【Ruolo dell'accordatore】

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 岐阜県瑞浪市に、NPO(非営利団体)により運営される瑞浪芸術館という施設があります。ここは、江戸時代の茅葺き民家の外観をそのままに、一歩足を踏み入れると現代のギャラリーへ改築した建物です。過去と現代が程よく融合した空間で、「大切なのは本物であること」をモットーに、様々なアートを発信する場になっています。
 何年も前のことですが、そこへ私の母校が古い国産グランドピアノを寄贈しました。しかし、昭和初期に作られたピアノをそのまま寄贈することは、後々のことを考えますと、貰い手にはそれほどメリットはありません。と言うのも、耐用年数を超えた部品は、直ぐにでもトラブルを引き起こす可能性を孕んでおり、高額な修理に直結する可能性が高いのです。寄贈後のトラブルは、責任の所在が明白になりにくい為、そのまま放置されるケースもしばしば見受けられます。そうなると、善意の寄贈のつもりでも、下手すれば「迷惑」にも繋がりかねないのです。
 ということで、寄贈前に、私が最低限の修復を施すことになりました。勿論、寄贈する側が修復費も負担しましたので、悪質な処分を兼ねた「寄贈」ではなく、本当の意味での贈答品と言えるでしょう。

 見た目は勿論、中身もかなりひどいコンディションでしたが、このピアノの持つポテンシャルの高さは、作業前から容易に窺い知ることが出来ました。作業を進めていく中、その思いはますます膨れ上がり、実際に仕上がってみると、少なくとも私がそれまでに見てきた国産ピアノとは比較出来ない程、素晴らしくよく響く楽器になりました。

 納品して間もない頃、スイス在住のピアニスト、T先生によるコンサートが、芸術館で行われました。
 先生は、芸術館のコンセプトに非常に理解を示されており、帰国された際にはよくここでコンサートを開いていたようです。それまでは、ピアノをどこからか持ち込んで開催していたようですが、今回からはこのピアノを使って頂くことになりました。そして、上記した経緯により、調律も私が担当させて頂くことになりました。

 コンサート当日の朝、先生による公開レッスンが行われました。実質は、公開講座と言った方が良いかもしれませんが……地元のピアノ講師を前に、子どもへのピアノの指導のあり方をメインとした講義が行われたのです。

 しかし、話は大きく飛躍します。先生は演奏や指導のみならず、ピアノという楽器そのものにも造詣が深い方です。演奏時の筋肉の使い方、音の捉え方、楽譜の意味と解釈などについて、ピアノのメカニカルな特性と絡めつつ、先生独自の理論を交えながらの講義となり、大変有意義な時間でありました。

 その中でも、特に印象に残ったお話をご紹介致します。

 人間同士で何かを伝達する方法は、幾つかありますが、もっとも簡単な方法は、おそらく言葉による伝達……つまり、会話や文書でしょう。逆に、不便な方法も存在しますが、その一つが音楽による伝達です。
 それを聞いた時、「そうか、音楽は何かを伝えるために存在しているのか……」と、目の覚める思いをしました。

 音楽は、便宜上(と言うか他に手段がないこともあり)、楽譜を媒介して伝承されます。
 楽譜には、作曲者が伝えたいことが書かれているのです。それは、奏者を通じて音楽という形に変換され、国や時代を超えて広く万人へと伝わるのです。それだけではありません。演奏を通じて、奏者自身の思想も音楽に反映させ、伝えることが出来ます。音楽による意思の伝達とは、こういうことだと考えました。
 いかに楽譜から作曲者の意図を汲み取れるか、また、いかに自分の思想を築き上げられるか、そして、それらをいかに表現出来るのか……演奏家の重要性は、この点に集約出来ると思います。

 この時、奏者が用いる楽器の特性も無視出来ません。そして、先生曰く、音楽で何かを伝えるに当たり、ピアノ程不便な楽器はない、とのことです。
 ピアノは楽器の王様と称されるぐらい、長所の多い楽器ではあります。同時に多数の音が出せ、旋律と伴奏が同時に出来、音量と音域の幅も広く、誰でも容易に音が出せる楽器なのです。
 一方では、ロングトーンでのクレッシェンドが出来ない、微妙な音程が取れない、そしてヴィブラードが出来ない、といった欠点もあります。数少ない欠点ですが、これらは口笛でも出来ることですし、楽器として致命的です。
 そして、決定的な短所は、ピアノの音は、発音と同時に奏者の手を離れてしまうことです。鳴らした音は独り歩きし、減衰するのみで、奏者には音を「消す(止める)」以外、何もすることが出来ないのです。管楽器や弦楽器の様に、発音中に変化を付けたり修正したりという、音を操ることは不可能です。

 必然的に、ピアニストは音を積み重ねることに意識を集中させてしまう傾向があり、結果、無意識のうちに音楽を立体的に捉えがちになるそうです。それはそれで大切なことですが、それだけだと見えてこないものもあるのです。
 一度鳴った音は、奏者にはどうすることも出来ない楽器なのです。だからこそ、ピアニストは自分が発した音が消えるまで、或は次の音へと変わるまで、聴き切ることが何よりも大切だ、と仰ってました。
 ピアニストにとっては無頓着になりがちな、音楽の横へ横へと流れていく動きに意識を向けるため、まずはとにかく音を最後まで聴くこと、演奏も指導もそこから初めてみてはいかがでしょうか、というのが先生の提案でした。つまり、そうすることにより、鋭敏な指先の感覚が養われ、音をコントロールしようとする意識が芽生え、音色の向上にも繋がる……イコール、ピアノの上達に結び付くというが先生の考えなのです。
 好みの音、求める操作性、それらが相まってこそ、表現力が発揮出来るのです。演奏が伝達する手段なら、表現力は尚のこと重要なファクターになるでしょう。

 そういった講義を聴きながら、では、ピアノ演奏における技術者の役割って何だろうか……?と考え込みました。
 目の前のピアノを、その個体が持つ最大限の能力が発揮出来る状態に導くこと……これは正しいようで、実は技術者のエゴに過ぎないのかもしれません。
 我々技術者は、ほとんど本能に近い感覚でそうしたいと思い、またそれを目指します。しかし、音楽を通じ、何かを伝える役割を果たすべき人は、演奏家です。従って、我々の取るべきスタンスは、演奏家がより表現し易いように、演奏家が求めるコンディションを築き上げることに重点を置くべきかもしれません。
 それは、イコールその楽器のベストコンディションとは、必ずしも限らないのです。技術者視線で、この楽器はこうした方が良い、と思っても、演奏家が望むものと違えば良い仕事とは言えないのです。

 さて、この日のコンサート。
 公開レッスンの後、先生は夜のコンサートに向けてリハーサルを始めました。私は、客席で聴きながら、ピアノのコンディションを確認しました。そして、リハ後に少しお話を伺い、コンサートまでにどのように仕上げればよいのか、ご指示を仰ぎました。
 すると、先生からのご要望は、私がこのピアノに施したい修正と見事に一致しました。そう、何も悩む必要などなかったようです。やはり、一流の方は、感覚的に楽器の個性を見抜き、能力の限界を求めるのでしょう。
 ピアノのポテンシャルと調律師の考え、そして、奏者の要望……この三点の一致は理想的な関係ですが、実はそう多くはないのです。しかし、例え三点にズレが生じても、常に最終的な表現者はピアニストであることを、我々は決して忘れてはいけません。
 音楽を通して何かを伝える……こんな困難なことを敢えてやろうとする人、それが音楽家です。そして、その中の「ピアノの演奏で伝える人」のお手伝いが、私たちの仕事なのです。
 つまり、彼等が気持ちよく表現出来るように手助けすることこそ、我々が果たすべき役割なのです。

【Ruolo dell'accordatore】

【Ruolo dell'accordatore】

ピアノとピアニストの狭間で、調律師が果たすべき役割とは?

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-10-31

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