猫背

美他人 猫

猫背

いつものような朝、いつものように目が醒める。俺の体内時計は正確で秒単位迄設定可能である。操作は簡単。寝る前に時計を見て起きる時刻を脳裏に記憶するだけ。



起床には問題無いのだが、希に目が冴えて寝つけない時がある。そんな時は古来より「無限羊勘定睡眠方」と決まっている。作法は難しくない。道具も必要としない。身体ひとつで済む。先ず自分は夜の荒野にいると想像する。季節は暖かい春が良かろう。地べたに楽な姿勢をとり遠くの闇を見ていると。白い点が現れる。こちらに向かってくる。それは1匹の羊で、土煙をあげて走ってくる。かなりの速度だが俺の前でピタリ足を止め伏せる。あっという間に隣りで寝息を立てる。おとなしいものだ。

俺は「1」と数える。こんな塩梅で数えていく。時々色違いもいるが気にしない。山羊も混ざっている。それは数に入れない。大概は200弱で眠りに着ける。



昨日もこの方法で問題なく眠れ、体内時計のタイマーで定刻に起きれた。いつもと同じだが、何かが違う。



俺は洗顔に顔当て歯磨きをしに手洗い場の鏡を覗く。驚愕した。



鏡に映る俺は、すっかり猫になっていた。

恐怖を感じ、直ぐに顔を背けたが。こういう見違いもあるやも知れない。今一度映してみる。猫以外の何でもない。



違和感の正体はこれだったのだ。病気になりたくてなるもの無し。それと同じ、なってしまったものは仕方ない。ともあれ正確に状況を把握したい。まず存在そのものが猫になったのか、視覚が変化して、そう見えているかである。



二足歩行をしているし、手には剃刀が握られいる。猫のあの手で持てるものだろうか。

ふとこんな話を思い出す。人の目は光りの反射を視神経が脳に伝え、脳がそれを解析、修正を行い認知に至るらしい。デジタル一眼レフカメラのようなものだ。正確に言えば人によって見えてるものは僅かに違うらしい。とある実験では完全な暗闇でもひとは自分の手の動きは目で追えると聞いたことがある。月と五円玉の例もある。脳は都合良く修正するものらしい。つまり何らかの理由で解析が大雑把になり猫として認識している線が濃厚である。



仮説を証明してみる。箸も器用につかえ、熱いお茶も適温で頂ける。何の事はない。しばらくすれば治るやもしれないし。最悪、脳外科で輪切りの写真を撮ってもらえば解るだろう。

せっかくだしこの状況下を楽しもう。猫でいるうちに。



街に出た。やはり往来行き交う者は皆、猫である。人であった時は猫は皆似たような顔をしてると思っていたが、全く以て猫になってみると、その猫ゝゝ違う顔をしているのに気づく。



ブティックのショー硝子に映る俺は、猫になっても冴えない男である。



しかし昼前にしちゃあ、やけに日射しが眩しい。眠気も差してきた。色々あって疲れたのだろう無理もない。帰って昼寝でもするか。



目が醒めたのは夕方の5時だった。体が軽い。気分が高ぶる。闇が愛おしい。



それ以来、日に日に、日陽を避け月影を好むようになっていった。仕事も全て夜勤に変えてもらった。



猫になって、2ヶ月がたっていた。最近はお魚が好物になった。刺身ばかり食べている。



そろそろ飽きたし、嫌な予感もする。受付嬢のユキちゃんの顔も見たい。病院へ行く事を決め。市立病院に予約をとった。3日後の午前9時に脳MRI。猫でいられるのも残り僅かだ。何かやり残しは無いだろうか。そういえば猫になって以来、猫を見ていない。猫に見える人は見ているのだが。いままで猫としてみていたものは、どこに消えたのだろう。



検査前日まで注意深く観察したが猫は現れなかった。俺は気になったが諦めて眠る事にした。この頃では睡眠薬を飲まなければ夜は眠れなくなっていた。



目覚ましの音が騒がしい。使い慣れぬせいだろう。うるさいなんてもんじゃない!あれっ何か変だ。目覚まし時計がやけに大きい。体を起こそうにも立ち上がれない、背中が上手く座らない両腕がやけに頼もしく思われ。そのまま俺は4つ足で立ち歩きだす。



悪いことに予感は的中した。こうなってしまったら腹を決めるしかない。猫として生きる事に不思議と迷いはなかった。



でも仲間がいない、この世界で本当の猫は俺だけなのだ。正午の太陽光のように襲いかかる不安と孤独。このような感情を表す形容は人間界には無いだろう。俺は内より溢れるマグマを言葉にならぬ声で吐き出した。

「にゃーお にゃーお」、、、、、、、、、、



「それ以来、猫背なんだよ」

同僚の女性社員に貴重な昼休みの時間、俺は猫背の言い訳をした。

猫背

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-11-10

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