満月の夜に

 月の満ち欠けによって、あらわれる、くまの親子は、月の満ちた夜に、かならず、ぼくの住んでいるマンションの、一階にある、喫茶店に、やってきて、たまごのサンドイッチと、ホットケーキを、たべてゆく。喫茶店の、マスターが、だいたい、二十一時頃にあらわれる、くまの親子のために、店を開けておくのである。通常の、閉店時間は、十九時なのだけれど。
 くまの親子曰く、森は、液体化がすすんでいるのだと。
「みずうみに、なってゆくよ」
と言ったのは、こどものくまで、ホットケーキを、むしゃむしゃたべていて、ときどき、たべかすを、ぽろっとこぼす。おとうさんのくまは、たまごサンドを、くまにしては(という言い方は、くまに対して、しつれいなのかもしれないが)、お上品にかじっていて、こどものくまに、こぼさずたべるよう、注意したり、する。マスターであり、ぼくの、おとうさんの、おにいさんでもある、おじさんが、くまのはなしをうなずいてききながら、グラスを、きゅっ、きゅっ、と磨いている。たまたま、くまの親子のあらわれる頃に帰ってきた、ぼくは、くまの親子と、カウンターに並んで座り、ナポリタンを、ちゅるちゅる、すすっている。こどものくまが、ぼくが、麺をすするところを、物珍しそうに覗きこんで、おとうさんのくまに、行儀がわるい、と重ねて、注意される。
「みずうみは、森の色です。さまざまな緑が、まざっています」
 おとうさんのくまが、深刻そうな声を、出す。おじさんも、ぼくも、
はぁ、
へぇ、
それはそれは、
などと、タクシーの運転手さんのようなあいづちを、うつ。
 おじさんのつくるナポリタンは、ウインナーを、おおきめにカットしているから、好き。
 ホットケーキは、もちもちで、たまごサンドの、たまごも、パンにはさまないでも、ばくばくたべられるくらい、おいしい。
 森が、液体化している、というはなしは、くまの親子からしか、きいたことがない。ニュースでみたこともないけれど、でも、くまの親子が言うからには、きっと、そうなのだろうと思う。
 かなしいな、と思う。
 森が、みずうみになってゆく光景を、想い描いてみて、漠然とそう思う。
 ゆくゆくは、この町も、そのとなりの町も、その向こうの、おおきな街も、液体になって、みずうみは、やがて、海と、つながって。

満月の夜に

満月の夜に

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-07

CC BY-NC-ND
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