奇妙な執事とじょうおうさま
朝の猫
私には執事がいる。まあ、庶民から見れば驚くことかもしれませんが、当然でしょう。私は白く華やかで、優雅な存在であるもの。
私の執事は少し変わり者だけど、365日24時間ほとんど休みなしで、私の執事をこなしているわ。もう3年になるかしら……。
「サクラ、ご飯ですよ!」
柔らかな王座型のクッションから顔を見上げると、窓の向こう側で太陽が顔を覗かせている。必ず決まった時間に食事を出すことは、執事としては普通よね。
最高級の食事、良質な水、快適な空間……何1つ苦しい事はないのだけど。強いて不満があるとしたら、この執事何を言っているか分からないのよね、ほんと。
物凄く集中して聞き取ってみても、意図が伝わってない。ただ分かるのは、私の衣食住の為に毎日奉公に出ているということ。それから、私にひとめぼれしているってことかしら……ほんと、美しさって罪ね。
食事を食べ終わると、まずは朝のブラッシング。可愛らしい肉球柄のブラシで背中から腰まで丁寧に施される。まあ、私の毛はとっても長いから大変だとは思うのだけど。
毎日ながらに困ったことが1つ……いくら私の毛が白くて服についたら目立つからって、下着1枚だけというのは執事としていかがなものかしら。
私は文句の1つや2つは言っているのだが、もちろん伝わってくれるものでもないし。
起きてしばらくすると、食事と水分の準備をして出ていく執事。まあ、主人として玄関でお見送りくらいはしてあげるけど、朝はゆっくりできないものかしら。
「今日もしっかり励むのよ。もっと高級なデザートを期待しているからね」
声をかけると執事は私の目線に合わせるように、しゃがみこむ。
「何だよ、行ってほしくないのか? 俺だって行きたくないんだが。行ってくるよ」
執事は、私の頬に頬ずりをして嬉しそうに出ていく。
まあ、不快ではあるのだけど何回言っても伝わらないし、執事への給料だと思って我慢することにしている。
部屋の扉がガチャンと大きな音を立てて、静かになるまでの5秒間。それが永遠ではないかと疑うほど長く感じられることが時々ある。
次その音を聞くのは、12時間後。私が生きるために執事は働いているのだから、仕方ないと分かっているのだけれど、この退屈を恨まない日は無い。
いつも少しだけ考えてしまう。次に、その扉が開くことが無かったらどうしようと。また私の毛が黒ずんでいた頃に戻されてしまうのではないかと。
手から柔らかさが伝わるマットで出来たタワーを上り、最上階でうずくまってみるとカーテンが開いた窓から、執事が歩いているのが見える。
いつも通りくたびれたスーツが、見えなくなるのを確認してから、軽くジャンプし床に降りると温かい。
ん~? 不思議だわ。毎年この時期になると、執事が出発してから5分程で、床が凄く気持ちいい温かさになるのよね。
それはもう、意識が飛ぶくらいに。
次に目を覚ました時には、1人で遊ぶとしようかしら……運動も勤めの1つよね。
自分の腕に顔を乗せて、寝る体勢を作る。極力丸くなりながら、床の温かさに集中していく。執事が、無事に帰ってきますように。
夜の執事
夜のコンビニとは、何故か安心するもので毎日のように立ち寄っている。田舎だと、街灯も少なく、闇が広がる道で安心できるのは煌々と光るこの場所位だろう。
早く帰りたい、早く帰りたいと昼間ずっと考えているくせに、さて夜になると道草を食って外で吐き出した煙を見ているわけだから、俺というやつは矛盾している。
25から働き始めて、忙しく食事も趣味もままならない中、まさか俺自身も猫を飼うなんて、思ってもいなかった。忙しさからか、当時付き合っていた交際相手とも疎遠になり、健康診断の結果も異常値のマークが付き始めて、精神的にも肉体的にも限界が近かった俺が、何かを養うなど出来る訳がないと思っていた。
しかし、意外なもので土砂降りが止んだ次の朝に家の近くで鳴き声が聞こえて、彼女と目が合ってしまえば、そんなものは関係なくなってしまっていた。拾わないという選択肢はなく、気が付いたら家族になっていた。
初めて見つけたときは、勿論汚かったが、その目は惹かれる……焦がれる程に美しかった。俺は、目で惚れやすいらしい。困ったもので、恋した相手は人間ではなかったというわけだ。汚くなった体も洗い綺麗にしてやれば、白く美しい毛に青く綺麗な瞳が更に俺を魅了した。
そこから生活は一変した。俺の給料は、彼女の全ての欲求を満たす為に、彼女を幸せにするために。勿論、世話をする俺が万全であることにも使用した。
教師をしている俺は、勿論生徒の為に動くわけだが、その動くためのエネルギーは彼女に他ならない。規則正しい食事、睡眠、適度な運動、そして彼女のおかげで健康が保たれている。
まあ、傍から見たらキャバクラの美人に貢ぐ事や、推しキャラクターの関連商品に貢ぐ事とそう変わりが無いだろう。ただ、それ以上に夢中になっていると自負できる。
まるで高貴な彼女に心を支配されているような、満たされた毎日なのだ。サクラ自身がどう思っているかは分からないが、ただ2人ともお互いがいない生活には戻りたくないと思っていることだけは確かだ。
死んでいた過去には戻りたくない。あそこは地獄だ。生きていない毎日に価値はない。思い出す事すら嫌悪を感じる。
今一番寂しい時は、朝この扉を閉める瞬間で。今一番嬉しい時は、夜この扉を開ける瞬間で。
ギィーっと重い音をたてて、扉を開ければ玄関マットの上に美しく座る彼女がいる。扉を開ける前に、耳をあてても走ってくる音は聞こえないことから、俺が帰る時間を推測して待っているのだろう。
めちゃくちゃ愛おしい……。溜息がこぼれるくらいである。
「あー! もう! 可愛すぎるだろ! いや、美しすぎる。もう、我慢ならない!」
玄関マットの上のサクラにダイブする。お腹の温かさと、フワフワな毛を感じながら思いっきり息を吸い込む、そして吐く……最高に幸せで言葉にならない。
サクラは思いっきり後ろ足で、俺の頭を蹴り蹴りしているが、痛みより愛おしい。
「よし! 補充完了! 俺とサクラの飯を準備するから、少し待っててな」
お腹がすいているのか、足元をちょろちょろとついてくる。
準備の間は、足元で俺が顔を埋めた所を念入りに毛づくろいしている。相当嫌らしい。
後で遊んでやらないと、明日まで根に持たれそうだな。高いキャットフードの上から、液状スティックタイプのおやつをかけてやると、テーブルの横で綺麗におすわりしている。
いやはや、可愛すぎる。このシーンを写真に撮りたいところだが、前に撮ろうとした際、待たせすぎたせいか激おこであった。早く出すに限る。
カリカリという音を聞きながら、自分の食事も摂るこの時間も幸せを感じる瞬間である。なんと、愛おしいことか。俺には勿体ないくらいの幸せである。
週末は給料日だから、彼女の玩具でも増やすか……キャットフードの補充をするか、そろそろ風呂にでもいれるか。悩ましい。毎日が幸せすぎる。
これは、俺とサクラの幸福な日常の物語である。
執事と料理
悩ましい、物凄く悩ましい。
サクラのおかげもあって、自分の食事に気を使うようになると料理スキルが結構身に付いた。そうすれば、俺も何かサクラに作るべきではないのか?
そう! 男の手料理を彼女に振る舞う……素晴らしい。まるでカップルのようじゃないか! いや、カップルではあるのだが。
初めて、サクラを家に入れたとき正直不安だった。必要最低限な物は用意して、病院へ連れて行き、その後向かった先はペットセミナーだった。
流石に猫を飼った経験はなく、そこで食事から何から全て教えてもらった。その時に生肉の選択肢を教えてもらったのだ。
未だに賛否両論はあるものの、健康面や毛並を考えると採用したい。とはいえ、飼った当時は、手間もかかるしと思い、先送りにしてしまっていた。
太ももの上で気持ちよさそうに眠るサクラを撫でながら、PCを開く。肉の種類と調理方法でも調べてみるかな。
撫でるのをやめて、キーボードに両手を移動させる。サクラは突然撫でられなくなったことが不服なのか、俺の左肘に顎を乗せる。
「そ、そういうとこだぞ~!?!?」
胸がぐっと締め付けられるようなキュンキュンに襲われながらも、右手はスマホを探す。今、今撮らなければ!
インカメラをオンにし、顎乗せしているサクラと俺が入るよう画面に合わせシャッターボタンを押す。
また素晴らしい物を撮ってしまった……。いや、それどころではない! 早く撫でてあげられるようにする為にも、調理方法と保存方法を検索しなくては。
とりあえず、まずはデメリットである危険性の再確認。ブックマークしているページを開く。生肉には少なからず寄生虫が潜む可能性がある。
多量に与えるとビタミン過剰摂取で病気になることがある……と。
最大のメリットは、水分摂取による腎臓病予防といったところか。
猫自体が水を必要としなくても生きていける性質のせいで飲む癖がなく腎臓に負担がかかる為、腎臓病になりやすく猫を飼う人にとって一番の恐怖……かくいう俺も、水分をとってもらうために容器等に工夫してきた。
しかし生肉を与えれば、ドライフーズだけより効率よく水分摂取できるに違いない。毛並も良くなれば綺麗好きなサクラも嬉しいだろうし。右手で撫でながら、毛並の良さを実感する。
まあ、調理方法も調べてはみたものの、生肉を食べさせるのだから、予想通り新鮮な肉を清潔な所で切るだけなのだが……。新鮮な肉? やっぱり肉屋か?
さっそく、パジャマのままマンション裏の肉屋に出かける。家を出る時に、サクラが不満そうに話しかけてきていたのは、撫でられ足りないのか何なのか。大変可愛い。
肉屋には、いつものおばちゃんが1人。結露かかったショーケースを覗きこむ。どの部位を買うべきか。
まずは、ささみだよな。あと、鶏胸肉。ついでに馬肉も少し買ってみるか。余れば俺が食べればいいし。
「先生、今日も頭爆発しているわよー? そんなんじゃ彼女に怒られるでしょ?」
肉屋のおばちゃんはいつも俺をからかう。おばちゃんは人をからかうのが趣味なのか?
「俺の彼女はそんなことじゃ怒らないですよ! それより、今日新鮮なのはどれですか?」
とりあえず、早く帰るためにも肉だよ、肉。
「そうね! 今日は鶏胸肉かしら」
「じゃあ、それとささみを100グラムずつで」
今日は試しだ。無理に食べさせてもいけない。サクラが食べなかったことも考えて期待しすぎないようにしないとな。
「はい! おまちどうさま。彼女によろしくね」
おばちゃんにお礼を言って店を出る。早く帰らないと休日のサクラは機嫌をすぐ損ねる。
休日でも変わらず俺が出かければ、玄関でふかふかとした体を丸まらせて待っている。つんけんした部分も多いが、デレは頻繁に感じるような気がする。
急いでご飯にしよう。今日はまず、鶏胸肉とドライフードを混ぜて食べるか実験だ。20グラム程を1センチ角に切っていく。その上からドライフーズをかけて混ぜる。
これは……料理とはいえないような? 気がするが……。
少し緊張する。食べてくれなくてもいいのだが。期待してしまうものだ。
サクラの前にいつもの脚付きフードボウル置くと、いつもと違う見た目に躊躇しながらも鼻を近づけてくれている。ふとお座りして、俺の方を見上げる。
こちらの意図を伺うような目で見つめられると、緊張ようなドキドキを感じてしまう。もしかして……俺の信用をはかっているのか。
「サクラ、食べられるよ。それ、生肉だけど新鮮だから」
犬のように、よしと言ってほしいのかもしれない。
サクラは慎重に食べ始める。カリカリという音の間で、モチャモチャという音が部屋に響く。
食べてくれている。少し安心して、自分の料理を作ろうとキッチンに戻ろうとすると、彼女は食べるのを止める。
「ニャー! ニャッ!」
何かが不満らしい。こういう時は、言葉が通じない彼女という不便さを感じるものだ。
少しフードボウルを彼女に近づけてみるも、プイッと顔を背けてしまう。あまり好みではなかったか。少し残念だが、こちらの押し付けはよくない。
仕方なくみじん切りにした鶏肉に米と卵、レタスを入れてチャーハンを作り、机へ座る。頂こうとした瞬間、サクラが香箱座りから突然立ち上がり俺の膝に飛び乗ってくる。
膝の上へ座り、俺が食べようとしているチャーハンをじっと見つめる。
「いや、流石に塩分的にまずいからな……」
そう声をかけると、顔だけこちらへ振り向く。俺がスプーンを口へ運ぶと、不服そうにジーパンの膝あたりで爪とぎを始めてしまった!
「こら、こら! なんだなんだ。……もしかして調理しているほうがいいのか?」
こちらの言いたいことは分からないとでもいうように、またジーパンに爪を立てようとする。とっさに、柔らかなお腹を両手で持ち床へとおろす。
試してみるか! 先程の残りの肉を硬くならない程度に炙る。それからまたドライフーズと混ぜ、ボウルへ盛り付ける。
「さて、これなら、どうですかね。サクラさん?」
一瞬ドヤ顔のような自慢顔をこちらに向け、すぐさまご飯を口にする。また先程とは違ったカリカリ音が部屋に響く。心なしかいつもより食いつきが良い気がする。
すぐにペロリと平らげると、俺の足へスリスリと体を擦り付ける。これは、サクラが気に入った時にだけする仕草だ。どうやら満足頂けたらしい。
俺の彼女は、グルメさんだからな~! 自然と口元が綻んでしまう。明日も残りの肉に火を通して少しだけ入れてみよう。
ちょっとワガママで、気分屋でたまにしか素直になってくれない可愛い女の子ってのは男なら誰でも惹かれるものだよな。
「なあ、サクラー」
口に出してないことに同意を求めると、運動の時間だと言わんばかりに玩具箱の隣へちょこんと座り込む。
最高に可愛い彼女との生活は、刺激だらけだ。
奇妙な執事とじょうおうさま