミツヒメ様。お立場……お姿をお考えになって行動してください。
 人とは相見えるのは早すぎます」
「副長にはご迷惑をおかけしました。でも、姉上の愛しの君の顔を見たくて……」
「毎度、謝って済むモノではありません。
 そもそも、こちらとあちらでは《《時間の流れが違う》》のですから……」
「どういうこと? たかが、三年でしょ?」
 キョトンと不思議そうな顔をするミツヒメ様。
 副長はため息をついた。
「――一五〇年です」
「それぐらいなら……」
「普通の人間の寿命は、五〇年ほどです」
「でしたら、弁慶さんはもう十分生きていらっしゃるのでは?」
「保安長は、こちらに来てから大分経ちます。衛生面や栄養環境、医療も段違いです。
 こちらの生活が長ければ、その分長くなります」
「では、亡くなっていると……姉上になんと報告をすれば……」
「知っていると思いますよ。イチヒメ様は……」
 副長の言葉に彼女は悲しそうな顔をした。結局、彼女に知らされていなかっただけなのだろう。どちらに対して、ショックなのかどうかは計れない。
 姉上の愛しの君が死んでいることなのか、時間のずれがあることなのか。はたまた、そう言った情報が知らされていなかった事についてか。
「副長。まもなく本艦と接触します」
 ヤマと呼ばれた男の声が操縦室の方からした。
「了解した。保安長、ミツヒメ様を……」
「承知!」
 保安長がミツヒメの後ろに回り込み、彼女の車椅子を押した。
 副長に続いて操縦室へと入っていく。

 操縦室に入ると、正面にふたりの男が並んでいる。その先は大きく切り取られたガラス窓。右側の男は帽子の上からインカムを付けている。どこかとやり取りをしているようだ。
『――わにヨリ、みのヱ』
 スピーカーからは女性の声が流れてきた。
「こちら、ミノ。感度良好」
『――わに了解。
 アア、かんちょうヨリ伝言ガアリマス。みつひめ様ニハ、後デヲ話シガアルソウデス』
 そうスピーカーら流れてくると、みんなが笑った。|ミツヒメ《彼女》以外。
 みんな知っているのだ、艦長のお話……と言うよりも長ったらしい説教が待っているとを。それを考えると、彼女は笑えない。
 もう片方の席の者は操縦桿を握って巧みに扱っている。
 そして、海の中。ガラスの向こうに何か巨大なモノが見えてくる。
 潜水艦だ。
 一二〇メートルほどもある巨大なマッコウクジラなど、この世には存在しないだろう。明らかに鋼鉄で覆われている。
 明治の初期などと言えば、最新の軍艦でさえ鋼鉄で外装を覆っているかもしれないが、まだ木造も多く、帆掛けの併有で石炭を燃料にした外輪船だ。
 無論、どの国もこのような水中に止まることの出来る舟は……いや、イクティネオⅡ号と呼ばれる潜水艇はスペインで登場していた。しかし、それはミノと呼ばれた虚舟と同じほどの大きさ。目の前にある鋼鉄の巨大な潜水艦など、まだどこも持っていないはずだ。
 今は機関を停止し水中を漂っているように見えるが、クジラで言うところの尾と胴体付け根、その下あたりにミノと同じく二つの開放部がある。
 虚舟と比べら巨大であるが、水流をコントロールして推進力とするモノであろう。
 潜水艦は普通のクジラとは違い、尾っぽは水平に広がっているのではなく、垂直に立っていた。
 ミノはそれを避けて、後方から回り込んだ。
 クジラで言えば尾っぽの上を回り込み、背中に向かう。
 背中にはコブのようなモノがあった。
 ミノが近づいていくと、そのコブが持ち上がり、隙間から明かりが漏れ出した。
『――ヲ帰リナサイ』
 空いた隙間に潜水艇は入っていった。

「漁ですか……」
 海彦は痛む身体を押さえながら、入り口のむしろを開けて声をかけてきた海馬に聞き返した。
 あの人魚事件からそれほど経っていない。
 あの日、村人の行き場のない怒りは彼に向けられた。|暴力行為(リンチ)と言う形で。
 その時のキズや痛みがまだ身体に残っている。
「そうだ。お前は、飯炊きからやり直しだ」
「……」
 海彦は応えなかった。
「明日の漁からだ」
 そう海馬は告げると、これ以上用はないと去って行った。
 恐らく、人魚の彼女の件もあるだろう。
 網の引き上げなど漁師らしいことをしていたが、格下げされて雑用係からやり直し。
 そう村人達は彼を処分したのだ。まだこの村にいられるだけマシかもしれない。追放されて流れ者の身になるよりはマシだ。
 むしろから見えるのは、いつもよりも少し濁った海だ。
(嵐が来るかもしれない)
 そう思ったが、この貧しい漁村は働かねば。少々の時化ぐらいで漁を諦めていては、皆飢えてしまう。
(そういえば、兄貴がいなくなった前の日もこんな海だったな……)
 ふと、そんなことを思い出した。
 あの時、虚舟から顔を出したのは、果たして行方不明になった兄貴だったのか?
 それは解らない。
 また会うことがあれば、それが解るかもしれないが、この広い海で偶然再会することなどあり得ないだろう。
(あの子はどうなったのだろう?)
 次に思い浮かべたのは、人魚のあの子だ。
 人魚だったと言うこともあるが、少女として……あんなキレイな女の子は、もうは会うことのないだろう。
 彼女の着物はまだ隠して持っていた。
 こんなキレイな着物、売れば金になるかもしれないが、どこで売っていいのかもわからない。あの件から村人の目線は冷たくなっている。村人には欲しいものはいるかもしれないだろうが、ましてや妖怪が着ていた着物だ。買い取る者はこの村にはいないだろう。
 売れたとしても「むしろ妖怪の着物を売りつけた」と、再びリンチの対象になり兼ねない。
 自分の身のためにも、黙ってこのまま持ち続けた方がいいだろう。

「――嵐になるかもしれない」
 網元だった村の長老が呟いたが、新しい若い網元は聞く耳を持たなかった。
「では、行ってくる」
 忠告を無視するように村人を連れて舟を出した。
 使うのはいつ建造されたか解らない帆船。
 海彦は飯炊きとして乗り込んだが、ただ下働きをするわけではない。
 舟は継ぎ接ぎだらけの横帆一枚だけなので、上手く風を掴むことは出来ない。
 手隙の者が総出で|オール《櫓》をもって漕がないと、船を沖に進めることは出来なかった。
「この辺でいいだろう」
 そして、波の高い海を沖へと数刻進む。
 陸はすでに見えない。
 海彦が空を見上げると、真っ黒い雲が覆い始めていた。
(長老の言ったとおり嵐が……)
 そう思った途端、頭に激痛が走った。
「なッ、何だ!?」
 ゆっくりと振りかえってみると、海馬が立っていた。その手には|(かい)が握られている。
 痛みの走った頭をさすったら、ヌルッと生暖かいモノを感じた。
 そして、手を見れば赤く染まっている……血だ!
「なん……で?」
 意識がもうろうとしてくる。
「お前は、人魚に呪われている!」
 海馬は櫓を横から殴りつけた。
 海彦は脇腹に打ち込まれた勢いで、海に投げ出されてしまった。
「始末したか!」
 網元は海馬に確認をする。
「海に落とした! あの傷では助かるまい」
 実は彼等は嵐になり、時化になることは判っていた。
 それでも舟を出したのは漁をするためではなく、海彦を始末するためだ。
 海馬が語ったとおり、彼が呪われていると……。
 人魚は凶兆だといいだした者がいたのかもしれない。
 それよりも、金をもらうことが出来なかった恨み、不老不死というのはまだしも人魚の肉を食らえなかった恨み等は、あのリンチ程度で終わっていなかったようだ。
 海は時化が始まっているのか波が高い。
 海彦は海に落とされたときにはまだ意識があったが、高い波が何度も頭を越えていく。
 その間に見えた村人達の舟は、ゆっくりと村へ帰ろうとしているのが見えた。
(頼む! 置いてかないでくれ……)
 彼は息継ぎをしようとするが、波がさせてくれない。
 一漁師をして、泳ぎには自信があったが、波が彼を押さえつけ海に引きずり込もうとしていた。

【第2章】

「――こっ、ここはどこだ?」
 海彦が目を覚ましたのは、どこともわからない浜辺であった。
 強い日射に照らされて髪の毛が熱い。その不快感で目を覚ました。
(助かった……)
 そう思ったが、同時に絶望を感じ始めた。
 自分は村から捨てられた。
 人魚を助けたことが、村に凶兆をもたらすと思われたのだ。
 追放するよりも、漁に出て事故に見せかけて殺す……そうやって片づけられた。
 しかし、彼は助かった。
 ここがどこなのか分からないが、命が助かったことには変わらない。
「――とにかく日陰を探そう」
 頭がヒリヒリして痛い。海馬に殴られたあたりを触ってみたが、いつの間にか傷は塞がっていたようだ。だが、皮膚は海水に浸かり、そのくせ強い直射日光に照らされた。ところどころ海水が蒸発して塩がこびりついている。
 どこか日陰で休みたい。せめて海水を真水で洗い流したい。できれば、風呂に入りたいとは思ったが無理な話だ。
 この打ち上げられた島は、今のところ海鳥の甲高い鳴き声以外、人の気配が感じられなかった。
 沖に目をやった。だが、水平線の彼方まで何もない。
 空を見上げた。ぎらつく太陽。そこには大きな鳥が翼を広げて、優雅に飛んでいる。
 陸の方を見る。急勾配の斜面が続いている。植物はまばらだ。
 ともかく、目の前の急勾配を上がって、どこか見渡せる場所へ。

「やはり何もない……」
 急勾配を上がり、島が見渡せる場所にきた。だが、あたりを見回して見ても木など生えていなかった。
 あるものといえば、わずかばかりの下草ばかり。それに人の子供ほどもある大きな海鳥だ。地面に座り込んでいるところを見ると、卵を抱えているかもしれない。
 懐に手を突っ込んでみると……幸いにも漁に出るときに貴重品を入れていた小袋が入っていた。身体に括り付けていたことが幸いしたのだろう。
 中身は、炊事担当であったため、火打ち石と調理用の小さな小刀が一本。それと人魚の彼女がくれた青い透明な石だ。お守り代わりに入れていたが、それだけだ。
 火打ち石があれば、火が熾せる。
 こんな外洋の小島では夜は冷え込むだろう。とはいっても、火を熾す道具はあっても、火をつけるものはあまりなさそうだ。
 そのあたりに生えている下草も見渡す限りでは、新芽ばかりだ。
(浜辺にいったん降りるか……)
 自分と同じように流されてきた物で、使えるものがあるかもしれない。
 体力の消耗を気にしつつ、再び浜辺へと降りた。

 浜辺に降りると、先ほどは気にしていなかったが、結構な本数の枯れ木が流れ着いているようだ。しかも直射日光で乾いているものばかり、種火さえ起こせば火は確保できるかもしれない。
(これは使えるかな?)
 枯れ木もそうだが、何かよくわからない木の実、子供の頭ほどもある巨大なものだ。
 さすがになんの木の実なのかわからないので、中身は口にする気にはならなかったが、器としては使えそうだ。
 実は先ほど浜辺へ降りる際中、岩の割れ目に水たまりを見つけた。
 上るときには見つけられなかったが、海水ではなく雨水が溜まっているようだ。だが、片手を伸ばしてようやく届くような場所。
 片手をつけるのがようやくで、貪るように手についた水滴をなめて飲んだ。
(これを使えば、もっと飲めるかもしれない)
 巨大な木の実を岩場にたたきつけて割り、腐っているように見える中身を穿り出し、二つにした片方を持って再びあの水たまりに上った。
 そして、即席の器で水をすくうと、ようやくのどを潤すことができた。
(水は確保した、火も熾せそうだが……)
 残るは食料。思い浮かんだのは、あの子供ほどの大きさの海鳥だ。
 そうと思ったら、まず行動だ。
 一旦、浜辺に戻ると手ごろな長めの枯れ木に目を付けた。
 着物の一部切り裂き、縄として、先端に小刀を付け、即席の銛を作った。
 いくら何でも、鳥を襲うときには必要であろう。
 そして、再び島の頂上へ……海鳥の巣へと向かう。

 海鳥は海彦には無関心のように見える。
 じっとこちらを見て、逃げる気配はないが、何を考えているのか分かったものではない。
「南無三ッ!」
 即席の銛で鳥を突いた。
 一瞬、目を瞑ってしまったが手ごたえがあった。
 目を開けてみると、もがき暴れている。再度、銛を突く。
 そして海鳥は動かなくなった。
 一羽、捕ることができたが生で食べられるわけにはいかない。やはり火は必要だ。
 再び海岸に降りると、雨に降られなさそうな岩場を探した。火をつけたとして、雨で消されては努力が無駄になる。
 そんな条件の場所を見つけるのが一番大変だった。
 ようやく条件に合いそうな場所を見つけられたのは、かなり日が傾いてからだった。夕日で海が赤く染まっている。
(早く火を熾さなければ、凍えてしまうかもしれない)
 細かい流木を重ねる。
 そして、海彦は再び着物の一部を切り裂くと、懸命に岩にこすりつけて綿のようにした。
 火打ち石の火はすぐに木に付くものではない。一旦、綿のようにした布に火をつけて、火種として小さな流木から順番に大きくしなければ、焚き火は不可能だ。
 海彦はそうやって、何とか火を熾すことが出来た。
 次はあの海鳥の処理だ。
 羽毛は食べられない。念入りにむしったところで、小さな羽毛が残ってしまう。それは火で炙って焼き落とすので、気にしない。
 問題は内臓だ。この鳥が何を食べているかわからないので、小刀で腹を切り裂き取り出す。そうやって調理できる準備が整った。
 後はたき火に放り込んで焼き、ようやく口にすることができた。
 鳥の肉などあまり食べたことはないが、空腹にはたまらない。
 貪るように食べ、骨までしゃぶった。
 腹が膨らむと、急激に眠気が襲ってきた。
 よくよく考えてみれば、この島についてから動きっぱなしだ。
 火を見つめながら横になると、一気に瞼が重くなり、そのまま眠りについてしまった。

 海彦は、ずいぶん寝たようだ。
 目を覚ましてみれば、何か変わっている……なんて甘い考えも浮かんだが、そんなに甘くはなかった。
 周りが明るくなっているし、目の前の焚き火も消えかかっているではないか。
 慌てて木を|()べ、息を吹きかけて、消えないように対処した。
(これからどうするか……)
 いつまでもこの島にいるわけにはいかない。が、あたりを海岸から見回しても別の島さえ見えない。
 結局、食料はあの海鳥ぐらいだろう。だが、いつまであの海鳥がいるか分からない。
 飲み水も見つけたくぼ地ぐらいだ。雨が降らなければ、のどを潤すことはできない。
 火だってくべる流木は限られている。
 何かほかに使えるものはないか……と、懐に手を突っ込んでみだが、小刀と火打ち石ぐらいには、あの彼女からもらった青い石しかなかった。
(お守りだとは言っていたが……)
 今は何も役に立たないだろう。
 日光にあてたところで、青く透き通っているだけだ。
(とにかく、生き残るために努力しよう)
 ひょっとしたら、どこかの船が通りかかるかもしれない。
 それがいつになるのかわからないが、やるだけのことはやって生き残るつもりだ。
 まずは、流木の回収。集められるだけ集めて、濡れない場所に保管しておかねば、雨が降って使えなくなっては困る。
 出来れば、海岸でも火を焚きたい。
 もしかしたら通りかかった船が、上がる煙を見つけてくれるかもしれない。

 二日経って、三日経って、七日間、一ヶ月……それから、どれだけ経っただろうか。
 日を数えるのが馬鹿らしくなってきた。
 心配していた水不足や食糧不足、燃料不足にはならなかった。
 定期的に土砂降りのような雨が降る。
 それに併せて波も高くなり、どこからともなく流木が流れ着いた。
 ただ雨が降ったと思ったら、すぐに晴れ、強い日照りが皮膚を焼く。
 最初に捕らえた海鳥は子育てを始め、遂にはどこかへ飛んで行ってしまった。だが、入れ替わるように別の海鳥が現れた。どうやらここは渡り鳥の繁殖地だったようだ。
「――今日も通らなかった……」
 何もない沖を見ながら、海彦は呟いた。
 一日にやることは、食料などの確保が終わってしまえば……海か、彼女のくれた青い石をどちらか眺めているぐらいだろうか。
 異国の黒船が沖をうろついていると、聞いたことがあったし見たこともあった。漁に出たときに、黒く禍々しい煙を上げながら海を走るのを目撃している。だが、ここでは一向に通らない。
 それにあれ以来、人と話していないものだから、言葉が忘れるのでは? と心配してしまったこともある。
 忘れないように、最初は独り言を大声で話していた。どうせ誰も聞いていないが、ずっと独り言を言っていると、なんとなく馬鹿らしくなってきた。
 今は呟く程度だ。
「このまま死ぬまで、ここで過ごすのか……」
 島からの脱出も考えた。
 筏を造るしかないが、そんないい材料もない。そうと思っていれば、流木も選りすぐっていたかもしれないが、かなり燃してしまった。
「また、今日も終わりか……」
 何度目かの夕日が水平線の彼方へ沈もうとしている。
 その夕日に紛れて、黒い一本の影が伸びていた。
「――どうせクジラだろう」
 このあたりの海には、クジラがやってくるのも何度も見た。
 その一匹であろうと、彼は考えた。だが、その一筋の影は不思議と日が沈むまで見えていた。

 日が暮れて海彦は寝床にしている岩陰に帰った。
「――今日は鳥が騒がしいな」
 不思議と海鳥たちが騒いでいるようにも聞こえる。鳴き声が岩場に響いて、なかなか寝付けない。
 しかし、ふと聞き慣れない音がその中に混じっていた。
(どこかで聞いたことが……)
 金属がこすれ合うような音。
 記憶をたどれば……。
 水をかき分ける音、砂を踏みしめる音、それが突然音が止まった。蓋が開く音が聞こえてくる。
 そして、何人かの音が聞こえてきた。
 海彦は寝ていられない。が、横になったまま薄目を開けて観察していた。
 チラチラと光の筋のような者が見える。提灯にしても、|強盗提灯(がんどうちょうちん)にしても光が強すぎるように見える。そんな光が何本も……何人かの人がいるようだ。
(人が来た!)
 待ち焦がれた人だ。しかも、記憶が正しければ、あの音は村で聞いた虚舟の者と同じものだ。
 いても立ってもいられず飛び上がった。
 その時、飛び上がった海彦に光の筋が照らし出され、目がくらむ。
 その光の筋を当てた者も、突然、彼が現れたので驚いたようだった。
「あっ! 副長。発見しました!」
 だが、すぐに任務に戻る。
 それに合わせる方にいくつもの光の筋が、海彦を照らし出した。
「この男だけか?」
 姿は光がまぶしくて見えないが、声はフクチョウと呼ばれていた男の声がした。
「島を捜索中です」
「よし、ともかく彼を収容しよう」
 と、言った途端、海彦の脇を誰かが掴んだ。
 そのまま担ぎ上げるように運ばれる。その先には、薄らとあの虚舟の姿が見えた。あの時と同じで脇の部分が空いており、赤い光が漏れていた。
 そして、放り込まれるように虚舟の中に押し込まれた。
 自分を運んできた男の顔は分からなかった。中は冷たい。全体が気ではなく金属で出来ているようだ。だが、床はザラリとして岩場のような感じもする。
「モウフはいるか?」
 顔は薄暗くてよく見ないが、どこかで聞いたことがある声だ。
 そう、兄である山彦の声だ。
「モウフ?」
 聞いたことのない言葉に海彦は混乱した。だが、その男はどこからか布団のようなものを持ってきて彼にかける。
「これが毛布だ」
 暖かい。寝るときは冬でもむしろを巻くぐらいしかなかったが、こんな布団なんて始めていた。
「ありがとう。兄貴……」
 声は紛れもなく兄の声だ。だから、海彦はそう礼を言ったが、
「ん? 何の話だ?」
 相手は不思議そうな声で応えると、どこかに行ってしまった。

 |虚舟(ミノ)に乗せられた海彦は、乗降用のタラップのある中央通路の片隅に毛布を包まっていた。船体のど真ん中に大きな円筒形の部屋があるようだ。その左側を伝っていけば、この舟を操る部屋があるのだろう。先程から作業する声が聞こえる。
 ただ、反対の右側へ行く者はいない。
「身体を温めろ」
 と、兄と思われる男――本人に否定された――が、見たことのない円筒形の茶碗を渡してきた。熱い液体が入っているようだが、中を覗くと茶色い見たこともないものだ。
「|珈琲(カヒー)だ」
「カヒー? 飲むものなのか?」
「飲んだことないのか?」
 外国の飲み物なのか、海彦は恐る恐る飲んでみた。
「あちっ!」
「ハハハァ! 熱いから気をつけろ」
 男の大口を開けて割らす仕草は、やはり自分の知っている兄である山彦だ。だが、すでに否定されている。
(では、この男は一体何者なんだろうか?)
 そもそもこのミノと呼ばれる虚舟を操っている者達も、一体何者なのか想像ができない。
 今は一通り島の探索は終えたのだろう。全部で六名の男がミノに戻ってくると、浜を離れる。
 しかし、なぜ日の落ちた夜間に捜索するのだろうか?
 太陽が上がっているときの方が、島を捜索するのであれば効率がいいはずだ。
 海彦には分からないことだらけだ。
 あのカヒーなる飲み物を飲まされてから、妙に身体を動かしたくなった。通路にうずくまっているのが落ち着くかない。声がする方へ行くこととした。
 予想したとおり、その部屋はこの舟を操るところだったようだ。
 信じられないが、目の前の透明な壁があり暗い海が見える。
「みのヨリ、わにヱ……」
『――コチラ、わに。感度良好』
 と、壁の丸いところ、穴だらけの網のような場所から声が聞こえてきたではないか。しかも、女の声。
 海彦には、信じられないことばかりだ。
 彼が来たことに、部屋のものが気がついたらしい。彼に目線が集まった。
「大丈夫そうか?」
 声をかけてきたのは、フクチョウと呼ばれていたあの小柄な男。
「よく耐えたな。何日ぐらいだ?」
「えっ、いや……」
 急に声をかけられても困るし、いちいち数えてもいなかった。だが、男は答えを聞く気はないようだ。
「ともかく、ミツヒメ様たってのご希望だ。通常ならこんなことはしないのだが……」
「ミツヒメ様?」
「ああ、お前さんが助けたミツヒメ様だ。人魚の……」
 といいつつ、フクチョウは彼の姿を見た。
 下から上へと……。下は漁に出たとき草履を履いていたが、島に打ち上げたときにはなくしていた。毛布を被っているが、着ていた着物は紐やら火種を作った時に切り裂いて使ったために、丈は大分短くなっている。頭はボサボサだ。真水は貴重だし、雨が降ったときに洗ってはいたが、髪は伸び放題でワカメのようになっている。
 それよりも……。
「ニオイがきついな。ワニに戻ったら、風呂に入れ。
 そんな身なりでは、ミツヒメ様に会わすとは出来ない」
 そう言って顔をしかめた。
 自分では感じていなかったが、身体中からかなりニオイが出ているようだ。まあまともに真水で身体を洗ったことはない。雨にあたるぐらいだ。それでの部屋の者が海彦が来たときに、全員が注目したようだ。
「ワニ?」
「|八尋和邇(やひろわに)号。長いから、ワニと呼んでいる」
 そう言って、フクチョウは透明な壁の先、そこにある巨大な黒い塊を指さした。

 |(ワニ)と聞いたものだから、その黒い塊が口を開いており――明かりも僅かに見える――そこにミノが向かっていることに海彦は驚いた。
 喰われる……そう思ったが、実際は後方の格納庫。水密式の扉が持ち上がり、そこに向かっているだけだった。なのでこちらが後方。八尋和邇号の艦首はそこからさらに先にあるのだが、ここからでは分からない。
 ミノがその中に入ると、重たい水密扉が降りて密閉された。
 ガタンと音がしたと思えば、波で揺れていた船体が停止した。何かに捕まれたように。
 そして、先程まで見えていた海水が見る見ると抜けていく。
 ここには舟を泊めるための縄も碇もない、舟の梶もない。どうやって動かしているのか、理解できなかった。
「固定完了!」
「機関停止!」
 テキパキと男達は、海彦には見たこともない物をさわり、ミノを操っているようだ。金属の棒のようなものや、大小の車輪など……。
 そして、先程乗り込んだ入り口が開いたようだ。

 海彦はミノから降りると、突き当たりの壁の一部も透明になっており、こちらを見ているものがいた。あのホアンチョウと呼ばれた大男だ。
 その透明な壁の横に鉄の扉がある。真ん中に車輪のようなものがあり、それがクルクル回るとその扉があいた。
 男たちはそろってその中に入っていく。もちろん、海彦も一緒に。だが、その部屋に入り、次の通路に来ると、
「お前はこっちだ」
 ヤマと呼ばれている男に連れられ、他のものとは別行動になる。
 一体どこに連れて行くのだろう?
 この艦の中は密閉されているのにもかかわらず、昼間のように明るい。
 その光の元は頭の上にある円筒形状の物体だ。通路の上に等間隔に下げられている。他には……壁は緑色に塗られてはいたが、ほぼ金属で出来ているようだった。鉄で出来た管のようなものも、通路に並行して何本も走っている。足元はミノと同じでザラついていた。考えてみれば滑り止めなのかもしれない。
 そして、ところどころ鉄の扉――真ん中に車輪がある――で、通路が区切られていた。
 ヤマは通路を進むとある部屋の前で止まった。
 何か書いてあるようだが、海彦は文字が読めない。
「薬師殿はいるか?」
 ヤマはそう言って部屋に入る。
「薬師なんと呼ぶな。医者と呼べと言っているだろ」
 部屋の中から年老いた男の声が聞こえてくる。
 海彦がのぞくと……そこには、一人の老人がこちらに背を向けて座っていた。だが、明らかに人ではないことが、後ろからでも分かった。
 灰色の散切り頭の間、ちょうど剃り込みあたりから後ろにかけて木が生えていた。いや、木ではないようだ。鹿の角、それを短くしたようなものが生えている。
 そして、ゆっくりと振り返った顔はやはり人とは違う。
「ヒィー!」
 その姿に海彦は悲鳴を上げてしまった。
 皮膚は緑色。顔はトカゲを平たくしたようなもので、大きく裂けた口に牙がある。瞳の色は金色で、黒目が縦に入った蛇やトカゲの部類の目だ。
「なんじゃい、人の顔を見るなり驚きよって。ヤマは説明せんかったのか?」
 人間ではない、あえて言えばトカゲ人間だ。
「申し訳ない。時間がなかった」
「まあいいわ。それより診察の前に先に風呂に入れろ! 臭いがきつくて敵わない」
 まるで汚物でも見るような顔を海彦に向ける。
 鼻……平たい顔の真ん中にある二つの穴がその人の鼻の穴なのだろうか、そこを手で塞いだ。塞いだ手も人間のものとは違う。長い爪に三本指だ。
「先に健康チェックを……」
「ここまで一人で歩いてきたんだから、風呂ぐらい問題あるまい。さあ、早く出ていけ!」

「――というわけだ。だが、今は風呂の時間ではない」
 そう言って再びヤマは、海彦を連れて別の場所に向かった。
「風呂の時間は決まっている。なので、|散湯浴(シャワー)を使ってくれ」
 と、連れてこられたのは個室のようなものが並んでいた。
 出入り口は半透明な板が、首から膝ぐらいまでしかない。覗くと、キレイな白い瀬戸物で囲まれている部屋だ。壁側には床から頭の上の方まで銀色の管が二本伸びていて、先が|如雨露(ジョウロ)のようになっていた。
「右が水で、左が熱水だ。いきなり熱水をかけると火傷をするぞ」
 銀色の管の調度腰ぐらいだろうか、操作できるらしい横棒を指さした。右側が青色、左側が赤色で色分けしてある。
「どうやって?」
「――ここを上げる。おっと、スマン……」
 青い横棒を持って上に持ち上げた。と、頭の上のジョウロから真水が吹き出した。
 海彦は水を被ることになってしまったが、そんなことよりも舟の中で真水が大量に出ることの方に驚いて目をパチクリしていた。そして、降りそそぐ真水を喜んでいる。
 水を浴びている横で、ヤマはゆっくりと今度は赤色の横棒を上げた。
 プシューっと音と共に降りそそぐ水が温かくなっていく。
「温度はこんなものでいいか? ぬるかったら調節してくれ。
 さあ、着物を脱いで……そこの糠袋で身体を洗え。泡が出るが、口にするなよ」
 ボロボロの着物はヤマが持って行ってしまった。
(風呂には入れない、とは言われたが……これはこれで気持ちいいな)
 足下を見ると茶色く濁っていた。
 降りそそぐ風呂など味わったこともない。それに今までの人生でまともに風呂に入った記憶は数えるぐらいだろう。村の神事ぐらいだ。それにこの数日……何日か忘れていたが、無人島でも身体なんて洗えなかった。
 糠袋で身体をこすると、言われたとおり泡が沸いてきた。いい香りもしてくるし、もぞもぞ身体がかゆかったのが取れていくような気がした。
「ここに|手ぬぐい《タオル》と、着替えを置いておくぞ!」
 ヤマの声が半透明の壁の向こうから聞こえた。

【第3章】

「ああ、大丈夫だ。健康そのものだ!」
 トカゲ人間の医師バクのところに、海彦は連れてこられた。
 シャワーを浴びて小綺麗になったが、ズッと漁師をしていたし、無人島でも日の光を浴びていたので栗色の肌は健康そうにも見える。ただ、昔からの慢性的に栄養不足からか、ガリガリに痩せ細っていた。
 その辺はどうなのか?
「食堂へでも行って飯食って、しっかり睡眠を取れば問題ない」
 ヤマがついているから大丈夫だろう、とそう言って医務室から彼を追い出した。

「この舟は一体なんですか?」
 海彦はここに来てズッと疑問に感じていた事を、前を案内するヤマに投げかけた。
 水中にも潜ることの出来るミノと呼ばれる虚舟。
 木ではなく鉄で出来たワニと呼ばれる巨大な舟。
 通路を歩いていると、足下からかすかに振動がある。と言うことはこのワニは動いているようだ。
「副長からは、何も聞いていないのか?」
「何が何だか……」
「ということは、ミツヒメ様のことも……」
「ミツヒメ様?」
 と、聞き返したときに、海彦の腹が大きな音を上げて鳴った。
「ハハハァ! 薬師殿の言うとおり、食堂で飯を出してもらおう。
 それから説明してやる」

 食堂は通路を進んだ先にあった。どうやら八尋和邇号の側面にあるようだ。
 入った途端、目に入ってきたのは壁。舟の側面になるのだろうか、天井から床まである球体の透明な壁が並んでいた。
 しかも、夜の海を見えているわけではないようだ。この部屋、食堂から漏れる光が魚を集めている。しかも魚は平行に泳いでいるのを見ると、この舟自体も進んでいようだ。
 海彦は、この食堂がワニの水面下にこの部屋があるモノと思っている。だから、こうして海の中が見えるのでは、と……。
 ヤマは部屋の奥に向かった。白い服を着た誰かいるようだ。何か話し込んでいる。その間にも海彦は、透明な壁の向こうを眺めていた。
 時折、魚が一生懸命泳いで、漏れる光の中に止まろうとしているのが、なかなか面白い。
 目の前に来た大きな魚のギョロッとした目と合って驚いた。
「時間がないから、すぐに出せるものがないらしい。冷や飯と味噌汁しかない」
 と、|トレイ《お盆》をもってヤマが持ってきた。
 部屋の中央には、長机が何個も並んでいてその一角に座るように即した。
 丸い腰掛けがあり、海彦が座ると持ってきた食事を目の前に置いた。
「こんなに!?」
 運ばれてきたのは椀いっぱいの麦飯と、吸い物椀は味噌汁が注がれていた。
「すまない。魚か肉も付けたかったが、この時間は用意は出来なかった」
「いえ、こんなに食べさせてもらうなんて……初めてです」
 米なんてまともに食えるのは、正月か病気したときぐらいだろう。しかも大概他の雑穀の方が多いものだ。今回は初めて見る……麦なんて漁村では見ない。だが、飯には変わりないだろう。
「そうなのか? まあ遠慮しないで食べろ」
 海彦はいっぱいの麦飯にかぶりついた。
 麦が混ざっているとはいえ、米など漁村ではめったに口にすることは出来ない。冷たかろうが、口いっぱいにほおばり、味噌汁で流し込んだ。
 腹が減っていたためか、食べると言うよりも、貪るように平らげた。
「ハハハァ! 慌てなくても取られないぞ。
 さて、どこから話すべきか……」
 海彦が食べ終わったところを見計らって、ヤマは考え込み始めた。
 説明のために整理しているようだ。だが、そんなことをしている間に、食堂にある人物が顔を出したようだ。
「――その説明は、ワシからしよう」
 現れたのは三〇ぐらいの人だった。身長は一六〇センチぐらいだろうか、目鼻がハッキリした感じであまり日本人には見えない。というか、男なのか女なのかもよく判らない。妙に神々しさも感じられる。頭の髪は肩あたりでざっくりと切りそろえているし、前髪も眉のあたりでざっくりと切っている。頭には円筒形の筒を潰したようなモノを被り、手には高級そうな扇が握られていた。
 ただ、その人物は、今までみた人達とは別の服を着ている。着物ではない。海彦が見たことは……一度だけあった。明治の世になって役人がやってきた。その時、着てきた|外国人(ガイジン)の服とやらにそっくりな黒い着物だ。
「艦長!」
 ヤマは慌てて立ち上がろうとしたが、艦長と呼ばれた人物はそれを制止する。
「良い。気にするな……それよりも、副長達も失念していたことがある。
 救出者の名前を聞き忘れるとは……貴公の名前はなんと申す?」
 笑みを浮かべながら艦長は聞いてきた。
 言われてみれば、今まで名乗っていなかった。
「俺は海彦と言います」
 チラリとヤマを見た。自分の名前を言えば、ひょっとして彼が反応するかもしれない。そう思ったが、残念ながら不動のままだった。
「なるほど海彦か。この者は山彦という」
 その言葉にハッとする海彦。
(やはり、兄貴だった……)
 と、期待したが次の言葉でなぜヤマが、反応しなかった理由が分かった。
「数年前に、海で溺れているところを偶然助けた。だが、その時、どうやら頭がいかれたらしい。助ける前の記憶を、山彦という名前以外は無くしていた」
「記憶がない? そんな、戻るのですか?」
「分からん。バク殿にも治すことが出来ないらしい。だとすると、我々ではどうすることも出来ない」
「バク殿……あの方は何者なのですか? その……」
 浮かんだのはトカゲ人間の顔だ。聞きたいことはいろいろあるが、まず浮かんだことから片付けたかった。
「ああぁ、あの姿か? バク殿はなんと申すか……。
 すぐに信じなくても良いが、リュウの一族のものだ」
「龍!? あの龍神様とかいう……」
 前置きをされたが、さすがに驚いた。まあ、それっぽい角が剃り込みのあたりから伸びていた。だが、伝説上ではあんな人間に近い姿ではない。胴も蛇のように長く、巨大な口に空も飛んでいるはずだ。
「お主の頭の中にある龍はおそらく伝説上のものだ。
 それに彼等が龍族と名乗っているだけだ。
 その昔、この世に繁栄していた龍のようなトカゲを祖とするらしい。だが、この世を襲った天変地異を逃れたそうだ。
 そして、深い眠りに就き、起きてみたら我々人間がこの世に現れていて謳歌していたというわけだ。もちろん、この世を取り返そうとした。だが、数が違っていた。
 結局、この世を取り返すのを諦めて、海底深くに安住の地を造った。しかし、今は数を減らしてしまっているそうだがな」
 と、艦長は付け加える。
 海彦はどう答えていいのかわからなかった。
 いきなりそんな生き物がいる、と信じるのは難しいかもしれない。だが、目の前にいた者を否定は出来ない。そもそもあの人魚の彼女を助けた後だ。人間ではない別の生き物がいても不思議ではないかもしれない。
「でっ、ではこの舟はそのもの達が作ったものですか?」
「そうじゃ。彼等の方が頭がいい……とまでは言わない。
 |龍族(彼等)の歴史は長い。人間が知らないものや、生み出していないものはたくさんある。
 そのひとつがこの舟、潜水艦・八尋和邇号だし、お主をここに運んできた潜水艇・|蓑亀(みのがめ)号だ。まあ、その辺の名前は、ワシらが付けたんだがな」
「センスイカン……センスイカンとは?」
 聞いたことのない単語に困惑する海彦に、艦長は扇で外を指した。透明な丸い壁を。
「水に潜る舟だ。そら、窓の外の風景で気が付かなかったか?
 今は水深|約三〇メートル《一〇〇尺》じゃ」
 丁度、海彦はそちらに背を向けていた。再び振りかえって見たものは、やはり海の中の風景だったようだ。しかも、この部屋の部分が水面下にあるわけではなく、この舟自体が潜っているということか。
「もっと潜れるぞ。|一〇九(一丁)、|二一八メートル《二丁》は軽い」
 艦長は自慢げに話しているが、海彦には想像が出来ない。
 そもそも海がそんなに深いものなのか、なども考えたことがないからだ。
「――それよりも、俺をどうやって見つけたのですか?」
「なんじゃ、それも話しておらぬのか。
 ミツヒメ殿からもらったものがあったじゃろ?」
「ミツヒメ? もらったもの?」
 海彦は、彼女がくれたあの青い石。お守りとして持っていたが、この潜水艦・八尋和邇号に来てシャワーを浴びろと、それまで着ていた着物を脱いだ。
 その中に入れっぱなしだった。
「あっ! 着物の中に……」
 思い出したことを口にすると、察したのかヤマが食堂を飛び出していた。
「すぐに見つかるじゃろ。
 とにかくじゃ。あれには位置を教えてくれる機能が付いている」
「つまり、俺を捜してくれていたのですか?」
「そうじゃ。お主の村に行ってみたら、漁に出たときに足を滑らせて海に落ちたという」
 艦長はそう口にした。だが、実際は海彦は村人に襲われて、海に落とされたのだ。
 反論しようとして口を開けたが、それを艦長は止めるように口にする。
「ああ、言わんでも分かっている。
 大方、『人魚に呪われとる』とでも言われて殺されたのであろう」
 海彦はうなずいて見せた。
「その辺は申し訳ない。ミツヒメ殿はまだ若くて、軽率な行動を取ることがある。
 人魚なんぞ見たら、普通の人間だったら『化け物扱い』しても仕方がないことだ。
 しかし、お主は違ったようじゃな。一時的にしろ匿ってくれたとか」
「――磯に打ち上げられていて、気を失っていたものですから……」
「大方、惚れたか?」
「えっ!?」
「図星か? まあ気にするな人魚というものは、みめ麗しいものだ。惚れるのは当たり前だ。しかし、人魚に惚れてはいいが、本気になるでないぞ」
「どういうことですか?」
「|御伽草子(おとぎぞうし)の一編は知っているか?」
 と、艦長は不敵な笑みを浮かべた。

「オトギゾウシ? 俺の村には寺子屋もなく、文字だって読めなので……」
「子供の頃、昔話でも聞いたことがないか?」
「……」
「いや、すまぬ。ワシも御伽草子を読んだのはこの|(ふね)に乗ってからだからな……。
 浦島子伝説ぐらいは聞いたことがあるじゃろ?」
「――すみません」
「なに? それも知らぬか……。
 まあ、聞いたことはないか? 何十年も昔に海に漁に出たきりの者が、いきなり帰ってきたとか……」
 しばらく考えているようだっが、海彦に思い当たる話は無いわけではなかった。
「――そういえば、そんな話を昔聞いたことがあります。
 その昔、突然海から現れた若者が『ここに住んでた』と、騒いだとか……。
 その男が言っている年号が昔のもので『気でも狂ったんだろう』と村の人は相手にしなかったとか……」
 海彦は子供の頃に聞いた断片的な話をつなぎ合わせて話した。
 それを艦長は、ウンウンと相づちを打ちながら聞く。
「ワシが話そうとしたのも、大体そのような内容じゃ」
「でも、そんな話、作り話でしょ?」
「なぜ作り話だと言える?」
「えっ? おかしいでしょ? 昔からやってきたなんて……。
 誰も知らない男が、頭がおかしくなって騒いだだけでしょ?」
 そう言った海彦に、急に艦長は不敵な笑みを浮かべたが急に引き締まった。
「ワシの産まれが、治承二年だといったらどうだ?」
「ジショウ? 今は……」
「明治とか言うようだな。徳川の時代が終わって久しいようだが、治承はもっと前」
「明治の前は、慶応だったような……」
「治承は、今からだと約七〇〇年前だ」
「なッ、七〇〇年!?」
 海彦は、目を見開いた驚いた。
 いくら何でもおかしい、と思った。目の前にいる艦長は大きく見積もっても三〇ぐらい、とても、七〇〇歳には見えない。せいぜい、自分の親ぐらいの歳だろう。
 眼光も濁りもないし、肌つやも良く、顔にすこしシワがあるぐらいだ。
「無論、産まれたのは七〇〇年だが、そんなに生きているわけではない。
 実際のところ、ワシ自身何年生きていいるのか分からない」
 と、不思議なことを言い出した。
「自分の歳が分からないって……」
「あるところに行くと分かる。そこは……言うなれば、|(とき)がこの世とは違ってゆっくり進んでいる」
「刻がゆっくり進んでいる!?」
 また理解できない事を言い出した。
 そして、ふと恐ろしくなってくる。
 あの|龍族(トカゲ人間)もそうだが、人魚のことも知っている。
 海に消えた兄そっくりなヤマとなのる人間。
 それに七〇〇年前に産まれたという人間。
 この世のものとは思えなくなってきた、この艦自体……。
(ひょっとして、俺は死んだのか?)
 実は、あの無人島で一人、生き延びていたのは単なる夢だったのではないか?
 実は、あの時村の者、海馬に殴りつけられて海に突き落とされたとき、溺れ死んだのではないか?
 だとすると、この艦はあの世に魂を運ぶモノではないだろうか?
 そう思ってくると、海彦は身震いしだした。恐怖は止めどなくわき上がっている。
 目の前にいる古風な喋り方をする艦長は、言わば死神であろう。
「どうかしたのか?」
 様子がおかしくなった海彦に、艦長は不審そうな顔を見せた。だが、それは少し笑みを浮かべている。まるで顔を引きずっているような。
 何かを哀れむかのような、海彦には自分が生にしがみ付いているのを……。
「刻がゆっくり進んでいる話だが……。
 お主が話した男のことだが、|(まこと)のことだとしたらどう思う?」
「――どっ、どうとは?」
 急に質問されて戸惑ってしまった。
 つまり、『何十年も昔に海に漁に出たきりの者が、いきなり帰ってきた』と言った話が本当にあったといいたいのだろう。
「これはお主らにしたら昔話になる。この世で言えば三〇〇年ほど前の話だ。
 |海人(うみひと)という男がいた。あるときその者が漁に出たのだが、突然の時化で海に流された。
 そこを偶然、通りかかったワシらが助けたというわけだ」
「でも、どうして何十年も経っていたことに……」
「助けたときに怪我をしておった。なので、治療も兼ねて連れて行ったのが、先程も言ったとおり刻がゆっくりと進んでいる場所だ。
 そして、その者が『地上に帰りたい』と言うものだから、連れて帰したまでのこと」
 艦長の言い方は悪気が無いようなものだ。
 たしかに艦長の言い分では『海人』と言う人物が、自分で帰りたいと言った。だから、帰してやった。
 それはその人の自由だったのかもしれない。だけれど、その者は時の流れが違うことを理解していなかったのだろうか?
「ところで、俺を今からどこへ連れて行こうというのです?」
 黄泉の国とでも言うのか、と海彦は思っていた。だが、艦長は別の答えをした。
「波の下にも都があるんだよ。もっとも龍族のものだがな……。
 地上の者に言わせると、常世の国とでもいうのか」

 海彦は艦長との会談を済ませると一室を与えられた。
 考える時間をくれた、と言った方がいいだろう。
 艦長は海彦に「行くのも帰るのも自由だ」と言われた。
 八尋和邇号の行き先である波の下にある龍族の都、常世の国とやらにつくまでには、まだ数日かかるという。
 それまでには結論を出すように、と……。
 案内されたのは、鉄の箱と言ったところだろうか。だが、自分が今まで住んでいた掘っ建て小屋などとは雲泥の差だ。
 見上げればあの光を放つ筒が、部屋を照らしている。部屋にはベッドという寝床があり、地べたにむしろを引いていたことを考えると、雲にでも寝ているような心地よさだ。
(彼女が俺を助けてくれた。だけど、会うかまでは自由と言われても……)
 今手元にある青い石、あの人魚の彼女がくれたその石が、彼の居場所を艦長達に教えたそうだ。だから、あんな無人島にまで来てくれた。
 実質、彼女に助けられたと言うことだ。
(お礼が言いたいが……)
 彼女に会ってお礼は言いたい。だが、艦長の言っていた『刻がゆっくり進む』と聞くと怖い。
 何十年後に帰ってきた男の話の通りならば、そんな場所に長くいたら知り合いは誰もいなくなるだろう。しかし、知り合いという言葉に海彦は違和感を覚えた。
(俺の知り合いなんて……)
 あの自分を『呪われている』と、海の上で襲った村人しかいない。そんなところに戻ったところで、果たして生きていけるのだろうか?
 ひょっとしたら、帰ってきたのは『人魚の呪いだ』とばかりに、襲われるかもしれない。(むしろ、その国に根付いた方がいいのかもしれない)
 そう思い始めると、人魚の彼女を思い出した。
 くすみのない白い肌、柔らかそうな頬、くっきりとした鼻筋、緩やかな曲線。
 そして、金色の大きな瞳。
(なんで、彼女のことを思い出すんだ!?)
 自分でもよく解らない。しかし、ふと艦長の言葉も思い出してくる。
(人魚に惚れてはいいが本気になるでないぞ、あれは一体……)
 その言葉に引っかかった、何が言いたかったのか。
 コンコンっ。
 ふと、扉を叩く音が聞こえた。
「失礼するぞ!」
 そして、金属のドアが開くと、能面のような顔をした副長が入ってきた。
「艦長からいろいろと聞いたと思うが、もし帰るというのであれば、ここで見聞きしたことは忘れろ」
 唐突にそう言い出す。
「えっ!? あ……」
 唐突すぎて、どう答えていいのか判らないでいると、畳みかけるように、
「貴殿が見聞きしたことを誰が信じる。水中に潜る巨大な艦も、人魚も、龍族もいない。
 ましてや艦長は存在しないことになっている」
「存在しない? 七〇〇年も生きているからですか?」
 部屋の中には、食堂にあったのと同じ丸い腰掛けがあった。副長はそれを取るとと、海彦のベッドの横に腰掛ける。
「そんな話もなさったのか。貴殿にはミツヒメに会わせるだけとなっていたのに……。
 ――トキヒト様の戯れ言か過ぎる……」
 艦長の本名だろうか? 副長は蚊が飛ぶような小さな声で愚痴を言った。
「トキヒト様?」
「いや、聞かなかったことにしてくれ。とにかく、貴殿はどうするつもりだ」
「――俺は……」
 艦長は時間をくれる、と言っていたが、どうやらそうではなくなってきたようだ。
「両親はいません。家族も兄貴がいましたが……あのヤマと呼ばれている人だと思いますが……」
「記憶を無くしている、と?」
「ええ、そうです。村の者は……」
「貴殿を殺した、か……オレは、兄に殺された事になっている。保安長も含めてな。
 ――この艦に乗っているものは、戻る場所を無くした者や、戻ったところで歓迎されない者ばかりだ。結局、この艦に拾われて生きているようなものだ。
 それで貴殿はどうする?」
「……」
 どうする、と迫られても海彦には答えられなかった。
 人魚の彼女、ミツヒメ様には会ってみたい気はあるが、刻がゆっくりとなる常世の国は正直言って怖い。知り合いがいないことは確かだが、この世に戻ったときに全く知らない人ばかりというのには、恐怖を感じる。
「こんな話をすると言うことは、副長は俺が行くのを勧めていないということですか?」
「貴殿の場合、数日だけかもしれないが、それでも刻の流れの差はある。
 もしも知り合いがいるのであれば、その者とは差は思っている以上に辛いものだ」
 そう言うと、副長は立ち上がった。
「それを忠告まがりにきたが、出しゃばりすぎたかもしれん。
 艦長の言うとおり、決めるのは貴殿だ。
 この艦の人間にとっては艦長は……いや、それは黙っていた方がいいな。下手に畏まれるのはお嫌いな方だ」
 副長は話し終わったのか、部屋を出て行こうとする。
「――ところで、副長。あなたはいつ生まれですか?」
「平治だが……」
 不思議そうな顔をして、副長は振りかえった。
「それは……何年前ですか?」
「――この世の年月で言えば、七〇〇年ほど前かな?」

 結局、海彦は気が付くと眠りに就いていた。ベッドと言うのもは、本当に雲の上にでもいるような心地よさ。今まで無人島で寝起きしていたときの疲れもあったのであろう。
「朝食の時間だ」
 と、ヤマが起こしに来るまで、ぐっすりと寝ていた。
 海彦は連れられて、再び食堂に入る。
 入ってみると、昨日とは打って変わって食堂の席は半分……二〇名ほどで埋まっていた。「この艦は三交代制。食事の時間は一日四回」
 そう言うと、海彦にトレイを渡すとあの白い服のものも前に並ぶように言った。
 丁度、厨房と食堂を隔てるように、腰ぐらいの高さの|(カウンター)がある。そこにトレイを置くと茶碗と吸い物、おかずが置かれる仕組みのようだ。
 食事を受け取った者が、ふたりの横を通り過ぎていく。
「ちっ、今日は魚か……」
 ヤマが呟いた。
 海彦も見たけれど、確かに魚であったが尾頭付きの大きな焼き魚であった。そんなもの正月ぐらい……いや、それでも食えないだろう。村ではそんな大きな魚、売り物にする。ヤマの口ぶりからすると、頻繁にそんな魚が食事に出るのであろう。
 そして、海彦の順番になった。
「新人さん? いっぱい食べなよ。そんなガリガリじゃあ持たないぞ!」
 食事を受け渡ししていた厨房主の男は、今まで見たことの無いような風貌であった。筋肉質ではない。皮膚が膨れるような……太っているという概念が、海彦にはなかったので、表現のしようが無かった。
「ハハハァ! あんたは食い過ぎだ!」
「ヤマは手厳しいな。儂は味見しているだけだ」
「味見もほどほどにしろ!」

 食事を受け取って腰掛ける。改めてみると海彦にはごちそうにしか見えない。
 どうして麦が入っているのかよく解らないが、それも山盛り飯、吸い物には高野豆腐とワカメの味噌汁、菜っ葉をゆでた小鉢まで付いている。そして、目を見張るのは、腕ほどもある大きな魚だ。
(こんな豪勢なものを、ここの人はみんな毎日食べているのか?)
 信じられないことばかりだ。
 ふと、視線を感じた。見ればチラチラと他の船員が彼を見ていた。
 海彦が、あの厨房主が言っていた『新人』だからであろう。
 まだ、海彦はそうとは決めていないから、他の船員達には紹介されていない。だから、見たことのない顔……実際には、横に座るヤマと同じ顔が並んでいるが、興味はあるのだろう。
 しかし、海彦は彼等の顔を見て不思議に思った。
(日の本の人達ばかりではない……それに艦に女なんて!?)
 服装は同じだが|異国人(ガイジン)が――日本人が多いが――混じっている。髪の色も茶色や金色に輝いている者もいる。目の色は黒や茶色、青いものまで。
 それよりも数名、女らしい人物が混じっているとに驚いた。
 村で漁船に乗っているときは、女が乗ること自体を嫌がった……いや、乗ろうものなら烈火のごとく怒られた。だが、ここでは平然と他の船員と一緒に食事を取っているではないか。
 海彦の常識では考えられないことだ。
「さて、喰ったら艦内を案内するぞ」

 海彦は今まで朝から腹一杯になることはそうそう無かったが、なんとか平らげていると、ヤマに連れられ艦内を案内された。
 案内と入っていたが、どちらかというと潜水艦・八尋和邇号の生活の仕方を教えているような感じだ。大まかに言うと艦は三層に分かれている。船員が寝泊まりする部屋もあれば、図書館という本が大量に並べられた部屋もあった。その他には寺子屋のような部屋もあり、手隙の船員が読み書きソロバンを教わる部屋もあった。
 そして、最後に案内されたのは最上部、|上甲板(じょうかんぱん)へ上がるという。
 ヤマが鉄で出来たハシゴを登ると、天井に付いた車輪を回した。すると、円形の重たい扉が開けられる。
(海中に潜っているのじゃないのか?)
 扉の隅からまぶしい光が差し込んできた。
「たまには日光を浴びた方がいい……」
 と、ヤマが上甲板へ上がっていく。続いて上がってみると、八尋和邇号は怖いかき分けながら航行していた。
 改めて日の光の下で見ると、この艦はデカい。今いる場所は、この艦に入った時の後部格納庫のすぐ近く。すべてが鉄で出来ていると思ったが、この上甲板は木が貼られていた。端には転落防止用か鉄の鎖で柵がしてある。
 そして、艦の進む先、上甲板の先には台形の構造物が突き出していた。その上に数本の竿のようなものが突き出している。それは丁度、艦体の中央あたり。
 海彦が何だろうと思っていると、ヤマが声をかけた。
「あれが日の本だ」
 まぶしい太陽、青い大空、広がった大海原。その先、水平線の彼方は何もなく緩やかな曲線を描いているように見える。その反対には視界の端から端まで、薄らと黒い塊が見える。
「今はどの辺だろうか。紀伊か? 土佐か?」
 ヤマはそれを指さしながら言った。
 海彦は言われても、位置が想像できなかった。
 自分が住んでいた日の本がどんな形で、どんな場所にあったのかさえ知らないのだ。
「日の本なんて小さな国だ」
「小さい? あんな巨大なものか?」
 水平線の視界いっぱいに黒い塊が見える。それが小さいというのには驚くしかない。
「後で地図を見せよう。この世界は広いぞ!」
 そう言ってヤマは再び艦内に戻ろうとする。
 海彦はそれに続こうとするが、ふと海面を見た。すると波の合間に別のものが見えた。
「なんでしようか? あれは……」
 不思議なもの、ひとつだけ波が高くなる。急にその波から竿のようなものが現れて、波をかき分け始めた。その先端がきらめいたように見える。
「ん? ああ、潜望鏡だな。あそこにもあるだろう」
 と、ヤマは正面にある台形の建物の上にある竿を差した。
(――と言うことは、この艦と同じものが、も一隻あるというのか?)
 そう思ったが、本体が出てきた。カメの甲羅のような……そう、あの潜水艇・蓑亀号と同じ形のものが、波間から現れた。
「――何だ珍しい」
 艦内に入りかけたヤマが再び戻ってきた。それが何か、どうやら知っているようだ。
「|霊亀(れいき)号。ミノと同じ潜水艇だ。こんなところに来るなんて珍しいな」
 よく考えて見たら、こんな艦をつる人達だ。この一隻というわけではないだろう。
 ふと見ていると、竿が畳まれた。少しずつこちらに近づいてくる。
「あれは何だ? |(フカ)か」
 海彦はその後ろから近づいてくるものが視界の端に入ってきた。
 三角形の灰色のものが波をかき分けて、もの凄い速度で霊亀号の後ろから迫ってきていた。しかし、何かおかしい……そう、大きさが見たこともない。潜水艇の大きさは|一〇メートル《三〇尺半》ほどあるとすれば、|約三メートル《一〇尺》はあるだろうか。
(そんなにデカいフカがいるのか? でも、世界は広いと言うし――)
 海彦は見たこともない大きさのものもいてもおかしくない、と納得しだした。
 だが、ヤマの反応は違っていた。
「ヤバい!」
 先程、ここに上がってきた|ハッチ《入り口》から叫ぶ。
「警報! 警報ッ! 敵だ!!」
 その間にも、突然、フカはその巨大を現した。
(デカいのにもほどがある!)
 その大きさは、この八尋和邇号より一回り小さいぐらい。だが、それでも|一〇〇メートル《三三〇尺》はあるだろう。
 超巨大フカは霊亀号を目がけて飛び上がると、大きな口を開けた。そのまま潜水艇を飲み込むと、海深くに消えていく。
(どうなっている!?)
 海彦が起きていることに理解できていなかった。
 巨大なフカが現れて潜水艇を飲み込んだ、事は確かだ。それをヤマは「敵」と称した。
「急げ! 飛び込め! 手すりをしっかり掴め!」
 ヤマに誘導されるようにハッチに入る。長い手すりを掴むように言われると、肩を蹴飛ばされて滑り落ちた。
 掌が摩擦で痛い。だが、手すりを握っていなければ、転がり落ちていただろう。
 見上げれば、ヤマが扉を閉めて車輪を回すと、自分と同じように飛び降りてくる。
「一体になに!?」
 蹴落とされる瞬間、海彦の目には信じられないのを目撃した。
 イカか、タコか、人の胴体もあるような太い腕が艦体に絡みつこうとしているところを……。
「しっかり捕まってろ!」
 と、ヤマの言葉にあわせるように、グラリと艦体が揺れる。
 床が経っていられないぐらいに斜めになったかと思うと、鉄の艦体がイヤな音を上げて軋んだ。この巨大な鉄の艦が海中に引きずり込まれていく感じだ。

【第5章】

 海彦がヤマに連れられてきたのは、あの上甲板でみた台形の構造物だ。
 艦を操る場所、操舵室だと連れていられる前に説明された。階段を上がるとその中に入る。
「艦内に傾斜注意警報。|バラストタンク《釣合主缶》注水! 水平を保てッ!」
 中央の一段高くなった席に副長が座って、壁に沿って五人ほどの船員が座っていた。
 正面はいくつもの丸い壁で外が見えている。外は……艦体の左右から泡ぶくが大量に出て、斜めになった状態が改善されようとしていた。だが、すぐに傾斜は元に戻る。
 何かに捕まって艦が海中に引きずり込まれているようだ。巨大な腕が何本も艦体に取り付いているのが見えた。
「化けダコ!?」
 正体が見え、声を上げてしまった。
 艦体に絡まり、八尋和邇号を海中へと引きずり込もうとしているのは、巨大なタコだった。目がギョロリとこちらを見たが……その大きさは人ほどもある。
「どうして、接近を許した」
「申し訳ありません。交代時間だったもので……」
 艦長が現れると副長はすぐに交代した。
「各|トリムタンク《釣合補助缶》の調節では保てないか?」
「現在、調節中ですが艦体に負荷が掛かりすぎます」
 壁に時計のようなものが並んでいる場所にいる艦員が報告する。
 その間にも艦体が悲鳴を上げているかのように、軋むイヤな音が聞こえてきた。
「姿勢角上げ一〇度。機関一杯。振り切ってみせい!」
「承知。姿勢角上げ一〇度!」
 正面に座っている船員が、車輪のようなものを一杯に引く。
「両舷、機関一杯!」
 別の船員が、ジョウロのような器具に向かって叫んだ。
 すると、床下の方から僅かな振動と、少しずつ甲高い回転音が聞こえてきた。
(化けダコから、艦を引き剥がそうとしているのか?)
 海彦は何をしているのか判っていないが、急に耳が痛くなってきた。
「ツバを飲み込め。鼓膜がやられるぞ」
 耳を押さえている海彦を見てヤマは声をかけた。耳が痛いのは、八尋和邇号が急激に海中に引きずり込まれたためだろう。
「只今、深度|一〇九メートル《一丁》を超えました」
「まだ振り切れぬか?」
「ダメです。彼奴は新種と思われます」
 副長の言葉に、艦長は手にしていた扇をポンポンと叩く。
「帯艦電撃を使用する。機関長に連絡ッ!」
『――艦長、今どうなっているんじゃ? 朝飯をこぼしてしまったじゃないか』
 どこからか年寄りの声が聞こえてくる。また、蓑亀号で聞いたような壁から声が聞こえているのだろう、どこからか判らないが。
「いや済まぬ。新種の化けダコに絡め取られた。帯艦電撃を使いたいんじゃが……」
『――帯艦電撃を使うのか? 機関を止める気か?』
「構わぬ。最大出力にするには、どれぐらい掛かる」
『――充電するのに|三〇分(四半刻)ぐらいかかる』
「機関を切った場合、四半刻でどれぐらい沈められると思うか?」
 艦長の問いに、副長が答える。
「|一〇九〇メートル《一〇丁》か……もう少し、深くなるかと」
「――我が艦の安全深度限界だな……」
「しかし、相手は生物です。そこまで潜れるかどうか分かれません」
「この艦の性能に賭けるか……」
 少し開いた扇をパタンと閉じた。
「できるだけ浮力を稼ぐ。全|タンク《釣合缶》排水っ!」
「承知。全釣合缶排水します!」
 壁に時計のようなものが並んでいる場所にいる艦員が、目の前に並んでいる小さな車輪を回す。
 ガタンと音と風の音が聞こえると、少しだけ沈む速さが遅くなったようだ。
「非常灯に切り替え。機関停止。電力を帯艦電撃の|キャパシタ《蓄電器》へ」
「承知。非常灯に切り替え。機関停止」
 続けて別の船員が、ジョウロのような器具に向かって叫んだ。と、天井などに付いている筒から明かりが消え、艦内が暗くなる。
 そして、赤い光が少しずつ付き始めた。

 化けダコに引きずり込まれる八尋和邇号。
「只今、深度|九八一メートル《九丁》を超えました」
 すでに外は真っ暗だ。昼間なのに光が届かないほどの深さまで来たのであろう。
 赤い光に照らされている所為か、静まりかえった操舵室は不気味な感じがする。
「音響室に連絡。追尾音響準備」
『――承知しました』
「今度は見逃す出ないぞ」
『――申し訳ありません』
 艦長は何か作戦があるのだろう。続けて、
「後部射出室に連絡。自走機雷二弾、装填し待機」
『――承知』
 なにをする気なのか海彦には判らない。だが、化けダコを船体から引き剥がそうと……そして、反撃を試みようとしているようだ。
「機関室。蓄電器の充電はどうじゃ?」
『――九割半と言ったところか、使用は可能だぞい』
「限界まで充電してくれ。相手が新種のようだ」
『――標本はくれるんだろうな』
「その要望には応えられないな」
 その時、今まで聞いたことのない軋みが響いた。
「まだ安全深度だぞ!」
「化けダコが船体を締め付けているようです」
 副長の報告では、船体に取り付いた触手が締め付け、潰そうとしているという。
(いくら化けダコとは言っても、鉄の舟を潰れるのか!?)
 海彦はそう思ったが、さらに軋む大きな音が響いた。
「只今、深度|一〇九〇メートル《一〇丁》を超えました!」
「各部、浸水報告!」
 艦長の命令に一時的に操舵室が静まりかえった。その間にも船体が悲鳴を上げている。『――第一層、浸水あり。現在対処中』
『――第二層異常なし』
『――第三層、浸水あり。現在対処中』
『――機関部異常なし』
「今のところ対応していますが、まだ引きずり込まれています。このままでは水圧で潰れる可能性があります」
 副長が状況を整理して艦長に報告した。
「機関長!」
『――充電完了。艦長、いつでもどうぞ!』
 艦長の声に応えるように返事が戻ってきた。
「よし! 帯艦電撃攻撃、準備。続けて後部射出室に連絡。後部射出口、開放!」
「艦長。この深度では後部射出口を開くと、浸水の可能性があります」
 副長からの忠告が入る。
「使用可能深度に到達次第、開放せよ」
「承知!」
「帯艦電撃開始!」
 艦長の命令にあわせて、機械が操作されたのだろう。
 バリバリっと雷のような音が響き渡った。と、船体に取り付いた触手に電撃が走るのが目に見える。
 それどころか、触覚自体がパチパチと点滅して、船体に絡みつきが外れたように見えた。
 突然フワリとした浮いた感覚が襲った。引きずり込もうとした化けダコの力が弱まり、艦の浮上する力が勝ったのであろう。
「浮上、両舷機関一杯。姿勢角上げ一五度。傾斜警報! 総員何かにつかまれッ!」
 続けて出した命令に、小刻みに振動と甲高い音が聞こえてくる。それに併せて艦首が上がり始めた。
 艦長が言っていた一五度という角度は、聞いただけではどれほどのものか判らなかった。だが、いざ傾き始めると、海彦は踏ん張ってというわけには行かなかった。近くの掴み棒に、しがみ付いていなければ転がり落ちてしまう。まるで急斜面だ。船内のどこかで、固定されていないものなのか、転がる音が聞こえてくる。
 顔を上げれは、外では化けダコの触手が離れていくのが目に入った。
『――後部射出口、開放可能!』
「後部射出室に連絡。後部射出口を開放し、自走機雷の放出待機」
『――承知しました』
「音響室に連絡。追尾音響開始!」
『――音響室、承知。追尾音響開始します!』
 ピンピンと、甲高い音を聞こえ始めた。定期的に聞こえてくる音に混じって、|タイミング《調子》の外れた同じ音が聞こえてきた。
『――目標距離、|一〇九メートル《一丁》を超えました』
 音響室とか言う場所の担当者から声が掛かった。
「後部射出室に連絡。自走機雷の放出せよ!」
『――承知!』
 艦長の命令に併せて、プシュッと空気が漏れる音が二回した。
(自走機雷とかいうのが、放たれたのか?)
 海彦にはそれが何なのか判らない。それよりも、斜面となった床から転がり落ちないように、しがみ付いているので精一杯だ。
 再び、艦前方を見上げた。
 海面がどんどん近づいているのだろう。海の中が明るくなってきている。
 その時、艦の後方から大きな破裂音が聞こえてきた、二回も。
『――命中を確認! 対象を排除した模様』
 音響室からの報告が入る。
「海面に飛び出すぞ。総員衝撃に備えろ!」

 潜水艦・八尋和邇号は、海面にいよいよく飛び出した。
 海彦には、次に取るべき行動は潜水艇・霊亀号――略してレイと呼んでいるようだ――を飲み込んだ化けフカを追いかけるものだと思った。だが、状況が違っていた。
「推進装置と、過剰に負荷をかけた釣合缶周りに損傷が見られます」
 状況を纏めた副官が艦長に報告する。
 その装置達が不都合を起こしていると、進むことは難しいし、海に潜るのも支障をきたすという。
「ここは一旦、本艦は緊急修理をすべきです。
 確認された化けフカも、情報の無い新種と思われます。万全を期するべきです」
「捕まったレイは持つのか?」
 艦長の問いに別の船員が答える。
「レイからの信号は途絶えていません。また潜航艇の装甲は頑丈ですので、時間の猶予は十分あると思われます。
 ただ現在の化けフカの速度を換算しますと、本艦の索敵外に出る可能性があります」
「索敵外に出てしまうと、どこに向かったか判らなくなるか……」
 艦長には考えるときにパタパタと扇を開閉する癖があるようだ。
 船員の報告を思案しているのだろう。
「しかし、レイがやってくるなんて予定があったか?」
 ふと、艦長が口にした。
 その言葉に、副長と話していた船員は顔を合わすと、バツの悪そうな顔になった。
「実は……ミツヒメ様が乗っておられます」
 副長は遠慮しがちにそう言った。
「また、あの御仁か! 勝手に行動して、じゃじゃ馬にもほどが過ぎる!」
 艦長は悪態をついたが、海彦はその名前を聞き逃がさなかった。
 先程まで彼等が何を話しているのか理解し難かったが、ようは人魚の彼女、ミツヒメをいかに助けるか。
 それを話しあっていることが、頭の中で判ってきた。だが、八尋和邇号は先程の化けダコとの一線で力が出ない。副長はそれを修理してから万全にすべし、と提案している。しかし、そこの船員は、それではどこに化けフカが移動するのか判らなくなるという。
 つまり、彼女を助けることが難しいということになる。
(どうすべきか……とはいっても、俺には何も出来ない)
 海彦はこの潜水艦に乗ったばかりで、何か出来ることなど無い。
 ただ救助者で、客人なだけだ。何かあってか、彼に会いたいというミツヒメのところに連れて行かれるだけの身だ。
(ここで話しあってるだけでは、彼女の救出はどんどん遅れるのではないか)
 そうは思っても、何か意見を言えるわけでもなく……ただやりきれない怒りだけが、こみ上げてくる。口出しも出来ない。グッと握りこぶしを強く握るだけだ。
「――意見があります!」
 海彦の様子を見ていたのか、ヤマが声を上げた。何か思いついたのかもしれない。
「口出しは無用だ!」
 副長が注意する。海彦には判らないが、ヤマの身分はこの艦の中では低いのであろう。食堂での態度からして、通常は艦長に意見を言える立場ではないのだろう。
「良い。いってみろ!」
 しかし、艦長はそれを許可した。一呼吸置いてヤマは、
「ミノを潜行させてはいかがでしょうか。
 化けフカよりも、ミノの方が速力は上です。化けフカに逃げられないように接触し、その間にワニを修理。完了次第、ミノを追尾すればいかがでしょうか。
 レイからの信号はミノを中継すれば、信号受信距離は倍になると思われます」
 艦長はパタパタと扇を開閉しながら、ヤマの話に耳を傾けていたまま何も言わない。だが、副長が口を開いた。
「なるほど。その手があるな……よく考えた!」
 副長の能面が笑ったような気がしたが、一瞬だったようだ。
「ヤマの提案でいかがでしょう。ミノにはもしもの為に、自走機雷を装備させます」
 艦長の扇が閉じた。
「あい解った。副長、すぐに修理の開始とミノの出発を用意せよ」
「承知!」
「――それからヤマ。その|海彦(客人)は自室にお送りするように……」

 海彦は一晩過ごした部屋に連れてこられた。
 自分でも判っているが部外者だ。この艦のことも解らないし、船員が操作している車輪ひとつとってもどう操作するのかさえ解らない。だが、様子を察しられたのだろう。
 捕らわれた潜水艇・霊亀号の中に、ミツヒメがいることに動揺していることを。
 何かしでかすかもしれない……そう思ったのに違いない。だから、部屋に軟禁すると言う手段を執られた。
「お前が行っても何も役に立たない」
 ヤマも釘を刺してきた。
「でも……」
 とはいっても、上手くは説明できないが、海彦は居ても立っても居られない。
(せめて近くまで行きたい!)
 口にはしなかったが、それは前に艦長に釘を刺されたことに繋がる。
 惚れたか、と……。
 海彦自身、自分の思っていることがよく解らなかった。
 年頃の女の子を見るのも、惚れることも初めての経験だ。もっとも、人魚の歳が自分が想像しているのと……人と変わらなければの話だが。
 ヤマは命令でここに連れてきたが、彼の様子からして何を考えているのか薄々感じているのかもしれない。
 ふと……
「――俺はミノの作業員だ。これから副長と共に出発しなければならない」
 そういうと、上着を脱ぎだした。
「貴様と俺は顔が似ている。服を変えれば判らないだろう」
「でも、俺には何も操作できない」
「黙って、皆の後ろに立っていればいい。俺も実際はそれほど解るわけではない。雑用係みたいなものだ。
 行きたいんだろ?」
 ヤマの問いかけに海彦は大きくうなずくと、着ているものをヤマと交換し始めた。
「急げ、時間が無い。後部格納庫の場所は判るな」

 海彦は朝にヤマに案内された艦内を何とかたどって、後部格納庫に到達した。
 すでに副長とミノの乗組員らしい船員達が整列している。
「ヤマ遅いぞ!」
 並べと、副長が顎で指図した。
 海彦は慌てて指された場所へ、並ぶ船員に交じった。大入道の保安長も含め全員で五名。
 副長は並ぶ船員の顔を見回したが、ヤマを称している海彦の顔を一瞬見ると、目をそらした。
(バレたか!?)
 一瞬、ひやりとしたが、副長は相変わらずの能面顔のまま。
「全員搭乗!」
 と、声をかけて潜航艇・蓑亀号に乗り込む。船員達も順々に乗り込み、海彦が最後に入ると、入り口が閉じられた。
「格納庫内注水開始」
 海水が格納庫に入ってくるのが音で判った。
「機関始動」
「固定解除」
 出発は戻ってきたときとは手順は逆らしい。
 グラリと舟が水上に浮かぶ感覚がしてきた。
『格納庫、開閉します』
 後方から大きなものが動く音がしてきた。それに併せてミノを覆う格納庫の屋根や天井が動き、外部に出る隙間が空いてくる。
「後進微速」
 副長の指示が復唱されると、後方から海水をかき回す音が聞こえてくる。
 そして、ゆっくりとミノは後ろに下がり始めた。
 そして、しばらく後退をしていると、最前列右側で操作している船員が報告を上げる。
「ワニからの規程距離、離れました」
「では、化けフカの追撃にはいる。両舷、前進切替。潜行開始」
「承知!」
 振動と共にゆっくりと後退する速度が落ちると、今度は前進しながら水中に潜っていく。「取り舵一杯!」
 水中に潜ると、化けフカの行き先……潜水艇・霊亀号からの信号に向かって突き進むことになる。
「ミノの形状では、水上を走るよりも水中に潜った方が効率がいい」
 副長は海彦に向かって説明し始めた。
「覚えておくように、海彦……」

「……」
 海彦は指摘されても答えないでいた。ヤマと服を変えてここに潜り込んでいたことは、恐らく懲罰ものだろう。
 自分もそうだが、危険を冒したヤマの事を考えると、黙っていた方がいいように思えた。
「顔が似ているからといって、身体付きが違う。肌の色も違う。
 そんなんで、オレをだませれるとおもったか!」
 副長は無表情のまま強い口調で、海彦に向かって言った。
「すっ、すみません……」
海彦は謝るしかなかった。
(どうされるのか、このまま海にほっぽり出されるのか)
 艦長の命令を無視して、しかも潜り込んだのだ。密航みたいなものだ。そんなことをされてもおかしくはないだろう。
 睨み付けているだけで、一向に話が進まないところへ大入道の保安長が立ち上がった。
「――九郎様。それぐらいでいいでしょう」
「その名で呼ぶなと言っただろう。保安長!」
「ヤマの策は|同じ(双子)を使ったのはいい案だと思います。
 昔、山中で草履を引っくり返して履こう、と言いだした時のものよりも……」
「それも言うな。あんな馬鹿げたことをよく考えたと思ったたことか……」
「海彦、九郎様……副長は|策略(はかりごと)が下手だ。
 自分よりも、いい策を出したら嫉妬なさるお方だ」
 そうなのか? と海彦は副長の顔を見たが、相変わらず能面顔をしているので感情が読めない。
「――もっとも、半分は艦長が考えなさったことだ。
 お主らが入れ替わるかもしれない、と……。だから二人きりにした。案の定、策に引っかかったのはお主達だ。
 しかし、海彦よ。よくもまあ乗り込んだものだ。何も出来ないのに……」
「それは……」
 海彦自身もよく解らない、といったところだろうか。いや、本当はどうして乗り込む気になったのか、自分の中で言葉が見つからない。
 ミツヒメ様が捕まっていると言うことに、居ても立っても居られないことを……。だが、それの気持ちの正体がなんなのか自分では理解できないでいた。
「海彦、ここまで来たからには、ミツヒメ様の客人としては扱えない。
 我らの一員として働いてもらうぞ。覚悟は出来ておるだろうな」
「覚悟……」
「そうだ。覚悟が無い者は邪魔だ。海の上だろうが、中だろうが押っ放り出すす!」
 副長は再び、鋭い口調で海彦に迫った。
(覚悟……今更、陸に戻ったところで、俺の行く場所はない。もうこの人達と暮らした方がいいのではないか? ここには恐らく兄貴もいるし……)
 口を開こうとした海彦だったが、副長は遮るように話し出した。
「だが、気安く一員に成れると思うな。我らには敵がいる」
「敵……あの化けダコや化けフカですか?」
「あれだけではない。未知の敵と言って過言ではない。
 艦長から聞いたであろう。龍族のことを?」
「ええ、バク殿がその一員であると」
「龍族は、深い眠りから覚めてみたら地上には彼等の生活する場所がなかった。そこで、海底に都を造った。だが、海の中も平穏の地ではなかった」
 艦長が説明したのは、海底に都を造った、と言う話までだ。その先があったようだ。
 平穏では無いと言うことは……
「それは、そこでも争いだあったと言うことですか?」
「ああ、長い戦いがあったそうだ。海底の者も突然、龍族が現れて自分の住み処を脅かそうとしているんだ。あって当然だろう」
「その、海底の者というのは……」
「ひとつは人魚だ。人を祖として海底で進化したと言っている」
「人魚……」
 海彦はその言葉をかみしめた。
 上半身が人にそっくりなのも、進化という言葉に納得するような気がした。龍族がトカゲから人と同じような形になったのだ。人が水中で適応するために下半身がイルカのようになり、手の指に水掻きが現れても今では信じられるような気がしてくる。
「でも、人魚と戦をしていたのに、ミツヒメ様は、一体……」
 不思議な話だ。戦をしている種族のものを、明らかに龍族側と思しき彼等が祭り上げているのか。まるで姫君のように。
「人魚達とはなんとか和解した。その印がミツヒメ様だ。
 龍族の王は人魚の王の娘を|(めと)った。親戚関係になることで両者は契りを結んだ。
 そして、産まれたのが……」
「ミツヒメ様と……」
 陸の世界でも、そんなことを繰り返し、力と力がぶつかり合った大きな戦があったと聞く。それが海の中でも起きていたと言うことなのだろう。
(生き物は形を変えても、考える事は同じなのかもしれない)
 ふと、海彦はそんなことを思った。だが、ひとつ話がまだ欠けている。
「先程、ひとつ、と言いましたが他にも海底の者がいたのですか?」
「それが厄介だ」
「化けダコや化けフカを操っている者ですか?」
「そうだ。だが、正体が分からない。人魚達にも……」
 副長の声が落ち込んだ気がした。
 正体が解らない敵……そんなものが襲ってくるのは、落ち着いて生活が出来ないのではないだろうか。
「副長。まもなく接近します」
 海彦の心配をよそに、船員から報告が上がった。
 すでに出発してから、一刻は経っていたのだろう。どうやら追いついたようだ。
 水面からの光が帯のように照らし出され、視界に薄らと化けフカの影が見え始めている。
「この話の続きは後だ。さて、どうしたものか……」
 八尋和邇号からの連絡はまだ無い。
「レイからの信号はまだあるか?」
「――はい。まだ健在だと思います」
「どの辺から出ている?」
「恐らく、首元。エラの裏あたりでしょうか……」
 船員から報告が上がる。
「エラの裏……化けフカは、レイを消化するためではないのでしょう」
 そう保安長が言った。確かに喉元に何か引っかかっているなら、人だったら気持ちが悪い。吐き出すなり、強引に押し込むことをするだろう。
 しかし、外を見ると平然と泳いでいるように見える。ということは……
「どこかに連れて行く気か? だとしたら、相手のねぐらが判るかも……」
 と、副長は口にした。だが、それでは救出に来た意味が無いのではないだろうか。
「レイとはやり取りできるか?」
 思案している副長をよそに、保安長が命じる。
「可能だと思います」
「やってくれ」
 保安長の指示で、装置をイジる船員。
「こちら蓑亀号。霊亀号、聞こえますか?」
 船員がまたしてもジョウロに向かってそう言った。
 そして、しばらく無音が続いたが、バリバリッと壁から音が聞こえ始める。
「こちら蓑亀号。霊亀号、聞こえますか? 周波数を――」
『――ごうデス。コチラ霊亀号デス……良カッタ繋ガリシタヨ、みつひめ様……』
 聞き取りにくいが、女の声が壁から聞こえてくる。その中でミツヒメと、いう言葉が出てきた。やはり彼女も乗っているようだ。
「現在の状況を教えてください」
『――此方ハ、三名。現在ノトコロ、化ケふかノえらニ作業用あーむヲ引ッカケテ耐エテイルトコロデス。あーむノ耐久力ニ限界ガ、先程カラ嫌ナ音ガシテイマス……』
 霊亀号からの状況説明では、化けフカの首元で止まっているわけではなく、作業用アームで留まっているそうだ。
 そして、そもそもそのような用途に使用するための設計されていない作業用アームが、限界に来ているという。
「――どうすべきか……」
 副長は何を悩んでいるのだろうか? 指示をまだ出さない。
(副長は策略が下手だ、といっていたが、この人しか指示できないのか……)
 時間だけが過ぎていく……と、突然、化けフカの腹のあたりから小さな魚が現れた。
 小さいと言っても、乗っている潜水艇の倍は大きい、そんなものが三匹。
「コバンがいました!」
「何ですか、あれは!」
 海彦の声に保安長が応える。
「厄介な護衛だ。動きも速い。しかも三匹……。
 ミノには自走機雷は二弾しか積んでいない」
「二弾しかないって、一匹分足りないじゃないですか」
「無い物は仕方がない。おい、ミノを化けフカの正面に回せ!」
 副長はようやく試案が纏まったようだ。だが、正面に回れとはどうする気なのだろうか。
 その間にもコバン達は身体をくねらせ、こちらに向かってきていた。先程は良くは見えなかったが、先端が鋭く尖っている。
(あんなもので突っ込んできて、鉄の舟を突き破るというのか?)
 海彦の心配をよそに、コバンはどんどん迫ってきていた。
「どうするおつもりで? こちらも喰われる可能性がありますが……」
 保安長の質問に、能面ずらの顔が笑ったような気がした。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ」
「言いたいことは解りますが、化けフカの腹の中にでも突っ込むのですか?」
「ただ突っ込むのではないぞ。操舵手の腕に掛かっている。
 口に入った途端、ミノを垂直に立てろ。化けフカの口が閉じないように支え棒にするのだ。その間にレイを内部から引き抜く」
「ミノがどれだけ持つか判りませんよ」
 保安長の指摘と通り、フカの顎の力は強い。あんな巨大な化け物だ。どれほどの力があるのか、分かったものではないはずだ。
「やってみなければ判るまい。それにオレは策略が下手だが、武運には恵まれている!」
 どうやら策略が下手だと、部下に言われたことを少し気にしているようにみえる。
「――承知しました。それで牽引作業は誰がやるのですか?」
 保安長は渋々といった感じか、言い出したら聞かないとでも思ってか承諾した。だが、肝心な作業を誰がやるのか?
「保安長、|タイミング《時機》は任せる。オレは機械操作をする」
「|フック《鉤》の接続は誰がやるのですか?」
 そう言われて副長は海彦を見た。
「海彦、お主が手伝え」
「おっ、俺ですか……でも、何も解らない」
 突然、指名されて狼狽えた。
 自分で言ったとおり、この舟の装備は未知すぎで解らないことだらけだ。鉤がなんなのかは解るが、機械操作がどうとか言った、そんなものは知らない。
「今から教える。さあ急げ!」

 副長に付いていったのは、蓑亀号の中央。円筒形の部屋だった。一段と重苦しい鉄の扉を開けて中に入る。
 中に入ると、天井と床下に八尋和邇号で上甲板に出たときと同じ丸い扉があることに気が付いた。
 副長が何かを操作すると壁が動き、その中から人型ものが現れた。
(何だ!? 人の干物か!)
 一瞬そう思ったが、どうやら着るもののようだ。足先から首元まで一体な着物など見たことがない。しかも、銀色のうろこ状のものがびっしりと並んでいる。その横には|(かめ)を引っくり返したものが並んでいた。
「耐水服だ。これを着ればある程度の深さでも息が出来る」
 副長はその一着を取り、海彦に渡す。
 自分も同様に取ると、着て見せた。腹から首元にかけて切れ込みがあり、それが開くと身体を入れられるようになっていた
 海彦は副長のマネをして着てみる。なんだか窮屈な着物だ。全身を締め付けられるのには気分が悪い。
「これをかぶれ」
 次に渡してきたのはあの瓶。言われるまま被ると、顔の正面にだけ透明になっていて外が見えるが、こんな体験は初めてだ。しかも、瓶と首元が一体化しだした。
(ホントに息が出来るのか!? 息がなんだか……)
 窮屈で仕方がない。焦っているのか息が上がってくる。
『深呼吸しろ。大丈夫だ』
 耳元から副長の声が聞こえてくる。
 言われるまま、ゆっくりと深呼吸をするとすこし落ち着いてきた。何とか空気は吸えるようだ。
『手短に説明する。これと同じものが外にある』
 と、副長が持ち出したのは見たことのない鉤だった。
 鉄の塊に『し』の字を引っくり返した感じの鉄の棒が付けられている。『し』の字の空いている場所にも鉄の棒が付いており、それにより鉄の輪になっていた。追加で付いている部分は開閉できるようだ。
『レイの正面。操縦窓と|サーチライト《探照燈》の間の握り棒が一番頑丈だ。そこに引っかけろ』
「引っかけたときの合図は?」
『この音声が届くはずだ。他に質問はあるか?』
 と、副長は手短に説明をした。
 質問と言われても、今聞いた話を覚えるだけで精一杯だ。だが、ふと気になることがあった。
「なぜ俺なんです?」
『……オレは泳げない』

『|エアロック《気密室》注水開始。策を開始せよ』
 副長の指示が下りた。
「よし。では化けフカの前方に回る。機関一杯」
 保安長の指示の元、蓑亀号の推進機関がうなりを上げる。
 迫り来るコバン達は、逃げるものと思ったのだろうか。突っ込んでくる蓑亀号にたじろいだようだ。目の前に迫るコバンの群れをすり抜けると、
「自走機雷、近接炸裂で投下」
 その場に残すかのように、自走機雷を二弾すべてその場に放置した。
 蓑亀号はコバン達から距離を取る。速度はコバンの方が上に見えた。きびすを返すと、コバン達は追っかけてくる。
 そして、放置した自走機雷の近くを通り過ぎたときだった。
 ドン! ドン! と、炸裂した。
 保安長が指示した近接炸裂は、近づくものに対して反応して爆発する仕組みだったのであろう。
 コバン達はその爆発に巻き込まれる。すべて……と、言うほど甘くはなかった。
 一匹が力尽きて海底に落ちていく。
 二匹目は衝撃を食らって、一瞬力尽きたかに見えたが、身体中にキズを負いながら血を垂れ流してもなお食らいつこうと泳ぎ始めた。
 三匹目は無傷。
 蓑亀号は追いつかれるかと思ったが、コバンの二匹は突然、追撃を諦めた。化けフカの近くを周回しているだけだ。
「……付いてこれまい」
 保安長はニヤリと笑って見せた。
 彼の指示で蓑亀号は、化けフカのギリギリを航行していたのだ。
 突っ込むことが武器であるコバンだが、相手が化けフカに接近しすぎていれば、見方を傷つけかねない。
 それぐらいの知恵はあるようだ。
「このまま化けフカの前へ!」
 舐めるように蓑亀号は進む。だが、さすがに護衛のコバンが攻撃していないことに、化けフカも気が付いたようだ。身体をくねらせて蓑亀号を引き剥がそうとするが、図体が大きいのが災いしてか、動きは鈍い。
 そして、むしろ化けフカは口を蓑亀号に向けた。
 化けフカは彼等の策に気づかないのか、生物の反射的な反応だったのか、大口を開けた。
「しめた! 突っ込めッ!」
 口の中に突っ込む蓑亀号。だが、入った瞬間に、
「上げ舵最大! 機関逆一杯っ!」
 保安長の指示の元、急激に減速した蓑亀号は垂直に立ち上がる。
 何かおかしいことは化けフカも気が付いたのかもしれない。口を閉じようとしたが、垂直に立ち上がった蓑亀号を止められない。
 結局、喉に食い込ませる結果となってしまった。
 口が閉じられないのは、生物にとって不快なものはない。化けフカもなんとか喉につまった蓑亀号を振り払おうとしたが、巨体が災いしてか動きは鈍い。では、かみ砕いてしまおうとしたが、蓑亀号は堅かった。
「副長、口腔内で停止しました!」
『――ご苦労!』

『では、こちらも策を開始する。覚悟せよ!』 
 ギシギシと船体が軋む音が聞こえているが、しばらくは持つと思われる。
 気密室と呼ばれた円筒形の部屋はすでに海水で満たされていた。
 副長は元、床の|円扉(まるとびら)を開ける。
『外に出たら一旦待機せよ』
 海彦は言われるまま、外に出る。
 出たすぐの場所にあった握り棒を持って、次の指示を待った。
(これが化けフカの中……)
 生き物の中とは思えないぐらい大きい。自分の息の音しかしない静寂だ。不気味に薄暗い洞窟が続いている。時たま左右の壁が、格子戸のように開閉している。あれがエラなのであろう。
『何をボーッとしておる。これを持て!』
 肩を叩かれた。振りかえる……身体ごと動かすと、副長が例の鉤を持っていた。
 こちらは気密室の中で見た予備ではなく、縄が……いや、縄ではない。これも鉄で出来ているようだ。鉄を細く縄のように編んである。
『手順通りに頼んだぞ』
「わかりました……」
 結局は、泳げない副長の替わりとは言っては何だが、漁師をしていたことか幸いしてまかされた重大な仕事だ。
 蓑亀号を蹴飛ばし、薄暗い洞窟を進んでいく。片手で水を掻き、両足をばたつかせて進んだ。耐水服は動きに支障は無いし、脚には大きなヒレも付いている。思った以上に進むが、相変わらず薄暗い。
 |電灯(明かり)が頭に被された瓶についてはいるが、ほとんど役には立っていない。
(まだ着かないのか……)
 思った途端、左右の|格子戸(エラ)が開いた。と、もの凄い勢いで中の海水が外に押し出される。「畜生!」
 エラから排出されるかと思った。だが、丁度エラとエラの間に身体を押し付けられて、投げ出されることはなかった。
『――大丈夫か!』
「はい。何とか……」
 海水の流れは、副長のところでも感じたのであろう。
 とにかく、注意しなければ……折角、中に入ったのに、化けフカの外に投げ出され兼ねない。しかも、外に投げ出されたら、例のコバンがいる。人間のような小型のものに対して、どういった反応をするか解らないが、警戒は怠らないようにせねば。
 そして、ようやくぼんやりとお目当ての潜水艇の姿が見えてきた。
 蓑亀号と同型なのであろう。ただ、連絡通り細長い腕を出して、エラの隙間に|(つか)まっているだけだ。必死に捉まっているのであろう、その腕は素人でも解るような左右で変な曲がり方をしている。
「発見しました!」
『よし、例の場所に迎え!』
 副長の指示の元、向かおうとした矢先またしても、エラが開いた。
 今度は一直線にエラの外に身体を持っていかれそうになるが、頭が出かかったところで間一髪、閉じた。
(マズイ、早くかたづけないと……)
 開閉する時機が定期的にあるのであろう、生き物が息をするように。
 ともかく必死に足をばたつかせて、潜水艇・霊亀号へ向かった。
 何とか到着する。まじまじと潜水艇を外見は見ていなかったが、操縦席の透明な壁は外側からは中の様子がしっかりと見えないようだ。虹のように幾重にも反射している。
 中に人物がいるようだが、影しか解らない。
(とにかく、この横の握り棒に……)
 言われていたのは、操縦窓の横の握り棒だ。それはすぐに見つけることが出来た。
 そして、いざ鉤をかけようとしたときだった。
(ヤバい!)
 再び、エラが開いた。注意していたつもりだが、鉤をかけようと集中していたために不安定な格好になってしまった。
 しかも、潜水艇の為か妙な水流が生まれていたようで、アッという間にエラへ排出されようとしていた。
「グワッ!」
 海彦は、変な声を上げて流されそうになるが突然、何かが彼の片足を引っ張った。
「えっ?」
 見れば、白い手が自分の片足を引っ張っている。
「ミツヒメ……様?」
 そう、必死に彼が流されないようにしているのは、人魚の彼女だった。
 そして、再びエラが閉じた。
(なんでここに……)
 そう脳裏に疑問がよぎったが、そもそも潜水艇・霊亀号に乗っているという話で、ここまで来たのだ。目の前にいたっておかしくはない。
 彼女はニッコリと微笑んでうなずいて見せた。
『海彦、大丈夫か!』
「あっ、はい……」
 流されかけてそれを、ミツヒメ様に助けてもらったことは今は黙っておいた方がいい。また彼女が軽率な行動を取ったとでも怒られかねないだろう。
 そう海彦は思い、簡単に答えのと作業に戻った。
 彼女の助けもあり、鉤を繋げることに成功した。
「出来ました!」
『承知した。これから引っ張る。お主はレイの方に……』
 そう言いかけた途端、またしても予期しない時機にエラが開く。
 海彦は、とっさに鉄の縄を握って流されまいと踏ん張った。だが、今度は彼女が不意を突かれたらしい。横にいたはずの彼女が流されていく。
 必死に泳いでいるが水流は強い。
「手を!」
 声が聞こえるわけではないが、必死に手を伸ばした。
 指先がなんとか触れるが、あと少し届かない。
(届かないのかッ!)
 海彦は必死に手を伸ばした。
 指が引っかかった、掌が繋がった、腕を掴んだ……自分が、鉄の縄から手を離したからだ。
 今度は閉じるのが遅かった。
(しまった!)
 そして、そのまま二人は一緒に化けフカのエラの外に排出されてしまった。

 外に飛び出した二人。強い水流に飲まれて、揉みくちゃにされ、どちらが上で、どちらが下か海彦は判らなくなっていた。
 ぼんやりした意識の中で見たのは、自分を抱えてミツヒメが必死に泳ごうとしているようだった。
 見れば遠くからコバンがこちらに向かってくるところだ。
 気が付いた海彦も負けじと足をばたつかせた。だが、かえって彼女の邪魔をしているだけかもしれないと気づくのには時間が掛かった。  
(やられる!)
 そう思った瞬間、化けフカとは別の黒い影が現れた。
 潜水艦・八尋和邇号だ。
 コバンに向かって突っ込んでいくと、側面から投網のようなものを打ち出した。
 投網はふたりを抱え込むと、スルスルと艦内に引き込む。
(助かったのか……)
 八尋和邇号に入ると、蓑亀号と同じように気密室に入れられた。しばらくすると、その部屋の海水が抜かれていく。
「おふたりとも、いつまで抱き合っているつもりだ」
 完全に海水が抜けたところで、ヤマが入ってきた。
「でしたら、これを解いてくださいまし」
 ミツヒメは文句を言ったが、まだ投網の中でふたりは抱きついたままだ。というか、身動きが取れない。
 海彦に至っては耐水服を着たままだ。
 他の船員数名でふたりの捕らえた投網を外した。先にミツヒメを抱え上げられて、用意された車椅子に座る。
「お前は何をやっている」
 海彦はヤマに言われたようだが声が遠い。
 恐らくいつまで耐水服を着ているのか、と指摘しているのだろうが、どうやって脱ぐのかよく解らない。
 声も聞こえていないかもしれない。首を振っても瓶と耐水服が固定されているために、その動きは伝わっていないようだ。
「耐水服の脱ぎ方が解らないんではないですか?」
「そうなのか? ハハハァ!」
 ミツヒメの指摘にヤマを笑い出した。
 海彦はまた窮屈で息苦しくなってきた。
(笑い事ではない。何とかしてほしい……)
 ヤマが何か首元でやるとようやく瓶が外れる。
「はあぁ~……苦しいかった。もうゴメンだ」
 と、海彦は床にへたり込む。
 開放されてようやく息が付けた気になった。息は装置で出来ていたのかもしれないが、圧迫されて気分が悪い。
「大丈夫ですか?」
 ミツヒメがへたり込む海彦の様子を心配してか声をかけた。
「あっ、いや、俺は大丈夫です。あなたは?」
 海岸で助けたときとは違う。海彦は彼女の身分を知ったので、少し恐縮してしまった。
「問題ありませんわ。助けてくれて感謝しています。しかも、二度も」
 と、ミツヒメは微笑んで見せた。
「いえ、俺も助けていただきました。感謝しています」
「そんなことありませんわ。わたくしの所為で命まで落としかけたと聞きました。
 大変申し訳ありません」
「いえ、頭を下げてもらうことのとは……」
「そんなことございませんわ。
 龍王の娘として、御礼をしなければわたくしの気が済みません」
 ふたりでずっとそんなやり取りを続けている。
「ゴフォン……いい加減にしたまえ。艦長がお呼びだ」
 咳払いをしてヤマはふたりの問答を止めた。

【終章】

 八尋和邇号の操舵室に着いた頃には、ふたりを襲おうとしていたコバンは排除されていた。どんな武器を使ったのかは解らないが、身体をくの字に曲げて海底へ沈んでいくのが見える。
 残ったのはあの化けフカだけだ。
「艦長、ありがとうございます!」
 海彦はお礼を言わなければと思っていた。自分とヤマの勝手な行動を見抜いていて、それを許していたことに。
「よい。若気の至りなど誰だってある」
 艦長は背を向けていたが、それ以上は言わなかった。
 それよりも……
「副長は相変わらず、詰めが甘いようだな」
 艦長が言っているのは蓑亀号のことだ。未だ化けフカの口から離れていなかった。
 こちらから見えるのは、化けフカの口を塞ぐ蓑亀号と、その後ろの隙間から霊亀号の姿も見え隠れする。喉の奥から引っ張り出されたのであろう。
「さてと、いかがしたものか……」
 艦長は扇をパタパタと開閉している。
「二隻で押し合っては?」
 海彦は、ふと思いついたことを艦長に提案したが、
「それでは、また化けフカに食いつかれてしまう。いっそうのこと、殺すか……」
 対策を決めたのか、艦長はパタンと扇を閉じた。
「前部射出室に連絡。自走機雷二弾、装填し射出口を開放」
『――承知』
「前の方には当てるなよ。自走機雷の放出せよ!」
『――承知!』
 艦長の命令の下、前方から自走機雷が二弾、放出された。
 そのまま真っ直ぐ海中を突き進み、化けフカの腹と尾びれに命中する。その衝撃で潜航艇二隻は吐き出された。だが……。
「なんと! 二弾も食らっても生きておるか!」
 化けフカは生きていた。八尋和邇号に向かってくる。
 艦長が驚くと言うことは、今まではそれで退治できたのであろう。
「自走機雷四弾、装填! 準備次第、放出せよ!」
『――承知!』

 化けフカ退治に計六弾の自走機雷が必要だった。
 潜水艇・蓑亀号と霊亀号も回収に成功した。だが、この戦いでいろいろと消耗もしたし、潜水艦・八尋和邇号も応急修理だけで駆けつけたことから、艦長は修理と補給のために母港に向かうという。波の下の都、龍族の都に。
「それはどこにあるのですか?」
 海彦の質問に艦長はその場所をはぐらかした。ただ「この先の北の方だ」とだけ答えた。
 そう言われても、今の場所が解らない。
 当分、潜水しないというので、海彦は八尋和邇号の上甲板にあがった。
 鉄の舟の中は息がつまる感じがして、落ち着かないのもある。
「あれはどこだろうか……」
 水平線の彼方に薄らと黒い土地が広がっているのを目にしていた。
(前は、紀伊か、土佐と言っていたが……今度はどこなのだろうか)
 あの化けフカ達の戦闘で方向感覚が分からない。
「今は薩摩あたりかな……」
 ふと、横にヤマがやってきていた。
「薩摩? それはどこだ?」
「ああ、地図を見せる約束だったな」
「たしか、そんな約束をしたか。あの時は化けフカに襲われてしまったけれど……」
「どうするんだ? 俺たちと一緒に来るのか?」
 そう問われても、海彦はまだ決めかねていた。
「副長は覚悟がなければ来るな、というが……正直、俺は覚悟が決められない」
 ミツヒメが龍族の都に海彦を呼んだ目的はほぼ達成された。結局、彼女が自らやってきたのだから。
 そして、刻がゆっくり流れるという都のことは……その点に関してはもう吹っ切れていた。どうせ知り合いなどいないし、帰る場所がない。行く場所もないし、記憶を無くした兄はいることだし、ここの人達と共にするのもいいかもしれない。
 しかし、謎の敵は気になる。だが、少々の危険は覚悟の上だ。
 それを覚悟しろ、と副長は言っていたのかもしれない。
「これから向かう先はどこなのだ?」
 再び海彦は艦長にはぐらかされた質問した。
 ヤマは八尋和邇号の行き先を指さした。水平線の彼方、薄らと黒い土地が消えている場所があった。
「――その先、あの水平線の向こう。波の下に龍族の都がある」
 海彦は指さされた方角を見たが、水平線が続いているだけだった。

水平線の彼方へ

水平線の彼方へ

  • 小説
  • 中編
  • 冒険
  • 時代・歴史
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-11-13

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著作権法内での利用のみを許可します。

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