巡る世界、刻む時

バンプ

  1. 序章A
  2. あの日 一の死
  3. あの日 二の生
  4. 序章B
  5. 幕間 神魔裁判所にて
  6. 幕間 悪夢の日々

序章A

 光が瞬いた。黒色のキャンバスに色とりどりの光が思うがままに描いている。
 二人は丘に腰掛けそれを見る。
「どう? 星は綺麗?」
 隣に座る少女に問いかける。
「そうだね」
 透き通った声だ。そしてその声に意思は感じ取れない。あまりにも抑揚がない。
 嬉しいのだろうか、悲しいのだろうか、否、何も感じてなどいないのだろう。
 彼女――シエラは常にそうなのだから。
 光に反射した金色の髪と、赤い目が小さく揺れた。細長い睫毛が何度も上下する。
「もしかして眠い?」
「うん」
 返事をする頃にはもう首が船を漕いでいた。
 めっきり寝ていない、ということはないのだが、これ程穏やかな世界は久しかった。それもあってか夜空の星々が行灯のようにも感じられ、心地よく思っているのかもしれない。だが、警戒を解くわけにもいかない。アイツらがいつ来るのか、それはわからないのだから。
「眠いのはいいんだけどな。まだ答えを聞いてないよ」
「答え?」
「星空を見せた答え」
 満点の星空を見たい。そう願ってみせたのは他でもないシエラだ。それを叶えるためにこの世界のトビラを開けた。この世界が一番の最適だと判断したからだ。その思惑通り星空は燦燦と輝いている。
「疑問があるよ」
「何かな」
「星空はあそこまで色は強くないよ。私の世界では少なくともそうだったもの」
 空を指差し、指摘したシエラに僕は口ごもる。確かにそれもそうではあるけど。
「精霊、ってのが何かしらしているらしい。ユイさんの説明はよくわからなかったよ。でも、綺麗ではあるでしょ」
 そんなことも言われてもなー、と隣で呟く。
 シエラは顔を膝につけ、言葉を続けた。
「それでは答えを述べます」
「どうぞ」
「つまらないね」
 いつだってそうだ。願いを叶えた後の感想は、初めから――二年前の旅を始めた日から何も変わらない。そして、こう続ける。
「次の願いを言います」
「……どうぞ」
「わたしを殺して」
 もう聞き飽きたその言葉は何も動じない。もう慣れ切ってしまった。
「却下。他の願いにしよう」
「えー、ケチ」
「ケチって……」
 その言い草はよくわからない。
「じゃあじゃあ、真人のいた世界に連れてってよ」
「……僕の?」
 と尋ねると、シエラは頷いた。
 まずい。明らかなイレギュラーに困惑する。
 通常は渋々、シエラのしたいこと(本当にしたいのかどうかは不明だ)や見たいことを願う。その中で真人の世界に行ってみたいなんて、今まで一度として願ったことは無かった。
 ここで却下と言えばそれまでだが、折角の願いを無下にするのも躊躇われた。
 立ち上がり、少しシエラと距離を取る。ユイとの会話は出来れば聞いて欲しくないからだ。僕はユイのシニカルな調子に、少しだけ感情的になってしまう節があった。要するに、かっこうの悪いところをシエラに見せたくないだけだ。
 ポケットから携帯電話を取り出す。どういうわけか相手の世界が違おうと通話可能な代物だ。しかしながら番号を登録しているのは一件しかない。この番号はユイへと繋がる。ユイはアイツらからひっそりと僕らをサポートする存在だ。
 メッセージでのやり取りも可能だが、基本的には通話をする。まず彼女は寝ているためメッセージは半日は読まれることもない。悠長にしている時間もないため、着信音でたたき起こし、やり取りをするしかない。
 着信音を切ってやしないかといつも不安になる。
 七回目のコールでようやく繋がった。
「やっほー、女の子の寝起きだよ。喜べ」
「願いを叶えました。変わらず――」
「殺して、って言われたんでしょ」
 僕は黙ってしまう。
「はあ~。溜息出るねぇ、真人クン。普通好きなだけの女の子に対してそんなにするかね。そのカギがあれば君一人どんな世界だっていけるっていうのに」
 首からさげたカギを僕は握った。世界と世界を繋ぐカギだ。これを使えば様々な世界を行き来することができる。
 確かに僕一人でも世界を渡り歩くことができる。一人ならアイツらを振り切ることだって簡単とは言わずとも、今よりは。そんなことは、初めからわかっている。
「でも、決めてますから」
 彼女を救ってみせると。
「はあ~」
 再び大きな溜息をつかれた。
「あの、そろそろ本題に入りたいんですけど」
「はいはい、次の願いね」
「僕の世界に行きたい、と」
 少しの沈黙を置いた上で、ケータイからは爆笑が聞こえ始めた。
「ははははは! 地球って! よりにもよって地球って! はははは!」
 僕はケータイを耳から遠ざけた。こうなるとしばらく止まらない。
 笑い声が絶え始めたのが実に一分は経過していた。
「いやー、そうきたかー。私でも流石に読めなかったわー。具体的な願いは無い感じなんだね」
「はい。とりあえず行ってみようかなと」
「ふーん。で、実際どうなの?」
「どうなのって、何がですか?」
「いやいや分かるでしょ。自分の世界に行くのってどんな気分なのかって」
 僕は眉をひそめた。
「別に何も思ってません――」
「嘘つけよ」

「嘘はいけないね。自分が死んだあの日のこと、鮮明に覚えている癖に。ねぇ、真人クン?」

 死んだ。そう、僕はもう死んでいる。助け出したあの少女は今元気に生きてくれているだろうか。
「前から気になってたんだけどさ」
 ユイの声が沈黙を破った。
 僕は携帯電話を強く握りしめていた事に気づき、一呼吸置いて次のユイの言葉を待った。
「どうして姉を救おうとはしないの? その鍵を使ってしまえば、それでいいのに」
「……それは」
「まさか目の前の少女一人救えずに、姉なんか救えるはずがないなんて思ってないよね」
 僕は答えなかった。再び沈黙を破るのもまたユイだった。
「まあいいや。私も暇なことだし、君の自由ってことで。――さて地球だね。いい場所と時間を指定しておくから、しばらく待っててね。それまで頑張れ~」
 通話を終えた。途端に脱力する。
 見透かされてる。そんな感覚を僕は覚える。
 その深層にある感情を、複雑に絡み合ったものを、ユイは全て見透かすように思えて仕方が無かった。
「……こうしてる場合じゃない」
 急ぎ足でシエラの元へと向かう。
 そして、二人が座り込んでいた場所へと戻ってきたが――、
「……!?」
 シエラの姿が何処にも無かった。痕跡一つ残さず。
 最悪の事態が頭を過る。
「シエラ! シエラ! 居たら返事をしてくれ!」
 反応は、ない。だが辺りを見渡すと妙なことに気がつく。
 林の奥で不自然に葉が動いている。それを見や否や、林まで駆けた。
「――」
「――て」
 声が聞こえた。誰かと話しているのだろうか。真人は上手く聞き取ることが出来ない。
「居るのか、シエラ」
「……大声出さなくても分かるって」
 呼び掛けると葉を頭の上に乗せたシエラが出てきた。
「良かった……」
「随分と焦ってたね」
「あ、いや、それは……」
 自分が思っていた以上に感情的になってしまっていた。気恥ずかしさで、顔をうつむかせた。
「そ、そんなことどうでもいいよ。っていうか誰かと話していた?」
「えっと、木の妖精がね」
 どーたらこーたら、とシエラは濁す。
 まあ今更彼女の奇行を訝しむほど素人じゃない。
「ねぇ。あれって何かな」
 と、僕は視線を向ける。
「っ、隠れよう」
 咄嗟にシエラの手を捕まえて走り去る。
 あれは天使だ。僕たちを捕まえようと動く、天界の使者たち。
 それらに生気はなく、まるで機械だ。僕たちを捕まえることを目的とした機械。しかもそれは一体ではない。何体もの天使が僕たちへと迫りくる。
「まずいな。逃げよう」
 天使の一体がこちらへとやって来た。感づいたわけではないだろうが、急いで踵を返す。右手でシエラを引っ張りながら。
 こういう逃亡は一度や二度じゃない。何度も何度も天使から逃げ切るために、その手を引く。果たしてシエラを救ったところで、意味なんてあるのだろうか。
 ――ないか。どうしようもなく意味など無くて。どうしようもなく自分勝手。
 そんなことは旅が始まったあの日からわかっていたことじゃないか。

あの日 一の死

 ――死にたい。
 ……。

 ――死んで消えちゃいたい。
 ……。

 ――ああ、そうなんだ。
 ……。

 ――真人も、助けてくれないんだね。

「――はぁっ」
 ベットから飛び起きて肺へ空気を送り込む。悪夢だった。
 何度も頭に叩きつけられる悪夢。
「もう許してくれよ」
 その言葉は届くのか。死人に口はないという。それどころか目も耳だってありはしない。
 あるのは遺された人々の想いだけ。
 それが僕の場合後悔だったということだ。
 忘れるべきでないものだとしても、思い出すべきものとは限らない。捨てるべきものでなくても、見えないように蓋をして、誰に咎められるという。
「だから、もう」
 ――出てくんな、姉ちゃん。
 部屋を一瞥する。カーテンから差し込む光はまだ弱い。午前四時ごろといったところか。
 再び僕は眠りについた。

 太陽が弱い光だからといって、決して早朝というわけじゃない。そのことに気づかされたのは、既に短針が真上を指していた頃だった。
 頭上の雨雲を睨みつける。無遅刻無欠席が誇りの僕に大層なことをするじゃないか。雨が降っていないのが幸いだ。僕は急いで自転車を走らせた。
 校門近くに着くと、既に帰宅している者がちらほらといた。
 今日は午前授業だっただろうか。だとするのならとんだ徒労だ。
 けど、折角だ。
 反対方向へと進む自分へ奇異の目が向けられるも、足を止めることは無かった。

 廊下と教室に人気は無い。体育館や運動場から声や音が聞こえてくることを考えると、今は部活動の時間に移項しているのだろう。
 やはり今日は午前授業のようだ。
「うーん、今日って何かあったか?」
「あ! よう真人! 遅かったじゃん」
 と、思考していると突然背後から声がかかってきた。
 振り返ると見慣れた男がそこに立っていた。
「おはよう、渚」
「もう昼だっての」
 この男の名は黒沢渚。この高校ではかなりの有名人だ。
 スポーツ万能、学業秀才、顔面偏差値も高めでおまけにいい奴ときたものだから学校ではかなりの知名度を誇っている。
 そんな男が僕みたいな至って取柄のない人間と親しくなるのだから、人間分からないものだ。まあ、親友とか友情で結ばれているとかそんな間柄じゃなく、腐れ縁のようなものだと思っているけれど。
「その本って……」
 渚が片手に持つ本が不覚にも気になってしまった。
「おお聞いてくれるか!」
 あ、やばい。聞かなきゃ良かったかも。
「これはな、『異世界転生大全』だ!」
 と、表紙をこちらに突きつけてくる。
 方向転換し、部室へ向かうことにした。僕の態度はお構い無しで渚は捲し立てる。
「そもそも異世界転生っていうのは、人の興味を一番そそれるジャンルなのさ。平凡な世界を平凡に生きている凡人が、突然夢のような世界に行き夢のような活躍をするという――」

「――そもそもにこの転生ネタっていうのは、浦島太郎もそれに近いと考えているね。つまりは、古来から人間が好むものは転生一つに籠められていると言っても過言ではない!」
「へー」
 疲れないのかなコイツ。
 人間誰しも欠点がある。この夢にまで見るようなエリートの欠点は、度が過ぎるオタクということだった。彼もそれは承知しているようで、誰しもにこんな姿を見せるわけじゃない。この事実を知っているのは、僕も組する複合部だった。
 複合部とは、漫画研究部、文芸部、美術部が統合された部だ。年々部員の減少で結果、三つ統合となった。僕は美術部に、渚は文芸部に所属するつもりだった。統合された際に僕は渚と知り合い、今に至る。
 扉を開けると、絵具やらパソコンやら漫画のネームやらが机に乱雑に置かれている。まるで獣にでも襲われたようだ。
 人の姿はない。汚いのはいつものこととしてそれはおかしい。少なくとも何人かは屯していていいはずだ。
「ホントに獣に襲われたとか」
「祭りの準備でしょ」
「あ、あー」
 ようやく合点がいく。そうか、今日はその日か。
「鳩村祭り、まさか忘れてたとはいわないよね」
 この村で年に一度の祭り、それが鳩村祭りだ。七月七日。七夕に行われるこの祭りは、大きな賑わいをみせる。
 小さい村だからだろう。大人、子供、村じゅうの人々が一丸となり、この祭りへと乗り出す。
 ちなみに行くつもりない。
「僕は行くけど、真人もどう?」
「今のところ行く予定は無い」
「どう?」
「ないな」
「一緒に行きましょうよ!!」
「耳元で喚くなよ!」
 声、結構大きいんだから。
「で、どう?」
「……分かったよ。行く」
「良かったー」
 と、渚は快活に笑った。これまた裏表の無さそうな笑顔である。裏の顔はとんでもないけど。
「これで、最後の思い出が出来るよ」
「自分で言うなよ。――それくらい、察せれる」
 渚はこの夏を最後に、この村を出ていく。
 都会に引っ越すらしい。理由は父親の出世。なんて単純な理由で、僕たちは引き裂かれるのだろう。
 僕は決して友達は多くはない。人と深く関わることを、僕は拒絶しているからだ。そんな僕に渚は接してくれた。何度も何度も。ついに僕の壁が崩れるころには、きっと絆ができていた。
 そんな渚が最後の思い出だと提案してくるのなら、断れるはずも無かった。
「それにさ、絵の練習にもなるわけじゃん?」
「渚が祭りのシーンなんて入れなければ良かったんだけどね」
「ははっ、ごめんごめん」
 二人とも席に着き、作業を始める。
 渚は文を書き進め、僕は絵を描いていく。
 僕たちはコンビで漫画を描いている。まだまだ未熟な二人だが、得られるものはある。二人で一つのものを作る楽しさは何にだって代えがたいものだ。きっと僕たちは将来ずっと続けていくのだろう。そう、思っていたのだけど。
 キーボードを打つ音とマウスの音だけが響く。
 しばらくすると、その静寂の空間は携帯のコール音でかき消された。
 二人とも一方を見合う。
「……出れば?」
「あ、僕か」
 時計を見る。
 作業を開始して、二時間が経っていた。本当に時間というのは残酷なのだと思う。
 既に起こったことは、永久に残り続ける不可逆の真理。たとえどんなに後悔しようと、取り戻せない何か。それを運命と呼ぶのなら、下らないものだと思う。そして同時に、残酷なのだと思うのだ。
「悪い、渚。少し寝るよ」
「ん、おお。――もしもし?」
 ソファーに横になり、少し痛む頭を擦りながら、眠気に身を委ねていった。
 
 目覚めた。活気ある声がどこからか響く。既に祭りが始まっているのか。
 机には弁当が置かれていた。
『昼飯もまだでしょ。買っておいた。祭りではこの代わりに奢るように! 公園に七時集合な』
 そういった文面だった。
 気がきくのだか、ズル賢いのだか、よく分からない。おそらくどっちでもあるのだろう。
 時計は六時近くを指していた。
 怠い体を起こし、急いで弁当のテープを取っていった。

 鳩村祭りなんて大したことはない。この村一番の行事といったところで、総人口三百人にも満たない小さな村だ。本当に大したことではない。具体的に言うのなら、屋台が五軒並び、子供達は鉄棒だの滑り台だのして遊び、大人達は世間話を交わしながら酒を飲んでいく。ただそれだけのこと。
 少し変わったところをあげるなら、踊りだ。踊り自体はなんてことのないものだ。だが十メートルはあろうかという鉄のモニュメントを囲み、踊る姿は少し不思議で不気味だ。モニュメントの中には火が灯されている。何十人という人の影が作り出される。まあ、これも含め大したことはない。
 時計を見る。既に七時は回った。
 帰るか否か思い悩んでいると、電話がかかってきた。
 相手は思った通り渚だった。
『えーと、まずは……ごめん』
「事情を話してくれ」
 渚が約束をすっぽかすのは相当に珍しいことだった。
『いや、その、もう鳩村には帰れそうにないんだ』
「……何だって?」
 思わず聞き返してしまう。
『向こうに先に住んでたおばあちゃんが倒れちゃって。ちょっとよくないらしくてさ。それで――』
「いいよ。わかったから」
 渚の声が少し震えているから、もう充分だった。
「今日はもう仕方ないけれど、また今度鳩村に遊びにくればいい」
『そこで、提案なんだけどね』
 と、渚は唐突に言った。
『真人に勝負をしかけようかなと思います』
「なんだ突然」
『どっちが先に、プロになれるのか、勝負しよう』
 渚の提案はこうだった。
 お互いプロとしてデビューし、それまでお互い会わない、と。己の技術を磨き、そしていつかまた会おうという。
 僕は絵描きとして、渚は物書きとして。
『だめ、かな』
「……いいよ。その勝負受けて立とう」
『やった!』
「だけど途中で逃げ帰ってくるんじゃないぞ。立派なプロになって、僕たちはまた会おう」
『うん、約束だ』
 通話を終えた。
 見つめた火がより一層強くなった気がした。
 渚が提案した祭りのシーン、書き上げるとしよう。
「何か変な音しねぇか?」
「そうか?」
 不意にそんな会話が聞こえた。
 変な音?
 耳を澄ますと確かに、何か音がする。人が発する音ではない、もっと重い何か――。そうだ。それはまるで、金属の悲鳴のような――。
「お、おい、やばいぞあれ!」
「離れろ!」
 四方で叫び声が連鎖する。
 金属の悲鳴はより明確に耳に届き、原因の予感さえ形作った。
 ――鉄塔だ。
 後ろを振り返る。
 そこには、異様に傾いている、否、傾き始めた鉄塔の姿があった。
 その影は僕の足元に伸ばしている。倒れる。しかも自分の方へ。何たる不運。
 僅かに時間は残されている。脚を大きく二歩だせればまだ助かる距離だ。
 目の前にもう人はいない。早く自分も避けないと――。
 だがその脚は半歩で止まった。
 何故か?
 視界に女の子が入ってきたからだ。女の子の後ろに映るのは、今にも潰そうとする黒の鉄塔。
 女の子はこちらを注視して、逃げようともしない。気づいていないのだろうか。たこ焼きを口へ頬張っている。呑気なものだ。
 このままでは女の子は死ぬだろう。助けたところで、結局は自分が死ぬ。それでは意味が無い。代わりに死ぬ。それは美しくても、きっと正しくはない。
 だから僕は――足を少女へ向けた。
 正しさ、なんてもう自分にはありはしない。人を既に一人見殺しにしておいて、どんな正しさを唱えろという。もう逃げるのは――たくさんだった。
「――!」
 両手で彼女を突き飛ばす。思いの外勢いが出てしまった。声もなく彼女は遠くへと倒れこんだ。
 そうだ。これでいい。
 一瞬の思考の内に衝撃が全身を包み、意識を霧散させた。
 そして――

あの日 二の生

 そして――視界を白が支配していた。
 残念ながらそれは病院の天井の白ではない。シーツの白でもない。
 その白には、距離が無かった。
 どうやらそんな空間に一人、倒れているらしい。身を起こし、辺りを見渡せば、とうとうそこが何も無い世界だと理解した。
 床の概念はどうやらあるようだが、壁は無さそうだ。
 自分は一体どうしてしまったというのか?
「おーい、こっちこっち」
 唐突に声がかかる。振り返ればそこには女性が居た。
 橙色の髪の毛と肌がこの空間だととても映えた。首に鍵のようなものをかけている。彼女の後ろには机があり、その上にはパソコンのようなものが置かれていた。状況が全く読めないアイテム達だ。
 彼女の顔にはニヒルな笑みが浮かんでいる。全く動揺する素振りはなく、それどころかこの空間に慣れてさえいるようだった。
 突然だが、ここでとんでもない失言をすることになる。後から死にたくなるほどの後悔を残す台詞を。
「女神?」
 僕は彼女に対してそう言ってしまった。
 決して彼女から神々しさを感じる訳ではない。美人ではあると思うが、人間離れしている程ではない。この空間が死後の世界を彷彿とさせ、さらには渚の『異世界転生に導いてくれるのは、女神と相場が決まってるのだ!』という言葉から、彼女を女神と誤認してしまった。
 何度も言おう。後悔することとなる。
「はぁ~~~女神ときたか! いやー確かに私は可愛くてスタイル抜群だけどもねー!」
 再三言おう。後悔する。
「あー何か普通に照れてきちゃったけども。さて、自己紹介するとしよう。私はユイ。異世界管理局の一人さ。君の死後をサポートさせてもらう。よろしく」
「あ、あの、今あなた――」
「ユイちゃん、って呼んでよ」
「……ユイさん。あの、今死後って言いましたか?」
 何となく、そんな気はしていた。
「そ、君はもう死んだの。女の子一人救ったついでに、鉄塔に潰れて死んだ」
 そうだ。自分は――死んだんだ。
「そう悲観することはない。君以上に辛く苦しく、不幸なまま死んだものだっている。ちょうど君のお姉さんがそれに当てはまるかな?」
「――!」
「怖い顔しないの。ぜーんぶ結局お見通しなんだからね」
 ユイは以前として笑顔を浮かべている。だけどそこに安心なんてない。一種の恐怖すら埋め込む材料だ。
「真人クン。君には選択肢が二つある。『異世界へ転生』するか、『天界で暮らす』か、だ。異世界転生、という言葉に聞き覚えはあるかな?」
 詳しくは知らないが、渚が熱く語ってきたあの内容と相違は無いだろう。
 僕は頷いた。
「良かった。それなら話が早い。後は実践するだけだね」
「実践?」
 ユイは背を向け、机の上のデバイスに手を置いた。
 パソコンを開き、画面にユイさんは指を躍らせる。じきに画面は青白い光を発する。起動したのだろうか。何らかのページを開いているようだが、よく見えない。
「この装置は中々面白くてね。転生先を検索し、決定することが出来る。そうだなー。『可愛い幼馴染がいて、美人のお姉さん、ツンデレ妹、同クラスには生真面目学級委員に、文学メガネ女子、親は海外出張で一年程不在の世界』と検索しよう」
「何ですかその悍ましい世界……」
 渚なら飛びつきそうな世界だけれど、自分にはごめんだった。
「よっと……はい、これがその類似した世界達だ」
 ユイはデバイスの画面を見せた。
 点だ。点が無数にある。
「そして、ほいっ」
 ユイが点を一つ指定する。
「そしてカギに情報が入ってくる。世界、そのものの情報がね」
 金色に輝くカギを僕に見せた。
「そしてこのカギをくるって回せば簡単にトビラができる。君はその中に飛び込めば、晴れて異世界ライフを楽しめるってことだ」
「トビラ、なんてありませんけど……」
「そこが問題でさ。ちょっと反映に時間かかるんだよ。改善されたカギの作成にとりかかってるらしいんだけど、一向に出やしない」
 結構その時間気まずいんだよねー、と続ける。
「そして後一つ、『天界で暮らす』なんだけどーーこれが中々楽しいんだ。天界は至って普通にコミュニティを築いているのさ」
「……でもここには何も無いみたいなんですけど」
 先程と同様に、この世界に変化はない。白で満たされた世界に、社会なんて見受けられない。
「そりゃだって、ここは天界じゃないからね。君の魂と私を繋ぐ特別な場所だから」
「魂?」
「うん。君はまだ生を受けていない。『異世界転生』と『天界で暮らす』という選択肢は、つまるところ、第二の生をどこで受けるかということなんだよ」
 というわけでだ、とユイは一つ手を叩いた。どうやら、まとめに入るように見える。
「君に大した願いがあるようには見受けられない。なら、選択肢は最早一つだろう? 『天界で暮らす』。それでオッケー?」
「いや……ちょっとぐらい時間が欲し――」
「よし決定! おめでとう!」
 さらにもう一つ手を叩いた。そうすると、白の空間は銀色の壁に塗り変わる。一室に俺はいつのまにか居た。これが生を受けたということだろうか。それにしてはあまり実感の湧かないものだ。
「では、改めて。ようこそ、真人クン。異世界管理局として、ではなく、天界の一人の住人として、君を歓迎するよ」

 理解ができないことが多すぎる。死んだ後の世界があって。カギやらトビラやら異世界転生やらのシステムがあって。今、眼前に広がる景色そのものだって。
「凄いだろー」
 ユイは僕を先導して歩く。
 白の空間から変化したのは銀の空間だった。それはユイの部屋らしい。そこから外へ連れ出されている状況だ。管理局を出る直後に、目の当たりする光景がとんでもなかった。
 人間じゃない何が闊歩している。これはまだいい。問題は、前時代的な現代的な近未来的な、果てには形の判断すら難しい建物の乱立だ。正直、圧倒される。不思議過ぎて、異質過ぎる。正に、『異世界』が目の前に存在していた。
「この天界には様々な世界、時空からやって来る。それは人間だけに留まらない。オークやエルフ、UMAまでなんでもござれさ。そんな超異文化混合コミュニティーが普通な訳がないだろう」
「嘘つきましたね」
「君の驚いた顔が見たかったんだ。それに、私は基本的には嘘つきだぜ」
 ハハハ、とユイさんは笑った。
「さぁ、振り返ってみて」
 後ろを見る、つまり異世界管理局を見ることになるわけだが。まあ、もう動揺しまい。
 銀の縦長の長方体。窓も屋根も無い。というより頂上が見えない。首をいくら上に傾けようと、その頂上が見えることはなかった。
「ここが異世界管理局だ。地味な仕事だから、外見も地味なの。これからは君も……違った、私達管理局員は住み込みで働いているんだ」
「そうなんですね」
 言葉の中に不穏な因子を察したが、触れないでおくことにした。
「そしてあっちに見えるのが」
 ユイさんはまた別の方向を指差した。
「うわ……」
 巨人でも入るのかと疑う程の大きさだ。異世界管理局だって大きいが……あれはもうスケールが違い過ぎる。教会を何倍も巨大化させたような外見で所々に金の装飾がある。ただの建物じゃない。すぐに判断出来た。
「神魔裁判所。その名の通り、悪を挫いて善を助ける。公明正大の神聖な空間だ。神は単純で良いよな。人を平等に助けて、人を平等に罰する。美しいねぇ。笑っちまうよ」
 そういうユイさんの表情は笑ってない。それどころか一瞬冷めた顔つきをしたようにさえ思える。
「神に恨みでもあるんですか?」
「んにゃ? なーいよ。ないない」
 ユイさんは微笑を浮かべていた。
 この人、掴み所が無いというか。何処が本心で嘘なのか分からないというか。
 あの日の姉に、不思議と重なった。
「さて、行こうか」
 再び僕はどこかへと導かれた。

 食堂だ。当然、普通じゃない。
 厨房にいるのは鬼だ。赤鬼。本当に虎模様パンツを着てるんだ……。
 食堂の内装はそれに比べて至ってシンプルだ。所々花もあってオシャレとさえ感じる。
 出された料理は蕎麦だった。鬼のゴツゴツした手で渡された蕎麦は案外美味しそうだった。この世界は、歯車を狂わされる。
「食べな。おいしいよ」
 ユイは性格に似合わず礼儀正しく食べていた。
 食事を終えて二人顔を合わせる。ユイさんは「大事な話をする」と切り出した。
「君の仕事についてだ。この天界に暮らす以上、何らかの職に就かなくてはならない。もしサボったりしたのなら――」
 ユイの言葉を遮って、ドゴンと大きな音が響いた。聞き覚えはある。というより、似ているのだ。鉄塔の軋む音に。
 大きな金属音だった。その音に伴い地響きもする。
 周りには慌てた様子のものは居ない。いつものことだというように変化は見えなかった。
「タイミングぴったし。ほら、あそこを見てごらん」
 ユイは神魔裁判所を差した。
 先程よりも近い距離で見える。それでも五キロ程は離れていると思うが……相当な威圧だった。
 神魔裁判所の扉が開いている。おそらくはそれがこの音と地響きの原因だろう。建物自体大きいのだから、扉だって異常な大きさだ。本当に巨人でも住んでいるのだろうか。というか巨人が入ることもあるのか、この世界なら。
「『天使』って存在がいわば警察。捕まってるのが今回の受刑者。天使は神の使いだ。仕事をサボりなんてしてみろ。すーぐに飛んでくるぞー」
「無職が罪……」
「質が悪すぎるよな全く」
 ユイは溜息を吐く。
「厳しすぎるんだよ。殺人なら捕まったって仕方ないけれども、少しの窃盗さえ許しはしない。パン切れ一つで地獄送りさ。お陰様で今日も天界は平和ですよー」
「……もしかして仕事をサボれないから、嫌ってるんですか?」
「そうかもしれないね」
 さてと、とユイは向き直った。
「天界での仕事選びは第二の人生を左右するものだ。何せ君の命が関わっているんだからね」
「……あの、何にもでもなれるってことでいいんですよね」
「まあ大抵のものは。消防車には流石になれない」
 そんなものにはなれなくていい。でも、具体的なものは何一つ頭に浮かばない。
 将来の夢、どころか、一つのビジョンさえ俺は無いのだ。ああなりたいとか、憧れるとか、そんなものは何一つ無いのだから、頭に浮かぶはずもない。強いて言うなら――画家、とか。あるいは、コンビの漫画家とか。
「見たところ君は積極性とコミュニケーション能力に欠け、さらには地味ときている。そんな君が就くべき仕事といえば――」
「何しようとしてるんですか悪いことは言わないので止めてく――」
「異世界管理局員だ!」
「……」
 そんな気がしてた。本当にこの人は……。
 ユイは手元の紙にさっと異世界管理局員と綴った。その後、『処理』という文字が滲んだように出てきた。
「いようし! 君もこれから局員だ! ってことで後輩クン、ここは奢りたまえ~」
「ユイさん」
「なんだい?」
「ユイさん」
「なんだよう」
「ユイさん!」
「な、何だってば」
「お願いします。どうか地球に、いえ、もうなんだったら何処でもいい! 何処でも転生させて下さい!」
 こんな気分になるのは久し振りだ。
 もちろんこの世界に俺は圧倒されているわけだけれど、一番圧倒してんのはユイさん、あんただ!
「む、無理だって。天界からの逃亡は最も罪が重いんだぞ」
 泣きたいを通り越して、もう何もしたくない。
 渚、俺はとんでもない世界で、とんでもない人物と会ってしまったかもしれない。お前の言う個性が立った女性だぞ、喜べ。
「鍵を下さい!」
「なっ、むぐぐ! させるかっ!」
 この小競り合いはしばらく続くこととなる。

 ユイの行動は理に叶っている。己の欲望の赴くままに動くから。無論、周りは見ない。そのくせ、向こう見ず。
 人間というよりも、動物に近しいと思う。
 どうやら俺を管理局員に就かせたのは、ユイさんいわく『もう一人引き込めばより高い階級になれるの! 管理職! サボり放題わっほい! 許して!』らしい。ちなみに許さない。
 どうやら僕はユイが使っていた部屋を、これからは自分の部屋と扱うことになるようだ。 女性の部屋ではあったのだろうが、女性らしさなんて何もない。銀の壁に覆われた部屋に在るのは、ベッド、窓、テーブル、その上のデバイス。その程度だ。牢獄のようにさえ思えてくる。
 ベッドの上に置かれた管理局員の制服に着替える。白と黒のコントラストが特徴的な制服だった。着心地は案外悪くない。
 そしてカギだ。ユイから渡されたカギを首にかける。紛失すれば大目玉なようで無くさないよう釘をさしてきた。
 テーブルの上に紙が置いてあることに気がついた。
 ユイの言った通りだ。帰路の途中、ユイさんに仕事の流れを聞いた。
『まずは机の上に紙が何枚か落ちていくる。次に来る魂の情報が記載されているのさ』
 紙を手に取ると確かに、人物の情報が載っていた。
 名前、種別、年齢、世界、人生、そして死因。その人の一生そのものだ。まるで、ずっと見ていたというように。
『魂はその五分後に来る。そして状況説明の後、選択肢を与える。簡単だろ?』
 簡単……だろうか。
 次に来る魂は幸いなことに、同じ人間だった。少しだけ安堵した俺を、白の空間が囲んだ――。

 ようやく白の空間から解放された。
 窓に斜陽が差し込む。少し眩みながら、ベットに座る。
 今日、面会した魂は二つ。両方とも、転生を望んだ。
 ユイの言葉を思い出していた。仕事の説明の最後にユイさんはこう言った。『中々面白いよ』と。
 その言葉を聞いたとき、俺は理解できなかった。でも今なら、面会を終えた今なら分かる。
 確かに面白い、と。
 最初の人物は典型的なオタクだった。オタクが転生を望めば、その世界は限られてくるのではないか。そう予想していたが――。
 望んだのは――友人と笑い合える世界だった。
 拍子抜けだ。純粋に、驚いた。
 彼は最後に「ありがとう」と微笑んで、トビラの先へと消えていった。
 感情冷めあらぬまま、次の紙が来た。種別、オーク。
 彼が望んだ世界、それは――ハーレム世界だった。
 これまた拍子抜けだった。予想外を予想していたが、予想通りで驚いた。
 彼は最後に「ありがとう」とニヤついて、トビラの先へと消えていった。
 そんなわけで、僕の今日の仕事が終わった。
 夕暮れになれば、異世界管理局の仕事は終わるとユイは言った。実際に紙は来ない。
 この二回の面会で分かったのは、これは本質を映すということだ。
 面白い。その通りだと思った。



「わたしを殺して」
「は?」
 管理局についてから半年が経った頃だ。特にその間何の契機もなく心変わりもなく、僕は僕のまま天界を過ごしていた。謳歌はしていない。ユイとの非生産的な会話を交えつつ、過ごしていた。辛くもなく、幸せでもない時間が続いた。
 だが途切れる。
 少女の一言で。
「いや……え? 今、殺してって言ったのか?」
 目の前の少女は喋らない。返事は小さな頷きだった。
 真人は逃げ場を求めるように紙を眺める。つまり、目の前の少女の情報を漁ったのだ。
「え、えっと、シエラ、でいいのか?」
 やはり喋らず、今度も頷いた。
 種別は、吸血鬼のハーフらしい。吸血鬼と言えば容姿端麗とはいうが。確かにシエラは、その言葉に当てはまるだろう。
 金色の髪は透き通るようだし、赤目は水晶のように見え、白い肌と整った顔は男を惑わせること間違いない。だが、そうだとしても。彼女は人形のようにしか見えない。美しさをよく人形と例えるが、彼女の姿は文字通り人形だ。目は虚空を見つめる。自分へ目を合わせようともしない。興味すら抱いていないだろう。空気に話しかけているのではないかと思える程だった。
「もう一度説明するとだな」
 と、二つの選択肢を再び伝えようとしたが「いらない。殺して」と呟かれて、遮られた。
 二人の間に沈黙が居座る。
 どうするべきか。その答えを導き出す前に口を開いたのはシエラだった。
「天界へ住めば、死ねるの」
「……寿命はある。殺人だってあるらしい。だから、まあ、死ねると言えば死ねるかな……」
 しどろもどろだ。だって、当たり前じゃないか。
 確かに絶望を抱きやってくる魂は数多だ。元の世界へ返してくれと泣きつかれたことだってある。願いは千差万別でわざわざ辛い世界に行くものもいる。理解はできないけれど。でも、死を選ぶ者は誰一人として居なかった。終わりを望む者なんて、ただの一人も。
「転生は? 死んだらどうなるの?」
「……どちらの選択をしようと、死ねば輪廻転生に回される。つまり、こうして生き返ることはない……けど」
 なんだよこんな会話。死ぬために、死を主軸として話してる。おかしいよ。
「……死にたい」
 ――死にたい。
 重なる。
「……死にたい」
 ――死にたい。
 重なる。無作為に。――無意味に。
「……死にたいんだね。わかったいいよ。この世界に住んでさっさと高いところからでも落ちたらいい」
 心臓がうるさい。いいんだ、これでいいんだ。
 見たくないものには、蓋をすれば――。

 ――真人も、助けてくれないんだね。

 ああ、僕はまた、逃げようとしているのか。
 背負った十字架が重すぎて、ちらつく後悔が重すぎて。俺は何度も、目を瞑ってきた。逃げ出したくなるこの現実に。
 そしてまただ。どうしてまた来るんだよ。
 もう、許してくれよ。
 ――違うのか。俺は、許してもらう存在ではなく、償う人間なのか。償い。
 これは自己満足だ。この子は姉ちゃんじゃない。救ったところで、何にもならない。償ったところで、十字架が軽くなるだけの。それだけに過ぎない。
「……はぁ」
 溜息をつく。決心をつけた。
「出よう。この天界から」
 迷いがなかったわけじゃない。きっと正しい選択じゃない。マニュアル通りに動くなら、どうでもいい世界にでも送ってやればいい。
 でも、しなかった。自分は正しくないからだ。そして、正しくないことを繰り返す。そういう答えだった。
「?」
 シエラは首を傾げた。
「適当に世界を渡り歩こう。それが良い」
 良いわけがない。そんなことは分かってた。
 それでも僕は準備を進めた。白の空間を解除する。
 デバイスに適当に打ち込み、世界を検索し始めた。
 横目でシエラを見ると、未だ理解している様子はではない。気にも留めず、カギに手を伸ばした。このカギは不思議なことにトビラを開く時間を必要としない。ユイに尋ねると「新型がもう出たのかもしれんねー」ということだった。なんにせよ思い立ってすぐ行動できるのはいい。
 だが突然声がかかった。
「何やってるの」
 聞き覚えがある声だ。シエラではないのは明白だった。
「……ユイさん」
 ユイは部屋の中にいつの間にか居た。部屋の扉は開いた気がしない。つまり、ユイは初めから居た。白の空間を展開している間に、この部屋に入ってきていたということだ。ユイは毅然とした態度で構えていた。
「聞こえなかった? ならもう一度言うよ。何をしようとしているの」
 その顔に笑みはある。いつも通りだ。いつも通りだからこそ、怖くなった。
「前にも私は忠告したはず。この天界からの逃亡は重罪。死なんて軽い罰で済むとでも? 死ぬより辛いことになるよ。今なら踏みとどまれるから」
「踏みとどまったら、どうなんですか?」
「見逃す」
 ユイは簡潔に言った。
「……踏みとどまらなかったら?」
「……」
 無言。しかし空白の時間はその答えを伝えるには十分な時間だった。
 鍵を素早く手に取り、トビラを開こうとする。その行動は唐突のものだ。だがユイも即座に反応した。
「甘いね」
「……速いですね」
 ユイは真人と手を重ね、足をかけ床へ押し倒した。
「柊真人。転生悪用で、逮捕~。――と、言いたいところだけど」
 ユイは体を上げた。それどころか手を差し伸べる。僕は戸惑いつつもその手を受け取った。
「君をサポートするよ」
「――はい?」
 今までだってこの人は意味がわからなかったが、今回はいつにも増して謎だ。見逃すどころかサポートするだって?
「この退屈な日々に飽き飽きしていたんだ。是非とも刺激が欲しい。それだけで理由としては充分だろ?」
 それで充分なのはあんただけだ、と内心呟いた。
「はい、これ」
「ケータイ、ですか?」
「そう。これが私と君を繋ぐ。デバイス操作は私が受け持とう」
 ユイはそう言って、シエラに顔を合わせた。
「巻き込んでごめんね」
「……はい」
 シエラは消え入るような声で応えた。
「さぁ、早めに出た方がいい。いつ天使が勘付くか分からないからね」
「ユイさんは?」
「私のことは心配しなくていい。自分の今後の身だけ心配してな」

 準備が整った。鍵でトビラを開く。いざ入るとなると、想像以上の恐怖と不安が募る。
 足を踏み出す直前でシエラが尋ねてきた。
「名前、聞いてもいい?」
「え? あ、ああ。柊真人だよ」
「そう」
 シエラはそれ以降しばらく口を聞かなかった。
 そして、トビラの先へ歩みだす。
 旅の終わりに何があるのか、何が見えるのか。何も知りえないまま旅の一歩を踏み出す。

 ――こうして僕らの旅は始まった。

序章B

 壁は所々に穴が開き、床はほこりにまみれた無人で半壊状態の家。そんな中に僕とシエラは身を隠していた。
 どうにも逃げ出せない状況にあった。天使達が周りをうろついて離れないからだ。未だ家に入ってくることはないが、それも時間の問題だろう。いずれこのままでは発見されてしまう。ならばと行動を起こすのも一手かもしれない。天使の包囲網から一目散に突破する。
 しかし、僕はその案を一瞬で却下した。天使は異常だ。とても人間と同じ尺度では計れない。単純な力はもちろんのこと、その統一性。かくゆうこの状況も巧みな追い込み漁の感覚で作り出されていた。おそらく彼らは僕達がこの家に居ることを察しているのだろう。強行突破しようとしたところで無駄な足掻きだと僕は考えた。
「……くそっ」
 シエラは隣で蹲ったままだ。自分の脳も、最早打つ手なしと音を上げていた。
 カギはまだ世界を反映しない。だが非情にも、何者かが家へと入ってくる。
 とうとう終わりか、と僕は手を壁へ叩き付けた。
「旅の者よ」
 しわがれた声だ。顔を上げると、 藍色のローブを被っている老人がいた。目元は見えない。杖で体を支えながら、僕たちを見下ろしていた。
「こちらに来い。安全な場所まで誘導しよう」
「でも外には天使が……」
「安心せい。早くついてくるのじゃ。それとも捕まりたいかの?」
 僕は老人を信じる他なかった。

 老人は天使達の位置を完全に把握しているかのように動いた。隙間を縫うように、歩いていった。
 木々を抜ける。どうやら天使たちを本当に撒いてしまったようだった。
「ここからまっすぐにいけば集落がある。そこでやり過ごすといい」
「えっと、ありがとうございました」
 頭を下げる。隣でシエラも小さく下げた。
「うむ。それじゃまたの」
「え? 待ってください……よ?」
 まだ名前を聞いていない。そう伝えようとしたのだが。老人の姿はどこにもなくなっていた。足跡一つ残すことなく。
「何だよ……そりゃ」
 夢でもみたのではないかという感覚が頭を埋めた。

「結局……誰だったのかな」
「さあ。神じゃないことは確かだろうな」
 いまじゃ神様に付け狙われる存在だし。
 老人の言われたとおりに行動し、集落までやって来た。天使の姿は見えない。ここなら安全に移動が出来そうだ。カギは世界を反映した。
「さてと……」
 カギを握りしめ、何も無い空間で回す。優しい光が周りから集まってくる。それはいずれトビラを形作った。
 この先に、地球がある。一度目の人生の場所で、一度目に死んだ場所。
 今まで以上にどう転ぶか分からない。だが、不思議と体は軽い気がした。
 そして、踏み入れる。視界は白に塗りつぶされていった。

幕間 神魔裁判所にて

 ――神魔裁判所内一室
 激しい怒号と落ち着いた声音が、そこに混ざっていた。
「二年! 二年もだぞ! たかが脱走者に何を手こずっている!」
 裁神が一柱、ジルが拳をテーブルへ叩き付ける。尋常ではない衝撃が地面を走ったが、それには顔色一つ変えないとある天使が神と向かい合っていた。
「どうか気をお静めください」
「誰のせいだと思っとる!」
「我々は尽力しております。もうしばらくお時間のほどをいただけますでしょうか」
「貴様ッ、いつもそればかりではないか! クソの役にも立たん雑兵共が! だから私は天界に来る前の世界の脱走者を殺せと言っとるではないか!」
 神が言う案は、天界に来る前、つまり第一の生を全うしている彼らを殺す。元を絶ってしまえばいいというものだ。天使はすぐに反論した。
「その段階では彼らは罪を犯していません。天界から逃げた、という罪を背負う者を捕まえなければならないのです」
「ぐ……ヌゥ……」
「それに」
 天使はもう一言付け足した。
「男はいいですが……女は少々難しいかと」
「……それもそうだな」
 神は椅子にどっしりと腰かけた。
「お任せください。計画は順調に進んでおります。必ず捕らえてみせましょう」
「……ふん」
 では、と天使は神へ頭を下げた。
 その口元に卑しい笑みを引き連れて。

幕間 悪夢の日々

 私は幸せだった。
 夢を見る。今はもう叶うことの無いその夢を。
 幼い頃のこと。
「そろそろ誕生日だよなあ」
 父が微笑んでいる。
「そうねぇ。どんなケーキがいいかしら?」
 母が微笑んでいる。
 そして、私も笑っていた。
 幸せだったから。もうすぐ誕生日を迎えるからじゃなく。日々をこの二人と過ごせるから。大好きな、何よりも大好きな、家族と共に生きていれるから。
 それだけで充分だった。もうそれ以上は、願ったことはない。多少はお菓子やおもちゃをねだったかもしれないけれど。この二人とずっと一緒にいたい。その願いを越すものは何も無かった。
 でも、何故、奪っていくのだろう。
 父の死に顔は優しかった。
 母の死に顔は優しかった。
 父も母も最期にこう言った。
『愛してる』。
 私も、愛してる。だから置いていかないでよ。独りにしないでよ。
 父と母の姿が遠ざかっていく。走っても、叫んでも、永遠の距離が間を埋めていた。手を伸ばす。何も掴めない。
 そうして目が覚める。涙が頬を伝っていた。耳に二人の声がいつまでも残る。
 私は幸せだった。とても、幸せだったのだ。
 だから私は願う。再び会えるなら、もう一度会えるなら。「殺して」と。

巡る世界、刻む時

巡る世界、刻む時

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-11-12

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