あなたの小鳥

 てにのる、ちいさな鳥は、可愛らしく鳴いて、せんぱいは、たぶん、この、ちいさな鳥のためならば、なんでもできる、というくらい、彼女を、溺愛しているのだと思うと、ちょっとだけ、くやしい。

 カジオさん、というなまえのひとが、ときどき、せんぱいのやっているケーキ屋さんをたずねてくるたび、せんぱいのつくるケーキの、生クリームのデコレーションに、わかるひとにしかわからない、びみょうな歪みが、生じる。たとえば、まいにち、プリンを買いにきてくれる、となりの花屋さんの、ヤマグチさんとか、さいきん、週に三日、シュークリームを買いにきてくれる、女の子とか、毎月お誕生日ケーキを予約してくれる、近くの児童養護施設のひととかには、きっと、わからない歪み。いつも、レジカウンターで、せんぱいのつくったケーキを梱包し、販売しているわたしにしか、おそらく、わからない、歪み。
 カジオさん、というひとは、せんぱいよりも年上だというのだけれど、うんと幼い顔立ちをしていて、はっきりいって、三十歳を過ぎているようにはぜんぜんみえないし、うらやましいほどに、まつ毛が長いし、なにも塗ってないはずなのに、ばつばつしてるし、ふわふわのパーマをあてた髪が、わんちゃんみたいで、思わず撫でまわしたくなるし、で、わたしはひそかに、こころのなかで、魔性の男、と呼んでいる。カジオさんがきたあとの、せんぱいは、やっぱり、すこし、どこかおかしいし。ショーケースのなかの、ケーキを、じっとみつめながら、せんぱいは、あの、カジオさん、というひとと、むかし、なにかあったのだろう、と想像できるくらいには。
 せんぱいのつくるケーキは、まいにちみても、あきないほど、宝石みたいに輝いていて、あたりまえだけれど、すごく美味しい。花屋さんのとなりの喫茶店にも、ケーキをおろしていて、そこの常連の、波郎さん、というおじさんも、ひんぱんにケーキを買いにきてくれる。三週間前までは、レモンタルト一辺倒だったのだけれど、ここ何回かは、かならず、チョコレートケーキを選んでいて、しかも、前回は、めずらしく、女のひとと一緒に、きた。女のひとは、おだやかに笑いながら、抹茶のムースケーキを注文した。女のひとは、せんぱいと顔見知りらしく、あいさつをしていたっけ。たしか、ヨシモトさん、というひと。
 せんぱいの、ケーキ屋さんで働くようになってから、せんぱいの、むかしの知り合い、というひとたちと、よく顔をあわせる。もちろん、わたしは、知らないひとたちばかりなのだけれど、せんぱいの、生まれ育った、この町は、せまい町なのだなと、思い知る。わたしの生まれたところは、おおきな街だったので、街で、知っているひとに出くわすことなど、めったになかった。オートメーション化も進み、にんげんよりも、ロボットが多いところでも、あったので。
 だから、夜が、とても細かな粒子で形成されていて、それが散ってゆくと、朝になる、という仕組みを知ったのも、この町に移り住んでからだ。
 わたしの住んでいた街に、夜はなかった。眠っている場所など、ひとつもなかったのだ。街全体が、みんな、眠ることを恐れているかのように、びかびかと明るいところで、夜、というなまえの時間を過ごした。カーテンをしめても、光がまぶしくて、あそこにいたときのわたしは、慢性的な睡眠不足だった。

 てにのる、ちいさな鳥を、せんぱいは大事そうにしながら、じゃあまたあした、と言った。
 きょうは、ケーキ屋さんは、おやすみで、わたしはこれから、冬のバーゲンセールに出かけるところで、せんぱいは、その、ちいさな鳥を連れて、散歩をしていたのだった。
 ちいさな鳥を、めす、ではなく、女の子、と紹介したのが、すこしだけ癪だった。
 カジオさん、というひとに、こころ乱されていると思われる、せんぱい自身のことも、わたしはまだ、よくわかっていないので、それも腹立たしかった。
 けれど、せんぱいは、いつもやさしくて、ぬるま湯みたいなひとだから、なんかもう、そういうのをいちいち気にしてたら、この先もずっと、せんぱいのこと好きでいるのしんどいな、と思うのだ。あの、ヨシモトさん、というひととのことも、お祝い事のたびにケーキを買いにきてくれる、せんぱいの友だちや、知り合いのことも。
(でも、この町にきてからの、わたしは、よく眠れてる)
(眠れてるから、だいじょうぶ)
(あしたになったら、また、わたし、せんぱいが、好き)
 またあした、と微笑んで、わたしは歩き出す。
 せんぱいのてにのる、ちいさな鳥が、ちいさく、みじかく鳴いた。

あなたの小鳥

あなたの小鳥

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-09

CC BY-NC-ND
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