ぱりぱりと散って、夜明け

 ちくわのあなに、きゅうりをつめたやつって、料理、と呼ぶのかという疑問を、せんせいに投げかけたところ、
「じぶんが料理だと思えば、それは料理なのよ」
という答えが返ってきて、
(なるほど、気持ちの問題か)
と頷きながら、わたしは、せんせいが、料理、をしている手つきなんかを、ぼおっと眺めていた。
 夜は、儚く明けるように、なっている。
 かたすみから、じわじわと、夜が粒子となって、散り、こぼれてゆき、さいごには、朝となり、夜明けとなる。
 わたしのからだ、は、というか、あたま、は、なにかをおぼえても、あたらしいものがはいってくると、おぼえていたものが、にゅっ、と、ぬけてゆくようになっているらしく、その症状が、ひとの名前と、顔で、如実にあらわれる故、わたしは、すでに、家族にも、ともだちにも、見放され、しかし、どうしてか、せんせいのことだけは、縫いつけられているみたいに、あたまのなかに存在し、沈殿してるので、いまは、せんせいとふたりで、暮らしている。
 ちくわのあなに、きゅうりをつめたやつは、マヨネーズをつけて、たべるのだけれど、どちらかといえば、前菜って感じ、よね、と、わたしはつねづね、思っている。せんせいは、夜ごはんのときは、お酒を飲みたいひとだから、米はたべないし、おかずも、ちょこちょこっと、つまめるものしか、たべないし、それが、わたしには、さいしょ、すごく物足りなかった。いまは、なれたけれど。
 夜が散るとき、ぱりぱりと、かすかな音がする。
 せんせいの部屋は、雑然としていて、たくさんのむずかしい本や、標本箱や、洋服なんかが、あちらこちらに山をつくっているのに、せんせいは、そのなかから、いまひつようなものを的確に、山を崩さずに見つけ出せるのだから、すごい。せんせいが、料理だ、といえば、冷奴も、たまごかけごはんも、りっぱな料理であるような気がしてくるから、ふしぎだ。わたしは、もう、おかあさんのことも、おとうさんのこと、おにいちゃんのことも、日が暮れるまで公園で遊んだ、幼い頃のともだちのことも、いっしょに部活をがんばった、ともだちのことも、恋をしたときに応援してくれた、ともだちのことも、その、恋をした相手のことも、みんな、みんな、忘れてしまったけれど、せんせいは、せんせいだけは、わたしのなかに、いて、現実に、いて、ここに、いる。そばに、いる。
 それから、さいきんは、近所のケーキ屋さんの、ナナセさんと、花屋さんの、ヤマグチさんと、アルバイト先の、本屋さんの、みなさんのことを、おぼえたので、おぼえている、ので、もう、わたしのまえに、あたらしいひとがあらわれませんようにって、祈ってる。せっかくおぼえたみなさんのことが、にゅっ、と、ぬけおちませんようにと、祈ってる。夜といっしょに、ぱりぱりと散り、こぼれてゆく、星々に。

ぱりぱりと散って、夜明け

ぱりぱりと散って、夜明け

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-06

CC BY-NC-ND
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