欠けてゆく

あおい はる

 都会にひそんで、くらしていた、あの、なまなましくて、つるんとしたものたちが、いつのまにか、いなくなったような気がした頃、星のかたむき、なる現象により、星全体のバランスが、くずれてしまい、ぼくたちのからだに、傷がつくと、傷口から、花びらがあふれるように、なってしまった。
 あの、やさしかった、水族館のイルカたちが、みんな、すやすや、ねむっているあいだに、水槽は、冷凍庫となり、歯医者さんの、しろくまが、せんせい曰く、本来のすがたをとりもどしたそうで、あざらしを、あざらしがこおりついた、水槽を、じっと見つめて、夜な夜な鳴いているという。ぼくの、ひとさしゆびは、きのう、料理をしているときに、あやまって、包丁で切ってしまって、すっ、とできた、細い、月のような傷口から、花びらが、ぶわっ、とあふれた。しろい、花びらだった。
 あかいばかりではない。
 きいろいひとも、むらさきのひとも、いる。あおいひとも。
 ぼくの花びらをみて、せんせいは、きれいだね、と言った。
 きれいだね、と言って、ぼくのひとさしゆびを、くちにくわえて、傷口を、なめた。せんせいの、舌は、つめたかった。熱いと想っていた、それが、つめたくて、ぼくは、おどろいた。なまなましくて、つるんとしたものたちが、ときどき、ぼくの家のやねで、歌をうたっているのが、好きだった。星のかたむきにより、おかしくなってしまった世界で、ぼくらは至極まっとうな恋愛を、強いられることとなる。至極まっとうな恋愛、というやつが、ぼくと、せんせいの関係と異なることは、わかっている。子孫繁栄という標語が、跋扈する世界となってしまった。
 いや、いいんだよ、それは。
 世界を、この星を、未来永劫、つないでゆくためにはひつようなことなのだけれど、その気もないひとをまきこもうとする、もしくは、そうしたくてもできないひとを疎ましくあつかう、社会、というものが、星のかたむきにより、過度に浮き彫りになってしまっている。神さま、いったい、どういうことなの。
 せんせいが、ぼくの花びらをひろいあつめながら、
「あの、歯医者のしろくま、もうずっと、歯科医院を休んで、水族館にいるんだ。ぼく、あした、予約してるんだけどな」
と、ぼやく。
 水族館の、水槽のなかで、イルカも、あざらしも、ついさっきまで元気に泳いでましたよ、という感じで、こおりついている。いまにも動き出しそうなのに、まったく動かないで、歯医者のしろくまは、すっかり憔悴しているらしい。なまなましくて、つるんとしたものたちの声が、かぼそい息が、きこえなくなってしまってから、ぼくはなんだか、世界を形成している部品が、ピースが、ひとつずつ失われているような気がしている。
 すべてなくなったら、きっと、宇宙のもくず。

欠けてゆく

欠けてゆく

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-11-10

CC BY-NC-ND
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