アーユルヴェーダ*仇
これちか
俺、どこに行っても独り言なんかなあ?
そんなこんなでいろいろあったけど、
柳瀬橋の様子も気になる。
だって、ずっと休みだし。
それより何より、死ぬなよ親友。
柳瀬橋袂
「また休みか…」
ゴールデンウィークが終わってもなお、柳瀬橋は学校を休んでいる。
橘に聞いても、僕は分からないとの一点張り。
やはり俺が何とかしないと。
だって親友だもんさ。
「もしもーし」
『…あ、中村だ…』
「おいおい、どうしたよ!もう1週間も休んじゃってさ!」
『うん…』
これは、何か、やばい感じがする。
俺は昼の弁当を食べ終わったところで廊下の端っこから電話をかけている。
便利な時代になったもので、学校の俺と家にいる柳瀬橋が話ができるという。
「今日お見舞い行くわ、大丈夫?」
『あー…』
「何、何!」
『俺、…今、病院』
がーん!と俺は打ちひしがれる。
何、入院してんのかよ!
「じゃあ電話なんか出るんじゃねえよ!」
『電源切り忘れてたー…えへへへ』
「まじで見舞いに行くわ!もう午後早退する」
『うれしー』
どうせ成績の悪い俺は、午後の授業も寝て過ごすだけだったから、
あっさりと早退を決め込んだ。
結ちゃんには言わなくてもいいかな、ソロっと行って帰ればいいだけの話だから。
自転車置き場まで行くと、何故か、何故なのか結ちゃんがぼけっと立っていた。
俺、テレパシーでもできるようになったかな?
「何してんだよ、まだ午後の授業あんだろ」
「…そろそろかと」
「何が」
「お見舞い」
要は、察していたということか。
これまた器用なことやってくれんじゃないの、と思いつつ、
「俺ひとりで行くからいいよ、結ちゃんは教室戻りな」
と言い放った。
結構、俺もむしゃくしゃしているんである。
結局、あれから(キスされた日から)まともに会話をしていないのであって、
今さら何だよという気持ちだ。
そもそも、何を思い悩んでいるのか知らないけど、
それを直接ぶつけてこない不器用さがイライラさせるというか。
「行く」
「だーかーらー」
「行く」
「…はいよ、分かったよ、もういいよ、どうでもいいよ」
こうも押しが強くなると断れない俺である。
がちゃこんと自転車のバーを上げる。
「じゃあついてきて」
「うん」
柳瀬橋袂という人間は、俺の親友である前に、柳瀬橋家の大事な1人息子なのである。
しかし、不思議なことがある。
柳瀬橋の家に遊びに行くのは結構まめだった俺が、
いつも柳瀬橋の部屋で見るものがあるのだ。
まあ、今思えばそれは結ちゃんのおじいちゃんいわく、しにんとの力っていうのか、
死人を見ていたというだけの話になるのだが。
それ、は2人である。
小学生くらいの、男の子と女の子。
そのふたりが柳瀬橋の部屋で俺たちを見ているのだ。
柳瀬橋は気づいてないんだけど、俺にはしっかり見えているから、
中学の時は焦ったものだ。
そう、今から2年前。
柳瀬橋が危篤になった、あの日。
死人であるという予想はできていたけれど、何のために居るのかなどは俺は知らなかった。
知る由もなかったのだけれど、
柳瀬橋が危篤になった時、あのふたりが柳瀬橋の手をぎゅうと握っていたのだ。
それを見て、さああああと血の気が引いた。
あのふたりは、迎えに来ているんだと悟った。
だから、
「まだ早すぎるから!連れて行かないでくれ!」
と俺は叫んでいた。
その時は13歳で、友達になったばかりで、
「もう俺たち、友達じゃないね」
と奴は言ったのだ。
「何、それ」
「もう、親友だと思ってるんだ、中村と俺」
くっせえ、と俺は笑ったのだが、親友という響きがすごく心地よくて、
すごく嬉しかったっけ。
だからそのことを母さんにも報告した。
友達じゃないんだぞ、親友なんだぞ、と。
すると母さんは、
「よかったじゃないの、柳瀬橋君たら本当に可愛いんだから、言うことが」
と笑っていた。
そういう、時代もあったんだ、俺には。
「ここだここ、第一病院」
この街で1番でかい病院だ。
内科や外科の他に産婦人科もあれば精神科、泌尿器科とかその他もろもろある、
1番の機関病院。
そこの脳外科に柳瀬橋は入院していた。
何故それを知りえたのか。
実は電話で最後に柳瀬橋がいつもと違うとこなんだと呟いていたのだ。
いつもは循環器科なのに、今回は脳外科。
そう言うと電話は切れた。
まさにフラグだ。
死ぬな!と俺は思う。
何で、何で、脳外科なんだよ。
結ちゃんがくっついてきて、そのままエレベーターで7階へ上がった。
その間も、無言である。
でも俺はそれより柳瀬橋の容体が気になる。
何でだよ、何で風邪が脳外科なんだよ。
「面会謝絶…?」
嘘、と部屋の前で俺は唸る。
ちょうど通りかかった看護師さんに尋ねてみる。
「あの、柳瀬橋は面会謝絶なんですか」
「柳瀬橋君のお友達?」
「はい」
「そうなの、ちょっと危ないのよね、ご家族の方も入れないの。
せっかく来てくれたのにごめんなさいね」
おじさんたちも入れないのか。
看護師さんが行ってしまってから、俺はぐるっと振り返った。
「結ちゃん、見張っててくれ」
「…?」
「ちょっとだけ中見てくるから」
「うん」
俺が中に入ったのを悟られないようにしてくれ、と言い残して俺はささっとドアを開けた。
鍵はかかってないんだな。
「…おい、おーい」
カーテンが閉まっていて、部屋の中は暗い。
のそっと覗いてみると、ベッドの上で柳瀬橋が伸びていた。
鼻とか腕とか、まさに管だらけ。
どうなっちゃたんだろ、この数日で。
風邪じゃなかったんだろうか。
「…あ」
俺はそこで、見る。
あのふたりが、部屋の奥にいた。
中村冬至
「やっぱりいたのか」
おじいちゃんとも話せたしな、多分このふたりとも喋れるはずだ。
俺はぎゅっと手を握った。
「中村君、お久しぶり。最近遊びに来てくれなかったね」
「それは俺も忙しかったから、」
本当に子供だった。
女の子の方がよく喋る。
「私は柳瀬橋襟、えりって呼んでね」
「俺はもう知ってるよな、さっきも名前呼ばれたし」
「知ってる。中村君、中村冬至君」
襟は幼いというか、外見ではまだまだ小学生の中盤だ。
背も低いし、顔も青白い。
「僕は柳瀬橋袖人、そでとって呼んで」
「…あのさ、ふたりは柳瀬橋の」
俺はようやく真実を知る。
「襟は袂のお母さんで、袖人はお父さんだよ」
まじか、とくらくらしてしまう。
こんな年端もいかない子供が、親だと?
おじさんおばさんは、どういう関係なの?
「中村君には全部教えてあげる。おじさんおばさんって呼んでるのは、
私たちのお父さんとお母さんだよ。だから、袂からすればおじいちゃんとおばあちゃんなの」
「え、…?」
「私と袖人は双子の兄妹なの」
やばい、くらくらする。
だから、なのか?
そういう、血が濃いから体が弱いの?
弱視で、風邪とかこじらせると危篤になっちゃって、
そういう体の弱さは、血が、濃すぎるからなのか?
「襟は体が弱くて学校にも行けなかったんだ。僕は普通だったけど、
交通事故で先に死んじゃってるんだよ」
「だからって…」
「私、どうしても死にきれなかったの。お父さんたちに何か残さないとって、それだけ。
だから袖人と相談して決めたの。そして袂が生まれたんだよ」
「…それって親のエゴじゃねえの、自分の身勝手な話じゃねえの」
子供は親を選べないという世間一般の考え。
俺も、親を選べなかった。
忙しい仕事の父さんと、専業主婦の母さん。
そうだ、父さんには何も言ってない。今、居候してることとか。
それに、兄ちゃんたちにも何も言ってない。
言わないと、心配するだろうか?
「もうね、お別れだよ中村君。袂はもう充分生きたの。
私の分まで一生懸命頑張ったの。ゴールデンウィーク前にね、すんごくいっぱい血を吐いてね、
その前から鼻血も止まらなくて、今はもう歩けないの」
「…お別れって、…そんなの俺はしない!」
「多分、植物人間になっちゃうと思うの。私の最期と同じようにね。
さっきは電話をありがとう。袂、すごく嬉しそうだった。
でももう駄目なの、お別れなの。だから私たちが迎えに来たの」
「…そんなの」
俺が、手塚先輩にキスされたとか、結ちゃんちに居候してるとか、
もはやそんなのどうでもいい次元じゃないか。
柳瀬橋にとっては、この数日間が山だったんだ。
それを知らずに、俺は、何て馬鹿だったんだろう、浅はかだったんだろうか。
「頼むよ、…俺たち、まだ15歳なんだ、今度の5月31日にこいつは16歳になっちゃうんだよ、
俺はまだまだ15歳のままだけど、少しだけこいつ、お兄さんなんだ。
だからさ、誕生日おめでとうって今年も言わせてくれよ、
こいつしかいないんだ、俺を親友って言ってくれたの、友達じゃなくて、親友だって、
こんな俺を…」
「中村君…」
「俺、家に帰っても独り言ばっかで、でも今は違うんだ、結ちゃんちに居候してて、
毎日あったかいご飯食べてんだよ。弁当も作ってくれて、総菜パンから卒業したんだ。
まだそれをちゃんと柳瀬橋に伝えてないんだ。俺のことは心配しないでいいからなって、
家にいなくてもいいようになったんだって、今は居場所があるんだってこと、
ちゃんとまだ伝えてないんだ。だから伝えさせてくれよ、そんで、
もっと自分のこといたわれって、橘と楽しく恋愛しろって言いたいんだよ!」
最後は涙でぐだぐだになってしまった。
「お願いだから、」
がばっと床に正座する。そんでもって額をぐりぐりと床にこすりつける。
「お願いだから連れてかないで、俺、こいつのこと好きなんだよ、
馬鹿だけど、くさい台詞しか言わないけど、大好きなんだ!」
「…襟、袂を見てご覧」
「…」
「一生懸命生きようとしてるよね?昔の襟みたいに」
「…でも」
ひっくひっくしながら俺は頭を下げ続けている。
「もうちょっと待ってみようかな、ねえ、襟」
「…袂は…私の」
「うん、子供だよ。でも、お父さんたちにとっても大切な孫だし、子供なんだ。
それを中村君が代わりに頭下げてるんだよ、
親友っていいなって僕は思うな。僕にも襟にもいなかった、そういう存在が、
こうして袂のこと大好きって言ってくれるんだ、
時間、まだ早すぎると僕は思う」
「…うん」
「中村君」
俺は顔を上げる。
よく見れば、柳瀬橋は父親似だった。
「またこんなふうに危ない時が来るかもしれない。いや、多分来るんだ。
そんな時はまた僕たちが迎えに来るよ。それを邪魔できる君が、
僕は羨ましい。しにんとっていうんだっけ?」
「…うん」
「久々にこうして生きてる人と話ができて僕も、襟も、嬉しかった。
袂のこと、よろしくお願いします」
「はい」
ありがとう、と俺は言う。
そしてふたりがだんだん見えなくなっていく。
多分、また柳瀬橋家に戻ったんだろう。
俺はようやく立ち上がって、ぐしぐしと目元を拭った。
そして入り口のドアを開けて、見張りをしていた結ちゃんにぎゅうと抱きついた。
「…冬至?」
「ちょっとだけ、」
柳瀬橋、お前には好きだと言ってくれる橘がいるよな。
俺にはさ、こんなどうしようもない俺を好きだと言ってくれるくそ美人がいるんだよ。
「結ちゃんんんんんん」
うわーと俺は恥ずかしげもなく泣いた。
もう嫌だ、こんな力。
でも、柳瀬橋を救えたのかな?
俺、やっぱり、どうしても結ちゃんが、甘えさせてくれる結ちゃんのことが。
「…いいこいいこ」
なでなでされつつ俺は確信する。
もう、入学式の日の嫌悪感なんかどこにもない。
手塚先輩にされたことだって、部室に帰れなかった俺は、
多分、全部が全部、結ちゃんに申し訳なかったんだ。
そう、思わざるをえなかったんだ。
俺、多分、いや、絶対、結ちゃんのことが好きなんだと思う。
今さらだけど、誰に肯定はされなくても、
本気で、この人が好きなんだと確信してしまうんだ。
そしていつか今日のことを思い出して、泣けてしまうんだ。
これが、
この気持ちが、
俺の初恋なんである。
手塚将臣
「こんにちは」
む、と俺はしかめっ面をする。
何故にまた部室に訪問してくるかなこの人。
手塚先輩が応援団の部室にまたやってきた。
しかし残念、俺はひとりじゃないんである。
警戒していた?結ちゃんがいるんである。
「おー藤原あ、今日も相変わらず綺麗だねえ」
「…先輩」
「何だい」
結ちゃんが右手を振り上げた。
というか、それはまさしくビンタだ!
「藤原…?」
「…」
「ああもう台詞ぶっとんじゃってるんじゃない?なになに、俺を殴ってどうすんの、
あ、もしかして気づいちゃった?中村君、言わないでって言ったのに」
「あんたねえ、」
俺が雑巾を床に投げつけるのと同時だった。
「真希先輩に謝ってください」
結ちゃんがそう言ってぎりりとにらみつける。
「壮人に?何で」
「冬至に何したかなんて俺は知ってます、それを真希先輩への裏切りだと思わないんですか」
なかなかの長文である。
俺はびっくりしてふたりを交互に見上げている。
「だって好きになっちゃったんだもんさ、中村君のことをさ。そうかそうか、冬至って名前なんだ?
可愛いじゃん」
「先輩」
「壮人はまあ、腐れ縁ていうかさ?ゆくゆくは結婚するだろうとは思う相手だけれどさ、
それまでは俺も遊んでいいと思うわけ。就職先決まっちゃって暇してるしさ、
そもそもこうさせてるのは藤原じゃないの?
去年の春から俺が何度口説こうにもなびかなかった君がさ。
ひとりの人を好きでいるのは難しいんだよ?」
つまりは、この人、遊び人だったんだな…恐るべし。
「冬至」
おいおい、名前で呼ぶなよ結ちゃん。
「お前が選べ」
「選ぶ…?」
「俺か、手塚先輩か」
おいおい、何勝手に修羅場作ってんだよ。
「俺はどっちも知らないって」
「…冬至」
「何を選ぶの?俺が何を選べるの?だって俺、居候じゃん、ただの後輩じゃん、
そんな重要な案件なんか抱えてない」
「冬至」
「いい気になんなよお前、この前のお見舞いの時のこと勘違いしてねえだろうな!」
「…」
「俺は結ちゃんのことなんかぜーんぜん好きでも嫌いでも何でもないんだから!」
「あーららら」
手塚先輩の茶化す声が響く。
「嫌いでもないんだね?じゃあ好きってことじゃないの?なあ藤原」
「…こ、言葉のあやです!」
「じゃあこうだったらどうする?俺がまだ藤原のこと諦めてなくて、
この前みたいに君じゃなくて藤原にキスしちゃったらさ!」
「!」
「いいねえいいねえその顔!本気モードっていうの?中村君、正直になりなよ?
君は藤原が好きなんだろ?だから俺にキスされて気持ち悪かった、違う?」
むむむむむむうむむむむむむ、と俺は唸る。
肯定はしないつもりでいた。
つもりでいる。
だって、そんなこと認めたら、俺の内外が崩壊しちゃうもんさ。
「まあまた来るよ、その時は相手してね中村君」
「誰が!」
「いやまじで、気に入ったわ君のこと」
あははははは、と笑いつつ出て行く手塚先輩。
残された俺と結ちゃんはなんとなく気まずい。
「…結ちゃん、俺はもうとっくに諦めてんだ…選べとか言うなよな」
「…」
「俺はどこに行っても独り言だ、それがお似合いなんだよ」
いいから早くロードワーク行け、と呟いた瞬間だった。
「え、」
手を引かれた。
そしてそのまま、結ちゃんの腕の中にぽすんと収まる。
やだ、とは思わない。
入学式の日は、いきなり押し倒されてそのまま強引に抱かれてしまったわけだけど、
今は違う。
蛇口をいとも簡単に壊してしまう、破壊神が、
ガラス細工でも相手にしているかのようにやんわりと俺を抱きしめる。
「な、」
少し離れたかと思うと、顔が近づいてくる。
「や、やだ、」
「…」
「やだ、したくない、しないでくれ」
ここで結ちゃんとキスしちゃったら俺がどうにかなっちゃう。
「やだ、やだ!」
「…ごめん」
すんでのところで待ったがかけられた。
俺は、あまのじゃくなんだろうか?
藤原結
選ばせるつもりが、迫ってしまった自分に嫌悪感。
好きなんだ、ただ傍に置いて欲しいとだけ、
俺はそう言った。
かつての俺ならば。
でも今は違う。
冬至とキスがしたい。
上塗りじゃないけれど、手塚先輩の痕跡を拭い去りたい。
でもそれ以上に、冬至に好かれたい。
だからこれは俺のエゴだから、強要してはいけないことだ。
そっと冬至を解放すると、
「先に帰る」
と冬至が出て行ってしまった。
どうしよう、どうすればいい?
こんな時、どういう言葉をかければいいのか、分からないんだ。
ああ、また暗転する。
真っ暗の中、もがくこともできずに、
俺は打ちひしがれる。
俺が選んじゃいけないんだ、
選ぶのは冬至なのに。
「ふいー、お疲れさんー」
「結も中村もロードワークさぼって仕方ないですねー」
「長谷川、君島」
俺はこんなに身近に相談できる相手がいながら、それを忘れていた自分にはっとなった。
「どしたの、結」
「何か聞きたいことでもあるんですか」
「教えて、くれ」
アーユルヴェーダ*仇
しにんととして頑張った冬至、でした。
そして結も自分の欲望に目覚めてしまいます。
それでも、なかなかうまくいかないふたりの恋路。
さて、これからどうなるでしょうか?
手塚先輩も結構茶々入れてくれますね!