ある土曜日の朝に

 せんせいが、いつの日か、ぼくのこと、忘れてしまったらと想う朝の、秋の、ひんやりとした空気が、肺をクリアにしてゆく感覚に、支配されて、そのまま、
(せんせいがふりかざす、せんせい、という立場での、やさしさほど、残酷なものはないよ)
食パンの、六枚切りの、一枚に、マヨネーズをぬり、ピザ用のチーズを、どっさりと、山盛りにのせて、焼いたとき、ぱさぱさとした表面に、ブラックペッパーをふると、お皿に散る感じが、なんだか、かなしい。
 土曜日。
 にぎやかなバラエティー番組の、なかで、にこにこと笑ってるひとたちは、つらいとき、くるしいとき、どうしているのだろう。ぼんやり思いながら、チーズトーストをかじる。スマートフォンは、鳴らないで、せんせいから、きょうは休みだから家においで、と、さいきんのせんせいは、忙しいから、言ってくれないで、ぼくは、予定のない土曜日を、もてあまそうとしている。チーズにはりつかなかった、ブラックペッパーが、ときどき、こぼれる。笑っていれば、なんとかなる、という精神を、ぼくは、まだ、よくわかっていなくて、それは、ぼくが、子どもだから、なのかもしれなかった。
 せんせいが、いつまでぼくを、好きでいてくれるのか。
 そもそも、好き、という気持ちが有限ではなく、無限でありつづける可能性は、あるのだろうか。結婚するひとたちは、永遠に、好きでいる覚悟、みたいなものをして、誓いあうものか。(しかし、覚悟、という言い方はあれかもしれないが、でも、結婚する、ということは、だれかの一生を背負うことなのだから、つまり、ひとりのにんげんの人生を、生命を、守り愛する覚悟、は、ひつようであると思うのだ)
 せんせいと、結婚。
 つぶやいてみると、なんだか、妙な感じだった。しっくりくるな、とか、なんかちがうな、とか、ざっくりした感想は浮かばず、からだをつかさどる神経が、かすかにふるえて、言葉にしがたいなにかが、うまれた。
 ぼくは、チーズトーストを咀嚼しながら、せんせいにメッセージを送る。
 おはようございます。
 それだけ。
 せんせいからの、おはよう、が返ってくるまで、然して興味もないテレビ番組を観ていようと、決める。
 なにも思わないで、感じないでいられるから、ちょうどよかった。土曜日の朝は、ちょうどよかった。

ある土曜日の朝に

ある土曜日の朝に

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-02

CC BY-NC-ND
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