スナイパー

スナイパー

或る月の満ちた夜 一人男が煙草を燻らせ アパートメントの階段の下り口に視線を固めている もう半時もすればターゲットの女がここを降りてくるはずである。女の顔は知らない。萩色のワンピースに老緑のモッズコートという特徴だけ情報屋から聞いている。こんな依頼を受けるとは全く俺らしく無い。100件。そう丁度この仕事で100件目だ。そしてこれが片付けば足を洗える。言っておくが俺は慎重な男である。この稼業ではその性質が最も重んじられる。いつだって俺は不確かな情報は信じなかった。のみならず完全な下準備も行っていた。だが今回はどうだい、服装の他には何一つ解らない。どうしてだろう。それでいいと思ったんだ。ここ半月仕事を遂行できていないこととは関係ない。おとといから飯にありついていないが判断力を欠いてる訳でもない。 ただ最後はこんなカタチにしたいと思ったんだ、最初からそう決めていたのかもしれない。全く、、、俺らしくないよ。その時、夜を切り裂く一陣の風が通りをぬける。ぎぃと扉の開く音がする。ドアの立て付けはすこぶる悪いようだ。事が片付いたら油をくれてやろう。俺は心優しきスナイパーなのだ。ヒールがかかとを鳴らす音が頼りない鉄骨廊下を踏む音に混じり夜に響く。遠くで犬が鳴く。情報通りの服装の女が階段を降りてくる。ついていやがる。あの情報屋やるじゃないか!(ショボくれた男だったが信用してよかった)。男はさっきまでとはまるで別人目はつり上がり眼光は剃刀のよう、プロの顔になっていた。手には獲物が握られている。定石どうり月を背に立つ。降りきったタイミングでやる。風は止まった。今だ! !!! 女が不意にしゃがみ込む。しまった、間合いを外された。この女、プロか?女はヒールの泥を払い顔を上げる。その整った目鼻が月光に照され。俺は酷く狼狽して動けない。予想より、ずっと若い。そして...美しい。女は俺の右手に握られてるポケットティッシュとチラシを取り上げ。再びしゃがんでヒールを拭った。アップに結った巻き髪が立ちあがる時、俺の頬を擦った。プドワールかNO5甘い香りがたつ。

女「駅前に新しい美容院オープンするのねって、これ1ヵ月前にオープンしてるじゃん古っ」

言い残し、

そのまま夜の闇に消えて行った。

俺は気を取り直し鉄骨の階段を上がって1号室から8号室までカニ歩きでドアの蝶板にCRCを注油。そしてまた月夜に煙草を燻らせた。カタチはどうあれ仕事は成就した。クライアントに報告だ。

「今すべて配り終えました。」

クライアント「おせーよ‼ティッシュ100個配るのに何日かけてんだよ!ふざけんなよ」

ガチャ プー プー

遠くで又犬が鳴く。見上げた月がにじむ。

これで明日から、ただの男に戻れる!戻れるんだ!

-完-

スナイパー

スナイパー

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted