愛される会社
「また赤字だわ」
とっくに夜になった窓が、エム・エム・インダストリアルの女社長、リサのデスクで頭を抱える姿を映していた。エム・エム・インダストリアルは父から継いだ会社で、リサはもう六代目になる。先祖代々、大事に守ってきた会社だ。
リサは机上の父の写真に目を落とした。「お父さん……」父ならこんな時どうするだろう、と考える。私の代で潰すわけにはいかない。
「コーヒーが入りましたよ」
と、そこに警備員の根岸が入ってきた。根岸は定年まで秘書として勤め、定年後も警備員として雇われていた。
「あんまり遅くまで働かれては、お体に毒ですよ」
わが娘を見つめるように、目を細める。根岸は独身であった。
「ありがとう、でも……」
言いかけてコーヒーの香りに気を取られる。エム・エム・インダストリアルは千人を超える会社である。社長が一人不眠で頑張ったところで、その力は微々たるものである。
「社長が倒れてしまったら、この会社はどうなります? 休むのも仕事のうちですよ」
「分かってる、いつもありがとう」
社長室を出て警備員室に戻ると、根岸は深く目を閉じる。
深く目を閉じて、リサへの恋心を、制服の胸ポケットに押し込める。
翌朝まだ明けきらぬ頃、一番に出勤してきた開発課の李に挨拶をして、根岸は帰宅する。李は少し会釈をしただけで自分の部署に行き、新製品の設計を始める。
筒は、真円でなければならない。そしてそれは、どの断面から見ても同じでなくてはならない。真円の筒とは、人類の夢だ。無限の循環だ。製造時だけでなく、客の使用にもよく耐え、美しさを維持していなくてはならない。そのためには、素材をどのようにすればよいのか。李はタバコを持って立ち上がった。
「よう」
誰もいないと思っていた喫煙室で、李は不意に声をかけられた。同期の営業課のマックイーンだった。
「早いな」
「今日から出張だからさ」
「そういえば前に言ってたな」
「ああ、この海外出張が勝負だ。うまくいけば千単位万単位の発注が受けられる。そしたらきっと、ボーナスだ。娘にはおもちゃを買ってやるんだ、人形の家だ。バスルームもベッドルームも、トイレだってあるやつだ。妻には指輪を買ってやるんだ、結婚した時は金がなかったから、ろくな結婚指輪も買ってやれなかったからな。もちろん自分には、最高の酒だ」
マックイーンは普段からお喋りだったが、今朝は特によく喋る。
「営業は夢があっていいな」
「お前は設計が夢だろう? 金じゃ買えない夢だ。新しい物をこの世に生み出すんだ」
マックイーンは腕時計を見る。時差を計算する。「じゃ、またな」と喫煙室を出て、顧客に電話をかける。
「エム・エム・インダストリアルのマックイーンです。はい、はい、もちろんカタログもございます。拳銃から毒ガスまで、あらゆる兵器を取り揃えてございます」
それでもエム・エム・インダストリアルは、社員から愛されているのである。顧客だってゼロにはならない。
愛される会社