アーユルヴェーダ*陀

これちかうじょう

  1. 希望的観測
  2. 知らない方がよかったこと
  3. さよならの向こう側
  4. さよならのかわりに
  5. 遠い世界へ
  6. それでも腹が減る

責任を感じて、結に何も逆らえない状態となっている冬至です。
せめて怪我が治るまでは、少しだけ傍に居よう。
そういう感じでいるところへ、
結の両親から思わずすごい提案がなされます。

希望的観測

変なこと、考えてしまった。
柳瀬橋が橘とそういう関係になっているとはつゆ知らず、
俺は俺で自分のことで精いっぱいだった。
あのくそ美人に、守られてしまった。
だからといって、いいなりにはならない。
でも、それでも、俺は結ちゃんに、感謝しているんだ。
命の恩人であることもそうだけど、こうして一緒に眠ってくれることが、
どんなに心理的にあったかいか。
俺はしばらく夜泣きを封印していたが、
母さんが俺を殺しに来た日からまたしばらく、
夜泣きを再開することとなる。
俺、殺されるところだったんだ。
4年も見えてなかったことより、
俺は、もう、母さんには必要のない人間だと思い知らされる今が、
どんなにつらいか。
それを隣で無防備に寝ている結ちゃんが、
どれだけ救ってくれているか。

それが、恋だの愛だのとは違うと思うけれど。


藤原家に来てすぐの話に戻る。
1日目は甘酒でつぶれて話ができなかったが、
2日目にとうとう結ちゃんの両親との面会が叶った。

「え、うちに来てくれるんでしょ?冬至君」
結ちゃんのお母さん、は祥という名前。
さち。見事に1文字だ。
「来る…?」
「結の近くにいてくれるんじゃないの?違う?」
「母さん、いきなりじゃ冬至君もびっくりしちゃうだろう。こういうのは男親が言うもんだよ、
 冬至君、そうだよな?」
何の話をしているんだ?

結ちゃんのお父さん、は柊という名前。
ひいらぎ。見事に1文字だ。

「結が勝手に見つけちゃったお星さまみたいなものなんだ、君はね。
 是非ともうちの子になってくれないかな」
「は?」
「だって中村家はもう破綻してるだろう?お父さんもお母さんも、もういるようでいないようなもので」
破綻、したんだろうか?
俺はぐるぐるする。

「これはあくまでも藤原家の希望的観測だけどね、冬至君がうちに来てくれたら、
 それはもう大歓迎だよ。最初は居候って思っちゃうかも知れないけど、
 もうこれからずっと此処に居ていいんだ。此処が君の居場所になる」
「ちょ、待ってください、俺は」
「決めるのは冬至君だよ」
「…」
俺が、決める?
何を、決めるというんだ。

「とにかくゆっくりしていって。俺たちは仕込みで忙しいからそうそう逢えないけれど、
 今のところ結は暇だから、構ってあげて欲しいんだ」
「…はあ」
「それと結、左手、どうしたんだ」
「…」
あの、これは、と俺はしょぼくれる。
俺のせいで結ちゃんが怪我しちゃったことは、絶対ひっくり返せない真実だ。
「まあいいよ、結が勝手にやったことだもんな、冬至君には何の非もない。
 ゆっくりしていって」

「…結ちゃん…」
ごめん、と俺はまた頭を下げた。
「不便だよな、それより何より痛いよな」
「…」
「俺のせいで、…ごめんな」

俺がここに来たのは、結ちゃんに怪我させるためじゃない。
目録を返して、そのまま帰ればよかったんだ。
それを、いい気になって、
ご飯まで食べさせてもらって、
それなのに、俺は何も返せない。
それが、悔しい。

そんな今でも、結ちゃん、お前は俺のこと、まだ好きなのか?

知らない方がよかったこと

「ゴールデンウィーク、間近だったんだっけか」
そう、ゴールデンウィーク前のわずか1日を、平日の普通の日を、今日迎えている。
学校が休みになる前なので、みんな浮かれている。
「この休み中に吹奏楽部は活動すんだぜい」
「嬉しそうだな」
「だって暇だもん、…ずず」
「おい、風邪か」
「少しね、…ずびー」
応援団はどうだろうか、と俺は考える。
吹奏楽部が活動するのでは、応援団もするんだろうなとか思っていたんだけれど。
放課後、部室へ行ってみるとトリオが見事に答えてくれた。
「ないですよ、休みです」
「せっかくの休みに部活するつもりだったとか笑えねえよ中村」
「…」
1人は普通にだんまりだったが、まあ、言いたいことは一緒だろう。
「今日は曇りだからちょいと距離伸ばすぜ、中村は4キロね」
「頑張るんですよー」
「あ、はい」
ぐぐ、と4キロの壁を感じながら、同じスタートラインに立った時だった。
「よう、元気そうじゃん」
知らない人だ、と俺はぱちくりする。
「藤原は相変わらず美人だなあ、長谷川も君島もよく頑張ってるよ」
「手塚先輩じゃないすかあ、今日はもう帰りですか」
手塚先輩?誰だそりゃ。
しかし、結ちゃんもでかけりゃ、この手塚先輩ってのもでかい。
まあ、それこそ引けを取らない感じのでかさだ。
つか、応援団ってみんな背が高いんだよな。
長谷川君島ペアも180はあるだろう。
俺だけ165センチか…。

「うんうん、帰り帰り。部活抜けてから暇で暇で、…お、1年生入ったんだなあ」
「中村ですよ、あの中村」
「え、まじで?良かったじゃん藤原!」
だから、俺の知らないところでいろいろかましてくれんなやって感じなんですけど。

「お前、ちっちゃいねえ」
笑えねえところ突っ込まれちゃったよ…。
「ああ、俺はね、手塚将臣っていうんだ。応援団の前団長だよ」
「前…じゃあ」
「去年の6月に団長交代しちゃったんだよなあ、耐えられなくて!」
「耐えられなくて?」
それはあれか、きつい部活動について行けなくて、みたいなあれか。
しかし話の方向性は違っていた。
「いきなり脱がれたら鼻血止まらないっしょ」
「は?」
「夏までもたないって、俺の我慢というか精神がね」
「?」
何の話だ?と思いつつ、君島先輩が、
「じゃあ走りますんで、手塚先輩も早く帰った方がいいですよ。また結にやられますから」
「へいへい、じゃあな、中村君」
ぐぐっと背中を押されて俺は走り出す。
「ったく隙がねえなあ、いまだに結のこと狙ってるんだから」
「全くですよ、中村がいるっていうのに…ほいほい、走りますよー」
何それ、と聞く暇がないほど、トリオは速かった。
そして、俺はのろかった。

知らない方がよかったこと、というのが世の中にはある。
それがあの手塚先輩だとは、俺はこれまたつゆ知らずである。
結ちゃんに聞いてもきっとだんまりだと思ったので、走り終わった後、死にそうになりつつ、
俺はペアに聞いてみた。

「手塚先輩は前団長です、つまり、結の前の部長さんですよ。辞めてもうすぐ1年になりますけど」
「自分で言ってただろ、いきなり脱がれたら~って。あれは着替えのこと言ってんの、
 僕たちは平気だけどさ、まあ殆どの生徒がそうだよ、結に脱がれたら卒倒しちゃうのってさ」
「毎回毎回鼻血噴いてましたもんねえ、後輩としてもドキドキしてましたよ。
 出血多量で死ぬんじゃないかって、あはははは」
「まじまじ」

って言いつつ俺たちは着替えをしています。
ちらっと結ちゃんを見れば、まあ、普通に着替えをしていて、
どこが鼻血もんなの?と俺ははてなまーくです。

「結が中村に初恋しちゃってからは結構諦めモードだったんですけどね、
 でもそれが11月だから、6月まで頑張ってた手塚先輩は何だったんだって話でしょう」
「結も罪な奴だよ、…中村、今度チア部行ってみな、応援団の昔話、すんげえ聴けるからさ」
「チア部…ですか」
「部長は真希先輩ですよ、失礼のないようにしてくださいね」
そうか、あの先輩、結ちゃんのこと好きなのか。
チア部に行く行かないより、俺はそっちの方が気になっていた。
ふうん、あの人がねえ。
どっちかっていうと、俺より魅力的な感じしたけど。
背もそれなりに高かったし、年上だし、3年生と聞けばまるで世界が違う人間というか。
少なくとも2年の6月までは応援団で鍛えられてた人だ。
もやしの俺より、結ちゃんにお似合いでは?

「もしもーし」
『あ、中村、どうしたの』
「いや、風邪のこと気になって。おんまえ、すぐ寝込むから」
俺は自転車置き場から柳瀬橋に電話している。
隣には結ちゃんがいるので、そうは長く話せないけれど。
「聞いたら部活、休んで帰ったって言うから」
『ちょい熱が出てさ、部長が帰れーってうるさいの。だからバスで帰った、ずず』
「気をつけろよ、中学ん時と同じになったら俺、やだから」
『気を付けるー、ありがとね、中村』
「おう」
電話を切ってからすぐ、結ちゃんが、
「中学と同じ?」
と聞いてくるので、俺は説明した。
中学2年の時、今日と同じように風邪を引いた柳瀬橋がそのまま肺炎を起こして、
喘息もあいまって入院してしまい、生死の境をさまよったことを。
「この休み中にお見舞い行かなきゃ」
「俺も行く」
「え、いいいい、俺1人で行けるし」
「行きたい」
「…分かったよ」
珍しい。
結ちゃんが我儘というか、自分の意思をはっきり主張するなんてこと。
「それにあいつ、今は自分ひとりの体じゃないんだ。知ってる?橘ってやつとさ、
 どうやらお付き合いしちゃってるみたいなんだ」
「…」
「おじさんおばさんもあいつの体のこと心配してるし、俺ももう嫌なんだ、
 ハラハラさせられんの。俺の力が働くようなことがあっちゃ、
 多分もう俺、立ち直れないから」
死人が見えること。
そして加えて夢の中に入れること。
どっちも、特別扱いみたいで俺は嫌だ。
嫌いだ。
ここまで嫌悪するなんて、思ってもみなかった。
「ほれ、帰ろう」
がちゃこんと自転車のバーを上げる。
「それにさ、俺は全然居候だから。結ちゃんちの子にはなれないよ」
「…」
「いやまじでね」
多分、というか絶対無理だと分かっている。
そういう特別扱いは苦手だし、
それより何より、
知らない方がよかったことが、世の中多すぎる。

さよならの向こう側

「あ、テレビ消し忘れた」
先行ってて、と俺は結ちゃんに言って母屋に戻った。
休み中はどんな天気だろうか、と何気にテレビを見ていた。
ご飯は終わり、片付けも終わり、
結ちゃんは明日のためにお米を研いでいる時だった。

「ったく、あぶねえあぶねえ」
ぴっとテレビを消した時だった。
静寂の中、
「冬至君、冬至君」
と例の声がした。ぞぞぞ、と背中に悪寒が走る。おじいちゃんだ。
「わしじゃわし、覚えておるかの」
「忘れませんよ!」
やだなあ、と俺は振り返る。
居間の横、の縁側のところでおじいちゃんがにこやかに手を振っている。
「ここはわしの特等席でな、ここでよく将棋をぶっとった」
「知ってますよ、結ちゃんの夢の中で将棋してましたもんね」
「ほう、夢にも入れるのかの、冬至君」
「そのようです」
残念ながら、と苦笑する。
「それで、今日はどうして出てきたんですか」
「迎えにな、来たんじゃよ」
「!」
「想像に難くないじゃろうよ、ばあさんのことじゃ]
「そうですか、…結ちゃんかと思ったよ」
びっくりした、と胸を撫でおろす。
「ん?おばあちゃん?」
「そうじゃ、今までは結が可哀想でなかなか迎えに来れんかった。でも今はお前さんがおるじゃろ、
 だからもう潮時だと思ってな、迎えに来たんじゃ」
「…それは、…そう、ですか」
「何も気に病むことはないぞ、これもまた、寿命じゃ」
「はい」
「最後にな、冬至君、お前さんに教えておくぞよ。死人と話せるのは、しにんとであるがゆえ、
 夢に入れるのは、ゆめんとであるがゆえじゃ。どちらも悲観せんでよい、
 それは冬至君の1つの試練でもあり、最高の能力じゃからの」
「しにんと、ゆめんと?」
「まあじきに分かるでな。じゃあ結のこと、頼むぞよ」
「…あ、あの、」

俺は、そういう目にこれからも遭っていくってことか?

「結ちゃん、は」
「名前かの?名付けたのはわしじゃ」
「…どういう意味の」
「魔法じゃ、まさしくな。あの子は父親によお似て無口で不器用じゃ。それでも、
 人と人を結ぶ懸け橋になれるような人間になっておくれという、
 そういう魔法がかかっておる。今はまだ分からなくてもいいんじゃ、
 これもじきに結自身が学んでいく、そういうものじゃ」
「…そうですか」
今の結ちゃんには無理な話だ。
あそこまで不器用で無口な人間に、そんな芸当できっこない。
「ほんに、冬至君はいい子じゃのう。結のこと、頼んだぞ」
「はい」
すうっと消えてしまうおじいちゃんにまたもや悪寒が走ったのだが、
その後すぐに鳴り響いた電話にもびっくりする。
「…で、出なきゃ」
結ちゃんは先に離れに行ってしまっているし、お父さんたちもいない。
誰もいないところで電話に出るのは、少々むずむずする。
「もしもし、藤原です」
『遅くにすみません、クローバーリーフの中谷と申します』
ああ、施設の名前か。
『藤原要様の容体が急変しまして、今すぐいらしてくれませんか』
「はい、すぐに行きます」
『お待ちしております』
人が、居なくなるということ。
そして、俺がそれを見れるようになるということ。
それは同義で、そして絶望に満ちている。
希望なんかないじゃないか。
そういうものじゃないか、人間ていうものは。

俺は走った。
「結ちゃん、結ちゃん!」
だから、俺は希望なんか持ったりしないんだ。
かすかな希望に裏切られた時が怖いから。
絶望と隣り合わせの希望なんか、俺はもう要らないから。

バスがない時間帯なので、タクシーに乗る。
お父さんたちは後から合流ということで、結ちゃんが先に行くことになった。
でも、出かける寸前で手を取られた。
「結ちゃ」
「一緒に来てくれ」
「…うん」
散々遊んでごめん。
左手をやんわり掴んで、俺は結ちゃんにくっついていった。

さよならのかわりに

クローバーリーフという施設は特別養護老人施設というものだった。
しかも、県境にある藤原家から車で20分ほどの、
隣の県にある施設だった。
俺は初めて見る景色にただただ茫然としていた。

施設の中に入ってすぐに待っていた中谷さんと出くわす。
「夜分にすみません」
「いえ」
「こちらです、通常の部屋から移動しておりますのでご案内します」
やっぱり、容体急変とか、そういうことだよな。
自動ドアも手動になっていて、そういう時間帯ってことだ。
午後、9時過ぎのこと。
面会者なんか誰もいない時間帯。

「要さん、お孫さんですよ」
俺にはじいちゃんもばあちゃんもいないようなもので、それは家が遠いってことで、
正月に小さい頃1度だけ行ったことがあるだけで、
他は何もない。
でも、結ちゃんにとっては、おばあちゃんは、母親みたいなものだった。それは夢で知っている。
包丁で指を切った結ちゃんを、少し叱りながらも慰めていたあのおばあちゃんは、
きっと誰よりも優しいんだ。
結ちゃんのことを1番に理解していた、そんな人だ。

「俺ここで待ってる」
部屋の前でそう言うのだが、ふるふると首を振られる。
一緒に来いというのか、ここまで来てもなお。
仕方なく一緒に部屋に入った。
一面真っ白な部屋で、急に目がくらんだ。
夜なのに、昼みたいだ。
「おばあちゃん、」
俺は部屋の入口に立っている。
中央にベッドがあって、そこにおばあちゃんが寝ている。
本来なら管とかいっぱいあったんだろうけど、それはもう全部外されている。
ああそうか、と俺は理解した。
ふと顔を上げれば、おじいちゃんが枕元で手を振っている。
にこやかだなおい、と俺はつっこみたくなる。

「聴覚だけは最期まで生きていますから、話しかけて下さい」
そうは言っても中谷さん、この人不器用で無口なんですよ。
と俺は言いたいのだが、おじいちゃんが振っていた手をおばあちゃんに向ける時は、
何だか心が苦しかった。
「ごめん、ずっと来れなくてごめん」
最期の瞬間というのを、人が死ぬというのを、俺は見ている。
まるでスローモーションだな、と見ている。
腹に包丁が刺さるような、そういうゆっくりさで、時が流れている。
おばあちゃんの手が、結ちゃんの頭に乗った。
結ちゃんが顔を上げる。
それが、終わりだった。



それからすぐにお父さんとお母さんが来た。
「いろいろ話し合うことがあるから、先に帰りなさい」
お父さんにそう言われて、俺と結ちゃんは来た道を戻る。
でも、結ちゃんは泣かない。
俺だったら泣くけどな?
大事な、大切なおばあちゃんだろ?
俺だったら、泣くけどな?

遠い世界へ

5月1日、というのがおばあちゃんの命日になった。
聞けばおじいちゃんは7月1日が命日だそうで、夫婦らしいなと俺は思う。
ちょうど学校が休みになって、しかも部活もないので、
通夜も葬式もどちらも滞りなく参加できるというのに、
結ちゃんはなかなか起きようとしない。
午前4時半には起きるくせに、と俺は1人で起きだして玄関を出た。
「あ、冬至君、いいとこに出てきた出てきた」
お父さんが施設から戻ったところで、いきなり俺に頭を下げた。
「ほんっと、ありがとね冬至君!結が間に合ってよかった」
「い、いえ」
「冬至君にも出て欲しいんだけど、お通夜とお葬式。どう?」
「まあ、どうと言われても…出ますけど、いいんなら」
「よかった、じゃあすぐに結を起こしてきてくれるかな?もう十和子ちゃんも来てくれてるし」
「こんなに早く」
「一ノ瀬家とは同業者ってことで随分親しくしてもらってるからね」
でも、と俺は振り返る。
「結ちゃん、起きないんです」
「え?」
「やっぱりショックだったんだと思いますけど…何も言ってくれないから俺、分からないし」
「そっか…じゃあ冬至君だけでも来てくれる?十和子ちゃんに逢ってくれないかな」
「別にいいですけど」
一ノ瀬先輩とはこれで2度目だな、と思う。
普通に話したのは、今日が初めてになるけれど。

「あら、中村君じゃない、おはよう」
「おはようございます」
「結は?」
「それが、起きないんです」
「え」
「だからと言って無理に中に入るのもあれかと思って、俺だけ起きました」
「相当ショックだったんでしょうね…結はおばあちゃん子だったから…。
 要さんとはね、私も面識があるのよ。12歳の時に倒れてからも、
 結と何度も面会に行ってたの。でもお話もできないし、何しろ体が不自由になったでしょう、
 生きてるのに死んでるのと同じみたいな、そういう寂しさは毎回感じてたわ」

でも、最期、結ちゃんの頭を撫でるみたいな仕草は。

「一ノ瀬家を代表してお悔やみ申し上げます。それにね、中村君。お願いがあるのよ」
「何ですか」
「結を、泣かせてあげて欲しいの」
「え?」
ふふ、と一ノ瀬先輩は苦笑する。
美人はどこまでも美人である。
「あの子、昔から泣いたことなんてなくてね、お庭で転んで怪我しても、包丁で指切っても、
 フライパンで火傷しても、絶対に泣かなかったの。ううん、違うわね。泣くのを知らないっていうのかな、
 それくらい不器用な子だから、だからあなたに惹かれたんだと思うのよね」
「どういう」
「きっと、だけどね、今起きられないのは泣けないからだと思うの。素直に泣ければ、起きられると思う。
 どこででもいいの、泣かせてあげて?あなたが、あなたの言葉じゃなくていいから、
 どうやってでもいいから、本気で」
「ただのショック受けてる人間でしょ、起きられないのは。現実から目を逸らしてるみたいな」
「違うわ。あの子はいつだって、結はいつだって現実逃避なんかしないもの。起きるのが怖いのよ、
 生まれて初めてのことだから、どうしたらいいのか分からないだけ。
 それをあなたが教えるの、こうやって泣くんだぞーって教えてあげて」
「一ノ瀬先輩がやればいいじゃないですか」
何で俺なんですか、と口を尖らせてはみるけれども。

「私にはできないことがあるのよ。神様じゃないんだから、私だって。
 友達にはできないこと、…あなたも心当たりあると思うけれどね」
「…」

俺が、2年前、柳瀬橋にしてやれなかったこと。
それと、今の一ノ瀬先輩が重なる。
俺にしかできないってことか。

「行ってきます」
「ええ、いってらっしゃい」
私はおじさんたちに話をしに行くわ、と一ノ瀬先輩も歩いて行ってしまった。
まるで、遠い世界へ来てしまった感じだ。
中村家を出て、今は俺、藤原家の人間に近いところにいる。
その真っただ中にいる結ちゃんを、俺がどう、泣かせるか。
どう、教えるのか。
「…いくら学年4位でも、分からないものはあるんだな」
あわよくばブービーメーカー的な俺が、
そんな場違いなこと、できるんだろうか?

それでも腹が減る

「結ちゃん、結ちゃん」
のそのそと離れに戻って俺は寝ている結ちゃんを起こしにかかる。
そんでもって泣かせるんだろ、難しいな。
「結ちゃん、朝だぞ、もう6時になるぞ」
まるで死んでるかのような状態だ。
「お前、そんなに俺に入られたいのかよ」
夢の中に入るか、否か。
でもいつもどうやって入っているのか分からないので、方法を知らない。
「結ちゃん」
眠り姫にキスをすると、姫は目を開けて起きるのでした。
って!俺が王子様かよ!
それになんだよなんだよ、俺が何でそんなことしないといけないの。
俺は、俺は!

「腹減ったあー!」
「!」
見事に、結ちゃんが飛び起きた。
そんでもって時計を見て、いそいそと支度を始める。
「…おい」
寝ぐせを直しにかかる。服を着替える。靴下を履く。といった具合に。
「キスじゃねえじゃんかよおー!」
腹減ったという言葉で普通になる?馬鹿か、お前は。

「ご飯、と、味噌汁」
「…」
「魚と、煮物」
「…」
「納豆と、卵焼き」
「…」
驚くほど、いつもの結ちゃんである。
ごっめーん、寝坊しちゃった!みたいな状況に、俺は言葉をなくす。

「…いただきます」
もぐもぐ、と食べ始めると結ちゃんは黙って包丁研ぎに向かった。
あれはあれで実に器用に包丁を手入れするのである。
やはり、おばあちゃんの教えに基づいて、だろうか。
「…」
何だよ、普通じゃねえの。
もぐもぐしながら俺はその背中を見ている。
そして、
「なあ、結ちゃんも一緒に食べようぜ」
といつものように声を掛けた時だった。

がっちゃん

あの不器用男子が、包丁を滑らせたんだろうか。
見事にシンクに包丁が落ちた音がした。

「…」
俺は立ち上がる。
そんでもってもぐもぐしながら手を、その背中に置く。
分かる、これだ。
「結ちゃん、俺しかいないから」
「…ご、めんしか、」
「うん」
「言えなかった、…あり、がとう、と」
言えなかった、と言って結ちゃんは泣いた。
まあ、台所でしか泣けないというのは、料理男子たるもの、
そういう生まれつきなんだろうけど。

ごめんしか言えなかった、ありがとうと言えなかった。

「俺が代わりに言ってやるから、な?」
「…」
それはいともたやすいこと。
目線を居間に戻せば、そこにおばあちゃんがいる。
おじいちゃん、どこ行ったんだよ。
迎えに来たとか言って。
「あなたがおじいさんの言っていたしにんとですか」
「いえ、中村です」
「本当に話ができるのですね、すごいことです」
「…あの、」
「聞きました、聞いてました」
よかった、と俺は苦笑する。

「祖母として、どこに出しても恥ずかしくないような子に育てたつもりです。
 まだ不器用さは抜けませんが、それはもう個性として受け止めてくれることを願います。
 料理と裁縫だけはぴかいちに仕込みましたから、安心してくださいね」
「…はい」
「どうか、結をお願いしますね中村君。…私に代わって、あの子を大事にしてください」
「…」
はい、と俺は頷いた。
「よかった、あの子の不器用さをここまで理解してくれる人はいないと思っていました。
 そうだ、これを差し上げましょう。中村君、手を出して」
「はい?」
おお、と俺は渡されたものを見た。
金色の指輪だ。
「これ、結婚指輪ですか」
「ええ、当時にしては珍しい金なんですけれどね。おじいさんの分もどこかにあると思いますから、
 探してサイズ調整してつけて下さいな」
「へ?俺がですか?」
「それくらい、好きでいてくださってるんでしょう?」
むぐ、と口をつぐんだ。
はいと言ってしまいそうだった。
「あの子は不器用ですけど、それ以上に素直です。どうか、お願いしますね」
「あの、おじいちゃんは」
「はぐれました、どこかで将棋盤を探しているんだと思いますよ」
「はは」
さよなら、とおばあちゃんは言った。
俺は代わりに頭を下げた。
きっと、もう、何もできない。
俺は、これ以上のことはもう何もできっこない。

「結ちゃん、手、出して」
「?」
すっかり泣き止んだ結ちゃんの手に先ほどの指輪を乗せる。
「サイズ直して使ってくれって」
「…?」
「そういう、話!」
おかわりー!
俺は茶碗を掲げた。

アーユルヴェーダ*陀

とうとうおばあちゃんが亡くなりました…。
おばあちゃん子だった結は寂しいんでしょうけど、冬至がいますから大丈夫です。
それに、金の指輪も手に入りました。
お揃いでしたいな…と結は思うんでしょうけれど、
おじいちゃんの分は家のどこかにあるみたいなので、捜さないとですね。

そういうわけで、しにんとゆめんとという単語が出てきて陀は終わりです。
そして出てきましたね、手塚先輩。
これからの展開に必須な人なので、どうかよろしくお願い致します。

アーユルヴェーダ*陀

冬至にとっては結は命の恩人となりました。 憤慨しつつも、逆らえない冬至。 さあ、さらなる展開が二人を待っています。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日 2019-11-05

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著作権法内での利用のみを許可します。

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