だれかを好きになるのってこわい
好きになるのって、こわいね、と言ったら、わにが、こわくないよ、と首をふって、みじかいうでで、ぼくの肩を抱きました。わには、じつに、わにぐさいのでしたが、ぼくは、わにのにおいが、きらいではありませんでした。
こわいよ。
こわくないよ。
こわくないの?
ぜんぜん、こわくないよ。
やっぱり、こわいよ。
まったく、こわくないよ。
そんな押し問答をくりかえしたのち、ぼくたちは、しかたなし、ごはんをたべて、おふろにはいって、ねむりました。ごはんは、わにの好きなシチューをたべて、おふろは、せまい浴槽にふたりでつかり、ねむるのは、いつも、ひとつのベッドで、ぼくが、かべがわで、わには、でも、にんげんが三人くらいねむれそうな大きさのベッドなので、ゆうゆうと、ぼくのとなりで、ねむりました。
ぼくは、わにといっしょにいるとき、やっぱり、だれかを好きになるのってこわい、と思うのでした。わにが、シチューをこぼさず、ていねいにスプーンでたべているようすや、からだを洗ってもきえない、わにの、わにぐささとか、寝息にあわせて規則正しく膨らむ、わにのおなかとか、そういうのにふれたとき、ぼくは、好きになるのってほんとうにこわい、と恐々とするのでした。わにの、にんげんとはちがう、さわり心地や、体温なんかに、めまいがして、そのまま、おかしくなったらどうしよう、という不安が、さらなるこわさを、煽るのでした。
夜は、長いです。
わにとすごす夜は、なぜか、みじかい気がします。
青白い月の夜の、わには、いつもよりからだが、湿っているような気もします。
皮膚。表面。弾力を感じるのは、しろい部分だけの、わに、です。内側。
好き、という気持ちが、消滅したらいいのに、と思う反面、なくなったら、なにかとてつもない喪失感に、うちひしがれるのでは、という予感も、あるのです。
わにのことを、もしかしたら、わにぐさいから近寄らないで、と、傷つけてしまいそうな、想像を、してしまうのです。
となりでねむるわにが、ときどき、いびきをかきます。
豪快な音ですが、間隔が安定しており、耳心地はわるくありません。
ぼくは、わにを、むやみに傷つけたくはないし、わにのこと、わにぐさいからと突き放したくはない、と思います。やさしくありたい、と、思います。わにと、ずっといっしょに、ごはんをたべて、おふろにはいって、ねむれたら、と、重ねて思います。
そして、また、だれかを好きになることを、おそれるのです。
だれかを好きになるのってこわい