アーユルヴェーダ*拾壱

これちかうじょう

すっかり両想いになりつつある結と冬至ですが、
邪魔をする人もいますし、
それより何より、新たな課題が見つかったりします。
それは後程。

中村家の問題

「ふー…」
俺は携帯ともう何時間、にらめっこしているんだろうか。
そして、
「…」
それをずっと横で見ている美人とは、いったい。
「しないのか」
「するよ、するけど」
「…」
もうかれこれ2時間はにらめっこ状態である。
家出をしたことを、父さんに言う。
ただそれだけなのに、どうにもきっかけがつかめない。
父さんに電話する、と最初言った時、結ちゃんは「俺が」と言ってくれたのだが、
まさか知らない人からいきなり家出しました、居候してます、
などと聞かされたら父さんもびっくりしてしまうだろうし。
それより何より、これは中村家の問題だからと俺は断固として携帯を渡さなかった。

「結ちゃんは筋トレでもしてなよ」
「うん」
のしのしと歩いて行ってしまうのを見つつ、俺はまた携帯を手に取った。
よし、今だ、今しかない。
「…」
呼び出し音。
あ、今の時間じゃ当直の時間かな、と俺は失敗したと思ってしまう。
父さんは消防士という仕事をしていて、
しかもその上の組織、
ハイパーレスキューに所属している。
殆ど家に帰ってこないのは、すぐに出動できるようにと当直室に泊っているんであって、
まさかそんな時に浮気とかしてたとか聞かされるとげんなりだけど、
それはそれで気が張っていたんじゃないか、その反動なんじゃないかと今は思っている。
出るかな、寝てるかな、とドキドキする。
『もしもし、冬至か』
おお、出た。
俺は久々に聞く父さんの声に少し驚いた。
すごく、疲れているような声だったからだ。
「ああ、そう、うん」
『どうした、今家からか』
「それがね、俺、家出してんだ」
『家出?』
「信じられないと思うけど、俺、母さんとうまくいってなくてさ…、
 家出しちゃったの」
『そうか…俺があまりかまってやれなかったからだろうな、ごめんな』
謝って欲しいわけじゃない。
『で、今は結城さんとこか』
「ゆうき?」
『あ、違った、藤原さんだっけか、今は』
「何で知ってんの!?」
怖いんですけど、いろいろ知ってる結ちゃんも怖いけど、
何で父さんが藤原家を知ってるんだ?
『結城さんとは部署が一緒だったことがあってな、それで一応はいろいろ聞いてたんだ。
 母さんのことも、ちょっと前まではいろいろと教えてもらってた』
「だからその結城さんて誰」
『柊さん、えーと、息子さんが1人いるって前に聞いたな』
「え、結ちゃんのお父さんと知り合いなの父さん」
『一応な、仕事柄お世話になったもんだ』
どういう繋がりがあるんだよ、と俺はため息が出る。
『ご飯、食べてるのかちゃんと』
「そりゃあもうおいしいの食べさせてもらってるよ、何だか申し訳ないくらい」
『そうか、じゃあもう家には戻らないんだな?』
「いや…それは」
『戻らなくていい』
「へ」
『父さんも戻らないつもりだし、それに、母さんのことは…冬至には謝らないとってずっと思ってたんだ。
 離婚も成立したしな』
「…え」
離婚、成立?
もしもし、と俺は耳をそばだてる。
「いつしたの、離婚」
『つい先月、4月8日に』
4月8日といえば、俺が、青陵に入学した日じゃないか。
あの時から、母さんは中村姓じゃなかったってことなのか?
そんな大事なこと、何で誰も言ってくれなかったんだ。
『近々逢って話そう、いつなら大丈夫なんだ?』
「いつでもいいけど…」
『じゃあ5月に入っちゃったもんな、31日くらいでいいか、それだったら今からでも間に合う」
「うん、いいよ」
5月31日。
それは俺にとって特別な日である。
あの柳瀬橋の誕生日なんである。
そんな日に逢って何を話すんだろうか。離婚しててごめんね、とか言われるんだろうか。
『じゃあ31日に迎えに行くから』
「ここに来るの?」
『家には戻らなくていいから、…な?』
「うん」
『じゃあこれから当直だから、少し寝るよ。冬至も風邪ひかないようにな』
「…おやすみ」
電話を切って俺は深く息を吐いた。
離婚、してたのか…。
つまり、包丁を持って此処に来た時にはもう、母さんは離婚成立してたってことで、
それがきっかけだったのかな、一緒に死んでくれとか言ってたのは。
やっぱり、うまくいかないもんだなあ、と俺は他人事である。
いくら父さんと母さん、両親の問題ではあるにしろ、
俺はまだまだ子供なのであり、
理解するには経験値が足りない。
「…はは、そっか…」
どんな気持ちで俺を殺しに来たんだろうな、母さん。
どんな気持ちで仕事続けてるんだろうな、父さん。
兄ちゃんたちも何も言ってくれなかったわけだし、
やっぱまだまだ俺は子供なんだな。
だから本当のこと、誰も言ってくれなかったんだ。
そういう中村家の問題が露呈した夜、
俺はぼけっとするしかなかった。
とにかく31日に父さんが迎えに来る、ということだけは結ちゃんに伝えないと。

「結ちゃん」
「…終わったのか」
思いっきりサンドバッグ殴ってるところへ俺は顔を出した。
びっくりした、あんなパンチされたら俺死んじゃうよ。
「その、父さんがな、迎えに来るから、そんで話をしようってことになった」
「…」
「31日、なんだけど」
「中間テスト」
「それは分かってるけど、でも多分午後になるだろうし、
 テスト期間中って部活もないし、時間は大丈夫だと思うけどさ」
「…」
「…うん」
何故か俺はうつむいている。
顔を上げてもどうしようもないと思ったし、
離婚成立!という単語が頭を離れなかったからだ。
「…」
のしのし、と結ちゃんが歩いてくる。
そんでもって、頭を撫でられる。
「…よしよし」

後々、思ったのだが。
結ちゃんなりに慰めてくれるのが、この頭なでなでなんであって、
これで2回目である。
どこまでも不器用だよ、と思いたくなる。
その証拠に、

「あ、」
布団乾燥機のコードに引っかかって勢いよく転ぶところを、
俺はついに見てしまった。

「顔に怪我したらどうすんだよ!馬鹿かお前は!」
「…うん」
不器用な上に、ドジっ子であることを思い知った5月の最終週。

藤原家の食卓Ⅱ

「じゃあ俺も一緒に行っていいかな」
「ほげ」
ご飯をかっこんでいるところで、そう結ちゃんのお父さんに言われて、
俺はむせてしまった。
「31日ならいいよね母さん」
「いいわよ、仕込みがひと段落したらだけど」
「じゃあ決まりね決まり!久々だなあ、中村さんに逢うの」
「あ、あの、」
ご飯の時に喋る問題じゃなかった。
俺は後悔している。
「ちゃんと言わないとって思ってたんだ。冬至君をくださいって」
「え」
「冬至君はもう立派に藤原家の人間だよ。要さんのお通夜もお葬式も出てもらったし、
 結にとってはなくてはならない存在になってるしね。
 この前は本当にありがとう、最期に間に合ってよかった」
おばあちゃんのことは、と俺はひとつ別のこととして見ている。
結ちゃんが泣いたんだ。
不器用で無口で、無表情に近い結ちゃんが、だ。
それほどショックだったことを、俺は防げなかったのかと後悔してもいる。
おじいちゃんに、もうちょっと待ってくれと言うこともできたはずだ。
でもそれを俺はしなかった。
寿命だと言われて、そうなのかと納得してしまった。
結果、このざまだ。
「舞さんのことはもう分かってるよ。冬至君、危なかったね」
「…はあ」
「結も役に立ててよかったじゃないか、無駄にでかいだけじゃなかったね」
結ちゃんが喋ったとは思えない。
母さんが包丁を持ってきたことは、
きっと別のルートからお父さんの耳に入っているんだろう。
だってそうじゃないか。
不器用なこいつが喋れるわけがねえ。

「31日は久々にスーツかな」
「そうねお父さん、サイズ変わってないといいけど」
「変わってないない、日々忙しくせわしなく仕事してるんだからねー。
 そういう母さんこそサイズ変わったんじゃないの?」
「えー?まっさかあ」
「俺たちももういい年だよ?結が16歳なんだからさ」
「そうねえ、結がもう16歳なんですもんねえ。ちっちゃかったのに、
 今じゃ無駄にでかくなっちゃっって」
そりゃでかいよ、193センチもあるんだから。
かくいう俺は、まだまだチビである。
それにしても、この夫婦はよく喋るな…。
結ちゃんが一言も話してないのが、まあ、もう不思議なことではないんだけれど。


「すまない」
離れに戻る時、結ちゃんがまた頭を下げた。
「何謝ってんの」
「親が」
「いいんじゃないの?うるさいくらいでさ。仲いい証拠じゃないのさ。
 うちなんか離婚成立してたんだぜ、もうとっくの昔にさ」
「…」
「あー、その顔は知ってましたって顔だな!」
「…」
「何なの、お父さんといい、結ちゃんといい、何でうちのこと知ってんの?
 俺、何も知らなかったんだよ?」
「…」
駄目だ、だんまりだよ。

手塚先輩

「あれれ、また君ひとりか」
俺は目下、掃除を敢行中である。
それはひとつの目的があるからで、部室を茶室にという夢がある。
茶室、つまりは最終的には土足厳禁、となるのだが、
それをあのトリオは理解してくれるだろうか?

「また先輩ですか、本当に暇ですね」
「うんうん、就職組はね、就職先が決まっちゃうと後は暇なの」
「どこなんですか」
「あ、仕事?消防士」
「え」
「それもね、将来的にはハイパーレスキューっていうか、そういう上位組織に入るのが夢っていうかね」
「…はあ」
父さんと、同じ道か。
同じにならなければいいけど、中村家と。
そんなことを思いながら俺はロッカーの中を片づけている。
結構これ、悪魔の巣だわ。
特に使われていないロッカーの中は蜘蛛の巣だらけで、
取っ手もすごく汚いのである。
カビもはえてるし。
「3人は?」
「チア部に呼ばれて外出中です」
「ほんに、壮人はこき使うねえ応援団を」
「真希先輩とはお付き合いしてるんですよね」
「そうだけど?」
「じゃあチア部に行けばいいじゃないですか、何で応援団の部室訪問するんですか」
あはは、馬鹿だねえ。
そう言って手塚先輩は笑い転げた。
何がおかしい。
「男子禁制、分かる?」
「は?」
「女子の部活ってのは男子禁制ってなってんの。他部との交流は不可、とかいろいろ規則あるけど、
 チア部とか女子水泳部とか、女子だけの部活に男は関わっちゃいけないんだよ」
「ほえー」
「だから部活っていう名目で交流があるのは応援団とチア部だけだよ。そもそもチア部の本当の名前、分かる?」
「知りません」
「チアリーディング部。組体操とかすごいよ、今度見せてもらうといい」
「はあ」
チアリーディング、ねえ。
それにしてもこの人何でも知ってそうだな。
手塚先輩は入り口のところでふんふんと鼻歌を歌いつつ、部室の中を物色している。
何が目的だ?
「何か探しものですか」
「うん、まあ、そうだねえ」
「あのー、はっきりしてくださいよ、俺、そういうグダグダ好きじゃないんで」
「ああそう?じゃあはっきり言うけど」
藤原の制服の第2ボタン、といきなり言われて俺ははてなまーくになった。
「第2ボタン?むしり取ればいいじゃないですか」
「あはは、馬鹿だねえ」
「また言った!」
「かっわいーね、中村君」
「話逸らさないでください」
「第2ボタンってどういう意味か知らないの?」
「知ってますよ、卒業するときとかに好きな人のボタンもらうって、それでしょう」
「じゃあ話が早いじゃないの、ちょうだい」
「はい?団長のならここが団長のロッカーですから、ここ開ければ制服が」

がちゃ、とロッカーを開けようとして、そうそう、鍵がかかってるんだよね、と俺は苦笑する。
誰だって鍵かけてるじゃん、と思うわけで。
「ほら、鍵がかかってるだろ?だから取れないの」
「じゃあ本人に直接言えばいいじゃないですか、ボタンくれって」
「あーもう、本当に可愛いこと言うね、中村君は」
「はい?」
「応援団にまつわるしきたりというか、ルールっていうか、そういうの、知らないんだ?」
「知りませんよ!」
俺はどうせ掃除魔ですからね!と掃除を続ける俺である。
そんな時、だんっと音がして、いきなり手塚先輩が壁ドンならぬ、
ロッカードンをしてきた。
「軽々しく口を聞けないんだよ、団長には」
「…は?」
「俺はね、いいの。OBだし、前団長だし、藤原にいろいろ言えるのは当たり前なの。
 壮人もね、チア部の部長としていろいろ言える。
 勿論、同い年の長谷川と君島も口答えはできなくても、意見は言える。
 でもさ、君は何?たかが1年で、掃除ばっかしてる、お馬鹿さんじゃないのかな」
「…はあ」
「それをさ、全校生徒が口をそろえて言うんだよ?藤原と中村はできてるってさ。
 まるでおしどり夫婦だねって言うんだよ。それ聞いてて面白くないの、分かる?
 今まで上下関係が厳しいことで有名だった応援団が、崩壊してるの分からない?」
八つ当たりかよ、と俺は吐き捨てる。
何ができてるだ、俺がいつ結ちゃんを好きだと言った?
そりゃ、キスはしたさ、その前にエッチもしたさ、
それ以前に、俺はシンデレラとかエサだとか言われてむかついてんだ。
だから先輩にも臆することなく意見も言うし、けなすし、転がしたりしてんだ。
面白くないのはこっちだっつーの。
「つまりは、部活を辞めたことを後悔してるんですね?先輩は」
「うん?」
「団長のままでいれば団長らしく年下の3人を使えたのに、それができないから、
 それをしてる俺が憎らしいってことですよね?
 それこそ馬鹿じゃないですか?辞めたなら今後一切顔を出さないのが、
 それこそがルールじゃないですか?いつまでもねちねちねちねちうるさいんですよ、
 辞めたんだからすぱっと割り切ってくださいよ」
「…」
「ボタンが欲しいなら言えばいいんです、でもボタンくれますかね?先輩のこと、
 団長はどう思ってるのかなんて俺は知らないですけど、
 ボタンなくしたら校則違反ですよ?つまりは新しいの買って付け直すってこともあり得る。
 そんなの本末転倒ってんじゃないですか」
俺がボタン欲しいって言ったらどうなのかな、あいつはくれるのかな。
つか、要らないけど!
「あーもう、火をつけちゃったかなあ俺」
「つけてないですよ、俺は至って冷静そのものですから」
「じゃあこうしよう、中村君」
ぐいっと顎を掴まれる。
この人、またキスしようとか思ってんじゃねえだろな、気持ち悪いんだよ!
「中間テスト、もう始まるよね?それで俺と勝負しようじゃないか。
 正規3教科で勝負しよう」
「3教科?」
「現代文、数学ⅠA、英語の3教科だよ。これは正規教科でさ、総合男子部と総合進学部が、
 共通してやってるやつなんだ。まあいずれはずれてくるけどさ、
 1年の君と、3年の俺が唯一勝負できる今だからこそ、やるべきだと思うな」
「何でそんなこと」
「俺が勝ったら応援団退部して?負けたら俺がいいものあげるから」
「退部って…」
「大丈夫、君は元々吹奏楽部に入りたかったんだろう?応援団を辞めて、吹奏楽部に入れって言ってんの。
 で、俺が負けたら君にいいものをあげる、そして今後一切顔を出さない、それでいいじゃないの」
「…」
どうしよう、と真面目に俺は考えている。
今さら、勉強したところで成績はそうは変わらない。

「分かりました」
「よかった、じゃあ本当に勝負しような」
「思い出しました」
「うん?」
「俺、吹奏楽部に入りたい。応援団でこき使われるのはごめんですからね。ホルンだって宝の持ち腐れだし、
 それに年がら年中団長と一緒にいるの、息苦しいっていうか、最悪っていうか」
「うん?」
「まだ間に合うなら、親友と堂々とセッションできる吹奏楽部に入りたいです。
 勿論、推薦してくれるんですよね?特別に年度途中で部活辞めるんですから、
 吹奏楽部に入れてくれるんですよね手塚先輩!」
俺は迫る。
そうだ、思い出したんだ。本当に。
俺は、柳瀬橋とセッションするのが楽しかったはずだ。
まだあいつは歩行練習でリハビリ中だけど、回復したら部活だってやれる。
そうしたらまた、セッションができる。
あの城善寺先輩ともしてみたいし、近藤とも話がしたい。
「勿論さ!じゃあ約束な!結果が出次第、また報告に来るよ」
「よろしくお願いします」
ははははははははははは、俺はこの無駄な提案に付き合うどころか、
利用しようとしているぞ!
結ちゃんがどんな顔をしようと、長谷川君島ペアが何と言おうと、
俺はシンデレラでもなければ、
エサでもないのだ!

近藤誠

同じクラスに、近藤誠という女子がいる。
吹奏楽部で柳瀬橋と同じ活動をしている、髪の毛の短い人物。
いつもひとりでいて、クラスで浮いているなあとは思っていたけれど、
柳瀬橋の話じゃ俺と話がしたいって言ってたみたいだし、
よし、話しかけてみよう。

「こーんどう」
「…あら、中村君」
「部活、今日から休みだな。テストだもんな」
「それはそうとあなた、馬鹿な提案に乗っちゃったわね」
「え?」
何の話だ?
近藤は肩をすくめて、ため息をついている。
「手塚先輩みたいな人の手に落ちたってことは、本当に馬鹿なのね」
「は?」
「応援団、生存限界ギリギリにしてあなた、本望なの?」
生存限界とは、何ぞや?
近藤はそんな俺を察して、説明してくれた。
「部活ってね、3人が生存限界っていって、3人以上所属していないと廃部になるの。
 うちも危ないんだけど、応援団も危ないでしょ?もし2年の3人のうち1人でも辞めたらどうなるの?
 歴史ある、由緒正しき応援団が廃部だなんて、院長先生がひどくがっかりなさるわよ」
まじか。
俺はそんなことつゆ知らず、という感じで手塚先輩の提案に乗ってしまった。
「まあいいわ、結果は見えてるしね」
「み、見えてんの!?」
「ええ、あなたが勝つ未来を知っているわ」
「俺が勝つの!?」
びっくりである。
手塚先輩も馬鹿なの?
「何故かって?あなた、私に話しかけたじゃない。それが勝つ勝因」
「近藤に話しかけるといいことあんの?」
「ええ。テストに出るところ、私は知ってるから。あなたに教えられるわ」
「ほえー」
どういうこと?と俺ははてなまーくである。
「教科書持ってきて。〇してあげる」
「え、まじ」
「いいから早く」
そんで俺は自分の机に戻って、がさごそと真新しい(新品同様である)教科書を探る。
無地で綺麗である(何もしていないからで)。
「ここと、ここと、ここが全体設問になるの。小問はここから出るから、
 藤原先輩に答えを教えてもらうといいわ」
「…何で結ちゃんが出てくるんだよ」
「いくら不器用でも答えくらいは教えてくれるでしょ?」
「…そこまで読んでるのかよ」
すげえ女子だなあと俺は感心してしまう。
柳瀬橋ってこんな子と一緒に部活、してるんだな…。
まあ、変わった子なんである。

「吹奏楽部に入るためにこの学校に来たんだって、それは分かるけどね、
 もう今さら引き返せないのよ中村君。
 ホルンはいつでも吹けるの、でも団旗はいつでも持てるってわけじゃない。
 体力勝負なのはどっちも同じ。体を鍛えていくのも同じ。
 おいしいご飯とお弁当があるんだから、あとはちょっとだけ背を伸ばして、
 体重増やして、立派な団旗持ちになって」
「…う、うん」
「そうそう、私はクラリネットだから、今度柳瀬橋君と一緒にセッションしましょ。
 場所は音楽ホール、…分かる?」
「分からない」
「だと思った。敷地内の一番北にあるのが音楽ホール。月、水、金はそこで活動してるから、
 あそこなら生徒会も来ないし、セッションできるからしましょ」
「うん、やる、やりたい」
「待ってるわ」
俺は嬉しくなる。
他部との交流は駄目ってあるけど、近藤の話は信じられそうだ。
生徒会がいないところなら、退学にもならないだろう。
「本当にやろうな、俺、楽しみにしちゃうよ」
「私も楽しみにしてる。まずはテストで手塚先輩に勝ちなさい」
「うん、頑張る」
よっしゃあ、頑張ろう。
と、俺は単純なのである。
単細胞なのである。

中村忠則 VS 藤原柊

31日、約束通り、父さんが迎えに来た。
それにも結ちゃんのお父さんはびっくりしていた。
「本当に来れたんですね、忠則さん」
「結城さん、お久しぶりです」
「場所はどこにしましょうか」
「ホテルの部屋をとってあります。会議室みたいなものですけど」
そういうことだって!とお父さんが俺に言う。
「結ちゃんは駄目!家にいてくれ」
「…でも」
「駄目っつったら駄目ね!これは中村家の問題なんだから」
「…うん」

そんなこんなで何故か顔見知りの父さんと結ちゃんのお父さんと、
俺の3人で藤原家を出る。

「父さん、大丈夫?」
「何がだ?」
「なんか…この前の電話の時から思ってたんだけど、すげえ疲れてるって思って」
「はは、さすがだな冬至。もう何年もろくに寝てないこと、ばれちゃってたか」
何年も?と俺は父さんを見上げる。
「そうだなあ、15年は寝てないかな」
「15年!?俺が生まれてすぐじゃん」
「それくらい忙しいってことさ。結城さんにも聞いてないか?父さんのこと」
「聞いてないけど」
「父さんのいる組織ってのは第一に駆け付けるのがモットーでね、
 でもどうしても父さんは助けられないんだ」
「…助けられない?」
バスの中でそんな話をしている。
結ちゃんのお父さんは黙ってそれを聞いている。
「多分、冬至も同じなんじゃないのかなって思う。昔、母さんが言ってたから。
 死んだ人が見えるんだろう?」
「…うん」
「それは父さんからの遺伝だよ。父さんも死んだ人が見えるんだ。
 でもそれじゃ駄目なんだ、死んで居るんじゃもう遅いんだよ」
「…でも、でも、父さんは頑張ってるじゃん」
「頑張ってても、助けられないんじゃ頑張ってないことと同じさ。
 もし、その人たちと話ができたらって思うけど、死んでしまった人を遺族の方々にお返しするとき、
 どうしようもなくふがいないなって思うよ」
「…話が、できるとどうなんの」
「実況見分が楽になるかな。どういう経緯で火が出たのかとか、どうして逃げ遅れたのかとか、
 そういうことを、理由とか原因を知れるじゃないか」
「そっか」

ホテルは駅前にあるビジネスホテルだった。
そこの404号室が、話し合いの場所になった。
普通の部屋かなと思ったんだけど、中を見ると会議室みたいになっている。
まるで面接するかのような、そんな感じの。

「じゃあ結城さん、そちらに座ってください」
「はい」
「冬至はこっちな」
「うん」
こ、これは…!
俺はドギマギしてしまう。
父さんと結ちゃんのお父さんが真向かいで、その横に俺だ。
討論会でもするんだろうかという勢い。

「あ、すみません忠則さん。俺、もう藤原なんで」
「そうでしたね、じゃあ藤原さん」
「はい」
「言いたいことがあるんでしょうから、どうぞ」
「はい」
椅子から立ち上がるお父さん。
そしていきなり土下座をした。
それには俺も見ていて驚いた。

「忠則さん、ここに舞さんがいればもっと簡単にお願いができるんですけど」
「はい」
「冬至君をうちにください」
おいおいおいー!
俺が嫁に行くていじゃないのかこれって!
つか、その台詞、結ちゃんに言わせないところがお父さんらしいよ。
「どれだけ大事なお子さんかということは分かっています。成人なさってるお子さんたちにも、
 いずれ説明をしに伺おうかと話し合っていたところです」
「はい」
「それでも、この4年もの間、俺たちはずっと冬至君を見てきました。
 舞さんにどんな仕打ちをされても、泣いても泣いても怒ることのない冬至君が、
 どんなに健気だったかお分かりになると思います。
 冬至君の気持ち次第だと今は思っていますが、
 どうしても、うちには冬至君が必要なんです」
おいおいおいー!
怖いよ、4年も見られてたとか、ちょっと怖いよー!

「うちには結という息子がいます、その子が去年の11月に言ってくれたんです。
 不器用で無口で無表情だったあの子が、初めて親の前で笑ってくれたんです。
 好きな子ができたって、嬉しそうに言ってくれたのを、今でもはっきり覚えています」
「はい」
「あの笑顔がもう1度見たいと何度思ったか知れません。あの日を境に息子は変わった気がします。
 親ばかなんですが、また見たいんです。結が笑ってくれるのを、そして、
 この前みたいに素直に泣いてくれるのを、当たり前な子供の成長を見届けたいんです。
 冬至君さえよければ、うちに来て欲しいと思っています。
 一緒に、笑って、泣いて、ちょっと怒ったり、困ったりする子供の姿を、
 見ていきたい。
 そしていつか俺たち親がいなくなった時も、同じように」
「…冬至」
「なに」
「母さんがな」
父さんを俺は見る。
父さんは泣いていた。
「絶対お前は婿に行くだろうなーって笑って言ってたんだ。小さい頃の話だ。
 お兄ちゃんたちはもう家庭を持ってて、冬至の生き方には反対はしないと思う。
 むしろ、冬至の選択を賛成してくれる、賛同してくれる。
 お前が決めていいんだ、どうしたいのか、これからどうなりたいのか」
俺が、決める?
何を、決めるというんだ。
「結のことが嫌いでもいいんだ、好きじゃなくたっていい、一緒にいてくれないかな?
 それで、いつか大人になった時、うちに来てよかったって、そう思えるようにお父さん、
 頑張っちゃうからさ」
「…でも」
「冬至が決めていい。もう帰るところもないんだ、このままご厄介になってもいいと父さんは思うよ?」

そう、なのだ。
俺には帰るところがない。
行く場所はあっても、帰る場所がない。
居場所がないと言った時、此処に居ればいいと結ちゃんは言ってくれた。
包丁を向けられた時、助けてくれたのは誰だ。
ひどくお腹が空いていた俺に、ご飯をくれるのは誰だ。

そう、なのだ。
俺には、行く場所がある。
それが、望まれているからこそ、俺は笑って学校に行けるし、
柳瀬橋の心配だってできる。

「父さんはどうすんの」
「俺は今までどおり、仮眠室泊まりだろうなあ」
「そんなんでいいの?あの家、もう誰もいなくなんの?」
「母さんのこと、聞いたのか」
「何?」
「母さん、逮捕されたんだよ冬至」
「…どうして?俺、死んでないよ」
「常習の万引き犯だったところへ殺人未遂ときた。それが知れて、警察に連れていかれたんだ」
まさか、そんなこと。
母さんが、万引き?
そんなの、絶対違う。

「藤原さん、答えを急がないでやってくれませんか。冬至はまだまだ知らないことがあって、
 それを知らないと前に進めないと思いますから」
「俺が何を知らないっていうんだよ」
「父さんたちが黙っていたことがたくさんあるんだ、冬至」
「何、何が俺、知らないの!」
「お前は、母さんの子供じゃないんだ」
「は?」
いきなり、何。
「父さんと浮気相手の子供なんだ、お前は」
「…な、何、何言ってんの」
「まあ、浮気とも言えない間柄だった。…それはおいおい話していこうと思っていた」
そう言って父さんは1枚の写真を俺に手渡した。
「…誰、この人」
「お前の本当のお母さんだ」
「…」
ぺら、とひっくり返すと、後ろに名前が書いてあった。

正岡神田浪、と書かれてある。

「本当のお母さんにつけられた名前で育てたかった。お前の名前は、冬至じゃなくて、
 凪という名前のはずだったんだよ」
「は?何で俺が名前違うとか言われなくちゃならないの」
「もしかしたらと思うけど、冬至、お前、もうひとつ何か変わったことできないか」
「…」
夢の中に、入れること、とか?
「もしそれがあるなら、それが本当のお母さんからの遺伝だよ。
 母さんは全部知って、それが4年前のことだ。だからお前にひどいことをした」
「…」
「藤原さんに聞くといい。父さんが言えるのはこれくらいだから。時間がない」
椅子から立ち上がって父さんがお父さんの肩に手を置いた。
「藤原さん、お願いします。冬至を、お願いしたいんです」
「でも忠則さん、冬至君に選ばせてあげたいと思いますが」
「残念ながら俺には時間がないんですよ。だから冬至をあなたに預けたい」
「…それは、こちらとしても嬉しい限りですけれど」
「冬至、もうお前には帰るところがない。居るべき場所はお前が探せばいい。
 その間、藤原さんのところにご厄介になりなさい」
「…」
「冬至、聞いてるか?」
「あ、う、うん」
「選ばせてくれるならそれでいいんです。まずはこの子の頭を整理させてやってください。
 …時間だ、行かないと」
俺が、置いてけぼりをくらっている。
決めろと言われた、選べと言われた。
でも、いろいろ知りすぎて、知らなさすぎて、何だか怖い。

「忠則さん」

ホテルを出る時、お父さんがそう呼びかけた。

「もし、冬至君がうちを選んでくれたらの話ですが」
「はい」
「冬至君に藤原姓を名乗らせてもいいでしょうか」
「…勿論です」
俺はそれをぐるぐるしていて聞いてない。

「よかった、それだけ確認したかったんです」
「冬至をお願いします」
「はい」



バスに揺られている。
というところで俺ははっとなった。
父さんがいない。
「あ、気が付いた?」
「俺」
「心ここにあらずって顔してたよー。まあ、ここからが問題なんだけどね」
「何がですか?」
「家に帰れるかどうかってことさ」

何事?と俺は首を傾げる。
いつものバス停につくと、結ちゃんが待っていて、
「おかえりなさい」
と俺に言う。
「た、ただいま」
俺は視線を外しながら言う。
その横で、
「ゆいー、迎えに来てくれてありがとー!帰れないところだったよ!」
とお父さんが楽しそうに笑ったりする。

中村冬至 VS 手塚将臣

「ふふふふふふふふ」
俺は返ってきた答案用紙にほくそえんだ。
「近藤さまさまだぜい」
見事、満点とは行かないまでも、俺としては史上最高の点数を叩き出した。
現代文、77点。
数学ⅠA、89点。
英語、87点。
いっつもこれくらいだったらいいのにな、と俺はにやにやしている。

「あ、待っててくれたんだね中村君」
今日も可愛いねと付け足して、手塚先輩が部室にやってきた。
心配そうに結ちゃんが俺たちを見ている。
「いやあ、今回は負けだよ負け!君がここまで頑張るなんてね!愛の力だねえ」
「うるさいですね、俺のやる気が先輩を負かしたんですよ!」
「約束だから、はいこれ、いいもの」
「?」
あ、名簿かな、これ。

「俺の在籍していた当初の応援団名簿だよ。あと部誌ね、部活動日誌。
 これでも読んで、応援団が何たるかを勉強したまえ!」
「どこがいいものなんですかこんなの!」
「応援団がどんなに大所帯だったか分かるよ。それを束ねてた俺の魅力もね!」
「馬鹿か!」
「あははははは、どこまでも可愛いねえ!」
くそう、どこまでも人を馬鹿にしやがってからに。

「いいですか、約束ですからね、もう金輪際ここには来ないって!」
「それはどうかなあ」
「あんたねえ!」

ひとまず、ひとつの山は越えたようです。
そして俺のスキルが上がりました。
レベルアップです。

『部誌を書く人=俺=副団長』

アーユルヴェーダ*拾壱

ごめんなさい…冬至のお父さん、名前ど忘れしました…。
前シリーズから引き継ぎたかったのに、
ごめんなさい!
そしていろいろ冬至を困らせてごめんなさい!
ひとつひとつ、結とクリアしていきます。
これからもよろしくお願いします。

アーユルヴェーダ*拾壱

「かっわいーねえ中村君」 「…あの、掃除の邪魔なんですが」 どこまでも邪魔な人だなと俺は思ってしまう。 いくら就職組であり、将来が決まってしまったとはいえ、 こうもOB面して部室にやってくる手塚先輩は、 何がしたいんだろうか? やっぱり結ちゃんのことまだ好きなのかな?

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更新日
登録日
2019-11-12

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  1. 中村家の問題
  2. 藤原家の食卓Ⅱ
  3. 手塚先輩
  4. 近藤誠
  5. 中村忠則 VS 藤原柊
  6. 中村冬至 VS 手塚将臣