夏の女神、秋の森と、冬の心臓。やがて、春。

 夏の残骸を、秋にひろったとき、でも、もう、季節は冬に近く、わたしたちのからだは、冬向けのからだへと、変わりつつあって、てのひらにのせた、夏の残骸は、やけどをしそうなほどに、熱く感じられた。
 学校のプールが、うつくしい青を失いつつある頃で、きみが読んでいた、詩人のことばが、いつもならば、よくわからないままでおわっていたのに、そのときだけは、すんなりとはいりこんできて、すとんとおちていったのだった。写真部の、せんぱいの写真が、だれにも評価されないことをふしぎに思ったときの感覚に、似ていた。そういえば、あの、秋のはじめに公園にいた、ワッフルを売るしろくまのことを、どうしてか、きみはおぼえていなくって、わたしだけが鮮明に、かれのことをおぼえていた。公園にいたじゃない、あの、ワッフルを焼いて売ってた、しろくま。と説明すると、きみは、しろくまは動物園か水族館にしかいないでしょ、と、はっきり言いながら、スマートフォンをじっと見ていた。屋上から眺める街の様相が、次第に冬めいてきていることに、理由のないさびしさを感じた。夏の残骸は、あのまま、秋の森に、埋めた。
 ココアがおいしい季節になるね。
 せんぱいが、カメラのレンズからのぞいたわたしを、だれよりもかわいいとほめた日、わたしはせんぱいの恋人になりたかったよ。せんぱいの、ていねいにとかされた長い髪が好きだったし、スカートのすそから伸びる、ひざからしたの、めりはりのあるあしに、あこがれていた。目鼻の形も、お化粧をしていなくても仄かに色づいていた、ほほやくちびるも、すてきだと思っていた。
 せんぱいは、いまは、だれのものでもない、みんなのせんぱいとなって、わたしたちの街を、みまもっている。微笑みを絶やさず、永久に失われない美しさと引き換えに、みんなの神さまに、なった。だから、わたしは、ときどき、この街に住んでいることが、くるしくなる。いやになる。はなれたくなる、けれど、それは、せんぱいともはなれることになってしまうから、よけいに、こまる。
 秋の森に埋めた、夏の残骸が、冬になったらすこしだけ、笑うような気がしている。すこしだけ。

夏の女神、秋の森と、冬の心臓。やがて、春。

夏の女神、秋の森と、冬の心臓。やがて、春。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-10

CC BY-NC-ND
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