給水塔

月らくだ

給水塔

 エリカがやってきたのは午後四時だった。窓の外の街が見たこともないくらい輝いていた。太陽がずっと遠くにあったからだと思う。午後四時。太陽がこの星から最も遠ざかる時間。僕は窓際から遠くの給水塔を見ていた。鳥が一匹、空を横切ってやって来て、その塔の天辺に止まった。僕は指でピストルを作って、その鳥を撃ち落とした。バン。
 と同時に、ドアのチャイムが鳴った。
 彼女はその日、胸元が大きく開いたシャツを着て、双子の林檎みたいに胸を寄せていた。部屋に入ってくるなり、いかにも眠たそうにあくびをする。まるで明け方まで遊んでいたというように。口紅を真っ赤に塗っている。最近の流行りだ。僕の大嫌いな。彼女はソファにぼすんと腰を下ろすと、太ももを露わにした脚を組んで、僕を見た。それから、三人、と言った。手を裏向きに、指を三本立てて。
「ここに来るまでに男に声かけられたの」そう言って、脚を組み直す。「私の実力、わかってくれた?」
「予想以上だね」と僕は言った。
 彼女はふんと鼻を鳴らしながら、得意そうに横顔を見せて言った。「その内一人は結構かっこよかったんだから。背も高かったし」
「ついていけばよかったじゃないか。その、二人の内の一人に」
「三人」と彼女はすかさず訂正した。
「ああ、ごめん。三頭の中の一頭に」
「三人!」
 彼女は、はあ、とため息をついた。
「あなた、私がついていっていいの?」
「君の人生だ。好きにすればいい」
「あなたっていつもそういう態度ね」と彼女はふくれて言う。「ねえ、私達って何なの?」
「紅茶でも飲む?」僕はその言葉を無視して、キッチンに向かいながら言った。
「あなたは何飲むの?」
「ビール」
「じゃあ、私もビール」
「十八歳に飲ませるビールはない」
「明後日で十九だし。十九歳に飲ませるビールならあるでしょ」
 僕は冷蔵庫からハイネケンを二缶取り出して、一缶を彼女に放った。彼女は両手で上手くキャッチした。
「ねえ、誕生日には何してくれるの?」と彼女は言った。
「プレゼントならもう買っておいたよ」と僕は応えた。「この前、君が好きだと言ってたキャンディー」
 彼女はまた、はあ、とため息をついた。
「子供じゃないのよ」ビールをぷしゅっと開けて、一口飲んで言う。「もうちょっと認めてくれてもいいんじゃない?この私のセクシーさを」
 僕は冷蔵庫からチーズを出して、一口サイズに切った後、皿に盛った。一つ口に放り込む。腹の中に夕陽が溜まっているような気分だった。ビールを半分飲んで、パントリーからワインを出した。夕陽にはチリ産だ。カベルネ・ソーヴィニョン。グラスを出して、注ぐ。いい音だ。いいワインはいい音がする。その音に彼女の声が交じる。
「おっぱいも程良く大きいし。形も綺麗だし」
 そうだ、生ハムだ。僕は昨日買っておいた生ハムがあったことを思い出して、また冷蔵庫を開けた。冷蔵庫。文明の利器。実はこの前まで冷蔵庫が壊れていたのだ。中の物は全て溶けてしまった。冷凍庫に入っていたアイスクリームも。すぐに電気屋に電話をかけたが、丸三日も待つ羽目になった。そして昨日、ようやく直ったのだ。僕はアイスクリームを買い直し、チーズと生ハムを買った。白ワインとシャンパンを三本も冷やした。冷蔵庫は素晴らしく冷えていた。僕の過去の素敵な思い出もその中で保存したくなるくらいに。
「ねえ、見たい?」と彼女が言う。
 僕は生ハムを指でちぎって、チーズに巻いた。爪楊枝で刺して、口に放り込む。美味しい。ワインを口に含む。いつの間にか、彼女が缶ビールを片手にキッチンにやって来ていて、僕の前に座っていた。わざと少し前屈みになって。
「ねえ、見たい?」
 窓の外でさっと雲が分かれた。僕は給水塔が崩れて、水が溢れるところを想像した。そして中から人間の死体が出てきて、大騒ぎになるのだ。近隣の住民の二十人余りが気分が悪くなって、病院に担ぎ込まれる。死体は半年前から行方不明になっていた、マエダさん家のご主人だった。自殺か他殺かで世論は分かれた。自殺だとして、どうやって給水塔の中に入ったかわからない。かと言って、殺される原因があるような人物でもなかった。しがない街の電気屋だ。四十代に入って、急に頭頂部が薄くなり始めた。娘からは嫌われだした。煙草を一月前にやめたばかりだ。酒は好きだったが、けちだったので、安酒で我慢した。酔って転んだ時に切った瞼の上の傷跡が残っていた。
 僕は、ワインを注いで、ああ、見てみたいよ、と言った。
「何の話か、わかってる?」と彼女は言う。
「給水塔の中の死体だろ?」
「あなたの頭の中、どうなってるの?」
「冷蔵庫が壊れてたせいで、少し溶けてるんだよ」
「冷蔵庫、壊れてたの?」
「ああ。昨日直ったんだ」
「なんで壊れたの?」
「わからない。原因不明なんだ。仕事から帰ってきたら、突然ビールがぬるくなってた」
「ふうん。どうやって直したの?」
「電気屋を呼んだんだよ。電話で。三日も待たされた」
「そりゃ、溶けちゃうね」
「ああ、色々溶けちゃったよ」
 彼女は自分の缶を飲み干すと、僕の缶を取って、残りを飲んだ。
「飲みすぎるなよ」
「どうせあなたが飲んでるその赤いのはくれないんでしょ?」
「ワインは、二十歳からだ」
「ああ、暑くなってきた。私も溶けちゃいそう」そう言って、彼女は服をつまんでぱたぱたと中に風を入れた。そして僕をちらっと見ながら、「脱いじゃおうかな」
 僕は窓際に行って、風を確かめた。給水塔に、また鳥が止まっている。僕は指でピストルを作って、バンと撃った。風が入ってきた。ずっと遠くにある太陽の方角から。

給水塔

給水塔

男と女の日常を描いた掌物語です。 (過去作品はこちらから → https://slib.net/a/24408/)

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更新日
登録日 2019-11-04

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